トップページへ戻る

記事の一覧へ戻る

再建10周年・下関原爆被害者の会総会
全国の典型開いた下関の会
            被爆体験語り平和の力築く  2003年5月27日付

 下関原爆被害者の会の平成15年度総会が25日、下関市立西部公民館で開かれた。1994年の再建総会から10回目にあたる今総会には、荒天のなかを約50人が参加。この間、被爆者自身の要求である医療や生活の援護のための活動とともに、原爆の惨禍を再びくり返させないために子どもたちに被爆体験を語りつぐことを被爆者の使命としてすすめてきた活動と、それと結びついて山口県下、全国、世界に広がった原爆展運動の到達と成果をいきいいと反映する感動的なつどいとなった。総会参加者は、この間の活動の歩みにいっそう確信を強め団結し、来年の会再建10周年にむけてたがいに奮斗することを誓いあった。 

  県外の被爆者からも感謝と激励
 はじめに吉本幸子会長が、「この10年間、きびしいこともあったが、被爆して亡くなった方方の地下からの叫びをいやすため、平和のための運動、被爆者援護の運動をすすめてきた。一同手をとりあってここまで来て、なごやかな会になった」とあいさつ。とくにこの間、「『広島・長崎被爆体験集』を2回作製して、小・中学校に寄贈し、平和教育の副読本として喜ばれ、教育委員会から感謝の言葉をもらった」ことを明らかにし、こうした会の活動を支えた「原爆展を開いてがんばっていただいた地域の人人の熱い協力、事務局を中心にした役員、会員の協力」に感謝し、「平和のため原爆のない世の中にするためにがんばりたい」とのべた。
 来賓の祝辞では江島潔・下関市長(代理)と、被爆者・平和団体の代表のあいさつがつづいた。
 山口県被団協の竹田国康会長は、「58年まえ、あの一発の原子爆弾によって、広島、長崎は死の海と化した。垂れ下がった黒い皮膚、死んだ子どもたちをなんとかしてあげたいと思いながら逃げまどったことを思い出している。核兵器がいかに悲惨なものかを体験したわたしたちは、このような体験をほかの人には味わわせたくないとの思いで、核廃絶の運動をしてきた」とのべ、「下関原爆展事務局が発行した“峠三吉原爆詩集“を再度読んだところだ。下関の会が原爆展、語り部活動を真摯(し)に、各方面でやられてきたことに頭が下がる思いだ」と会の活動をたたえた。
  豊浦原爆被害者友の会の浜田国雄会長は「下関の会の活動には頭が下がる。わたしたちの指針になるような活動をこれからもつづけることを願っている。イラク戦争という政治情勢や、有事法制が衆院を通過したことは、わたしたちの活動に大きな障害になってくるだろうが、より大きな運動をおしすすめていこう」と訴えた。
 原水爆禁止下関地区実行委員会の吉山宏事務局長は、「被爆者の会の運動は、下関市民の平和の運動として欠かすことができないものとなっている。体験集の市内小・中学校への寄贈や各地の原爆展会場での被爆体験報告、原爆展の広がりのなかで、市民の深い信頼のうえに、地域と学校が連携して平和の担い手を育てるうえで重要な役割を担っている」とのべ、感謝した。また、「下関からはじまった原爆展運動が全国、世界へと広がり、平和運動での役割が絶大なものになっている」こと、いま市内の労働者の各職場でも原爆展パネルが展示され、各地域で原爆展が計画されていることを報告、各界各層の市民が参加する原水爆使用に反対する平和運動をめざして奮斗する決意をのべた。
 つづいて、県外の被爆者から寄せられたメッセージが紹介された。「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会代表世話人・重力敬三、東京の被爆者団体「武蔵野けやき会」会長・永井淳一郎、岡山県鴨方町・岩浅久儀、宮崎県えびの市・日高勇蔵、沖縄被爆者協議会副理事長・比嘉幸子の各氏のメッセージは、下関原爆被害者の会との交流や、下関原爆展事務局が作製した「原爆と峠三吉の詩」原爆展パネルを使った原爆展運動をきっかけに、子どもたちに被爆体験を語る活動へと踏み出し、被爆者の運動を活性化させてきた喜びにあふれた。今後とも相互の交流をつづけ、運動をさらに発展させる期待と決意にみちたあいさつは総会参加者の胸をうった。伊東秀夫副会長を議長に選出したあと、杉山真一事務局長が活動報告と来年度の方針を提案した。
  
  相談事業等も強化
 活動報告では、被爆者・被爆二世援護の充実を求める活動とともに、原爆展の全国、世界への広がりについてくわしく報告した。
 杉山氏は、4年まえの1999年に「平和な未来のために子どもたちに語りつぐ」を合言葉にはじめられた下関原爆展が被爆者の側に立って、その怒りと苦しみ、平和への願いをこめた原爆展パネル「原爆と峠三吉の詩――原子雲の下よりすべての声は訴える」を生み出し、新しい原爆展運動を切り開いたこと、昨年は、第4回下関原爆展(彦島)とともに、王司、熊野、長府浜浦台、梶栗、吉見、安岡、新下関、熊野西など市内各所で開催されたことを明らかにした。
 また昨年だけで、原爆展を中心に下関市内の小学校での平和授業や小中高生平和教室・平和の旅などで、29人の被爆者会員が約1100人の子ども、市民に体験を語ったこと、広島、長崎、東京、大阪、沖縄など30をこえる都府県で原爆展が開かれ、総計では1000回を数えることを報告。アメリカ、フィリピン、スペインなど諸外国でも展示されたことを明らかにした。
 杉山氏はそのうえで、「アメリカがイラクにたいする戦争をおこない、先制核攻撃による新たな原水爆戦争を準備している。対米追随の日本政府が国民世論を無視して、アメリカの戦争に協力し、有事法制化を強行している。国民生活が苦しくなるばかりで、被爆者への手当がはじめて減額され、年金はへらされ、遺族年金に課税され、介護保険料が値上げされるなど被爆者をふくむ高齢者への援護や福祉は後退し、生活の困難がおしかぶさっている」なかで、「被爆者同士が助けあい、励ましあい、医療や介護、その他の生活上の問題の解決をはかるよりどころとしての原爆被害者の会の役割はこれまで以上に重要になっている」と指摘した。
 また、「下関原爆被害者の会の活動は県内外の被爆者のあいだで新鮮な感動と共感を呼び起こし、新たな被爆者運動のうねりをつくり出している。青少年の平和の会の急速な発展に見られるように、祖父母の体験に学び、日本民族の誇りある歴史と伝統を継承し、今度こそ戦争をおしとどめ、ほんとうに平和で美しい日本を建設しようという新しい力が育ちつつある。下関原爆被害者の会はこうした力を下関から全国に広げるうえで、大きな役割をはたしてきた」という活動の到達をふまえて、これまで歩んできた道に確信をもって、当面する課題を実現するために力を合わせて奮斗することを訴えた。
 そして、被爆者・被爆二世援護の充実をはかるために、被爆者相談事業の推進、原爆症認定の申請や各種手当の取得の援助、高齢者医療をめぐる新しい状況の調査・援助などの課題をあげ、地区懇談会活動の開催や、とくに被爆二世の活動を強める方針を明らかにした。
 
  広島で8月初旬に福屋原爆展計画
 また、原爆展運動では、8月初旬に計画されている広島・福屋デパートでの原爆展を成功させること、市内の原爆展を「成功させる会」と協力してとりくむとともに、さまざまな団体・個人に原爆展やパネル展示を呼びかけること。また、被爆体験を語る活動を積極的におこない新しい語り手を育成することや、「被爆体験集」第3集の発行をめざすことを提起した。
 こうした活動と結びつけて、峠三吉の没50周年にあたり、峠三吉の業績を顕彰し、『峠三吉原爆詩集』の宣伝、普及につとめる、福田正義氏の業績をつうじて被爆者運動、原水爆禁止運動の原点を学ぶこと、上関原発建設計画に反対する運動をつづけることが明らかにされた。
 総会では、提起された報告と方針を満場一致で採択。「原水爆戦争と有事関連三法に反対する決議」「上関原発建設計画の白紙撤回を求める決議」を採択した。役員改選では、吉本会長をはじめ現在の役員がひきつづいて担うことを決めた。
 「総会宣言」は、被爆体験を語ってこなかった被爆者が会の再建以来、大きく変わり、「平和な未来のために子どもたちに被爆体験を語りつぐ」ことが被爆者の使命であることがはっきりしたこと、この道をすすむことこそが「死没者の無念と被爆者の傷痕」をいやすものであることを明らかにし、会の到達点に確信をもって再建10周年にむけて奮斗することをうたっている。
 このあと、「原爆許すまじ」を全員で斉唱し、午後からの懇親会に移った。懇親会では、下関青年合唱団が若若しい歌声を響かせた。会の再建以来、被爆体験を学び成長してきた青少年たちがお礼と励ましの思いをこめて披露する恒例の出し物で、今回は『峠三吉原爆詩集』から「呼びかけ」の朗読と、「故郷」「荒城の月」「花を贈ろう」の3曲を合唱した。被爆体験を語ってきた青少年たちの成長とその気持ちのこもった歌声に、涙をぬぐいながら、聞き入る参加者の姿がめだった。うたい終わった青少年から、再建10年目を記念して、吉本会長らに花束が贈られると、会場は感動の渦に包まれた。
 懇親会では、小中高生平和の会の高校生3人が、この間の広島平和の旅や、被爆者や戦争体験者の体験に学んできた平和教室のようすとその発展についていきいきと紹介、今年の広島の旅を250人規模でとりくむことを報告。参加者は励ましのまなざしをむけて、温かい拍手を送った。
 今総会では、再建10周年を祝って、参加者全員と協力団体、個人に紅白饅頭が配られた。

トップページへ戻る

記事の一覧へ戻る