#46/画家の文章

『メキシコの青春』 北川民次 日本図書センター

 画家北川民次は、画もいいが、文章はもっと面白い(と言ったら失礼だろうか?)。著作を見つけるとつい読んでしまう。私は、〈住んでみた○○〉風の海外生活体験記はあまり好まないが、民次のように大きな目的を持ちオリジナルな人生を歩んだ人の本は、へたな冒険小説より面白いと思う。

 1923年、それまでニューヨークで絵の勉強をしていた民次は、メキシコへと渡る。その船上、陸地の方向にするどい峰の蜃気楼が浮かびあがる。すると、旅客の一人が、「あれなんだ。−中略− 錯覚と本物とが、こんなに、いりみだれていては、なまやさしい人間にはちょっと取っくめない。メキシコとはそんな国だ。」と呟く。その言葉はまさに、民次のメキシコ世界での彷徨と思索の体験を予言しているようだ。そして彼は、遍歴の末、「岩山地帯の隅」のアステカ時代の言い伝えがそのまま生きる「インディアン部落」に行き着き、「一本の木立も、一軒のあばら屋も、じつに美しい」と感じて、夢中になって創作に打ち込むのだ。

 また彼は、メキシコシティの場末の街も愛し、次のように書いている。「一つや二つの血なまぐさい事件は、毎晩のようにおこった。空気には黴菌が充満している。しかし、人びとは生血のしたたるような生命感を、心ゆくばかり味わって生きるのだ。あの神経質で、干からびて、味気ないニューヨークにくらべて、ここはなんと、生命力に満ち、豊かなことだろう。あちらでは小心者どもがすっかりおびえきって、架空な社会をつくり、みんなその中に逃げこんで暮らしているのに、こちらでは大胆に真の人間性に直面し、現実に足をふまえて生活している。」名文。
(1955年初版 光文社カッパブックス)

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