2014年8月(第588)号

賛美と祈り

牧 師   岩河 敏宏

後の世代のために
このことは書き記されねばならない。
「主を賛美するために民は創造された。

         詩編 102編19節

 教会において「賛美」という言葉を使う場合は、神の世界に対する語りかけとしての御業(救済)に対する人間の応答という趣が強い。特に旧約聖書においては、神(ヤーウェ)とイスラエルとの人格的な応答関係を前提にした「賛美」が多く記されている。それ故に、「賛美する」に対応するヘブライ語の動詞は、実に多様である。新共同約聖書の訳語では、「賛美する」「感謝する」「たたえる」「あがめる」「ほめ歌う」「喜び踊る」等に訳されている。
 私たちも、教会において日曜日ごとに賛美の歌を神に捧げている。先に記したように、神の御業に対する感謝や喜びを讃美歌として歌う。しかし、それだけではない。時に、悲しみの中にあっても賛美をする場合もある。私たちと信仰の歩みを共にしてきた教会員やその御家族を、神の許に送る時にも讃美歌を歌う。悲しみの時にも喜びの時にも、私たちはこの同じ礼拝堂で主を賛美する。「天に栄光、地に平和」と。深い悲しみや痛みの中にある時にさえ、神に賛美を捧げる。私の個人的な心情としては、その場合の賛美は「祈り」ともなる。一般的な意味での祈りは、人間が超越者へ向けて行う動作や言葉の全てがその範疇となる。ですから、言葉や動作、歌や奏楽、時には沈黙や呻きさえも祈りと成り得る。
 賛美は祈りの連帯であり、それを通して私たちの心は一つになる。「光あれ!」という言を想起する。それは悲しみの闇にある者の心を慰め、その魂を永遠の希望へと向けてくれる。「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」(口語訳ヨハネ1章5節)。詩編が告げているように、私たちは厳しい現実の中で悲しみや希望を見出せない者のために、心を込めて賛美し祈る者となりたい。