神の決意

2014年11月23日) 岩河敏宏 牧師


主はモーセに言われた。「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。

                    (出エジプト記34章1節)


①不変の態度で
 出エジプト記20章に「十戒」が記されており、書き出しは「神はこれらすべての言葉を告げられた。…」(20章1節)で、神自身が直接イスラエルの民に意志伝達をするという特別な表現がなされている。このことは、「十戒」がいかに重要であるかを示している。それにも拘らず、イスラエルの民(私たち)は神との約束を守ることが出来ずに破ってしまう(金の子牛;32章参照)。
 現代社会においても、相手との関係を明示するのに「契約書」が広く用いられている。我々の「契約書」では、相互の関係性を成立させる約束が破られた場合に備えて、契約不履行(破綻時)の条項が設けられているのが一般的である。その場合、契約条項に反する側に罰則規定が科せられる。これが契約社会の基本的なルールである。
 しかし、神がイスラエルの民との間に再度約束されるに際して(十戒の再授与)、「前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。」とだけ言われ、これまでに犯した罪に対する罰則は付加されていない。私たちが神との間で犯した罪(32章)に対して赦しがなされたなら(33章)、神は私たちがするように約束の不履行に対する罰則(保険)を掛ける様な事はされない。ここには不確かな私たちに対して、不変の態度で臨まれる神の慈愛が示されている。

②神の決意
 出エジプト記において「十戒」は、神から一方的に授けられたものではない。モーセが主の全ての言葉と法を読み聞かせた時、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と自らの意志で誓約する場面が二度も記されている(24章3節、7節)。主体的に神との関係を構築しようとする私たちではあるが、現実の営みの中では種々の誘惑や不安から「十戒」を守ることが出来ないでいる。
 そのような私たちの弱さを、神は十分に承知している。これまでも幾度となく神の力ある業を体験しながら、困難に遭遇する度に不平を述べてきた。本来ならば約束を交わす立場にない私たちに対して、それでも大切な言葉(十戒)を掛けて下さるのが神なのである。そこには、私たちがどんなに不従順であったとしても決して見捨てないという神の決意が込められている。