2015年3月(第595)号

徒労にかける信仰

牧 師   岩河 敏宏


たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません

           口語訳 ダニエル書 3章18節
 

 

 この時期になると、学生たちは進学・進級や成人式・社会人としての新たな展開に、心身を引き締めていると想像します。そして、新しい環境で自分を飛躍させることに期待をし、胸を膨らませているでしょう。
 冒頭の聖句は、バビロン王であるネブカドネツァルが自分の威光を誇示するため巨大な金の像を作り、全ての者に拝むよう命令を出した。ところがダニエルの友人である三名の青年は、「もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。たといそうでなくても(略)」と言う。この発言を聞いたネブカドネツァル王は血相を変えて怒り、燃え盛る炉の中に投げ込むように命じる、という場面です。イスラエルから引き離されて、異国の地バビロニアで生きることを強いられる厳しい現実。それでも、異国の慣習や文化に感化されることなく、唯一の神(ヤハウェ)への信頼を保持し続ける四人の青年たち。これまで苦労して歩んできたが、ここで駄目になるかもしれない、今までのことが徒労に終わるかもしれない。そうであっても、それに懸けていく三人の信仰に学びたい。
 私たちの人生は、自分の思い通りにならない。利己的な願いではなく、神の為と思ってする事であっても、神の沈黙に出会っていると感じる事もある。そのような時に私たちは、落胆し、失望し、神を見失ってしまう。「たといそうでなくても」この方法しかないと考える時、神は私たちの想像を遥かに超えて、私たちが歩める道を用意して下さっている。そのように信じて歩む者でありたい。