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1839



 ドニゼッティはイタリアを離れ、1838年10月21日パリへとやってきました。これは一時的な滞在ではなく、パリに腰を据え本格的に活動するためでした。
 ドニゼッティがナポリを離れたのは「ポリゥート」でのごたごたに嫌気がさしたと言うようなものではありません。もし単にあの一件だけが原因なら「マリーア・ストゥアルダ」の時にドニゼッティはとっととよそへ行っていたでしょう。上演のトラブルだけであれば彼はなんとかやりぬいて行けたはずです。
 しかし、今回はあまりにも彼にとって悪い状況が重なりすぎていました。  まず、ナポリ音楽院の学長の問題がありました。ドニゼッティは既に作曲の教授として任命された時から将来の学長を約束されていたのですが、しかしこれが反故になってしまったのです。理由は単純で、当時やはり有名だったオペラ作曲家で、学長のもう一人の候補者だったサルヴァトーレ・メルカダンテがナポリ近郊の生まれであるのに対し、ドニゼッティが北部ロンバルディアの生まれだったからです!
 もっともドニゼッティにとっては、「マリーノ・ファリエーロ」以来、大都会パリへ本格的に進出することをずっと考えていましたから、学長の件もズルズルと引き伸ばすことなく身を引き、パリへ行くことにしたのでしょう。
 しかしパリはドニゼッティにとって決して過ごしやすい街ではありませんでした。彼は幾度となくナポリに帰りたいとこぼしていたそうです。ナポリにはまだアパートをそのままに残してありました。しかし彼が実際にナポリに戻ったのは


ROBERTO DEVEREUX Version Paris 1838

初演:1838年12月27日、パリ、イタリア劇場

 イタリア座では既に1837年暮に「ルチア」が上演され、大変な人気を博してしました。したがって、ドニゼッティがパリに来たの初めての仕事が、この劇場でナポリ時代の作品を上演することだったのは当然のことでした。そして1年ちょっと前に初演したばかりの「ロベルト・デヴリュ」が選ばれたのです。
 この上演に向けドニゼッティはいくつかの改訂を施しています。第一にGod save the Queenを引用した有名な序曲を加えています。第二に、サーラの登場のアリア"Alla'afflitto è dolce il pianto"を、歌詞はそのままで音楽を全く別のものニしています。第三に、第2幕のエリザベッタとノッティンガムの二重唱のカバレッタに手を加えています。そして第四に、第2幕の幽閉されたロベルトにカヴァティーナ/カバレッタ形式の大アリアを与えています。このアリアは序曲とテーマの関連性が持たれています。
 今日ではこのパリでの改訂が多く取り入れられています。ただしサーラのアリアだけは改訂後の音楽はすぐにオリジナルのものに戻ってしまっています。オリジナルのものは陰影が付けられているとはいえ長調でいささか型通りのもの。一方パリ稿のものは短調でかなり暗くドラマティックになっています。音楽的にはパリ稿のアリアの方が優れているように思えるのですが、ほとんど歌われることはありません。パリでのサーラ役のエンマ・アルベルタッツィはコントラルトで、当然改訂後のアリアも低い音域で書かれています。ソプラノではこのアリアでは音が低すぎるでしょうし、かといってサーラをコントラルトで歌わせるとオペラ全体のカラーが変わってきます。結局、アリアを取るよりも、サーラをソプラノ(ないしはメッゾ・ソプラノ)で歌わせる方を選んだのでしょう。
 パリでの上演は、ジューリア・グリージのエリザベッタ、ルビーニのロベルト、タンブリーニのノッティンガム、エンマ・アルベルタッツィのサーラという強力なキャストでした。しかし聴衆の方は「ルチア」のようなプリマドンナが華やかに活躍する作品を期待していたようで、「ロベルト」の力強い音楽には冷淡な反応しかなかったようです。

Bernardini,Gruberova,Ziegler,Kim
Orchestre Philharmonique de Strasbourg
Haider
Strasbourg,19-23 March 1994
NACHTINGALE NC 070563-2

今のところこれが代表的な録音となるでしょう。

Carreras,Caballe,Marsee,Sardinero
Rudel
Orchestre du Capitole de Toulouse
Aix-en-Provence,30 July 1977
GALA GL100.528

 カレラスのロベールトが大変魅力的です。カバリエは珍しくヒステリックなほど表情をつけてます。
 ルーデルの指揮が大変ダイナミックで聞かせてくれます。

Elkins
Philharmonia Orchestra
Judd
London,January 1979
OPERA RARA ORC 4

 第1幕のサーラのアリア"Alla'afflitto è dolce il pianto"の改訂稿を収録しています。


L'ELISIR D'AMORE Version Paris 1839

初演:1839年1月17日、パリ、イタリア劇場

 ドニゼッティはこの後1839年月17日に同じイタリア座で今度は「愛の妙薬」を上演しています。このオリジナルはオーベールのオペラコミークで、これもパリでは大変に人気のあった作品だったのですが、しかしそれでもドニゼッティの「愛の妙薬」は大成功を収めました。
 この時の上演にドニゼッティは、アディーナにアリア、アディーナとベルコーレの二重唱、さらにベルコーレの新しいカヴァティーナを追加したそうです。

Sutherland,Pavarotti,Cossa,Malas,Casula
English Chamber Orchestra
Bonynge
London,1&June 1970
LONDON(DECCA) F64L-50233/4 (414 461-2)

 追加されたアディーナのカバレッタを加えています。
 ボニングの指揮にイチャモンはつけたくもなりますが、脳天気なパヴァロッティとお高くとまっているサザランドは、両役の一つの規範を示しているように思えます。


LUCIE DE LAMMERMOOR

初演:1839年8月6日、パリ、ルネサンス劇場(サル・ヴォンドゥール)
台本作家:カンマラーノの台本をアルフォンセ・ロワイエとギュスターヴ・ヴェスが翻訳、改訂。

 1835年9月26日、ナポリで初演された「ルチア」は初演後瞬く間に人気作となり、イタリアのみならずヨーロッパの各地で上演されました。
 当時の最も重要な都市であるパリでは、1837年12月12日に、イタリアオペラを上演するイタリア劇場で基本的にオリジナル通りの形態で上演されます。この時は初演の時のルチア、ファンニ・タッキナルディ−ペルジャーニがヒロインを再び歌い(彼女のパリ・デビューだったそうです)、大成功を収めました。
 この成功はドニゼッティのパリ移住を強く刺激する、大変重要なものとなりました。

 さて、パリにやってきたドニゼッティは1839年にパリのルネサンス劇場のために「ルチア」のフランス語版を制作します。これが「リュシ・ドゥ・ランマームール」です。
 この「リュシ」は、単に言葉をフランス語に訳しただけでのものではなく、アルフォンス・ロワイエとギュスターヴ・ヴェスが台本を多くの部分で手直ししており、話の大筋に相違はないものの、細部ではかなりの変更があります。

第1幕
スコットランドのレーヴェンスウッドの城内。猟師たちが不審者を捜しに出かけます。城主アンリ・アシュトンはジルベールに、リュシを王族の一員であるアルチュールと政略結婚させようと思う、しかしリュシはアシュトン家の宿敵であるエドガール・レーヴェンスウッドを愛していること語ります。ジルベールが二人の密会について報告すると、アンリは怒りに震えます。男たちが戻りエドガールを見かけたことを報告、アンリは復讐を誓います。そこへアルチュールがやって来ます。彼はリュシがまだエドガールを愛しているか心配しています。アンリは、既にリュシはエドガールをはねつけたと偽ります。アルチュールは安心し、彼の伯父がエドガールをフランスに使節として行かせたことを話します。エドガールを捕まえようというジルベールに、アンリは行かせておけと指示、全員は狩に出かけます。一人残ったジルベールのところにリュシが現れます。ジルベールはこちらでは見張りを務めるのです。泉のほとりで彼女は二人が束縛されずに愛し合うことができたらと嘆きます。エドガールが現れます。しかし彼は明日からフランスへ行かなくてはならなくなったと告げ、リュシは悲しみます。彼はアシュトン家との和解を望みますが、リュシは二人の仲は秘密にすべきだと主張します。父を殺され一切を奪われたエドガールは復讐の誓いを思い出します。リュシは自分がアンリの妹であることを思い出して欲しいと懇願します。愛の証に二人は指環を交換し、名残を惜しみながら分かれます。
第2幕
ジルベールはアンリに、フランスでエドガールにリュシが不実であると信じこませたことを報告します。ジルベールは、寝ているエドガールから指環を奪い写しを作り、アンリはこれを利用してリュシを結婚に同意させることにします。リュシが登場、アンリは改めてアルチュールとの結婚を彼女に迫ります。彼女が拒むと、指環を彼女に示し、リュシはついにエドガールが彼女を捨てたと思いこみ、涙に暮れます。大広間に大勢の人が集り、アルチュールを歓迎します。彼は見かけたリュシが涙をこぼしているのを訝しげますが、アンリは最近亡くなった母のためだととりなします。リュシが現れ、ためらいながらも結婚契約書に署名をしてしまいます。そこへエドガールが飛び込んできます。一同に緊張が走ります。剣を交えようとする男たちをレイモンが必死に止めます。エドガールはレイモンから結婚契約書を見せられ、君の名前なのかと彼女を問い詰めます。はいと答えるルチーアにエドガールは自分の指環を投げ捨て、彼女に与えた指環を奪い取り、そして罵倒します。一同大混乱となります。
第3幕
ジルベールがアンリに、見知らぬ男が訪問していると告げます。現れたのはエドガール。アンリはまもなくリュシは新床に向うとエドガールを挑発します。エドガールはアンリに決闘を申込み、二人は墓地で戦うことにします。一方レーヴェンスウッドの城では祝宴の真っ只中。そこに青ざめたレイモンがよろめき現れ、リュシが新床でアルチュールを刺殺したことを知らせます。皆は慄きます。リュシが現れます。純白の衣装を血に濡らし、髪は乱れ、完全に正気を失っています。彼女はエドガールを呼び求め、彼と結婚の儀式を受けているかのように振るまいます。アンリが駈けつけますが、リュシはこの世を捨て天国へ行きたいと狂乱します。一方、墓地で待つエドガールただ死を望むばかり。そこへレーヴェンスウッドの城から出てきた人々が、アンリは来ない、リュシは死にかけている、そして彼に誠実であったと知らされます。現れたレイモンが彼女は既に死んでしまったと告げると、エドガールは後を追って自害します。

 あらすじから分かるように、ジルベールというテノール役がかなり重要な存在となっています。この役は、オリジナルのノルマンノを拡大したような策謀の人物になっています。ただ、ジルベールは狂乱の場には全く登場せず、そのため途中でフッと消えてしまうような印象となっています。
 このジルベールに食われて、レイモン(=ライモンド)の役割は大幅に後退しています。オリジナルにあったルチアに結婚承諾を説得するアリアはなくなり、六重唱になってようやく登場しています。そのためどういう役なのかよく分からなくなっています。
 ルチーアの侍女、アリーザは「リュシ」では全く姿を現しません。結果としてこのフランス語版ではリュシが唯一の女性のソロ歌手となっています。
 アルチュールは第1幕から登場し、アンリがリュシと彼を政略結婚させようとする意図がよりはっきりしています。ただ、オリジナル同様、音楽的には重要な曲は与えられていません。


「リュシ」の音楽の構成は次のようになっています。
「リュシ・ドゥ・ランマームール」の音楽設計一覧図


 大半の音楽が「ルチーア」から「リュシ」へと移しかえられています。ですから、言葉の違いはあるとはいえ、なじみある音楽ばかりです(ただしシェーヌはほとんど作り直されています)。
 音楽面での大きな相違は次の様なものです。
 リュシのカヴァティーヌは、オリジナルのRegnava nel silenzioではなく、「ロズモンダ・ディンギラテッラ」のPerchè non ho del ventoが採用され、フランス語のQue n'avons-nous des aîles!になっています。ルチーアの創唱者ファンニ・タッキナルディ−ペルジャーニはRegnava nel silenzioよりもPerchè non ho del ventoの方を好んだため、初演後しばらくして差替えて歌っていました。この差替えはかなリ広く行われていたようです(タッキナルディ−ペルジャーニが歌った1837年のイタリア劇場でのパリ初演も、おそらく差替えられていたのでしょう)。「リュシ」を作成する時に、ドニゼッティもこの差替えを正式に採用したというわけです。Regnava nel silenzioでは、既にルチーアの心が不安定で、後のルチーアの狂乱を予感させるものでした。これを差替えるとルチーアの性格が若干変わるように思えます。
 「ルチーア」の第2幕にあったライモンドのアリアは「リュシ」にはありません。
 第1幕でアルチュールが現れる場面で、幕開きの合唱の音楽を再度用いています。
 第3幕の冒頭は、設定が変わった(「ルチーア」ではエドガルドの居城にエンリーコが出向いたが、「リュシ」では祝宴前のレーヴェンスウッドの城のアンリをエドガールが訪れる)ために、まず祝宴の合唱(本来は狂乱の場の前に置かれていたもの)を置き、エドガールの嫉妬を激しくしています。

 話を現在普通に聞ける「ルチーア」との比較に限るなら、「リュシ」はドニゼッティが本来意図した通りの調性が生き残っています。リュシとアンリの二重唱はA、狂乱の場はd-Fと、第三者が手を加えてしまった現在のRicordiの楽譜と比べ、それぞれ全音高い調性となっています。
 また慣習として付加される、狂乱の場でのフルートとの掛け合いのカデンツももちろんありません(これは「ルチーア」の現行版でもありません)。

 ルネサンス劇場はアンテノール・ジョリという興行主の率いる全くの独立劇場で、財政状態は非常に悪く、ドニゼッティは運転資金に5000フランを貸したと言います。

初演時の歌手は以下の通り。

LucieAnna Thillon
EdgardAchille Ricciardi
HenriHurteaux
RaimondZelger
ArthurGilber
GilbertJoseph Kelm

 国際的に名の通った人がいないばかりか、かなりレヴェルの低い歌手たちだったようです。プリマドンナのアンナ・ティヨンはかなり軽い声だったようです。
 にもかかわらず、公演は大成功でした。ドニゼッティは手紙で、初日に頭痛でアパルトマンで寝ていたら、劇団員が窓の下に集って「リュシ」の合唱を歌ってくれた、と伝えています。ジョリは大儲けができて、ドニゼッティの貸したお金はすぐに戻ってきました。
 フランスでは、「ルチーア」と「リュシ」はともに共存していました。1846年2月20日にはオペラ座でデュプレなどの豪華キャストで「リュシ」が上演されています。
 その後、徐々にオリジナルの「ルチーア」が復活し、「リュシ」は廃れていってしまいました。
 近年の復活は1997年7月のマルティナ・フランカ音楽祭でのもの。

 「リュシ」は、全体に「ルチーア」のほの暗いロマンティシズムが後退し、より軽い風合いとなって、「ルチーア」とはまた違った魅力を持った作品となっています。「ルチーア」が好きであれば、こちらもぜひ聞いて見てください。

※Lucieはフランス語ではリュスィという感じで読みます。ドニゼッティは、オペラでの慣習に従い、Lu-ci-eと音を当てているのでリュスィーエと聞こえます。御殿では簡便にリュシとします。

(更新 7 Decemer 2002 補筆 8 February 2003)

Ciofi,Badea,Rivenq,Lee
Orchestra Internazionale d'Italia
Benini
Martina Franca,25-27 July 1997
DYNAMIC CDS 204/1-2

 マルティナ・フランカのヴァッレ・ディトリアのフェスティヴァルでの蘇演の録音。野外劇場ですので、録音には制約があります。
チオーフィは線の細さを体当たり的な役への踏み込みで見事にカヴァー、狂乱の場は絶唱で、あまたのイタリア語の録音と比べても聞くべき価値があるものです。エドガール役のバデア(彼も代役だったそうです)は公演直前まで肺炎だったそうで、どうにも声が不安定。高いEbは一応出しています。
 ベニーニの指揮は要所を締めたもの。ただフランス的な要素は希薄です。
 さすがはマルティナ・フランカ、ほぼノーカットの演奏。

Dessay, Alagna, Tézier, Laho, Cavallier, Saelens
Orchestre & Chœur de l'Opéra National de Lyon
Pidó
Lyon, 23-28 January 2002
Virgin Classics 5 45528 2

 リヨンでの公演を元にした録音。
 アラーニャが今一つ絶好調ではないとはいえ、さすがに当代切ってのスター・テノール、存在感は大です。高いEbも出してます。ドゥセイは活動を停止する直前のもので、確かに最盛期ほどの美感はないものの、まずは上出来です。ただこの人の常で、美麗という以上にドラマに食い込んでいく姿勢はあまり感じません。アンリのテツィエが声、表現とも見事。
 ピドは、作品のフランス色とイタリアオペラの伝統をうまく調和させた上で新鮮な音楽を作っていて気持ちよいものです。
 パリのオペラ座に保管されていたオーケストラ譜からジャック・シャルモーが校訂したRicordiの新しい譜面によるとのこと。これをまだ見たことがないので詳しくは分からないのですが、手持ちのLÉON GRUSのヴォーカルスコアと比べると、量はそれほど多くないとはいえ、あちこちにちょこちょことカットが入っています。10番から合唱を抜いてしまうのはせっかくの効果を失わせているように思うのですが…。


LE DUC D'ALBA

初演:この形態では未上演
台本作家:ユジェーヌ・スクリーブとシャルル・デュヴェイリール

 この作品はパリのオペラ座向けに作曲されたものですが。どういうわけか未完のまま残されてしまいました。ドニゼッティ自身は完成(そのためには当然上演の保証が必要です)を目指したのですが、いずれにせよオリジナルの形では上演されていませんし、残された楽譜そのままでは上演できる状態ではないようです。
 1881年になってイタリアの出版社ルッカが総譜を買い取り、補筆完成に乗り出します。これについては最後でもう一度扱いましょう。


Intoroduction

1818-1821 1822 1823 1824 1826
1827 1828 1829 1830 1831
1832 1833 1834-1 1834-2 1835-1
1835-2 1835-3 1836 1837 1838
1839 1840 1841 1842 1843-1845
appendix


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