主にささげる

2014年8月3日) 岩河 敏宏 牧師


初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。


       (出エジプト記13章12節)


①想定外の驚き
 エジプトから脱出(主に救い出された)したイスラエルの民にとって、これで全ての憂いが解消され前途が開けたという状況ではない。主によって示された“約束の地”までの道程が、容易でないことは彼らが一番よく知っていたことである。集団で乾燥地帯を横断する旅は、食糧・水の確保をはじめ常に命の危険が伴う。そのような彼らが、家畜の初子(雄)を主にささげるという約束を記しているのは驚きである。食糧の面からも、財産の確保という面からも、初子をささげるというのは、極めてリスクの多いことだからである。もし、家畜が再び子を産まなければ、大きな損失になることは明白だ。
 私自身のこれまでの歩みを振り返ってみる時に、大きな衝撃を受けた友の行動があった。毎週遠方から教会学校に通う友3人が、私たち兄弟を誘うために、早起きして教会の最寄り駅手前で下車して来てくれたことがあった。当時、それぞれ進路に悩む高校生であったが、他者のために執り成す行為に深い感謝を覚えたのを鮮明に記憶している。


②主にささげる
 星野富弘氏のエッセイ「梅雨晴れ」を紹介する。
『二十四歳の時の梅雨晴れの日に、私は頸髄損傷という大きな怪我をした。梅雨になると何年過ぎても、あの時のことがよみがえってくる。大勢の人に迷惑をかけ、お世話になった。これといった夢や希望に燃えていたわけではなかったのに、一瞬にして夢も希望もなくなってしまったかのようだった。
 しかし、人間の一生はどんな展開を見せるか、本人はもちろん誰にもわからない。その事故をきっかけに私はそれまで腕が思い通りに動き、二本の脚で自由に歩けたことが、どんなにすごいことか気づかされた。こうして文字が書け、絵が描けることの喜びを知ることにもなった。
 梅雨は私にとって暗く重い季節であると同時に、新たな希望の芽生えた時でもある。』

 初子を主にささげるという約束は、救いを得た民の喜びと驚きの大きさが記されたもの。私のためにも、主がどれだけ心に留めて道を整えて下さっているかに気づき、自ら主にささげる者となりたい。