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人民生活の糧になる文化創造を
福田正義の文化・芸術論
              没5周年記念し論議を   2007年2月19日付

 福田正義没5周年を記念した論議を発展させるため、今回は1955年から62年にかけて、福田正義が長周新聞紙上に書いた文化・芸術論と社説を紹介する。現在、戦後日本社会の植民地的な退廃は当時以上にだれの目にも明らかになっており、そのなかで真に独立した平和な日本を建設するために、人人の生きていく糧となる文化・芸術の果たす役割は大きい。歴史の発展方向に立ってどのような文化・芸術を創造していくのか、読者のみなさんの論議を訴えたい。

 思想の堕落  (1960年1月1日)
 わが国の芸術・文化が壊滅的打撃をうけた。というよりも、厳密にいえば壊滅したというのが正しい時期があった。それはそれほど遠いことではない。たったこのまえの、戦争の時期であった。
 そのとき、思想の自由が奪われたのである。思想が権力によって圧迫されたのである。そして、多くの芸術家たちが、芸術家の名に価する思想の自由を保ち得ず、権力の要求に屈従し、権力にお追従をいい、阿諛し、迎合し、おべんちゃらをいい、あげくの果てはみずからをも欺き、まことしやかな顔をして、権力者の思想に自分の職人的技術をくっつけて、ただそれだけで芸術家であることをつづけているような錯覚におちいった。なんのため? かくも馬鹿馬鹿しいことが、なぜ、芸術を目指すものの上にあらわれたのか、戦争が終わってみると、一寸想像もつかないほどである。
 このことは、正しく見ておく必要がある。いまそのことを、わたしはここで厳密に検討しようというのではない。しかし、芸術家が芸術家ですらなくなり世にも哀れな権力のチンドン屋となって、みずからを欺き他を欺いて犯罪を重ねた原因は、あれやこれやの要素や道行きを捨象してみれば、食べる生活と虚栄心の満足がほしかったただそれだけのことである。せめて、虚栄心なりとなければ、なにも芸術家でございといって、大嘘の小説を書いたり、絵を描いたりしなくとも、もっと他の手段もあったろう。しかし、もともと真実そのものを追求するということでなかったそのことが、きびしい事態にひきすえられてみると、いかんなく正体を暴露するということにならざるをえないし、なるべくしてそうなったということにしかすぎないのである。そういうことは芸術とはまるきり無縁のことである。途中からの堕落というような質的転移ではなく、はじめからまるきり無縁なのである。ただ、はじめのうちはわかりにくかったというだけのことである。
 この経験は軽軽しく見逃しておけることではない。「戦後民主主義」というふんわりした敗戦につづく状態のなかで、戦争と敗戦というきびしい歴史的現実、それにつづく新たなる時代へのきびしい態度のないままで、まるで温室の中で咲いたひ弱な花のような芸術・文化の運動が、いままた新たな試練に当面していることは注目に価する。
 戦後の芸術・文化の運動が、アメリカ的な商業主義に毒されていることはだれでも知っているところである。それは中央、地方を問わず、芸術・文化運動の純粋性をいちじるしく傷つけている。とくに商業主義マス・コミの金と売名を餌にした文化の愚弄が、地方における現実に立脚した芸術・文化の発展を妨げ、芸術・文化の仕事をする人たちのなかですら、反俗精神を失った商業主義追従をはびこらせているのである。したがって、芸術・文化の分野におけるアメリカ的商業主義とのたたかいはきわめて重要であり、芸術・文化の分野における思想の純潔性のためのたたかいがぬきさしならぬ課題となっている。文化運動の停滞をうち破ってゆく上で、この問題をよけることはできないし、あいまいな態度をとることは許されないのである。芸術・文化が多かれ少なかれアメリカ的商業主義の影響下にあることは、最も大きい問題の1つであろう。
 地方における芸術・文化の運動を高める上で、思想の自由――すなわち民主主義を守るたたかいがきわめて重要である。思想の自由というわかり切った初歩的な問題が、それとして自由が妨げられているという諸条件が、芸術・文化の開花をいためつけていることはいうまでもないが、芸術・文化の仕事にかかわるものが、みずからにたいして思想の自由を確保していないということは、はじめから問題にもなにもなったものではない。社会的現実といったところでレアリズムといったところで、しょせん現実が流動が激しくなればなるほど、現実から逃げまわらねばならないというチャップリンの喜劇を思わせる状態を現出せざるをえないのである。現実から逃れまわってなおどこかでレアリズムであろうなどというナンセンスがいま現実にあらわれているのである。それは果てしもない転落であり、敗走であり、精神の堕落であり、俗物への道である。
 このことは、過少に見ることはできない。ここ数年来、とくに昨年来の時代の波の激しい音の高鳴りのなかで、地方における芸術・文化の運動がいちじるしい停滞を見せているという事実、波の高まりに逆行しつつあるという事実、しかも、現実の激しい動きが、ふんわりしたいわゆる「戦後民主主義」的なものを克服してすすみつつあるときに、ふんわりしたいわゆる「戦後民主主義」型文化運動が停滞もしくは後退の道へのめりこみつつあるという事実は、偶然などといえることではないのである。この形態は、昭和8年から16年への芸術・文化の敗退の苦苦しい歴史的経験を思わせるにじゅうぶんである。敗退者が自己を弁護するためにさまざまな理由をならべたてればたてるほど、敗退そのものの犯罪性がいっそう拡大するだけである。
 地方における芸術・文化の運動を高めるために、芸術・文化の運動は、社会の前進と結合しなければならないし、そのような前進の新しい萌芽の発見者とならねばならない。現実は、激しく流動し変化している。芸術・文化は、この現実から逃げ惑うところにありえないと同時に、現実と無縁の商業主義との野合のなかにもありえないのである。
 1950年代は、1面、敗戦にひきつづく一定の思想の世界の混乱期であったということができるだろう。しかし、現実の新しい動きが、それらの混乱を整理し、新しい60年代への展望を与えている。
 われわれは、いま停滞の底にいるが、しかし、新しい運動がこのなかから発展するであろうことをじゅうぶんに期待できる。1960年は、そういう新しい展開の年となるだろう。

 人民生活に根ざす文化  (1955年11月27日)
 “地方文化”という特別の文化はない。その中味は、正しくは地方における文化というべきものであろう。東京だけに文化があって、それが“中央文化”で、文化はそこでしか開花しないような考え方が、多かれ少なかれ、長い間文化を目指すものの中にあった。それは今もある。そのような考え方は地方における文化の発展の上できわめて有害であり、本質的に間違っている。
 そのような考え方は、日本の近代社会の発達の仕方と関係している。とくに、それが外来文化の導入と、もう1つは商業主義ジャーナリズムと結びついて、日本の文化を不幸な状態に陥れることになった。一方では文化が人民の生活から離れて、日本的な性格をともなわぬ“あだ花”のような傾向をもち、他方では徹底的に低俗な商業主義の荒らすままに放置された。このことはまた一方で、文化における民族的な要求が右翼から民族主義に利用されることになり、戦争への心理的な動員を助けることにもなった。いわゆる“文化の中心”が、大勢として“外来的”であり、したがって人民から孤立せざるを得なかったからである。地方での文化活動が、その影響をうけていたという事情は、いよいよそれを貧弱なものにせざるを得なかったのも当然である。
 “東京では外国の空ばかりうかがっている、地方では東京の空ばかりうかがっている”としたら、そのような根なし草を、誰も相手にはしないだろう。文化は人民の生活を土壌として創造され発展すべきものであるからだ。
 自分たちがそこで生活しているその地方の人民生活の歴史・現実から目をそむけて、文化の創造の仕事はあり得ない。内灘や砂川について怒りをこめてうたうことはよい。しかしそれにもまして、自分がそこで生活している人民の生活の怒りや悲しみや喜びが、もっともっと生き生きとうたわれねばならないのではないか。文学のことだけをいうのではない。すべての芸術創造の仕事は、人民の生活感情、人情、習慣などを、それのおかれている環境とそこでの諸関係、その歴史の中でとらえることから離れてはあり得ないのである。それは芸術創造の仕事だけではなく、教育、科学をふくめて、文化創造の仕事は、すべてそのような立場にはっきりと足を踏みしめねばならない。
 今日、職場、学校、農村をふくめて文化への欲求はきわめて高い。どこでもいろいろの集まりが無数につくられている。これらの集まりが、横につながり、あるいはより高い集団と結びつき、その活動を相互に助け合いつつ強めることは今きわめて大切なことである。全県的に見ても、多くの集団がばらばらな状態におかれており、各集団間の結びつきが弱いことが運動の発展をいちじるしく妨げている。
 とくに民主主義の立場に立った芸術、社会、教育、自然科学、歴史などの研究団体が組織されることは緊急なこととして要請されている。郷土史の研究はきわめて重要であり、現在個個にやられているものの成果を、科学的に組織だてる仕事が必要である。芸術団体が、多くの異なった主張をもちつつ、その独自性尊重の立場に立って、相互に批判しつつ、一定の協同できる目標の範囲で協議会的な組織をもち、全体の運動を発展させるために寄与することは、無数のサークルの強い要請である。
 植民地的退廃の追放は、民族的な文化の確立だけがなしうる。

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