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全市で市民が積極的協力
長崎「原爆と戦争展」
             6月開催へ宣伝行動開始    2013年5月13日付

 長崎市内で11日から、6月中旬に開催される第九回長崎「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる長崎の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる広島の会)のとりくみが始まった。被爆・敗戦から68年目を迎えるなかで、アジア近隣諸国との軍事的な緊張が高まり、国内では安倍政府による物価上昇、TPP参加での市場開放、さらに原発再稼働、憲法改定、国防軍化など今後の日本の将来を左右する重大問題が国民世論の頭上で進行するなか、全長崎市民の歴史的経験と世論を一つに束ねて全国に発信する同展開催への期待が高まっている。
 
 戦争情勢に立ち向かう真剣さ

 長崎市内では11、12日、下関原爆展事務局による第九回長崎「原爆と戦争展」に向けた宣伝活動がおこなわれた。山口県内からのべ25人のスタッフが長崎市内に赴き、会場となる長崎市民会館の周辺地域をはじめ、浜町、中通り、築町、新大工町などの商店街、長崎駅前の恵比寿町、五島町、大黒町から桜町、興善町などの官庁街、銅座町、思案橋、丸山、新地などの繁華街に2日間でポスター560枚、チラシ5700枚が配布、掲示された。今年で9回目を迎えるなか、年を追うごとに市民の協力の輪が広がり、自治会や商店、寺院、病院など幅広い市民が「毎年開いてもらってありがたい」「今年も協力しよう」と積極的にチラシやポスターを預かるなど、市民自身が快く宣伝活動を請け負い、自治会掲示板や店先、民家やマンションの玄関などにポスターが貼り出されていった。
 中心商店街の食料品店主は、「今年もやるんですね」と快くポスターを受けとり、さっそく店先のショーウインドーに貼り出した。「安倍首相は景気のいい話ばかりしているが、この商店街でも来月で何軒も店をたたむことになっている。電気代も上がるし、ガソリンや原料費は上がるのに商品は売れず、箱単位ではなく少量のバラ売りでなければ売れなくなった。“株価上昇”“高支持率”といって浮かれているが、実際には年金基金を株式運用して企業年金が破綻したりデタラメなことになっている。調子に乗って憲法改定まで口に出しているが“いいかげんにしろ”と思う」と語った。
 また、「これまで長崎で原爆にまつわる運動といえば“補償せよ”“手帳を交付しろ”と一部の人だけがネクタイを締めて拳を振り上げて要求するものが多かったが、ほったらかしの震災被災地や原発事故で手がつけられない福島の現状を見ても日本の現実はそんなことで解決するものではないと思う。私も被爆二世だが、目先の利益だけ考えてよくなる時代ではない。戦中、戦後の経験を現代の若い人たちに伝えていくこのような運動が必要だ」と共感を表して賛同者に名を連ねた。
 18歳のときに被爆したという商店主の婦人は、「一番多感な時期に、青春もなにもなかった。女学校の卒業と同時に、五島から挺身隊として三菱の造船所に働きに来た」と話しはじめた。「三菱は8月1日に空襲を受け、同僚や工場長などたくさんの人が亡くなった。原爆が投下された9日には、燃えている市内を同級生と7、8人で茂木まで逃げたが、朝、寮で分かれて幸町の三菱兵器工場に動員された友だちは工場の下敷きになったりして何人も亡くなっている。逃げている途中の惨状は本当に悲惨なもので、まわりは皮膚がべろべろになった人たちばかりだった。戦後は被爆者であるということを隠して生きてきた。今でも梅雨明けから8月までは毎年体調を崩す」といった。
 「国際会議の場で核の使用に反対する署名に、日本はアメリカに遠慮して応じなかったが、あれだけのことをされているのに日本政府がいまだにアメリカになにもいえないのはおかしい」と怒りを語った。
 被爆二世であるという商店主の婦人は、「毎年このポスターを貼っている。お客さんのなかにも被爆者の人が多く、幼いころに両親を亡くした人もいて店でよくみんなしゃべっている。私は二世だが、戦争や被爆経験者はだんだん少なくなってきている。だからこのような催しは貴重だ。憲法改正などこんな時期だからこそ戦争体験や被爆体験を若い世代が学ばなければいけない。福島の原発事故もいまだに現地の人が故郷に帰れていないのに、政府や電力会社はもう再稼働を始めようとしているが絶対に阻止しないといけない」と話し店の一番目立つところにポスターを掲示した。
 銅座地区の老舗薬店主は、爆心地から三・六`離れたこの地区でも原爆の爆風で家が傾いていること、被爆した両親はガンで亡くなったことを明かし、「自分たちのような戦後2、3年目に生まれた被爆二世の世代もガン患者が増えている。弟も数年間、放射能影響研究所(旧ABCC)に呼び出されていたが治療がないことに怒っていた。多くの資料がアメリカに持ち去られ、原爆投下は完全な人体実験だったと思っている。核兵器は使った時点で被害から逃れることも防ぐこともできないものなのに、そのことを一番に訴えないといけない日本政府がそのことを理解せず、原発輸出や“核の傘”といっているのが情けない。このような展示会は定期的にやってほしい」と語って賛同者になり、カンパを寄せた。

 このような運動が必要 自治会関係者も

 籠町の自治会役員は、原爆投下後のどん底生活のなかで町民が家財を持ちよって「長崎くんち」の代名詞である龍踊りを復活させ、被爆でうちひしがれていた市民を鼓舞して戦後復興を盛り上げたことへの誇りを語り、「この辺りは長崎でも歴史の古い地域で、明治維新で活躍した長崎振遠隊の招魂社があったり明治維新後の初代長崎県知事をまつる梅ヶ崎神社もあるが、長崎市は文化財として認めず、今も破損したまま放置されている。自分たちも被爆者だが、若い者がもっと地域の歴史を知って行動を起こさないといけない」と語ってポスターを預かった。
 長年自治会長をつとめてきた年配男性は、15歳で志願し特攻隊員として台湾に出兵していた経験を語り、「通信兵だったので日本の厳しい状況は逐一知っていたし、多くの学友が沖縄戦に特攻隊として飛び立っていき帰らなかった。終戦後、私たちは“畜生、50年後を見てろよ”という思いで帰国したのに、私たちを“お国のために兵隊になれ”とさんざん教育した先生たちが手のひらを返したように“平和主義者”のような顔をしていることにすごく違和感を感じた」と胸の内を語った。
 また、「長崎では、原爆がらみの運動は政党が私物化して金もうけの道具にするものがはびこっている。原爆だけでなく、戦地に行った兵隊、日本中でも空襲でやられているし、みんなが結束できる運動をやるべきだ。最近では、被爆した外国の捕虜にも日本の被爆者手帳を交付するような運動をしているが、原爆を落としたアメリカに要求するのが筋だ。こういう運動こそ純粋にやらなければいけない」と話し、自治会の掲示板に貼るポスターを預かった。
 また、戸別配布するために数百枚規模でチラシを預かる自治会長や、被爆二世であることを明かし「下関から来てもらってありがたい。これからは長崎市民として盛り上げないといけない」とチラシ配布を引き受ける自治会長、「他の運動には違和感があるが、純粋に市民の運動として続けられている運動だから協力したい」とカンパや差し入れを寄せる住職、「8月9日を年中イベントのようにしてはいけない。長崎では親世代も原爆についての教育を受けてこなかったし、親として子どもたちにも本当のことを伝えたい」と賛同協力を申し出る被爆二世の母親など、市内全域で広範な市民から積極的な協力が相次いだ。
 原爆と戦争展には、これまでに、原爆展を成功させる長崎の会(吉山昭子会長)の被爆者、戦争体験者、主婦、学生をはじめ、自治会長、商店街役員、医師、寺院など100人をこえる賛同者が名を連ねており、それぞれの賛同者の手によってとりくみが進められている。下関原爆展事務局は、開催日までの毎週土日に長崎市内での宣伝行動を続け、長崎の会とともに今週末に長崎市内で主催者会議が開かれる。
 ■第9回長崎原爆と戦争展の要項
 日時 6月19日(水)〜24日(月)/午前10時〜午後7時(最終日は5時)まで
 会場 長崎市民会館・展示ホール(地下1階)
 展示内容 パネル「第二次世界大戦の真実」「原爆と峠三吉の詩」「全国空襲の記録」「沖縄戦の真実」、長崎市内の被爆遺構と慰霊碑の紹介、長崎復興の記録、被爆資料、体験記、
(関連企画)東日本大震災・福島原発事故特集、被爆・戦争体験を語るコーナー
 後援 長崎県、長崎市
 入場無料

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