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全国へ原爆展運動広げる大交流
広島「原爆と戦争展」開幕
             戦争阻止へ例年と違う熱気    2013年8月2日付

 第12回広島「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる長崎の会)が1日、広島市中区の広島県民文化センター・地下一階展示ホールで開幕した。この日までに市内外の265人の賛同者を中心にした全市民的な協力のもと、約2400枚のポスターが掲示され、約12万枚のチラシが配布されるなどの市内宣伝がおこなわれ、原爆記念日に向けた被爆市民の運動として定着。被爆・敗戦から68年目の夏を迎えるなかで、揺るぎない核兵器廃絶と平和、独立を求める広島市民の声を発信し、対米従属政治のもとでの改憲、原発再稼働、TPPなど安倍自民党政府による開き直りの暴走を根底から揺るがす全国的な運動を広げていく大交流の場として期待を集めている。
 
 大学生や被爆者が運営担う

 午前10時からは、各所で精力的に被爆体験を語ってきた広島の会の被爆者や会員、教師、原爆展の宣伝行動や平和公園でのキャラバン隊に参加している大学生、今日の開幕を待ちわびていた広島市民などが参加し、開幕式がおこなわれた。
 初めに原爆展を成功させる広島の会の重力敬三会長が挨拶し、「2001年に旧日本銀行広島支店で“原爆と峠三吉の詩”広島原爆展を開催して以来、毎年8月6日を中心として福屋本店やメルパルク、袋町・市民交流プラザで開催し、“原爆と戦争展”として長崎、沖縄、東京など全国へ浸透し、圧倒的な市民の皆さんに共感され、支持される運動として広がってきた」「私たちは、被爆地広島の面目を一新するとの思いでこの運動を始めたが、10年たってまさにその通りになってきた」と12年間の運動の発展を確信を込めて語った。
 また、「安倍政府は、東日本大震災での原発事故の収束もつかないまま、圧倒的な国民世論を踏みにじり、原発の再稼働を強行し、諸外国にまで原発輸出をおしすすめている。また、憲法改定や国防軍創設を叫び、日本全土を原水爆の火の海にしようとしている」「再び戦争を起こそうとするアメリカと日本の官僚組織、メディア、御用学者、財閥などとは命をかけてたたかわねばなりません。世界中の平和を愛する人人と連帯して頑張りましょう」と力強く呼びかけた。
 続いて、共催する下関原爆被害者の会の大松妙子会長と原爆展を成功させる長崎の会の吉山昭子会長からのメッセージが代読された。
 大松氏は、若い人や大学生が積極的に原爆展行動に参加し、市民からの協力・支援を受けていることを喜び、「愚かな戦争、原爆の真実は、身をもって体験した者しかわかりません。安倍政府は、この戦争体験者、被爆者が死ぬのを待っているようだが、広島、長崎、下関が一致団結して安倍政府とたたかっていきたい」「二度とあの苦しみ、悲惨さを味わわせないために、若い人たち、子どもたちにしっかりと体験を語り継いでいくことは私たちがやらねばならない使命であり、手をたずさえ頑張りましょう」とメッセージを寄せた。
 吉山氏は、6月の第九回長崎「原爆と戦争展」への広島からの協力に感謝をのべ、「また今年も暑い日差しとともに、原爆の日が近づいてきた。原爆と一口にいわれるが、私たちにとってはかけがえのない家族や友人を失い、青春まで奪われた忌まわしい記憶が蘇ってくる。あれほどの犠牲者の上にある今日の平和の時代も、戦後の利己主義や身勝手なものの考え方によって崩れてしまったことに悔しい気持ちがこみ上げる。どうか、被爆者のみなさん、戦争を二度としないためにしっかりと話をしてほしい。若い人たちはしっかり話を聞いて下さい」と切実な思いを伝えた。

 伝えるのが広島の使命 学生も被爆者も強調

 続いて、広島の会の被爆者を代表して真木淳治、上田満子の2氏、スタッフを代表して3人の大学生が抱負をのべた。
 真木氏は、今年3月の佐伯区に始まり県立大、呉市、広大、修道大、北広島など各地での原爆と戦争展を振り返り、「広島市内の小中学校で話をしたが、子どもたちの感想文に感動し、その反響のすごさを実感している。4月の参院選で自民党が大勝し、安倍政府はなんでもできるような錯覚を起こしている。憲法を変えて集団的自衛権の行使、国防軍化、自衛隊に海兵隊機能を持たせることをはじめ、あれほどの福島原発事故に反省もなく、原発推進を再開し、海外に原発を輸出するなどなにを考えているのか。国の将来にとって一番に大切なことは、子どもや孫のために負の遺産を残さないことだ」とのべた。
 さらに「私たちの思いを率直に受け止めてくれる若者の思いや行動に希望を感じる。私たちが12年間にわたって活動してきた成果があらわれている。この展示会に協力して下さる皆さんに感謝し、この機会を最大限に生かして一人でも多くの人に広島の心を伝えていきたい」とのべた。
 上田満子氏は、「今年はみんなの心構えが違う。学校でも平和教育で生徒たちがしっかりと話を聞いてくれ、感想文を送ってくれている。大学生もスタッフとして参加してくれ、若い人たちに負けないように頑張りたい。日本人なら、広島人ならなおのこと忘れてはならないのが原爆の体験であり、それを伝えるのが私の使命だ。政府は危険な動きをしているが、私たちが結束して市民と結びついていけば負けることはない」と確信をもってのべた。
 広島市内の女子大学生は「平和公園での原爆展にスタッフとして参加したが、多くの人が熱心に参観していった。自分自身の勉強が足りていないと感じる所もあるので、多くの人に伝えていくなかで自分も学んでいきたい」と話し、1年生の男子学生は「原爆展で山口県の人がこんな活動をしているのに、広島県人の自分がなにもしていないのは広島県人として自覚が足りないと気づかされた。この活動に参加して、多くの人に原爆のことを知ってもらいたい」と意気込みを語った。
 大学で原爆展をとりくんだ女子大学生は「最近の日本の政治や世の中の動きを見ていると、今原爆のことを伝えていくことは重要だと改めて感じる。新しく参加している大学生もたくさんいるので一緒に頑張っていきたい」と決意をのべた。
 展示パネルには、新たに『戦争の反省の覆し許さぬ』と題して国防軍化や憲法改定をめぐる安倍首相や橋下大阪市長の発言に対する戦争体験者をはじめ国民世論の紹介、また、『原発再稼働を粉砕する最前線―上関』として30年間にわたって原発阻止を貫いてきた上関原発阻止斗争の歴史的な教訓と現在の局面を紹介するパネルを追加。
 さらに『戦争に立ち向かう教育運動の広がり―自分中心でなく、“みんなのために”で頑張る子どもを育てる』と題して、被爆体験に学び学校教育の停滞局面を一新させている山口県・北九州で広がる教育実践を紹介するパネルが加えられ、それを担ってきた教師たちが会場に常駐して参観者にその経験を説明し、教育運動として全国に広げることを訴えている。
 また、8月5日に同センターで公演される劇団はぐるま座『峠三吉 原爆展物語―原爆展運動10年の記録』のダイジェスト版動画が上映されるなど、原爆展運動を中心にして日本の現状を変革する力強い運動の発展が紹介されており、来場者の注目を集めている。

 「体験語る」と被爆市民 申し出が相つぐ

 開幕と同時に市内の年配者や主婦、親子連れ、会社員などが来場し、熱心にパネルに見入ったり、パネルを前にして体験を語りあったり、親子や団体で被爆者から体験を聞くなどの交流が広がった。七人の被爆者が会場での体験証言や案内をおこない、大学生7人が受付や街頭でのチラシ配布など運営を担った。
 中島本町(現在の平和公園)に実家があり、一家が全滅した70代の男性は、毎日、同町の慰霊碑に献水していることを明かし、「この原爆展は毎年来ているし、平和公園で学生たちが粘り強く続けていることに感心している。当時は写真を残すことが禁じられ、被爆後はこの町の資料もほとんど残っていない。だが、これだけ立派に資料を展示されるのなら、私の持っている当時の写真も提供したい」「これまで修学旅行生にも話をしてきたが、自分もこの会で体験証言することで協力したい」と申し出た。
 毎年参観しているという60代の男性は「県外からの修学旅行生に原爆の碑を案内するボランティアをやっているが、県外からくる子どもたちはもちろん被爆体験は聞いたことがないし、“爆心地”という言葉すら知らない子どもが多い。しかし、最近は事前に勉強してきたのだろうと思うような深い内容の質問が多く、みんな真剣に原爆について学ぼうとしている」と話した。
 「今、安倍政府が憲法改正といっているが、参院選で勝ってさらに暴走するのではないか。アメリカに押し付けられた憲法だから、改憲しなければいけないというが、日本が戦争できる国になれば、アメリカは中国・ロシアから攻撃されたときに日本を盾にできるし、アメリカの負担も減るから都合がいいだけの話だ。政府もマスコミも中国・北朝鮮の脅威を過剰に煽って、国防軍が必要というような空気をつくっている。隣国といがみ合ってもいいことなど一つもないのに、わざと竹島や尖閣諸島などの領土問題を掘り返してみたり、ベトナムやフィリピンなど中国と摩擦を起こしているような国ばかりに外遊する。アベノミクスといっても、輸出企業のような所はもうけているが、中小企業にはなんの関係もないし、大企業の従業員もボーナスが上がるだけで基本給は変わらない。もうけはすべて企業側が持っていく。矛盾だらけだ」と語った。
 70代の男性は原爆投下当時は大竹に住んでいたため自身は被爆していないが、母親が大竹の義勇軍として広島市内の家屋疎開に向かっている途中で被爆したことを語り、「母は姉妹3人で6日に市内に出たため3人とも被爆し前方からの閃光で体の前半分に大ヤケドをおった。8歳だった私も姉に手を引かれて、大竹の収容所を一軒一軒まわってやっと母を見つけたが、着物の袷の部分はかろうじて残っているだけですべて焼けただれていた。その後も母は2カ月間寝たきりになり、10月に外の景色を見せようと布団ごと体を起こすと、布団の下がウジだらけだった。子ども心にこんな状態で寝かせていたことを申し訳なく思ったことを覚えている」といった。
 西区在住の92歳の男性は、海軍として昭和13年に呉港から戦地に出征し、ブーゲンビル島で草やトカゲを食べて生き延びた体験を語り、「原爆と戦争展のポスターを目にして、自分も力になれないかと思った。ぜひ戦地体験を話したい」と再訪を約束した。
 68歳の退職者の男性は、「この展示を見て、これまで隠されてきた一つ一つの歴史がつながり、今の日本の大きな枠組みが理解できた。とくに戦後、GHQがいかに巧妙に日本の上層部を飼い慣らしてアメリカにとって忠実な手下にしていったかがよく描かれており、“アメリカの属国”といわれて久しい日本政府の根源がよく理解できた」とのべた。
 「日米安保の下で“おかしい”と感じていても“力関係上当面はしかたがない”とアメリカに従っていった結果、今の日本はふたたび戦争に引きずり込まれそうな状況にまで来ている。安保斗争後もアメリカは実に巧妙に運動を切り崩して人人をバラバラに分断していったし、上関原発のパネルにあった“反対の顔をした推進派”というのもアメリカのやり口そのものだと思った。選挙で自民党が当選したといっても、五割が投票しておらず民主主義の根底が崩れている。今の日本はわずか1%のアメリカ派と、99%の国民とのしのぎあいの構図になっている」と語り、「こうやって人人の声を集めて、アメリカの手口をあからさまに暴いて新しい運動を作っていく活動に心から感服する。自分も勉強させてほしい」といい賛同者になった。
 51歳の自営業者男性は、「戦後、アメリカの指示で国家レベルで隠してきたことを、体験者の話を掘り起こしてこれだけ堂堂と展示していることに感動した。オレンジプランにはじまって日本をアメリカの属国にし、戦争指導者の天皇や政治家、財閥を免罪したことが現在の日本につながっている。戦争をやろうとする勢力とあの戦争を経験して民族としての誇りにかけて国を守ろうとする国民とのすごい対立があるし、時代の転換期を迎えていると思う。国民の側に立った運動なら自分も参加したい」といって賛同者を名乗り出た。
 ボランティアとして参加した女子大学生は「国際政治学を学んでいて、ちょうど授業で日米安全保障条約について討論もやっていたので、この展示をみることで視野を広げることができた。今の日本の政治は第2次世界大戦が大きくかかわってきていることを知った。チラシまきをしていても、かなりの人が受けとって海外の観光客からも反響があり、原爆に対する関心はかなり高いと思った。他の大学生とも交流することができていろんな意見を学ぶことができてよかった」と語った。
 同展は6日までおこなわれ、5日には同センター5階で全国交流会が開かれる。


 

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