Old School Mountain Bike

MTB雑学ファイル (サンフランシスコがMTB発祥の地)

マウンテンバイク発祥は1970年代後半、カリフォルニア州サンフランシスコ郊外のマリン郡で誕生しました。マリン郡(郡て言うくらいだから片田舎だな)で少年達が1950年代製のビーチクルーザーを改造して地元のタマルパイヤス山のファイヤーロードと呼ばれてる森林火災消防用の未舗装路を駆け下って(ダウンヒル)遊んだのが始まりです。このビーチクルーザーを改造したバイクの事を、クランカーとかバルーナやファットタイヤ などと呼んでいました。

1970年代なんて、スポーツとしての自転車は、ピストやロードレーサー、ツーリング車とかしか無かった時代です。アメリカの片田舎の山の中を縦横無尽に走る未舗装路を走れる自転車はこの世に存在しなかったから、当時のクランカーは自転車として非常に斬新だったと思います。当初タマルパイヤス山をクランカーに乗って遊んでた少年達は数十人いたらしい・・・そして、少年達の中からゲイリー・フィッシャーとチャーリー・ケリーが、このダウンヒルのレースを1977年からシリーズレースとして開催するようになります。

<ゲーリー・フイッシャーがベースにしたのは”シュウィンのエクセルシオール”って言う新聞配達用の頑丈なクルーザーです。コレにTAのトリプルクランクとカンパのリアディレイラーを付け、ワイドレシオにして自走で登れ、マグラのブレーキレバーを付けて山下りにも対応するように改造したのがMTBの元祖って呼ばれて有名なクランカーってバイクです。>


ダウンヒルだからスピードが出る。スピードが出るからブレーキが焼ける。当時はドラムブレーキやコースターブレーキだから焼けると中にハブの中にパックしてあるグリスが溶け出しました。レースが終わると溶け出して無くなったグリスを詰め直さないといけない。だからクランカーのダウンヒルのレースの事をリパック(詰め直す)レースって呼んでいました。

レースするようになるとクランカーは壊れまくります。そこでチャーリー・ケリーがロード用のフレームを作ってた”ジョー・ブリーズ”ってヤツにダートロード専用のバイクフレームをオーダーします。クルーザーを基本として、軽くて頑丈、リアディレイラーの台座を付けました。これが、世界初のダートロード専用バイク。
<時は同じくして、BMX(バイシクルモトクロス)も誕生してる>ジュー・ブリーズの作っ
たダートロード専用フレームは、半年間で10本も引き合いがあり「BREEZER」と名づけられます。その後、仲間のトム・リッチーやチャーリー・カニンガムにスティーブ・ボッツらも自ら自分用のフレームを製作するようになって、リパック熱ははドンドンとエスカレート!

次第に、このクランカーの山下り遊び&リパックレースは有名になって、ついに1979年にゲイリー・フィッシャーとチャーリー・ケリー、トム・リッチーの3人が「マウンテンバイクス社」って会社を設立します。そしてゲイリー・フィッシャーが自転車を「マウンテンバイク」と名付けて商標登録し、そして初年度に160台のマウンテンバイクを売る事に成功しました。
<この後、トム・リッチーが日本の東洋フレームに訪れてMTB用フレームの製作を依頼する事になります。>

こうしてマウンテンバイクの原型が完成し、この後多くの自転車メーカーがマウンテンバイクを作るようになりました。そして次第にマウンテンバイクは山道を下るだけのバイクからオフロードを自在に走って楽しむ新しい遊びの道具(MTB)として世界に愛好者を拡大していくことになります。

1981年自転車部品の輸入卸問屋だったスペシャライズド社が世界初の量産マウンテンバイク「スタンプジャンパー」を発表します。その翌年、マエダ工業(サンツアー)とシマノがマウンテンバイクの専用コンポーネントパーツを相次いで発表。NORBA(アメリカマウンテンバイク協会)も1983年に組織されました。今じゃ有名なトレック社もマウンテンバイクを発売。キャノンデールなんて当時は鞄(バック)屋でした。

日本では1988年に日本マウンテンバイク協会がMTB全日本選手権を開催しました。<この時の優勝者がシマノの大竹雅一さんです。>。国内の自転車メーカーも相次いでMTBモデルを発表する。 今聞くと、懐かしい名前・・・マディーフォックス、リッジランナー、ワイルウエスト、マッドロック、マウンテンキャット、ブラックイーグル、ヨセミテ、SHOGUN、NISHIKI などなど。




MTB雑学ファイル (サイズ)

昨今のMTBのフォークコラムのサイズは11/8”(28.6mm)これの事をオーバーサイズって呼んでいます。「なんでオーバーなの?」そう、レギュラーサイズってのが本来はあります。MTBが登場する以前から自転車のフレームはスチールのパイプで作られていました。自転車が大きく発達したのはイギリス。だから自転車のパイプ規格はすべてインチです。”1”=25.4mm”これがレギュラーとかスタンダードとかで呼ぶパイプのサイズです。<産業革命が金属加工の技術を大きく向上させました。>

厚み1.6mmの板を丸めて外径25.4mmのパイプを作るとパイプの内径が7/8”(22.2mm)。になります。これは旧式のボルトでウスを引き上げるタイプのステムのサイズ。旧いロードレーサーやツーリング車のステムもこのサイズ。MTBが登場するまで自転車のステムサイズ(コラム)は全部このサイズでした。<このパイプサイズはハンドルバーの外径とも同じ>

ヘッドサイズがオーバーサイズになった要因はMTBの過激な悪路走行です。サスの無いフロントフォークのせいでヘッドセットが壊れまくります。コラムパイプも曲がったり折れたりしたんでパーツメーカーの”TIOGA”がパイプ径をワンサイズ上げてベアリング球の数を増やし耐久性を上げたヘッドセットを作って規格化させようとしました。これをタイオガサイズって呼んでいました。
<シマノもベアリングの球の大きさをサイズアップし強度をUPさせて商品化しています。>

壊れなくなったヘッド周りのサイズアップは、もっとエスカレートすることになります。ついにゲーリー・フイシャーが11/4”(31.8mm)のものを出しました。これをフィシャーサイズって呼びました。「なぜコラムサイズをバイクメーカーが好き勝手に作れたのか?」それはMTBのFフォークが全てリジットだったからで、バイクメーカーがフォークも作っていたからでした。だから、この頃は巷に3種類のヘッドサイズが存在しました。<この当時は、なんでもかんでも”オーバーサイズ”って呼ぶのが流行りましたね。>

当時はフォークの耐久性との戦いでした。壊れるから太くする、太くするとフレームは重くなる。こうして、どんどん重くなっていくMTBのフレームに革命的な事が訪れます。大径薄肉アルミパイプ材の登場です!当時の代表的なフレームはクラインやYETIにキャノンデール。クラインは極太ステムとハンドルバーが一体になったハンドル回りに極太の専用フォークに専用のヘッド周りで、BBのシステムもクランクシャフトをスルー(中通し)構造としてシールドベアリングを圧入し強固で斬新な構造でした。

アルミフレームの登場で、MTBが強く軽くなったのはいいのですが、熱処理の入ったアルミフレームはカチカチでした・・・ガレ場を走ると手がビンビンにシビレました。グローブの手の平部分に衝撃吸収剤が仕込んだGEL入りグローブが人気でした。登山道や林道の下りは、手の平が痺れてハンドル(ブレーキレバーも)を握れなくなるから10分走って10分休憩していました。ハンドルグリップもビラビラが付たり、断面が卵型をしたモノや色々なタイプの衝撃吸収形状が登場しましたね。
<シビレるって表現より”痛痒い”の方が適切かもしれないですね。>

そして”ROCK SHOX と MANITOU”がサスペンションフォークを発表する。どちらもサスペンションフォーク専門メーカーとして登場し、ヨーロッパからはマルゾッキが自転車用エアサスを発表します。するとコラムサイズの規格化が必至となり、コラムのサイズはOS(オーバーサイズ=TIOGAサイズ)として標準化されるようになり今日にいたっています。<フロントフォークが登場し始めた一時は、3種類のコラムサイズ(1” 11/2” 11/4”)がラインナップされていて大変でした。>




MTB雑学ファイル (フレーム材)

ずっと昔から、自転車のフレーム材はスチール(鉄)がもっとも適していました。スチールパイプは、加工の易さ・強度・入手・価格と、どれを取っても最適でしたが、どうしても避けられない難点もありました・・・・それは「重さ」。自転車はマンパワーを有効に使うべく少しでも軽量でなくてはならない。そこでフレームを軽くする為にパイプの肉厚を削ぎ落としました。簡単に説明すると厚さ2mmのパイプで作るフレームを厚さ1mmのパイプで作れたらフレーム重量は半分で済みます。

自転車のフレームはパイプ同士を溶接して製作されます。パイプとパイプの接合部は応力が集中するからパイプの肉厚をむやみやたらに落すと割れてしまいます。そこで考えられたのがパイプの肉厚を変化させるバテット加工です。 パイプに応力のかからない中央部の肉厚は薄くして強度の必要な接合部の末端に行くほど厚みを増してあります。これが、よく耳にする”ダブルバテット”って呼ぶパイプです。
<クロモリパイプの場合、L600mm*D25.4mmで t 0.8mm 〜 0.5mm 〜 0.8mmあたりが標準サイズです。>

肉厚の薄いパイプ同士を直接接合した場合、応力を受けると突き合せた根元部分から割れやすくなります。だから専用の継ぎ手にパイプ同士を差し込み隙間に銀ロウを溶かし込んで接合(ラグドフレーム)しました。こうすると継ぎ手が一旦応力を吸収して分散させるので耐久性のあるフレームが作れます。銀ロウは鉄よりも低い温度で溶けるからフレーム材に必要以上に熱も加えないので歪が少ないフレームが作れました。
パイプの肉厚を薄くすると出来上がったフレームの剛性が出ないので、パイプ材に焼きを入れて強度が最適になる素材が吟味され、今では一般的に知られるクロームモリブデン鋼が高級車に使われるようになっています。<フレームに 4130 とか Cr-Mo と書いてるヤツ>

当初、クランカーから進化したMTBのフレームもスチール製でした。悪路を走っても壊れないように頑丈に作ったんで重かったでしょう。しばらくして”頑丈=重い”の常識を破るフレームが登場します。それが今日では普通になったアルミ材で作られたフレームです。

鉄の比重7.8に対してアルミは
は2.8と驚くほど軽いです。しかし、強度の確保と加工の難しさが難点でした。 この「強度確保と加工難易度」を克服したのが、軍需産業や航空宇宙技術で使われていた特殊なアルミ素材(AL6061とかAL7005)です。

当時の自転車業界では、この材料に関しての情報が少なく、一般的にアルミ材は溶接に不向きな存在なので自転車フレームには不向きと考えられていた。溶接可能なアルミ材は、ごく限られた一部の人達しか扱えない素材でした。

このアルミ材を使いスチールと同等の強度と剛性を確保する工夫としてパイプの外径を大き
くしました。単純にパイプは外径が細いより太い方が強い。外径を太くした分だけ重くなるのでスチールパイプ同様にパイプの肉厚をバテット加工して熱処理を施し軽量化をします。外径を太くすると強度が上がるのは見掛けの長さが短くなるからです。分りやすく木の枝で例えると・・・「細くて長いのと短くて太いのなら、どちらの枝の方が真ん中で折れ難いですか?」で理解して下さい。<アルミパイプの場合は、L650mm*D38.1mmで t 1.6mm 〜 1.1mm 〜 1.5mmあたりが標準です。>

溶接可能なアルミ材はスチールのラグで継ぐロウ付け溶接じゃなく、パイプとパイプを直接溶接するTIG溶接という方法で製作されます。溶接可能なアルミ材でも一旦溶けるまで熱が入るので接合部の熱処理が解け元の柔らかい素材に戻ってしまいます。だから溶接が終わってから強度を出す為にフレームごと釜に入れて再熱処理する必要があります。 アルミフレームを量産化する為には、大量に熱処理する釜の設備が必要なので早急な量産化は無理だったが、各バイクメーカーはなんとかしてアルミ材を使いたかったんです。<熱処理を施されて剛性を落とさず得たアルミフレームの軽さは魅力的でした。>




MTB雑学ファイル(フレームデザイン)

自転車を力強く漕ぐとフレームはシートを中心にシートチューブ〜BB〜ダウンチューブ〜ヘッド〜トップチューブを繋ぐ前三角(フロントトライアングル)がネジれます。漕ぐパワーで大きくフレームがネジれてしまうと推進力が無駄になってしまいます。コレを「ウイップ」と言い”ウイップが多い、少ない”と言ってフレームの良し悪しを判断します。

スチールパイプで作られるフレームは重量を抑える為に、外径の細い肉厚の薄いパイプを使います。これを大きなトラス状(三角形)に組みフレーム剛性を確保しました。だから自転車のフレームはホリゾンタルが標準で常識です。<ホリゾンタルフレームってのは分りやすく言えばトップチューブが地面と平行な形のフレームです。>


MTBもクランカーから進化して出来上がったフレームはホリゾンタルフレームでした。ところが、MTBはこの”ホリゾンタルの常識”を破った。破ったのは”ミヤタのスーパーリッ
ジランナー”で、スーパースローピングって呼んで売り出しました!理由はスタンドオーバーハイトの確保です。MTBは、座って漕ぐだけのロードバイクとは違い、激しい悪路の凸凹にあわせるように体重移動させてバイクコントロールします。それには長いシートチューブとトップチューブが邪魔でした。そこで思い切ってトップチューブをBB側にずらして付けた。<当時”ミヤタ”と言えばグレッグ・ヘルボルト、彼は”第一回DH世界選手権チャンピオン”です。スローピング形状は、彼のアイデアだと思います。>

でも、スローピング形状にすることでフロントトライアングル(前三角)が前方に細長く変化して一番大事なフレームのネジれ剛性が無くなってしまいます。するとウイップに対して非常に弱くなるが、コレをミヤタはアルミ材を使って克服し量産する事に成功しました。スローピング形状で落ちた剛性確保はトップとダウンチューブにアルミ大径パイプを使いました。

溶接+熱処理の設備を持たないメーカーは”接着”と呼ぶ技術で難関を克服します。クロモリのラグドフレームの様にラグ部分に専用のアルミ冷間鍛造材を使い接着剤で接合する事でフレームを完成させます。これで軽量、高剛性な新素材フレームの量産が可能になり、自転車のフレームが鉄から新素材(アルミ)に変わっていくキッカケになっていきました。<この後にカーボンパイプ版も登場しました。>


そして、この後に当時ミヤタと契約していた”グレッグヘルボルト”が「ロックショックスのフロントサスペンションを付けて第1回DH世界選手権で優勝!」この頃を境にダウンヒルがMTBの花形種目になり、スローピグフレームも主流になっていきます。





MTB雑学ファイル(ブレーキ)

MTBのフレームがスローピングになった事で弊害が出てしまいます。トップチューブが低くなるのに伴い低くなったシートステーに取り付けてあるカンチブレーキの大きく張り出したブレーキアームが邪魔になりました。クランクを回すと、足の踵部分と張り出したブレーキアーム接触してしまうのです。

そこでブレーキアームと足の踵部分と接触を避ける為にBMXで使われているUブレーキを使ってフレームより内側にブレーキを収めることにしました。ところがカンチブレーキと同じ位置にUブレーキを付けるとタイヤの上をブレーキアームが跨ぎタイヤが掻いた泥でフレームが詰ってしまいました。<なぜだかオフロードのレースは泥まみれが好きのようで、当時は乾いたコースに水を放水してまで泥コースを作っていす。>

次の対策としてチェーンステーの裏、BBのスグ後にブレーキを付けてみましたが・・・これも泥の影響を受けチェーンの噛込みのトラブルも併発してしまいまうす。この状況だと早く新しいブレーキの開発が待たれました。<シマノもコンポネントにU−ブレーキをラインナップしていまいす。>

1991年、シマノからブレーキアームがフレームから飛び出ないロープロファイルデザインのカンチブレーキが発表されます。サンツアーからも時期同じく同形状のブレーキがラインナップされブレーキの泥詰まりと足の踵部分と接触の問題点はクリアされました。この後、カンチレバーブレーキの時代が長く続きます・・・・。

DH競技の人気と共にブレーキの制動力に乏しいカンチブレーキに不満が出はじめます。構造上の問題で制動力を上げれないカンチブレーキーはスピードの出るDHだと全く使い物になりません。下り始めるとブレーキが全く効かないのでブレーキレバーを握り締め続けないとスピードコントロールが出来ず、ブレーキレバーを握り続ける事で腕が上がってしまいバイクコントロールも思うように出来ません。

1996年、やっとシマノから新たな構造のブレーキ(V−ブレーキ)が発売されます。メーカー発表だと”制動力20%増し”だったが使う側の感覚では200%に思えましたね。ブレーキの制動力が上がるとDHのスピードも上がり、またも制動力が物足りなくなっていきます。

ここで注目されたのはドイツ製の油圧カンチブレーキ”MAGURA HS (ハイドロストップ)”でした。油圧ブレーキはワイヤーを引く従来の方法とは違い入力に対するワイヤーの伸びが全く無いのでダイレクトに効きます。しかし、大きく重いシリンダーやレバーホルダーはパーツ単体重量にシビアなXCには敬遠されたので、もっぱらDHバイクオンリーで使われました。
<DHレースの会場ではマグラの蛍光イエローのブレーキが目立ちました。これはメーカー側のセールス戦略だろうと言われています。>




MTB雑学ファイル(サスペンション)
MTBにサスペンションが最初に装着されたのは1990年。アメリカ人の元サスペンションエンジニアだったポール・ターナーがMTBサスペンションメーカーとしてROCKSHOX(ロックショック)って会社を起こしまいした。MTB初のフロントサスペンションは”RS−1”と呼びエアスプリング&オイルの減衰制御の高機能をまとい、真っ黒のアルミのアウターボディーにピンク色のROCKSHOXロゴで登場した。今までの地味な自転車パーツと違い、すごく新鮮でした。<店にオブジェとして置いてあります。>

自転車のパーツらしく軽量化を意識して、スプリングはエアでロアーレッグを繋ぐブレースはクロモリチューブを曲げ加工された物でした。ストロークは40mm程で重量は1.6kg位だったと記憶しています。価格は、当時8〜9万はしてたと思います。<スペックはどうであれ、最先端のパーツはいつも高価です。>


同じ頃、ダグラス・ブラッドバリーって人もMTBのサスペンショを作っていた。そして同じ年にMANITOU社(マニトウ)を設立。ダグラス・ブラッドバリーは”ROCKSHOX RS−1”のエア/オイル制御のフォークに対してMCUエラストマーと言う新素材をスプリングに使いました。MCUエラストマーは押さえつける圧力に対して反発し、ゆっくり復元するダンピングの機能を併せ持っています。

全身マシニング加工で削りだされたパーツを多用し、内部構造を単純にして軽量化を目的に贅肉をそぎ落としたパーツで構成され”ANSWER MANITOU FORK” として登場する。これも非常に斬新なモデルでした。<マニトウとは、インディアンの言葉で”精霊”なんだって。コレはお店に実働がありますよ〜!>

当時は、まだXCもDHも同じ車種でまかなっていた時代。登場したばかりのサスペンションは、今のようにストロークを使った動きのモノではなく、振動吸収の延長でした。漕ぎを意識したライディングがサスペンションの長いストロークを嫌ったのだと思います。今から思えばエアサスの空気圧をパンパンに入れカチカチにして乗っていました。当初はストローク量よりもフォークの重さが最大のネックだったんです。

1992年にROCK SHOX社は、ロアーレッグをマグネシウム鍛造として軽量化されたMAG20を発表します。この頃からストローク量が変化し始め、サスペンションが付いた事によってDHのスピードレンジが大きく変わっていきました。各社競い合ってニューモデルはストローク量を前面にセールスするようになります。

今あるMTBのサスペンションフォークの進化はDH競技と共に進化してきたと言えます。1993〜4年頃、NORBAで行われたDHスタイルは高低差1000m、コース全長12〜3kmもあり最高速度は60mph(96km/h)も出ていました。これは、今のDHバイクでも大変なスピードです。凄いのはコレだけじゃなくジープロードをメインとしたコースなので平均速度もムチャクチャ速かったはずです・・・・。当時の写真に誇らしげに写った50T以上のフロントチェーンホイールが物語っています。<有名な”マンモス カミカゼ DH”のギア比は60T×12Tだった。>


1994年あたりからMTBダウンヒル、デュアルスラローム競技にBMXの経歴を持つライダーが増え始ました。今まで保守的なバイクコントロールで乗ってきたマウテンバイカーに対しBMX上がりのライダーは非常に攻撃的なライディングスタイルで上位に顔を出すようになります。BMXをバックボーンにもつ彼らのライディングスタイルはサスを積極的にサス使い、Fサスペンションは今より更に剛性がありストロークを求めるように進化していきます。




MTB雑学ファイル (当時の私とマウンテンバイク)
私がMTBと出会ったのは1991年頃です。右の画像はその当時の憧れだったYETIのARC。量産メーカーだとMONGOOSEのIBOCとかCannondaleのSuper−VやTREKに人気があった。見た事も無い太いアルミのパイプで構成されたフレームがカッコよくて KLEIN や YETI なんてその当時は目の玉が落ちそうな勢いの値段でした。

キラキラと鮮やかにアルマイト処理された色の削出し(CNC加工)パーツが自転車の構成部品にしては斬新で新鮮でしたが、あまりにも高価過ぎて一般の自転車マニアには高嶺の花でした。バイクの性能とかよりも見た目の奇抜さで選んだ時代だったような気がします。

国産で一番人気だったのはアラヤの”マディーフォックス”担ぐ時に使う肩当パットやパッドの役目も兼ねるハンドルバッグが、当時はカッコ良く見え「蛍光カラー」が流行の先端だった時代です。

私がMTBに乗り始めた1992年頃の本格的なMTBモデルの基準は、フルクロモリのフレームにシマノの”DEORE LX”のコンポでした。その頃で価格はだいたい10万円くらいだったかな? 私が買ったのもクロモリ+LXです。しばらくして買った2台目はSHOWAのフロントサスが付いたモデルで、コンポは当時最高級のDEORE XTで20万くらいしました。<今から考えるとTOPモデルで20万だったから、とても安いですね。>

このバイクで六甲山の登山道を開拓するべく毎週末に山に入りました。当時のバイクはストロークの少ない前サスにクロモリ鋼のハードテイルバイクです。タイヤサイズは2.0”で当時の自転車の基準だと空気圧はたぶん4kg/cuくらい入っていました。今では全く効かないカンチブレーキ。ビンディングなんて無いから足元はトーストラップで頭はノーヘルです。ガレ場の振動で手がシビレてしまい、山から帰りの車のハンドルが持てない事もありました・・・・今から考えたら、ちょっとした冒険だったと思います。(笑)

しばらくして、マウンテンバイカーと山中で知りい、そいつに「登山道マップ」なるものを教えてもらいました。即行で本屋に買いに行って毎週末のルート探索を楽しむようになりました・・・。1日中、担いで終わる日もあったし
獣道が登山道に見えて道を見失ってしまい、迷う事なんてしょっちゅうだった。(笑)<”森林浴コース”って言葉には要注意だ! 来た道は途中で必ず振り返る・・・そこで道が見えなかったらスグに戻ろう!>


今ではマウンテンバイカーと登山者とのトラブルで入山出来なくなった山もあるらしいですが、昔は「ひゃぁ〜っ、こんな場所まで自転車で来たの?凄いねお兄ちゃん・・・ガンバレ!頑張れ!」ってハイカーに応援されました。登りよりも下りのスピードでトラブルんだろうなぁ〜、歩いてる人の横を2〜30km/hの猛スピードでカッ飛んでいったんだろうね。

走ってる本人に悪気は無いだろうけど、都市部の狭い歩道の上を原付が暴走するようなもんです。誰が見ても危ないと思えば締め出されちゃいます・・・。山でフルフェイスやプロテクターを着けてカッ飛んじゃダメですね。半キャップのヘルメットだけで怪我せず無事に帰って来るくらいのノリがいいと思います。昔はそうだったからね・・・。