日本の染め織物

       

染め織物の

名称

写真

説明

 

 

 

アッシ織

(北海道)

 

 

 

北海道の南西部の辺りにしか、その技法が残ってなく、

古くからアイヌの人々の間に伝わる織物です。

“アッシとはこの織物の原料となる”オヒョウ“という植物の

意味から由来していますが、現在ではその他の植物で

織られた物も、呼ばれるので“繊維衣服の総称となりました。

布の特徴として、厚手で、打ち込みが強く、又、以外にも、

しなやかな風合いです。

殆どは“自然の色=染色していない”織りっぱなしの生地で、

薄茶色の濃淡の樹皮の色をしています。

オヒョウという植物は、晩冬から晩春に掛けて採取が行われ

はがした樹皮を、更にその場で外皮と内皮に分け、

繊維となる内側を持って帰ります。

その後、沼に2〜3週間浸してぬめりを取り、更に川の清流で

もみ洗いをして不純物を取り除きます。

その繊維の元を薄くはいでから、日陰干しをし、爪で細く

裂いて糸に紡ぎ、織られて出来上がりとなります。

 

 

 

 

ユーカラ織

(北海道)

 

 

 

 

 

 

この織物は言葉の雰囲気から、アイヌの人々と関係がある

様に感じますが、実は、北海道旭川市の染色作家

“木内綾氏”という女性が昭和37年に考案した織物です。

又、ユーカラには、“優佳良”の文字が、版画家の

棟方志功氏によって当てられました。

当初は、家庭内の手芸的なものでありましたが、今では、

美術工芸品な作品から、趣味的な小物類に至るまで、幅広く

制作が行われています。

そして昭和54年に世界的に有名とされるハンガリーの

国際織物ビエンナーレ展で金賞を受賞し、脚光を浴びる

ようになりました。

技法においては、原料は北海道産の羊毛を使い、その原料を

染める“先染め”と紡いだ糸を染める“後染め”があり、

どちらにしてもユーカラ織特有の色を出す為に、染めた羊毛を

ハンドガードという方法で混毛します。

紡ぐ時は、1本の中に7〜8色を混ぜて紡ぎ、作品の種類に

より経糸(たていと)の長さや本数を決定する“整経”をします。

丹念に織り上げられたら、その織物は、石鹸入りの温水に

浸され、何百回も繰り返して布地を整えていき、最後に

綺麗にすすいでから、自然乾燥をして、アイロン掛けをし、

出来上がりとなります。

 

 

 

 

 

 

こぎん刺し

(青森県)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こぎん」とは、短い着物を意味する小衣(こぎぬ)から、

発したと言われ、青森県の弘前周辺で、作られてきた

刺し子の事です。

起源は、江戸時代後期の文献に“小巾の文字が、

出てくる事ので、その頃から行われていたと見られます。

この辺りは、寒冷地により綿の栽培が出来ず、又、絹・木綿の

着物は貴重品であり、着用の禁止されていた為、麻を着衣と

していたが、保温性に欠けることにより補強や防寒の為に

麻糸で刺し綴るようになって、生まれたのが“こぎん刺し”

です。

当初は、布目の横糸に沿って白糸で運針し、点線上に刺す、

単純なものでした。

明治以降、木綿が解禁になると今まで使用していた

“麻の白糸”が、木綿の白糸に変わり、それが使用される事

によって、装飾・工芸的な物にへと変化していきました。

この様に、明治時代に全盛期を迎えた“こぎん刺し”も、

鉄道の誕生により、木綿の反物が簡単に手に入るように

なってからは、次第に衰退していきました。

再び、こぎん刺しが見直される様になったのは、昭和初期の

柳 宗悦(やなぎむねよし)らの民芸運動によって、

復興されました。

こぎん刺しは、作られる地域により、模様が違って、

区別されています。

弘前を中心とした“西こぎん”は、肩に数本の縞を配し、

模様が繊細で、前身頃は横縞で三段に区切り、各段は

別々の柄で構成され、又、左右も柄が異なっている

特徴があります。

黒石市方面は“東こぎんと呼ばれ、肩に縞がなく、布の糸も

やや太めで荒く、模様も大柄という特徴があります。

北部金木町方面は“三縞こぎん”と呼ばれ、前身頃の胸と

後身頃の背中に太い三本の横縞が、入っているのが

特徴です。

 

 

南部裂織

(青森県・岩手県)

 

裂織とは、古くなった布や着物を細かく裂いて撚りをかけて、

紐状にしたものを緯糸(よこいと)、そして、経糸(たていと)

には丈夫な麻糸を使用して(今は綿糸)出来た織物です。

江戸時代中期に南部藩(今の青森県八戸市・十和田市・

岩手県盛岡市)の奨励により、発展した。

裂織は、全国各地で自然に発生した技法ですが、青森県では

現在の特産の1つに挙げられるようになってます。

裂織に使う材料は、本来の糸のように細くは出来ない為、

布自体は厚くて重いという特徴があります。

又、布のリサイクルだけではなく、1つの工芸品として扱われる

様になり、使う布の材料や色柄により、全く同じ物は出来ない

のと、配置により表情が違って見えるので、今では、南部藩の

地域に当たってた場所で、織られています。

 

 

 

 

 

 

南部古代型染

(岩手県)

 

 

 

 

 

 

 

 

岩手県盛岡市で古くから伝わる型染を指し、現在は蛭子屋・

小野三郎氏により、その伝統技法が守られています。

この型染は、南部藩の鎧下・裃(かみしも)、武家の衣服を

染めていたと言われます。江戸時代には、各藩が各自

それぞれの文様を染め、又、染型を所有して、染師も召し、

抱えるのが、通例になっていきました。

型の文様に特徴があり、代表に菊唐草・牡丹唐草

・向かい鶴菱等が挙げられます。

又、染料として南部藍を使用するのですが、藍は南方系の

植物で寒さの厳しいこの土地では育ち難いものでしたが、

改良に改良を重ね、南部藍は生まれたのです。

技法として、紬・木綿の生地を用いて、湯通しして精錬を

します。

捺染板(なつせんいた)というものに生地を張り、型紙を当て防染糊を置き、型紙は昔の型そのままを写し取ったのを

彫られたもので、糊の調整も柔らかすぎず硬すぎずとされ、

秘伝の1つと言われてます。

染色においては、藍染の時は藍がめに浸して染め、

それ以外の植物染料は刷毛により、引き染めされます。

その後、日に当て、発色をさせて、水洗いをし、糊を洗い

落とします。

最後に乾燥をして、湯のし、幅出しをして仕上げとなります。

 

 

 

 

 

 

南部紫根染

茜染

(秋田・岩手県)

 

 

(紫根染)

 

(茜染)

昔から“紫”の色は、日本では、高貴な色とされ、茜色と共に

日本を代表する色で、奈良時代の万葉集“茜さす〜の唄に

出てくる様に、染料となる“紫草”は、貴重なものでした。

紫草は、60センチくらいの丈で、夏に小さな白い花が

咲きます。

染料に使うのは、根っこの部分で、江戸紫という言葉からも、

ある様に、江戸時代には関東平野にも自生していました。

しかし、庶民にとっては“高嶺の花”で、ありました。

現在では、自生の“紫草が減少し、今は秋田県の鹿角市

(かづのし)と岩手県の盛岡市で染められているに

過ぎません。

元々、この地方は、上の裂織・型染と同じく、南部藩に属して

いて、紫草の産地であり、南部藩の特産品でした。

しかし、明治以降、化学染料の発達により、絶滅寸前の

ところまで行き、大正五年に、県の提唱で、記述が

かろうじて、秋田県花輪地方に残っていて、紫根染の技法

を復活させる為に“南部紫根染研究会が、設立されました。

茜染は、茜草という植物の根っこを染料として染色した染物

です。

技法は、まず生地を“ニシホコリという柴の灰汁(あく)を媒染

として、浸したり天日で乾燥したりと、約120回ほど繰り返すという作業をし、しかもその作業は5月〜9月の晴天日

のみにしか行われないので、その作業だけで1年かかり、

その後、生地をたんすに1年寝かします。

本染めに入る前に絞り柄を作り、紫根、茜の染液に1回

浸しては、1回干すという作業を何度も繰り返し、最終的に

1反が染め上がるのに5〜6年掛かるのです。

又、染め上がっても、即、市場に出る訳でなく、絞りを解いて

色を落ち着かせるまで、桐箱などに入れて保存し、その期間も

最低4年は掛かるといわれています。

段々、原料も少なくなり、後継者の問題も抱えつつ、昔ながらの技法が現在、守られている染色品なのです。

 

 

 

 

 

秋田八丈

(秋田県)

 

 

秋田県で古くから織られている紬で、黄と茶系の縞・格子柄が

多いので、秋田八丈、又は秋田黄八丈と呼ばれています。

この織物は江戸時代後期に始まったといわれ、創始者の

石川竜右衛門により、“畝織(うねおり)”・“竜門織”・

“秋田平(あきたひら)”等の織物を作ったのが始まりです。

この時の秋田藩主により、産業奨励策が行われ、織物産業に

力が注がれました。

当初、様々の織物が試みられましたが、本場黄八丈に

似た縞、格子が1番人気を得、それが、天保年間に江戸、

京、大阪まで売りに出され、秋田八丈の名前が広がって

いったのです。

明治中頃には全盛期を迎えましたが、段々と他の産地の

織物に押されていき、衰退の道を辿っていきました。

現在は秋田八丈を生産しているのは、1社しかありません。

本場黄八丈が“刈安”を主染料にしているのに対し、

秋田八丈はハマナスを主染料にしています。本場黄八丈と

比較して、光沢がやや少なく、渋みが掛かっているのが

特徴です。

原料は経糸・緯糸(よこいと)共に撚りがかかったのを使用し、

これを“カセ”というものに巻いて、麻袋にいれ、灰汁(わらや

草を燃やして作った灰を熱湯に入れた液体)の入った釜で煮て

不純物を取り除いてから、十分に水洗いをします。

染色は鉄やアルミ等の媒染剤に1昼夜浸し、水洗いして、

ハマナスによる下染めを行います。

本染めは再度、麻袋に糸を入れて、染汁で4〜5時間浸して、

染め上げます。その後、十分に水洗し石灰水に浸して

発色させ更に水洗して、乾燥を行います。

それらの糸を糊付けして、力織機(りきしょくき)という織機に

かけて織り上げ、完成となります。

 

 

 

 

ぜんまい織

(秋田・山形・新潟県)

 

 

 

 

 

ここに出てくる“ぜんまい”は、山菜料理の味覚として出される

食材の事で、春先に、ぜんまいの頭部に綿が生じ、その綿から

糸を紡いで織られたのが“ぜんまい織”です。

昔は東北地方の山間部で織られていましたが、現在は

秋田県、山形県、新潟県の一部のみで織られています。

歴史としては300年位といわれておりますが、原料の糸の

毛足が短い為、織りにくいという短所がある為、綿花や真綿を混ぜて紡ぎ、糸にしました。

山形県と新潟県で織られる“ぜんまい織”は、経糸に絹糸を

使い緯糸にぜんまい綿と真綿の混紡糸を使用して、

織られており、秋田県では、経糸に綿糸を使用し、緯糸に

ぜんまい綿と真綿の混紡糸を使用したもので織られる

という違いがあります。

ぜんまい織は丈夫で、防虫性があり、又、防水性もある為、

着物以外にコートにも用いられました。

原料となるぜんまい綿は、5月頃に山の中でぜんまいの若芽を

摘んで、採取します。

そして、3〜4日間、日陰干しをしながら、ごみを取り除いて、糸にします。

染色は殆ど行わずに、素材の持ち味を生かして織り上げて

完成となります。

 

 

 

 

正藍冷染

(しょうあい

ひやしそめ)

(宮城県)

 

この染めは“宮城県栗原郡栗駒町に伝わり、日本の他の地方では、見る事の出来ない特殊な藍染と言われます。

普通に行われている“藍染”は、藍がめの中に入れた藍を人工的に加熱し、常に発酵させる為、一年中藍染が出来る

のです。

しかし“正藍冷染”は、生の藍の葉を“桶”に仕込み

木灰を加え、自然の大気の温度だけで発酵させたもので、

加熱はしないので、夏のみの期間限定になります。

この方法は奈良時代から行われていたといわれ、

定説となってます。

明治以前までは、絹の着用が禁止されており、人々は自ら

麻を栽培しそれを材料に織り、藍で染めて着用してきました。

明治中頃では、この冷染は、村で約30軒ほど行われて

いましたが、第2次世界大戦の前には4〜5軒と減り、戦後に

なってからは、千葉あやの氏(故人)という女性のみが守り

抜き、昭和30年「重要無形文化財」に指定され、現在では

娘さんの千葉よしの氏により引き継がれています。

技法は4月初めに種まきした藍を5月末に1回植え替え、

7月中旬に刈り、葉を1枚ずつよく乾燥させ、翌年の4月まで、

わら床に寝かせておきます。

そして、4月を迎えたらウスでつき、藍玉を作り、木灰と混ぜて

桶(こが)に入れておきます。

布になる麻は、4月に種をまき、9月に刈り取り、水に浸して

表皮を取り、煮沸して繊維を手でもんで細く裂いていきます。

乾燥させた後、撚りをかけて糸を作り、高機(たかはた)で

織り上げます。

染める時は麻布を水で浸してから藍汁の入った桶に

20分ほど浸して、空気にさらし、再度浸すという工程を

3回繰り返し、染め上げます。一般的には無地染ですが、

時には型染も行われます。

 

 

 

 

 

白石紙布

(しろいししふ)

(宮城県)

 

紙布は、実際に織られる様になった年代は、はっきりしていず

江戸時代頃から、全国の紙の産地で作られていたとされ、

現在は宮城県・白石市のみだけしか残っていないと

言われます。

白石市は、昔、仙台伊達藩に治められていた城下町で、

ここは綿の栽培は適さない土地でありましたが、和紙の原料

“楮(こうぞ)の栽培は適していたので、楮栽培が奨励され、

盛んになり、紙布の織りを武士の内職として、公然化される

程でした。

紙布は軽くて丈夫という特徴があり、織地も工夫がなされて

いて、縮緬・絽・紅梅なども織られており、特に庶民の

衣服地に使用されていたのは、経糸に木綿糸、緯糸に

使い古された紙を紙糸としたもので、一片の古紙も無駄に

する事が出来なかった時代の生活ぶりが反映した庶民の

知恵と言ってもいいでしょう。

紙布は3種類の製法に分類されます。

1:経・緯共に紙布で、織ったのを“諸紙布(しょじふ)”といい、

夏の帷子(かたびら)や帯芯に使用されました。

2:経糸は絹糸を使い、緯糸に紙糸を使用したのを

“絹紙布”といい、夏用の羽織や帯などに用いられました。

3:経糸に木綿糸、緯糸に紙糸を使った“木綿紙布”は、

浴衣や敷物などに用いられました。

紙布に似たものに“紙子(かみこ)”と言うものがありますが、

これは、和紙に柿渋を塗り、乾かしてから、揉み柔らかくして

更に露にさらし、渋の臭いを取り除いて作られたもので、

紙糸で織ったものではありません。

技法は、四つ折りにたたんだ紙を、鋭利な包丁で等間隔に

細く裁断し、それに適度な湿気を与える為、濡れたむしろに

包み、一晩寝かします。ヂャッケー石と言う凸凹の石の上に、それを広げ、全体の1本1本が丸みを帯びるまで、丁寧に

静かに揉んでいきます。

その紙揉みが終わったら、1本の糸にしていき、それに糸車を

用いて左右同時に撚りをかけ、つむというものに巻き取って

紙布が出来上がりとなります。

染色は、媒染として豆汁(こじる)を使用し、石灰水に浸して

から乾燥させ、乾いたら植物染料で浸染(ひたしぞめ)

をします。織る時は、高機を使い、他の織物と同様に

織っていき、完成となります。

 

 

 

 

 

精好仙台平

(せいごう

せんだいひら)

(宮城県)

 

「仙台平」は、男物袴地の代名詞とも言われ、又、「平」とは

一般に平織物・平糸など、撚りがかけられていない絹糸の事や

絹の袴地もさします。

仙台平は江戸時代中頃に仙台藩のお抱え織物師として、

招かれた“小松弥右衛門”という人物によって、作られたと

されます。

仙台平の中でも“精好〜”と呼ばれるものは、太目の練糸を

用いた経糸と、湿り気を含んだ緯糸で織られるといった手の

込んだものであります。

特徴に、堅い織物でありながら感触がしなやかで、長時間、

座っていてもシワになりにくく、上品な光沢と独特な絹ずれの

音があります。

“精好”は、精好織のことで、経糸の密度の多い塩瀬や琥珀織

に似た厚手の織物で、古くから伝わる織り方です。

技法は、原料に、繭から引いた太目の生糸を使い、縞になる

経糸のみに太目の練糸を用い、その他の経糸・緯糸は生糸の

まま染色し、糸は全て、撚りをかけない“平のまま使います。

精練は、わらの灰をふるいにかけ、灰練りにして使う灰練法が

用いられます。

染色は、植物染料を用い、藍・刈安・やまもも・五倍子(ふし)

などを使って、黒や茶系統に染め、織る時は投椅(とうき)の

手機で織られ、織り方は二度打ち織法による織りにより、完成

となります。

    精錬…糸の原料となる繊維に含まれる不純物を

     取り除く事。

 

 

 

 

 

 

紅花染

(山形県)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅花は、キク科の植物で、花はアザミに似た黄色の花で、

時が経つにつれ赤みを帯びてきます。日本には4〜5世紀頃、

中国から「呉藍(くれない)」として輸入されたと伝えられて

おり、花は染料以外に薬用としても用いられ、種子からは

油も取れ、幅広い利用がなされた。

もともと“茜染”が庶民のものであったのに対し、紅花染は

上流階級の人々の為のものとされ、奈良~平安時代にかけ“宮中の流行色となっていたとされる。

山形県の最上川流域は、古くから良質な紅花の産地として

知られており、栽培される様になったのは、鎌倉時代辺りから

とされ、江戸時代になってからは、藩の保護の元に重要特産物として藩の財政を支えてきました。

ここで作られた“紅花餅(はなもち)”は最上川から京へ

輸送され友禅・口紅の原料となりました。江戸時代中頃に

京都で使用された約7割は、最上地方の産であったと

されます。

しかし、明治20年代に入ると重要な染料として扱われていた

紅花も化学染料に押され、第2次世界大戦後には、衰退し

始めました。現在、紅花は山形県の山形市や米沢市周辺で

栽培され、染められたものは“紅花紬として、

織られています。

技法は7月初めに紅花の黄色の花弁を摘み取り、水を加え、

もみ固めて団子状に練り丸めて、陰干しをし“紅花餅”を

作ります。

紅花の紅色色素は水でなくアルカリに溶ける性質を持ち、

その為灰汁(あく)の上澄み駅のアルカリ溶液に紅色色素を

もみ出してその中に糸や布を1〜2昼夜浸して染めます。

そして梅酢を加えながら適当な色になるまで染色を

繰り返します。

染め上がった色はピンク色になり、本紅といわれる

“緋(濃い赤)染”は、ウコンという植物の煎液で下染めをし、

紅染を繰り返して真っ赤な緋色に染め上げるのです。

又、紅花には黄色色素も含んでおり、この色素は水に溶ける

性質の為、最初に水を加えてもみ出した液で、独特の黄色に

染め上げます。

 

 

 

 

 

 

 

長井紬

(山形県)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の山形県の米沢市・長井市・白鷹町一帯は、昔から

織物の盛んな土地で、この地域は“置賜(おいたま)”と

呼ばれていた為に、この地で作られる紬は“置賜紬”と

呼ばれていました。

その後、それぞれの町の織物が発展し、特色が出てくるに

つれて区別される様になりました。

米沢紬は男物の代表となり、女物中心が、長井紬と白鷹織

(はくたかおり)となっています。

長井紬と白鷹織の違いは、絣の技法上では、長井紬は

括り染めと捺染が中心で、白鷹織は板締めであり、

デザイン面で、長井紬は比較的に大柄、白鷹織は小柄が

多いとされています。

長井紬の歴史は古く、江戸時代中期に米沢藩の藩主・上杉

鷹山(ようざん)が、財政建て直しの為、桑・麻の栽培を

奨励し、越後(新潟県)の小千谷縮の織工を招いたり、

仙台藩から藍の製法を取り入れたりした事から始まります。

この様にして武士と領民の団結により、米沢の織物は発展を

遂げていき、江戸時代末期には全国に名前が知られる様に

なりました。

長井紬の経糸は、玉繭から製した玉糸を用い、普通の生糸に

比べると繊度が太く、一定ではない為、節があるのが

特徴です。

緯糸は、くず繭から出来た真綿から引き出して紡いだ手紬糸を用います。

染色は括り染めと摺込みの2種類の方法があります。

括り染めは、濃い地に白の模様を作る場合、模様となる

部分を木綿糸で括って防染する方法です。

摺込みは、白地に薄色地の上に濃い色の模様を表わす時に

用いる方法で、刷毛で摺染めするものです。

染め上がった絣糸は、様々な工程を経て、1本1本、柄合わせをしながら、丹念に半木製の足踏機で織られ、出来上がりと

なります。

*玉繭…1個の繭に2匹の蚕が巣作りした物をいう。

 

 

 

科布

(しなふ)

(山形県・新潟県

・福島県)

 

 

 

 

 

 

別称、“しなぬの”とも呼ばれ、一部の地方では、マダ布とも

言います。現在、東北地方の山間部で細々と織られています。

科の木の樹皮繊維が材料で、藤の蔓で作る藤布、葛の蔓が

原料となる葛布と同様に1千年以上の歴史を持つ織物と

されており、麻・木綿よりも古い織物と言われてます。

用途は、普段着・野良着という衣服以外に、雪袴・穀物用の

袋・漁網・蚊帳など、生活必需品に幅広く利用され結び

ついています。

技法は6・7月の梅雨明けの頃、科の木の皮を剥いで、

内皮だけを持ち帰り、7・8月頃まで乾燥をさせます。

乾燥させたものを水にさらして、柔らかくして釜に入れ、灰汁を

加えて2〜3日位煮ます。煮終わって柔らかくなったら今度は

水洗いし、更に1枚ずつ薄く剥いでいきます。

この時に、竹のお箸で挟んでぬめりを取ります。一種の精錬

作業として、米ぬかを入れた水の中に2日間ほど漬け込んで

さらします。

それを清流でよく洗い落とし、晩秋まで陰干しにしておきます。

11月頃から、糸作り(科裂き)をし、湿気のある1〜3月末の

積雪期間中に居坐機(いざりはた)で織り、完成となります。