朱雀正道 homepage sujaku ぼくは、きょう、こんなことをおもうんだ。
歩いている途中に空き地があらわれると、ぼくはしばらく見ていることがある。住宅地のなかに突然現れる空き地というものはいくらか不穏で、たとえば相続税を払うことができなかったりして・・・などといった予感が漂っていたりする。だが、もちろん植物にとってはそんなことは知ったことではなく、カヤや、タンポポや、時計草や、シソや、ぼくが名前も知らないような草が、おもいおもいに生えている。土が見え、目の前に空間が広がるのは、うれしい。それに雨のあとは、草もつやつやしていていきおいがいい。
たまに茶人の気分で(?)、土を割るように生える赤シソの、葉を何枚かちぎって持ち帰ることもある。(冷や奴にのせたり、ごはんの上に散らしたりして、食べるのだ)。春先には、まだ花の咲かない時期にタンポポの葉をちぎって持ち帰ったこともある。(30分くらい冷水にさらして、ドレッシングをあえて、サラダにして食べるのだ。苦みがあって、大人っぽい味がする。ちなみに花が咲いてしまうと、もう葉は堅くなって食べるにはだめだ)。そういえば、空き地のアロエをナイフで切って、持ち帰る日もあった。(皮を削いで、とぅるんとした果肉をとりだし、ヨーグルトにまぜて食べるのだ)。
たまに、公園の池に泳いでいる鴨を見ているとき、あれをつかまえて料理して食べれば、貧乏になっても平気だな、と、おもうこともある。
まだやったことはない。(ちなみに鳩も、まだだ)。
いろんな国の言葉をしゃべることができ、いろんな国を旅して、年間数えるほどしか風呂に入らないでも清潔な肌をしている・・・そんな噂の西江雅之さんという人は、子どもの頃、犬をとっつかまえて、食べたこともあるとか。その当時は、動物になる訓練もしていたそうだ。
すごい人がいるものだ。(2002/6/26)
●子どもの頃犬を食べたことがあるという西江さんは他方で、犬らしい犬、もっともらしい品種なんてついていない、かつてはそこらじゅうにいたはずの雑種の犬が、ある時期から消えてしまったことを憂い、憤ってもおられた。この話は、(お化けの専門家で、文学者の)平野威馬雄さんと西江さんとの対談本のなかで読んだ。そういえばバリには犬らしい犬がいっぱいいるな、と、ぼくはおもった。
美術や写真の話
|
音楽の話
|
文学の話
じぶん自身の話
|
なんの話?
ぼくは、きょう・・・ 総目次
|
topへもどる