| 1818-1821 |
|
ドニゼッティのオペラの処女作といわれているのは、ボローニャ留学中に書かれた「ピグマリオーネ」だといわれています。これは1816年の9月の後半の休みに一気に書き上げた1幕の短い作品で、いろいろ興味深い点はあるのですが、当時は上演されなかった習作ですし、オペラというにはあまりにも小さなもの(登場人物は二人、時間は30分程度)なので、ここでは扱いませんでした。部分的に作曲しただけと思われる「オリンピアーデ」と「アキッレの怒り」も外しました。 ENRICO DI BORGOGNA初演:1818年11月14日、ヴェネツィア、サン・ルカ劇場 音楽家としての活動の場を捜していたドニゼッティは、ロンツィという歌手の夫婦と親しくなり、それが縁でヴェローナを中心に北イタリアで巡業を行っていたオペラ一座の興行主、パオロ・ザンクラと知り合うことが出来ました。1818年4月、彼はザンクラから秋のシーズン用の作品を依頼されます。これが彼の処女作「エンリーコ・ディ・ボルゴーニャ」になるのです。
Jones そのエンリーコのアリアCare aurette che spiegateが収録されています。 UNA FOLLIA
初演:1818年12月17日、ヴェネツィア、サン・ルカ劇場 「エンリーコ」の成功によって、ドニゼッティはザンクラから次の契約を得ることが出来ました。この「バカ騒ぎ」はどうやら一月足らずの間に大急ぎで作られたもののようです。初演はまずまずの成功を収めたようですが、しかしさらなる契約を得ることは出来ず、ドニゼッティとザンクラの関係はここで打ち切られます。次の仕事の当てもないドニゼッティは、仕方なく故郷ベルガモでまたしばらく待ちぼうけを食らうことになります。
Orchestra della RTBF di Bruxelles 残念ながら今のところこの「バカ騒ぎ」は楽譜も台本も失われています。 PIETRO IL GRANDE,KZAR DELLE RUSSIE
初演:1819年12月26日、ヴェネツィア、サン・サムエーレ劇場 「ロシア大帝ピョートル」はドニゼッティの最初のヒット作といえます。初演もかなり好評に迎えられたばかりか、1820年代を通して散発的ではありましたが各地での上演が記録されています。
Smythe,Bickley,HIll Smith,Moreno,John,Best 六重唱Ah qual colpoを収録しています。 LE NOZZE IN VILLA
ニ幕のドランマ・ブッフォ この「村の結婚式」に関してはかなり謎が多いです。初演の正確な日付やその歌手についても良く分かっていません。わかっていることは、初演が失敗に終わったことと、その後手を加えられて1822年の春にジェノヴァで二晩再演されたことだけです。 Philharmonia Orchestra Parry London,June 1988-March 1993 OPERA RARA ORCH104 三重唱In lei vegg'io l'oggettoを収録しています。手堅く書かれていますが、単調な繰り返しが多く、あまり才気が感じられるものではありません。
ドニゼッティ御殿目次 オペラ御殿のトップに戻る |