トップページへ戻る

全国的な平和運動結集を確信
原水禁全国実行委
              米国とたたかう立場が分岐点    2006年9月11日付

 峠三吉の時期の原水爆禁止運動の再建をめざしてきた、原水爆禁止全国実行委員会は10日、全国会議を開き、今年の8・6斗争をめぐる活動の到達点と教訓について討議し、今後の課題を明らかにした。
 はじめに事務局の平野照美氏が報告。平野氏は、7月の北朝鮮ミサイル問題を契機にしたマスコミの「制裁」キャンペーンが活発化するなかで、これを避けるのではなく、正面からそのインチキを暴露し、平和の敵であるアメリカとたたかうかどうかが鋭く問われたこと、その後、広島市内で長周新聞号外「暴支膺懲の失敗を繰り返すな」を10万枚配布するなどの宣伝行動を通じて、広島被爆市民の強い共感を呼び、マスメディアへの批判とともに、「原爆を投下したアメリカ政府とそれに屈従している小泉政府への怒りがどこでも語られていった」経過を報告。
 さらに、8月初日から、宣伝カーで「アメリカは核を持って帰れ!」の訴えを流して回り、そのスローガンを掲げた広島市民原爆展、平和公園での原爆展が開催されるなかで、市民をはじめ全国からきた人人からも、強い印象と共感で受け止められたこと、8・6集会、デモもふくめ、全国・全市民の要求を代表したものになったことを確認した。
 そのなかで、既存の「平和団体」の運動が孤立・瓦解している実際にふれ、原水爆禁止運動を切り開いた50年8・6斗争路線との違いを明確にすることを強調した。

 全国の反響交流・基地撤去等重ね行動へ
 討議は、各地の集会参加者の反響や広島での取り組みの経験の交流からはじまった。
 広島からは、「これまで日本が悪いから原爆が投下されたという加害者論がはびこり、“和解”などといわれて抑えられてきた市民の怒りが、“アメリカは核を持って帰れ!”のスローガンで表面化していった。被爆者たちは岩国基地の再編など現実に進行している問題について激しく怒り、行動的になっている。原爆投下者アメリカへの怒りと、終戦を引き延ばした天皇など支配層への怒りがつながり、鋭さを増している」と報告された。
 岩国の活動家は、広島集会に参加した被爆者が、「これまで体験は思い出したくないが、忘れられなかった。だが、集会に出てすっきりした。生きる勇気と目標をもらった。命のある限り、この運動に全力投球したい」と高揚して語っていることを報告。
 「基地再編をめぐる住民投票や市長選の過程で、原爆展を取り組み、長周新聞号外を配布し真の敵を暴露していったことが、基地による屈辱を受けてきた岩国市民の怒りと結びついた。米兵に妹を殺された人が“これまではアメリカが憎いというと岩国にはおれないといわれてきたが、その力関係が変わってきた”と実感している。これを若い世代の結集に結び付けていきたい」と語った。
 沖縄の活動家からは、原爆投下の目的と沖縄戦の真実が明らかにされたことが、強い反響を呼び、体験者が「アメリカに謝罪を求める」原水禁署名を、自治会や老人会で広く集めていること、「集会に参加したサイパンの生き残りの男性や被爆者たちが“沖縄戦と原爆投下は1つのものだ”といって精力的に署名をまわしたり、“これまでは日本軍のせいで沖縄戦になったといわれ、被爆体験を語れなかったが、どちらもアメリカの占領目的のためだった”と確信をもって地域で語りはじめている」こと、労働組合でも長周新聞号外を呼んで署名を取り組むなどの動きがあることを報告した。
 岡山の活動家は、広島宣伝行動に参加した経験にふれて、「回を重ねるごとに、市民からの激励や差し入れが増えていき広島市民がアメリカとたたかっていることを実感する活動だった。市民の側にたって堂堂とその主張をやることが支持されたし、それがマスコミの欺瞞も吹き飛ばした。岡山でも報告宣伝をすると、学生が“アメリカに核を持って帰れ”のスローガンに“勇気がありますね”と共感してきた。これが修正主義や社民潮流との違いだと思った」と語った。
 他の活動家からも、アメリカが平和の敵であることをはっきりと訴えたとき、強い共感が集まったことが実感をこめて出され、それが市民の当然の要求であることや、現役労働者が被爆者の体験を受け継いで発言したことに、活動する側の腰構えが問われたことが教訓的に語られた。

 路線巡り論議に・戦後社会の欺瞞と決別
 また、最近、バチカン主導の「世界宗教者平和会議」がわざわざ下関で開かれるなど、広島・長崎市民をはじめ、全国の要求を代表したこの運動が、アメリカの世界戦略のうえで無視できないところまできていること、「原水禁・協は、瓦解と孤立の様相を深めているが、アメリカを正面から暴露したこの運動は圧倒的多数派の運動となっている。敵の抑圧のなかで、“アメリカ出ていけ”とやるのは度胸がいるが、それだけ大衆から支持される関係だ。戦後の平和運動のなかには、アメリカの支配のもとで平和を求めるというものが多い。“アメリカさんお願いします”で平和につながるわけがなく、出発点から見直す必要がある。体験者は“もう1度アメリカとたたかわないと本当の平和はない”といっており、そこには戦後の絶対平和主義者との体系的な違いがある」との意見が出された。
 それに関わって、「広島に被爆兵士の慰霊碑がなく、兵隊は長年“悪者”にされてきたが、そうしてきたのは赤紙を出した市役所や、戦争を煽ったマスコミなどだ。しかし、体験者には、殺されると分かっているところに丸腰でたくさん連れて行かれ、戦地では餓死や病死がほとんどだったなどの経験から、原爆を落としたアメリカとそれに国を売った日本の支配者への怒りを激しくもって戦後を迎えている。だが、“平和”を唱える側がアメリカにマインドコントロールされ、兵隊を悪者にし、アメリカ民主主義をほめそやしてきた。この違いを鮮明にして、アメリカと戦後社会を暴露していけば大反響になる。全国的に呼応していく迫力ある運動になっていくのではないか」と出された。
 この路線の違いを鮮明にし、原水禁運動を戦争反対の運動へとつなげ、現実の切実な問題に切り込むことをめぐって論議は進んだ。
 劇団はぐるま座団員は、第2次大戦の真実が明らかになるなかで、「南方の戦地では武器も食料もなく、自決のための手榴弾しか渡されず、道端は白骨の山だった」と体験者が怒りをこめて語っていることを紹介し「戦後世代が認識の違いをはっきりさせて、この体験者の怒りに立って、戦争反対をたたかわなければいけない」と発言。
 人民教育同盟の女性教師は、「子どもを戦場に送るかどうかの正念場になっていると思う。子どもは被爆者の話を聞いて、アメリカは憎い! と力いっぱいにいい、自分たちの生活体験からくる思いと響きあっている。子どもも教師たちも生きるか、死ぬかという怒りで立ち向かっておりそれを束ねていかなければいけない。片隅で文句をいうだけでなく、堂堂とアメリカの教育改革に反対する運動を起こさないといけない」と決意をこめた。
 別の教師からも、「被爆者たちは熱気と気迫をもって体験を語り、子どもはそれに感動している。教組は加害者論を掲げて、子どもが元気をなくして下を向く平和教育をやってきて、教育的にも破綻している。教師自身が被爆者の側に立場をかえて、地域や学校でやっていきたい」と語られた。
 各地で今年の8・6斗争の報告活動をおこない、この路線に立って戦争を阻止する強力な政治勢力を結集していくことを確認して散会した。

トップページへ戻る