朱雀正道 homepage sujaku ぼくは、きょう、こんなことをおもうんだ。
「さぁ、みなさん、チャツネを少しどうです。ちょっとばかり、大切なことを話しておかないとね」
そして男は話しはじめる。すばらしくおいしい緑のチャツネが、かれを過去の世界へひきもどす。「息子は理解してくれるだろう。ぼくは誰よりも息子のために物語を語っているのだ。だからのちほど、ぼくが割れ目との闘いに敗れた時、息子は知るだろう。道徳も判断も人格も・・・すべては記憶とともにはじまる・・・だからぼくは記憶をとっているんだ。
そんな場面があった。インド独立記念日の真夜中に産声をあげた、哀しい男の子の物語のなかで・・・。穴のあいたシーツ・・・それがなにか不穏の象徴として、その、「真夜中の子どもたち」の話は、はじまるのだった。そんな小説がある。「割れ目との闘い」という言葉は、いま、また、あらためて怖ろしい現実味をおびて、聞こえてくる。(割れ目・・・そう、宗教、民族、国家・・・それぞれの重なり合いとずれのなかで生まれる「身を引き裂かれるような痛み」について・・・、ただし、ぼくにはそこから先を話す資格はなさそうだ)。
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「さぁ、みなさん、チャツネを少しどうです」・・・そんな言葉が、魔法のように、ぼくを包み、異国への、ときに明るくときに暗い、夢へいざなう。インドはいったいどんな国なんだろう? 伊能さんの「女の花道」の文章を読んだり、路上のスパイス屋の写真を見ながら、ぼくはおもう。いいにおいに引き寄せられて・・・。
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「インドってどんな国なんだろうね?」 そんなことを言いながら、ゆうべ(『直也と朱雀』の直也は、うちでカレーを作ってくれた。こんな話をしながら・・・。
「『踊るマハラジャ』って映画があるでしょ。あれはね、使用人として同年齢の主につかえている主人公の話なんだよ。あれ、主従関係は、従兄弟同士なのかな? おたがいじぶんたちの出生の秘密は知らないんだよ。主人公は髭はやした30代の男で、腹が出ていて、目がギョロリとしていて、いかにも女好きって感じなの。ま、インド的な意味ではかっこいいんだろうね。で、旅芸人の女の子といっしょに踊ったり、いろいろあってさ。で、話の終わりの方で、30年間くらい菩提樹の下で瞑想していたおとうさんが、(これがまた!)突然現れるんだよね。その結果、その使用人だった男は、実は領主の本当の息子だったことがわかるんだ。そのとき主従関係が逆転する。それが、踊るマハラジャの<踊る>って言葉の ふくみ なんですね。そのときこれまで主だった男が、その主人公の着ている民族衣装の腰のベルトをはずし、そのベルトをもらい受けようとする。・・・で、そのあとおもいがけない、ちょっと不可解な展開があるんですよ・・・」
そんな話を聞きながら、ぼくの部屋のキッチンには、しっかり炒めた真っ黒なタマネギをベースに、カルダモン、シナモン、フェンネルのブレンドされたかおりがたちこめるのだった。
まだ見ぬ遙けきインドの友よ、だが、インドは遠い。ま、そんな話はともかく、直也の作るカレーは、うまいのだった。(2002/6/30)
●(ぼくは映画は見てないけれど)、それにしても『踊るマハラジャ』の主人公って、どうしてあんな不細工なのに、モテモテなんだろうな? たしかに踊りもうまいし、喧嘩も強いらしいんだけど・・・。ま、『銀河鉄道999』の鉄郎みたいな感じなのかな? うーん、ここにもまた、インドの謎が・・・。
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