執り成す者

2014年10月19日) 岩河敏宏 牧師


モーセは主なる神をなだめて言った。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。

                (出エジプト記32章11節)


①かたくなな民
 出エジプト記25章から31章迄は、モーセがシナイ山上において示された律法の具体的内容について記されており、時系列的な流れでは24章より続くとされている。24章では契約の締結に際し、モーセが法を民に読み聞かせると「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」(24章3節、7節)と自らの意志で律法の遵守を誓約していることが強調されている。
 そのことを前提にして本日の箇所がある。私たちは神との約束(神を唯一とする)を守りたいと思いつつ、現実には自己の欲望(権力・名誉・財産)を手放すことが出来ない。ファラオとの交渉(5章~11章)においても、自らの発言を翻してイスラエルの民を解放しない人間のかたくなさが描かれている。それは権力者だけではなく、私たちも同様である。イスラエルの民はエジプトを脱出して以来、幾度も危機的な困難に遭遇するが、その度ごとに神の救いを経験してきた。それでも神への信頼を第一にすることなく、目に見える現実的な像に心を奪われる。

②執り成す者
 神は、「あなたがエジプトの国から導き上った民」(7節)とイスラエルの民を「あなた(モーセ)の民」突き放し、彼らを「滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする」(10節)とを怒りを顕わにする。それに対してモーセは、「神がイスラエルの民を導き出したのは、彼らを救うためで滅ぼすためではない。もし、民が滅ぼされることがあれば、それは己の罪の故であり当然であるが、しかしそれではエジプト人より救い出した神の御業がかえって侮られる結果になる。」(11節~12節)と強く再考を促す。このモーセの発言は、神からの「あなたを大いなる民とする」というモーセと子孫への祝福を遮ってのことである。これはモーセが自分一人と子孫が救いを得て繁栄しても、もし同胞が滅びその為に神の栄光が傷けられることになるのであれば、個人的な繁栄は無意味であるとの神への信仰表明である。執り成す者の働きとは、自己の立場や視点から物事を図るのではなく、神の栄光に帰すことを中心に据えて終始一貫して自らを律して仲立ちをすること。私たちも、人生を掛けて取り組みたい。