#30/シンパティコな哲学者

『グアダルーペの聖母』 鶴見俊輔 筑摩書房

 常に低い視線から世の中の本質を探り出す哲学者、鶴見俊輔の「メキシコ・ノート」。#3で紹介した、堀田善衞『キューバ紀行』と並ぶ名著だ。メキシコとメキシコ人という存在の複雑な諸相を、単純に割り切ることをせずたんねんに解きほぐしてゆく論理の展開は、明晰。

 本書の全6章はどれも充実しているが、一番短い「佐野碩のこと」に触れよう。メキシコ近代演劇の父といわれる佐野碩(せき)は、筆者の従兄弟なのだそうだ。「それは、こどもの時からききなれた名前で、昭和六年以来けっして日本に帰って来ようとしないいとこがいるという抽象的な知識として、私の中に一つの場所を占めていた。」とある。筆者はメキシコに来て、まったくの偶然から、佐野の妻だった人と食事の席で出会う。ここはすごく劇的な場面なのだが、鶴見は、それが自分の身内に関する話題だからだろう、実に淡々とした筆致でそのことを記録している。スターリン時代のソヴィエトから追放され、さらに米国滞在も許されず、日本政府からも危険人物と目されていた佐野を、唯一受け入れてくれたのはメキシコとメキシコ人だった。 (佐野碩については、#48へ)
 筆者がこの本で繰り返し強調しているのは、「メキシコ民衆のナショナリズムは、国家絶対主義とはおのずからちがう規範によってつくられている。」という点である。

 メキシコで「あなたはシンパティコな人だ」と言われたら、最大級の褒め言葉だが、筆者は「シムパティコ」に「共感能力者」などという訳を試みている。そしてこの本こそ、シンパティコな哲学者鶴見俊輔氏と、シンパティコなメキシコ民衆との交流の記録である。
(1976年初版)

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