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1828

L'ESULE DI ROMA

初演:1828年1月1日、ナポリ、サン・カルロ劇場
台本作家:ドメニコ・ジラルドーニ
原作:ルイ・シャルル・ケネス「アンドロクロス」(1804)
   →ルイージ・マルキオンニの劇「追放に処せられたローマ人」(1820、出版は1825)

 11月21日に「劇場の都合」の初演を済ますと、ドニゼッティはすぐさま次の作品の作曲に取りかかります。今度は打って変わって劇的なセリア、「ローマの追放者」です。

 第1幕、元老院議員ムレーナはかつて娘アルジェーリアの恋人セッティーミオを無実の罪でローマから追放してしまったことを後悔しています。アルジェーリアはそのことを知りません。将軍プーブリオが勝利を収め凱旋、彼はアルジェーリナを愛していますが、アルジェーリナは姿を現しません。皆が退場すると、セッティーミオが身を隠し登場。父を待つアルジェーリアがプーブリオの妻にはならないと聞くと彼は思わず飛び出してしまう。再会に喜ぶのもつかの間、セッティーミオは逮捕されてしまいます。アルジェーリアはプーブリオに正直にセッティーミオを愛していることを告げると、同情したプーブリオはセッティーミオを連れて来ます。二人は喜ぶものの、セッティーミオに死刑の判決が下ったことが伝えられます。アルジェーリアの裏切り者の正体を明かしてほしいという懇願にセッティーミオもついに証拠の書類を彼女に見せてしまいます。父が裏切り者だと知って愕然とするアルジェーリア。そこへムレーナも現れ、自分を殺してくれと頼みますが、彼の名誉を守るためセッティーミオは牢獄へと戻ります。第2幕。ムレーナは錯乱し、罪を告白することを決意します。アルジェーリアは父を止め用と証拠書を破り捨ててしまいますが、彼は出ていってしまいます。しかしムレーナは猛獣の餌食になろうとしたところを、コーサカスでかつて彼が可愛がったライオンに助けられ、皇帝も彼を許し、恋人達も結ばれます。
 ジラルドーニの台本は展開がぎこちなく、またプーブリオという役が中途半端なまま終ってしまっていたりと、あまり誉められたものでありません。

 この作品は、ドニゼッティの転換期の作品として重要な位置にあります。この作品では彼が従来のオペラの慣習から脱却しロマンティシズムを徐々に押し進めて行こうと試みている様子が感じられるのです。
 この作品の大きな特徴の一つは、重唱、それも二重唱と三重唱に大きな役目を与えていることでしょう。二つの幕にはそれぞれの中央に大きな二重唱を据えています。第1幕ではアルジェーリアとセッティーミオ(ソプラノとテノール)の、第2幕はアルジェーリアとムレーノ(ソプラノとバス)のもので、これによって父と恋人の間に挟まれ苦悩するアルジェーリアが際立つようにすると同時に、二つの幕の構成に類似性を与えています。第2幕の二重唱"Vagiva...Emilia...ancora..."は、ハープの分散和音にのって父娘が嘆く前半部分の美しさと、アルジェーリアが証拠の書を破り捨て父を引き止めるドラマティックな後半部分の対比も見事で、大変感動的です。ちなみにプリマドンナのアルジェーリアに登場のアリアがないのも当時はまだ珍しくことだったでしょう。
 一方、第1幕のフィナーレは、通常ですと大規模なコンチェルタートになるところですが、ドニゼッティはこれをアルジェーリア、セッティーミオとムレーノの三重唱にしているのです。それぞれの感情が渦巻きながら音楽として融合しクライマックスを築いていく手腕は非常に見事です。ドニゼッティ自身この三重唱には自信があったようで、マイールへの手紙の中で「三重唱で終ることは申しません。なぜならもし私が死んで母のお腹に戻りもう一度生まれたとしても、同じものは作れないだろうと皆が言うからです」と述べています。ちなみに三重唱の第1幕フィナーレという手法はおよそ4年後にベッリーニが「ノルマ」でそっくり利用しています。
 アリアでは、まず第2幕の冒頭に置かれたムレーナの狂乱の場が非常に効果的です。後にプリマドンナのための狂乱の場はドニゼッティに限らず大ブームとなりますが、バス(バリトン)のためのものは珍しいものです。これには実は前例があります。1809年にパルマ近郊のポンテ・ダッタロで(私的に)初演されたパエールの「アニェーゼ」の中にやはりバスが歌う父親が狂乱する場面があり、これがかなりの評判となっていたのです(スタンダールはこの場面を「不愉快」と述べていますが)。ドニゼッティはこの作品を1824年にローマで見ているのです。
 フィナーレは当時の慣習通りプリマドンナによるカヴァティーナ/カバレッタ形式の大アリアです。この"Ah! no! ...Tardi, tardi il piè"も素晴らしい名曲です。もっとも草案の段階ではドニゼッティはこの作品を悲劇的な結末にしようと考えていた節もあります。結局、主役がローマの追放者なため政治的に検閲がピリピリしていたので断念したようです。先に上げたマイール宛ての手紙の中でドニゼッティはこうも言っています。「来年に私は自分の意図通りに、第1幕を四重唱で、第2幕を死で終らせるつもりです」。

 初演はかなりの大成功を収め、二月を越える公演をみました。以降1830年代から40年代くらいまで各地で頻繁に上演されていました。19世紀の最後の上演は1869年のナポリでのものです。
 なおアシュブルックなど多くの筆者が、初演時に検閲からの要求で題名を「追放者 Il Proscritto」と変更されたと述べていますが、しかし実際の公演でこの題名が用いられたという確かな証拠は今のところないようです。
 長い上演の間にドニゼッティは様々に手を加えています。ムレーノが許されるのも、ライオンが彼を猛獣から守ったというものもあれば、真実を述べた勇気に皇帝ティブリウスが感動し許しを与えたというものもあります(3行ほど説明の台詞が異なるだけですが)。
 さらに重要な変更はセッティーミオのアリアの追加です。既に1828年7月12日のミラノのスカラ座での上演の際、"S'io finor, bell'idol mio"というアリアを加えています。この時の楽譜は行方不明ですが、1828年12月25日からのナポリでの再演で、高名なジョヴァンニ・バッティスタ・ルビーニに与えた楽譜が残っています。さらに10年以上も時代の下がった1840年にベルガモでの上演の際にイグナツィオ・パジーニのために書き直しており、これが現在一般に用いられています。序奏のオーボエのソロが美しいですし、アリアそのものもパリ時代のドニゼッティの充実したものですが、さすがに12年の様式的なズレがあるように思います。

Alaimo,Gasdia,Palacio, Ariostini
Orchestra Sinfonica di Piacenza
De Bernart
Savona,14.October 1986
BONGIOVANNI GB 2045/46-2

 地方劇場の公演ですのでオーケストラなどかなり荒っぽいですが、ライブならではの熱気もあり、現時点では十分満足できる演奏です。
 ガスディアの凛とした声が美しいです。アライモは立派。もう少しドラマティックな太さがあるといいのですが。パラシオもベテランの味を出していますが、調子が悪かったのか、"S'io finor, bell'idol mio"では高い声を避けてしまっていて盛りあがりません。
 若干のカットがあり。またセッティーミオのアリアをムレーナの狂乱の場の後に持ってきているのは演出の都合でしょうか?

Ricciarelli, Brewer, Bogart, Gibbs
Pro Opera Orchestra
Head
London, 18 July 1982
HRE 399 (LP)

 コンサート形式の今世紀蘇演の会場録りの音源。演奏全体とすればこちらの方がずっと低調ですが、ブルーワー(お世辞にも美声ではありませんが、高い声だけはやたらでます)の歌うセッティーミオのアリアが好調。またリッチャレッリの歌うアリア・フィナーレがなかなかに聞きものです。
 ムレーナの狂乱の場、ムレーナとアルジェーリアの二重唱、そしてセッティーミオのアリアの順番になっています。またセッティーミオが助かるのはライオンのおかげです。


L'EREMITAGGIO DI LIWERPOOL

セミ・セリア、2幕
初演:1828年3月8日、ナポリ、ヌォーヴォ劇場
台本作家:EMILIA DI LIVERPOOLの台本をジュゼッペ・ケッケリーニが改訂

 1924年の「エミーリア・ディ・リヴァプール」の改訂稿です。
 この「リヴァプールの隠れ家」では、オリジナル(17曲)から9曲を転用、それに5つ新しく作曲した曲を加えています。また台本も特に第1幕を短くまとめ直し、アスドルバーレ伯爵(=オリジナルのドン・ロムアルド)も連れている娘は姪となって、設定が簡潔になっています。
 3年半の間にドニゼッティの作曲技術は格段に向上し、したがって新しく加わった音楽が明かに効果的なことがよくわかります。特に幕切れのアリア・フィナーレ"Confusa è l'arma mia"はこの時代のドニゼッティの本領が十分発揮されていると思います。
 しかし作品の持つ根本的な問題、つまりエミーリアに格段の個性がないという点と、ハッピーエンドが余りにも唐突で不自然という点はそのままですから、どうしても弱い印象は拭えません。実際初演の評判はオリジナル以上に悪いもので、6回上演されて打ち切り、人気作「2時間で8ヶ月」の再演に変更されてしまいました。さらに10年後の1838年にやはりヌォーヴォ劇場で3回上演されています。おもしろいことに1828年の際にはLIWERPOOL1838年にはLIVERPOOLと綴りが変わっています。

 さて、この作品は1957年にリヴァプールで蘇演されました。しかし作品名を「エミーリア・ディ・リヴァプール」としているので誤解が生じています。1957年に使われた楽譜はこの改訂稿の方です。さらに、蘇演をサザランドが歌ったというのも誤りです。実際にはまず1957年6月にコンサート形式で取り上げられ、ドリーン・マレイがヒロインを歌ったのです。
 これに対して、9月にBBCからナレーションつきの抜粋が放送されました。このときのヒロインがサザランドだったのです。
 サザランドはさらにピアノ伴奏でアリア・フィナーレConfusa è l'arma miaを録音、これが彼女の初の商業用録音となったそうです。

Kenny, Mason, Mills, Dolton, Bruscantini, Merritt
Philharmonia Orchestra
Parry
London,November-December 1986
OPERA RARA ORC 8

 新しく作曲された部分の方が手が込んでいるだけ、こちらの方が聞き栄えのするような気がします。


ALINA,regina di Golconda

セミ・セリア、2幕
初演:1828年5月12日、ジェノヴァ、カルロ・フェニーチェ劇場
台本作家:フェリーチェ・ロマーニ Felice Romani
原作:

 1828年、ジェノヴァでカルロ・フェリーチェ劇場がオープンすることになり、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニそしてモルラッキの四人を招聘する計画が立てられました。このうちロッシーニだけは要請に応じませんでいたが、残る三人はジェノヴァがやってきました。つまりドニゼッティとベッリーニの直接対決が行われたわけです。
 ドニゼッティは2月28日にジェノヴァ入りしましたが、当然!のことながらロマーニの台本はまだ受け取っていませんでした。しかし今回は特別な行事ということもあってか、日程が立て込んでいなかったためいくらか余裕はあったようです。
 ベッリーニが提供したのは「ビアンカとジェルナンド」の改訂稿「ビアンカとフェルナンド」でした。これはかなりの成功を収めます。一方「アリーナ」は失敗とは言えないまでもそこそこの評判しか集められませんでした。
 とはいえ、「アリーナ」の評判が今一つだったのは、セミセリアという作品の性格にもよるでしょう。
 アリーナはプロヴァンスから海賊に連れ去られ、ゴルコンダの王妃になったもののその後国王が亡くなり、新しい王を迎えなければなりません。王座を狙うゴルコンダの貴族セイーデが最有力候補ですが、しかしアリーナはフランスで出会った若者が忘れられません。そこへフランスからの大使として現われたのが当のヴォルマール。アリーナは夫にヴォルマールを指名して大混乱に。彼女は本当の愛を確かめるためゴルコンダの国は夢だったと一芝居を打ちます。そこにセイーデの反乱が起き、それにヴォルマールが対抗し…。最後はメデタシになります。
 セミセリアですから、これに滑稽な登場人物、ここではベルフィオールとフィオリーナというカップルが絡んできます。決して場違いではないのですが、それでも作品のテンションを一段和らげていることは間違いないでしょう。
 こうしたことから「アリーナ」は本来気軽に楽しむ娯楽作品であって、その限りでは良くできている作品だと思います。特に第2幕は全体にまとまりが良く、プロヴァンスをこさえて全ては夢だったと芝居を打つ場面や、反乱を起こしたセイーデがアリーナに結婚を迫り彼女が拒否する二重唱など、どれも充実しています。
 初演時の歌手も決して一流ではなかったので、ベッリーニと対決というかたちになったのはちょっとかわいそうな気もします。
 この作品は序曲に「アンナ・ボレーナ」の序曲の主旋律があったり、第1幕フィナーレで「マーリア・ストゥアルダ」(の慣習版)の開幕の合唱(註)が聞けたりと、後の作品に使われた原型がひょろっと出てくるという点でも、ドニゼッティファンには楽しい作品です。

註 この「アリーナ」の第1フィナーレの合唱は、後に「ブォンデルモンテ」の中に転用されています。ところが、ドニゼッティの死後、1865年にナポリで「マリーア・ストゥアルダ」をナポリ初演する際、「マリーア・ストゥアルダ」にあった本来の開幕の合唱を「ブォンデルモンテ」の合唱に差替えてしまったのです。それが近年の蘇演でも踏襲されてしまったため、「アリーナ」の中に「マリーア・ストゥアルダ」の音楽が聞こえるようになってしまったのです。実際にはドニゼッティは、この賑やかで陽気な合唱を「マリーア・ストゥアルダ」に使いまわしてはいません。

Dessi,Tabiadon,Blake,Coni,Martin,Bertocchi
Orchestra Sinfonica dell'Emilia Romagna "Arturo Toscanini"
Allemandi
Ravenna,15-17 July 1987 NUOVA ERA 6701

 デッシが非常にしっかりとした歌を聞かせてくれます。コーニも個性は余りないなりに十分。敵役ブレイクも悪くないですが、ロッシーニに比べると彼独特のクセが気になります。指揮のアッレマンディが見事で、楽しめる演奏となっています。


GIANNI DI CALAIS

(セミセリア、2幕)
初演:1828年8月2日、ナポリ、フォンド劇場
台本作家:ドメニコ・ジラルドーニ Domenico Gilardoni
原作:

 5月19日にジェノヴァを離れたドニゼッティはローマを目指します。いよいよヴィルジーニャとの結婚です。
 6月1日、二人はサンタ・マリーア・イン・ヴィア教会で式を挙げます。数日後には二人してナポリへ向かいます。新婚旅行ではありません。ガエターノの仕事のためです!
 この「ジャンニ・ディ・カレ」はナポリでは15回上演され、そこそこの成果を収めました。
 ちなみにこの後、ドニゼッティはバルバイヤからナポリの主用歌劇場の監督に就任するよう要請されています。


Intoroduction
1818 1819 1820-1821 1822 1823
1824 1826 1827 1828 1829
1830-1 1830-2 1831 1832 1833
1834-1 1834-2 1834-3 1835-1 1835-2
1835-3 1836 1837 1838 1839
1840 1841 1842 1843 1844
1845 appendix


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