「世界の自然を旅する」


1.Sun Koshi River−初めての海外遠征、ヒマラヤを流れ下る川を旅する(1994)

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ヒマラヤを流れる激流を下る

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川を流されて少し困っていたネパール人を拾う

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小魚を物々交換で入手し、お茶会を楽しむ

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三途の川の手前で引き返してきた私

 学生時代からの相棒Yから一冊の本「White Water Napal」を手渡された。ネパールに行ってカヤックで川下りをしようぜ!と彼は楽しそうに私を誘うのだ。
 彼は学生時代にネパールのTrisuli riverを下る遠征隊にサポート役として参加したことがある経験を持ち、さらには学生時代からの付き合いになるKと休日となるとカヤックを乗りまくっている、いわば怖いもの知らずのカヌーきちがいなのだ。
 それに引き換え、私はカヌー初心者で、とてもネパールで激流下りをするような技量は持ち合わせていない。山では私のほうが強いが、川では彼のほうが強いのだ。
 しかし、反射的に面白そうだと思ってしまったのが運の尽き、職場にはネパールに観光に行ってきま〜すと大うそをつき、適当に話をはぐらかし、煙に巻きながら、ネパールに行くことにしたのである。
 事前にYが全てお膳立てしてくれたので、体一つで何も苦労せずにネパールに行ったようなものだが、どうせ下るのなら面白そうな川がいいだろうと選んだ川が、「One of the ten best rafting trips in the world. Big Rapids,warm water,no roads or towns,beautiful scenery and great camping make this a classic multi-day river trip.……」と紹介されている「Sun Kosi」。距離にして272km、所要6〜10日、グレード4−の激流「スンコシ川」に挑むことになった。

 1994年、ゴールデンウイークの休みを長めに取って、まさに体一つで夜のカトマンズの空港に降り立った。あらかじめニュージーランドの川でウォーミングアップしてきたYの出迎えを受け、安宿に荷物を降ろし、その夜は連れて行かれるままに薄暗い怪しげな店で酒をあおった。
 翌朝は装備の確認、食料の調達、そして肝心要のカヤックのレンタル交渉・回収と忙しい1日となった。Yがあらかじめ情報を仕入れ、目星をつけていたのでカヤックのレンタルは比較的スムーズにいったように見えたが、Yは事前にいろいろと苦労したようだった。カヤックは「White Water Napal」の著者でもあるDaveが経営しているラフトツアー会社Ultimate Descetsから借りることになった。
 日本人初遠征をひそかに期待していたのだが、Daveによると、スンコシ川を日本人チームが下るのは2番目とのこと。しかし、我々はラフトによるサポートなしのため、何らかの事故があったら何日かかるかわからない山中を歩いて全くの独力で脱出しないといけない!と相当に気合が入っていた。でもDaveは地図を指差しながら、ゴールのChatraではラムロホテルに泊まるといいよとか、バスを乗り継いでTamur Kosiの下流部を日帰りで下ると48?のラピットが楽しめるよなど、淡々と語ってくれるのだ。
 何だか緊張感のない雰囲気だったのは、乾季で水量が減っており、技術的に困難な時期ではなかったことを後日理解することになる。

 さて、装備と食料の最終点検を済まして、ネパール入りしてから3日目には、Yの知り合いのネパール人の代役のサポートを得て、エベレストエリアの玄関口、出発間際のJiri行きのバスに大急ぎで荷物を積み込み、混雑するバスターミナルを抜け出して、出発地点のDolalghatを目指すことになった。
 カトマンズを午前中に出発し、日の高いうちにDolalghatに到着し、カヤックに約1週間分の食料とキャンプ用品を押し込んで、日が傾き始める頃、赤と黄色の2艇のダンサーがゆるゆるとスンコシの流れを下っていく。装備を切り詰めたとはいえ荷物の重みで喫水が下がり、全く回転性がなく、とても扱いづらい。カヤックの経験不足のために下手をしたら死ぬかもしれないと思ってきた緊張感は吹き飛び、職場の束縛から完全に解放され、全くの自由の身になった悦びが全身から湧き上がり、笑いが止まらず、体の奥底から自然と雄叫びが出てくる。

 スンコシ2日目以降、日本の川ではとても経験できないような圧倒的なホワイトウォーターにも徐々に慣れ、荷物の減少と反比例するかのように激流下りを思う存分楽しめるようになってきた。朝、手早く朝飯を食い、気合満々でカヤックに乗り、流れのゆるいトロ場をひたすら漕ぐ。時々現れる轟々と鳴り響く、真っ白に渦巻くラピッドでは、精神を極度に集中し、「ヨッシャー!」と気合を入れてから突入。研ぎ澄まされた視覚と聴覚によって、瞬時に流れの弱点を判断し、危険箇所をかわしながら、アドレナリンとドーパミンが渦巻く肉体とカヤックと激流の一体感を楽しむ。夕方にはテントを張って、手早く食事を作って胃袋にかき込み、焚き火を囲んだのんびりした一時を味わった後は、熟睡するのみの充実した毎日。
 結局、5泊6日の短い川旅だったのだが、今思い返しても本当に面白かった!という感想に尽きる。川での生活も日常化し、時間の感覚が全く麻痺していた。きっとスンコシの流れが500km、いや1000kmだったとしても、きっと我々は毎日充実した時間を楽しみ、いい旅ができたと思う。
 今も記憶に残っていることといえば、確かにスンコシには車が走る車道も電気のある街はなかったけれど、人跡未踏の秘境ではなくて意外にたくさんの人々が暮らしていたこと、途中で仕入れて晩飯のおかずにしたニワトリがとてもうまかったこと、ホットシャワーにキンキンに冷えたビールを期待していたラムロホテルがビックリするぐらいのボロい宿で、ぬるいビールしか飲めなかったこと、そして蚊だらけで寝苦しく、さらに日中はあまりにも暑すぎて、本当にグッタリしてしまったこと、そしてタマコシでホールに押し込まれたまま浮き上がることができず、もう少しで気を失って窒息死するところだったことなど…。

 あの時の遠征以来、私の人生観は少し変わった。やり方を工夫すれば、世界のすばらしい自然、日本では見ることができない圧倒的なスケールを持ったすばらしい自然を体感することができる!もっとリラックスして、人生を楽しんでもいいのではないか?と…。
 久しぶりに当時の記録を読み返してみたが、現地で出会った人々の暮らしをほんの少し垣間見ながら、我々は物質的には明らかに豊かで便利な生活を送っており、食いたいだけ食って、欲しいものが何でも手に入ることが当たり前になっている生活を振り返り、毎日食って寝て、ちょっぴりの楽しみと喜びがあること、それ以外に我々に必要なものがあるのだろうかと、ぼんやり考えていたようだった。

謝辞 カヤック初心者の私をそそのかし、半殺しの目にあわせてくれたYに、あの時から20年も経ってしまったが、遅ればせながらこの場を借りて感謝申し上げる。「Special Thanks!」そして、これからもお互い自分の信じる「My Way」を行こうぜ!

※後年、たまたま知り合ったネパール人の親戚がDolalghat近辺の出身らしく、たまにトラが出てくるそうだよと言っていた。トラを探しにネパールのワイルドリバーに行くチャンスがあれば、正直な気持ちとして次回はラフトツアーにしたいと思っている(笑) 


2.Queen Charlotte Islands−トーテムポールを求めて(1998)

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部族の繁栄を約束した不思議な魔力を封印
したままで、百年以上の時を超えて佇む
トーテムポ−ル。僕は今も強く信じてる。
決してその魔力が失われることはないと。

 カナダの西海岸には、今もトーテムポールが当時のままで存在しているところがあるらしいとの情報を知ったのは、星野道夫氏の影響だったのではないかと思う。
 今なら、質は別にして、あらゆる情報がインターネットによって気軽に入手できるし、たいていのことは、インターネットと金をうまく使えば何とかなると思う。しかし、当時はインターネットが使えるツールだとの認識はなく、現地情報に詳しい人脈もない私にとって、書籍が唯一の頼れる情報源だった。もちろん東京発着のツアーなんてなかったと思うし、行ってみたいと思っても、どうやって行けばいいのかは自分の頭で考えるしかなかった。漠然とした夢を実現するには、いくつものハードルを越えて行かなければならないのは今も昔も同じだと思うが、金がないならないなりに、情報・人脈がなければないなりに、体力がなければないなりに、なんとか実現してやるぞという情熱がなければ、夢が叶う日は訪れないのではないかと今も思う。

 100年以上の歳月を経っても、朽ち果てることなく、未だに存在しているというトーテムポールを見てみたいという漠然とした夢を実現するためのきっかけとなったのは、「SEA KAYAKING CANADA'S WEST COAST」と「トーテムポール世界紀行」の2冊の書籍だった。
 中学1年以来の筋金入りの苦手意識がまったく改善しない英語で手紙を送り、クィーンシャーロット諸島のNinstintsに今も存在するというトーテムポールを見に行くために必要な情報を集め、あらかじめ自力でいけそうだという感触を得てから、東京の旅行会社にコンタクトを取った。
 順調に手配が進み、旅の滑り出しも順調で、協力関係があると思われるカナダ国内のツアー会社の手配どおり、バンクーバー空港でVHF無線を受け取り、サンドスピット郊外の小さなロッジに宿泊することができた。当時は、お金のかかる現地ツアーに参加するという発想がなく、基本は自力遠征で、フェザークラフトとキャンプ用品、現地で調達できないと思われる食料を全て日本から持ち込んだ。
 翌日はルール化されているオリエンテーションを受け、キャンプ時の基本的な注意事項やNinstintsに上陸する際のルールを聞いた後、不足の食料とコンロ用のガソリンを調達し、翌々日の昼過ぎには、あらかじめ手配していたボートから急遽変更になったチャーターフライトでRose Harbourに向かう。
 以後の旅の内容は省略するが、7泊8日の旅の収穫は何だったのだろうか?もちろん念願だったNinstintsのトーテムポールを見ることはできた。3日目の早朝、ストームの合間を縫って出発したつもりだったが、ますます強くなる風と波の中を必死で漕いでアンソニーアイランドに上陸した。そして小雨に濡れながら、かろうじて残っていたトーテムポールを長い間、その場に静かにたたずみ、眺めながら感じられた独特の感覚・雰囲気は今も忘れることができない。
 快晴となって訪れた翌朝も、何年か経って再訪した時にも全く感じ取ることができなかった、あの時にしか感じ取れなかった独特の感覚・雰囲気は、今も心に焼きついたままだ。
 それに、ゴミ一つない美しい海岸線、巨大なウニがゴロゴロと転がり、巨大なケルプに埋め尽くされる豊かな海、苔むした倒木が幾重にも重なり、歩くことすら難しい深く豊かな森は、日本では体感することができない文句なしにすばらしい印象に残るものだった。
 でも、かなりの時間が経って今でも印象に残っているのは、コッパーベイロッジのWalter Ernst&Mariaと、NinstintsのウォッチマンのCaptain Gold&奥さんの2組のカップルのやさしい笑顔と数々のKindnessだったと思う。旅の醍醐味はどちらかというと、雄大な自然よりも、素敵な人たちとの出会いのような気がする。


3.Tatshenshini&Alsek River−リアル ワイルド&グレート リバー(1999)

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荷物満載のラフトで川を流れる

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イヌワシやシロイワヤギに出会う

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崩れ落ちた氷河の破片がプカプカ浮かぶ湖

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Mt.フェアウエザーがほんの一瞬だけ見えた

 学生時代から「日本の川を旅する」の著者、野田さんの影響を明らかに受けていた。当時はフォールディングカヤックを買う金なんかとてもなかったので、就職してすぐに買ったのがフォールディングカヤックだった。
 しかし、カヤックを手に入ったものの、仕事を辞めなければ長期間全く当てのない、私が理想とする旅に出ることができないことに気付くのに私は少し時間がかかっていた。仕事が終わってから、静かな内海をたまに漕ぐぐらいしかできないでいた。
 それでも諦めきれず、就職してから何年目の夏だっただろうか?ユーコン川を下るためにフェザークラフトを買う気満々で、出張のついでに新大久保の石井スポーツに気合を入れて行ったことがある。しかし、予想した金額よりも相当に高額だったため、その時はすごすごと帰ってきてしまった。
 それでもやはり私は諦めることなく、とにかくワイルドな川を旅したい!とづっと願い続けてきた。カナダから国境を越えてアラスカに下る!これこそが私のやりたいことであり、ネパール遠征の次の課題だったのである。
 そんな時に、たまたま星野道夫さんのトークショー?に行くことになり、最後の質問タイムの時に、カナダから国境を越えてアラスカに下る川旅がしたいのだが実現できるだろうか?と聞いてみたのだった。その時、星野さんは反射的に○×◇#★※リバーがどうのこうのと答えてくれたのだが、残念ながら私には全く理解できず、ずっと???状態が続いていた。
 それから半年後、非常に残念なことに星野さんがカムチャッカで熊に襲われて亡くなり、その後に出版された星野さんの著書「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」を手にした時に、心の中で「この川のことだったんだと!」と思わず叫んでしまった。「Last Ice Age River」「タティシンシィニ」のことを、きっと星野さんはその時にイメージしていたのだ。
 手元にあった「The ALASKA RIVER GUIDE」と「ナショナルジオグラフック誌1998-3月号」の記事を見る限り、とても独力で行くには荷が重過ぎると感じていたため、ラフトでのガイドツアーを行っている会社の情報を入手し、辺境地に強そうな旅行会社とコンタクトを取りながら、夢の実現に向けて調整していくこととなった。
 Dalton postからDry Bayまでの約250km、全くの無人、全くの手付かずの大自然の中を流れ下る10日間のラフトツアーでは、ひそかに期待していた幻のグレーシャーベアを見ることはなかったが、とても興味深いツアーであった。まさにリアル・ワイルド&グレート・リバーが体感でき、ツアー中の食事もすばらしかったとの感想に尽きる。

 さて、旅の中で非常に興味深い思い出として今も記憶に残っているのは、タティシンシィニ川流域には、古くから内陸部のインディアンと沿岸部のクリンギット族の交易ルートが存在していたことである。星野さんの著書「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」にも、数百年前のクリンギット族の伝説として、タティシンシィニ川沿いに暮らしていたクリンギット族の村人が、ロウエル氷河の崩壊に伴う津波によって村と人々が一瞬のうちに消えたこと、かつてタティシンシィニに人が暮らしていた唯一の名残として、どこかの中州の岩に刻まれたかすかな絵の跡があることを、たった一人生き残った村人によって悲劇の物語として伝えたと記されている。
 ほぼ同じ話が、http://www.protectedplanet.net/sites/Tatshenshini_Alsek_Provincial_Parkによって記録されている。

In the mid-19th century, the sudden breakup of a natural dam on the Alsek River caused a severe flood. The dam had been formed by the advance of a glacier across the entire Alsek River channel; the obstructed river formed a large temporary lake upstream of the blockage. A wall of water 7 metres high and 15 metres wide swept an entire Tutchone village into the sea at Dry Bay, killing all the inhabitants.

 さらに、おそらく星野さんが聞いた伝説と一致しているのだと思うが、ツアー中、Tat-riverとAlsekRiverの合流点の手前にあるメルトクリークの流れ込みに近い中洲にある小さな岩山に残された、とても小さな、消え入りそうなペトログリフをこの目でしっかりと見ることができた。

 この他にも、まさに我々がこの地を訪れる直前、ハンターによって数百年前に死亡した「アイスマン」が以下の通り発見された記録も、後日知ることとなる。

In 1999, a party of sheep hunters found artifacts and remains of a young male at the foot of a glacier in the park; he was later called Kwaday Dan Ts’inchi, or "Long Ago Man Found". The well-preserved frozen body turned out to be between 300 and 550 years old. DNA testing was done of 241 volunteers from the area Champagne First and Aishihik First Nations, and related peoples in Yukon, British Columbia and Alaska, to see if people could be found who were genetically related to the "iceman". Seventeen living relatives were found through a mitochondrial DNA match of the direct female line.

 たぶん私が追い求めているのは、当時の人々の目線に立つことで初めて体感できる何ものか?ではないだろうかと思う。当時生活していた人々とほとんど変わらない、すばらしい大自然の中にはいるものの、お金を出せば誰でも連れて行ってくれる観光客の目線で見て、感じ取れるものとは全く異質なものではないかと思うのだ。単にないものねだりをしているだけなのかもしれないが、現代の我々では決して体感できない、もうすでに失ってしまっているかもしれない、とてもエキサイティングで魅力的な何ものかを私は感じ取りたいのかもしれない。

追記 2017年5月、Tさん&Tさんをガイドにホワイト・ホースを起点にヘインズを訪問する機会を得た。近い将来、私はTat-Riverを再訪することを決意したが、次回訪れる時には私は何を感じ取ることができるだろうか…。


4.Great Bear Rainforest−幻のスピリットベアと共に生きる人々(2009)

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興味深いストーリーで語られるスピリットベア

 非常に興味深いストーリーで語られるクマがいる。北米大陸が氷雪で覆われていた頃のことを人々が忘れてしまうことのないように創造主であるワタリガラスが作ったと語り継がれている「Spirit Bear=Kermode Bear=Moksgm'ol」。
 普通は黒い毛を持つアメリカクロクマだが、黒色の毛の色素を作らない劣性遺伝子を持つ個体同士が交配することによって、真っ白な毛色となって生まれてくると言われている珍しいクマ。
 カナダの西海岸の限られた地域に「スピリットベア」が生息していることを知ったのは、10年以上も前のことだった。このクマのことを知ったきっかけは、テレビ番組だったのか、何かの雑誌の記事か、誰かが撮影した写真だったのかは全く思い出せないが、カナダの西海岸にあるプリンセスロイヤル島に生息しているらしい。※
 生息数が少なく、幻と言われるほど出会うことが難しいらしいスピリットベアを見ること、そしてスピリットベアが生息する豊かな自然、サーモンが満ち溢れる川、全く手付かずの原生林を体感するために、シーカヤックでゆっくり時間をかけて旅すること、それが私の長年の夢の一つであった。
 気楽なサラリーマンの身分に安住しつつ、長期の旅を楽しむ夢を実現することは、最初から無理な話であることは分かっているのだが、何とか実現できないかと想い続けていると、夢がかなう時もあるものだ。
 以前からチェックしていたツアー会社が手頃な日程でツアーを催行するという。現地で正味4日間、スピリットベアはもちろん、オオカミも探索するというのだ。短いスケジュールで神経質なオオカミに出会えるなんて全く期待はしていないが、オオカミが生息する環境をじっくり体感したいという夢も実現できるし、サーモン釣り放題の夢もかなうはずだ!
 というわけで、「2009年、神話の世界へ スピリットベアーとオオカミ観察の旅」に参加することになった。

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ピンクサーモンを狙うブラックベアとスピリットベア

 プリンスルパートからフロートプレーンで約1時間、ギトカ族約150名が住むというハートリーベイへ。ハートリーベイは、アスファルト道路の代わりに、木道が張り巡らされた小さな村で、ドライビレッジだからなのかは分からないが、なんとなく落ち着いた印象を受けた村だった。
 スピリットベアはここからボートで約1時間、プリンセスロイヤル島に隣接するグリベル島の小さなクリークに遡るサーモンを狙って頻繁に現れるらしい。木造の屋根付きデッキで観察するのが一般的だが、初日は観察デッキではなく、川岸の大岩の上で終日出現を待つことになった。
 周囲にはあちらこちらに食いちぎられたピンクサーモンの破片が散らばり、異臭を放っている。2時間以上はヌカカに刺されながら待っただろうか?暇を持て余す頃にスピリットベアが川の上流に姿を現した。一瞬我々を見て動きが止まったように見えたが、ピンクサーモンを漁りながら川をゆっくりと下ってくる。そして我々が陣取っている大岩のすぐそばを通過し、ゆっくり時間をかけて下流に消えていった。
 興奮さめやらぬ間に、次はブラックベアが現れ、同じように上流から下流に下って行く。しばらくするとまた別のブラックベアも現れた。当然至近距離での遭遇なのだが、彼等は我々には干渉せずにピンクサーモンを咥えてはペロリと平らげていく。
 今回の我々の旅の助っ人、ツアー会社のトムさんによると、ブラックベアは非常に臆病で、グリズリー(=ブラウンベア)が生息するメインランドでは、グリズリーを警戒して、ブラックベアがゆっくりサーモンを漁る光景は見ることはできないが、グリベル島にはグリズリーがいないためブラックベアは非常にリラックスした様子だと言う。
 ヌカカに刺されながら必死でシャッターを切りまくったが、現像した写真はイマイチのものばかりだった。

 2日目と3日目は観察デッキでスピリットベアの出現を待つ。目の前を流れる川には無数のピンクサーモンが泳いでいるが、良く見ていると上流に向かって遡上する個体、産卵床を掘り起こしている個体、産卵を終えて死を待つのみの個体がおり、5kgを越えるような大きなチャムサーモンも時々駆け上っていく。
 ただ、クマにとっては水量が多くてサーモンを捕食しにくいのであろう。初日の観察ポイントと比較すると食いちぎられたサーモンの破片は圧倒的に少なく、餌場としてはあまり良い場所ではないのかもしれない。
 2日目はサーモンを漁りながら足早に上流に向かっていく2頭のスピリットベアを観察することができたが、3日目はスピリットベアもブラックベアも見ることはできなかった。

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  オオカミを探して森の奥へ    ピンクサーモンが群がる小さなクリーク   百頭近いトドの群れ

 最終日、オオカミを探してプリンセスロイヤル島に向かう。高級リゾートホテル「キングパシフィックホテル」が係留している場所に程近い、静かな入り江に上陸する。オオカミが餌を探して出没する確率が比較的高くなるという干潮時、やる気満々?で歩き回るが、オオカミによって頭部のみを食われたピンクサーモンの死骸や足跡がパラパラと出てくる程度。オオカミを探して森の中も少し歩いてみたが、予想したとおりにオオカミと出会うことはできなかった。
 森の中を流れる小さなクリークにはピンクサーモンが満ち溢れ、木々の密度もなかなか濃く、もっともっと時間をかければ驚くほど巨大な木と出会えるような気がする良い森だった。
 後ろ髪を引かれる思いで入り江を離れた後は、百頭近いトドが休息しているポイントなどを見学し、帰路につくことになった。

 帰路、ずっと気になっていたこと、この辺りでペトログラフがあるかどうかを、現地ガイドのRさんに尋ねてみることにした。Rさんは「あるよ」と言うと、ハートリーベイに向かわずに、グリベル島西岸に船を進め、やがて海岸線ギリギリに船をゆっくり走らせたかと思うと、岩壁を指差すのだった。う〜ん???
 そこには、私が想像していた石を刻んだペトログラフではなく、赤い染料で描かれたピクトグラフがあるのだ。これとは違うんだけど、まあいいか…、私の英語力ではしょうがない(泣)。
 海岸線よりもかなり高い位置にある岩壁に描かれたいくつかの模様を見ながら、何を意味するのだろうか?ペトログラフよりも古い時代、現在よりも海面が高かったと言われている縄文海進の時代に描かれたのだろうか?描いた人達はどんな暮らしをしていたのだろうか?などなどを考える。
 ハートリーベイに戻るために船が動き始めるとすぐに、Rさんが「スピリットベア」と叫んで、海岸線よりもかなり高い位置の斜面を指差すではないか?距離は遠かったものの、ベリー類を夢中で食べているスピリットベアを観察することができた。さらにザトウクジラも複数現れ、少し遅い帰りとなった。
 初めて見たピクトグラフも、思いもよらない形で出会ったスピリットベアも、迫力あるブリーチを見せてくれたザトウクジラもいずれも非常に印象的な出会いだった。
 ちなみにサーモン釣り放題の夢だが、無数のピンクサーモンとチャムサーモン、コーホーサーモンの目の前にルアーを泳がせていたつもりだったのだが、全く食いつかずに1匹も釣れなかった。

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ピクトグラフが残る岩壁       潜行するザトウクジラ        ブリーチ!ザトウクジラの巨体が舞う

 いや〜、楽しかったね!という感想で終わりそうな旅だったのだが、最終日の夜、現地ガイドの親分?Mさんの登場で、今回の旅のハイライトを予期せぬ形で迎えることになった。
 日本ではほとんど認知されているとはいえないスピリットベアだが、現地ではシーズン中に多くの人が訪れ、人気のツアーとなっているようだ。野生のクマを観察デッキでじっくり観察・撮影できるので、非常に高い商品性を持っているといえる。ましてや幻と言われるほどの珍しいクマがかなり高い確率で見ることができるのだから、俗っぽい表現だが金銭的な価値に十分に変換させることができる良いツアーだ。
 しかし、今回のツアーは、私が日頃から経験している知床のクマとの接し方とあまりにも異なっており、野生のクマと人間との関わり方のあるべき姿を考えると、ただ単にスピリットベアを見てみたいという客のニーズを満たすためにクマを見世物にしているだけではないか?知らず知らずに金儲けのための見世物ツアーに参加しているだけではないか?と正直なところ、自分の中で違和感を感じていたのだった。
 ツアー初日から、ベストの構図を狙おうとファインダー越しにスピリットベアを覗けば覗くほど、シャッターを切れば切るほど、自分の頭の片隅から違和感を拭い去ることができないでいる自分に気付いていたのだったが、Mさんの熱い想いを知り、私の違和感と浅はかな偏見はいとも簡単に吹き飛んでしまった。

 海外に木材を輸出するため、カナダ西海岸では多くの森が伐採によって消えたと言われている。バブルの頃、カナダ産の木材で組み上げられたログハウスが流行っていたのを覚えているだろうか?今回の旅でもいたる所で日本と同じでクリアカット(皆伐)によって見事に切られた森の跡地が目に付いた。グーグル・アースで見ると一目瞭然なのだが、残念ながら私たちがスピリットベアを観察していた流域も、明らかに伐採を受けた後の二次林だった。立派なログ材と引換えに、スピリットベアが住む森がどんどん破壊されていたのであろう。
 カナダ西海岸に住む多くの先住民達がクリアカットによる伐採を中止させるために立ち上がり、クリアカットを止めようとしない一部の木材会社の製品を市場から締め出すため、様々な人達によって世界的キャンペーンが行なわれていたことも、恥ずかしながら私は全く知らなかった。
 単純に森を破壊する木材会社だけが悪いと決め付けられる問題ではなく、私たち消費者の無知、無責任な消費行動も同じように責められるべき問題であることを忘れてはならない。
 さて、2005年時点まではほとんどなかった保護区も、2009年までには数多くのエリアに保護区が設定されるようになり、伐採可能なエリアで伐採する場合にも、一定の管理が行われるようになったようである。
 ギトカ族のテリトリーの一部にも保護区が設定され、伐採をストップさせることができたそうだが、Mさんはもっと先を見ているようだ。現在、ハートリーベイで使用される電気を賄うために、多額の金を支払って石油を購入して発電しているそうだが、温室効果ガスの排出量取引によって得られる資金によって、水力発電施設を建設することも考えているそうだ。

 また、近年、パイプライン建設の話が出ているらしく(※注釈参照)、近隣のキティマットが積出港となり、ここから原油をタンカーで運び出す計画があるそうだ。Mさんはこの計画に対して反対を表明しているようだ。ハートリーベイの住民が計画にOKすれば、何らかの保証金?を受け取ることになるのかもしれない。だが仮にタンカーが座礁し、原油が流出することになったらどうなるのだろうか?
 米国史上最悪の海洋汚染とも言われている、1989年にアラスカのプリンス・ウィリアム湾で経験した「エクソン・バルディーズ号」の原油流出事故によって引き起こされた深刻な環境破壊の例を見れば、誰もが簡単に想像つくだろう。
 2006年には、ハートリーベイの目と鼻の先の海域で、バンクーバ島北部のポート・ハーディとプリンス・ルパートを結んでいるBCフェリー「クィーン・オブ・ザ・ノース号」の座礁・沈没事故があったという。仮にタンカーの座礁事故が起こった場合にどのようなことが起こりうるのか、ハートリーベイの住民であれば容易に想像できるだろう。
 おそらく、漁業も観光業も大きな影響を受けることになり、住民は経済面だけではなく精神面でも大きな打撃を受けることになるはずだ。目の前の海で獲れる魚介類が食べられなくなるということ、観光関連業者が見切りをつけて撤退すること、これらが彼らの生活にどのような影響を及ぼすのか、彼らが一番よく知っているだろう。
 開発業者のCEOからMさんに電話が入ることもあるらしいが、そのCEOの息子に自然の素晴らしさを体験させるために周辺を案内したと言う。それもMさんの息子も同行させたそうだ。
 教育の問題でもMさんは熱い。ハートリーベイ以外の、例えばプリンスルパートやバンクーバーに住んでいる人々によって、批判を受けることがあるらしい。彼は「Stand Up」し、地域の教育環境を整えるべく苦心しているそうだ。

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スピリットベアがギトカの人々を見守っている

 Mさんがやろうとしていることは、「短期間のうちに大多数の地域住民に経済的な恩恵を与えることを最優先する」という目標に対しては決してベストの方法とは言えない。ただ、Mさんの羅針盤は、きっとギトカの人々が将来ずっと彼らの土地で暮らしていくためのあるべき姿を指し示しているはずだ。
 そして彼は、ハートリーベイを取り巻く様々な課題、小さな村の住民だけでは抗うことはできない大きな外因であっても決してひるまず、伝える努力を厭わず、彼らに賛同する心ある人達を動かし、課題を解決するために共に行動し続ける、熱き人だと感じられた。
 地域振興策はいかにすれば儲かるか?という視点で語られることが多いように思う。スピリットベアを核にしたツアーは、これからも地域独自の産業として、現地の人々の経済的な下支えとなっていくことは間違いないだろう。まさに地域活性化の優良事例と言えるのだが、これらはさほど重要なことでも、注目されるべきことでもないと思う。
 野生のクマと人間との関わり方という観点で考えてみよう。一度歯車が回り始めるとストップさせることができない深刻な環境破壊の危機が目前に迫っている中で、これらの懸念を完全に回避させることができるのであれば、結果的に野生のクマも地域住民も持続的に共生できることになるだろう。まさにこのツアーが危機を回避させるきっかけとなりうる可能性を持っていることのほうが間違いなく重要であり、注目されるべきことだと思う。
 今まで全く考えもしなかった野生のクマと人間との新たな関わり方を実践しているMさんの話を聞いて、私が感じていた違和感、浅はかな偏見は、旅の最後の最後にきれいさっぱり解消されたのだった。

 Mさんの話はまだ続きがあるのだが、この時の話は別の機会に紹介することになりそうな予感がするので、今回は触れないことにする。彼の奥さんからの電話が鳴るまでの2時間が、今回の旅のハイライトであったと私は確信している。(2010,2)

※カナダ西海岸のプリンセスロイヤル島周辺の限られた地域に生息していると紹介されることの多いスピリットベアだが、NASU川流域からBella Bella周辺にかけての極めて広い地域に生息しているらしい。地理的に見ると南西アラスカの一部にも生息していてもおかしくはないような気がする。

注釈 後日、パイプラインは液化天然ガスと原油を運ぶためのもので、開発には日本企業が参画しており、当然日本向け市場がターゲットになっていることを私は知った。大多数の日本人は、ギトカ族の生活環境を破滅的な状況にさらし兼ねない行為に加担していることに、全く気付いていない。
 ぜひ、ナショナル ジオグラフィック 日本版 2011年8月号に掲載されている「森の精霊スピリット・ベア」と、「楽園を脅かすパイプライン」(p32〜63)を一読していただいて、スピリット・ベアの住むカナダ西海岸の広大なレインフォレストと我々日本人の生活が密接につながっていることに想いを馳せていただきたい。

「参考」

@グリーンピースジャパン「カナダ地域の問題--最大級の温帯雨林を守る」
 http://www.greenpeace.or.jp/campaign/forests/great_bear/
A国際環境NGO FoE Japan「森林生態系に配慮した木材調達に関するNGO共同提言」
 http://www.foejapan.org/forest/fairwood/kyoudou_wood.html
B「Great Bear Rainforest THE RAINFOREST SOLUTIONS PROJECT」
 http://www.savethegreatbear.org/British Columbia's
CGitga'atNation「GITGA'AT TOURISM」
 http://www.gitgaat.net/tourism.html
DBCParks 「Moksgm'ol/Chapple-Cornwall Conservancy」
 http://www.env.gov.bc.ca/bcparks/explore/cnsrvncy/moksgmol_chapple_cornwall/index.html
Eナショナル ジオグラフィック日本版 2011年8月号


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