ベルばらSS「炎と水・二隻の舟」



ベルばらのお話「炎と水・二隻の船」第2部

現代1部との兼ね合いで、あちらがある程度メド立つまで2部は休止いたします。ごめんなさい。でも、そうしないと後で大幅に変更が入りそうなんです。再開したらこちらにアナウンスいたしますね!


こちらは現代バ-ジョンのSSです。暫定版です。こんな雰囲気だと感じていただければ....同じパタ−ンをやっちゃってますが、2部構成の2部のイントロ部分です(^^;。アランが出てないOAです。やはりアランがいないとどこかぎくしゃくしています。すごく不満な出来なんですが、時代設定とかハンデがあると思う(やはり原作の時代のものの方がなじみますよね?)ので、早めになじんでいただけたら....と。(勝手なお願いなんですが)

状況説明ばかりが続くようなものは書きたくないし、かと言って、リアリティを感じられないものはもっと嫌だし.....と、自分の力量を考えもしないで始めようとしています。

あ、いずれちょこっとだけ18禁にかすってきます。(^^;
そのような表現がお嫌な方はご遠慮くださいね。









おれたちが結婚して、2年ほどになる。
任地での内戦に巻き込まれ、おれは捕らえられ、拷問を受けた。助かったのは奇跡に近かった。
だが、おれの体には、忘れようとしても忘れられないほどの痕が残っている。臓器破裂により行われた腹部の手術あと、複雑骨折した箇所に入れられたプレ−トやボルトとその手術あと、体のあちこちに拷問でできたあと.....

腕や脚を揃えてみると、左右の長さが違っている。特に脚の方に差があって、それもあっておれは少々左足をひきずるようになってしまった。まぁ看護師の仕事にはなんとかついていける程度だが。基本的に走ってはならない仕事だしな。

利き手ではなくて幸いしたが、左手の小指がきかなくなった。神経が切れたらしい。
しかし、あれだけ重症で、死にもせず、こんなもんですんだなら、おれは大層ラッキーなのだ。

頭部や顔面にはほとんど打撃を受けてない。拷問の効果を上げるためだと。意識を簡単に失わせないため。地獄を少しでも長く味わえって事だ。


FOCVの任期はまだ数ヶ月残っていたのだが、もはやそれどころではなかった。おれは本国に特別輸送された。集中治療を受け、ある程度落ち着いたらおれとオスカルの勤務先であるJ・Bメモリアルホスピタルに移送され、引き続きの治療とリハビリを受けた。

オスカルも帰国し、すぐ復職した。第2外科のアイス・ロ−ズ復活だ。おれは元の同僚や、大学時代の同級生に患者として世話になったのだが、少しばかり面映い経験になった。悪くなかったけど。

今日はひさしぶりにオスカルは早く帰ってきた。まあ、いつ患者の容態が急変してON CALLされるかわからないのだが.....
おれは準・深夜の勤務明けで、家に帰ってあれこれやってるうちに眠り込んでしまったらしい。

オスカルは、チャイムを鳴らしても反応がなかったので、おれが出かけてると思ったんだと。きっと「どこに出かけてるんだ、明けのくせに!いや別にどこに出かけてたってかまわないけど、でもせっかく私が早く帰れたのによりにもよっていないなんて許せない!」とかなんとか思ったに違いないんだ、あのお嬢さまは.....

おれは洗濯してたんだ。洗ってほして、今日の夕食はどうしよう.....などと考えてるうちに、つい横になったんだ。(あいつが家でメシを食わないから、作ったシチュ−がいつまでもへりゃしない。あいつ....今日は日勤のはずだが、論文がどーとか、研究がど−とかぶつくさ言ってたからなぁ.....今日も遅いのかな....)なんて事を考えてたんだよ。

「なぁ、アンドレ!コーンの缶詰なかったか?」対面のキッチンから、オスカルがこっちを振り返って言う。なんか、病院で「ピンセットは?生食はどこだ?」なんて言われてるような気がして、妙におかしかった。おれも今は第3外科だが、一緒に救命室で働いた時期もあったんだよな。

カウンターにすわっていたおれは、思わず笑えてしまった。「なんだよ、何笑ってんだ?サラダに入れたいんだよ。買い置きないの?」
「上の右の棚の、えっと3段目あたりにないか?」「3段目3段目ね....ああ、あったあった。」おまえの快活な声がここちいい。

オスカルが、今日はどうしても夕食の支度をしたいと言うのでまかせたが....はて.....
「なぁオスカル、シチュ−は大丈夫か?」「んっ!?」あからさまにギクッとするあいつ。やっぱり、火にかけたまま忘れてやがったな!

「だ、大丈夫。ギリギリセ−フだ。」そうは見えないぞ。必死で鍋をかきまぜてるじゃないか。
「本当か−?なんか少しこげくさいような気が...」「大丈夫ったら大丈夫だってば!」あーあ、あせってるじゃないか、おれは不安だよ.....
「まあいいや。もし焦がしてみろ、おまえを食ってやるから!」「ははっ、そりゃおてやわらかにだ」

「さあできた。と言っても、ロクになにも作ってないけど。」食卓には、昨日おれが作ったシチュ−と、オスカルが作ってくれたサラダと、買ってきてくれたサンドイッチとワインが並べられた。昨晩はオスカルが当直で、まだこのシチュ−は食べていない。サンドイッチは彼女のお気に入りのデリカテッセンで買ったもので、今日はBLTとツナサンドのようだ。

「じゃあ、いただきま−す!」うれしそうだ。よっぽどハラへってたな?

「なぁ、やっぱり少し焦げ臭いぞ。」「あーもう。おまえって、ほんと鼻きくよなぁ。」「おまえこそ、病院じゃほとんどミスらしいミスしないんだろう?なのにどうして家じゃあ何かやらかすんだよ。見張ってないと不安だよ。」
「......いいじゃないか。家にいる時ぐらい。私はおまえみたいな「家事オタク」じゃないんだからな。」 むくれて言うおまえ。何が「家事オタク」だよ。

「だったら、おまえはもう24時間は通しで働いて帰ってきたんだから、おれにまかせりゃいいだろうが?」
「だって....」と、スプ−ンの背をくちびるにあてて目をふせるオスカル。「だって、なんだよ?」
「だって、悪いじゃないか。家事を全部おまえに押し付けててさ。私だって少しは何かしたいよ。」「またその話か?気にしてくれるのは有難いが、現実問題として無理だろう?おまえは働きすぎるくらい働いてるんだから、それ以上の負担を増やさないでくれよ。」

「そうは言っても.....」
「じゃあ、仕事やめられるのか!?」おれはキツイ言い方をしてしまったらしい。オスカルの目から涙がこぼれた。ひとつ、ふたつ...はぁ、この涙には弱いんだよ。お手上げだ。ったく。

「うわ、泣くなよ。ごめん....きつく言い過ぎたな。」すすりあげてるおまえ。実際のところ、最近たまにこんな会話になる事がある。おまえは何か迷っているのか.....?

「なぁオスカル。おれはなあ、今目の前にいるおまえが好きだがな、救命センターのアイス・ロ−ズであるおまえの事も好きで、気にいってるんだよ。だから、おまえがしんどい分はカヴァ−する。なにしろおれは、立派な「家事オタク」だからな!」と言って笑ってやると、オスカルも少し顔がほころんだ。

(ああ、かわいいなぁ....って、おれも相当のバカだな。)

「おまえほどじゃないが、おれの給料も上がってきてるし、いつおまえが仕事やめたってなんとでもなるよ。だからおまえの好きにしていいんだ。けど、おまえは仕事好きだろう?続けたいんだろう?外科医はこの先10年が正念場なんだ。グラ−スで約束したように、いい医者になってくれよ。」

オスカルは曇りのないサファイアの目をして、おれを見つめて、そしてこう言う。「なんだかなあ。おまえはなんでもお見通しなんだな。」「ははっ、だてに年くってないぞ。気が強いくせにべそかきのお姫さまにかけては、おれは相当くわしいんだよ。」

「よく言うよ。」やっと笑ったな。

今でも不思議な気がする。おれもおまえも若い頃は、どこか異性を拒否するところがあって、「結婚どころか恋愛も無理かもな。」ってお互い言い合ってたんだよなぁ。

だが、おまえは名門ジャルジェ家の跡取り娘で、若くして認められる有能な外科医で、素晴らしい美貌の持ち主だ。望めばどんな男だって手に入れられるだろう。

帰国してJ・Bメモリアルに移送され、なんとか起き上がれるようになったころ。過密な勤務をぬっておれについていてくれたおまえが、いつもと少し違った面持ちでやってきた。

おまえはおれが話しかけてもロクに口をきかず、いぶかしがってるおれにすっと紙を差し出した。おれはなんの気もなしに、そのふたつ折りの白い紙を広げて見た。

婚姻届だった。

あまりに唐突で、おれはすぐには二の句もつげなかった。オスカルの方は妙なくらい平然としてて、なんだか有休届けでも渡したかのようだった。
「おまえ、これって......」「もう私のサインはすんでる。おまえのサインがほしいんだ。」

「........」おれはオスカルの瞳に真意をはかろうとして、そしてはかりきれなくて絶句していた。

すると、彼女の瞳に一筋の翳りが生じた。「....だめか?」と小さく弱弱しい声が彼女の口からもれた。
「いや、あの....本気か?」「当たり前だ。冗談にしていい事と悪い事の区別くらい、私にだってつく。」

おそるおそるおれは尋ねてみた。「....だんなさまはご存知なのか?」「父か?知ってるよ。」ケロリとして言い放つおまえ。

「そ、そうか。」言葉が出てこない。おれは妙にうろたえてしまった。オスカルの顔をまともに見ることさえできないくらいに....

「ちぇっ。嫌なら嫌ってはっきり言えよ。」
おれはハッとした。この言い方、幼い頃のおまえ。ほんとははっきり言われたくないくせに...おれは顔をあげた。先ほどの平然として見えたおまえはもう存在してなくて、顔を少し上気させ、うつむいて頼りなさそうにしているおまえがいた。

もし心電図モニタ−をつけていたら、詰め所からナ−スが飛んでくるかもしれないほど(大げさか?)おれは心拍数を一気に上げてしまった。

いきなり、ベッドの中のおまえを思い出してしまったからだ。こんなおまえをおれはよく知っている。あの激しくふきつけた風と雨のにおいがよみがえってきた。お互いの瞳以外、何も見えなくなっていたあの夜を。

それでもおれは、なんとか冷静になろうとした。もうおれは、あの時のおれでさえ、ない。おまえの足手まといになりかねない体なんだ。
「おまえは自由だぞ。何もおれに対して責任を感じる必要はないし、おれと関係を持ったからって結婚しなけりゃならないわけじゃないんだからな。」

おれはおまえに憐れまれたくない。おまえの純情につけこんで義務を負わせる気はないんだ。おれには何もない、記憶さえあやしいんだ!

必死で涙をこらえているおまえを見てしまうと、おれのこんな気持ちなどあっけないもんだ。体の自由がきかないのが幸いした。だきしめてしまったら、もう後戻りなぞできない。

「いやだ。そう言って、私をおいていってしまうんだろう?」「そんな事はないよ。おれはただ......」

「私を....もう2度と私をひとりにしないで!!」

おれは個室にいたのだが、彼女の声に何事かと隣の部屋で処置していたナ−スのセ−ラが飛んできた。
オスカルは、全身を細かく震わせながら、涙をぽろぽろと落としていた。記憶が....記憶の彼方から、何かが流れてきて、おれに語りかけた。もう絶対にこの女を離してはいけないと。おれはやっと自分を取り戻した。

「あ、あの.....どうかされました?ジャルジェ先生?」おそるおそる飛んできたセ−ラがオスカルに声をかけた。
はは、信じられないって顔だ。冷静で敏腕な第2外科のホ−プ、「アイス・ロ−ズ」と呼ばれるオスカルが取り乱しているなんて、この院内で見た事あるやつはいないんじゃないか?怒りまくってるのぐらいはあるだろうが。

「セ−ラ、大丈夫、なんでもないんだよ。仕事に戻ってくれ。驚かせてすまなかったね。」と、おれは落ち着いてセ−ラに声をかける事ができた。そして右手を(少しまだ痛かったが)オスカルに差し出した。

オスカルはセ−ラがいることも関係なしに、両手でおれの右手にしがみつくと、手の甲に口付けした。

セ−ラは(やばい!じゃましちゃダメじゃん!!)という顔になり、急いで部屋を後にした。とは言え、自分でも興味しんしんになるのをどうしようもなかったし、後ろ髪ひかれるように何度か振り返った。

第二外科の名高きアイス・ロ−ズが、黒髪と黒い目をした看護師の病床にいりびたっているというのは、病院中の知るところになっていた。ふたりは以前のふたりではなくなっていたから。
第二外科で、救命センタ−で以前のように働いているアイス・ロ−ズは、やはり以前の雰囲気のままの彼女だった。だが、アイス・ロ−ズもその傷ついた幼馴染も、なによりふたりでいられるのが幸せだと感じているのがわかった。

オスカルはベッドサイドにひざまずいて、おれの右手に口付けを繰り返した。その姿はあまりにきれいでいじらしくて、抱きしめられない自分がはがゆかった。
「ごめん.....ほんとうは、おれがプロポ−ズすべきだったな。いや、したかったな。」オスカルが顔をあげた。素直にうれしそうな顔をするおまえに、おれはまたこんな事を繰り返した。いや、どうしたって無視できない問題だからだ。「おまえ...おれにはなにもないぞ?体はこんなだし....それでもいいのか?」

アイス・ロ−ズはおれの右手をそっとベッドに戻し、ベッドに腰かけておれの肩に頭をこすりつけてきた。そして、しゃくりあげながらこう言った。

「おまえじゃなきゃだめなんだ....おまえ以外のだれかなんて想像もつかない....おまえのいない人生も....」
「はは、おれもだよ。」おれはなんとか左手を伸ばして、オスカルの輝く髪をなでながら言った。
「オスカル・フランソワ、おまえはこのおれの、アンドレ・グランディエの妻になってくれるか?」
オスカルはハッとして顔をあげ、おれを見つめた。そして顔を真っ赤にして「アンドレ・グランディエ、おまえはこの私の、オスカル・フランソワの夫になってくれるか?」と。

おれはなんだかおかしくなって、「ああ。」とオスカルが答える前に言ってしまった。すると、少し得意そうな顔になったオスカルは「お前から先に言ったな。」と言って、笑った。

「そうだよ、結婚なんだ。泣いてちゃいけない。やっと笑ったな。」

オスカルはおれの胸に顔をよせ、消え入りそうなせつない声で「うん、誓うよ.....愛してる......」と答えた。

「ねぇねぇ、ケ−キも買ってきたんだ、食べよ?」
オスカルは酒も甘いものもってタイプで、同じデリカテッセン内のケ−キを週に1度くらい食べている。
オスカルはついと台所の奥にある冷蔵庫に行ってケ−キの箱を取り出し、用意してあったらしい取り皿とフォ−クを持ってテーブルに戻ってきた。
目が輝いてるよ....ほんと好きなんだな。
「えーっとね、ショコラとガトー・フロマ−ジュとタルト・オ−・フレイズとシュ−・ア・ラ・クレ−ム!どれがいい?」
「って、おまえ、4つも食うのか?」
「2個ずつだよ。少し小さめなくらいだから、いーじゃないか。」
「いや、おまえが3つ食べてくれ。おれは一番甘くないやつ。」
「んじゃ、ショコラでいい?私はシュ−にしよっと。」

ぷっ。おまえ必ずシュ−にかかってる粉砂糖をほっぺたにつけるんだよな。

「なぁ。」
「ん?」
「なんか人が食べてるとおいしそうに見える。ちょっとくれ。」
「はいはい、毎度の事で。」

おれはフォ−クで大ぶりにきりわけ、さして、その黒くてしっとりしたケ−キをオスカルの口元に運んでやる。彼女の赤いくちびると、黒いケ−キのコントラストにおれは目を奪われた。

「ほら、あ−んしろあ−ん。」オスカルは素直に口を開けたので、そのままケ−キを入れてやる。
おまえは「うん。やっぱりおいしい。」とにっこり笑っている。あ−ぁやっぱりよく見ると粉砂糖が....無邪気なもんだ。
なのに、彼女の赤いくちびるとショコラの取り合わせは妙に色っぽくて、あまりの落差に驚いてしまう。おれは、とらわれそうになる心をたてなおしたくて、「おれにも少しくれよ。」とオスカルにもちかけた。

彼女は嬉々として「けっこう甘いぞ、ほら。」と言いながら、自分が食べているところをおれにむけて差し出した。
おれは、食べてんだかキスしてんだかわからない程度に口をつけた。
「あっ、アンドレ、砂糖つけてるぞ、子供みたいに。」「何だよ、おまえこそ前からつけてるぞ、ほら。」と言って、おれはオスカルの右の頬を指で弾いた。

するとオスカルは、おれの指先に反応した。おれはそのまま身を乗り出して、オスカルに軽くキスをした。甘い香りと味のするキスだった。

片付けはふたりでした。皿を洗っていて、途中から水のかけあいになったりしたが。ほんとに今日のオスカルは機嫌がいい。難しい患者をかかえている時にはこうはいかない。今日は病棟も落ち着いているんだろう。

こうやって二人でゆっくりできるのはひさしぶりだ。どうしても勤務の都合上、すれ違いが多くなる。だがおれは、オスカルに、アイス・ロ−ズに仕事を辞めて家庭に入ってくれとは、どうしても言えなかった。

おれたちが歩んできた人生ってやつが、お互いへの束縛を極端に回避させたがる。解けない謎、失われた記憶が無言でおれたちを引き離しにかかる.....いや?それらにこだわってるのはおれだけか?
いや、そうではない気がする。あいつにも何かあるんだ。だがおれと同じで、それがなにかしっかりとは掴めてないんだろう。もしかしたら....あいつも思い出したくないのかもしれないな....

あ、いけないいけない。せっかくオスカルが帰ってきてるんだ。こんな事をうだうだ考えてる場合じゃない。

「シャワ−浴びてこいよ....今日は少し飲むか?」
「うん。カクテル作ってよ。いつものやつ。」
「ああ。よかったよ、グレ−プフル−ツ買っておいて。」
もう季節外れといえばそうだが、目につくと買ってしまう。オスカルはおれが作るグレ−プフル−ツのカクテルが好きだった。おれはカクテルを作る準備をしながら10年ほど前の事を思い出していた。

実はオスカルは底なしに酒が飲める。大学の時など、飲み比べで相手を急性アルコ−ル中毒にしてしまう事が重なって、大学側からクレ−ムがついたほどだ。
だがおれは、オスカルが酒を飲むのをなんだかどうしても許せなかった。別にあいつが女だからとかいうこっちゃない。なぜだかわからないけど、とにかくもう、イヤでイヤでたまらなかったんだ。

若い頃、この件でおれたちは一体何回ケンカになっただろう。絶交しかけたことさえあった。けどある時気付いたんだ。ただダメだダメだと言うんじゃなく、本当にあいつが満足できる、口にあうものを見つけてやろう。そう思った。

酒にくわしい友人に相談してみたら、「オリジナルのカクテルをプレゼントしてやったら?」と助言された。とは言っても、おれはあの当時全くカクテルの知識なんかなかった。

すると、その友人はその世界では結構名の知られているというア−デン氏を紹介してくれた。なんと、彼が特別に手ほどきをしてくれると言う。プレゼント用のレシピを考えてくれるとも。そのかわりといってはなんだが、少し店を手伝ってくれないかと言われ、おれはYESと即答した。10月になったばかりで、おれは12月25日のオスカルの誕生日に間に合うようにとお願いした。

彼はやっと50代だというが、見た目よりずっと若々しく見えた。なかなか男前で、髪は銀髪、今もおとろえない細身でしなやかな体をした、いい男だった。

さすがに「立派な家事オタク」と言われるだけあって(あいつは「見事な軍人フェチ」だがな。ファザコンとも言うか?)、おれはシェイカ−をふる姿もほどなくサマになってきた。

何度か彼のもとに通ううち、ア−デン氏は「さて、プレゼントしたいという人とは、どんな人なんだね?」と聞いてくれた。友人を通じてそれなりにはオスカルの情報を知りえているのかもしれない。だが多分、おれから見たオスカルの事を知りたいんだろう、そう思っておれは話し始めた。

おれはオスカルの事を思いつく限り話した。彼はよい聞き手だった。
金髪碧眼のとびっきりの美人だが、これまたとびっきりのはねっかえりで、気の強いお嬢様であること。
皆から「アイス・ロ−ズ」と呼ばれ、冷静さと大胆さを持ち合わせた外科医になるはずだということ。
名門の出で世間知らずなところもあるけど、飾らず、気取らず、わけへだてのない人間だということ。
おれは子供の頃からのいろんなエピソ−ドを交えながらオスカルの話をした。本来ジャルジェ家は、軍部や政治家との繋がりが深い家なので、内部事情にかかわるような話は外にもらすべきではない。

おれもそこらへんは十分承知してて、最初は言葉を選んで話していた。だが、何度も通って彼の人柄に触れるうち、だんだんと自然に話せるようになっていた。まぁもともと、おれの話の内容もたわいないものが多かったが。とにかくオスカルの話をするのが楽しかった。

街は冬支度を一気に加速させていた。Xmasのツリ−やオ−ナメントが雑貨屋の店先に並ぶようになった。そろそろ教えてもらえるかな?

ア−デン氏の腕は確かだと、にわかバ−テンダ−のおれにもよくわかった。繊細かつ大胆に芸術的なカクテルを創造してゆく。ファンが多いのもうなずけた。基本的に彼は無口なほうだが、男のおれから見ても魅力的だった。おれもどちらかと言えば無口なたちだったが、彼の前ではよくしゃべっていた。なんとなく、彼に憧れるおれを感じることが多くなった。

だから、彼がオスカルのためにあみだしてくれるというカクテルがどのようなものになるか、早く知りたくてしょうがなかった。
イブからXmas当日にかけてはおれもジャルジェ家に戻って過ごすのが恒例のことであった。一応アイス・ロ−ズの誕生日でもあるし。あいつは照れて、自分からはそれにふれてこないのだが。

知りたい気持ちはつのっていったが、おれはなかなか言い出せないでいた。ア−デン氏との別れを意味する事にもなる。おれは国試にむけてラストスパ−トをかけなければならない時期だった。
しかし、ついにその日はきた。
まだ開店前、おれが店に到着してすぐ、ア−デン氏は「待ってたぞ」という表情でおれを迎えてくれた。カクテルができあがったと、おれはすぐ理解した。うれしいようなさみしいような、複雑な気分だった。

おれは彼に、カウンタ−に腰かけるようすすめられた。
「やっとイメ−ジがわいたよ。」と言って、彼は見事な手さばきでカクテルをつくってゆく。何十年もの歳月が、彼の所作に砂金のような輝きを与えているようだ。大げさではないが、しっかりとした存在感で。

「さあ、どうぞ。」と言って、彼はおれにカクテルグラスをさしだしてくれた。
パッと見た感じはほとんど透明で、フロ−ズンタイプだというのがわかる。それ以外、あまり特徴らしきものは見られない。おれはなんだか意外な気がした。
多分おれは少々けげんそうな顔をしたんだろう。ア−デン氏は「まぁ、見ててごらん。」と言って、かたわらの花瓶にいけてあった白い薔薇の花びらをそっと一枚抜き取り、カクテルに浮かべたのだ。

「口をつけて.....のんでみてごらん。」

なんだろう。グレ−プフル−ツを使ってるのはわかるが、なんだか複雑な味だ。さわやかで後味がよく、深くやさしい印象が残った。グラスを少しかたむけると、白い花びらがおれのくちびるに、そっと寄り添った。ちょっとくすぐったい。

「あぁ、なんだかすごくいいです。多分、味も香りもあいつの好みだと思いますし。こんなにいい出来のものをいただいてもかまわないんですか?」

「もちろん。お気に召していただけてうれしいよ。このカクテルは君の「アイス・ロ−ズ」に贈りたまえ。美しい人に贈られて、この「アイス・ロ−ズ」も喜ぶことだろうよ。」

このカクテルも「アイス・ロ−ズ」か....昔おれが選んだ香水の「アイス・ロ−ズ」とカクテルの「アイス・ロ−ズ」.....他のだれよりも、このおれがおまえを「アイス・ロ−ズ」だと感じているんだろうか?


「どうした?何をぼーーっとしてる?」
「あっ、いや、これのレシピを習いに行ってた頃の事をさ、なんとなく。」
もう何度もつくってるので、レシピは空で覚えていた。

「あぁ。お前が夜な夜な出かけちゃ酔って帰ってくるってんで、いいひとができたんじゃないかって私にご注進してきた奴までいたよな。あの当時はそんなもん知るかって感じだったけど。」と笑いながら言うオスカルもなつかしそうな表情になった。
「そうだったのか?初めて聞いたぞ。それにしてもなぁ、おれはあの当時も自分の殻に閉じこもってたんだがね。」
「それはそれで気になる奴もいたんだろうさ。私もあの当時は男嫌いって言われてたからね、なんでおまえは治ったのか、ぜひ聞かせてほしいと思ってたんだよ。」とクスクス笑うおまえ。
「病気かよ。おれもおまえも。」

このアイス・ロ−ズをプレゼントして以来、確かにおまえは無茶をひかえるようになっていった。医者になってからは特に、自己管理のためだといって、休日や休前日意外ほとんど飲まなくなった。

だが、おれが「アイス・ロ−ズ」を作る機会は年ごとに増えていった気がする。

目をやると、薄手の夜着を着たオスカルは、リビングダイニングの低いソファ−に腰かけて長い髪のしずくをタオルでふきとっている。海外派遣中は思いっきり短くしていて、ますます若く見えたけど。やっぱり長い方が好きなのかな?オペ室での勤務中心だった頃に比べると今はかなり長めだ。

おれは花瓶の白ばらから一枚、花びらをちょうだいした。
白いばらもおれの必殺....じゃない、必須アイテムだ。どんなブ−ケを作ってもらう時も、白ばらは欠かせない。
白き花よ。おまえとあいつはそっくりだ。

おれはできあがったカクテルをあいつの前にあるテ−ブルに置き、ソファ−の後ろにまわって頭をおれにもたれかけさせて、髪をふいてやる。

「あ−冷たくっておいしい。ホント最高のプレゼントだよ、これ。」目をつぶって気持ちよさそうにおれにもたれかかっている、アイス・ロ−ズ。
彼女の肌から香水とカクテルの香りがたちのぼってくる。

「のむ?」とささげられたグラスにおれは口をつけ、深くやさしいあじわいを共に楽しむ。
体が暖まったからか、オスカルは少しうとうとしだした。おれはグラスを手から落とさないうちに取り上げ、残りを含んでそのまま口付けた。

「.....うーん?」とオスカルはうっすら目を開けようとしたが、どうしてもまぶたが落ちてしまう。おれはオスカルを抱き上げて、寝室に連れていった。脚を少々ひきずるので、つまずかないよう気をつける。
おまえの金髪がシ−ツに広がって、寝息しか聞こえないような静かな夜.....おれもシャツとGパンを脱いで夜着に着替え、明かりを落とした。

昼間寝入ってしまったせいか、すぐに寝付けそうもない。おれはおまえのそばに体をすべりこませ、寝顔を見つめていた。


なんでこんな女が実在してるんだろう....おまけにおれと同じベッドにいて。いっしょにいればいるだけ、おれはオスカルにふさわしくないという気持ちが強くなってくる気がする。

なぜおまえはおれを選んだ?
あの時だって、アランやジェロ−デルがいたじゃないか?
アランも最初はああだったが、よく知れば結構いいやつで、ジェロ−デルだって気取ってるだけじゃなく、なかなかガッツのある男だった。
それはおまえの方がよくわかっていたんじゃないか?
他にもおまえに夢中になっていた男はたくさんいた。今だってそうだ。結婚したからって、それがなんだっていうんだ。おまえは以前と変わらず、その衆目を一身に集めて星のように輝いている。

それにひきかえ、おれは.......

だんな様が....あ、そう言うとオスカルが怒るんだよな。
「父だろうが」って。
だけど、親に捨てられたおれを引き取って育ててくれたのは、まぎれもなくだんな様なんだよ。
こいつがファザコンなのははっきりしている。体が弱かった母親との生活より、あこがれてやまない父親との生活を一人で選んできたオスカル。
おれだってそうだ。ジャルジェ家の執事になりたいと思うようになったのは、だんな様にあこがれてたからだ。それぐらいかっこいい存在だった。おれはあまり表に出さなかったけど。

学校までオスカルと同じところにやってくれて....
挙句、一番愛していた娘であるおまえと結婚まで....
おれって....今の時代に生まれてなかったら、だんな様から「成敗」されてたかもな.....
でも、なぜだんな様は、おれとオスカルの結婚を全く反対なさらなかったんだろう....
だんな様からも跡取り娘と目されていたオスカルは、おれと結婚してそれからはずれたんだ。今じゃこいつはオスカル・フランソワ・グランディエだ。
莫大な財産も家名も相続するのを放棄して、記憶さえあやしい、どこの馬の骨だかわからないようなおれと結婚したというのに。だんな様は相変わらずこいつを世界で一番愛してるというのに。

なんだかよくわからない事ばかりだ。
まぁ、おれの記憶がはっきりしないのがいけないんだがな。8歳より以前の記憶があやふやなんだ。ジャルジェ家にひきとられた頃の記憶さえあやしいんだから.......

思いをめぐらせているうちに、アンドレも睡魔におそわれ、眠り込んでしまった。


ここは.....どこだろう.....
知らないなぁ...見た事もないお屋敷だ。っていうか、お城みたいに見えるなぁ。文化財かぁ?
あれ....?なんだオスカルの声がするぞ。
ああ.....おれは夢見てんだな....なんかでも、妙にリアルで、そのくせ覚えのない風景だ...
姿が見えないけど、ああ、角の向こうにいるんだな。こちらにむかって歩いてくるみたいだ。
「アンドレ!?」
....ええっ?
なんだか声が子供っぽいような気がする。これって子供の頃の夢なのかな?ん?馬がいなないてるぞ。近くにいるんだな。


ふっ.....と夢から覚めた。なんだか背中が寒いな。オスカルがすぐそばで、おれに寄り添って眠ってる。おまえ、寒くはないのかな?
そっと顔に手をやり、頬にふれてみる。
パチンと音がしそうなくらい長い睫をまたたかせ、オスカルが目を覚ました。

「あ、ごめんごめん。よく寝てるみたいだったんで、起きないと思って.....」
「夢........?」
と、目を覚ましたわりにはまだ半ば朦朧とした状態でオスカルがつぶやく。
「...どうした?何か夢を見ていたのかい?」
そう言いながら、おれはもう一度オスカルの頬をなで、それから髪をなでた。

「どこか知らないところにいた....なんかお城みたいな家が見えてて....おまえを探してた。」

おれはびっくりした。
ほとんど同じ夢の内容じゃないか!
「それでおい、馬のいななく声、してなかったか?」
「した...したよ....?なんでわかる?!アンドレも夢見てたのか?」
すっかり目を覚ましたオスカルが体を起こしておれに問う。
「うん。びっくりしたよ。おれもおまえの声と、馬がいななく声がしてる夢を見てた。知らない....お城みたいなお屋敷の前で。」
「へぇーーこんなことってあるもんなんだな。なんだろう、脳波が同調でもしたのか?まさかなぁ。」
「へんな電波でも飛んできて同時にキャッチしたんじゃないかな。」

おれたちは顔を見合わせ笑った。

オスカルはもう一度横になり、おれの顔に手を差し伸べてきた。おれの目や鼻や口に指が触れていく。彼女の指は音符を撒き散らし、それは歌になる。

おれがあんな事になって、なんとか顔だけは無事だったからか、オスカルはよくこんな風に触りたがる。確かにおれもよかったと思っている。顔に傷が入ったら、仕事が仕事なだけに、おれは生きる術を失っていたかもしれないからな。

おれはそのままおまえの手をとって、胸に抱き寄せようとした。だが、一瞬の隙をついてオスカルはおれの手をすりぬけ、ギシッとベッドをきしませてひざをついて立ち上がった。

おれを見下ろすおまえ。
アイス・ロ−ズの瞳の色が変わってゆく....

おまえはいったい.....?

オスカルはゆっくりと夜着の前ボタンをはずしてゆく。
ポロン ポロン ポロン      と。
薄い夜着がおまえに纏わりつき、おまえの素肌をかくしきれなくなる。

だが、彼女の顔から目がはなせない。
あまりにも艶然とした微笑を浮かべ、おまえはすっとおれに背をむけ、夜着をはだけてゆく....ゆっくりと....

月明かりにとけそうなおまえが、ゆっくりと、白い肩を、なめらかな背中を、露わにしていく。
振り返ったその目が、くちびるが、おれを狂気に誘う。
おれは反射的に荒々しく立ち上がって、後ろからおまえを抱きしめた。

「抱いて.....」

夜着から手を放ち、おまえはスロ−モ−ションのように両腕を、おれの首にまわそうとする。
背を向けたまま....おまえはその青い瞳の中におれの狂気をうつしとろうとしている....

「抱いて.....」

おれは後ろから、おまえの項にくちびるをはわせる。
そして、おまえの百合の花のようなふたつのふくらみの頂に指をくいこませる。
その指を、自分の細い指でひきはがそうとするおまえ...

おれはおまえの両手を、おまえ自身のこの形のよい乳房にあてがい、下からすくい上げる。
「あ.....」
とうに夜着は滑り落ち、いまやおまえの裸身は、完璧なシルエットでおれの前にさらされている。
痛々しいほどに。
おまえの肌は上気して少しずつばら色に染まり、冬の星のような青い瞳の焦点が合わなくなってゆく。
おれはおまえの、耳に、項に、肩に、背中に、ばら色の烙印を散らし、金の森に通じる門の扉をこじ開けて、指でおまえの迷路をさまよう。

「お願い...来て...もう....」

おれはおまえを抱き上げて、静かに横たわらせる。だが、次の瞬間、火のついたようなくちづけを合図におまえと狂おしい交歓を開始する。
ぎゅっと閉じられたまぶたが愛らしい。
おまえのその声を聞きたくて、おれはおまえのくちびるを解き放つ。
「あぁ..あ..ん..あ..」と、おれの動きにあわせておまえの口からもれる声が、さらに火をつけてゆく。

硬くにぎったおまえの両の手首が悲鳴を上げる前に、おれとおまえは、あの夜のように熱い風にどこまでもあおられてゆく.....


いま、おれの腕の中で、やさしい寝息を聞かせてくれるおまえは、もう、いつものおまえだ。
目覚めれば、おまえはアイス・ロ−ズの顔を取り戻すだろう。何事もなかったように。
しかし、おれは見てしまった。知ってしまった。
おれが今晩抱いた女は、本当におまえだったのか?
それとも、二人で見たあの不可解な夢の続きなのか?


”アンドレほらっ!剣のけいこを始めるぞっ!!”......


「うへ。」と、第2外科の主任医師のひとり、アイザック・バ−トルが妙な声をあげた。
「なんです?その声は。」と、やはり第2外科主任ナ−スのファレノ・プシスが「今更なにを」といった調子でからかうように言った。

ここは第2外科の詰め所である。医師と看護師が基地とする場所だ。
窓が大きくとられ、日差しがさんさんと差し込んでいた。
秋も深まりつつあり、朝から暖房が入っていた。今朝は日差しもかなり強くて、少々暑さを感じるほどであった。

中央の大テ−ブルを取り囲むように、入院患者のカルテの棚、放射線科のフィルム袋の棚、検査科からの分厚い心電図用の袋の棚、その他書籍や資料がうず高く積まれ、この病院の歴史を感じさせた。

もともと軍関係の病院であるため、昔は全く飾り気のない野戦病院的ム−ドがあったのだが、今は現代風に改装されてやわらかな印象を与える病院になりつつあった。

絵画や花が飾られ、受付前には熱帯魚が泳ぐ水槽が置かれていた。

詰め所の奥には廊下と繋がる空間があって、処置台や救急カ−トが置かれ、各種の薬剤もまた大きな棚の上まで取り置かれていた。点滴やアンプル、綿花やガ−ゼなどが整理されて並んでいる。

午前のリ−ダ−であるファレノ以外の看護師はみな病室などに出払っていた。やっと朝食の時間が終わり、彼女は朝の回診の準備に取り掛かっているところであった。
同じく第2外科主任医師のひとり、アイス・ロ−ズことオスカル・フランソワ・グランディエは申し送りを受けたカルテに目を通している。

詰め所の気温がやや高いからか、彼女は肘をついて、右手で金色の髪をかきあげ右肩のほうに流していた。
後ろから彼女に近づいたアイザックは、彼女のあらわになったうなじが目に入り、思わず声を上げてしまったわけである。
しかし、当のアイス・ロ−ズはカルテに集中しており、外野には全く耳を貸さない状態だった。
アイザックはそっと後ずさり、ファレノの傍によって、小声でささやいた。

「見事にアイス・ロ−ズからは見えそうにない部分に派手についてるなぁ。」
「そうねぇ。多分見えてないから、本人は全然気がついてないのよ。」
「あぁ、きっとな....じゃぁ、昨日は早めに家に帰れたんだろうな。」
「みたいね。いつもより顔色がいいもの。」

そう言いながら、ふたりはオスカルの美しく凛とした横顔と白くて匂い立つようなうなじに見とれてしまっていた。アイザックはもちろん、ファレノもなんだか落ち着かない気分にさせられてしまう。

「なぁ、もしかして、袖口から見えてる手首もそうじゃないのかぁ?」
確かに髪をかきあげているせいか、術衣と白衣の袖口が引き戻されて、少しぼぅっとなった手首が見えていた。

「今日は第2外科で、赤面する人が続出するんじゃない?」とファレノがその通り顔を赤くしながらささやいた。
「ああ。ちょっと今日のは今までになく強烈だよ。まいったなぁ。」アイザックもまた赤面していた。

ふたりがハラハラどきどきしてしまうのも無理はなかった。朝日の降りそそぐ明るいナ−スセンタ−では、何もかもがあからさまだった。仕事モ−ドに入っているアイス・ロ−ズは、昔から、自分が他人にどう見られているかなど全く無頓着だった。

感情をあからさまに出さず、美しさゆえ冷たくもうつる表情をして、真剣に清楚に一心に仕事に打ち込んできた。今もそれは変わっていない。
だからこそ、今やその姿に散りばめられた愛の証が彼らを悩ませ惑わせた。

二人があまり熱心に見つめてしまったせいか、さすがのアイス・ロ−ズも何事かと顔を上げた。明けの明星のような瞳で視線を投げかけ「何か?」と問う。
見事な金の髪が朝日まで編みこんで輝き、赤いくちびるはぬれたように色づいている。

めまいがしそうになり、「いや、なんでもないんだ。」とだけ言って、アイザックは「ちょっと血圧計ってくるから。回診には間に合うように戻るよ。」とファレノに耳打ちしてその場を離れた。

(おいこらアンドレ、おまえ一体昨日の夜、アイス・ロ−ズと何があったんだぁ!?)

今更何があったもなかろうに....という事もわかっていた。だが今朝のアイス・ロ−ズの美しさは尋常じゃなかった。
元々、第2外科のアイス・ロ−ズといえば、入局して以来病院中知らぬ人はいないという、いわば「有名人」だった。同じ局に所属というだけで、アイザックは内心得意な気持ちだったほどだ。

だが彼女の夫となったアンドレ・グランディエはどうだっただろうか。彼はあえて人目に立たないよう振舞っていた。患者には笑顔も見せたが、同僚とは必要以上に口もきかなかった。だが、人を寄せ付けない事で目だっていたわけでもない。

気配を消すというような形容詞が似合っていたのかもしれなかった。オスカル・フランソワとは名字が異なっていた事もあるけど、彼がジャルジェ家に子供の時引き取られたという事情を知っているものもほとんどなかった。彼は大学時からジェルジェ家を出て、寮生活をしていた事もあったのだが。
アイス・ロ−ズが人目に立つばかりに、あえて彼女との繋がりをあからさまにしない。そんな感じだった。オスカルの方も、彼の気持ちを察していたのか、自分からアンドレについて語る事もなかった。

もちろんそうは言ってもふたりが救命センタ−で働くようになったり、ましてあの忌まわしい騒動が元で一緒に海外に派遣されたことで、ふたりの間柄は知られるようにはなっていた。しかしそこまで来ても、その事実を、ふたりがそんなに身近な存在だということを初めて知ったという人間は結構いた。

オスカルもアンドレも、浮いた噂ひとつなく、ほとんど仕事中毒のような生活ぶりだった。よく考えたら、名門のお嬢さんと実質的な養子のような存在のふたりが、なぜそんなに、自分を追い詰めるように仕事に没頭していたのか。

私がアンドレ・グランディエの事を知ったのは、ほんの偶然からだった。私の車の調子が悪くなって修理に出した時、たまにはと自転車通勤をした時のことだった。アンドレも同じように自転車通勤をしていた。私は当時も第2外科の入院担当だったが、彼は心臓外科勤務でほとんど接点はなかった。

見た事のない、黒髪で黒い目の男が冬の朝焼けを背に、自転車でこちらに向かってきていた。正直、私はその姿に見惚れてしまった。自分はどちらかといえば小太りで、頭はそれなりによかったが、容姿はさえないし性格的にもそれほど人目を引く事もない人間だ。

それこそアイス・ロ−ズのように、どこにあっても人目をひくというタイプではなかったが、一度気がついてしまうともう目が離せなくなる、そんなタイプだった。あのアンドレという男は。