「自然から学ぶ」


1.知床の自然から学んだこと−Sense of beauty 美しき自然に学ぶ

 日本の自然は美しい。四季それぞれに多彩な美しさを僕たちに見せてくれる。日本全国、北から南までいろいろな自然があるけど、北海道の自然、特に私が生活の場としている道東の自然は文句なしに美しい。
 どうして自然が美しいと感じられるのか?ずっとよくわからなかったけど、ある日突然「自然の美しさの本質は”ハーモニー”にある」とひらめいた。
 自然はシンプルそのもので、都会の雑踏のようなごたごたした無駄なものが一切ない一方で、多種多様な生命体が生きている。生命体が満ち溢れる豊かな野性的な自然ほど、より美しく感じられる。
 時として、人間の存在の一切を拒絶するかのような激しく圧倒的な荒ぶる力を見せ付ける厳しい北の自然において、なぜハーモニーが保てるのだろうか?それは、それぞれの生命体が、その自然の中で生きていくための強さと寛容さを備え持っているからだ。強さと寛容さがなければ、厳しい自然を生き抜くことはできない。強さと寛容さを備えた生命体のハーモニーが自然そのものなのだ。
 あらゆる生命体がハーモニーを奏でるかのように生きている自然の中で、私よりもはるかに強く、寛容さを備え持った、あらゆる生命体が発している生命の輝きはとても美しいものである。

 私に欠けているものを気付かせてくれたのは、知床の山中で出会う名もなき巨樹たちだった。知床の山中で出会う巨樹たちも例外なく美しい。この世に生を受け、大地にしっかり根を張り、厳しい環境に耐え、周囲の生命体と完全に調和し、木の実や花の蜜などの食料や住処を動物達に与えている。誰のために生きるわけでもなく、名があるわけでもなく、生きた証を残すわけでもなく、誰にも知られずに、やがては朽ち果てていく運命にあるにもかかわらず、限られた環境の中で、ただただ自らの一生を生き続けている。
 私は思う。知床の山中で出会う名も無き巨樹のような美しい人間になりたいと。

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 ある宗教者はその著書の中で「善友とつきあうことが仏道のすべてである」と述べている。無宗教者にとって仏道を理解するのは困難であるが、繰り返し解説される善友の定義を読み進むうちに、突然「善友こそ全て!」というフレーズが頭に浮かび上がった。
 内向的な性格と共に、いくつかの発達凹凸を抱えている私にとって、人とのコミュニケーションは相当に重荷である。多くの素敵な友人に恵まれ、華やかな人生を送っている人々を羨望のまなざしで眺めながら、若い頃は理想と現実とのギャップに大いに苦悩したものだ。
 しかし、私にも多くの善友がいることに気付いたのだ。善友の定義を完璧に満たす素晴らしい善友として真っ先に私の心に浮かんできたのは、知床の奥地で生き抜いている数々の巨樹たちであった。善友は何も人間だけではない。全ての生きとし生けるものが善友となりうるはずである。
 彼らは私に様々なものを与えてくれる。それは私が彼らに善友として接しているからであろう。彼らが私に何ものも与えてくれない時は、きっと私が善友としての心持ちを失っているからであろう。

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参考:知床半島における巨樹リスト

No. 樹種/胸高幹周/場所/標高/3次メッシュ情報/測定日/特徴
1 ミズナラ/485cm/××川流域/約160m?/664●-●●●2/2005,6,5/真っ直ぐな幹が印象的。
2 ミズナラ/485cm/××川右岸/約220m?/664●-●●●2/2008,5,25/運良く切られなかった?
3 ミズナラ(倒木)/565cm/××川右岸/約250m?/664●-●●●2/2008,5,25/確認時はすでに倒壊。。
4 ミズナラ/610cm/××川右岸/約250m?/664●-●●●2/2008,5,25/残念ながら2011年あるいは2012年に倒壊。
5 ミズナラ/495cm/××川流域/約240m?/664●-●●●2/2008,5,25/合体木か?
6 ハルニレ/410cm/チャラッセナイ川右岸/約260m/6644-07●●/2008,5,25/林道脇にある太いハルニレ。
7 ミズナラ/510cm/遠音別川・金山川流域/約390m/6544-77●●/2008,5,31/根元に近い幹が特に太い木。
8 ミズナラ/530cm/丸木沢流域/約200m/6544-77●●/2008,6,28/枝振りに勢いがある木。
9 ドロノキ/695cm/○○川中流/約245m/6544-66●●/2008,6,29/今のところ知床で最大の巨樹。
10 ハリギリ/4m超/一息峠付近/約260m/6645-0142/未計測/羅臼岳登山道沿いにある木。
11 エゾマツ/4m超/金山川左岸/約250m/未計測/6544-77●●/急傾斜地にあり測定できず。
12 ミズナラ/525cm/オペケプ川流域/約290m?/6644-07●●/2015,5,23/枝振りが特徴的。
13 ミズナラ/485cm/奥蘂別川・ポンイクシナベツ川流域/約425m/6544-56●●/2008,6,3/樹高の低い老木。
14 ミズナラ/540cm/××川右岸/約250m?/664●-●●●2/2008,9,16/すっきりとした印象の木。
15 ミズナラ/620cm/××川流域/約400m?/664●-●●●3/2008,9,21/極太根周りで強烈な存在感を放つ。
16 ミズナラ/590cm/××川流域/約140m/664●-●●●1/2009,4,19/極太幹周りが特徴。
17 ミズナラ/490cm/××川流域/約145m/664●-●●●1/2009,4,19/切り残された木。
18 ミズナラ/約530cm(参考値)/オチカバケ川・オショバオマナイ川流域/約300m?/6544-77●●/2009,11,23/林道脇に立つ木。
19 ミズナラ/約580cm(参考値)/岩尾別川流域/約80m/6645-10●●/2010,1,25/山側斜面に根が大きく張り出している木。
20 ミズナラ/600cm/岩尾別川流域/約360m/6645-10●●/2010,11,15/幹が大きく裂けた満身創痍の木。
21 ミズナラ/560cm/△△川流域/約480m/654●-●●●8/2012,4,30/クマの冬眠穴?と勘違いした木。
22 アカエゾマツ/485cm/△△川流域/約500m/654●-●●●8/2012,4,30/根元が大きく膨らんだ幹が特徴。
23 アカエゾマツ/460cm/△△川流域/約450m/654●-●●●7/2012,4,30/根が大きく張り出した端正な幹が印象的。
24 アカエゾマツ/410cm/△△川流域/約510m/654●-●●●8/2015,5,9/力強い根の張り出しが印象的。
25 ミズナラ/500cm/△△川流域/約515m/654●-●●●8/2015,5,9/トドマツと共生する異相のミズナラ。
26 ミズナラ/500cm/△△川流域/約470m/654●-●●●8/2015,5,9/枝ぶりが力強い。
27 ヤチダモ/505cm/△△川流域/約435m/654●-●●●8/2015,5,9/水芭蕉が咲く窪地に立つ木。
28 ミズナラ/590cm/□□川流域/約275m/664●-●●●6/2015,5,9/湿地のそばに隠れるように立っている木。
29 ミズナラ/560cm/オペケプ川流域/約210m/6644-07●●/2015,5,23/二股に分かれた太い枝振りが特徴。
30 ダケカンバ/395cm/オペケプ川流域/約290m?/6644-07●●/2015,5,23/巨大なダケカンバ。
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  参考資料:@全国巨樹・巨木林巨樹データベース http://www.kyoju.jp/data/index.html
       A木々の移ろい:http://www.asahi-net.or.jp/~ir5o-kjmt/kigi/kigihome.htm
       B日本の巨樹・巨木:http://www.kyoboku.com/menu.html


2.人間と自然について−人間と自然に関する思索

 これまでずっと北の自然を求めてきたが、恐らくは単なる好奇心がその原動力であったと思う。しかし、最近は単なる好奇心とは異なる、探求心に変化しつつあるように思う。 
 釈迦によれば、物事を考える上で、根本的な障害となるものは他ならぬ自分自身であり、自我であるという。そして、人間は例外なく感情で生きる生物であり、仏教用語によると貪瞋痴から逃れることができない存在であり、人間は本質的に無智であることを理解できない、あるいは認めない存在であるとも説いている。
 本質的に人間の持つ認知機能に欠陥があることに気づき、自我が作り出した歪んだ思考や現象を疑い、ただただ心地よい刺激を求め続ける人生を疑い、自分が抱え込んでいる欲や怒りを手放しつつ、無智と自我を壊すことに私は興味を持つようになってしまった。
 自然は心地良い刺激を満たしてくれる格好の対象物であることに間違いはない。世界中の美しい自然を追い求めたくなるのも十分に理解できる。しかし、最近の私は、自然をありのままに見つめる力を養うことのほうが、重要であるように思えてきたのである。好奇心に任せて世界中の美しい自然を追い求めたとしても、自分の人生の中で、大して得るものはないのではないかと思えるのである。
 北の自然との関わりを通じて、自分自身の生き方だけではなく、人間とは何か、人類の歴史、現代社会や社会集団、自然と自分の関係性、そして、それらの折り合いのつけ方について自分なりに思考し、ますます興味が深まるようになってきた。
 駆け足の旅であったのだが、先日、ユーコンと南東アラスカの自然に触れる旅を楽しみながら、これらについてもっともっと熟考していくためには、どの空間が適しているのか、どれほどの時間を要するのか、どのような方法でアプローチすれば良いのか、その方向性をしっかりと確認することができたように思う。

 振り返ってみれば、若き日の私は、自我を確立するための手法として登山に没頭し、ただ生きることに執着してきたが、人生の下り坂の末端を強く意識するようになってから、新たな手法で新たな人生を歩もうとしている。
 恐らく私は、来るべき死に備え、心穏やかに死ぬため、悔いのない人生を歩みたいと考えている。今の私には、自分の心身にこびり付いた懈怠の心に打ち勝ち、自主・自律・自由・独立の気概を持ちつつ、生きとし生けるものたちに対して、可能な限り善友の心持ちを持って接し、より良き人生を精一杯生きたいと望んではいるものの、それらを実現させるために必要不可欠な意志と行動力が欠けている。


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