会長挨拶
日本伝統獣医学会会長 長谷川 篤彦(日本大学)
はじめに
疾患の治療にあたって西洋医学に限界があり、また多くの問題が内在しているとして、それを補完する目的で西洋医学と全く異なった医学として東洋医学が注目されているように思われる。しかし医学の本質的な目的から考えるとそれには予防・治療・看護が目的であって、医学には東も西もなく一つであると考えられる。獣医師が行う行為は獣医療であって、代替とか補完とか言って特別視するのは不適切である。素人の行う処置であったり、民間療法としては代替であり、補完であるが、このことと東洋医学とは明確に区別しておく必要がある。東洋とか西洋か言うのは、内科とか外科とかの区別と同じ意味合いと考えた方がよいと思われる。
1. 東洋医学とは
6世紀ごろより導入されてきた中国医学を継承発展させてきた我が国の医学は蘭方西学(オランダの医学)に対して漢方医学、外来医学(ヨーロッパからの医学)に対して皇漢医学とか呼称され、近代医学に対し伝統医学と言われたりしている。また、欧米を起源とする医学を西洋医学としてアジアに発祥した医学を東洋医学と考えられてもいる。しかし一般に東洋医学とは西洋医学に対比されるもので、ここで言う西洋医学とは近代科学を基盤とした医学を意味している。したがって、西洋医学は18世紀以降に体系化されてきた医学のことで、18世紀以前に西洋で誕生した医学を指すものでない。この点を考慮すれば、東洋医学(漢方医学)は、我が国で体系化された特異な医学で、この医学を発展させ、医療に役立てることはわれわれの使命であると考えられる。そもそも東洋医学の源流は古代中国に認められる。中国大陸の西方に起源を発する主として内臓疾患を対象とする薬湯、南方に発した血行障害を主に対象とした鍼灸、東方の外科疾患を扱う石刀ならびに中央に発したところの、冷え症状やのぼせを治療する指圧などによる医療である。その考え方は総合的であり、経験的であり、哲理的であるとされている。したがってその特質として個体重視、未病対策、実利主義、対処法を病名としていることなどがある。
2. 東洋医学の位置付け
東洋医学を“偽科学”として無視することは容易であるが、これまでの歴史を考えると必ずや医療上の価値が存在するものと思われる。したがって有効性の確証を得て、またその機序を解明する必要がある。少なくとも現段階では現代の疾患治療の体系の中で一般に受け入れられるための努力が必要である。
犬にみられる外耳炎の病理発生において、細菌感染、真菌感染、アレルギー、内分泌疾患、耳疥癬などの関与を熟知しているので、これらを鑑別して治療法を選別している。しかし、抗生物質にしろ、殺ダニ剤にしろ、外耳炎の症例によっては著効を示しても、他では無効であって逆に増悪する場合もある。現在の東洋医学的療法は鑑別診断が不十分なため、まだその“いわゆる”科学的解析が欠如しているため鑑別診断が不確実で効果判定に問題が生じているものと思われる。したがって西洋医学で満たされない部分に東洋医学を試みて奏効する場合があるとか、東洋医学はやはり無意味であると結論付けているように思われる。東洋医学の医療を西洋医学的に応用している場合や、一方では東洋医学のなかに西洋医学的医療を包含して対応している場合もある。いずれにしても医療を発展させ、福祉を充実させることこそが最重要課題なのである。われわれの仕事は東洋医学に内在する医療発展のための萌芽を発見し開花させることである。
3. 研究課題
臨床上の問題としては、効果の判定法、基礎的には作用機序の解明および生理活性物質の特定などが挙げられる。
- 効果判定
西洋医学においても治療の効果を評価するのは極めて困難である。治療試験が新薬開発、再評価試験において行われているが、二重盲検法とかインフォームドコンセントとか統計処理法など種々の問題がある。しかし臨床的のみならず実験的にも何を目標に治療するのか、またその所見の収集をどうするかなど複雑である。特に東洋医学的処置は処置と結果との間に距離がありすぎるように思われる。したがって有効例と無効例を峻別する方法の良否から検討しなければならない。ウイルス感染と細菌感染を識別できなければ抗生物質の効果は対象症例の偏によって良好とも不良ともなる。
東洋医学による治療が有効な症例を集積し分析することが第一歩であり、治療目的を明確にして経過を観察することは言うまでもないことである。風邪に対する効果を解熱効果として判定すれば、漢方処方はむしろ熱を上げることで治癒に導こうとするものであるから評価は論外となるなどは効果判定の困難さを考えさせられる例である。 - 作用機作
東洋医学的処置に伴なって生体に惹起される反応については、ごく一部を除いては生理学的にも薬理学的にも不明の状態にある。しかし生体反応について西洋医学的に現在説明されなくても将来理解される可能性はある。分子生物学の発達によって10年前には予想もされなかったことが明らかになっていることをみれば、東洋医学で得られた知見は医学や生物学の発展に大きく貢献するように思われる。
利水作用を持つといわれている漢方薬による利尿作用は溢水状態では効果があるが、脱水状態では作用を示さない。このようなことは利尿作用のみならず各種の効果に認められることである。単に正常状態に導き過度な作用を及ぼさないことは西洋医学にみられる薬理作用とは大きく異なるところである。また糖尿病の漢方治療では血糖の降下に先じて尿糖が減少すると言うが、尿糖は高血糖に伴なう腎臓からのオーバーフローとの考えに反する事実である。このような西洋医学的に理解困難な現象を発見し検討することは臨床の現場にある者の責務であると考えられる。 - 医学、生物学への貢献
東洋医学的処置が症例の病状から考えて、使用される状況・環境が常に一定の条件のもとであるとは考えられず、治療効果についても常に一定であると言い難い問題がある。すなわち生理活性物質が確認されていないし、その作用機序も不明であるとされ、またその作用が誘起される点においても厳密性がないとされることである。例えば有効成分が特定されていない(特定されれば薬剤となる)など客観的な証明が不十分である。しかし今後効果が明らかになり、作用機作が判明すれば科学的な検討が可能となると思われる。逆に科学的に有効成分が判明すれば作用機序や臨床評価も確実に行われるようになるものと考えられる。生理活性物質は代謝産物として形成される可能性もあれば、細胞内に存在する場合も予想されることから今後の研究の発展が期待される。 - 新しい医療の開発
東洋医学の発祥は古く、また体系化されて久しい。しかし、その思想的背景は優れており、未病先防、即病防変などは西洋近代医学がようやく注目しはじめた問題である。また固定的で発展性がないように思われているが科学の進歩に伴って新しい視点からの解明が行われ、新たな発展がみられるようになり、さらに新たな解釈から新たな予防治療法が開発されている。この傾向はさらに加速されるものと思われる。
おわりに
東洋医学も西洋医学も目的は最善の医療を行うことであるが、東洋医学についての教育を受ける機会がないので誤認されている点が多い。過小評価や過大評価されているのは残念である。また代替療法、伝承医学、ホリステックメディシン、アロマテラピー、ハーブ医療、その他種々の民間療法などが話題になっているが、いずれにしても獣医師として医療に取り入れるなら、その効果を科学的に立証する必要がある。非科学的に論拠なく結論付けてはならない。神の信託のように反論不可能な論理であったり、結論のみを主張して証明責任を回避したり、他に転嫁してはならない。われわれは事実を把握し、これを検討して確証を得なければならない。このことは西洋医学と同様、東洋医学についても医学として存立する必須条件である。
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