オペラ御殿 メインメニュー戻る
1830-2

ANNA BOLENA

初演:1830年12月26日、ミラノ、カルカーノ劇場
台本作家:フェリーチェ・ロマーニ
原作:

ドニゼッティが体調不良から回復し「イメルダ」の作曲に取り組んでいた1830年の7月頃、この年のカーニヴァル・シーズン用の新作の依頼がドニゼッティに舞い込みます。ミラノからでしたが、しかしスカラ座ではありません。より優れたオペラ興行を目指した貴族たちによって運営されていたカルカーノ劇場からのものでした。
 カルカーノ劇場のこのシーズンにはジュディッタ・パスタとジョヴァンニ・バッティスタ・ルビーニが参加しており、彼に冷淡な(そしてベッリーニを熱烈に歓迎している)ミラノに彼の実力を見せつけるためにも絶好の機会だったわけです。そしてこれが「アンナ・ボレーナ」を作曲する機会となりました。ドニゼッティは8月1日に正式に契約に署名しています。
 「イメルダ」の初演が済むとすぐにドニゼッティはヴィルジーニャを連れてローマに赴きます。ここで彼女を実家に預けると(旅費がかさむため)、彼はまずボローニャ経由で10月10日、久々に故郷ベルガモに戻っています。ここで両親やマイール、昔の仲間達との再開を楽しんだ後、いよいよミラノに行きます。
 この後ドニゼッティがどう「アンナ・ボレーナ」を作曲したかについては、本当のところは良く分かっていません。一般的に言われているのは、フェリーチェ・ロマーニがドニゼッティに11月10日に台本を引き渡し、それを携えて彼はジュディッタ・パスタのコモ湖畔の別荘に引きこもって、彼女の意見を組みながら作曲に没頭、というものです。この辺りのことはいささか伝説になっていますので、作曲に関わる資料が発見されないと正確なことは言えないでしょう。

 英国王エンリーコ(バス)の妃アンナ(ソプラノ)は国王の帰りを待っています。アンナは楽士スメトン(アルトの男装役)に歌を所望しますが、初恋を歌った歌詞に動揺し、歌を遮って苦悩します。彼女は侍女ジョヴァンナ(メッゾ)に玉座に目が眩むことのないよう諭しますが、実はそのジョヴァンナはエンリーコの新たな愛人だったのです。一人残ったジョヴァンナのもとにエンリーコが現れ、アンナを離別するとほのめかします。一方、かつてのアンナの恋人、ベルシ(テノール)が追放から赦免されロンドンに戻って来ます。とりなしをしてくれたアンナの手に彼が接吻するのを見て、王は疑いの目を向けます。密かにアンナを慕うスメトンは、黙って持ち出したアンナの肖像画を返そうと彼女の部屋に忍び込んだところ、アンナとベルシーが現れ隠れます。昔の愛を思い出させようとするベルシーにアンナは拒絶、絶望したベルシーが短刀を胸に突き刺そうとするので、思わずスメトンが飛び出てしまいます。そこへ国王が。国王はアンナを裁判にかけると宣告。監禁され悲しむアンナのもとにジョヴァンナがやって来て、王と離婚すれば命は救われると伝言します。毅然と拒否するアンナに、ジョヴァンナはついに王の愛人であることを告白。アンナは怒りつつも、彼女を許します。一方、国王はスメトンから偽証を引きだし、アンナとペルシを死罪とします。ジョヴァンナの恩赦の申出も聞き入れられません。ついにアンナは正気を失ってしまいます。彼女と共に死を選んだ彼女の兄とペルシに詫びると、遠くから新しい妃の決定を祝う音楽が聞こえ、彼女は夫婦を呪い、倒れて息を引き取ってしまいます。

 ヘンリー8世と彼の妻を巡る史実については少しスペースを割いても良いでしょう。
 英国王ヘンリー8世(1491-1547)が6人の妻をめとったことは歴史上有名です。そのうち政治がらみで重要なのが最初の3人です。
 第一妃のキャサリン・オヴ・アラゴンはスペイン王家の出身。本来はヘンリーの兄アーサーの妻でした。これは兄弟の父であるヘンリー7世の政略によるものでした。アーサーとキャサリンは幼くして婚約、その後結婚させられました(アーサー14歳、キャサリン16歳)が、ところがアーサーが結婚後半年で亡くなってしまいます。紆余曲折の後、1509年にキャサリンはヘンリーの妻に収まります。しかしキャサリンは子供には恵まれず、男子二人を含む5人を死産、結局メアリーだけが育ちます。
 女子の王位継承権がなかった時代だったので、1527年にヘンリーはキャサリンと離婚を画策します。彼が取った手は、何とキャサリンとの結婚が無効だった、という乱暴なものでした。離婚を認めないローマ・カトリックが異を唱えると、首長令を発し自ら英国国教会の首長を宣言、ローマ教会と絶縁します。そして1533年、ヘンリーはキャサリンの侍女だったアン・ブーリンと結婚します。ヘンリーは男子を期待しますが、しかし生まれたのは女の子でした。彼女が後のエリザベス1世です。アンは今度は男子を身ごもるも流産。ヘンリーの寵愛を失います。
 するとヘンリーはアンの侍女ジェーン・シーモアと関係を持ちます。アンの流産から4ヵ月後、ヘンリーはアンと彼女の兄ジョージ、四人の宮廷の人々を逮捕、強引にアンが不貞を働いていたと自白させ、アンを断頭台で処刑してしまいます。そのわずか10日後にヘンリーはジェーンと結婚しています。1年と少し経って、ジェーンは1537年にヘンリー待望の王子を生みます。しかしジェーンはその12日後に産褥熱で亡くなってしまいます。後年ヘンリーが亡くなった時、彼はジェーンと同じ墓に埋葬されています。

 ドニゼッティについての記述を見ていると時折、ドニゼッティは1830年に「アンナ・ボレーナ」で突如一流の作曲家に変貌したかのように描かれていることがあります。しかしかなり偏った見方です。ドニゼッティは1820年代末までに大いに成熟し作曲技法を高め、魅力のある曲を作る力をつけていました。個々の曲では「アンナ」の音楽に匹敵するようなものは既にあちこちに現れていたのです。そしてその力量が遺憾なく発揮できた最初の作品が「アンナ」だったということはできるでしょう。そういう意味では「アンナ・ボレーナ」は、ウィリアム・アシュブルックも指摘する通り、ドニゼッティの新たな出発点というよりは、それまでの集大成だといえるでしょう。
 「アンナ」でドニゼッティが本領を発揮できたのにはいくつかの理由があります。既にドニゼッティの作曲技量は十分高かったわけですから、後はドニゼッティを駆り立てる原動力が必要でした。
 その第一はロマーニの台本でしょう。長い目で見ればドニゼッティとはあまり良い協力関係を築けなかったロマーニですが、しかしこの「アンナ」はドニゼッティのインスピレイションを噴出させるに十分な熱気を持ったものです。権力に愛と名誉を押し潰されていくアンナに対してロマーニは単に犠牲者として哀れむばかりではなく、彼女に気高い意志を与えることによって、自らの潔白を主張し続け、裏切りの恋敵を許し、しかしその過酷さの激しい軋みについには狂乱に陥る、という強さともろさを同時に与えているのです。この点、ヒロインが単に苦しい状況から脱出できず正気を失うといったタイプの狂乱のオペラとは一線を画しています。ドニゼッティは、後の「マリーア・ストゥアルダ」の時もそうですが、こうした意志をもって運命に立ち向かいそして死に至るヒロインに対しては大変に共感をもって作曲をしています。
 もう一つは、ジュディッタ・パスタから助言が得られたことです。ドニゼッティは「アンナ」の作曲にぴったり一月費やせしています。作品の規模を考えればこれは決して長い時間とは言えないでしょうが、しかしドニゼッティにとっては完成させた楽譜に念入りな推敲を加えるには十分な時間でした。自筆稿にはおびただしい修正の後が残っており、ドニゼッティが相当に苦労したことが覗えます。この「アンナ」に関しては、自分の持てる技巧を遺憾なく発揮する上で貴重な時間を費やすことができたといえるでしょう。

 さて、台本に興奮した時のドニゼッティの音楽には必ずと言って良いほど彼が没入して作曲したドラマへの強い踏みこみが感じられます。  「アンナ」で第一に挙げなくてはならないのは、まずは狂乱の場であるアンナのアリア・フィナーレ、"Al dolce guida mi castel natio"です。このアリアは、15番の合唱を導入とした上で、2/4 Fの"Al dolce guida mi"、2/4 Gの中間部"Cielo, a'miei lunghi spasimi"、そして4/4 Esの"Coppia iniqua"と三つからできています。通常の緩−急の二つの部分に中間部を加えたようなもので、そのなかでアンナの様子が刻々と変化していくため複雑な陰影をつけることに成功しています。それだけに歌手にとっては大変な曲です。
 第1幕のアリア"Come innocente giovane"は、おそらく後からつけたされたもので、まとまり良く作られた美しいもの。
 「アンナ」には他にもペルシ(第1幕と第2幕に一つずつ)とジョヴァンナ(第1幕早々の短いソルティータと第2幕にもう一つ)、さらにスメトンにそれぞれアリアがありますが、あまり重要なものでもありません。むしろ重唱に聞き応えのあるものが多くあります。
 第2幕のジョヴァンナとアンナのニ重唱"Sul suo capo aggravi un Dio"は、二重唱とはいっても二人が並行するのは最後の僅かな部分だけになっており、二人の女性のぶつかり合いが際立っています。ドニゼッティはジョヴァンナが恋敵と分った時のアンナの反応だけでも四回も書き直すほどアンナの感情にこだわっています。
 第1幕のジョヴァンナとエンリーコの場面は、エンリーコの冷ややかな性格をよく表しています。
 しかしなんといっても第1幕のフィナーレでしょう。この部分はまずアンナとよりを戻そうとするペルシとのニ重唱、ジョヴァンナ、スメトン、ロシュフォール、エンリーコを加えた六重唱(この二つの部分は独立したDuettoとして番号を与えられていますが、明かにフィナーレの前半部分になっています)、さらにエンリーコがアンナを裁判に出すと告げて以降のコンチェルタートから構成されています。この中でアンナはどんどん悪い状況に負いこまれ、やがて気を失ってしまい、そして烈火のごとく怒ります。この変化は大変にダイナミックで、存在感のあるプリマドンナが歌うとグイグイとドラマの中へ引き込まれてしまいます。

 12月26日の初演にはパスタの歌うアンナとルビーニのペルシ、さらに天下の名バス、フィリッポ・ガッリのエンリーコと極めて豪華な顔ぶれが揃いました。結果は大成功。ミラノはドニゼッティの実力を改めて十分に見せつけられたのです。  「アンナ」の評判はすぐに広まりました。特にイタリア以外の大都市での上演は驚くほど早いものです。例えばナポリではサンカルロ劇場で1832年7月6日に行われたのに対し、ロンドンでは一年も早く1831年7月8日、女王劇場で、パリのイタリア劇場では同じ年の9月1日に上演されています。このロンドンとパリの公演は、ドニゼッティが英国とフランスに紹介された初めての機会だったといわれています。同様に「アンナ」は合衆国においても初めて上演されたドニゼッティの作品です(ニューオリンズ)。
 ドニゼッティの師マイールもこの成功を喜び、これ以降彼の一番弟子を「マエストロ」と呼ぶようになります。

Anna Bolena and the artistic maturity of Gaetano Donizetti
Philip Gossett
Oxford University Press, 1985
183 p.

 ロッシーニの権威として名高いフィリップ・ゴッセット教授の「アンナ・ボレーナ」についての研究書。「アンナ」を極めたいなら必読の本です。英文。

 さて、現代における「アンナ」の不幸な復活については一言申せざるをえません。
 1870年代を最後にイタリアでの「アンナ」の上演は途絶えます。
戦後の1956年、生地ベルガモで復活蘇演が行われます。この時のキャストはニ流であまり注目するものでもありませんでしたが、この公演を受けて翌1957年にスカラ座で超一流のキャストでの上演が実現します。マリア・カラスのアンナ、ジュリエッタ・シミオナートのジョヴァンナ、ジャンニ・ライモンディのペルシ、ニコラ・ロッシ−レメーニのエンリーコですから、成功しないほうが不思議なほどです。
 この時の上演の中心人物で公演の指揮も取ったのが、ジャナンドレア・ガヴァッゼーニです。ドニゼッティと同じベルガモ生まれの彼はドニゼッティを敬愛していたというのですが、しかし楽譜に対しての敬意というものはあまりなかったようで、スカラ座の歌唱指導者アントーニオ・トニーニらと共に「アンナ」の楽譜をズタズタにしてしまったのです。
 下に、「アンナ」代表的な録音におけるカットの入れ方をにしてみました。1957年のスカラ座の公演では実に3割がカットされていたことがわかります。
 しかし問題なのはカットの比率だけではないのです。その入れ方、作品に手を加える姿勢なのです。
 カットというものは無論ないにこしたことはないのですが、実際の上演において歌手の負担を軽減させるためにはやむを得ない場合があります。特に歌手の力量が明らかに劣っている場合は考慮する必要があるのは事実です。
 しかしやむを得ずカットを入れる際は、曲の様式を尊重し、作品が本来持っている構成を歪めることのないよう極力慎重に行う必要があるはずです。
 しかし、スカラ座の超一流歌手を相手にしながらも、ガヴァッゼーニは驚くほど多数の大きなカットを入れています。それ自体かなり問題な程度まで手を入れていますが、しかもそれに飽きたらず、実につまらないカットを、別にカットを入れなくてもすむような数小節の細かいカットを多数入れているのです。これは非常に問題です。
 例えば第1幕のアンナのアリアの後半、モデラートの部分で、オーケストラの前奏9小節をカットしています。歌の旋律を前もって提示するのは冗長だというわけなのでしょうが、これを取り去ることでアンナの内面の心の動きから余裕を取り去ってしまい展開を窮屈にしてしまっていることに気がつかなかったのでしょうか。また調性のねじれもお構いなくカットを入れているところもあります。こうした例は枚挙に暇がありません。
 それ以外にも言葉の変更や入れ替え、さらには帳尻を合わせるための勝手な音符の追加など、楽譜を見ながら聞いていくと、ガヴァッゼーニの恣意的で傲慢な、愛情に欠けたやり方には、ドニゼッティを愛する一人として怒りを禁じえません。
 困ったことに、このスカラ座での上演は後の多くの上演で踏襲されることとなってしまいました。地方公演ならいざ知らず(実際、さらに多いカットも見受けられます)、大劇場まで平気でズタズタの楽譜のまま上演しているのです。知らずに聞けばドニゼッティがそう書いたと思われるわけですから、ドニゼッティにとっては何とも不名誉なことです。
 とにかく、このスカラ座で使用された楽譜では、「アンナ・ボレーナ」という傑作の本当の魅力は完全には伝わらない、ということは断言できます。
 近年、実際の上演でもようやく作品の本来の姿を尊重した上演が増えつつあるのはうれしいことです。

「アンナ・ボレーナ」の録音にみられるカットの状況
曲番号
スカラ座ライブ
1957
DECCA録音
1968
ABC録音
1972
DECCA録音
1986
ナイチンゲール録音
1994
ドニゼッティ劇場ライブ
2000
 シンフォニア

288
全てカット

288小節(100%)
 
第1幕第1番
導入

81
60-69(10)

10小節(12.3%)
 
第2番
ソルティータ
ジョヴァンナ

27
 
第3番
シェーナとロマンツァ、カヴァティーナ
アンナ

268
註1
68-87(20)
117-121(5)
149-157(8)
184-227(44)
237-252(16)

93小節(34.7%)
117-121(5)
  237-250(14)

14小節(5.2%)
第4番
シェーナと二重唱
ジョヴァンナ、エンリーコ

391
131-170(40)
269-274(6)
299-316(18)
350-375(26)
380-381(2)

82小節(21.0%)
    301-318(18)
350-375(26)

44小節
第5番
シェーナとカヴァティーナ
ペルシ

293
98-125(28)
191-196(6)
223-284(62)

96小節(32.8%)
    98-125(28)
223-266(44)
274-284(11)

83小節(28.3%)
第6番
シェーナと五重唱

350
136(1)
264-284(21)

22小節(6.3%)
    251-284(34)
321-334(14)

48小節(13.7%)
第7番
シェーナとカヴァティーナ
ズメトン

158
16-19(4)
48-142(95)
157-158(2)

101小節(63.9%)
    87-129(43)

43小節(27.2%)
第8番
シェーナと二重唱
アンナ、ペルシ

474
170-175(6)
203-208(6)
212-221(10)
251-291(41)
296-309(14)

77小節(16.2%)
    259-282(24)
296-301(6)

30小節(6.3%)
第9番
第1幕フィナーレ

254
64-97(34)
216-233(18)

52小節(20.5%)
   
第2幕第10番
導入

140
55-56(2)

2小節(1.4%)
   
第11番
シェーナと二重唱

357
175-180(6)
309-310(2)
319-322(4)
331-338(8)
343-348(6)
註2

26小節(7.3%)
    175-178(4)
309-310(2)
331-338(8)
346-348(3)

17小節(4.8%)
第12番
合唱、シェーナと三重唱
アンナ、ペルシ、エンリーコ

603
92-96(5)
219-266(48)
301-302(2)
321-351(31)
360-390(31)
461-528(68)
535-576(42)

226小節(37.5%)
    219-266(48)
323-349(27)
360-390(31)
461-528(68)

174小節(28.9%)
第13番
シェーナとアリア
ジョヴァンナ

309
146-193(48)
198-201(4)
210-217(8)
242-285(44)
295-298(4)

108小節(40.0%)
    146-193(48)
198-201(4)
242-285(44)
295-298(4)

100小節(32.4%)
第14番
シェーナとアリア

202
全てカット

202小節(100%)
    4-26(23)
180-190(11)

34小節(16.8%)
第15番
合唱

103
   
第16番
シェーナとアリア・フィナーレ

450
139-142(4)
271-323(53)
332-335(4)
422-423(2)
430-437(8)
445-446(2)

73小節(16.2%)
   
総小節数4748に対するカットの小節数とカットの割合 1455小節(30.6%)   カットなし(0%)   587小節(12.4%) カットなし(0%)
註1
現行のリコルディのスパルティートでは、小節番号を打つに当って229-237小節のリピートを勘定にいれていません。したがって、譜面上の238小節以降は実際には9加えた数になります。全体の小節数も見掛上259に9加えて268小節となっています。
註2
353-354小節を繰り返すようにして2小節付加しています。

(修正 29.January 2002)

Sills,Plishka,Verrett,Burrows,Lloyd,Kern,Tear
London Symphoniy Orchestra
Rudel
London,August 1972
MILLENNIUM CLASSICS MCD 80355

現状では最も楽譜に忠実な録音です。カットもなく、歌の省略も細かい点を除けばほとんどありません。
 シルズはドニゼッティのヒロインを得意にしていましたが、ここでのアンナは少々泣き節が多く、ドニゼッティが描こうとしたアンナ像とは大きなズレを感じます。ヴァーレットも同様。
 ルーデルの引き締まった指揮が見事。

Theodossiou, Ganassi, Sartori, Papi, Prina, Battaglia
Orchestra I Pomeriggi Musicali di Milano
Severini
Bergamo, October 2000
Dynamic CDS 370/1-3

これも譜面上はっきりしたカットはありません。幕切れのスメトン、ペルシ、ロシュフォールの一節が歌われていませんが、目くじらを立てるほどのものではないでしょう。事実上ノーカットといって良いと思います。
 テオドッシュウのみっちりした声が楽しめます(ところどころややもたつくのが気になりますが)。それ以上にガナッシのジョヴァンナが実に高水準で申し分ありません。しかしペルシを歌うサルトーりはまるで冴えません。

Gruberova,Ziegler,Palatchi,Bros
Orchester des Ungarischen Rundfunks und Fernsehens
Boncompagni
Wien,28 November & 1 December 1994
NIGHTINGALE NC0 70565-2

グルベローヴァが実に好調で、とりわけ最後の"Coppia iniqua"は強烈です。ただし彼女にとってはアンナ役は全体に音が低かったようで、多くの箇所でオクターヴや5度上げて歌っており、アンナの暗い色彩は大分失われてしまっています。
 ボンコンパーニの指揮もいつもながら素晴らしいものです。

Souliotis, Horne, Alexander, Ghiaurov, Coster, Dean
Wiener Opernorchester
Varviso
Wien, August 1968, August-September 1969
LONDON 455 069-2

初のスタジオ録音。スリオティスは最初のアリアがとんでもなく不調で驚かされます。それ以外はもう少しましとはいえ、高音域が常にかすれて音程も不安定で、何とも聞き辛いものです。ホーンはなぜか重ったるく、ギャウロフは若々しい声は良いとしても歌い方がさっぱりこの時代のオペラとは異質です。

Sutherland, Mentzer, Hadley, Ramey, Manca di Nissa, Gavazzi
Orchestra and Chorus of Welsh National Opera
Bonynge

LONDON 421 096-2

Callas,Rossi-Lemeni,Raimondi,Simionato
Orchestra del Teatro alla Scala di Milano
Gavazzeni
Milano,14 April 1957
VERONA 27090/91

スカラ座での伝説的公演の記録。先に述べた通り、相当に問題のある楽譜の扱いをしています。
 カラスのアンナは、ルチアとは異なりずっと役柄に近いものとはいえ、しかし妙に強い表現が続くので疲れます。またこの初日の公演はまだ彼女自身完全とは言えず、所々不安定です。後の公演ではもっと素晴らしかったとも伝えられており、エンリーコがチェーザレ・シエピに替ってからの公演(ロッシ−レメーニはまるでいい加減な歌い方ですので)の録音が残されていないのはなんとも残念です。
 大分はしょっているとはいえ、ライモンディの情熱的な歌は気持ちいいものです。


ANNA BOLENA con duetto rifatto


 「アンナ・ボレーナ」の公演が進む中で、ドニゼッティはいくつかの書き直しをしています。細かい部分もありますが、大雑把に言うと三つの変更があります。

 第一に、第1幕の導入部分を手直ししたこと。いくらかカットを加え、また、既に述べたように、アンナのアリア"Come innocente giovane"を加えています。
 第二に、第1幕フィナーレの最初にあたるアンナとペルシの二重唱を全面的に書き直した"Sì, son io che a te ritorno"に差替えています。
 第三に、第2幕のアンナ、ペルシとエンリーコの三重唱のカバレッタを改訂しています。

 これらのうち、とりわけ差替えられた二重唱"Sì, son io che a te ritorno"は注目に値します。オリジナルが簡潔な二部構成をとっていたのに対し、この差替えの二重唱では伝統的な三部構成が用いられてます。この第3部は「イメルダ・デ・ランベルタッツィ」の第1幕のイメルダとボニファーチョの二重唱のうちの"Restati pur... m'udrai"を、歌詞はほとんどそのままに、移調するなど手直して転用しています。

 二つの二重唱を比べれば、差替えられた方が著しく保守的なものだということはすぐに分るでしょう。オリジナルの方がドニゼッティらしい熱っぽさで優っています。
 なぜドニゼッティがこうした差替えをしたというと、ベッリーニの音楽を好んでいたミラノの聴衆にはオリジナルの二重唱があまり歓迎されなかったからだと考えられます。ドニゼッティが音楽的な配慮をした、というところでしょう。

 この差替え二重唱に関しては、フィリップ・ゴッセット著の"Anna Bolena and the artistic maturity of Gaetano Donizetti"(Oxford University Press)で詳細に検討されていますし、またミヒャエル・ヴァルターの「オペラハウスは狂気の館」(春秋社)でも触れられています(255/257ページ) 。  この部分は現在リコルディのスパルティートにも収められており(フィリップ・ゴッセットの校訂)、オリジナルと比較するとおもしろい発見があります。

(修正 29.1.2002)

Miricioiu, Blake
Philharmonia Orchestra
Parry
London, September 1996 and July 1998
OPERA RARA ORR 207

オペラ・ラーラのドニゼッティ・アルバム。今のところ"Sì, son io che a te ritorno"が聞けるディスクはこれが唯一ではないでしょうか。
 ただしこの録音で使用されている楽譜は、パトリック・シュミットが1970年代初頭にシエナで発見した手稿譜に基づいており、リコルディのスパルティートと比べると、第3部が全く違う(「イメルダ」から転用された音楽ではない)ものです。


Intoroduction
1818 1819 1820-1821 1822 1823
1824 1826 1827 1828 1829
1830-1 1830-2 1831 1832 1833
1834-1 1834-2 1834-3 1835-1 1835-2
1835-3 1836 1837 1838 1839
1840 1841 1842 1843 1844
1845 appendix


ドニゼッティ御殿目次

オペラ御殿 メインメニュー戻る