(はた)家の一族

 

 日本が大陸と地続きだった頃、シベリアからやって来た部族が縄文人に

なった。インダス文明の航海者たちの末裔も、ベトナムやインドネシア

から黒潮に乗って日本へやって来た。彼らは弥生文化をもたらし、海人(あま)

と呼ばれている。

 中国大陸や朝鮮半島からも、さまざまな部族が日本へやって来た。全国

に多くの古墳を残した権力者も、この中に含まれている。彼らはスキタイ

民族を遠祖とする、遊牧騎馬民族だった。

 ギリシャ人が「スキタイ」と呼んだ、強大な軍事力を持つこの民族は、

北方イラン語系のアーリア人種で、ペルシャではサカ族と呼ばれた。インド

では「シャカ」と呼び、西インドに王朝を興した。悟りを開いて仏陀(真理

に目覚めた者の意)となったゴータマ・シッタルダは、シャカ族の王子だっ

た。

 黄金文化を持つイラン系サルマタイ人も、シルクロード交易商人で仏教

徒のソグド人も、スキタイの末裔である。中国では「(さく)」とか「烏孫(うそん)」の

名で呼んだ。この部族の一支流が、アルタイ山脈から敦煌・酒泉を勢力

範囲とした「月氏(大月氏)」である。

 また、モンゴル草原地帯を勢力範囲とした、アルタイ系の匈奴(きょうど)族、ツン

グース系の鮮卑(せんぴ)族、朝鮮半島北側の烏桓(うがん)族、トルコ系の突厥(とっけつ)族なども、

スキタイ系民族の末裔だった。

 応神天皇在位の頃というから、紀元240年前後の頃、弓月(ゆづきの)(きみ)に率いら

れた120(あがた)の民が、大挙して日本に渡来した。一県1000人としても、

12万人という数になる。彼らは一族を「(はた)」と称し、朝鮮半島の新羅から、

加羅(から)(伽耶(かや)韓国(かんこく))を経て、新天地・日本に定住してゆく事になる。

 秦は「はた」の他に「しん」とも読む。春秋戦国の乱世を征して、紀元

221年、中国西方の「(しん)」が統一王朝を樹立した。王の名は(せい)。彼は

始皇帝と称した。

 秦一族の故郷は巨丹(こたん)(現・新疆ウイグル自治区ホータン)である。漢民族で

はない。シルクロード交易の地であり、早くから鉄や銅の冶金技術を得て、

農具や武器に取り入れていた。また、絹や綿の紡績に優れていた。

 秦は兵馬傭坑の顔立ちかが示すように、多民族国家だった。秦が滅び漢

民族国家が台頭すると、秦の人々は諸方に散った。朝鮮半島にも「柵外の

人」という意味の「秦人(はたびと)」が、大量に流入した。

 秦一族は山城国(京都府)葛野(かどの)郡を本拠にして、養蚕・紡績業に従事した。

琵琶湖西岸の広大な野には、後に平安京が建設される事になる。秦酒公は

朝廷から「うずまさ」の姓を与えられ、「太秦」の字をあてた。太秦をどう

読んでも「うずまさ」とは読めない。中国ではローマ帝国を大秦と呼び、

長安の大秦寺が景教(キリスト教)寺院であり、ヘブライ語の「イエス・メシ

ア」 が北インドあたりまで来ると「ウズ・マシャ」と発音する事から、秦

一族とユダヤ教の関係が取り沙汰されている。シルクロード的文化の混沌

を思うと、有り得る話だろう。

 秦氏は、近畿一帯の他、関東地方では、相模国(神奈川県)大秦野・武蔵国

(東京都・埼玉県)八王子・飯能・秩父・下野国(栃木県)足利などに土着して

いった。

 秦氏はまた、なぜか神社の建立に力を入れた。松尾神社系、稲荷神社系、

平野神社系は秦氏直系である他、白山神社系は秦支族の三神氏が、賀茂神社

系は秦支族の賀茂氏、八幡宮系は秦支族の辛島氏が創建している。八幡は

「やはた」とも読むが、これは「多くの秦氏がいる」という意味である。

さらに金毘羅宮系の神社は「旗宮(はたのみや)」と呼ばれていた。旗は秦に通じている。

つまり、日本の主要な神社の創建には、すべて秦氏一族が関わっていると

言ってもよいのである。

 日本にとって秦氏が重要なのは、その支族の中に「中臣(なかとみ)氏」がいる事に

よる。645(大化元)年の大化の改新クーデターを成功させ、内臣(うちつおみ)として

国政改革にあたった中臣鎌足は、藤原の姓を賜り藤原氏の大祖となった。

藤原氏は、天皇家と密接な姻戚関係を結び、表は天皇家、裏は藤原家という

歴史をつくっていくのである。

 藤原一族は、一条・二条・三条・四条・九条・徳大寺・西園寺・近衛・

中山・芝山・高倉・松園・青山・足利などの公家。宇都宮・菊地・上杉・

伊達・織田・林・山内・桂・石原・岡本などの武家。佐藤・伊藤・近藤・

齋藤・工藤・須藤・後藤・加藤や、藤田・池田・山田・竹田・千田・赤塚

などの32藤152家の支流をつくってゆく。

 日本人が「シルクロード」という言葉から感じる、親しみとロマンと

望郷にも似た思いは、ユーラシア大陸を西から東へと旅してきた、遠い

記憶への郷愁なのかもしれない。