哲学的名言集〜その3〜

「俺は『納得』したいだけだッ!
『納得』はすべてに優先するッ!」
ジャイロ・ツェペリ 「JOJOの奇妙な冒険 第7部」


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ぜんぜん ぜんまい まわる かぎり
この世を うんと 楽しもう……

一日一善で ぜんまい 巻き上がる
これはぜいたくパラダイス……

ぜんまいざむらいの唄


※ぜんまいざむらいとは

悪党「ぜんの助」は、泥棒の最中に、井戸に落ちて死んでしまう。
そこに神様が現れ、死体にぜんまいをつけて、
「ぜんの助」を「ぜんまいざむらい」として
生き返らせるのだった。

「ぜんまいざむらい」は、ぜんまいバネがほどけ切ってしまうと
再び死んでしまうが、善いことをするとバネが巻かれて、
しばらくの猶予を得る。

こうして、「からくり大江戸」を舞台に、
「ぜんまいざむらい」の
困っているヒトを助けて善行を積もうと奮闘する
ドタバタの日々がはじまったのである。

「ぜんまいざむらい」とは、子供たちに、
善行の素晴らしさを伝えつつ、
そんな強制労働のごとき善行に価値があるのかどうか、
を考えさせる哲学的教育番組である。


人間は自由の刑に処せられている

ジャン・P・サルトル


ぜんまいざむらいは善行の刑に処せられている

飲茶


真に驚くべき証明方法が
わかったときにかぎって、
余白がたりない。

マーフィーの最終定理

夏が暑いのではない!
暑いからなのだ!

島本和彦

「愛してる」と君が言う 口先だけだとしても
たまらなく嬉しくなるから それもまた僕にとって『真実』

Mr.Children 「Any」

ヒトも、虫やロボットと同じような自動機械だということを受け入れて、
自動機械なりに寿命を全うすればいいのではないでしょうか。

前野 隆司

水素と酸素が反応して水ができる。

しかし本当にそう断言していいのか?

明日も同じ結果が出るという保障がどこにある?
明後日はどうだ? 一億年後は? 
あるいは、十億年前は?
追試験をやったヤツ全員が虚言症だったら?
再現性と簡単に言うが、
完全に同じ条件を再現して実験をするなんて厳密には不可能だろう?
『あのときの水素』と『今ここにある水素』がまったく同じものであることを
どうやって証明したらいい?
水素と酸素の反応にもし空間上の座標軸が関係していたら?
同じ実験をやって地球とM78星雲ではまったく違う結果が出たらどうする?

客観性と再現性を本気で追及しようとしたら、科学は何ひとつ証明できない。

というわけでだ、『ある程度の』客観性と再現性があれば、
それは科学的には認められることになっている。
しかしそれは、そういうことにしておかないと何事も進まないから仕方なく、
という「ナアナアの決め事」にすぎない。
これが宗教なら、
実験だの何だのという七面倒くさい手続きを全部省略して
一足飛びに真理に到達できるのかもしれん。
そうやって到達した真理がなんぼのもんかは別としてな。

ところが科学はそういうやり口とは袂を分かってしまったせいで、
『近似値としての正確さ』を手に入れるのと引き換えに
真理との距離を無限大にしちまったわけだ。
なにしろ例外の可能性は、無限に存在するからな。
科学がアキレスなら真理が亀さ。

しかしな、そのアキレスと亀の隙間にオカルトは潜むんだ。

心霊写真のインチキを一枚一枚暴いていったところで
心霊現象そのものの否定にはたどり着けないし、
スプーン曲げや念写のトリックをいくら見破っても
本物の超能力者がどこかにいるかもしれない可能性をゼロにはできない。

科学は科学であるが故に
オカルトを絶対に論破できないんだ。

ちょきがぐーに勝てないようにだ。
科学は、自分でアキレスになることを選んだはずだし、
それが科学の短所であると同時に長所でもあるはずなんだ。
いつまでたっても亀に追いつけないのが苛立たしいのなら、
とっとと科学なんぞやめて宗教でもやればいいんだよ。

太陽系電波新聞部編集長 「イリアの空 UFOの夏」

何千年もの積み重ねも 事実と事実の結びつきも
1度や2度の実験でくつがえせるわ

「確からしい」って言うしかないのは分かってるけれど
「愛の存在は、実証済み」
と言い切っちゃったほうが
科学っぽいから みんな信じる

あなたの望んだ結論のためなら
データを選んで 信憑性 盛大に吹聴しましょう

わたしがこのたび開発した 恋愛活性イオンで
10人中9人が恋をしました

「あとの40人は実験に不誠実なので除外しました!」

自分に有利に考え出したら どこまでいっても止まらないのよ
心が生み出す妄想科学

「よく出来た科学が、魔法と区別がつかないせいで、
よく出来てない科学も、魔法と区別がつかない」

ギリギリ科学少女ふぉるしぃ

「ねぇ、生まれてくるときってどんなだった?」

灰羽連盟

神楽「うーん、勉強しないで遊んでてていいのかな」

とも「何いってんだ、神楽は根が真面目だなー」

とも「遊んでていいわけないじゃん!」

とも「でも遊ぼうぜ!」

神楽「お前はすげーな」

あずまんが大王

「お、おい、4つも砂糖入れて いつもそうなのか?」
「いいえ、ちょっと入れてみたくなって」
「ばかだなー、それは甘すぎるだろ」
「先生は、やってみたことあるんですか?」
「なくたって、考えりゃすぐわかるだろ(笑)」
「ないんですね?」

――な、ないけどよ……普通常識で考えれば分かるだろ、
砂糖4つは甘すぎるって!
あ、甘いはずだ! 絶対に甘いはずだ!

いや、しかし!
ない!確かにない!

今まで生きてきて、砂糖を4つ入れた経験がない!

なんてこった!

それを!こいつは! 
こいつは今それを確かめようとしている!

――俺は、頭でばかり考えて何もできない人間になりたくない、
そんな人間を作りたくないと言う気持ちで教師になったというのに……
いつの間にか頭で考えるだけの頭でっかちな人間に
なっていたというのかっ!?

教師「無謀キャプテン

「生まれたときから目が見えない人に、
空の青さを伝えるとき何て言えばいいんだ?
こんな簡単なことさえ言葉に出来ない。

だから俺、もっと頑張るよ」

江頭2:50

僕はなぜ生まれてきたんだ
なぜ命に限りがある?
なぜさ?なぜ人間は絶対死ぬ?
命に限りがあるのは人間がダラけないためか
死ななきゃ生きる意味がない……

まったくさ なんてシステムだ

園児 「エアマスター」

そうだな。私は結果だけを求めてはいない。
結果だけを求めると人は近道をしてしまうものだ。
近道をしたときに真実を見失ってしまうかもしれない。
やる気も次第に失せていく。
私は大切なのは
『真実に向かおうとする意志』
だと思っている。
真実に向かおうとする意志さえあれば、
たとえ今回は完成しなかったとしても、
いつかはたどり着けるのではないか?
向かっているのだから。違うかい?

JOJOの奇妙な冒険

のび太「どっちの味方をすればいいの?
正しい方を助けなくちゃ」
ドラえもん「どっちも、自分が正しいと思ってるよ。
戦争なんてそんなもんだよ」

ドラえもん

人生という舞台には、決して書かれることのない、2つの場面がある。
それは、己自身の「誕生」と「死の瞬間」だ。

忘却の彼方に埋もれた「生誕の記憶」と、
立ち会うことを許されぬ「臨終の場」。
人が目撃しうるのは、常に、他人の生と死であるにすぎず、
自己の存在は、不確かな生と死の途上にあって、
たえず、不安にさらされ、
そのドラマは、完結を無限に遅延されている…。

それゆえにこそ、ひとは物語を追い求めるのだ。

予感にみちた発端と、感動の終幕を。

始まり終わり始まりがあって、終わりがある。

「むかしむかしあるところに―」




「―しあわせにくらしましたとさ♪」

人はただそれのみを求めて、物語につきあい続けるのだ。

これが「物語」と呼ばれるものの正体なのだ。

真に生きられるべき物語にあっては、
けっしてありえぬ、発端と終幕こそ、
人を魅了してやまぬ物語の本質なのだ。

警官 「御先祖様万々歳!」

可能性という言葉は無限定に使われるべきではありません!
常識的かつ日常的、
すなわち現実的な範疇でこそ使われるべきであって
タイムマシンだのタイムトラベルだの、
そういったSF的かつファンタスティックな設定を
現実的であるべき家庭内のドラマに持ち込むことは、
この私が許しません!

主婦 「御先祖様万々歳!」

なんだか知らんが、とにかくよし!

覚悟のススメ



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