つれづれフォト記
 2006年2月12日より

     

ポッカ〜ポカの良いお天気〜♪
アニメ画像は「ブンだらけ&グズラカンパニー」さんよりお借りしています。


お江戸散歩NO8
武蔵野散歩
NO2
(2006年3月22日撮影)

コースチャート

JR武蔵小金井駅⇒そうろう泉園⇒貫井神社⇒都立殿ケ谷戸庭園⇒真姿の池⇒お鷹の道⇒最勝院国分寺⇒都立武蔵国分寺公園
⇒JR中央線・武蔵野線西国分寺駅

4月29日
武蔵野散歩
NO2


今回のお散歩は、小金井と国分寺を歩きます。
小金井、国分寺は東京のほぼ中央に位置します。1万年以上も前から人が住んでいた小金井ですが、江戸時代に玉川上水が完成して新田開発が盛んになりました。
小金井という地名は「黄金に値する豊富な水が出る」ことから転じたといいます。
国分寺は、その名の通り、奈良時代の天平13年(741)に、武蔵国分寺が建立され国府が設置され、武蔵野の政治・文教の中心地となりました。その武蔵国分寺も元弘3年(1333)に新田義貞が鎌倉に攻め入る途中の戦火で焼失しました。その国分寺の一帯は、崖線と呼ばれる多摩川の河岸段丘で、その崖の切れ目から多くの清水が湧き出しています。今回はその(はけ)と呼ばれる湧水を訪ねます。


楽しいお散歩,今日も、ルンルン〜♪
そろそろ、大好きな椿の花の咲き出す頃です〜♪
今回も、とっても良いお天気です〜♪
この駅は、以前、(お江戸散歩NO1「(へ)武蔵野巡り」で来たことのある駅です。今回は、南口改札口に集合です〜(^_^)
ウ〜ン!、もう、4年も、お散歩しているんですね〜、ビックリなんですよ!
でも〜、元気が一番ですね〜(^^ゞ♪

武蔵野の面影の残る坂道を、元気良く歩きましたよ〜♪

そうろう泉園の入り口
JR中央線武蔵小金井駅から商店街を南に抜け、
西に向かうと15分ほどで(そうろう泉園に着きます
「土地の人はそこがなぜ(はけ)とよばれるかを知らない。」の書き出しで始まる
大岡昇平の小説「武蔵野夫人」の舞台を彷彿とさせる庭園です。
ここは、(はけ)と湧水をたくみに取り入れた別荘として、大正初期に造成されました。
そうろう泉園の名は「波のように青い水をたたえた泉」との意味で、
犬飼毅元首相が名付けました。

貫井神社(ぬくいじんじゃ
そうろう泉園を出て、国分寺駅方向へ少し歩くと、長閑な貫井神社があります。
ここは、旧貫井村(現貫井南町)の鎮守で、かっては貫井弁財天と呼ばれました。
三方を崖で囲まれ、崖の上は鎮守の森になっています。

貫井神社の湧水の一つ
静かに、ふつふつと〜湧水がわき出ていましたよ〜♪
ここの湧水と、そうろう泉園、小金井市立美術館の湧水は、東京名水57選に
選ばれているそうですよ。

貫井神社裏手の崖 
ここが、崖線という感じがしましたよ。
崖の下からは、湧水が滴り落ちてきていましたよ〜♪
ウ〜ン!、ペットボトルを持っていけば良かったなぁ〜と、思いました〜(^_^)
 

5月13日 都立殿ヶ谷戸庭園


都立殿ヶ谷戸庭園入り口
5月の風薫る連休も、アッ!という間に終わってしまいましたね〜(^_^;)
そろそろ、、こちらのシリーズを続けていきますね♪
長閑な貫井神社を後に、国分寺駅方向へ暫らく歩くと駅近くに台地と崖線の地形を
生かしてたつ、この庭園があります。


都立殿ヶ谷戸庭園
大正2〜4年にかけて、当時の満鉄副総裁江口定條が創設、その後
三菱財閥の岩崎彦弥太が回遊式林泉庭園に完成させました。
昭和54年から都立公園として一般に開放されています。
武蔵野台地の傾斜地にあり、国分寺崖線のハケと崖下から湧き出す地下水を
利用した庭園は、武蔵野の面影が色濃く残されています。

庭園の斜面の梅園には、未だ梅の花が咲いていましたよ〜♪

斜面の一角を彩る、沢山のカタクリの花群生〜♪

庭園にある、馬頭観音碑 

斜面の崖にある坂道で、馬頭観音の案内板がありました。
(馬頭観音への坂道
馬頭観音は、馬の息災と旅の安全をもたらす観音様です。
石碑の前に佇むと、当時の村人たちが、馬を慈しみ、道筋の保全を願い、あるいは
旅に出た人の無事を祈る気持ちがしのばれます。
この急な坂道の登り下りが平穏でありますように〜)
と書かれていましたよ〜(^_^)♪

崖線からの湧水の滝

滝の下の湧水の側には、このような説明板がありました。

崖線のハケと崖下から湧き出す水を湛える庭園の池は武蔵野の面影が残る
美しい池でした〜♪


5月17日 お鷹の道真姿の池
お鷹の道
都立殿ヶ谷戸庭園を後に武蔵野の面影の色濃く残る住宅地を通り
細く流れる湧水の小川の側の小道(お鷹の道)を国分寺跡へと歩きました〜♪
お鷹の道の案内板です♪
この道は、江戸時代、将軍が鷹狩りの際に通ったことから名づけられたそうで
長さは約300mあります。
お鷹の道に咲く梅の花です〜♪
真姿の池
昔、玉造りの小町という美女がらい病にかかり、この池の水で顔を洗うと
もとの姿にもどった、と伝えられるこじんまりとした、美しい池です〜♪
この日は、可愛らしいカモさん達が、ス〜イ、スィ〜、と、遊んでいましたよ〜(^^ゞ!
池のほとりに弁才天が祭られています。
国分寺楼門
真姿の池から、少〜し住宅街を通り抜けると
最勝院国分寺・国分寺薬師堂があります。
大きな国分寺楼門の向うに、国分寺薬師堂がありましたよ〜(^_^)♪


国分寺楼門説明板

落ち着いた感じの最勝院国分寺門前 

最勝院国分寺・国分寺薬師堂 
天平年間(729−767)に僧行基が草創したといわれ、聖武天皇の勅願所だった真言宗の寺。
境内には160種の万葉集に登場する植物とその名と万葉集を記した札があります。
薬師堂と仁王門は、宝暦年間(1751−1764)の作です。 

国分寺薬師堂側におわす女人の石仏さま

境内にある万葉植物園には
各植物の名と万葉集を記した札が添えられています。
こちらは、その一つで「かおばな⇒ひるがお」の札です。
沢山あって、全部は見られませんでしたよ〜(^_^;)!  
(高円の野辺の容花おもかげに 見えつつ妹は 忘れかねつも 巻八の一六三〇)
と、記されていましたよ〜♪ 

その(ひるがお)です。雨の中でも、沢山の花を咲かせています〜♪

武蔵国分寺跡に続く都立武蔵国分寺公園です〜♪
平成14年4月に開園した新しい都立公園で
総面積10万9000u、一周500mの円形芝生広場を中心に、
桜・ケヤキ・イチョウなどの高木、池、噴水、滝が配されています。
広〜い公園を通り抜けるとJR中央線・武蔵野線西国分寺駅に出ます。
公園の梅は、そろそろ散り始めていました。
今回も、良く歩き、走りましたよ〜(^_^メ)! お疲れ様でした〜♪



3月1日
お江戸散歩NO8
蔵前〜合羽橋道具街へ
2006年2月22日散歩
コースチャート
蔵前駅⇒龍宝寺⇒西福寺⇒鳥越神社⇒鳥越おかず横丁⇒誓教寺⇒聖徳寺⇒源空寺⇒曹源寺⇒合羽橋道具街⇒東京メトロ銀座線田原町駅

東京都台東区鳥越の(鳥越神社)の柿の木
美味しそうな、干し柿でした〜♪、鳥が採りにきていましたよ〜(^^ゞ
龍宝寺(りゅうほうじ)
お江戸散歩は、まだ続けているんですよ〜♪、相変らずバタバタと過ごしていましたので
なかなか、UP出来ない内に、どんどん〜と、季節が変わってしまいましたので
今回から、こちらでご紹介したいもの〜、と、思いますので、又、お楽しみ下さいね。
一度には、ご紹介出来ない程、お散歩していますので、(つづく)で、繋げていこうと思います。
今回のスタートは、都営大江戸線の(蔵前駅)からです。最近、地下鉄は、沢山の線が出来て
その乗り換えや、駅でのキップの買い方も、良く見てから買いませんと、時間通りに
辿り着くのも、難しいですので、タマには電車に乗らないと、分らなくなりますね〜(苦笑)
今回のお散歩エリアは、上野の東側から隅田川西側の、三筋、元浅草、寿、松が谷の一帯を
歩きます。この辺りは多くの寺社が集中する場所で、その数はおよそ100程あります。
その多くの寺社には、江戸時代の多くの著名人が墓所に眠っていますので、今回は、
私達にも、馴染み深い方々の墓所を訪ねます。
駅から、国際通りを横切り、住宅街を通り抜けて、ビルの下側の、こじんまりとした(龍宝寺)
行きました。ここは、通称(川柳寺)といわれています。現在でもお馴染みの(川柳)
初代の柄井川柳(からいせんりゅう)⇒享保3年ー寛政2年の名から付けられました
その柄井川柳の墓所があります。その辞世の句は
(木枯らしや跡で芽を吹け川柳)です。
見学は申し込みが必要で、今回は、門前からの撮影です。
西福寺(さいふくじ)
龍宝寺を南に下ると、この寺に出ます。徳川家康の危難を助けた了伝が開基した寺で
寺紋は(葵)ですが、家康が付けたといわれます。境内には北斎が師事した
浮世絵師の勝川春章の墓があります。
通り掛かりの公園にも、そろそろ梅の花が咲き出しました〜(^_^)♪
鳥越神社(とりこえじんじゃ)の絵馬
西福寺を少し南へ出ると、蔵前橋通りに面して鳥越神社があります。

3月3日雛人形
蔵前の店先で見かけました雛人形です〜♪、少し古風な感じですが
優しいお顔立ちで〜、こんにちは!、とでも言っているようでしたよ〜(^^)
雛人形は、雛祭りに飾る人形で、穢(けがれ)や災いを移して流す
「ひとがた⇒人形」が起源とされ、平安時代に始まったそうですよ。
当時の雛人形は、紙や土で作った立ち雛で、座り雛になったのは、室町時代からのことで、三月三日の(桃の節句)に雛人形を飾るようになったのは、江戸時代になってのことだそうですよ。 昔から続いていたお祭りだったのですね〜♪
鳥越神社(とりこえじんじゃ)の大鳥居
お散歩の続きですが、こちらは蔵前橋通りに面して立つ、
白雉2年(651)創建の古社で「とりこえ」と濁らずに読みます。
鳥越神社の絵馬です〜♪
この絵馬の上に実る柿の実は、干し柿のように美味しそうでしたよ〜(^^ゞ!
鳥越神社の本殿、皆さんでお参りしましたよ〜♪
「寺は浅草、社は鳥越」といわれ多くの参拝者が訪れます。
毎年6月9日前後の例大祭には大神輿が繰り出され、1月8日の「どんど焼き」も人々で賑うそうですよ〜(^_^)
3月9日梅の花
鳥越神社の近くで咲きだした梅の花
(梅いちりん いちりんほどの あたたかさ)
お散歩の日は、とても暖かな日でしたよ〜♪
楽しそうに立ち話していましたよ〜♪
鳥越神社を参拝してから、間もなくの蔵前橋通りと清洲橋通りの交差する
鳥越1丁目にある、下町の名所「おかず横丁」に行きました〜♪
およそ200m位の所には、戦前の、今も残る懐かしいレトロチックな店が
軒を並べて、建っていました。
皆さんで、お夕飯のおかずを買いましたよ〜♪
私は、大学イモを〜(^^ゞ、美味しかったですよ!
誓教寺(せいきょうじ)の葛飾北斎の鞘堂
鳥越おかず横丁の前の通りが左衛門通りで、その通りを800m程北上すると
誓教寺です。寺には浮世絵で知られている葛飾北斎の墓があります。
墓石には(画狂老人卍墓)とありました。
北斎は、浮世絵の葛飾流始祖です。宝暦10年(1760)に本所割下水に生まれ、
嘉永2年(1849(1849)に浅草聖天町の長屋で89歳の生涯を閉じました。
生涯に93回も引越しをする、極貧を気にもかけないなど奇行に富んだ人
であったそうですよ。やはりただものでは無かったのですね〜。
同時代には、滝沢馬琴、十返舎一九がいたそうです。
3月12日聖徳寺のマンサクの花
春に先駆けて、(まず咲く〜♪)という意味があるところから
名づけられたという花、聖徳寺に咲いていましたよ〜(^_^)
なかなか味わい深い花ですね♪
聖徳寺(せいとくじ)
誓教寺をさらに北上するとある寺です。関東大震災で焼失しましたが、
かっては聖徳太子像を収めた上宮太子堂で有名でした。
多摩の羽村から四谷までのおよそ43kの上水、玉川上水を建造した玉川兄弟の墓があります。墓は2基あり、奥が兄・庄右衛門、手前が弟・清右衛門です。
玉川兄弟は、この功績により、200石の扶持と、玉川の姓を賜ったとのことですよ。
玉川兄弟の像
こちらは、以前「お江戸散歩のNO6(け)本郷〜神田散歩」で行きました
東京都水道歴史館で見かけました(玉川兄弟の像)です。
今も、大変お世話になっていて、有り難いもの、と、思いました。
こちらは、その同じ所で見かけました、神田川の錦絵です。
上を、上水が流れていたのですね〜♪
3月14日 源空寺(げんくうじ)
聖徳寺で、お参りした後は、さらに少し北へ歩き源空寺へ行きました。
この寺は、かっては湯島にありましたが、明暦の大火後この地に移転しました。
墓地は本殿のある境内と別にあり、伊能忠敬の墓、があります。隣り合って
高橋至時、幡隋院長兵衛が眠っています。
画像は、50歳から始めて、初めて実測による日本地図を作ったことで知られている伊能忠敬の墓です。立派な方だったのですね〜!
見習いたいもの、と、思いました。

曹源寺(そうげんじ)⇒かっぱ寺
源空寺をさらに北へ歩くと、境内にかっぱ大明神を祭り、かっぱ寺の別名をもつ
曹源寺があります。江戸時代後期の合羽屋喜八が、私材を投じて付近の治水工事を行い
その工事をカッパが手伝ったと、伝えられています。
商売繁盛、火難除けにご利益があるそうですよ。
可愛らしいカッパさんが、あちらこちらにいましたよ〜♪

曹源寺を後に、合羽橋交差点から菊屋橋交差点までのおよそ400mほどの所
の両側に厨房用品の店の並ぶ合羽橋道具街へ行きました。
商店の一角には、商店街の繁盛を願って、(かっぱの河太郎)像が建てられていましたよ〜♪
今回は、こちらで解散になりました〜(^_^)
お疲れ様でした〜♪


さ〜あっ、美味しいものをつくりましょうね〜♪
ルンルン〜〜♪