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年越しそば 

 
(2008.12. 1 2009.11.16加筆)

■ なぜ大晦日にそばなのか

なぜ大晦日に年越しそばなのでしょうか。『蕎麦事典』(新島繁著)によると、

  • 鎌倉時代に博多の承天寺で年を越せない貧しい人に、そば餅を振る舞ったところ翌年から運が向いてきたことから年越しそばがはじまった。
  • 室町時代に増淵民部という長者が、大晦日に無事息災を祝って「世の中にめでたいものは蕎麦の種花咲みのりみかどおさまる」と歌いそばがきを食べたのが年越しそばの始まり。
  • そばが細長いので、長く細く生きられるように願って年越しに蕎麦を食べた。
  • そばは、切れやすいので一年のいやなことは切り捨てたいと願って年越しに蕎麦を食べた
  • 金細工師が散らかった金粉を集めるのに、そば粉を使ったので、そばは金を集める縁起物だとい言って年越しに蕎麦を食べた。
  • そばは健康に良いという説が流行ったから年越しに蕎麦を食べた。
  • ソバという植物は、風で倒れてもすぐ起き上がるので、そのたくましさにあやかったから年越しに蕎麦を食べるようになった。

ちなみに、博多の承天寺(福岡市)は、鎌倉時代にこの寺の弁円というお坊さんが、そばとうどんを中国から日本に伝えたという伝説があり、「饂飩蕎麦発祥之地(うどんそばはっしょうのち)」の石碑があります。

しかし、そばの発祥は、1574年の木曽の定勝寺の記録に登場したのが最古といわれていますので、あくまでも伝説ですね。『蕎麦事典』に、年越しにそば餅と書いているのも、鎌倉時代に、そばはまだないだろうという著者のはからいでしょうか。

さて、年越しそばを始めた増淵民部という長者(大金持ち)が何者なのか、Googleで検索してみたところ、年越蕎麦を始めた人ということ以外何もありませんでした。おいおい調べてみて何かわかりましたら、ご報告ということで。

  • 増淵民部について調べてみましたが何もわかりませんでした。もしかすると実在しない伝説上の人物なのかもしれません。

■ もともと年越蕎麦は節分だった?

『蕎麦事典』(新島繁著)によると、本来「年越しそば」というのは節分に食べるそばの事だったそうです。節分に年越しそばとはちょっと違和感を感じるかもしれませんが、旧暦だと節分と元日の間は、ほんの数日しかありません。昔は節分も年末年始の行事の1つだったのです。

■ 毎月たべる晦日そば

年越しそばに似た言葉に、「晦日(みそか)そば」というのがあります。今は、みそかといえば、12月31日大晦日(おおみそか)のことですが、江戸時代には、毎月の最後の日を晦日(みそか)といいました。

実は、江戸時代には、毎月の晦日にそばを食べる習慣があったのです。もともとは、商家で、月末は集金や棚卸しでいそがしかったので、出前をとって使用人の労をねぎらったということだったらしいのです。

なぜそばだったのかというと、出前をたのめるということもあったでしょうが、やっぱり同じ出前を頼むとしても、寿司や鰻に比べれば安いということだったのではないしょうか。

明治になって、毎月の末日を晦日という言い方が廃れ、年末の大晦日だけになってしまいました。それにともなって、そばを食べる晦日(みそか)も、年末の大晦日だけになってしまいました。

これは私の個人的仮説ですが、月末の晦日そばと、節分の年越しそばが混同されて、ごちゃまぜになったのが、今の年越しそばではないだろうかと思っています。


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