白鳥の騒ぐ野の沼過ぎてここ山の沼面に浮く鳥の無し

逝きし子の思い出還りくる沼よ父母の孰れに悲を深くせむ

冬原のとびとびに浮く夕雲を渡り駈けつつ子の魂のあそぶ

うつぎ咲く野に子らを率て遊びにし思い出晒す那須野吹く風

短歌の部屋

夜の帷降りきたる沼の白銀に浮きて精霊(ニンフ)の幻を見き







母の歌集が発行されました

歌集「花残月」

平成18年2月2日発行

発行所  短歌新聞社

母に贈る言葉                                 

母・喜恵の短歌を紹介します。
少しずつアップしていく予定ですので、
時々覗いてくださいませ。

もし興味を持たれましたら数冊手元にありますので、小紅までメールをくださいませ。本は無料ですが、送料のご負担をお願いいたします。

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ずっと歌を作り続けて、いつかは歌集を出したい。」という母の夢は、母の歌の密かなファンの私の夢でもありました。このたびその夢が叶い、歌集「花残月」が発行されることになりました。

仕事を持ち家事に追われながらも、わずかな暇を見つけては小さなノートに日々の歌を綴っていた母。短歌雑誌の入賞欄に自分の名前を見つけてうれしそうだった母。自らは選に漏れて、照れくさそうに母の入選を喜んだ父。早くに故郷を離れ、以後ずっと京都に住む私に、故郷の香りいっぱいに短歌を添えた葉書を送ってくれた母。今、それらのことを懐かしく思い出しながら、ひたむきに歌を作り続けた母に、まずはおめでとうございますとお祝いの言葉を送りたいと思います。

短歌の知識がまるで無い私が内容に触れては、的外れな感想を述べてしまうかもしれませんが、歌集前半は、自然への憧憬や家族への愛、身近な花々への慈しみの気持ちをやさしい響きで詠んだものが多いように思います。それは取りも直さずその時期の母の生活が穏やかで幸せだったからに他ならなく、思い出を共有する私も、読んでいて懐かしく心地よい気持ちになります。

一方、歌集後半は趣が変わり、息子である「...」を歌ったものが多くなります。「...」は、八年前の四月、仕事にも家族にも恵まれてまさに人生の春という時に、病気で亡くなりました。生命力に溢れ色とりどりの花が咲く美しい季節とは対照的に、母にとって今までで一番暗く辛い時期で、唯一母が歌を作ることを止めてしまった時期でした。どんな言葉を持ってしてでも、そのときの心情を歌に表現することは出来なかったからだと思います。

でも、季節が巡りまた春がやってきた頃、「...」への思いは、悲しみを抑えた言葉で、一首また一首と誕生してゆきました。逝ってしまった子を思いながら歌を作る時間、それは懐かしい時間でもあり、胸つぶれるような辛い時間でもあったと思います。そうして出来た歌は静謐感に溢れ、私には母から子に捧げる鎮魂歌のように思えました。そして、「花残月」を歌集の名前に選んだわけは、彼が逝った月が四月であり、花残月とは四月のゆかしい別名だからなのだと理解したのです。

思うに「花残月」は、鎮魂歌と同時に私達家族の心のアルバムにもなりうると思います。父に、妻に、子供達に、姉である私に、これから先ずっと母の歌を通して...の優しい姿を見せてくれるような気がします。特に、幼い時分に父を亡くし、日々父の思い出が薄らいで行く子供達には、「ばあば」の歌に蘇る同時代の父の姿は、これからの人生の心の支えになることでしょう。...も空の上から「お母さん、僕の代わりにありがとう。」と言っているような気がします。

「一生に一回きりの歌集だから、載せる歌がなかなか決まらないし、文法の間違いが無いか緊張して疲れた。」という母、ちょっと一休みしたら、是非第二集を目指してください。一ファンとして、心からのエールを送りプレッシャーを与えて寄せ書きに代えたいと思います。

                                 8月16日 大文字送り火の宵に