だから信じられるのです

2015年3月29日) 塩見和樹 伝道師


もし、だれかが、「なぜほどくのか」と尋ねたら、「主がお入り用なのです」と言いなさい。

                    (ルカによる福音書19章31節)


①子ロバを用いる
 イエスはエルサレム入城に際して、まだ誰も乗ったことのない子ロバを用いられた。なぜイエスはロバを用いられたのか。旧約聖書によると、諸国の民に平和を告げられる方がロバに乗ってやって来るとされている(ゼカリヤ9章10節)。またロバが当時のユダヤ人の生活に欠かすことのできなかった存在であり、幼い子ロバは私たち人間のような不安定な存在を指していると言えるだろう。イエスはこのエルサレム入城に旧約の預言の実現と、そんな最中に私たちを用いて下さることを強く望んでいたのではないだろうか。

②だから信じられるのです
 イエスはエルサレム入城の際に涙を流された(41節~42節)。それは救い主の入城をエルサレムから拒絶される嘆きの涙であると同時に、ここから苦しみの一週間を歩まれる人間イエスの「死にたくない。辛い思いをしたくない」と感じる苦悩の涙であった。
 私たちは、エルサレムの町のように、主を拒絶してしまうことがあるのではないか。慢心すると内に働く神様をないがしろにし、不安になると神様の存在を疑心してしまう。これこそ私たちの罪の正体であり、その罪ゆえに、イエスは十字架につけられて命を失われたことを、私たちはしっかりとわきまえるべきなのである。神様は、徹底して人間を愛するために、独り子の命を失うことさえも厭わない方である。イエスは「十字架での死に至るまで、神に従順(フィリヒ2章7節~8節)」であろうとされた。イエスは、その覚悟が問われる中で、人間らしい弱さゆえに涙を流され、私たちのような不安定な子ロバを用いて下さったのである。もしイエスが恐れを抱かない強靭な方であったなら、憧れこそあっても心から信頼を寄せることは難しい。しかし私たち人間の弱さを理解され、同じ痛みを担って下さるイエスだからこそ私たちは、信頼を寄せて歩んでいくことができるのではないだろうか。弱き友であるイエスに用いられる喜びを私たちも噛みしめながら、イエスが歩む苦しみの道を私たちも共に担う者でありたい。


③「主がお入り用なのです。」
イエスは、子ロバを調達するその重要な働きを弟子たちに委託されたように、私たちには社会の中で虐げられる方をイエスの下へと連れて来る宣教の働きが求められているように思う。弱くされる方、小さくされる全ての方に「主は貴方を必要とされている」ということを喜びをもって宣べ伝えていきたい