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全国各地から期待こめた感想
劇団はぐるま座60周年記念集会
                共に独立・平和の日本作る     2012年11月14日付

 劇団はぐるま座の創立60周年記念祝賀集会が11日、下関市で開かれ、はぐるま座がこの5年間のたたかいを通じて人民劇団として本格的な役割を発揮する出発点に立ったことを祝賀する熱気あふれる集会となったが、その後全国各地の参加者から今後への期待と、戦争を阻止し独立した平和な日本をつくるためともに頑張る決意が続続と寄せられている。

 心を一つに共に広げる同志   原爆展を成功さ せる広島の会 真木淳治

 はぐるま座の報告にもあったが、たいへんな苦労を重ねてこられ、若い人たちを中心とした力で新生はぐるま座が始まったことを感動的に受け止めさせてもらった。
 私は、八年前に江波地区での原爆展開催を手伝ってもらって以来、はぐるま座の演劇を見せてもらうだけの関係だったが、今年、『原爆展物語』広島公演の実行委員会にも参加し、ともに活動していくうちに、私たちの原爆展運動を心を一つにしてともに広げていく同志であるという感覚を持たせていただいている。この集会の方向で、これからもともに影響を受けながら、進んでいくことができたら非常に喜ばしいことだ。
 集会には全国から400人も参加して盛大に開かれ、たくさんの懐かしい出会いもあった。同じテーブルにおられた京都の青年は、八月の広島原爆展で私が体験を語ったことを覚えていてくれて声をかけてこられ、すばらしい発言をされ、今後、平和公園でおこなっている原爆展キャラバン隊に参加することも申し出てくれた。沖縄の人たちや劇団員からも握手を求められ、とてもうれしかった。
 今、大阪の橋下市長や東京の石原知事など影響力をもつ人人が平然と「核武装」や「原発推進」を掲げるなど右傾化の流れが目立つが、だからこそ広島の私たちが一貫して、戦争反対、核兵器廃絶、原発の廃止を訴えていくことが必要だと思う。
 毎月やっている原爆展キャラバン隊にも欠かさず出させてもらっているが、一回一回に成果がある。派手さ、容易さを求めるのではなく、地道であっても一人一人の人との真剣な対話を通じて志ある人たちとともに活動を続けていくことが一番の力をもっている。私もその原点を忘れずに、はぐるま座のみなさんとともに頑張っていきたい。

 印象的だった川南の発言   原爆展を成功さ せる広島の会 高橋 匡

 内容が充実し、とても楽しい集会だった。発言はどれも元気がよかったが、宮崎県川南町の婦人の発言はとくに印象的だった。たくましさと、原稿なしで語られる歯切れのよさ、元気のよさは、口蹄疫による塗炭の苦しみから立ち上がってこられた宮崎の人人の心を象徴していたように思う。はぐるま座の『修羅街挽歌』も、劇団の若返りと活気を感じられてとてもよかった。あの形でいけば必ず発展すると確信できた。また、原爆展の出会いから親交が始まったという青年の発言も心を打つものがあり、若い人たちの新しい登場をうれしく思った。発言者一人一人が、自分のことだけではなく、これからの日本のための情熱であったし、それぞれにはぐるま座、長周新聞への期待が込められていたと思う。はぐるま座の再建は、声明にはじまり、その後の行動ではっきりとその成果が示されたと思う。はぐるま座にとって貴重な体験ではなかったかと思う。今年に入団されたばかりの新人劇団員もしっかりと溶け込んで頑張っておられ、あのような若者が自分の意志で参画してくれるようになったことは頼もしい限りだ。新しい力で描かれる『原爆展物語』が、これからどんな発展を遂げていくのか、今から楽しみにしている。
 60周年を機にして、はぐるま座がどのように立ち上がっていくのかをみんなが期待して注目している。二つの上演作品とともに、新しい創作劇もつくるといわれていたが、この5年間で定まった方向性でいけば必ず発展すると思う。
 世の中は、非常にきな臭くなっている。日中関係を見ても、一方が暴発すれば戦争に突入する危険性があるが、マスコミも緊張を煽るだけで、どのような外交努力によって戦争を回避するのかということは示されない。戦争によってあれほどの経験をしながらその教訓に立った政治、外交がなされていない。真実の報道を続けておられる長周新聞、はぐるま座の活動がどれだけの人人に浸透し、受け入れられていくかが今後の展望を示すバロメーターになってくると思う。佐藤先生をはじめとする先生方による教育運動も、山口県から全国へ広がってほしいと切に思う。
 私たちは、自分たちが経験した被爆の事実ありのままを伝えていく他に方法を持たない。昔話ではなく、現実の問題として伝えていきたい。私たちの活動の後を継いでくれる若者の登場と、私たちの話を聞いた子どもたちが数年後、数十年後に平和を守る大きな力になってくれることを願ってこれからも頑張っていきたい。

 苦労乗越える明るさ感じた    原爆展を成功させる広島の会 野間知枝

 すごく楽しい集会でした。参加された人たちが一つになって沸き、会全体が生き生きとしていました。顔見知りの人もいましたが、初めて会う人たちとは思えないほど打ち解け、心豊かにさせてもらいました。あの明るさは、苦労を重ねてきたからこその明るさだと思います。
 私も、原爆で全身にヤケドを負ってからというもの苦労の連続でしたが、それを乗り越えたからこそ今の笑顔があるとよく人にいわれます。暗くて苦しいことが続くと、楽な方へ、華やかな方向へ逃げたいのが普通ですが、そこから逃げずにふんばる根性がはぐるま座にあったのだと思います。人間、自分が苦労しなければ人の苦労はわかりません。でも、それを乗り越えたら、たとえ財産がなくても、自信を持って胸を張って生きていけるし、自分が磨かれてたくさんのすばらしい人との付き合いが生まれます。長周新聞にしろ、はぐるま座にしろ、教育同盟の先生方にしろ、山口県でやられる集会でいつも思うのは、人に対してとても暖かく、一致団結していることです。うわべだけでなく、心から歓迎してくれ、社交的で気配りのできる魅力的な方ばかりです。同じテーブルにおられた下関市民の会のみなさんにも同じような印象を受け、大好きになりました。広島の会の活動に参加し、このような集会に参加できることができて幸せです。
 広島の会の森永さんもいわれていましたが、はぐるま座、長周新聞が両方合体していたからこそここまでこれたのだと思います。長周新聞を読んでいると、はぐるま座をはじめ、あちこちで知り合った人たちとつながっている気がして毎日来るのが楽しみです。
 はぐるま座のこれまでの苦労が大きな実になりましたが、これからまた違った苦労がさまざまあると思います。でも、それがまたはぐるま座をさらにすばらしい劇団にするに違いありません。私もこれまで以上に溶け込んで、自分を磨いて、みなさんともっともっと語り合えるようになりたいと思います。

 下関起点に長周新聞と共に  下関原爆被害者の会    大松妙子

 11月11日、はぐるま座60周年記念集会大成功おめでとうございました。多くの方方の協力と支援は、はぐるま座への期待の大きさの表れと思いました。
 長周新聞社の一同総出の協力。福田主幹先生の路線そのものであったと思います。私たち下関原爆被害者も長周新聞の恩恵をいただき、現在があります。
 はぐるま座のみなさん、先日の『動けば雷電の如く』公演で、苦難の戦を乗り越えた者の心の強さ、信念の強さ、迫力に感動した者たちの、記念集会の参加が多く見られました。福田正義主幹先生の築かれた、人民のための奉仕に感銘した同志、人民教育同盟の諸先生、市民の会のみなさん、本池市議は長周新聞のお手本そのもの。裏切り集団のなかで唯一人、市民のために自分の信念を曲げることなくたたかっておられる姿、頭が下がります。
 はぐるま座のみなさんが下関を起点に活動されること、うれしく思います。長周新聞とともに、市民のため、わかりやすく共鳴できる劇を期待します。今の世の中、自分本位の人間が多く、昔の人間の良さを忘れていて、悲しく思います。けれども長周新聞のみなさんは心あたたかく、こちらも心が柔らかになる。下関を第一歩とし、お互い団結し頑張りましょう。

 65周年にむけて新陳代謝を   岡山県・井原医師会会  長鳥越恵治郎

 あれだけの地域、2府18県から集まってすごかった。歌も朗読もよく、文句なしだった。ふつうイノベーションがないと30年でつぶれるもので、60年のうちこの5年の大変革が一番印象に残った。
 はぐるま座のイメージは奇兵隊だ。ここから65周年に向けて新陳代謝(年齢の問題ではない)をし、いつも前向きな情熱で、長周新聞と組んで進んでほしい。社会が豊かになったというが、貧困も戦争も暴力も原発も基地も、何も解決していない。むしろ格差は広がっている。だから原発反対、基地反対、第一次産業を大切にしていこうとか、いろんな劇をつくって3年くらいのローテーションで全国を回ってほしい。

 心を燃やし自分も動かねば   原爆展を成功させる長崎の会  中里喜美子

 あのような集会には初めて参加しましたが、みなさんの発言は聞いていて胸が高鳴るほどパワーがあり、どれほどの思いをもって集会に参加されているか意気込みが伝わってきました。
 私は幼少の頃に戦争を経験し、父がビルマから帰ってきて病死し、つらい記憶があるので、戦争も原爆も思い出したくないとずっと思ってきましたが、七年前から下関原爆被害者の会にいた友人の声かけで長崎での原爆展のお手伝いを始めました。「あの悲惨な戦争は二度と繰り返してはいけない」という気持ちでやってきましたが、戦争の経験のないはぐるま座の若い人たちが真剣に演じられた『修羅街挽歌』や、集会にこられた皆さんの熱気に満ちた姿を見て、このままではいけない、心を燃やして自分ももっと動かなければという気持ちがかき立てられました。
 長崎西洋館での原爆と戦争展も年を重ねるごとに市民の方から認められ、街で会った知らない人からも「今年も原爆展やるのかね! 応援してるよ!」と声をかけられるようになっています。その期待に応えていくためにも、私も自分にできるのことはなんなのか教えていただきながら頑張っていきたいと思います。

 10年先の展望を感じさせた  沖縄市民生委員児童委員協議会会長  屋宜恒一

 はぐるま座創立55周年記念集会とは明らかに違い、様変わりでかなり大衆的になっていた。この5年間のなかで広島、長崎、九州などに入ってきたことが実を結びつつあると思った。
 発言のなかでは、とくに口蹄疫の川南や都城の人たちの発言が印象に残った。口蹄疫の流行は偶然ではなく、日本の畜産業を壊滅させようとする陰謀が働いているように感じる。安い肉を売りつけようという思惑を感じる。そのうえで菌をまくというような軍事的な謀略、軍事問題と共通のものを感じていた。しかし、日本の畜産・農業を守ろうとする熱い心を持った人たちが立ち上がって立ち向かい、劇を見てますます勇気を得ている。
 沖縄の参加者も劇団の総括論議の呼びかけに響いて、職場でやってきたことが寸劇になっていた。『原爆展物語』の劇が力になって地域、職場、生産点で活動されている人たちが生き生きとしていて、各地からの参加者も含めて、現実の生きた活動に役立つ文化活動になってきていると思った。5年、10年先の展望を感じさせるものだった。『雷電』を早く沖縄に持ってきてほしい。

 命ある限り共に歩み続ける 北九州原爆と戦争展を成功させる会代表 増田 幹

 最後の長周新聞の青年の歌と、そこにはぐるま座の青年が加わって歌った歌がとてもよかった。スピーチではどうしてもほめる言葉や挨拶が入るがそれをぬいたスピーチの真意とみんなの気持ちがそのまま表現されたように思う。「これならいい」「これなら全国を変えられる」という印象を会場全体に刻みつけた。
 はぐるま座が大きな会館を建ててつぶれかかっているとき、長周新聞がかかわって立て直したと話に出ていたが、この方向をもっと発展させてほしい。のんべんだらりの活動となって劇の観客が減っていってはいけないし、つねに新しい発想が必要だと思う。もっともっと客の心をつかむことを考え、奮起して創意工夫し続けて頑張ってほしい。
 はぐるま座の『修羅街挽歌』では兵隊の姿をみて昔を思い出し胸に迫るものがあった。自分たちも立ち止まったら終わりだという思いで原爆と戦争展をし、歩み続けてきたが、今若い人が命をかけて戦争を止めないと本当に戦争へ突き進んでいくところにきている。このなかでどう行動していくのかが『修羅街挽歌』に込められた中身だと思う。
 今私ははぐるま座と長周新聞と原爆と戦争展が生き甲斐だ。90歳になり体は病気のデパートのようになっているが、命ある限り一緒に頑張っていきたいと感じさせられる集会だった。

 沖縄の人や先生達も同志に  宮崎県・NPO法人ゆうあい川南理事長 河野美代子

 はぐるま座の力、やっていることにビックリした。感動というよりも、もっともっと大きなもの。沖縄や広島、長崎の原爆を経験し、ずっと語り続けていることを全国に伝えている。はぐるま座のしていることはすごいことだと思った。沖縄の人たちの生の声を聞いて、奮い立たせるものがあった。
 「世直し」と一言でかたづけるものではないし、「絆」でもなく、「団結」で終わるものでもない。
 私は口蹄疫のことなどを話したが、はぐるま座は普通の劇団じゃないと思った。お客が入ってお金をもうけるだけの劇団とは違う。はぐるま座の総括意見を聞いて、川南に足を踏み入れたときのことが良く分かった。川南や小林市や国富町でポスターをどこどこの店に貼らせてもらったと、喜んで話してくれていたが、そういう気持ちで川南にお出でいただいたんだと思った。
 集会ではものすごく力をもらった。人の生きる支えになる、そういうものを感じ、来て良かったと思った。
 帰った翌朝、妹は目をらんらんと輝かせて集会のことを聞いてくれた。都城の松山さんたちなど、若い人たちが地域づくりに一生懸命になっており、それを積み重ねていけば、心が通じ合い、国を変えることができる。「『雷電』って、本当に人を動かすね。うねりができて、本当に動く」と思った。一人一人の声は小さくても、大きな声となって世論となっていく。
 学校の先生たちが、目をらんらんと輝かせて話され、先生たちも私たちの同志になったかなと思った。先生たちと話をするなかで、学校といっても、「自分さえよければ」というものがあり、「あまり厳しくいってはいけない」というものがあるが、先生たちがとりくんだ逆上がりのとりくみがすごくいい。みんな役割があるよね。みんながあのように力を合わせたらすべてに自信がつく。ぜひ全国にもっていってほしい。
 集会の後、先生たちから、小学生が書いてくれた牛の絵や作文をいただいた。二、三枚読んだなかに「宮崎の人たちは口蹄疫で悲しかったでしょう。それでも頑張って牛を日本一にしたのはすごいです。私たちも何かお手伝いしたい。牛のエサをやったことがないので、お手伝いしたい」というような作文もあった。それを松山さんと読んで、「私の考えだけど、全員を招待することはできないが、何人かでも招待して、牛の飼育の体験ができないか」と話をした。翌日、お昼に職場でこの話をしたら、牛を全頭処分したあと、今は気休めにと、お父さんが牛を一、二頭飼っている職員が、「ぜひ子どもたちが書いてくれた牛の絵を私たちにもみせてほしい。それから一番激震地だったJA尾鈴に持っていったら力になるよね」といった。ここの東小学校との交流はできないかとみんなで話し合った。
 帰りの車中で、高鍋町から参加した人も「自分は町議として何をやってきたんだろうと思い、自分からとにかく始めようという気持ちをもった」と話していた。高鍋町も川南町と交流して、地域連合のようなものができると思った。

 教育から世の中変える役割  長門市・小学校教師 江原美佐江

 昨日の集会は、大変すばらしい集会でした。全国から、世の中を変えたいと願う人人が大結集して団結を深め、はぐるま座の人民劇団としての新しい出発を祝うとともに、「人民に奉仕し、人民とともに」の思想に徹して、戦争も貧困も失業もない豊かで自由な社会を実現させるためにさらに立ち上がっていこうと決意を新たにする場になりました。
 多くの挨拶、発言、歌や踊り、構成詩や朗読の中には、人民劇団はぐるま座が多くの人民を激励し、世直しのために奮斗する力を呼び起こさせる役割をもっていることに対する期待にあふれていました。そして、今回改めてはっきりしたことは、長周・福田路線を貫いていくことこそがこの日本社会を本当に立て直し変えていく大きな力であるということです。
 私たち人民教育同盟も、教育活動において福田路線を貫き、統一戦線の一翼として、教育から世の中を変えていく大きな役割をもっているとひしひしと感じることができました。
 はぐるま座の路線斗争に学び、「人民に奉仕し、人民とともに」の思想を貫き、集団主義で団結して教育活動をおこなっていきたいと強く決意しました。

 一歩踏出した5年間に確信  山口市 介護職員

 集会はとても力強くて良かった。最後にはぐるま座と長周新聞の青年たちがステージに上がって歌を歌ったが、とても頼もしく力強く感じた。はぐるま座55周年のときとは全然違う気がした。女性パワーも感じた。はぐるま座が一歩踏み出した五年間だったのですね。5年間の歴史については、パネルを読ませてもらってよくわかった。最初の頃の福田さんの挨拶文があったが、あれがはぐるま座の原点だったのだと思った。
 印象に残ったのは長周新聞の編集長の挨拶だった。55周年のときもそうだったが、とてもリアルで厳しいことをいってくださっていると感じた。こういう指摘があるからこそはぐるま座も発展できるのだと思った。それがある限り大丈夫だし、長周新聞の方向と離れたらだめなのだと。
 自分のまわりでは若い人が将来に希望が持てず、子どもも持てないという人が増えているけれど、青年の発言にはとても勇気づけられた。劇団員と10日間生活をともにするなかで、劇団員が舞台で描いている方向と同じ生き方を追求しているといわれたが、劇の内容が変わってきたのはここなのだなと思った。
 宮崎の人たちのパワーはすごかった。55周年の集会と違って、はぐるま座がいろんなところで活動している様子が良くわかった。また、「自己変革」という言葉が心に残っている。他人の不正を指摘することは容易だが、自分に矢を向けることはなかなかできない。
 集会に参加して、はぐるま座と長周新聞と出会ったことは間違いなかったのだと確信した。今国会の様子を見てもほとんどの政治家が民衆とかけ離れているし、なにをやっているのかと腹が立ってならない。本当に混沌とした世の中で、みんなどうしたらいいのかわからない状況になっている。はぐるま座の原点は民衆とともに。是非その方向で今後とも頑張ってほしい。

 若い力に勇気をもらった   長崎県・STA FF530代表  伊藤伸広

 無理をしてでも参加して良かった。最後のみんなで歌った歌はぐっときた。とくに『炭掘る仲間』は、若いときに歌っていた歌で大変感動した。若い力がものすごい勇気を与えてくれた。京都の青年、平和の会の高校生の発言。考え方が本物だ。はぐるま座には、いつも「ここまでするか」というくらいやるパワーには感心する。長周新聞の存在が大きい。劇団をつくったとき、長周新聞の方向でやると出発した創立精神が間違いないことを証明した集会だった。

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