トップページへ戻る

全市に打撃与えるMCS閉鎖
下関・社会的責任を放棄
              儲けのため地域潰す三井資本   2011年12月26日付
 
 下関市彦島にある三井金属の子会社MCSが解散を発表したことは、地元彦島をはじめ全市内で下関全体にかかわる深刻な問題として受け止められている。08年のリーマン・ショック後、MCSをはじめ神鋼や三菱など市内の大企業が派遣社員や期間社員の大量解雇、正社員の配置転換などをしており、市内の失業は深刻化している。働く場がないため、市外・県外に出て行く人も後を絶たず、この数年の人口減少と消費の落ち込みは深刻となっている。こうしたなかに五500人近くの新たな失業者が加わることは、解雇されるMCS従業員だけでなく、失業者や就業者にも、下関市内の経済全体にも打撃を与えるものであり、「仕方がない」ではすまされない問題となっている。
 
 中尾市政の責任重大

 1989年に設立されたMCSは、三井金属が100%出資する子会社で、パソコンや液晶テレビ、プラズマディスプレイの裏側の配線に使うTABテープなどを製造していた。パソコンやプラズマテレビが普及するなかで急成長し、三井金属グループのもうけ頭となっていた。ほんの5、6年前までは「世界シェアの5割を製造している」とされていた企業だ。全盛期には3000人近い労働者が働いており、「市内の若者でMCSで働いたものは数知れない」といわれるくらい、連日のように派遣会社・ワールドインテックが募集をかけていた。
 しかし08年末、リーマン・ショックを口実に1000人の派遣社員・期間工の大量解雇をおこない、翌年1月には三井金属グループ全体の人員削減計画の一環として追加で710人を解雇。その後も非正規社員の解雇や正社員の配置転換をくり返し、今年4月には操業を開始して3年もたたない大牟田工場を閉鎖した。
 すでに今年6月までに150人の正社員を転勤ないしは退職させ、次からは退職金は出ないとして整理していた。
 今回発表された計画は、残っていた従業員468人のうち、正社員211人は三井金属グループ内で配置転換をはかり、非正規社員257人は契約を更新しない。来年6月末までに生産の3分の2を終了し、2013年3月までに完全撤退するというものだ。
 派遣社員や期間工のなかでは、すでに解雇された者、12月末での解雇を通知された者もあり、ワールドインテックの派遣社員は1月末で全員解雇といわれている。「正社員はグループ内で確保する」とされているが、すでに今年前半の配置転換がやられ、全国のグループ会社はいっぱいで受け入れ先はないといわれている。配転先として海外を示し、それを断れば「退職金はありませんよ」という形で解雇しようとしていることが指摘されている。わずかに残っていた社宅や期間工の寮なども、会社の解散とともに追い出されることとなり、子どもを抱えてどこへ行こうかと頭を抱えている従業員もいる。
 今回の工場閉鎖の口実は「フィルム市場の鈍化」と「歴史的な円高」。しかし関係者のなかではリーマン・ショックのときと同じく便乗であり、親会社である三井金属が立ちゆかなくなってのことではないと指摘されている。
 ある関係者は「三井金属から来た社長や上の人たちは、バブル的な経営感覚で、次から次に新しい工場を建設していった。MCSがつぶれても自分たちは親会社に帰れたり、安泰に退職できる。20代、30代の若い社員がどうなろうと関心がないという雰囲気だった」と話す。
 三井金属は財閥系の大企業。1950年度(三井鉱山からの分離時)に111億円だった売上高は、1994年度には3423億円に拡大、さらに2007年度には5954億円となった。2010年度も4464億円で、ちょっと利益が減ったから、もっともうかる事業へと転換しようということである。
 三井金属の経営理念は「世の中の変化を読み、事業を自在に変化させる」「三井金属は数ある素材メーカーのなかでも、多角化に成功した数少ない企業の一つ。三井財閥の本流企業として、鉱山開発という経済の屋台骨を担う事業からスタートし、戦後の財閥解体や円高・オイルショックなどの危機を多角化や海外展開によって乗り切ってきた」としている。仙田貞雄社長は「変化の激しい時代だからこそ、変化をチャンスととらえ決して現状に満足することなく、常に変革し続け」、迅速な経営判断のもと、事業の選択と集中に絶えずとりくむとのべている。

 長期生産の気ない労務政策 儲け減れば切捨て

 こうした経営理念のもとで、MCSを子会社として設立。利益の上がるあいだは100%出資する見返りとして上納金を巻き上げ、もうからなくなったら切り捨てて別の事業に転換するということである。近年は中国や韓国、台湾、インドネシアなどに次次に会社を立ち上げており、MCSの工場閉鎖の発表と同日に、中国への新会社設立を発表している。
 元従業員の一人は、「MCSを立ち上げるときは、東芝やNECと規格が違うので、企画書を見ながらああでもない、こうでもないと相談しながらやっていた。始めた当初は需要も少なく、売り込んでいかないといけなかったこともあり、“いい物をつくろう”と一つ一つ手動で丁寧につくっていた」と話す。変化し始めたのは新たな工場が建設され、機械化された頃からだった。「検査も緩くなって質も落ちた。需要は増えたが、生産が間に合わないと、追いつけ追いつけで人を増やしていった。このままではダメになるといってきたが、上には届かないままだった」と話した。
 2003年頃にはTABテープの特許が切れ、海外などでも競合企業が製造販売し始めた。「その頃が一番社内の空気が緩んでいて、あっという間に追い越されてしまった」という。売上が落ち始めた頃から最後の駆け込みで派遣社員を大量に雇用していった。その利益は親会社である三井金属の利益になっていた。
 MCSは全市内の若者の一番の就職口だった。派遣社員が月に4、50万を手に入れていたという。豊前田の飲屋街の客はMCSで埋まっていたといわれ、なかには高級外車ジャガーを乗り回す労働者もいたといわれている。労働者は感覚がおかしくなったと語られる。そして家を建てて今ひどい目にあっている人もいる。職場は正社員、期間、派遣と身分が分かれ、足の引っ張り合いや仲違いが横行していた。精神病になる人が多かったと語られていた。
 そして不良品、返品の量がものすごかったと語られる。世界最大シェアということで、それでも大もうけをしていた。長期の生産をする気はなく、労働者を尊重するのではなく、一定の給与で優遇して、すぐに切って捨てるという労務政策だった。三井金属資本のきわめてバブル的で投機的な姿勢をあらわすものであった。
 三井金属の大株主は外国法人(26%)や金融機関(30%)などである。いわば株主優先、投資家優先のグローバリズムのなかで、生産の持続的な発展も技術の育成、労働者の尊重も、地域社会への責任も放棄する経営の典型としてあった。
 MCSで働く派遣会社の社員で昨年冬に結婚したばかりの従業員がいる。長期の雇用をするものと思って家を建て、職をなくしただけではなく家を手放してその借金を抱えて路頭に迷う若い労働者もいる。
 彦島地区では、この間の大量解雇や正社員の配置転換でアパートや住宅はがら空きになっている。20代、30代で家を建てたが、解雇されてローンが払えなくなり、追い出された話、それをきっかけに家庭崩壊した話、父親だけが単身で遠方に転勤して家族バラバラになった話などがあちこちで語られる。西山小学校の児童数も急速に減少しており、今回の工場閉鎖で「地域が崩壊する」と危惧が語られている。地元の西山地区や迫地区では「自治体組織の崩壊だ」と語られている。
 撤退発表の前日、地域の代表者と彦島製錬、MCSの関係者との恒例の忘年会がもたれたが、その場ではなんの話もなく、翌日に“撤退”と発表され、「信じられない」と話題になった。
 ある不動産関係者は、「三年前の大量の派遣切りや期間工の雇い止めで、アパートやマンションに入っていた非正規雇用の若い人たちがたくさん出て行った。あのときも大変なことだったが、今回は工場閉鎖。残っている人たちのなかで彦島に住んでいる人も多い。これから彦島はどうなっていくのかと思う」と語る。MCSができる以前は人口の移動はそれほど多くなかった。「これほど短期間にどっと人が入ってきて、今度はどっといなくなる。こんなことをしていたら、地域が崩壊してしまう」と危惧を語る。MCSができてから若者が増えたため、ワンルームマンションやアパートを建設した人もいる。
 アパートを経営している男性は、「以前は期間工や派遣社員がアパートにたくさん住んでいたが、今は数人になっている。子どもを抱えているので少し前に“お前は大丈夫か”と聞くと、はっきりしない返事をしていた。この子たちがどうなるのかが心配だ」と話す。
 数年前までは給料がよかったため、MCSの従業員を住宅会社が狙って営業に訪れ、仮契約を結ばなければ夜中の2時、3時まで帰らない。そうして何人もひき抜かれていったが、「ローンを組むときに月月の支払いはアパートの家賃と同程度にしておいて、30年後に退職金で精算するという条件をつけていた。それが途中で解雇されてローンが払えなくなり、借金だけを抱えて家から追い出されている」と話す。「IT産業の周期が短いのはだれでも知っていることだ。本当の企業なら10年先を見通して次の事業を考え、従業員や家族、地域を守るのが当然ではないか」と憤りを語った。
 三井金属の前身である三井鉱山株式会社が、鈴木商店の彦島亜鉛製煉工場を買いとったのが昭和3年。以後83年にわたって彦島をはじめ下関市内の労働者、地域の人人の力によって拡大してきた。MCS立ち上げにあたっては、市から雇用奨励金・事業所設置奨励金として約4億円を受け取り、08年の大量解雇直前には「渋滞の解消」を名目に、西山海岸沿いの道路を県が建設したばかりだった。
 ある従業員は「日本国内でも大企業の三井金属の工場閉鎖や海外移転を“仕方がない”といっていたら、日本全国の企業が首切りや海外移転するのも仕方がないことになる。そしたら日本全国がどうなるのかということだ」と語っていた。

 失業増や購買力低下に拍車 全市の労働者の問題

 市内の労働者も他人事ではないと語っている。造船に携わってきた技術者の男性は「2008年の首切りから以後、またあるのではないかと思っていた。若い者が路頭に迷うことになる大変な問題だ。入れ替わりが激しく、技術者というものがしょっちゅうコロコロ変わるものではいけない。良い製品もできるわけがない。労働者の解雇の問題でも、大きな会社は絶対に損はしないようになっているし、そのもとで働く下請はあわれなものだ。やってもやってももうけにならず、できないなら他があるといって叩かれ、いらなくなったら捨てられる。大企業がいかにもうけるかしかなく、親会社の人情もまったくなくなっているのはどの企業も同じだ。大企業の内部の金を公にしたらあんなにたくさんの人たちの首切りをしなくてもいいはずだ」と話す。
 別の元技術者の男性は「日本の企業が派遣社員を入れてころころ変えて、ダメになったらさっさと撤退し、海外に技術指導といって行き、日本の才能を売り込み技術を教え、日本の高い技術力を大事にしないで日本はつぶれていく。もうけるためなら、大企業はルールもモラルもない。この悪循環が歯がゆくてならない」と話していた。
 また市民の購買力もなく、お客が来ない厳しいなかで必死に営業している散髪屋や八百屋、飲食店などの個人商店でも「三井金属が生き残るために末端が切られただけ。地元でこういうことが起きたら、一番最後に潤う個人商店の経営はもっと厳しくなる」といわれている。
 同時に下関市内全体には職がなく厳しい現実を、さらに悪化させることも語られる。ある男性は「下関市がどんどんと落ちぶれている。建築や塗装の業者でも、仕事がなく困っている人もたくさんいる。中尾市長はこのMCSの撤退に対して、解雇された人人に再就職先を…などといっているが、絶対にやるわけがない。まず、どこに雇用させるのか。今の市内の実態は人を雇うどころでない中小企業ばかりだ。市民の声を聞かず、何もやろうとしないくせに、そのようなデタラメを簡単にいうことに腹が立つ」と怒りが語られている。

 

トップページへ戻る