DON PASQUALE
初演:1843年1月3日、パリ、イタリア劇場
台本作家:ジョヴァンニ・ルッフィーニ
原作:パヴェージのオペラ「マルカントーニオ氏」へのアンジェロ・アネッリの台本(1810)
1842年9月27日付けで、ドニゼッティはイタリア座の冬の新作に契約します。これが「ドン・パスクワーレ」となります。
ドニゼッティは、1810年に発表されたステーファノ・パーヴェジ作曲の「マルカントーニオ氏」への、アンジェロ・アネッリの台本を当世流に手直ししたものを台本にしようと考えました。彼のパリでのマネージャー的存在であった、ミケーレ・アックールジが台本作家に選んだのは、イタリアからの亡命者、ジョヴァンニ・ルッフィーニでした。
ドニゼッティにとって、あまり時間の余裕のない作曲に当っては、既に作曲済みのナンバーを流用することは当然でした。であれば、台本もそれに伴って改編を求めざるを得ません。この点でルッフィーニとドニゼッティの間で食い違いが生じてきます。
結局あまりの改編要求(一説にはドニゼッティ自身が台本に手を加えたともいいます)にルッフィーニが怒り、台本作家として自分の名前を出さないよう求めたといいます。今日台本作家としては単にM.A.と記されています。これはおそらくMaestro Anonimo(何某氏)というつもりでつけたものでしょう。
さて、慌しく作曲された「ドン・パスクワーレ」ですが、初演は歌手の病気があって伸び、結局年を越してしまいました。
しかし初演は、ルイージ・ラブラーシュのパスクワーレ、ジューリア・グリージのノリーナ、アントーニオ・タンブリーニのマラテスタ、そして(ジョヴァンニ・マッテオ・)マーリオのエルネストという豪華なメンバーが揃い、見事な成功を勝ち取りました。以来レパートリーから落ちることなく今日まで生き長らえています。
メジャーな作品ですので、あらすじは専門書に任せましょう。
さて、この作品はしばしば「オペラブッファの伝統の最後の作品」とみなされます。確かに音楽はドニゼッティのブッファの集大成ですし、ロッシーニ以来の溌剌とした愉悦をダイレクトに受け継いでいます。さらに言えばインテルメッツォからの伝統も脈々と受け継いでいます。
しかし、この作品をそうした流れの最後に位置するものと安易に理解することは誤解を生じることにもなります。
実際、「ドン・パスクワーレ」はブッファの伝統から逸脱している点が少なくないのです。
第一に、レチタティーヴォ・セッコを全く用いていないこと。まあ、これだけなら時代の流れですが、さらにレチタティーヴォ・アッコンパニャートも、ほとんどシェーナと呼んでいいほど重要な役割を持っていることが挙げられるでしょう。もちろんナンバー区分はあるのですが、それ以上に場面の連続性が重視されるようになっています。
第二に、カヴァティーナ/カバレッタ形式があまり多用されていないこと。厳密にこの形式に当てはまるのは、第2幕冒頭のエルネストのアリアだけ。ノリーナには第1幕に有名なカヴァティーナが与えられており、これは確かに前半部と後半部に分かれますが、しかしこの前半部はもはや序奏という程度の役割しかないのです。そして何よりも、タイトルロールであるドン・パスクワーレと、ドットール・マラテスタにはアリアがないのです。
また全体の形式としては、3幕仕立てになっていることもブッファには珍しいことです。前半が長すぎて二つの幕に分けたということなのでしょうが、ともかく後半(第3幕)が軽すぎます。
また、パリの優秀なオーケストラを利用できたので、イタリアのオペラブッファに比べるとオーケストラはずっと雄弁になっています。
こうした伝統的形式からの逸脱はあげれば枚挙に暇がないほどです。
つまり、この作品は非常に「擬オペラブッファ」の作品なのです。
言って見れば、「ドン・パスクワーレ」は、イタリアから遠く離れたパリで、既に本土では絶えかかっていたオペラブッファというジャンルを懐かしく思って作った、追憶の作品なのではないでしょうか。だからと言ってこの作品がオペラブッファの手法をゴッソリ利用したおいしい作品であることに変わりはありませんが、どこか大都市のモダンな香りのする作品であることも事実です。
曲はゴチソウぞろいです。先に挙げた第1幕のノリーナのカヴァティーナ、第3幕のエルネストの舞台裏からのセレナータ(ギターとタンバリンの伴奏が美しい彩りとなっています)は、大変印象的ですし、パスクワーレが騙されたと分かる第2幕の長大なフィナーレは大変愉快です。
しかし、この作品の本当のクライマックスは、第3幕のパスクワーレとマラテスタの二重唱でしょう。この後半部分での猛烈なスピードの8分の6の早口は聞くものの口をアングリさせるに十分なものです。芸達者なバリトンとバスが揃うと大絶賛間違いなしです。
(17 September 2000)
Dara,Corbelli,Bertolo,Serra,Pasella
Orchestra del Teatro Regio di Torino
Campanella
Torino,23-27 February 1988
NUOVA ERA 6715/16
カマトト役を歌ったら右に出るもののいないセッラが実に素晴らしいノリーナを歌っています。ダーラもこうした頭の固い役柄はぴったり。彼とこれまた名ブッフォ、コルベッリの早口の二重唱は、カンパネッラが軽快に煽る空前絶後のスピードで圧倒されます。これでエルネストがもうちょっとマシだったら…。
Corena,Capecchi,Kraus,d'Angelo,d'Alessio
Orchestra del Teatro San Carlo di Napoli
Erede
Edinburgh,7 September 1963
VERONA 27023/24
エジンバラでの録音で、音質はまずまずです。オーケストラがやたらイタリアンな音出していると思ったら、ナポリのサンカルロ劇場のものでした。
ダンジェロがややおっとりぎみですが、これは4人のキャストと指揮が揃っていることでは随一の録音です。ことにクラウス(後にスタジオ録音もしていますが、これは指揮とタイトルロールが大不満)は60年代前半の絶妙の甘さと気品を持った時期で、一聴の価値ありです。
最近すっかり見かけなくなってしまったのが残念です。
MARIA DI ROHAN
初演:1843年6月5日、ウィーン、ケルントナートール劇場
台本作家:サルヴァトーレ・カンマラーノ
原作:ロックロワとエドモン・バドン、「リシュリュー枢機卿統治下での決闘」(1832年、パリ)
ドニゼッティは「リンダ・ディ・シャモニ」に続くウィーン向けの作品として、当初「カテリーナ・コルナーロ」を予定していました。そして1842年の後半に作曲を開始していました。
ところが、1841年にフランツ・ラッハナーという作曲家による同じ題材によるオペラが上演されていたことから、ドニゼッティは「カテリーナ・コルナーロ」のウィーンでの上演を断念、他の都市(これは結局ナポリになります)で上演することにしました。そのため「カテリーナ・コルナーロ」の作曲をひとまず中断し、急遽別の題材のオペラを作曲することにしたのです。これが「マリーア・ディ・ロアン」になります。
ウィーン向けの作品の台本がカンマラーノというのも考えてみると奇妙ですが、実はこの台本は、カンマラーノがドニゼッティが作曲することを念頭にして1837年に書き上げたものなのです。しかし結局ドニゼッティは作曲せず、ジュゼッペ・リッロが曲をつけ「シャレ伯爵」として1839年、ナポリで上演されています。ドニゼッティは既によく知っていたこの台本をナポリから取り寄せ、そしてある程度修正加筆をし(これはジョヴァンニ・ルッフィーニが行ったと推測されています)使用したというわけです。
シュヴレーズ伯爵エンリーコとシャレー伯爵リッカルドは固い友情で結ばれています。しかしエンリーコの妻マリーアがかつてリッカルドの恋人で、そして今も二人の愛は拭い切れません。リッカルドは権力争いに巻き込まれ、マリーアに宛てた恋文がエンリーコの手に渡ってしまいます。激昂したエンリーコによってリッカルドは拳銃で撃ち殺されます。
とまあ、簡単にしてしまうとうすっぺらい話のようですが、ルイ13世時代のリシュリュー枢機卿全盛期の政治的背景が込み入っているので、なかなか分かりづらくなっています。詳しいあらすじの専門書を参照していただきたいものです。
いかにもドニゼッティが好みそうな題材ですし、実際彼は夢中になって作曲したようです。仕事がたてこんでいたにもかかわらず、18423年の暮頃から翌年の2月中頃にかけての短期間に一気に書き上げてしまいました。そして実際「マリーア・ディ・ロアン」は大変凝縮されたドラマを持つ傑作となっています。
この「マリーア・ディ・ロアン」では、ドニゼッティは明かに裏切られ苦悶するエンリーコに焦点を合わせています。したがって、作品が白熱するのが彼が事態を知る第3幕なのは当然でしょう。アシュブルックもこの幕を「音楽的劇作家としてのドニゼッティの頂点を示している」と絶賛しています。
この第3幕でのエンリーコのアリア"Bella e di sol vestita"は、長らくバリトンの名アリアとして人気がありました。このアリアは、一応カヴァティーナ/カバレッタ形式になっているのですが、カバレッタの部分がさらに二つに分かれており、前半の"Ogni mio bene in te sperai"がアンダンテ(!)、後半の"Si, ma fra poco"がモデラート(しかし実際にはほとんどアレグロで歌われます)と、緩急をつけた作りになっているのです。この前半での、まだマリーアを愛しているという感情を否定できない、グッと抑えた男の苦悩が、復讐を誓う後半の爆発への布石となっており、大変効果的です。ここからマリーアが連れ戻されてのニ重唱、さらにシャレーが戻ってからの三重唱、そして幕切れまでは、常にエンリーコがドラマを引っ張り、非常に熱気の溢れたものになっています。初演のシュヴレーズはかのジョルジョ・ロンコーニでしたから、さぞや聴衆に受けたことでしょう。
当然初演は大成功。あっという間にヨーロッパ中で上演されています。特にイタリア以外の諸都市で上演が目立ちます。
またこの作品はロンコーニが生涯得意として歌いつづけたほか、名バリトン、マッティア・バッティスティーニ(1855-1928)もしばしば取り上げたため、1920年代までかなり長い生命を保つことができました。それほどバリトンにとってはやりがいのある役だということなのでしょう。
なお、この作品は1843年11月のパリのイタリア劇場での上演向けに大幅に改訂されています。そして現在上演されるのは概ねこの時の楽譜に基づいていますので、そこでもう一度この作品について触れることにします。ディスク紹介もそちらを御覧ください。
(3 September 2000)
MARIA DI ROHAN
Paris, Théâtre des Italiens, novembre 1843
初演:1843年11月、パリ、イタリア劇場
パリのイタリア劇場で「マリーア・ディ・ロアン」を上演するにあたり、ドニゼッティはこの作品を大幅に改訂しています。
最大の相違点は、コントラルトの名歌手、マリエッタ・ブランビッラのために、アルマンド・ディ・ゴンディという本来テノールに宛てられていた小さな役を大幅に拡大して、準主役にしたことです。この結果、第1幕の"Per non istare in ozio"と第2幕の"Son leggero, è ver, d'amore"という二つのアリアが彼女のための加わりました。
これらの改編によって作品に華やかな彩りを加えることができ、パリの聴衆から歓迎されました。しかし今日的視点から見ると、このゴンディと言う人物はドラマの進展上いささか余計な気がします。
ドニゼッティはこの後も「マリーア・ディ・ロアン」にちょこちょこと手を加えています。1844年5月のパルマでのイタリア初演で第2幕の二重唱を改訂、さらに1844年のウィーンでの再演では第3幕冒頭にマーリアとリッカルドのニ重唱"Così santo affetto"を追加、さらにマリーアのアリア"Havvi un Dio"の最後の部分にアッレーグロの華やかな締めくくりの場面を加えています。
現在上演されているのはこれらの改訂を反映した最終稿によるものです。しかし初演稿も聞いてみたいものです。
(16 September 2000)
Gruberova,Arevalo,Kim,Precht
Radio Symphonieorchestra Wien
Boncompagni
Wien,3 & 6 December 1996
NAGHTINGALE NC 070567-2
キムが第3幕で熱の入った歌を聞かせてくれ、ボンコンパーニも手際の良いものです。グルベローヴァも悪かろうはずがありませんが、この役にはもう少し重めの声のほうが合うかもしれません。
Grilli, Bruson, Scotto, Zillio, Cassis, Padoan, Pedroni, Cesari
Orchestra e Coro del Teatro La Fenice
Gavazzeni
Venezia, 26 March 1974
MONDO MUSICA MFOH 10401
とにかくスコットが聞き物でしょう。ブルゾンはやや期待外れ。いつもながらガヴァッツェーニの容赦ないカットが入っています。シンフォニアをカットするのはどうかと思います。
以前出ていた海賊盤よりはずっとマスターに近いテープを使用していますが、モンド・ムジカの常で高音をばっさりカット、ノイズリダクションをガンガンかけて、かなりもやけた音になってます。
Zeani, Tei, Zanasi, Rota
Orhestra e Coro del Teatro San Carlo di Napoli
Previtali
24 March 1962, Napoli
MELODRAM MEL 37017
充実したゼアーニと男らしいザナージが魅力です。しかし全体としてはカナりあらっぽい公演です。
DOM SÉBASTIEN
初演:1843年11月13日、パリ、オペラ座
台本作家:ウジェーヌ・スクリーブ
原作:ポール・アンリ・フシェ「ポルトガルのドン・セバスティアン」
Leech,Takacs,Miller,Koptchak,Nimnicht,Wilson
Queler
New York,1984
LEGATO LCD 190-2
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