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全国先端の市場原理市政を倒す
下関市政巡る本紙記者座談会
              市政変えた14年の市民運動    2009年3月27日付

 下関市・江島潔市長の任期が26日に切れ、4期14年にわたって続いた安倍代理・江島市政は名実ともに終焉を迎えた。全国先端の新自由主義・市場原理市政のもとで、海峡の街・下関はさんざんに食い物にされ、市民は難儀な思いを強いられてきた。14年来の江島政治を総括すること、先の選挙でついに難攻不落と思われた政治構造を粉砕した市民の力を確信すること、そこから下関立て直しの方向性を導き出すことが重要になっている。記者座談会をもって論議してみた。
  市長選が終わって2週間近くがたとうとしている。市民のなかでも落ち着いて選挙結果にたいする評価が語られはじめている。どんな状況だろうか。
  市民の力で当選させたという喜びが広がっている。唐戸でもうれしいという気持ちと同時に、公約を実行させるためにしっかり見ていかなければという意見も多い。だれもが中尾氏個人の人気とは思っておらず、市民が突き動かした結果だ。
  「公約をやってもらわないといけない」と方方で語られている。みながマニフェスト・選挙公約を見て投票したことがわかる。14年の江島市政との関係で、市民の意識は変わってきた。当選したら好き放題にさせるのではなくて、運動して市政を動かしていこうじゃないかという意欲がある。
  江島政治によって、あれだけJRの駅をつくるとか、箱物利権に傾斜してきたなかで、転換してやらせないといけないと話題になる。選挙をとりくんだ人の多くが「人物ではなくて、政策で判断した」と強調しているのも特徴だ。
  「市民が勝った」という評価が定着している。中尾氏が江島市政とたたかってきたのではないし、ましてや便乗した自民党林派の力ではないし「日共」集団などもたたかったことはない。市民自身の運動の結果だ。その中心に市民の会がいて、長年にわたって江島市政打倒の運動をくり広げてきた。
  今後は、もろもろの継続事業(箱物含む)がどうなっていくのかも注目点だ。江島単独でやってきたわけではないし、安倍代議士や山口銀行や大企業との関係で青写真をもって進めてきたものも多い。飼い猫議会の対応を注目している人も多い。中尾氏はあれだけの公約を市民に約束して当選したのだから、実行を迫られるし監視の目はすごい。議会も江島政治の延長線でデタラメをやっていたら、2年後の市議選で振るい落とされる関係にある。市議会の刷新も課題となって楽しみになっている。また衆議院選が楽しみで、安倍派の落日を実感している人も多い。
  選挙の評価という点では、14年の安倍代理・江島市政をとうとう支配の座から引きずり降ろした。この選挙で安倍派は市長、県議、市議の3人の現職をいっぺんに失った。あの権勢を誇ってきた安倍派の落日だ。そして市民要求を政策に掲げた中尾市政の登場だ。市民に政策で縛り上げられた市長となった。これは大きな出来事だし大きな市政の変化だ。
  だれがそうさせたのか。その原動力は市民の力だ。中尾氏に市民票が集まるということで勝ち馬になって林派が便乗し、安倍派までが最終的に乗ってきた。勝ち馬になった根拠は市民票であって、他の候補に市民票がいかなかったことにある。そして票差はガバッと開いた。
  何カ月か前まで江島市政が倒壊するとはほとんどが予想していなかった。江島氏自身は再選を確信した振舞をつづけていた。本格予算を組んだことが象徴的だったし、投票日の数日前に全国市長会への出席を予定に組んでいたほどだった。市役所職員のなかでも、まさか倒れると思っていた職員は少なかった。難攻不落という評価が定着していた。しかし選挙情勢が進展しはじめると、まったく力を失った姿を露呈した。
  昨年の9月前後は無投票気配だった。逆らって出てこれる奴はいないし、江島周辺は「悔しかったら出してみろ!」とタカをくくっていた。ところが「タイタニック号」になっていった。
  「江島続行だろう」というとき、まず対抗する奴はつぶされるというのがあった。古賀氏がわかりやすい例だ。そして出てきたら選挙テクニックで江島批判票を2分割、3分割でつぶす。とてもやっつけることはできないみたいな雰囲気だった。それをひっくり返してしまった。たいへん痛快な結果だとみんなが語っている。
 江島氏が出馬を断念するまで追いこんだ力はすごい。「1つの選挙で2度おいしい思いをさせてもらった。人生でこんなに痛快な選挙をしたのははじめてだ」という人がいた。江島を引きずり降ろしたのが最大の喜びで、その後の残りカス選挙はどうでもよいと思っていたが、やはり公約をじっくり見返して中尾で動いていた。投票率が5割ちょっとで、江島市長が出てきたらもっと跳ね上がったに違いないが、みなが相当に考えて投票したといっていた。

 高い政治意識で投票の行動 安倍派3人犠牲に
  投票行動としては人物ではなく、政策で見ていた。グズグズしているのを叩きあげて嫌嫌出してきたマニフェストではあるが、選挙公報では学校統廃合も「行いません」と変化した。新市庁舎建設撤回の他、満珠荘も老人休養ホームとして早期再開するし、あるかぽーと開発も撤回して公園にする、ゴミ袋の値下げをする、公共事業は地元発注を優先するなど、市民のなかで運動になり江島市政と対抗して盛り上がっていた内容をほとんどピックアップした政策になった。市民はそれを見て投票した。他に取り柄はないけど、公約を支持するというものだ。市民は人ではなく政治で見た。政治意識が高くなっているのだ。
  公約への期待で投票したという事を裏返せば、これを放り出したら、たちまち中尾批判に向く恐さを自覚しないといけないだろう。今の安倍派の凋落(ちょうらく)と市民の政治意識の高まりというなかでは中尾市政が林派流儀で江島市政と同じようにできると思ったら大間違いだ。はしゃぐ林派は愚かな姿をさらすことになるだろう。
  選挙期間中、「誰がなっても同じ」という冷めた世論は確かにあった。しかし市民が候補者をして政策を掲げさせて締め上げていったと思う。その過程でたいへん世論は動いた。
  江島市長だけが倒れるのだったらまだしも、安倍派としては友田氏も香川氏も倒れたわけで、トリプルパンチだ。はじめから予想してこうなったはずがない。こんなはずではなかった結果になったのだ。安倍代議士の統率力が落ちているといわざるをえない。
  選挙後、安倍派のなかから「安倍代議士・事務所の力がなくなっている」という意見をよく聞くようになった。安倍代議士のスタンスについて“敵前逃亡 という怒りもある。友田陣営のなかでは安倍事務所の秘書軍団も申し訳程度の動きしかしないし、なぜ抱えてくれないのかという不満は相当のものだ。“放り投げ名人 の異名がつきそうだ。
  衆議院選挙の票が欲しいから、安倍派3人を犠牲にして林派市長をつくるというのでは格好がつかない。
  安倍事務所が葬式みたいな雰囲気だったと話題になった。安倍事務所にかなり怒りの電話があったようだ。「見殺しにした」「衆議院選はやる気がおきない」と怒ったりしている。「安倍派を長周が分裂させようとしている」という人がいたけど、自分たちが独り相撲をして喧嘩している。
  友田陣営には県議・市議らが勢揃いしていたけど、選挙が終わったらまるで他人事みたいな顔をしてケロンとしている。人のことはどうでも良いようだ。自分のことしか関心がない。安倍派の仁義とかはないようだ。「中尾はワシを頼って来るに違いない」「議会を抑える為には、ワシらを軽んじてはいけないのだ」とかいっている。与党利権まぶりつきで動いている。

 市長選の定説覆す 組織票動員しても・市民の力が圧倒
  自民党安倍派や林派の思うとおりに下関は動かなかったのが第1の特徴だ。市長ポストというと「安倍先生」が認めるかどうかで、これに認められたら市民のいうことにいくら聞く耳がなくても組織票が流れ込んで市長になれるというのが定説だった。しかし組織票がいくら動いても、市民票の上に加算しないことには市長になりようがない。いかに大権力者の安倍元首相であっても市民にはかなわないのだ。
  「江島市長は組織票をのぞいた市民の支持率は数%しかない」「支持率数%を市長にしてはならない」とガンガン書いたが、誰も文句をいうものがいないどころか、みんな納得していった。特定業者票のほかに創価学会とか連合とかの組織票しか頼りにならないなかで、反江島市民票の3分割作戦で構えたが、「本命が江島なら安倍派のあと2人はダミーだ」という世論が広がってしまった。前回市長選の2分割作戦を市民は経験しており、そんな手で踊らされない。ダミーによる“送りバント 作戦もアウトになった。
  今度の市長選は、安倍代理江島市政に対する広範な市民運動が起きていたのが最大の特徴だった。有料ゴミ袋値下げ署名から満珠荘署名という10万人クラスの署名運動があり、去年段階では豊北町の保育園統廃合や小・中学校の統廃合問題、新市庁舎移転騒動など、市民の世論と運動が噴き上がっていた。他にもダンピング入札への怒りが業者のなかでうっ積していたし、江島打倒の世論が充満していた。それらすべてを市長選の公約でひっくり返したのだから、すごい市民のパワーだ。約束通りやりさえすればいままでの運動の全面勝利になる。聞く耳ない市政できたが、最後の最後で見事などんでん返しになった。
  議会で決めたといっても選挙で示された市民の総意の方が上だ。主権在民ならば、選挙公約のほうが強いはずだ。議員どもが突っ走るといっても、有権者の総意にオマエどもは逆らうのか? という話になる。市議選は2年後に控えているし、おかしな言動をしたら2年後は黙っていないぞと市民はなるし、たいへん興味深い。唐戸地区では新庁舎移転賛成の友田氏を平岡議員が推していたのがさっそく問題になっている。「次はない」といわれている。
  満珠荘の問題では中尾氏ははじめ「満珠荘の早期再開」だけしか掲げていなかった。陣営には昨年秋口に「あきらめろ」「運動をしたって江島市長は聞かないのだからムダ」とかいって、民間委託の日帰り施設を追認してきた「日共」集団などの議員連中が跋扈(ばっこ)していた。しかし最終的には「老人休養ホームとしての再開」を約束した。今度の市長選を主導した市民運動の軸になったのは、満珠荘再開の8万7000人の署名であり、老人たちの票がたくさん投じられた。中尾市政が1番先にやらなければならないのは満珠荘問題だ。

 昨秋の満珠荘騒動転換点に 市民運動潰しを打破
  選挙戦全体で見ると、昨年秋の満珠荘騒動が転換点になった。これは地道に運動を広げるなかで、市庁舎移転問題、学校統廃合や川中教科教室などにたいする父母らの運動、角島保育園の存続運動など、市民が立ち上がる動きを励ましてきたし、シンボルになっていた。しかし一連の運動が広がるなかで、江島市長は何を言っても聞かない、対抗して出馬するものはいないというのが昨年秋頃の雰囲気だった。角島の保育園も聞く耳なく強行した。
 そこで出てきたのが「日共」江原議員ら唐戸でお好み焼きを食っている連中だった。江島市長は何を言っても聞かないから、あきらめろといって、民間委託の利権あさりのために、署名活動をしたこともない連中が満珠荘利用者の会を乗っ取ることを策動した。署名運動などつぶしてしまうというものだった。ここで、満珠荘利用者の会は世話人代表を先頭にがんばって、分裂策動と一線を画して、署名に明記してある老人休養ホームとしてあくまで再開を要求することを貫き、「6万で聞かないなら10万人を目指そう」と馬力を上げはじめた。
 同時期に市民の会でも、兵頭議員が「無理だ」と言い始め、議会で市民を追い散らしかねない過激派のような騒ぎをするという問題が起きた。市民の会では、自分たちが推した議員だというので、どんなにおかしなことをしても擁護するというのではなく、これを厳しく批判し、あくまで市民運動を第1に市民全体の利益を守る会としての姿勢を貫いた。議員利権のおこぼれをもらうためにやっているのではないのだ。誤った議員の擁護をしていたら、市民の会がつぶれるし、市民の運動がつぶれる。そして議員は会に従属するという関係を明確にし役員からも解任し、市民運動を第一義にして活動を進めた。
 ここから、市民のなかで活気が出た。唐戸などでも「日共」議員やその仲間集団が何かにつけてもませる事への嫌悪感がすごかったのだが、連中が恥をかくことで、活気が出て新市庁舎の建て替え撤回を求める集会が盛り上がった。あるかぽーと問題のときには反対と推進で割れていたが、今度は商店主みんなが団結した。「日共」集団は、分裂主義だというのが暴露された。これらが中尾選対にとぐろをまいて市民を追い散らした。
  年末まできて、市民運動が活気づき、選挙は避けられない雰囲気になるなかで友田氏が出馬表明し、香川氏も連続して出馬表明した。あと中尾氏が出馬表明をする。選挙戦となった。
  傑作なのは選挙戦に入るときに、市民の会の新春の集いに中尾氏が来なかったし、汚れ選対は後援会署名簿でも使い物にならない特製のものを持ってきた。「やるな」ということだった。ここで市民の会では激怒するとともに、選挙をやらないのではなく、「勝手にとりくむ」と踏み込んでいった。江島市政打倒が第1義だからだ。中尾氏はそのためのタマだとの位置づけだ。
  中尾選対はおかしげなので名簿は市民の会で管理するとした後援会署名用紙を独自につくった。その上に唐戸のど真ん中に、持ち主の協力で市民交流センターを開設した。選挙常識を超えたものだ。市民の大多数は、当然といって歓迎した。市民の独自の運動のシンボルとなった。中尾氏のためにやるのではない、安倍代理の江島市政を倒すための市民独自の運動なのだ。候補者主人公の選挙ではない。敵の中枢は市民運動をつぶそうとしていた。中尾選対の林派や汚れどもも、市民運動を排除しようとしていた。しかし抑えることなどできなかった。独自に後援会集めをやるのだから手がつけられない。この活動はかなり市民世論を喚起した。
  この間、安倍代理というだけでなく、その担い手である創価学会や連合を暴露したことも大きい。貧乏人の党といいながら、どうして貧乏人を苦しめる安倍代理市政を応援するのか、というのは市民みんなが思っていることだ。
  連合も大企業旧同盟系だけでなく、市役所の連合安倍派も友田応援だったようだ。総評系もちゃんと泉田念書事件以来の与党の伝統を堅持している。

 地方破壊の最先端 江島市政の14年・米国崇拝も露骨
  4期14年の安倍代理江島市政を倒した事は非常に大きなことだ。1995年に江島市長が登場。同時期に安倍晋三、林芳正両氏が国政デビュー。アメリカ帰りの2代目、3代目政治家トリオでやってきた14四年で、下関は惨憺たる結末になった。「一将功なり損なって万骨が枯れ果てた」過程だった。それはアメリカでブッシュ政府が登場し、市場原理のアメリカいいなり小泉暴走政府が登場、安倍氏が、自民党幹事長から首相に上り詰めて戦争へ向けた突っ走りをやる。そしてブッシュが倒れ、安倍氏が首相を放り投げする過程だった。江島市政というのは、いわば市場原理、新自由主義を市政レベルで具体化・実施していく先端の位置にあった。
  初当選の時は30代の若い子だから育ててあげようと反自民で当選させたら裏切っていった。安倍派を隠して市民票を取り、安倍派票をあわせて当選という計算だ。平気で人をだますことができた。選挙は票が多いのが勝ちであり、自民票と反自民票をあわせたら自分の勝ちで、最近大破たんした金融工学、ヘッジファンド流儀の選挙だった。人は、選挙は公約とか信義とか信念を守るものと思っていたら、そんなものではなかった。人工島の見直し、国保料の値下げなども主張し、障害者の子どもがいて教育を重視するといっていた。だが3カ月後には「若気の至りでした」とほごにした。
 2期目は古賀敬章氏が対抗馬として出て、会社ごと叩きつぶされた。1期目で腹を立てた支持者が古賀氏を支援すると、その後腹を立てて血なまぐさい報復をやった。業者を入札から排除したりすさまじかった。その次は、地元業者みんな平等に電子入札のダンピング競争に投げ込まれた。そして市外業者ばかりに仕事を投げた。聞く耳はないし、大型箱物のオンパレード。疑惑だらけなのに警察は絶対に動かない。だからみなの諦めや絶望感につながった。
  小泉の「純ちゃんブーム」よりも10年先を行く「潔ちゃんブーム」で、「女性に強いのだ」と自負していた。こういえば、ああいう調子で、竹中平蔵みたいだった。話していたら大概巻き込まれてダマされる。ゴミ袋値下げの会がふれあいティータイムをやって市長と論議したときも、感じだけはすごく仲間的でいい調子なのだが、よくよく内容を聞いてみると絶対に認めない。詐欺師的な会話術というのは特別な素質を持っている。こういうのは中尾氏は真似できない。
  議会も飼い猫で動かないし、公明や連合だけでなく、「日共」集団も江島氏が当選したときから実質与党。江島市長は革新勢力を手駒にするのもたけていた。
  安倍・江島政治は、市場原理主義、アメリカ崇拝で下関を変えてやるという強烈なイデオロギーを持ってやってきた。だから小泉構造改革の最先端をいきたがる。年次改革要望書を先読みして、やってみせるようなものだ。犬猫安楽死施設も全国初であるし、下関保健所にいわせたら「いいえ世界初です」と自慢している。1匹殺すのに20年稼働したとして4万〜5万円かかるようなコストだ。
  業者をたくさん自殺に追いこんだ電子入札も小泉の横須賀に続いて2番目であったし、落札率の低さは日本1だった。教科教室型も全国最大規模の実験校にするといって進めた。学校統廃合もまとめて3分の1を廃校にするという前代未聞の計画だ。
 六連島で北朝鮮の潜水艦が攻めてくると戦時訓練をするというバカ騒ぎをしたこともあった。アメリカの掃海艇がきたら、走って花束を持って行くような市長も珍しい。「エジピー」がインターネットへ朝鮮排外主義の書き込みをやっていたのが問題になったこともあった。「朝鮮侵略の事実はない」発言の嶋倉クン(文科省から天下っている下関教育長)どころではない。拉致問題を騒いだり、ミサイル騒動では市役所7階を作戦司令部みたいにして、“戦争ごっこ みたいな事もやった。「大気汚染の状況はどうか」と聞かれて、担当部長がトンチンカンだったために叱られたとかあった。
  原爆展パネルの小学校への寄贈運動が被爆者の会や市民のなかで盛り上がると、松田教育長(当時)を通じて邪魔させた。江島市長自身は陸軍参謀本部の司令を爺ちゃんがやっていたとかで、軍事に異様な執着がある。軍事オタクでも知られていた。それでもってアメリカ崇拝だ。明治維新についても長崎と同じで抹殺流れだ。強烈なアメリカイデオロギーで下関を破壊してしまうという事を、安倍代議士の庇護のもとでやってきた。地方都市における最先端の市場原理政治だ。これをひっくり返した意義は大きい。
  明治維新嫌いだったが、平家好きだった。銅像など建てた。「おごる平家」だったが、「久しからず」になったわけだ。

 市民派を装い市民運動潰し 意識的な抱き込みも
  江島市政14年を振り返ると、江島市長は市民派を装っていたが、市民の会の指導部も江島与党になっていた。江島市長は市民の会との会合には必ず自分が出てきていた。市民運動をつぶし、自分の批判者がいないようにするのをひじょうに気にかけていた。初当選した翌年には長周新聞の40周年祝賀集会にも来るほどだった。市民の会を抱き込んで、長周新聞まで抱き込もうというのだから意識的だった。取り込まれていたら、長周新聞そのものもつぶれていたし、存亡がかかったものだ。
 長周新聞の側でいうと、市民の会などにはびこる江島与党勢力を1998年にたたき出した。米ソ二極構造が崩壊したのち、あきらめ、敗北の裏切者潮流がうまれていた。それが市民の会にとぐろを巻いて江島与党を形成していたわけだ。ここで、あくまで市民の利益を守り、江島市政とたたかう姿勢を確立して、現在に至ったということだ。
 安倍代理の江島市政打倒に至る過程を歴史的に振り返るとこれが分かれ道だった。その方向が、大多数の市民を激励することとなり、市場原理江島市政をとうとう打ち倒す力になったということだ。
  長周新聞としては本格的に江島市政打倒に力を入れはじめたのがそれ以後の10年だ。大きくは新自由主義との斗争であった。03年からはゴミ袋値下げ問題を、市民が団結し市政を動かす経験として重視して取り組んだ。あくまで大衆のなかから大衆のなかへで、広範な勤労市民の声を聞き、束ね、力にする努力をしてきた。
 その運動は、前回の市長選では3人の候補者を呼んで市民運動主導の公開討論会を開催するまで存在感を示した。その後も非妥協的に徹底暴露をやって、世論は相当に動いてきた。

 信頼強まる市民の会の運動 利権狙いとは無縁
  安倍・江島体制を崩壊させた力関係は、いくら飼い猫議会がそのままいるからといって同じことはできない。しかし同じようにやらせたいという力も働くわけで、今以上に市民の力を大きくすることが重要だ。
  市民の会の存在感が大きなものになった。ここが市民運動の原動力になってたたかってきたし、大衆とともにやってきた。長周新聞の号外配布だけでも半年間20万枚で少少じゃない労力だ。江島打倒でやってきて公約を実現できた。
  市内を回っていて、市民の会にたいする信頼は強まっていると実感する。次の市議選への期待も大きい。雨の日も風の日も真面目にやってきたし見返りを求めているのではなく市民のためにで団結している。これまでの全行動を見てきた信頼だ。純粋な勢力としての信頼だ。林派隷属で中尾氏が行くのなら撤退するし、市長利権狙いのものほしさとは無縁な清潔さだ。この市民の会の運動をもっと大きなものにしなければならない。つぎの市議選挙では市民の会が3人出して会派をつくれという声もある。イカサマな「日共」議員を2人減らせばいいといっている。
  市政を動かすのはすべて安倍代議士だとはいえなくなった。今度の選挙で市政を動かしたのはまぎれもなく市民の力だ。下関も新しい時代になってきたということだ。市民の会の運動を中心にして、さらに市政を動かしていく市民の力を大結集することだ。中尾新市政が公約を実行するためには、市民の運動が決定的だ。衆議院選挙があり、2年後は市議選がある。下関を刷新するのが市民の要求だ。

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