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1826


 キリスト教では、25年に一度「聖年」というものがあります。かつてはこの年には、様々な制限がありました。
 その一つに、劇場の閉鎖がありました。法王庁の支配化、つまりローマではオペラが上演できなくなってしまったのです。
 オラトリオなどの逃げ道はあるとはいえ、これはオペラで生計を立てている人たちにとっては大変な問題でした。彼らはこの年はローマ以外の地域に避難するわけです。
 ドニゼッティは1825年にオペラの作曲家として初めて聖年にぶち当たります。そして、悲惨な目にあうのです。


ALAHOR DI GRANATA

(セリア、2幕)
初演:1826年1月7日、パレルモ、カロリーノ劇場
台本作家:M.A.
原作:ジャン・ピエール・クラリ・ドゥ・フローリアン「ゴンザルヴ・ドゥ・コルドヴ」(1793)
   →ケルビーニの「アベンシェラージ」へのエティエンヌ・ドゥ・ジュイの台本
    マイヤベーアの「グラナタの亡命者」へのフェリーチェ・ロマーニの台本

 「エミーリア」以降ドニゼッティは散々な目にあいます。まず契約が取れませんでした。そうこうしているうちに1825年というキリスト教の聖年になってしまい、あてにしていたローマの劇場が完全に閉鎖されてしまいます。さらに悪いことにナポリでは年初早々に国王フェルディナンド一世が亡くなり、これまた劇場が閉鎖されてしまったのです。
 彼がようやく見つけた仕事の場がシチリア島でした。パレルモのカロリーノ劇場での楽長の地位を得ることが出来ました。しかしながらこの地方劇場の水準は当然低く、さらに財政事情も非常に厳しかったため、ドニゼッティの頭痛の種は尽きなかったようです。
 ここでドニゼッティは1825年9月に「家庭教師」を上演し好評を得ています。続く新作となったのがこの「アラオール・ディ・グラナータ」です。
 話の内容は、グラナダで対立する二つの勢力、アベンシェラージとゼグリをめぐるものです。国王ハッセムはアベンシェラージの娘ゾベイーダと恋に落ちていますが、彼の兄アラオールは父の復讐に燃えています。一方、ゼグリの長アラマールはハッセムが自分の娘との結婚を拒んだことを恨み、アラオールと結託してハッセムの殺害を計画します。アラオールに説き伏せられゾベイーダがハッセムの求婚を止む無く拒み、陰謀者達が動き出し…。しかし最後がうまくまとまってハッピーエンドになるのは言うまでもないでしょう。
 さて音楽ですが、「ゾライーデ」(この台本も同じ小説を元にしています)などと比べるとかなり明確にロッシーニの音楽があちこちに影を落としています。例えば第1幕のハッセム(ズボン役のアルトです)のアリアのカバレッタ"Ma quell'amabile pace dell'alma"は、どことなく「タンクレーディ」の"Di tanti palpiti"を思い起こさせずにはいられません。
 ロッシーニが嵐を起こした後のナポリで活動しているうちに、ドニゼッティは積極的にロッシーニの語法を取り入れ、またそうせざるを得なかったのでしょう。
 ともあれドニゼッティの音楽はかなり充実していると思います。第1幕のハッセムとアラマールの相手の動向を探り合う二重唱(13分にも及んでいます)や、第2幕のアラマールの合唱を伴ったアリアなど、聞かせるナンバーは結構あります。
 パレルモでの上演は半月程の続演を見ましたので、結果はまずまずと言うところでしょうか。
 ドニゼッティはこの作品をナポリでも同じ年の7月19日、サンカルロ劇場で上演していますが、3回にとどまっています。
 ちなみにドニゼッティはよほどパレルモが気に入らなかったのか、シーズンが終了する前の2月半ばにシチリア島を脱出してしまいました。

Alaimo,Pace,Genaux,Florez,Chaves,Amoretti
Orquesta 'Ciudad de Granada'
Pons
Sevilla,October 1998
ALMAVIVA DS-0125

 セビリャでの復活蘇演の録音。中々高水準の演奏だと思います。歌手ではベテラン、アライモが堂々としてます。まだ若いジェノーとフローレスは、未熟な点は多々あるものの、聞くべき点は多くあります。問題は明らかに技術不足のパーチェでしょうか。


L'AJO NELL'INBARAZZO
Napoli, Teatro Nuovo, giugno 1826

初演:1826年6月11日、ナポリ、ヌオーヴォ座
台本作家:フェッレッティの台本をフランチェスコ・トルトーリが改訂

 シチリアから逃げるようにナポリに戻ったドニゼッティは、まず「当惑した家庭教師」のナポリ向けの改訂稿を上演します。但しこれはシチリアに渡る前に既に作り上げていたものでした。
 改訂の趣旨はナポリ伝統の上演形態に合わせるためで、レチタティーヴォではなくセリフを用い、さらに何人かのブッフォ役をナポリ方言に直しています。
 なおしばしばこのナポリ改訂稿は「ドン・グレゴーリオ」という題名だったと紹介されますが、実際はオリジナルのタイトル通りです。


ELVIDA

初演:1826年7月6日、ナポリ、サンカルロ劇場
台本作家:ジョヴァンニ・フェデリーコ・シュミット
原作:

特徴

 《エルヴィーダ》は1826年7月6日にナポリで初演されました。この日はナポリの国王フランチェスコ1世の妃マリア・イザベッラの誕生日で、《エルヴィーダ》は王族臨席公演のためのオペラでした。
 物語は、当時流行った<救出オペラ>です。普通なら2幕仕立てになるところでしょうが、おそらくこうした催しでの上演では、1幕が慣習だったのでしょう、1時間強に圧縮されているわけです。

あらすじ

 ムーア人達がスペインの軍勢が近づいていることに慄いている。部族長アムールの息子ゼイダールは囚えたカスティーリアの貴婦人エルヴィーダに恋をしている。アムールはそれを快く思っていない。
 呼び出されたエルヴィーダは囚われの身でも毅然としている。アムールは、息子と結婚するなら解き放とうと申出るが、カスティーリアの王子アルフォンソを愛しているエルヴィーダはそれをキッパリ断わる。二人になるとゼイダールはエルヴィーダを振り向かせようとするが無駄である。スペイン軍の到来が知らされ、一同は隠れ場所に向う。
 スペイン軍を伴ってアルフォンソが登場。エルヴィーダに思いを馳せる。アルフォンソたちはムーア人の娘の手引きでアムールの隠れ場所へ向う。
 エルヴィーダを最後の切り札と考えアムールは彼女を連れて逃亡しようとする。死を恐れないエルヴィーダとおろおろするゼイダール。そこにアルフォンソたちが急襲、アムールはエルヴィーダを短剣で殺そうとするが、思わずゼイダールがそれを止める。ゼイダールは捕らえられ息子を非難する。アルフォンソはアムールの命を保証する。  エルヴィーダとアルフォンソが再会を喜び、華やかに幕となる。

初演

 祝賀公演ですので、初演に起用された歌手は当時のナポリのトップスターたちでした。 エルヴィーダ役はこの頃歌手として頂点にいたエンリケッタ・メリク=ラランド、アルフォンソ役も当時メキメキ頭角を現していたテノール、ジョヴァンニ・バッティスタ・ルビーニ。この二人は翌年ミラノでベッリーニの《海賊》のヒロインを歌い大成功を収めることになるコンビです。エルヴィーダ、アルフォンソ、それぞれのアリアはいずれも極めて高度な歌唱を要求されています。アムールを歌ったルイージ・ラブラーシュも高名なバス。

音楽

 《エルヴィーダ》は、かなり充実した作品です。1822年にナポリに腰を据えたドニゼッティが数年で多くのことを吸収して力をつけていることが分かります。
 《エルヴィーダ》にはアリアは2曲しかなく、後は全て重唱です。エルヴィーダが救出される場面は、15分(つまりオペラ全体の約四分の一)もかかる堂々としたアンサンブル。急−緩−急の三部構成で、変化に富み聞き応えがあります。続くフィナーレはひたすらソプラノとテノールが華やかに歌い上げるもの、祝賀公演にふさわしい盛り上がりがあります。
 全体として、ロッシーニ時代の豊かな装飾歌唱の影響下にありつつ、新たな時代のドラマティックな音楽もあちこちに見られる作品です。

Annick Massis, Jennifer Larmore, Bruce Ford, Pietro Spagnoli
London Philharmonic Orchestra, Geoffrey Mitchell Choir
Antonello Allemandi
London, March 2004
OPERA RARA ORC 29

Cristina Pastorello, Daniele Gaspari, Massimiliano Fichera, Maria Pia Moriyon Orchestra e coro Città di Adria
Franco Piva
Rovigo, 11-14 October 2004
BONGIOVANNI GB 2370-2

アルフォンソのアリアが省略されています。


GABRIELLA DI VERGY
Versione 1826

初演:未上演
台本作家:ミケーレ・カラーファのオペラ「ガブリエッラ・ディ・ヴェルジ」へのアンドレア・レオーネ・トットラの台本を転用。
原作:14世紀の小説「クシの城主」、および中世の「ヴェルジ家の城主夫人の物語」
   →ピエール・ドゥ・ベロワの同名の戯曲(1777、パリ)

 この作品は1826年に作曲されたのですが、しかしこの形態では今まで一度も上演されたことがありません。そしてその後の経緯もかなり複雑です。
 まずなぜこの作品が当時上演されなかったのかと言うと、ドニゼッティがどこの劇場とも契約なしで独自に作曲したものだったからです。彼はマイールへの手紙の中ではっきり「自分の楽しみのために書いています」と述べているのです。
 既に多忙だった彼がなぜそんなことをしたのかは謎です。おそらく当時はまだ上演が難しかったロマン的色彩の濃い物語のオペラを実験的に作ろうと思ったからではないか、などと推測されています。
 ドニゼッティが目をつけたカラファのオペラ自体、実は初演当時は大変に衝撃的な作品だったものです。
 1816年の7月3日、ナポリのフォンド劇場で初演されたカラファの「ガブリエッラ・ディ・ヴェルジ」は、同じ年の12月4日に初演されたロッシーニの「オテッロ」と並んで、ヒロインが嫉妬に狂った夫に死に至らされるという18世紀中葉のイタリアオペラの流行の基礎を作り上げた作品としてオペラ史に残る作品です。そして初演も圧倒的な成功を収めました。
 かつてガブリエッラはクシ家のラウールと愛し合っていたのですが、彼が戦死したとの情報に彼女の父によってヴェルジ家のファイエルと結婚させられます。一方ラウールは囚われの身から逃走し彼女の元に戻ります。二人は愛を確かめますが、ガブリエッラは義務ゆえもう会えないと言いますが、その場をファイエルに見つかり、男たちは決闘となります。そしてフィナーレ、地下室に幽閉されたガブリエッラのもとにファイエルがやってきてラウールが死んだと伝えます。そして彼女に壷を見せます。その中にはまだ温かいラウールの心臓があったのです!!恐怖のあまり、ガブリエッラは死んでしまいます。
 なんとも凄惨なラストです。カラーファ自身、あまりの内容に初演時に自分の名前を表に出さなかったといいます。
 1826年においてもこれはまだ十分に激しい題材でした。しかし音楽の表現法も10年の間により激しいものになったので、おそらくドニゼッティはより「今日的な」音楽で「ガブリエッラ」を作りたくなったのでしょう。
 こうした事情から、結局上演されることはありませんでしたが、しかしこの作品は「二時間で八ヶ月」や「ローマからの追放者」、「パーリア」、そして「アンナ・ボレーナ」などの作品に素材を提供しています。

 この「ガブリエッラ・ディ・ヴェルジ」の話はドニゼッティの心を大変に捉えたのでしょう、彼はイタリア時代の末期の1838年に新たに作曲をし直しています。しかしこれも上演されることはなく終りました。
 またドニゼッティの死後1869年にはナポリのサン・カルロ劇場でこの曲の「初演」がなされています。しかしこれはかなり問題のある上演でした。
 それぞれ後述することにします。

Andrew,du Plessis,Arthur,Tomlinson,Davies,Winfield
Royal Philhamonic Orchestra
Francis
London,September-October,1979
OPERA RARA ORC3

 全曲収録されているのは1838年稿ですが、補遺として1826年稿の3曲を収録しています。また1838年稿の中にそのまま残されている曲もあります。


Intoroduction
1818 1819 1820-1821 1822 1823
1824 1826 1827 1828 1829
1830-1 1830-2 1831 1832 1833
1834-1 1834-2 1834-3 1835-1 1835-2
1835-3 1836 1837 1838 1839
1840 1841 1842 1843 1844
1845 appendix


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