主イエスを迎えよ

(2015年2月22日) 芹野俊郎 牧師(甲東教会)


イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んで主を迎えた。

                    (ルカによる福音書19章5節~6節)


①ザアカイという人
 ザアカイは、徴税人の頭であり金持ちである(2節)と記載されている。私たちがこの記述を見ると彼は人生の成功者であるように感じる。なぜこの世で充実している彼はイエスに会ってみたいと思ったのか。好奇心か、更なる成功を得るためという見方があるが、おそらくザアカイには、この世の成功者になっても満たされない気持ちがあったのではないだろうか。しかし小柄の為に、群衆に遮られイエスの姿を見る事はできない彼は、いちじく桑の木に登った。イエスが進むであろう道程を先回りできる先見性はやはり成功者の資質であるだろう。

②主イエスを迎えよ
 イエスはそんな彼を見上げながら「ザアカイ、」といって名指しして呼ぶ。イエスはザアカイの存在を知っていたのだろうか。いずれにしても突然名を呼ばれたザアカイにとって、この出来事は「イエスさまはこんな私の存在をすでに知っていて下さる!」という驚きであったのではないだろうか。またイエスの方から招いて下さったことも大きな喜びである。私たちは、私たちから神さまを求めて出会うことにより信仰を得ることが出来ると思いがちである。しかしそうではなく、イエスからの招き(神さまからの召命)があって初めて私たちには、強い決心(信仰)が与えられるのである。このイエスとザアカイの関係は、詩編139編を想起させる。神さまは、私たち人間のことをしっかりと究め、そのすべてを理解して下さるのである。しかし私たちはそのすべてを知っておられる神さまの思いを拒絶し避けてしまうことがあるのではないだろうか(詩編139編7節~)。
 だがザアカイは、イエスの招きに即座に答え喜んで主体的にイエスを迎えた。加えて弱者に対する施しをも進言する。イエスは失われたものを捜し(再発見)、救うことを自らの使命としておられた(10節)。ザアカイの名を知っておられたイエスは私たちが真実に必要なものも知っておられる。私の先にある神さまの支え導きに委ねて歩みたい。そして信仰を失わないように、教会生活を豊かに過ごしていきたいものである。