
宮川 哲 (みやかわてつ)
生年月日:1964.12.29生まれ
出生地:岐阜市 長良
血液型:O型
パート:ギター、ヴォーカル、MC
好きな食べ物: 寿司、生卵入り天ぷら蕎麦、焼肉(A5メイン)、豚骨醤油系ラーメン&餃子&小ライスの組み合わせ、アミノ酸系ドリンク、ウコンの力
嫌いな食べ物: 特にないが、春菊。酸っぱいもの(酸味のあるもの)は好まない。
好きなアーティスト: すごく多いんですが... ポールスタンレイ、ジーンシモンズ (KISS)、ブライアン・セッツァー、ザ クラッシュ、The WHO、プリンス、ローリングストーンズ、ビートルズ、レニークラヴィッツ、マイルスデイヴィス、The MODS、矢沢永吉、クレイジーケンバンド、あーちゃん、ロバートデニーロ、アルパチーノ、星新一、浅草キッド、小林よしのり
好きな映画:"ゴッドファーザー1.2.3”、"真夜中のカウボーイ"、"タクシードライバー"、"さらば青春の光”、"自転車泥棒”、 "トラック野郎望郷一番星”、"チンピラ”、"3-4X10月” もちろん "スカーフェイス”
<音楽プロフィール>
小6の時、好きな女の子がいた器楽部にむりやり入部、ユーホニウム(管楽器)を担当。"セビリアの理髪師"、"モルダウの流れ"を吹きこなす。
長良中学校入学。野球部在籍とともに、クラシックギタークラブにも席を置き、音楽発表会にて"禁じられた遊び"等が演奏される中、1人KISS の"ハードラックウーマン"、”ホテルカリフォルニア”を弾き語りする。その当時岐阜の田舎ではあまりにも一中学生の珍しい行動のため、うわさを聞きつけた全校生徒が発表会に集まりすぎて、音楽室入り口のガラスが割れる。(これホント) そして中3で本人の意志とかかわらず、みごと部長となる。
県立岐陽高校入学。(現在は本巣松陽高校。ドラマ"相棒"に主演の寺脇康文の卒業校)非行、無期停学を繰り返し学校のデスペラードとなるが、基本的に学校が好きで毎日通う。ラグビー部在籍とともに、3年の文化祭にて高校初のバンドライブ を企てる。出演は、現、高橋真利子バックバンド、熱帯JAZZ楽団のSAX、"野々田万照”、おニャン子クラブ渡辺美奈代の旦那、"矢島昌樹”、そして俺。なにげに同じクラスの皆はビッグネームという伝説のライブなのれす。(これホント)個人的にパンクバンド"イールドッグス"を結成し『ミッドランド岐阜市大会』にて努力賞を受賞。この努力賞というのが俺らしい。
卒業後上京。20歳の時に『六本木ケントス』にウェイターとして入店、楽器のできるウェイターを集め、"ウェイターズ"を結成。(スタッフバンドのは しり。その当時、従業員がケントスのステージにあがる事は考えられなかった)ケントスのイベントで初ライブを行い、ケントスバンドのあーちゃん、ぜんさん(ジョニー宮田)(キャシイーズ、クライングタイムでケントスよりメジャー デビュー。映画"シャコタンブギ”に主題歌を提供。折からのバンドブームに逆行し、男ツイン、ギターボーカルという、B'zを先取りした、早すぎたビッグユニット)に可愛がれ、以後つかいっぱしりとなる。同時期にオールディーズブームとなりあちこちでお店が誕生。北浦和の"アルフ”というお店で"アーリーシャッフル"というバンドでギタリスト(笑)としてデビュー。(本人はギタリストになりたかったのです。)ケントスにはなじみのある、千葉恭司とバンドを組む。その後アーリーシャッフルとして、(株)ミュージックハウスMOZにオーディションも受けず潜り込む。
1985年、デビューライブは横浜フライデー。しかし、努力の甲斐無く、たいして惜しまれず解散。のち、"ジャスティン"、"ポケッツ"(現ジーナZ、江夏優とのツインヴォーカル)、などのバンドを経て"ザ.プリズナー"、"CCライダース"(ともに全米エルビスプレスリーNol.1インパーソネイター、森泰仁とツインボーカル)のメンバーとして日拓グループ、赤坂ロリーポップのハウスバンドとして活動。同時にオリジナルバンド"BINGO"を現Guitar克己氏と結成。オリジナルとクラブバンド活動の両方をやりたいがため、死に物狂いで昼夜音楽活動に明け暮れる。しかし、他人に使われて音楽活動を続けるのに限界を感じ、自らの描くクラブバンドを模索するため約1ヶ月渡米。シンシナティ、シカゴ、ナッシュビル、メンフィスへ音楽修行。(つーか、普通に旅行)そしてメンフィスでは、サン.レコードでエルビスの"冷たくしないで"を相棒の森泰仁より先にレコーディング(しかしカラオケ&カセットテープ) 森氏、軽く悔しがる。(笑)
1992年、同事務所において自らがバンドリーダーとなる、"スカーフェイス"を結成する。平均年齢25歳、男ばかりのイケメンメンバー(?)で結成されたスカーフェイスは各ライヴハウスにて莫大な人気を得つつも、若さゆえのエゴのぶつかりあいより約1年半後、かなり惜しまれつつ解散。と同時にはじけたバブルの中で仕事もなく所属事務所の今後のビジョンも見えなかったため、現ギター克己氏を誘い独立を決意。
1994年、解散より3ヶ月後、事務所独立を期に、ちと遠慮気味に同名に似た"スカーフェイスII (2)"をスタート。これは安直にスカフェの名前のあとにローマ数字の"2"を付けただけ。事務所所属時にスカフェの名前は売れていたため、独立後にも多くの仕事を得るための苦肉の策。そして前事務所とのバンド同名のトラブルをさけるため。一年後に”スカーフェイス”に改名、すぐにホーンセクション、パーカッションを集め、当初の目的である70'Sヒットナンバーを中心としたバンドに移行するためリハーサルを重ねる。そしてこの大所帯のメンバー編成を"スカーフェイスプロジェクト”とし、六本木ロリーポップにて赤字覚悟で自主ライブを行い続ける。のち、70'Sライブハウスに移行を進めていた新宿ケントスにトラバンドとして出演。
2002年、それまで買いそろえた音響機材をもとに、フリーで動いていたオペレーター皆葉氏(現サウンドフェイス社長)とともに、音響レンタルリース会社、"有限会社サウンドフェイス”を設立。現在もプレイングマネージャーとしてステージに立ち続ける。
目標は、"渋くならない”。これからも応援よろしく!