この甘夏はこうしてできました

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甘夏みかん              水俣の甘夏はおいしいよ

1932年頃、大分県津久見市で、夏みかんの枝変わり(突然変異の一種)として発見されました。最初の発見者は、園主ではなく、カラスと近在の子供たちだったといいます。熊本県には、 1950年(昭和25)に導入され1956年に奨励品種となり急増しました。夏みかんより酸抜けが速く、早くから食べられる、いわば早生夏みかんです。樹姿、花、果実の外観など夏みかんと区別するのは難しく、栽培に当たっては、果樹が樹上で越冬しなければならないため年平均気温16.5、冬季最低気温氷点下3を下回ってはなりません。

 

水俣病         1985年までの水俣湾、百闕`

水俣病は、工場排水に含まれたメチル水銀が海や川の魚介類を汚染し、それを食べた人に発生する公害病(伝染性疾患ではない)です。公式には1956年(昭和31)に発見されました。症状では特に手足や口の周りの感覚障害が特徴的で、この他運動失調、聴力障害、言語障害、視野狭窄などの症状があります。根本的な治療法は未だ無く、主に対症療法やリハビリに頼っています。原因企業はチッソ水俣工場で、チッソは、1932年から36年間にわたり工場排水をほぼ無処理で放出していました。チッソも行政も防止策を先延ばしにした結果、巨大な公害事件へと発展したのです。認定患者は2千2百人を超えますが、その6割が既に亡くなっています。更に多くの被害者がいたのですが、実態把握がなされないまま現在に至っているため、患者実数は未だに不明です。認定患者への救済も1973年の水俣病第一次訴訟判決確定まで待たねばなりませんでした。

甘夏の導入

私たち患者家庭の多くは海辺に糧を求めて暮らしてきた漁民であったため、水俣病を発症する者が多く出ました。同時にその原因である魚介類は、獲っても売れなくなりました。残された道は、「陸に上がる」ことです。丁度その時、登場してきたのが「甘夏みかん」だったのです。でも、漁師から甘夏生産者への転換は、経済的に大変困窮していた私たちに、更なる苦労を強いたのです。土地代・苗木代・農具代から、 実がなるまでの肥料・農薬・燃料・・等など、出稼ぎに出て現金収入を得ると、戻ってきては山を切り拓いて苗木を植えるという、そんな年月が続きました。病気に侵された体には、これだけでも大変でしたが、農協指導による甘夏生産は、同時に農薬散布や夏の過酷な労働の連続でもありました。農薬を撒く内に倒れる人や亡くなる人もいました。それは、「公害被害者が、農薬をかぶりながら作った生産物を他人に食べさせる」という「矛盾」に気づかせてくれることになりました。

 

産直の開始

裁判による決着とそれに続く救済以前に、多くの人々が、水俣に移り住むことで、あるいはカンパを送ってくれたりすることで私たちの支援を続けていました。こうした状況の中でごく自然に、患者の作ったものを支援者が売る・買うという、細々とした産直が生まれていきました。私たちは、1977年に、そんな中から生まれた甘夏生産者団体です。「被害者は加害者にならない」という決意からの出発でした。最初は15回もかけていた農薬を減らすことには不安がありました。近所の人たちも、心配してくれたり、そんな作り方でみかんができるものかと笑ったりしていました。しかし、産直を続けること販路を拡大することで、ゆっくりと周囲の状況は変わっていきました。農協出荷の園地でも農薬を減らし、除草剤をふらないようになりました。

拡大と問題

会発足10年間、販路は広がり続け、ピーク時には900トンを超えました。しかし、販売が広がるほど、甘夏を買ってくれた人たちから、私たちの産直が持つ問題点を指摘されることになりました。水俣病患者の支援という大義名分に隠れて品質がおろそかになっているのではないか、というのがその第一のものでした。

これをきっかけに会の改革は始まりました。生産委員会を強化し、摘果の指導を徹底し、会員全員に 機肥料も独自に開発したものへと切り替えました。低農薬であればなおさら、樹の日常管理は重要です。問題が起これば低農薬のせいにし、自分たちの生産過程での手落ちを自覚しないで、消費者にそれを押し付けても良いとするような甘えを無くそう、買ってもらう人たちの気持ちになって甘夏を栽培し届けようと決意しました。その結果、産直をはじめて今年で 30年、品質は飛躍的に向上したと自負しています。もちろん完璧ではありませんが、今後も努力を続けていこうと思います。

 

新たな難問          

ここ数年、世の中の不景気色も反映して、私たちの販売は300トン規模まで落ち込んできました。毎年売れ残りを捨て、生き残りを掛けた出荷を続けています。異常気象は、この状況を更に厳しくしています。柑橘の種類が多様化し、より甘く、むきやすい品種へと消費者の好みが移っていく時代の流れもあります。

しかし、甘夏のすっきりしたさわやかな味と香りを私たちは守りたい。買って下さる方々がいる限り、私たちは甘夏を作り続けていこうと思っています。

 

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