平成二十九年二月三日

    「おめでとうございます。」
 池田 憲夫
 今年の鏡開き昇段で、戸倉さん、太田さんがめでたく五段位に昇段されました。合気会では、五段位からは、鏡開き式での昇段となります。当然、年に一回です。植芝盛平翁先生からみたら、やっと一人前として(その入り口に来たと)認められたわけです。お免状も和紙となり、「允可」から「列す」となります。これからが、勝負となります。どうかご精進下さい。
 話は変わりますが、相撲の稀勢の里が、横綱に推挙され,第七十二代横綱となりました。まだ、佐々木師範がご存命中、和歌山大学合氣道部だったか、大阪女子大学合氣道部だったか、合宿のお話(佐々木説法)で、まだ、新入幕したばかりだった稀勢の里が、師範のところに勉強に来たと仰ってました。稀勢の里は気が弱いので、なかなか勝ち星に繋がらないので、心の持ち方を教えたと仰ってました。この度の昇進は、さぞや草葉の陰で、お代転びになっておられると思います。佐々木師範の直弟子である、中今塾の西守師範にお尋ねしたら、私の記憶が違っているので、以下に西守師範からのメールの一部を抜粋します。
 ※ そうです、稀勢の里です。新宿で、たまたま紹介されて、諸手でつかませて、難なく動かされて、稀勢の里が驚いて、その後、神明塾に来て、教えたとのことです。テレビを見ない佐々木師範が、相撲だけはテレビで見て、稀勢の里を応援していたとお聞きしたことがあります。 注 神明塾は、佐々木師範が、山陰神道の神職に就かれていたので、自宅を改造して、神殿と合氣道道場をお造りになりました。
 久し振りに佐々木語録「人生訓」から。
 『毎日の凡事に真理あり』
 住宅は、住むだけのものにあらず。神仏を祀り、子弟を育み、人格を修練する道場なり。毎朝顔を洗うのは、心を洗うため。雑巾がけは、心の掃除、履物を揃えるのは、威儀を正すため。便所の掃除は汚い場所をなくすため。汚れが習慣になると命を落とす。大小便は健康の鏡。神の便りなり。お伊勢参りは一生に一度。氏神様には月に二度。厠の神には日に三度。時によってはお百度参りのご信仰。

{特別寄稿}

  「平成29(2017)年は、格別の歳」
五段位 戸倉 光明
 きょうは、平成29年一月十四日の土曜日です。明日は、豊中和氣會の岡会堂での稽古の日です。きょうと明日は大学受験のセンタミ試験です。超級の寒波が日本を覆う状況です。関係する方におかれては、心の構えと時間の余裕をもって対処されたいと願うばかりです。
 このような時節で、自らの大学受験を回想しますと、昭和40年西暦1965年の事でした。当時はセンタミ試験方式ではありませんで、経済的、物理的、能力的、意欲的な条件が許せば、誰でもどんな大学でも受験が出来ました。入学準備的な予備校などは、少しずつ出来かけていた時代でした。自分は、運良く?大学に入れた昭和40年(1965)でした。その年の四月に大阪外国語大学東洋語学部インド・パキスタン語学科のウルドゥ語専攻で大学生活が始まりました。外国語専攻に至る話しは別の機会にしまして、大学生の学業ではない、一般社会人的な学業のことに触れてみます。
 大学生は、最高学府の生徒であります。社会人の一員と云われますが、働いて自活している人ばかりではありません。むしろ養ってもらいながら、学業をおさめている人が大半であります。そのような環境の中で、親のすねをかじりながら通っておりました。しかし中学・高校時代とは経済事情は異なりました。大学の文系授業では実験、実務作業は体育の時間くらいで、大半は教室内での授業に出席することで片付きます。そのカリキュラムは、中学高校時代の強制的な時間割りでなくて、学生に選択上の自由がありました。その結果として、大学到着後の授業で空き時間がありました。空き時間は新鮮に感じました。
 その頃は、「空いた時間を何かに使おう」という、案外と真面目な考えをしたようです。部活は、中学で生物クラブと陸上部、高校で野球部でした。4月の入学当初、高校の名簿などを調べての上か、野球部から勧誘がありましたが、入学後の二・三ヶ月は帰宅部員でいました。ある時体育科教授から「東京外国語大学との交流戦の為にボート部を設立しないか」という推薦話しも有りました。帰宅部員でぶらぶらしていた初夏の頃、ウルドゥ語科の同級生の山脇君との雑談で「何か部活をしないか」という話しになりました。当時の新聞で、ドイツ駐在の日本人が運河で殺されて発見されたという記事が掲載されました。自分は当時海外雄飛の夢を見て外大に入ったので、外国の生活で自己防衛くらいは出来るように、腕に覚えの有る状態にしておきたいと思っていました。
 当時、大阪外大の武道系の部は剣道部、柔道部、空手部、合氣道部がありました。それぞれの部活動を、そおーっと見にゆきました。剣道は高校教科でありました。剣道用具が高額な為に最初から消去しました。柔道部は、自身が175cmの身長で58kgという軽量でしたので、適性上は対象外でした。残るは空手部と合氣道部です。空手部の練習を見ました。その日は仲間を肩車で乗せ、脚を踏ん張る者の腹を拳でド突いてました。痛そう!でした。対象から消去です。最後の候補は合氣道部です。見ると、畳の上でヒラヒラと廻っていました。「合氣道って、何か知らないけれど出来そうだ!」と軽くみて、山脇君と共に入部しました。大学一年生の七月初旬だったと思います。今迄よくも続いたものです。
 軽くみていた合氣道が、「これほど痛い武道とは」想像にもしませんでした。当時の外大の道場は、以前は食堂のような平屋の建物の中で40畳程度を並べた道場で、残りの板の間では、卓球部が練習していました。合氣道部と柔道部の共用で、狭い上に畳がずれる道場での稽古でした。柔道部の稽古時間には、学内の庭で木剣を振っていました。
 道場の狭さなどの事情も有ってか、座技半身半立技の稽古が主体でした。座技の稽古が主体ですので、膝やくるぶしなどには擦りむけ傷が出来ます。痛いです。ひらひらと舞う様な強く優雅な動きは、理想の姿でした。それは、稽古を重ねて出来ることと分ったのは、数十年後のことで、入部した当時はまさに血のにじむ稽古でした。当時ご指導していただいた小林師範をはじめ諸先輩方は、けっして厳しくはなかったのですが、とにかく痛かったです。
 合氣道部2代土尾さん長岡さん、3代中田さん黒田さん島田さん上田さん、4代小林さん居関さん平野さん佐々木さん澤野井さん、同期5代弘末・桐山・野口・山脇・若松ほか後輩にあたります6代坂田・衣笠・野口・村田・持田氏、7代藤田・滝澤・有延・澤田・木下氏たちの代が学生時代に、稽古をした方々です。このように、合氣道部和氣會の方々と交流をさせて頂きました。そして今なお豊中和氣會の皆様や現役部員をはじめ、機会が有る度にたくさんの道友の方々と交流させてもらっています。
 2017年で小生の合氣道歴は52年目となります。これは合氣道部OB会和氣會まに関わらせていただいた事が要因です。さらに「和氣會」の発足は池田師範の御尽力の賜物であります。このOB会に関わらせておれたからこそ、小生がぼちぼちでも合氣道を続けて来られた要因でもあります。仕事が営業で国内外転勤族のため、毎年のOB総会に出席できない時期もありました。池田師範や越前氏をはじめとする和氣會会員の熱意と御尽力により、「和氣會」が継続しています。そして本部道場からも名誉ある地位を頂いています。
 この様な経緯を経て、1962年部設立の大阪外国語大学体育会合氣道部は、本年2017年で、部創立55周年を迎える事となります。これはまた慶ばしいことであります。
本年一月の本部道場での昇段発表会にて、太田吉彦さんと共に五段位に列して戴きましたことは、池田師範をはじめ、豊中和氣會の皆様、合氣道部和氣會のOB各位、現役合氣道部部員の皆様のお蔭でございます。
 あらためて、御礼を申し上げます。今後ともご指導と御鞭撻の程をよろしくお願い申し上げます。ありがとうございます。       
    

   『合氣道を続けてきて思うこと』
 五段位 太田 吉彦
 昔両親に聞いたところ、私は幼い頃、その場にいるかいないか分からないほど大人しい子供だったようです。そう言えばおもちゃが欲しいと駄々をこねて大泣きした記憶もないし、他の子供たちとはしゃぎ回って遊んだような覚えもありません。部屋の隅でおもちゃを使って一人で遊ぶことが多かったような気がします。小学校に入って、いとこがやっているという理由で少年野球を始めたものの、ヒットは全然打てないし、守ってもエラーが多い、走るのは遅い、といいところ無しでした。中学校で始めたバレーボールも同様、顔面レシーブやアタックの空振りなんていうのもありました。一番失点が多い下手くそでした。
 そんな訳なので、小学校から高校に到るまで、体育で「優」や5段階評価の「5」を取った記憶がありません。そんな私が、何故か大学に入る前から合氣道部には入ろうと決めていました。合氣道の「あ」の文字さえ知らない頃からです。今となっては何故なのか私にもわかりませんが、気がつけば大学の道場に足を運び、そのまま入部を決めてしまったのです。
 昔から要領が悪く不器用で、物事を理解するのに時間が掛かる方でした。最初は余分な力をガチガチに入れて、あちこちにあざを作りながら稽古をしていました。同期の人間では一番下手くそだったと自分でも思うのですが、結局のところ現在まで続けているのは自分だけになりました。あれからもう25年近くが経ちます。下手くそは下手くそなりのスピードで学び、理解し、自分のものにする事で、ゆっくりと歩みを進めて来られました。今まで分からなかったことが発見できる事の喜びと、体現できる事の喜びを感じながら。
 私は年齢を重ねられても、誠実に学ぶ姿勢を持った方を尊敬しています。年齢を重ねるという事は経験を積み重ねる事。学ぶ姿勢を持たない者はその分だけ損をする。合氣道は、基本的に二人で行うことが多い。相手を投げて、相手に投げられ、相手を極めて、相手に極められ、相手を教え、相手に教られ、稽古は進んで行く。これが合氣道の美点であると私は思っています。学ぶ姿勢さえあれば、歩みの速さの違いはあれど、着実に前に進む事はできるはずです。
 今回幸運にも五段位を拝領する事ができ、真っ先に頭に浮かんだのは、師範を始めとした道場の方々の顔、そして今まで稽古をしてきた道場での稽古風景でした。本当にありがとうございました。まだまだ内に籠っている氣を外に出せるよう、これからも精進していきます。どうぞよろしくお願い致します。
 

2016年9月8日  
  「合気道を続けるために 」
            参段 S.N
 小生が考える合気道を続けるために何をすべきかに関する3つのポイントは、@体力、健康の維持、A合気道仲間を作ること、B合気道に対する好奇心・向上心を持つことです。
 夫々のポイントに関し、一般的と小生が考える点と小生の例について記述致します。  @ 体力、健康の維持:
 <一般的な考察>
 加齢と共に体力が落ちるのは自然現象で止むを得ないと考えます。 また腰痛や脚力の衰え、人によっては体重増などが起こります。これらの理由で運動から遠ざかるのが一般的な例と思います。
 ただ、これらは少しの努力で克服できると思います。例えば、先ず姿勢を正しながら歩く距離を毎日伸ばしていき、段々軽いジョギングにすることで基礎的な体力はある程度維持できます。
 <小生の例>
 小生、齢55歳ですが、腹が出た、いかにもおじさんにはなりたくないと考えており、基礎体力維持にランニングを続けています。これも45歳位から始めたのですが、最初は3Km走ってばてていましたが、継続することで今は220Km位なら走れます。また、日頃小生と稽古頂いている方はご存じですが、腰痛持ちです。日常の生活の中で腰を伸ばす機会を作ることで対処しています。例えば、通勤の電車内では吊り輪の横棒に軽くぶら下り腰を伸ばす、またベッドでは向きと90度と十字になって真っ直ぐに体を伸ばしながら、腰を伸ばしています。
 A 合気道仲間を作ること:
 <一般的な考察>
 合気道は受けと取りで行うもので、通常複数で稽古を行いますので、日頃稽古が継続的に行える様、仲間が求められます。近くにOB/OGがいれば道場を借りて一緒に出来ますが、いない場合は一般の道場稽古に参加することになります。尚、稽古のレベルですがOB/OGで再開される方は、最初は初級から始め、中級、上級と段々上げていくのが良いと考えます。
 <小生の例>
 小生220年超振りに合気道を再開したのは、業務でルーマニアに赴任した際に、師範のご紹介で部の後輩のフローリンさんから声掛けがあったことでした。ルーマニアでは2年間彼の指導、支援の下、若いルーマニアの方と合気道が出来ました。5年半前に帰国した後は、越前さんからのお誘いで関東OB/OG稽古会に参加し、この稽古会は現在も続いています。小生、外大OB/OG関連の仲間とずっと稽古が出来ており、この点で非常に幸運と感じています。
B 合気道に対する好奇心・向上心を持つこと:
 <一般的な考察>
 体力の衰えに抗って稽古すること、それも仕事や家庭関係での時間的制約の環境下で行うのは、学生時代のそれとは状況が異なります。それら制約を乗り越えて合気道を続けるためには、体力の維持に加え、好奇心・向上心を持つことも大事だと思います。合気道をやる意義、意味を感じることで、学生時代の体力任せのがむしゃらな合気道から上に進んだ稽古を目指すことでモチベーションを維持します。
 <小生の例>
 現役時代に比べ、合気道の動きや体さばきに関し色々考えるようになった様な気がします。相手の力を利用する、自分の力を抜く、線を外す、円の動きをする、呼吸の仕方、間合い、等々、について、現役時代程、体の動きが軽くない分、どうしたら上手くいくか考えることがあります。この辺は、寧ろ歳をとってからのが分かってくるのかな、と思っています。考えながら稽古することで色々興味が出てきます。
その他、稽古を通じてでも、「ある程度は愉しみを見つける、適当に休むこと」も、特にOB/OGにとって大事だと考えます。稽古でつらいだけでは、合気道は続けられません。普通の人には何か楽しみが必要であり、それが次の稽古に繋がっていくものと思います。例えば、仲間との稽古後の会食、語らい、たまには飲酒等々です。合気道の話でも、他の話しでも、一緒に汗をかいた仲間との話はいいものです。また、稽古で無理する必要はありません。体をこわしては本末転倒です。自分のペースで時は休みながら続けることかと思います。
 小生の愉しみは、稽古後の仲間との語らいです。ルーマニアでは、土曜日の朝稽古の後、皆で道場近くのファーストフード店へ行き、ビールを飲んだり、ハンバーガーなどを食べながら、合気道以外のプライベートな話も含め色んな話をしたものです。車で山へ行きロッククライミングをしたり、 小生宅で日本食を食べて貰ったこともありました。日本では現在もっぱら関東稽古会の仲間と食事をしながら、色んな話をしています。暑気払い等の飲み会も年数回企画され、稽古には参加されないOBの方も参加される場合もあり、年代が離れた仲間と話すことも愉しいものです。
 小生、今では稽古に行くことが生活の一部になっており、汗を流すこと、仲間と語らうことが、体力維持面、精神安定面で大きくプラスの効果をもたらしていると、小生は感じています。
 合気道を再開し、続けていて良かったなと・・・。大阪外大、阪大外国語学部 合気道部の仲間に、小生の親の年代に近い方から、息子の年齢より若い現役の方まで、ずっと繋がっています。
                                     以上

 

(平成二十七年十二月)
 「   」 弐段 U.K

 自覚してはいなかったものの留学から帰って以来、技が変わったと言われることがときどきありました。留学中は大阪にいるときほど稽古しておらず、現地の技の影響を受けたかも定かではありません。しかし他の道場での稽古を通してうまくいく技いかない技がでてきて、今のままの技ではいけないという漠然とした焦りがあったのだと思います。視野を広く持ちいろいろなものに触れて吸収していく、遺伝子の水平伝播のようなものも必要になってきたように感じます。そういった意味では、わずかばかりの剣道をしていた経験も今の自分の糧になっているのかもしれません。また、人の良いところはどんどん盗んでみて自分の中で消化吸収していきたい、そう思う今日この頃です。
審査では前に出る勢いに加え柔軟さも出し、強くしなやかな技を心掛けたいと思います。また、適切な間合いを取ることも忘れないようにしたいです。
大学卒業前に弐段に挑戦する機会をいただけたことを嬉しく思い、いつもご指導いただいている方々に感謝しつつ、持てる力を出し切る審査にしたいです。

 

 「弐段審査」
 弐段 U.K
 合気道と出会って13年目、初段審査から早くもおよそ4年が経ちました。初段審査も12月の寒い中、受審いたしました。当時、香川大学合気道部の主将であった方が自由技の受けを最初から最後まで取ってくださいました。体力が無尽蔵にあるのではないかと錯覚するような主将を前にして私の息は、虫の息に変わっていました。そんなこともあってか初段審査は、今でもよく覚えています。初段になって浪人生活の傍ら高松で1年間、大学生となり大阪で3年間、稽古いたしました。
初段になって大きく変わったことは、「合気道がわからなくなってしまった」ということです。自信を持って技をすることができなくなりました。稽古中並びに稽古後は、消極的な感情ばかりが心に留まります。今でもどうすればよいのかよく分かりません。
 浪人生活での稽古は、自分の体力と技の衰えを痛感いたしました。今までのように技をかけるのが難しくなりました。大学生活での稽古は、高松の道場との違いによって悩みました。全く違うわけではありませんが、すべてのことが少しずつ違いました。そのため、ついつい前の道場の技に固執しがちになりました。そして、新たな知識を吸収しようとしてもすでにある程度の知識を持っているということによって、上達が阻害されているような気がしました。ある程度、水を吸ってしまったスポンジは、カラカラに乾いたスポンジのようにたくさんの水が吸うことができない、そんなスポンジのような状態です。そのため、自分の上達速度よりも周りの人、特に同期の上達速度がものすごく速く見えました。稽古時間と上達にも対数関係があるのかと考えてしまい、落ち込むことが多かったです。
 そんな私ですが、先輩方より大阪大学外国語学部合氣道部の主将を任せていただき、少しずつ心境が変化してきました。先ほどの消極的な考えは残念ながら今でも消えませんが、もっと上達したいという気持ちが強くなってきました。また、現状の自分は、段位の中で合気道に対しての責任が最も軽い初段という身分に甘えていると思いました。ある意味、気の楽な身分にすがりついて、一歩上へ挑戦することを恐れていたのです。新たな挑戦と消極的な感情を打開しようと思い、私は弐段審査を受審しようと決意いたしました。
 この文章の執筆時に中村天風先生の「運命を拓く」という著書をおよそ7割読破いたしました。天風先生の理論の中で一貫していることは、積極的な心を持つことであります。そして私の最大の課題は、心の持ちようであるように思います。消極的な心で審査に臨むことは、私が小学生の頃よりお世話になった高松合気会の皆様にも、和氣會の皆様にも、そして今まで稽古してきた過去の自分に対しても面目無いことでございます。審査では、積極的な心を忘れずに演武して参ります。この心を持ちつづければ、宇宙霊まではいかずとも過去の稽古の積み重ねが私に力を貸してくれると信じております。
 最後になりましたが、高松、そして大阪でご指導並びに一緒に稽古してくださった方々、誠にありがとうございます。また、弐段審査受審を決意する過程で背中を押してくれた合氣道部の部員の皆様にも感謝しております。高松で10年間、大阪で3年間、稽古してきたことを自信に変えて審査に臨みます。

 「初段審査への意気込み」
初段 U.T
 今回の初段審査を受けるにあたって、私は今までに習得した技を一つ一つ大切にしていきたいと思います。今まで、私はスポーツというものを本格的にやったことはなく、中学校は吹奏楽部に、高校は天体部と物理部に入部していました。大学に入学し、今までと違うことがしたいと思うようになり、そこで阪大外国語合気道部に入部を決意し、合気道をすることによって、身体を動かすことの難しさや楽しさに気づくことができました。最初は運動に不慣れな状態ではありましたが、それでも続けていくうちに、自分の中に開放感を感じるようになってきたと思います。そのたびに、身体が少しずつ、思うように動いていく感覚を実感できるようになり、運動することの楽しさが分かってきました。また、私は、工学部の学生でありながら、外国語学部の多いこの合気道部に入部し、外国語学部の方々と交流することができました。このおかげで、身体だけではなく、心や考え方の柔軟性を磨くことができたと思います。
 技に関していえば、まだまだ身体が硬く、形が整ってない投げ方や、己の不精さが出で、雑のなっている部分が多いと思います。正直申しますと、先輩たちと同様に来年の三月に初段審査を受ける予定で今まで稽古に臨んできたので、自分はまだまだ初段を取ることのできるレベルには至っていない部分が多いです。しかし、今後幹部になり、部活で指導演武を行うにあたってはそのような妥協はしてはならないと考え、今回自分の甘い考えを振り払い、初段を受けようと思いました。
まだまだ、未熟な点が多いと自覚しておりますが、今までの稽古の成果を十分に発揮できる演武ができるように努めたいと思います。

 「   」
 一級 Y.Y
 9月の二級審査から、自分の中で焦りが大きくなっているように思います。ご一緒に稽古してくださる方々から、「もう少し落ち着いて、力を抜くように。」と声を掛けていただくことが以前と比べて増えました。
 この焦りの原因は、審査に時間制限が加わったことや同期との間に差ができてしまったこと、2回生として稽古する日々が残り少なくなってきていることではないかと思います。
 頑張らなくてはいけないという思いがつのり、最近は稽古を楽しむ気持ちを見失っているように思います。これからどのような気持ちで稽古していくのか、今回の審査を通しても、考えていきたいと思います。
 また、考えすぎて動けなってしまうのも私の悪い癖です。時には、体当たりでも動いて、気持ちは後から追いつかせるといったことも必要だと思います。不安や緊張はありますが、動きが小さくならないように、思いきって審査に臨みたいと思います。

「意気込み」   
四級 T.M
 九月に、五級の昇級審査を受けてからもうはや三か月が経ちました。前回では、体を出来るだけ大きく動かすこと、しっかり大きな声で返事すること、畳のスペースを上手く使うこと、などあれこれ目標をたてていました。前回は、やはり初めての昇級審査ということもあり、とても緊張してしまい、声が震えたり、動きが縮こまったものになってしまったりなど、目標を達成出来ていない点が多くあったと思います。また技に関しても、めぐりが浅い、膝行で片足が後ろに残ってしまっているなど、数多くの指摘を頂きました。これらの改善点を意識して稽古に励み、今回の昇級審査に望みます。
また今回では新しい技が二つ加わります。肩取りの二教の足さばきや、横面打ちの四方投げの流れるような動きがなかなか難しく、苦労していますが審査では上手くできるように頑張りたいです。

 「意気込み」
 四級 岸田 直昂
9月に5級審査を受けた時は久し振りの審査ということもあり緊張して体の動きが硬くなってしまいましたので 今回の4級審査ではもっと精神的に余裕を持って審査を受けたいと思います。
 本日のプレ審査や前回の講評で注意されたことはこれからの稽古で改善していきたいと思います。具体的には、肩取りの2教の裏の時に当て身を入れた際後ろ足が相手の正面に残らないようにする、片手取りの後方入り身投げの際に相手と腰が離れないように投げる、ある程度演武のテンポを考えて技の速さを意識するようにすることです。前回の審査では私が技の順番を徹底的に覚えれていなかったため横面打ちの四方投げを忘れてしまったので今回はそのような事態を引き起こさないためにもしっかりと技の順番を頭に叩き込みます。またどの技においても大事なことですが自分から攻めていくという姿勢を忘れないようにしていきます。

 「意気込み」
五級 K.R
 私が合氣道で5級の審査を受けるにあたって心がけたいことは大きく分けて2つあります。
     1つ目は、今までの稽古で学んだことを生かし反映させることです。稽古で私は身体の軸、投げ終わった後の姿勢、指の先まで気を張ることに注意してきました。そこが自分に足りないことだと感じているからです。正面打ちの一教では、相手が打ってきた時の反応としこを意識したいと思います。呼吸法では、手に力を入れずに螺旋を描くようにての動きをすることを心がけます。正面打ちの入り身投げでは相手の真後ろに入ることを、片手取りの四方投げでは相手との距離に気をつけます。
    2つ目は元気よく演武をすることです。まだまだ未熟者であるからこそ、取り柄である元気さを出していきたいと思います。
      以上のことに気をつけて5級の審査に望みたいと思います。よろしくお願い致します。

   「子供の部」

   「   」
 十級 N.A   九級に特進
 最初に、「中谷・・・・あ、みくもさん」と言われたときは、「わたし?!。」と思いましたが、みくもだったので少しほっとしました。一番最初は、きんちょうするからです。三人が級なしの審査を受けて一番最後だったのでそれは、それできんちょうしました。前しっこうはうまくいきましたが後ろしっこうは、失敗したので、「級上がるのは無理かな〜」と思いました。その後の前・後ろ受身、体の転かん(1人)、(2人)、すわり技正面打一教、すわり技両手取呼吸法など・・・・・は、けっこううまくできました。私が終わった後に高校生から大学生の人が3人から5人ほどの審査を受けていました。とてもじょうずでした。審査が終わったあともまだきんちょうしていました。合気道で、終わりのもくとうと、そうじをして、帰ろうとしたときに、だれかはわすれましたが、「うまかったよ。」と言ってもらえたのがとてもれしかったです。

  「昇級審査の感想」
 十級 N.M
 何月何日かは、わすれたけど、昇級審査がありました。まず前受けみ、後ろ受けみ、しっこう、後ろしっこう、1人体のてんかんの1人でできるやつをやりました。でもあやもゆうだいは後ろしっこうをしたのに、僕はしませんでした。
 次に、二人でする、すわりわざ呼吸投げ、すわりわざ正面打ちいっきょう、すわりわざ正面打ちこうほう入身投げ、などがありました。この時、相手の人の名前を覚えれていなくて少しこまりました。それで、この昇級審査はちょっときんちょうしました。最始によばれるのはだれかな、おれはいややな、とおもっていたら、おれだったのでびっくりしました。この次の昇級審査、受けるかは、、わからないけど、うけるんだったら昇級できるようにがんばります。
 

 
  「びっくりどきどき合気道テスト」
 十級 S.Y
 ぼくは合気道のテストのときにすごくびくびくして、「できるかなあ。」とおもってどっきりしました。 
 はじめの一人わざのときは、だいたいちゃんとできました。ですが、二人でやるとき四方なげをしてしまいました。
 ぼくはおとうさんに「だいじょうぶかなあ。」といいました。
 しょうじょうがでるとき、「ぼくのがあるかなあ。」とおもってどきどきしました。ぼくの名前があがったときとてもよろこびました。
 ぼくはしょうじょうを4〜5まいくらいしかもっていないので、とてもよろこんでしかたなかったです。
 ぼくはつぎのときまでもっとれんしゅうをつんでかんぺきにして、9きゅうになって、どんどんしんきゅうしていきたいです。
 あと四方なげをしてしまわなことです。

 

 

   平成二十六年十二月
   「   」
 池田 憲夫
 既に、今年も一月が経とうとしています。寒い日が続いています。東北生まれだったので、それほど寒さは堪えなく、靴下を穿くこともなく冬を過ごしたことが、懐かしく思われます。
 今月は、大阪合氣塾さんの記念式典が、また、名古屋の木田塾道場さんの記念式典が、あります。嬉しいことに、ご案内を頂戴しましたので、出席して参ります。名古屋では、以前和氣會で稽古していた斎藤さんご家族のみなさんとお会いしてきます。斎藤さんは、名古屋へ転勤しましたが、木田塾道場さんにお世話になっています。
 以前、大阪武育会の会長木村二郎師範から頂戴した、故小林裕和師範のビデオを、保井さんのお陰で、やっとDVD化出来ました。海外(ドイツでと判明しました)での指導模様でした。ビデオ方式が日本と異なり、ヨーロッパ式でしたので、どうしようもなく、放置していました。日の目を見ました。又、小林師範の追悼版もDVDを木村先生から頂戴しました。また、佐々木将人師範のDVDを以前、中今塾の西守師範や大阪合氣塾の須磨師範から頂戴していましたので、こちらも一緒に再度、楽しく懐かしく拝見した。流石、お二人もと、植芝盛平翁先生の直弟子で、孫弟子の私どもとは、レベルの差が歴然としていました。何なんでしょうか。昔読んだ本に、偉人と接するだけでも、偉人の意志が伝わる、正確に思い出せないので、説明が出来ません。内弟子は、謦咳に接することにより、心の琴線に通じてくるのでしょうね。直弟子だった先達が鬼籍にはいることが多くなりました。少しでも、植芝盛平翁先生の求められたモノが解り、更に、数センチでも近づけたらと願う日々です。
 今回は、初めてですが、昇段・昇級された人以外にも、皆様へ投稿をお願いしましたところ、以下の方々がご投稿下さいました。ありがとうございます。

  【特別寄稿編】

   「日々感謝の自戒・雑感」
四段 戸倉 光明
 平成26(2014)年は早、師走の半ばです。この数日は極寒の気候です。北海道の近辺では、946hPaという爆弾台風並の低気圧の影響で、生活に被害と支障が発生しているようです。風雨による被害の多い今年です。そんな中で、時間の経過通りに歳を重ねて自身は68歳となりました。父方の祖父が68歳で逝き、父も68歳で他界していますから、気にしていた年齢です。家人の母を今年の四月に、見送りましたて、夫婦ともに両親が他界しました。そんな訳でこの年末年始は、松山の温泉で二泊三日の旅をするつもりです。
 旅と云えば、旅先で割りとよく忘れ物をします。忘れるということでは、モノ忘れもします特に、名詞:固有名詞を忘れます。人の名前です。相手の面前でその方の名前が出て来ないような事態には、幸いにも、未だなりませんが、とにかくヒトの名前が出て来ません。その理由は?と、考えるますと、自分は元来ヒトに興味が少ない性分なのかも知れません。理由は、さて置きます。
 旅先で、割りと忘れ物をしています。さらに、「忘れ物をしたかどうかさえ、気づかないまま無くなる事」があります。忘れた事実が九割方自覚できる事は、2009年四月の旅行(イタリア)中です。カプリ島へのフェリーのベンチ上に帽子を置いたまま下船しました。ローマのホテルでイタリア史上80年ぶりという地震に遭いました。日本のような地震情報はテレビでしていません。ラジオなら何か言うだろうと、SONYのポケットラジオをドレッサーの前に置きました。判らないイタリア語の放送を聞きながら、それを置きっぱなしでチェックアウトしてしまいました。後は2011年に滋賀の彦根に一泊した時に、カメラの蛇腹式可動三脚を忘れたらしいです。幸いにも、お金関係・財布などは今のところ失くしていません。
 無くしたものは、その後どういう運命でありましょうか・。さすがに、帽子やラジオを捜しに異国に行く訳にもまいりません。何方かが、使っていたりして役に立っていたら良いのでがそのまま保管されて、処分されているかも知れません。
 「無くしたモノや忘れたモノは、自分より先にあの世に行っている」と思うようにしています。先に行って、待っていてくれるモノ達です。そして、合氣道を思ってあの世界というと、植芝盛平翁先生、小林師範、中里さん、大阪外大合氣道部員の中で先立たれた方々を思い出します。皆さんは、きっと交流されておられることでしょう。
 数年前に、泉北の合同稽古会の時に袴を忘れました。後輩のN君がそっと届けてくれたことも思い出しました。稽古着を忘れそうになりましたが、その内本当に稽古着を忘れモノにしてしまう時には、「いよいよかと、悟りの境地に入った」と思う、きょう此のごろでございまする・・。

   「寒中水泳」            
四段 安藤 信雄
 合氣道に関して何か書こうとすると、たちまちボロが出てまいりますので、もう一つの柱、寒中水泳に関しまして小生の思いをば。
 小生の会社には防火用水を兼ねた屋外プールがありまして、春夏秋冬、一年中、数名の水泳部員がプールに入るという長い伝統がございます。小生も、はや二十年近くになろうかと思いますが、昼休みには毎日プールに行き、プールサイドで運動をして温まってから覚悟を決めて入水するという日課を続けており、このような連中がいるから水泳部に新人が入ってこないのだとの非難を受けている次第です。雪の日など必ず問われます。「寒くないのか、よくそんなことが出来るな?」いやはや、「寒い」ではなく、寒い冷たいを通り越して「痛い」のです。寒いのは水温十五度まで、冷たいのは十度まで、その先は「痛い」が正解、もちろん外は「寒い」ですが、水の中はそれどころの話ではなく、ただの男の意地で続けているというのが真実でございます。男の意地も二十年続けていれば何か悟るもので、小生の答えは以下の通り。「出来るか出来ないかではない。やるかやらないかだ。今日もワシはやる。」思えば困難に出会ったとき、いつもこの言葉で突破してきた気がいたします。冷水の中、平泳ぎで自然と口から出てるのは、皆様よくご存じの掛け声。「ほー、えい。ほー、えい。」正に、天鳥船で天の川を渡る気分になります。間違って三途の川を渡ってしまわないように気を付けないといけません。寒中水泳など、何の健康メリットもない馬鹿な行為かも知れませんが、実はとても貴重な修行をさせて頂いていたのかもしれません。次の機会があれば、もう少し勉強して合氣道の事を書かせて頂きます。

 

   
   「クアラルンプールより」
参段 野村 辰宏
 マレーシア クアラルンプールに赴任してから、もうすぐ4年が経とうとしています。 海外赴任した人のほとんどがそうだと思いますが、4年も経ったのだという実感は ありません。時々指折り数えてみないと、自分がこれだけの年月この国にいたのだ ということが信じられなくなります。
 季節感の薄い国にいると、やったことは覚えているが、それをいつやったか 思い出せないということがよくあります。何かをやったが、そのとき暑かったか(いつもそう)、 寒かったか(ない)、紅葉だったか(ない)、など景色や環境の変化がないため、いつやったのか、 そのやった順番を思い出しにくいのです。何を思い出しても、2、3ヶ月前のことのように感じられます  仕事をしているとどこにいようが時間は短く感じられますが、この国にいて特にそう感じるのは、 そんな環境のせいかな、とも思います。
 そんな中、この国で20代から30代になりました。29から30になるところで、 何かが劇的に変わるということはないのですが、危機感のようなものが芽生えて いるのは事実です。
 30代になればそろそろ何か、もう少し、自分から積極的に外部に影響を与える、 何かを変えるために行動しなければならないと思いますが、それをするには、 自分の中身がどうも頼りない。外部に何かを与えるには、自分の中身がまだ貧弱 過ぎるのではないか、と思っています。
 そういう思いを埋めていくためには、周囲に与えられるだけのものを自分に備えないと いけません。それが何かな、と今探しているところです。
 周囲に与えられるだけのものを備える為には、必要とされるようなことを学ぶことです。
ただ、少なくとも若いうち、幼いうちは、ただただ好きなことを突き詰めるほうがいいと思います。 必要なものが何かを考えることはそれほど重要ではなく、好きなことに没頭して、人にはない 何かが身についていくだけで、それがそのまま、人に与えられるものになると思います。
 だから、10代やそれ未満の人は、とりあえず自分のことだけ考えていればいいので、 好きなことをとことんやればいいと思うのです。
 私自身は、年をとったつもりはないですが、さすがに好きなことだけをやるわけには いかないので、これから何をやるかは選ぶ必要があります。それでも、かつて夢中に なったことのどこか延長線上に、自分のやることがあるのではないか、そんな気がします。
 そういう意味では、自分が好きになったことは、いつまでも大事にしたいと思います。
 
 それでは皆様、またお会いしましょう。

   「   」
弐段 永井 哲
 私は 介護の仕事をしています。介護中、利用者さんやご家族と話す時、合気会の感覚がとても役に立つことがあります。
 「相手の感情を意識しながら、ただただ話を聴き続ける」と、落ち込んでいた方がす〜と元気になられることがあります。この時の「相手の感情を意識しながら」という感覚が稽古中に感じる(私なりの)結びの感覚にとてよくも似ています。
 また、意見の異なる人に対しては、自分の意見だけを強く主張せず、相手の主張も認めてしまうと、かえって自分の意見が通ってしまう時があります。こんな時も合氣道的な感覚が役に立っているような気がします。和氣會で稽古を始めてからおそらく4年近くが経ちましたが、
合氣道が楽しくてたまりません。
 皆様、いつも本当にありがとうございます

 

  「老人と合気道」
初段 S.Y
 七時五分。いつもの時間。いつもの電車。いつものシートに陣取り豊中へ向かう。
約一時間、貴重な時である。
雑学のページをめくる、はたまた贔屓の音楽テープを、もろもろ一時の楽しみが来る。
しかし、時にこの空間を壊される事がある。
実証@ 両側を、荷物で占領し手鏡と悪戦苦闘の20歳台女。(限界やろ。)
実証A 両足を、通路へ投げ出し昏睡状態の30歳台屈強男。(すみません前通ります。)
実証B 非常に視線が落ち着かない、40歳台の男。(逃亡者か。)
実証C 新聞を手にしてはいるが、先程から全く読んでいない中年男。(何のツール?)
実証D 等しく正面で憑りつかれる様に、叩いている老若男女。(スマホ捧げ?筒!)
実証E 「あんな うち…やねん」「すごーい それって…やろ」
    「あんた ようやるな?」「そのうち あんたらも……と おもうわ」
    「ん? せやろか」
        『……て なんやねん?』
        ---♪岡町 岡町♪---
        我 不快的 心
     皆さん、雑念多しの老人です。
     今日も、厳しく、払って下さい。

 

   「   」
初段 Y,A
 この10月に単身赴任先から大阪勤務に戻り、再び和氣會に入会させていただきました。吹奏楽部一色だった娘も秋に仮引退し、受験勉強の合間を縫って稽古させていただくようになりました。
 私の場合、元々自分がしたくて始めた合氣道ですが、子守代わりに連れてくるうち、娘も興味を持ったようです。チョロチョロと道場を走り回ってご迷惑をかけていた幼少の頃から、思春期のまっただ中の今に至るまで、細々ながら一緒に稽古を続けてこられたことは、本当にありがたいことです。
 袖振り合うも多生の縁と言いますが、道場を同じくして腕を取り合うのは、もっと深い意味があるのかもしれません。
 娘の場合、部活の最後の大会直前になって部内がおおもめにもめ、ちょうどその頃、池田師範があゆみで紹介されていた、「道に迷えば道を覚え、人生に迷えば生き方を覚える」という佐々木将人師範のお言葉を教えたことがありました。それを自分なりに解釈して作った部員への最後のあいさつは、同期の子の表現でいうと、「やばかった」そうです。(笑)
 稽古を始めた頃から親の姿勢を見ていますので、いくら取り繕っても、子供の目にごまかしは効きません。そんな風に子供と真剣勝負ができるのも、和氣會のすばらしさだと感謝しております。高校に行けば言ったでまた部活漬けになるでしょうが、これからも一回一回を大切に一緒に参加させていただければと思っています。皆様今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

   「   」
初段 U.K
 合氣道部の幹部交代をしてから早9か月。一年前の今頃はと、ベトナムにいながらも現役部員として活動していたころを思い出し、いまは後輩たちがどんな部活にしていっているのだろうと思いを馳せることもしばしばです。大阪で生まれ育った私はこの留学で初めて大阪を離れ慣れない土地で慣れない言語を使って生活しています。日本では考えられないようなことが当然のように起こるこの地で、勉強したり、遊んだり、合氣道したりで楽しい日々です。今回私は審査を受審してはいませんが、ありがたくも投稿の機会をいただいたので、ベトナムで稽古した体験について書かせていただきたいと思います。
 ベトナムで稽古する中で様々な葛藤と発見がありました。やはりまずは技の違いです。多くの技に今までと共通する部分と異なる部分がありました。知っている技もあれば初めて見る技もあります。初めての技はもちろん、知っている技でも崩し方が違っているものや、受けの取り方が違うものもありました。いつも通り稽古していると、ここはそうではない、ここはこうしたほうがいいと言われることは少なくありません。自分の中ではこうしたい、こうしたら上手くいくのではないかと考えていることと違うやり方をするのは難しいものです。日本にいたころある先輩が、自分の慣れたやり方と違うやり方だとどうも自信を持ってできない、と話してくださったことが日本を離れて初めて理解できたような気がしました。大学から合氣道を始めた私は和氣會のやり方でしか稽古したことがなく、一歩外に出れば自分の技術はまだまだ脆いものであると痛感させられました。通用する部分、通用しない部分がはっきりと分かれ、効かないものはどんなにやってもうまくいきません。合氣道が型形式の稽古であり、そのやり方に慣れた受けの人に甘えた技になっていたのです。短い期間なのでベトナムでのやり方に慣れることはありませんでしたが、それを拒絶するのではなく一度は飲み込んでみて、よい技術は盗み、理解し兼ねるものも一つのバリエーションとして自分の中にストックしておくことで、いつかどこかで新しい発見につながればと思います。
 ベトナムには合氣道の道場が思った以上にたくさんあるようです。一度だけ昇級審査を見に行く機会がありましたが、私が普段稽古している道場の他にもいろいろな道場から多くの人が集まって来ました。審査の形式も今まで見たことのないものです。一生懸命やっている人、まだ技を覚えきれていない人とさまざまですが、日本の武道がこうして遠く離れた国にも伝わり稽古されているのを見ると、一日本人として嬉しいものです。
 日本で自分の打ち込んだことが言葉、文化の壁のある海外でもできるのは素敵なことだと感じました。どこに行っても通じる共通言語のようなものです。今回合氣道を通じて多くの人に出会い、前述のような新たな発見もできました。日本に帰ってからもここで得たものを活かし、自分の合氣道に取り入れていけたらと思います。

   「デンマークと合氣道」
初段 Z.M
 デンマークでの留学生活も早9か月が経ちました。ドイツと国境を面し、アンデルセンのおとぎ話にでてくるような街並みの北欧の小さな国です。今はフォルケホイスコーレという全寮制のスポーツ学校(のようなもの)に通っています。ここデンマークでも道場を見つけることができたので、時間を見つけてちょこちょこ稽古に通っています。私が行っている道場では、体術に加えて、剣・杖・居合刀での稽古があります。剣術、杖術それぞれにも体術同様に三教や四方投げがあるので、剣、杖の動きがいかに徒手の技とつながっているかをより深く理解しようと努めつつ稽古に励んでいます。大変ありがたいことに、何度か前で受けをとらせてもらう機会もありました。国内各地でも時折、泊りがけの講習会とでもいいましょうか、合氣道キャンプなるものが開かれ、私も数回参加しました。毎年4月に日本から有末隆雄先生をお招きしてご指導頂くイースターキャンプにはデンマーク中から人が集まり、このめったにない機会を逃すまいと、皆こぞって指導に耳を傾けていました。その他にも、街の人にももっと武道を知ってもらおうということで、夏には近くの公園で空手、テコンドー、合氣道の合同で一般の人も交えての青空稽古会を催すこともありました。Youtubeでみた~先生はああやっていた、この前の講習会ではこうやっていた、当て身はねこうこうなんだよ…などなど、稽古が終わったあとも道場の方々が熱心に研究していこうとする姿勢を見て、こんなに遠く離れた国にも合氣道が本当に好きな人たちがたくさんいるのだなぁ、と感慨深いものがありました。いい道場に出会えたと思います。言葉の面でも技の面でも助けてもらうことが多いですが、教えてもらう、与えてもらうばかりではなく、あの子がこの道場に来てくれてよかったなぁ、と礼儀作法なり稽古態度なりのなんらかの別の面で自分も彼らにとっての刺激になってもらえれば海外で稽古するいち日本人としてこんなに嬉しいことはないと思うばかりです。
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   「   」
参段 U.Y
 今回参段審査を受けさせていただくにあたり、皆様にご指導を賜わりましたことに感謝いたします。
 弐段の審査を受けさせていただいてから、七年半が経っています。その間に結核、交通事故による右下腿骨複雑骨折、右肩腱板粗部損傷で断続的に4年弱稽古を休みました。病気や怪我の治療中は、良くなるのだろうか、また稽古に復帰できるのだろうか、と不安になりました。特に最後に肩の怪我では、痛みと拘縮のために肩が90度以上挙がらず、背中に手が回らない状態が1年以上も続き、気持ちが落ち込む日々が長く続きました。
 そして症状が改善し復帰できた日には、嬉しさと同時に体はちゃんと動くだろうか、稽古後痛みは出ないだろうか、これから続けていけるだろうかなどまた違った心配をし、稽古後1週間ぐらいはひどい筋肉痛に悩まされながら、何とかその都度復帰でき、今は楽しく稽古させていただいています。
 参段審査を受けさせていただくにあたって、太刀の稽古は、知識も技術もほぼ皆無の状態からの始まりとなりました。4月から阪大箕面キャンパスにお邪魔させていただき、そこで組太刀を教わりましたが、記憶に留まるまで時間もかかり、体の使い方も難しく、十分に稽古できたとはとても言える状況ではありませんでした。審査の際に(それ以前にも)指摘されたことをこれから少しずつ身に付けていこうと思っています。
 毎回の稽古ではいろいろな発見・気付きがあり、それらを自分の体を動かして確認し、それができてもできなくても面白いと感じています。これからはさらにその面白さを自分なりに追求し、合気道に精進したいと思っています。有難うございました。

   「弐段審査」
弐段 K.M
 この度弐段の審査を受けさせていただくにあたり、これまでご指導いただいた皆様、当日受けをとっていただいた皆様に心から感謝申し上げます。
 弐段を受けると決めた時から、自分なりに審査に向けて準備をしてまいりましたが、一朝一夕にどうこうなるものではなく、いざという時は良くも悪くも日々の稽古で身についたものがそのまま表れるのだと、改めて実感しました。
 昨年秋に和氣会に再入会させていただいてからこの一年と少し、いつも本当に楽しく稽古させていただいています。稽古のたび、思うように動けなくて悔しい思いもしますが、そんな気持ちも含めて、楽しいと思うようになりました。今回の審査でのいろいろな思いも、次につなげていけたらと思います

 

  「一級の昇級審査を受けるにあたって」
一級 N.S
 今回一級を受けるにあたって私がまず心がけたのは、「技の緩急」である。一級ともなると自由技や課題の技が多く、その組み合わせ方によって自分なりの演武をすることが出来るようになる。私が今回の審査において技の順番を決める際にイメージしたのは自分の中にある技の流れを忠実に守ることであった。私は苦手な取り方や技を決してないがしろにせず、かつ得意な技がより大きく見せられる流れで今回審査を受けようと思う。そこで重要なのが技の緩急だ教技も投げ技も常に一定のリズムでやっていると先輩方から何度も指摘されてきた。今回の審査では緩急の付け方を特に意識していきたい。
 またもちろん今まで目標にかかげてきた技一つ一つの精度を高めた演武もしていきたい。二級から時間に制約がかかるようになり、その為か地に足着けた演武がなかなか出来なくなっていた。重心が浮いたり体のバランスが崩れてしまうのだ。そうならないために今回は特に重心を低く、技の勢いはそのままになるべく丁寧に一つ一つの技をやっていきたい。
 後数ヶ月で幹部が変わり、私が本格的に後輩を指導するようになる。今まで二年近くに渡って合気道を続けてきて、師範や多くのOB、先輩方から様々なことを学んできた。その一つ一つを胸に刻み、後輩にそれを継承していくことも私の大きな役割である。今回の審査ではを今まで指摘されたことを特に意識して演武をしたい。

 

   「   」
 四級 N.S
 五級の審査を受けてから、もう三ヶ月も経ったのかと驚いています。前回の審査では、体を大きく動かすことを目標としていましたが、本番では緊張して動きが小さくなってしまいました。また、自分から攻めていくという積極的な姿勢が足りていなかったようにも感じます。これらの反省を踏まえ、今回の審査では、前回以上に体を大きく動かすことを意識し、相手が来るのを待つのではなく、自分から攻めることを心がけます。また、前回の審査の時は一つ一つの動きを覚えるのに精一杯だったので、今回はそれらの流れを意識して、動きが止まってしまわないように注意したいと思います。この三ヶ月の間にどれだけ成長できたかは分かりませんが、今自分にできることをすべて出し切り、前回よりも良い演武にしたいです。

 

   「中学生最後の審査」
  四級 Y.A
 今回は大人の部になってから、二度目の審査でした。
 審査のために第二部に参加させていただいた時に、ほとんど第一部しか行っていなかった私は驚きました。第一部では優しく子供たちに教えている方々が、より真剣な顔で稽古に励んでいて、ここは大人の人が真剣にやる場所なんだ と感じました。
 今回受けた級は大人の四級。私に受ける資格はあるのかと思いました。
 でも、自分の心の中に挑戦したいという気持ちが芽生え、自分の実力がどれほどか確かめたいと思い、受けさせていただきました。
 審査の時はすごく緊張しました。直前に「堂々としていたらいい」とアドバイスをいただき、無事、中学生最後の審査を終える事ができました。
 今回の審査を受けて、もっと上手になりたいと思いました。
 来年からは高校生になります。私の志望校は土曜日も授業があるので日曜日だけの参加となりますが、第二部まで参加し、これまでより集中して頑張りたいです。

 

   「昇級審査にあたっての意気込み」
 五級 H.D
 昇級審査にあたっての意気込みを考えていたのですが、いくら考えても簡潔な言葉では言い表せないので、すこし冗長な言い回しになりますがどうか少しの間お付き合いください。
ハ 審査を受けるに当たり、『頑張ります』と言えばそれまでです。もちろんそれは正しい気持ちではあるのですが、いささか漠然とし過ぎていて事足りないのです。
ハ ここで昇級とは何なのか、少し考えてみました。技能が一定以上上達したことを示すものであることはもちろんですが、月並みな言い方をすれば、そこまで上達するまでにお世話になった方々に示しをつける場でもあることに思い至りました。お世話になった人達のこと、これも複雑な気持ちの一部を占めているのはたしかです。そして、複雑な気持ちに押しつぶされ、自分ひとりだけ必死になって周りのものが何も目に入らなくなってしまうような事態は避けたいと思います。
ハ 今の私の気持ちは、『頑張ります』では表わしきれない複雑なものです。しかし、今までお世話になった方々に示しがつくように臨むこと、そこだけは揺るがすことのないよう、今は真摯で切実な態度で臨もうと思う次第です。

 

  「合気道のテスト」
子供の部 八級 S.R
 ぼくは3回目のテストでしたが、すごくきんちょうしていました。これまでは子どもも一杯いたけれど、今回は大人の人ばかりだったので、びっくりしました。はじめに和がわざをしているとき、まえうけみとうしろうけみのしかたをわすれてしまったので、すごくあせってしまいました。なんとか少しだけ思い出したと思ったらもう次が自分の番になっていました。すぐに自分の番になりました。自分ではうしろうけみが残念でした。でも二きょうとてんちなげとこうほういりみなげが上手くいったのでこれまでの中の自分のわざよりはレベルアップしたかなと思います。

  「合気道のテスト」
子供の部 九級 S,N
 合気道のテストは2回目だったので、とてもはずかしかった。テストの前は、とてもきんちょうしていました。本番の時、すごくきんちょうして、だれのかおも見られなかった。一番によばれたので、はずかしかった。練習の時はおぼえていたけど本番になったらわざをどんどんわすれていって、さい後のわざをわすれてしまった。そして、できなかった。とてもくやしいです。次はしっかりストレートにいきたいと思います。

   「緊張」
子供の部 八級 K.K
 柴原体育館で試験があり、父、母、弟が見に来てくれました。そして、緊張しながら試験が始まりました。柴原体育館だったので、広くて人数も多かったので、緊張しましたが、皆さんと家族が応援してくれたので、上手く出来たと思います。

 

 

  平成二十七年三月

   「初段にあたっての決意表明文」
 初段  N.S
 今回の昇段審査で私は演武のことだけでなく、審査に向けた心構えも改めて意識し直した主将になるにあたって私が先輩方から色々なアドバイスを頂いたが、その中に技が優しいというものがあった。自身では優しくしているつもりはあまりないが性格的な問題が原因かもしれない。新しく入ってくる一回生は良くも悪くも親の代の技や姿勢を真似ていく。私自身そうであったし、他の人を見てもそのような傾向にある。技一つ一つ細やかな点はもちろん、勢いなどを今まで以上に意識して考えてここ数ヵ月は技をやってきた。今回の審査ではそうした迫力を全面に押し出した演武をしていきたい。もちろん迫力を意識しすぎて雑な演武になってはいけない。今までの昇級審査同様、技の正確性にも注意していく。時間も限られるなか、この2年の集大成を出せるように技の構成から全て時間をかけて考えてきた。後は主将らしく堂々と今の全力を出しきった演武をしたい。

   「意気込み」
三級 H,R
 特に苦戦した小手返しのめぐりを研究している際に教わりまた実感したのが、相手を置いていかないことです。流れをつくろうとするあまり引き込みすぎることのないように注意する傍ら、常に自分の中心を保つように留意します。
 審査ではどうしても緊張してしまい、速度が上がってしまいます。流れるように速やかであれば宜しいですが、これに伴って動きが小さくなったり極めがおろそかになることがあるのでつとめて平常心で、ひとつひとつ確実に行います。
 3カ月前に受審を予定して準備をしていました。上の方にご指導いただいてきたはずなのですが、今になってもう一度同じ状況のもと稽古をしてみても、自分では以前との違いはよくわかりません。自分の技がどうであるかは、平生受けの方に尋ねているので、客観的な自省ができるよう心がけます。とはいっても、自分の姿は見えません。イメージと実際の動きが一致するように何度も反復して体で覚えます。

   「審査に際しての意気込み」
三級 H.D
 三級では審査の対象となる技が大きく増え、正直なところ今までよりも少し身構えている自分がいます。
 しかしながら、それらの技は普段からよく扱われる技です。全く以て何が何やらわからないようなものはなく、安心できるといえば安心できますが、その反面、普段から言われている改善すべき点を改善し、持てる限りの技術を見せなければならないというプレッシャーも、当然ながら感じています。
 さらに、年度末ゆえなのか、この度の昇級審査は、節目たる昇級審査の中でもことさら節目のように感じられます。この春で学年が上がり、私にも後輩ができます。一年間合氣道をたしなんだ者として、普段からよく扱われる三級の技はそれなりにできなければなりません。後輩たちにも示すことができなければなりません。そのような考えを抱いております。
今回の昇級審査に際しては、それらの技ができるということを自ら確認するとともに、皆さんにも確認していただく良い機会を得たと考えることで、気を引き締めて臨もうと思います。

   「昇級審査の意気込み」
三級 N.S
 先日、一週間の春合宿を終えました。合宿を通して自分の技が上達したのかどうか、自分ではよく分かりませんが、例えば小手返しの巡りなど、それぞれの技で少なくとも一つ改善点を見つけ、それを意識しながら稽古をしてきました。合宿前より少しでも成長していれば嬉しく思います。
この度の三級の昇級審査では、春合宿でやった事を始め、この一年で私が合氣道部でやってきた事をすべて出し切りたいと思います。それぞれの技のポイントをおさえることはもちろん、演武全体の流れについても考えたいと思います。先輩方には元気が無い、単調であると指摘を頂いたので、力強く投げるところは投げて、極めるところは落ち着いて極めるなど、演武にメリハリをつけるのが今回の目標です。また、この春新入部員が入ってくれば、私にも指導する機会が出てくると思います。座技で膝行を疎かにしない事や、立技で投げた時後ろ足の踵を浮かさない事など、私が入部したばかりの頃から先輩方に言われていた基本的な点も、今回改めて意識したいと思います。

   「2度目の審査」
四級 Y,E
 前回の5級の審査は緊張のあまり何も記憶に残らないまま終わってしまったので、今回こそは、「冷静に丁寧に」を心がけて挑もうと思っていました。
 稽古時も4級審査の課題をかなり取り上げていただいて、とても感謝しています。しかし、審査本番になると、教えていただいた足さばきなどが出来ていなかったのがとても残念です。
 いつもの稽古で、繰り返し体で憶えることの大切さを実感しました。
 これからも、たとえ亀の歩みでも頑張って稽古に励みたいと思います。

 

   「6級の審査」
子供の部 六級 H.H
 6級の審査を受けました。
 はじめはいつもよりあまり緊張せず、落ち着いてできていたと思います。しっこうをしているときにこけそうになったけれど、なんとかこけませんでした。ホッとしましたが、そのあとがちゃんとできているか不安になりました。
 合格できたかわからないけれど、合格していたら、帯が変わるのでうれしいです。また次からもがんばります。

    「審査」
子供の部 六級 K.TK
 審査を受けるのは4人だけだったのでびっくりしました。3番目でした。きん帳しました。
いろんな技が出ました。けっこう覚えていました。安心しました。審査が終わった後、ほっとしました。

    「審査」
子供の部 六級 K.TG
 ぼくがした六級の審査の内容で、一番難しかったのが正面打三きょうです。特に三きょうで一番難しかったのがこてがえしの部分でした。その他の技はいつも通りやっている技だったので、普通に出来ました。六級になると帯の色も変わるので楽しみです。他の人も受かるか心配です。

    「審査」
子供の部 六級 K.Y
 六級の審査でやった技は前受身と後受身としっこうと後しっこうと体のてんかんと一きょうと二きょう、三きょうと片手取こうほう入身投をしました。三きょうが一番難しかった。七級の技よりも難しかったので、出来るかわからなかったからきんちょうした。六級の技が少しは成功していたのでうれしかった。

 

 

   佐々木将人師範語録
 悩んでどうする
 位人臣極めた王侯も、名もなき人も 目は二つで鼻は一つ 
 足は歩いて手で掴む 尻でもの言う人はいない 
 立って半畳 寝て一畳 天下を取っても四畳半
 着物は一着 ご飯は二杯 寝だめ食いだめ着だめもできず
 厠の姿は皆同じ 風呂に入る時は皆裸 嵐の中でも時がたつ
 過ぎてしまえばへの如し

 現在、只今に感謝すべし

 

 子育ては自然の道  親孝行は人の道
 「親孝行したい時には親はなし」という格言がある。
 今は、「親孝行したくないのに親がいる」というそうだ。
 親は命をかけて子を守り育て、教育する。
 その深い恩に報いるのは当然の人間感情だと思われていた。
 知識偏重で人間教育を怠ったためか。
 人間だけが行う親孝行という崇高な人の道は、失われつつある。
 人間は教育される動物であるという。
 親孝行の出来る人間に育てられない親は子殺しの罪を犯しているに等し

 

 

   

 平成26年9月

  「   」
池田 憲夫
 今年もあと数ヶ月となりました。本当に毎年毎年「光陰矢の如し」を感じています。
 恒例の「関西地区合氣道研鑽会」も今年は、若先生が一部を御指導下さり、二部は、道主 植芝守央先生の御指導でした。いかがでしたでしょうか。年に一回の絶好のチャンスでしたが、有効な時でしたか。
 九月には、西守久先生の「中今塾」さんとの合同稽古会を催しました。武器稽古が主でしたが、慣れている人、不慣れな人がおりましたが、それはそれなりに楽しく稽古が出来ました。覚えていることを、直ぐにその場で発表するという、大胆な発想でしたが、少しは、身体にしみこみましたでしょうか。徒手には徒手の、剣には、剣の、杖には杖の、楽しさがあることがご理解頂けたら、嬉しいです。
 さて、外大合氣道部卒業してから稽古から遠ざかったり、あるいは、和氣會を仕事のために離れなければならないといういろいろな事情と都合が重なりながらも、その地で苦労して、稽古場を探し求め、稽古を継続している人がいます。英国のO.Cさん、クアラルンプールのN.Tさん、ベトナムのU.K君、スウェーデンのZ.Mさん、お二人は留学中です。最近は、留学のために合氣道部を離れたI.Yさんが、ずっとサンディエゴシチーで、稽古をしていることが解りました。来年には、弐段受審を勧められているそうです。私たちの住んでいる日本でも、うん十年ぶりに稽古を始められた先輩方もおられます。
 稽古の相手に、「あなたと稽古して良い稽古が出来ました。」と言われる稽古態度が持てることが目標です。強さや上手さは、稽古を重ねれば上達しますが、良い稽古相手にはなかなかなれません。

 

 「袴」
初段 R.S
 このたび初段審査の合格を頂いたことについて、池田師範をはじめ皆様のご指導を賜わったおかげでございます。心から感謝致します。
 44歳の年に合気道を習い始めて6年半が過ぎ、去年の誕生日からは千円で映画が見られる(夫婦で)50代に突入し、もはやシニアとも呼ばれる世代になりました。何年か前に和気会の皆様と食事会の席で合気道を習うことに対する目標を聞かれたことがあります。当時の私にとって合気道は長く続けられる運動だと思い、昇級・昇段にあまり関心がなかったため、「定年までに袴を履くことができたら...」と答えました。しかし稽古を通じて合気道の理合いについて学ぶことや、合気道の本や書籍を読んで勉強することによって、合気道の奥深さを感じつつ興味が日々高まっていきます。何よりも、同時期に合気道を始めて、私より年が一回り上Sさんの影響(お陰)が大きかったでしょう。Sさんの合気道に対する姿勢や稽古に対する熱心さは和気會一番で、私が審査を受けるまでたくさんご指導とご激励を頂いたことに大変感謝しております。
 最近、筋肉が落ちないように稽古日のほか周2,3回腕立て伏せ等トレーニングを続けて、合気道に関する本もたくさん読むようにしています。たまに皆様の切れのいい技を見て、なんで自分ができないか、やっぱり黒帯を頂くのが「10年早いかなぁと思うときもあります。ネガティブ思考にはならないよう、リラックスして楽しく稽古できるように頑張っていきたいと思います。
 私にとって合気道は健康法であり、体と心の鍛錬であり、日本の文化・武道に対する理解を深める手段でもあります。これからも体力が許す限り、求道を続けていきたいと思います。ご指導頂きますよう宜しくお願い申し上げます。

   「昇級審査への意気込み」
四教 H.R
 以前の五級の審査から三カ月が経ちました。今回四級を受けるにあたって心掛ける点は前回と同じです。姿勢正しく、積極的に、大きく力強く動くことです。留意点は同じでも、この3カ月で師範と諸先輩方に熱心に教えていただきながら体得したことを精一杯技で示すことを目指します。日々精進していれば成長はしているはずですので、緊張して委縮せず、平常心で自信をもって臨みます。自信は姿勢のみならず表情にも気をつけねばならないことを教わりましたので、どんな時にも平然とした顔をする心構えです。
 勉強や楽器の演奏はひとりでもできますが、合氣道は相手がいないと成り立ちません。単独行動ばかりしてきた私にとってそれは時にもどかしかったり申し訳なかったりします。だからこそ毎回の稽古、ひとつひとつの技を大切にして、今まで稽古をしてくださった全ての方々への感謝を表すに恥じない演武をします。

 


   「初めての昇級審査」
 五級 Y.E
 今まで昇級審査の時期になると、「まだ技を覚えてないから次回にしよう。」「自信が無いからこの次にしよう。」と自分に言い訳をしながら先送りにしていましたが、今回、諸先輩方に「横山さん、そろそろ審査をうけてみたら」との声をかけていただき、ようやく審査を受ける覚悟を決めたものの、すべての技を何一つ覚えていないことに呆然としたのが審査の2週間前でした。それから審査までの2週間、ここ数十年ぶりに密度の濃い「ひとつのことに集中する」生活を送りました。しかし、所詮は付け焼き刃、審査自体は自信のなさから来る緊張のあまりなにも記憶に無く、我に返ったときには後ろに座っていました。
今回の審査で気付いたのは、今まで「まだ初心者だから、覚えられないという、いいわけと甘え」があったことです。
これからは気持ちを新たにもっと精進して頑張ります。

   「審査について」
五級 Y.K
 今回の審査は中学生になってから初めてだったので、緊張しました。最初に言うべき言葉を間違えてしまったので、より緊張しました。
 でも、呼吸投げを落ち着いてできたので、本当に良かったなぁと思いました。
 技の中の細かい所でできなかったところがあったので、そこは反省して、師範方からのアドバイスを心に受け止め、これからに繋げていきたいと思います。
 また、稽古の時にもらったアドバイスもしっかりできるようになるために、がんば ろうと思います。
 受けを取ってくださった、中西さん、本当にありがとうございました。

   

   「昇級審査への意気込み」
五級 H.D
 大阪大学外国語学部合氣道部に入部してから数ヵ月が経ち、私も少しずつこちらの部活動になじんできました。
ハ 私はこれまでバレーボールをはじめとする球技をいくつか経験してきましたが、まともに武道を嗜むのはこれが初めてです。受け身や足の運びかたなど、始めたばかりの頃は慣れない動きに戸惑ってばかりでした。しかし、最近では稽古にも慣れ、これまでの身体の動かしかたから脱却しつつあることを実感しています。
ハ さて、この度は初めて昇級審査を受けさせていただくことができるということですが、私は今の段階で既に充足感を抱いています。
ハ とはいえ、気が抜けてしまっているわけでは決してありません。ほんの数ヵ月の間ですが、されど数ヵ月間合氣道に触れる中で、私の中に幼いながらも向上心が芽生えました。早く上達したいと気が急いてしまうために、ようやく機会を与えていただいてとてもありがたいのです。
ハ その思いを秘めて、きたる九月三十日には、今まで心得た動きを確かめながら、なおかつ相手への思いやりを忘れないように審査に臨みたいと思います。

 「昇級審査への意気込み」
五級 N.S
 大学に入学し、私が合氣道を始めてから、早くも半年が経とうとしています。初めの頃はなかなか技が覚えられず、稽古に行くたびに先輩方に一から教えていただかないと何もできないという状態でした。しかし夏休み中の稽古、合宿を経て、出来る技が増え、ぎこちなかった動きも、少しずつではありますがスムーズになってきたように感じます。毎日の稽古は大変でしたが、本当に充実した夏となりました。
 今回の五級審査では、これまで自分がやってきたことを、自信をもって堂々と行うことを目標とします。もちろん、出来ていない点、自信のない点は多々ありますが、動きが小さくなってしまうと、見る者にとっても、やる者にとっても、つまらない演武になると思います。姿勢を正し、体を大きく動かすことで、堂々とした演武にしたいです。
 五級審査で行う技は、今まで繰り返し練習してきた技ばかりです。師範、先輩方に注意された点を一つでも多く改善し、自信をもって審査に挑みたいです。

 

 

 

 平成26年7月

  「   」
池田 憲夫
 大阪外国語大学体育会合氣道部創部五十年を契機として、卒業後うん十年ぶりに、稽古を再開された方々もおられます。ずっと継続することもそうですが、再開されることもそれ以上に勇気の要ることと思います。年齢のこともありますし、ご家庭のご事情もあることです。大学時代とは違った、合氣道の楽しみ方を再発見されて、趣味として、合氣道を楽しむ。素晴らしいことと思います。自分なりに愉しめるのが、合氣道の良さと思います。その内のお二人は、(Aさん、Fさんです)合氣道部の春季合宿にお越し下さり、現役生と良い汗を流し、更に、お一人は(Fさん)、全日本合氣道演武大会に出場下さいました。良い見本をありがとうございます。
 そういえば、今年の演武大会には、仕事のため、卒業以来全然合氣道から遠ざかっておられた先輩がそれこそ四十五年ぶりに稽古着と袴を新調して、一分半の演武を二度されました。また、遠路高知から一分半の演武のために来られた先輩もおられます。頭が下がります。道楽(道を楽しむ)というか極道(道を極める)というか。豊中和氣會からは、お二人の出場でした。来年は、さらに、出場される方々が増えますことを願っています。
 さて、先日、私の出身団体「大阪武育会」の設立記念式典がありました。道主 植芝守央先生にお越し戴いての研鑽会でした。約五百名が近畿地区はもとより、愛知からも来られていました。暑い一日で、大変だったことと思いますが、気付いたことを言いますと。道主は、汗を拭うこともなく、水分を補給することもなく御指導をされていましたが、稽古人は、技の途中、説明の途中でも、好き勝手に稽古を中断して補給していました。指導責任者が水分補給をするように命じたなら補給してもよろしいでしょうが、自分で勝手に持ち場を離れることは、礼儀知らずです。厳に慎みたいことと思っています。健康のために、合氣道の稽古をしているのですが、水分補給ばかりしているとそういう体質になってしまい、少し辛抱することが出来ないという体質になると思っています。現代の医学に逆行していますし、なんら根拠はありません。ある程度耐えることも鍛えることも必要かと思っています。その分、常に目を光らせて稽古状況を把握することが重要ですが。健康のためなら、暑中稽古や寒稽古は、反健康的です。鍛える面からは、納得が出来ます。剣道その他防具を装着する武道では、簡単に水部補給や汗拭いは、出来ません。求めるところが各人各様ですので、それは個人に任せるしかないのかと思います。毎年悩むところです。

 佐々木師範語録
 道に迷えば道を覚え 人生に迷えば生き方を覚える
 「若い時の苦労は買ってでもせよ」「可愛い子には旅をさせよ」などの金言は、人間の知恵の結晶である。
 山ほど本を積み上げて勉強するより、体験で得た勉強ほど身につくものはない。苦労すると苦労を解く道を、自ら探さなければならず、そのための工夫をこらす。旅に出ればどんな困難にぶつかるかわからない。命ですら落とすこともある。旅の経験で得た知識や才覚は困難であればあるほど後で役に立つ。
 人生には幾多の壁がある。その壁を越えるたびに成長し、壁が高ければ高いほど成長の度合いが高い。体験の力の大きいことは、今も昔も変わらない

「参段審査」
参段 H.T
 2月1日、池田師範並びに和氣會の皆様のご配慮のお蔭で、参段昇段審査を受審させて頂きました。全く予期せぬ審査であったとはいえ、自由技では思った通りの技が出来ず、また自分の技の少なさを痛感した時間でした。技の種類は勿論、それぞれの技の意味を理解し、しっかり相手を崩して技を極めるべきところ、体力的に追い込まれるばかりで動きがバラバラだったと感じております。弐段から今回の受審までの期間、継続的な稽古をしてこなかったことを反省、というより勿体無い時間を過ごしてきたと後悔しております。ただ、大阪に来て短い時間ではありましたが、合氣道を再開する機会を得て、池田師範のご指導のもと参段を受審させて頂いたことは非常に有難く心から感謝しております。参段からまた初心に帰って、合氣道について深く学び、自身に甘えることなく、心身ともに鍛錬していきたいと思います。有難うございました。

 「残心」
初段 R.S
 審査の動画を見て、子供部をはじめ最後安藤さんの昇段審査まで大変勉強になります。
 また、他の方と見比べて自分の技の未熟さがよく分かります。特に技を決めたあとの自分の動きがおかしいと思いました。過去の審査結果に指摘された「残心」のことではないかと思ってインターネットで検索してみました。
 当分の間は、自分の課題として「残心」をきちんと理解し実践することにしたいと思います。
 どうかご指導の程よろしくお願い致します。

Wikipediaより「残心」:
 残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。
武道における残心とは、技を決めた後も心身ともに油断をしないことである。たとえ相手が完全に戦闘力を失ったかのように見えてもそれは擬態である可能性もあり、油断した隙を突いて反撃が来ることが有り得る。それを防ぎ、完全なる勝利へと導くのが残心である。

 「初段」
初段 H.K
 平成19年 11月 池田師範の元  約 7年 稽古に 励んで来ました。合気道 本当に楽しいです。風邪引いて ぐわいが、悪くても、稽古する時は、風邪を 引いてること 忘れてしまいます。
初段 ... 学生さん 先輩方の初段審査 見ていて、いつも感動していました。いつか僕も…学生さんの袴姿が、凛々しく 大きく 堂々と見え 恥ずかしながら 袴姿に 憧れました。僕も袴を 履くことで 学生さんの 様に 堂々と 稽古に 精進します。合気道は、考えれば 考えるほど 深みにはまります。分からなくなることが、多々あります。でも 分からなくても 楽しくて 仕方ありません。審査 は、ゆっくり 大きく演武しょうと 心掛けましたが  バラバラに、恥ずかしいです。これからの季節 体力が なく 情けないですが、怪我 しないように、稽古励みます。今までは、ただ 楽しいだけで、稽古してきましたが、これからも合気道の深みに はまりながら稽古に精進します。池田師範 諸先輩方 学生さん 御指導 宜しくお願いします。

 「   」
初段 N.K
 先日参加した学生連盟の春期講習会で、自分なりに、幹部として新入生に何をするのかを考えました。技を教えることはもちろんです。しかし、それ以上に、大阪大学外国語学部合氣道部で、私の代で、私が伝えるからこそのものがあって欲しいと思いました。そしてそれは、合氣道がいかに楽しいものであるであるかを伝えることではないかと結論づけました。合氣道は試合がないからこそ、下手でも楽しめます。自分なりのペースで稽古に励み、自分なりに追求したいことをじっくりと考えることができます。これらのような魅力を伝えるには、私自身が合氣道を楽しんでいることを見せることが大切だと思います。今回の審査を越えることで、さらに実力を身につけ、一層合氣道を楽しめるようになりたいと思います。

 「   」
三級 K.T
 今回、自分は2年ぶりに審査を受けた。久しぶりだったせいか、パニックで途中、10秒ほど止まってしまった。
 とりあえず、なんとか続けたものの、それは、自分にとってかなりショックなものだった。これからは、この様なことにならないように、しっかり稽古に励んでいきたい。そして、これから新たに二級にむけての特訓もしていきたい。 

 

 「   」
四級 N.S
 今度の4級審査にあたっての私が心がけることは技を一つ一つ丁寧にやることである。以前の審査から半年が経過し、春合宿をへて、徐々に合氣道の動きの一つ一つを理解できるようになってきた。しかし、とはいえまだ基本の動作すらままならず、先輩方から指導していただいた点を修正することも出来ていない。半身の形や、重心の高さ、残身の取り方などが十分にできていないことは自分でもわかっているが、なかなかそれを改善することができない。今回の審査に当たってはそうした基本の動作一つ一つを確実に行っていく。4級の課題となる技はどれも基本的なものであり、技の一つ一つの動きも基本的な合氣道の動作を複合したものである。基本的な技の多い今のうちに、合氣道の最も基本的な動作を体にしみこませなければならないと思うので、今回の昇級審査はそのための非常に重要な課題である。

 

 平成二十六年六月

 「審査を終えて」   
        初段 T.M

 審査の日は(これは「入試の日」や「試合の日」などとおきかえることもできます が)発表の日だと思っています。もちろん技や学力や技術などの発表もおこなうのですけれども、私の言うところの発 表は「感謝」の発表です。その当日をむかえるまでに自分を導き、指導してくれた人達や影から支えてくれた家 族など全ての方々に感謝の気持ちを発表する日なのではないでしょうか。
 私は審査や試験が始まる前、あるいは途中でゆきづまったり苦しくなったりした時、 そのお世話になった人たちの顔を一人一人心に浮かべるようにしています。こういうふうにするとあまり緊張もしなくなるものです。
 結果につながるかどうかはさておき、感謝の気持ちを精一杯発揮するべく全力を出す ことが大切なことだと思います。
 それはさておき、私自身の審査たるやご指導頂いた師範や諸先輩方々にとても顔向け のできる代物ではなく面目至極もございません。平にご容赦下さいます様お願い申し上げます。ただ猛省がある反面、私自身の心持ちは、翳った薄暗い小部屋から清涼な白砂の上に 打ち出たような快さがあります。
 「次への扉」が開いたがごとく思いを新にしております。これも偏に稚拙な私に対するご指摘のおかげであります。諫言も裏を返せば叱咤激励だと解釈し、今後益々励んで参ります。皆様ど うぞよろしくお願い致します。

 

 「   」
三級 N.S
 合氣道を一年以上やってきて一応一通りの技をやったことはあるが、そのままでは技は向上しない。三級の昇級審査に向けて今私が目指すべきは新たな技の習得ではなく、今までやってきた技の更なる向上にある。
二年生ながら副将を務めさせていただき約三ヶ月経とうとしている。私自身が後輩を指導する場面もあるが、その度に自分の実力不足を痛感させられる。今までやっていた動きの意味や解釈が自分でも分からず、後輩に指導できないことが多く、何度も上回生の方に伺いながらそれを後輩に教える日々である。先輩となって改めて後輩の指導の大変さと、それにより自分もまた学べるのだということが分かった。ただ私も全く成長していないわけではない。技の中に今まで見つけられなかった新たな発見がある。今回の昇級審査では私がこの三ヶ月学んできたこと、そして僕自身で発見したことも盛り込めたらいいと思う。

 「意気込み」
五級 H.R

 第一に心掛ける点は、初心者として技の中で熱意と誠意を表すことです。そのために絶えず相手を圧す勢いで、次の技に移る際にも積極的に前へ出ます。また四肢をのびのびと使うことも重要であると思います。
ハ 第二に自信をもって挑むことです。実力のない自負は向上心を削ぎかねませんが、これまでご指導くださった師範と諸先輩方への尊敬と感謝も含めて、然るべき自信を忘れないで臨みます。具体的には姿勢を正し、視線を上げることを意識します。
ハ 第三に遠慮をしないことです。受けが痛そうであるとか、怪我をしないか、などという心配をしていては堂々とした技はできませんし、経験を積んだ相手の方に失礼にあたります。ですので思っているより大きく、力強く動くことを心掛けます。
ハ 以上が今回自分が気をつける諸事項です。技術に関しましては至らない点が多々ございますが、些事を気にしては動きが小さくなるばかりですので、現在の実力を発揮できるように元気のよい演武を目指します。

 「昇級審査への意気込み」
五級 M.A
 私は中学校と高校では茶道部に所属し、以前の大学では留学生へのボランティアをしていました。運動は幼いころからずっと苦手でした。しかし合氣道をはじめようと思ったのは、今の主将の中西先輩に勧誘されたのと、妹が合気道部に所属しており、かっこいいと思ったからでした。まだ大阪大学に編入学して 二ハヶ月、新しい生活にまだ慣れてはいませんが合氣道を始めて良かったなと思っています。なぜなら一緒に練習する仲間が出来たからです。 私は 三ハ回生なので、あと 二年で卒業してしまうため他のサークルや部活では入部を拒否されたりしましたが、合氣道の先輩達はそんなことをまったく気にせず快く迎え入れてくださいました。土曜日の練習だけでは物足りなく、朝の練習にも参加し始めました。技を覚えるのは大変ですが少しずつ進歩していっていると感じています。今回 五ハ級を受験するにあたり、先輩方に助けて頂いたり、仲間と一緒に練習をしたり一生懸命頑張りました。いつも足が浮いてしまうので、試験では気をつけて行いたいです。

 「   」
五級 K.S
 審査前の稽古になかなか参加できなくて、技をしっかり練習することができませんでしたが、どれも知っている技だったので、少し落ち着いて審査を受けることができました。
 力強くやることを意識しましたが自信がなくて思うようにできないところもありました。
 子供の部とやり方が違ったので、戸惑いましたが、なんとかやりとげました。
 大人の部の審査の受け方が分かったので、次はしっかり自信を持って審査を受けられよう頑張ります。

 

 子供の部

 「   」
七級 H.H
 今回は7級を受けました。
 今までの審査の中で一番緊張しました。失敗もあったし、ドキドキして忘れてしまったりして、うまくいかなかったかなと思いました。いつも審査のときはとにかく声を大きく出して気合いを入れようと考えていますが、足りなかったかな、と思いました。火曜日にもけい古をしてもらってありがとうございました。次からも、もっとがんばりたいです。

 「初めての試験」
十級 K.K
 合気道で試験がありました。初めてなので緊張感が高まり、心臓がドキドキなりながら、戸倉さん、中西さん、竹縄さん、太田さんが応援してくれました。
 いよいよ試験が始まりました。
 師範に言われて、技が終わる度に「今のは良かったな」「今のはちょっとダメだったな」と思いながら、最後のおまけになりました。おまけの立ち技はちゃんと出来てよかったです。
 試験が終わり、他の人の試験を、見てると、みんな自分より上の技をしていて、上手だから、沢山練習しているんだと感じました。
 また次の黄色帯を目指して、頑張りたいです。
今は、賞状を手に取って見てみたいです。

 

 

 

 

 平成25年12月

 「今年も残すところ・・・」
 池田 憲夫
 いよいよ師走となってきました。十一月十七日は、恒例の、第十七回関西地区合氣道合同研鑽会が、武道館「ひびき」で、道主 植芝守央 先生をお招きして、開催されました。今年は、約五百名を超える参加者でした。約、二時間心地よい汗を流されたことと思います。運良く、道主に投げていただけましたでしょうか。東京本部では、許されないことですが、この研鑽会では、自分から積極的にお願いが出来る雰囲気です。今回は、玲来ちゃんと郁留ちゃんが、戸倉さんの背押しで、ラッキーにも、運を掴みました。おめでとう! 道主の優しさ、懐の大きさを感じてもらえたら、幸いです。
 昨年は、外大合氣道部創部五十周年記念式典が、ありました。この機会にと言うことで、三十数年ぶりに合氣道を再開された方々がおられます。今は、熱心に、ボチボチと稽古に励んでいるそうです。楽しみながら。そのお二方が、過日、豊中和氣會に稽古に来られました。嬉しくて、ありがたいことです。写真を載せました。継続することも難しいですが、再開も同様に難しいことです。戸倉さんの同期の方も、関東にて、再開されることを伺っています。自分のペースで、こせこせせずに、その人なりのことが出来る合氣道! 素晴らしいです。
 過日、福島原発のドキュメントを読みました。表面的な報道しか知らない私は、現場の人間は、何をやっているのだろうか、と疑問でした。が、その本には、現場で率先して死と戦い、なんとしても福島を、いや、日本を救うのだという崇高な意志の元での活動が書いてありました。久し振りに、読みながらも、涙が止まりませんでした。

東京本部 佐々木師範から頂戴した、「なるほど 人生訓」から、転記します。ご一読下さい。
親や師は、道案内すれど、歩くのは自分。
 昔から、「いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな火事と災難!」と庶民は、自らを戒めてていた。
「親こそは、金でも買えず、売りに出しても買う人もなし」などとてれながらも親の恩に感謝していた。
しかし、親は子を守り育て、師はその進むべき道を教えはするが、一緒に歩んではくれない。
子や弟子は育てば、自らの足で歩んでいかなければならない。
親や師は、ちょうど卵の殻の役割で、育つまでは保護するが育ってしまえば殻は破られる。
過保護は子供を腐らせる。

 

 【特別寄稿】
 十一月十七日に開催された、第十七回関西地区合氣道合同研鑽会で、道主 植芝守央 先生に運良く投げて頂いた二人の感想です。

「植芝先生に投げていただいて」
                  Y.A
 私は正面打ち入身投げを投げてもらいました。
 見本では上手な人が受けだったから、「先生に投げてもらうの、こわいなあ。」と思っていましたが、実際に受けて、すごく手加減してくださって、受けやすかったです。
 でも、圧倒的でした。
 こんな経験できて、「行ってよかったなあ。」と思いました。

 「ドキドキの瞬間」
  Y.K
 私は植芝先生にどんな風に技をかけられるのかなあとドキドキしていました。
 戸倉さんに3回もチャンスをもらったので、「がんばらなければ!」と思いました。
 そして植芝先生に投げてもらって、背中に羽が生えたように体が軽くなって、うまく受け身がとれた気がしました。
 私は植芝先生に技をかけてもらえて、とてもいい経験になったので、良かったなあと思いました。

 

 

 「宇宙の気と人間の気」
弐段 T.S
 合気道の究極的な境地として「宇宙の気と人間の気の一体化」という開祖の言葉があります。以前よりこの神秘的な言葉の意味合いの理解に苦しんでいました。稽古中にしばしば遠心力・求心力・てこの原理・ベクトルなどの単語が出てきます。宇宙=自然、気=力と言い換えて、物理学、力学を技に応用することと、自分なりに納得していました。これまで技に関する入門書しか手にしていなかったのですが、今回昇段審査を受けるに当たって、合気道に関する書物をいくつか読みました。その中で、二人の科学者の学説が紹介されていました。宇宙科学者の「私たちのからだは、もとをただせば星くずでできている。星が生み出した元素で、私たちのからだはできているのだ。私たちは、きわめて深い意味において星の子なのである」。生物学者の「生物にはすべてそれぞれ進化の過程において、宇宙のさまざまなる周期律の影響をうけてそれと同調するようになったさまざまな生命のリズムが情報として遺伝子の中に記憶づけられており、生物の行動の多くは宇宙的周期律にうながされたその生命リズム情報の発動によるものである」。そこで学生時代に学んだ「生命の起源」を思い出しました。つまり、原始の地球上で雷によって大気中の無機物から有機物が生成され、さらに高分子化合物が合成され生命の元になったという考えです。合気道の本の中で、生命の起源や宇宙理論が述べられているとは、非常に驚かされました。そして、開祖の「宇宙の気と人間の気の一体化」を「宇宙周期律と生物周期律の一体化」に置き換えることによって、ある程度の科学的な裏づけも可能と述べられています。合気道が単に心身を鍛える武道の一つだけでなく、人と人、人と宇宙を和合させ、愛でつつみこむことによって人類平和を導くという壮大な理想をかかげた道である、ということが少しでも理解できました。まだまだわからない事が多いですが,これからも本を読んで,「合気神髄」に近づきたいと思います。


 「審査のことを考えて」
弐段 B.A
 あゆみで初めて投稿させていただきます。最近、岡会党の稽古に顔を出せなかったのですが、火曜日の稽古に参加させていただいくベルチャ・アドリアンです。先日審査を受けさせていただき、誠にありがとうございました。
 私は2007年以前でも少し合気道の経験があったのですが、本当に合気道を始めたのはポペスク・フロリン(冨朗凛)先生がルーマニアに帰国したその時だと言えるでしょう。そして、去年の夏から池田師範に和氣會へ入会させていただき、練習を続けました。
 さて、今年9月に一度弐段審査を受けたのですが、あまりいい姿を見せることができませんでした。三ヶ月が経って、再受験させていただくことになりました。この三ヶ月の間は練習不足で、今回は前より技が繋がらなかった感じがしました。前に先輩方が言って下さったように、また力ばかりでした。
 しかし、審査の際は、普段の稽古の時より、自分の腰の重さや捌きと崩し方の欠点などを意識できるので、受けていい勉強になったと思います。毎週、毎回審査を受けるのは無理ですが、常に毎回審査を受けているつもりで真剣に稽古をすることで、合格と不合格とに関係なく、普段の稽古を審査のイメージで捉えれば、より早く成長できるのではないかと考えております。
今後とも宜しくお願いします。

 「   」
五級 K.C
 審査に出る技と出ない技があいまいになったことはとても後悔しています。
 座り技の二教は出ないのにやってしまい、逆に天地投げは出ないだろうなと思い、復習しなかったことです。
 ですが、良かったと思ったことは四方投げを分からずじまいで終わらさなかったことです。
 しっかり覚えてやれたのはうれしいと思います。
 後は技の復習と前を向くことを大切にしたいと思います。
 子供の部

 「   」
 四級 K.S
 今回の昇級審査は、審査前の練習を、けがや用事などでたくさん休んでしまって、練習があまりできませんでした。なので今回は大人の部にも混じって座技正面打三きょう、四きょうなど指導をしてもらい、しっかり覚えることができたと思います。
 ありがとうございました。
 中学生になっても、稽古を頑張りたいと思います。

 「審査の前」
七級 K.T
 審査を受ける前、すごくきんちょうしました。受ける前、ずっと「出来るかな?」と考えていました。難しそうな技もあったけど、大丈夫だろうと思いました。難しい技もあったが、簡単な技もあった。
 終わってから、自分では多分大丈夫だろうと思いました。

 

  「審査を受けて」
七級 K.T
 審査が始まって自分の名前が呼ばれて、技をしている間とても緊張しました。
 技は転換と呼吸法と一教と二教とかでした。自分の番が終わると拍手をもらったのでうれしかったです。

 「審査を受けて」

七級 K.T
 審査を受ける前、すごくきんちょうしました。審査を受ける直前には出来るのかなと思いました。
 審査でやった事は、前受身、後ろ受身、しっこう、後ろしっこう、二人で体の転換、座り技呼吸法、一教、二教、正面打ち入り身投げでした。前受身と後ろ受身は自分なりに出来たのかなと思いました。でもしっこう、後ろしっこうは出来ていたのか分かりませんでした。体の転換は自分でも出来たと思います。一教、二教、正面打ち入り身投げは出来たのか分かりません。正面打ち入り身投げはおまけの技でした。

 「   」
八級 H.H
 僕は審査を受けて緊張しました。名前を呼ばれたとき、大きな声が出たので良かったと思います。それから緊張は少し無くなりました。でも失敗したと思うので合格できているかわかりませんが、合格していたらうれしいです。そしてもっと上手になるよう、これから稽古をがんばりたいです。

 「   」
八級 M.U
 合気道の審査はとても楽しかったです。皆の前だったのでちょっときんちょうしました。前受け身 後ろ受け身 しっこ 後ろしっこ 正面うち 入り身投げ 正面打ちいっきょう はとてもむつかしかったです。そして審査の時に師範に注意されたところをなおそうと思いました。審査が終わってしまいました。後で聞いたらお母さんが「外から見ていたよ」と言っていたのでびっくりしました。 

 

「初めての審査」
十級 W.Y
 あいさつをして、受け身や技に入っていくにつれ、どんどんきんちょうしていきました。ちょっと失敗したとこもありました。
 合気道に入って一年以上たち、これからも練習に励んで、少しずつでも上達していきたいと思います。

 

 平成25年9月

  「  」
池田 憲夫
 既に、多くの方々に、読まれている本ですが、私は、たまたまある人から以下のようなお言葉を聞きました。柔道も合氣道も通じるところがありますので、転記します。
 「受身」
 柔道の基本は受身 
 受身とはころぶ練習
 まける練習 
 人の前にぶざみに恥をさらす稽古
 受身がみにつけば達人 
 まけることの尊さがわかるから
 そうです、相田みつおさんの言葉です。

 かなり前になりますが、戸倉さんからある一枚の写真を頂戴した。幕末の志士たちが写っている写真でした。これだけの人々が一堂に会して写真を撮るという事が可能であったのか、それぞれの方々のお名前が記されていたので、調べましたが、その時は、半数までで止めました。が、最近また、調べたくなりネットで検索したら、意外なことが解りました。写真の真贋も話題になった写真でした。いわゆる、フルベッキの写真 です。それには、明治天皇が写っていました。さらに、その人が本当に明治天皇かどうかも危ぶまれました。所が、またまた、驚き(私は知らなかっただけですが)でした。明治天皇とか岩倉具視とか伊藤博文とかが、うんぬんとありました。これまた、戯言か真実か、歴史は面白いです。

 

 「   」
弐段 S.L
 ルーマニア人です。2007年の秋にポペスク・フローリン先生の下で合気道を始めました。
 この度、二段審査を受けさせていただきまして、そのきっかけで様々な指摘をいただきました。すぐ直そうと思っても、かなり難しくてこれからの普段の稽古で注意すべきところになりました。必要なときに力を入れて相手とのつながりを保って、必要なときに力を抜いて柔らかく相手を寄せることはなかなかできないことです。審査の時も、二人掛けの自由技など、諸手に掴まれたら力が抜ききれませんでしたので、相手を寄せることができませんでした。それから、四方投げ、三教等の場合、相手の腕の下から入るときに、相手の腕を伸ばしたままにして入るのも、なかなか身についていないことです。そして、一つの技をするとき、一つのチャンスしかないと思って精一杯やればいいと、この審査で実感しました。
 二段審査というのは新しいことが沢山入って、今までやった技に対する視点が変わりました。二人掛け、短刀取り、返し技が今まで少ししかやっていませんでしたが、審査のために初めてどれぐらい身に付いたか確認しなければなりませんでした。普段の練習の大切さを改めて感じました。そして、次のレベルにステップアップするために稽古以外の勉強もやらなければならいと分かりました。
 池田師範、皆さん、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 「一級審査」
一級 H.K
 緊張のせいか、身体が 重く情けない 本当に、申し訳 何も出来なかった前に出る事、動く事 途中 ふらつき 立てなくなり 座り技 でも 前に 出れなかった。基本の動き 身体が 動かない 、考えるから ?もっと 自然に 動くには、稽古しか ないですね。審査の前 今まで 指導して 頂いた 先輩達の 教え、剣の動き 又 円の動き 色々 やってみようと 考え過ぎました、でも稽古に励めるのも 先輩達の指導が、有ったからです。自然に動く為には、稽古に励むしかないのですが、僕なりに 最もっと 考え悩んで 稽古 頑張りたいと思います。

 

 「審査を受ける理由」
二級 N.K
 次の審査を受けるかという話が上がった時、何のために受けるのかと自問しました。黒帯になりたいからか。審査があるからか。その時、「最近、慢心しているのではないか」という考えが頭をよぎりました。後輩ができ、教える立場になったような錯覚に陥ってはいないだろうか。毎日稽古ができるようになったことで、一回一回の稽古の質を落としているではないだろうか。それは、私が合氣道をするにあたって、望まない状態でした。常に学び取る姿勢を持ち、決して手を抜かずに稽古に臨む。それが私の望むありかたです。そして、今回の審査は、そのようなありかたを目指し直すための目標の1つにしようと考え至りました。審査を受けるために稽古をするわけではありません。稽古で培っているものを振り返るきっかけとして、審査を受けて外からも見て頂こうというわけです。十分な実力を持って臨めるとは言えないでしょう。しかし、それでも、少しでも前へ前へ進もうとし続けた上で、審査に臨みたいと思います。

 

 「一年三か月ぶり」
二級 Y.Y
 豊中和氣會に入会して半年が経ち、この度、2級の審査を受けさせていただきました。
 自分は、もともと神戸大学合気道部に所属してまして、池田師範の兄弟子である木村師範のもとで昇級試験を受けていました。3級に昇級したのが約1年半前でしたので、かなりの期間を空けてでの昇級試験であり、また和氣會での初めての昇級試験でもあったので、結構緊張しました。試験後の感想は大きく2つありまして、技の精度が少し疎かになっている のと 後ろ足が伸び切っていない です。前者は、時間内にいろいろな技を出そうとするあまりに次の技に意識がゆきすぎて、その時やっている技が少し雑になってしまった という点です。 後者は、自分が5級の試験を受けた頃から時々言われていたことでして、投げの時に後ろ足が伸びきっていない為に技の見栄えも威力も悪くなる ということです。この点は、試験直前にも指摘されたので、試験の序盤は意識していたのですが、先ほど述べたように、次の技を意識するあまりに中盤以降は全く頭にありませんでした。
これらを踏まえ次の試験では、 一つの技の回数を増やして もう少し技の種類を減らし、頭の中に余裕を持って試験に挑みたいと思います。

 「大人の部と子供の部の違い」
     五級 Y.A
 私は大人の部の審査を初めて受けました。前は、小学生で、技も子供の部より簡単やったのに、何かすごく緊張しました。
 子供の方は、大まかな技をやればいいと思っていたけど、大人の方は一点一点気をつけないといけないという意識ができました。
 中学生になって、合気道に行けない日もあるようになりました。行けない日もあるのだから、その分努力しなければならないと思います。これからは、今までより、もっと頑張っていきたいです。
 審査の時やその練習の時に、組んでくださった方、ありがとうございました。

 「   」
子供の部 九級 H,H
 僕はしんさの時、とてもきんちょうしてどきどきしました。にきょうは多分いつもよりかはできたけど、他に前にできていたのを失敗してくやしかったです。次にしんさを受ける時は失敗しないように、もっと練習してがんばろうと思いました。

 

「   」
一級 N,K
 今回でついに、五回目の審査となりました。これを越えれば、私にとって最後の“進級”審査となります。越えられるのかと不安であり、越えてしまうのかと怖くもあります。しかし、それ以上に早く飛び越えてしまいたいと焦れている自分がいることに、自分自身で驚いています。これは決して、実力的に自信があるからというわけではありません。これまでの審査と同様に、身に相応であるのかという自問が付き纏って離れません。不安はいくらでもあります。どれだけ稽古していても、準備しても、不安が尽きることはないのだろうと最近は思うようになりました。尽きることがないのであれば、不安で不安で仕方がないと頭を抱えるよりは、不安なのは仕方がないからとそこを含めて楽しんだ方が良いでしょう。今回の審査と、これからの稽古に向けて、楽しく楽しく肩の力を抜いてやっていきたいと思います。

「へっぴり腰を直そう」
一級 R.S
 審査や稽古中に何度も注意されて、いまだに直っていない踵(かかと)が浮くことについて、ある合気道関連サイトを見てこれが原因ではないかと思って今回のテーマにしました。サイトの先頭に「武道では腰を浮かさず、腰を落として遣うのが原則である」と書かれています。「腰を落とす?」って日本語の意味が分からなかったため、じっくり内容を読んでみたら、興味深いことを発見しました。
 最初にうなずいたのは「平面的な動きだけで技を掛ける場合は力が出ない」と書いていることについて、もし入り身投げを水平のままで相手を回転させると遠心力で相手の体が自分から離れていくことに違いないでしょう。思わずなるほどと納得しました。筆者の説明により、相手を回転させながら体の垂直上下の動きを加え螺旋的な動きになれば、腕や手を相手とぶつけることなく、体全体の力が使えるので腕だけの力技にならないそうです。体の垂直上下の動き、すなわち腰を落としたり立ち上がることが重要であることをよく分かりました。
 そして「腰を落とす」ようになるためのポイントが2つあります。1つ目は股関節を開くことです。そのため普段から股関節を柔らかくする練習は欠かせません(⇒ 合気体操!)。2つ目は体重が足の上にのり腰が踵の上にのることです。そうすることによって、体の中心(軸)がぶれにくくなるそうです(サイトには、体が2軸、3軸にならないと書かれています)。また、体が1軸にならなければ、腰を引いたへっぴり腰になります。
筆者が提案した「腰を落とす」練習法は、坐技を多くすることと、四股踏みすることです。

 あっ、ここで私の踵が浮いている理由は体重を踵に載せていない、踵と腰をつなげていないからと思い付きました。そうであれば、腰を落とすことができれば、踵が浮くこともへっぴり腰も直すことになりますね? ※今後確かめていきたいと思います。
 当分は苦手である坐技をするとき、股関節の鍛錬とへっぴり腰を直すためと体に言い聞かせて頑張ります。
 ご指導頂きますよう宜しくお願い致します。

 

 「   」
五級 A,A
 来たる五級昇級審査に向け、日々懸命に稽古に励んでいます。今回の審査は私にとって生まれて初めて受ける武道の審査ということもあり、非常に緊張しておりますが、以下の心意気の下、審査に臨みたいと思います。まず、今まで師範やOBの方々、先輩等からご指導いただいたことをしっかり思い出しつつ、丁寧かつ大きく技を決めていきたいと思います。私は緊張すると頭が真っ白になり、技も小さくなりがちなので、合宿等で培った精神力をしっかり発揮し、冷静な気持ちで臨みたいと思います。また、何よりも欠かせないこととして、大きな声を出し、元気よく演武したいと思います。技のきれいさはもちろん重要ですが、そればかりに気を取られていると全体的な印象が悪くなってしまうと思うので、技以外の面もしっかり重視したいと思います。審査当日は、やはり緊張して動きがぎこちなくなってしまうかもしれませんが、緊張に負けず、精一杯頑張りますので、よろしくお願い致します。
 

「審査へ向けての決意表明」
 五級 N.S
 私はこの半年部活動を通じて合氣道の奥の深さに驚かされた。力で相手をねじ伏せるのではなく、気を使って相手を倒す方法は効率もよく、また相手をむやみに傷つけない素晴らしい方法だと思った。私は空手をやっていたが空手とは基本の動きから全く異なっていて、新鮮な気持ちで一から武道を学べることが非常に嬉しかった。そうはいっても、今の私はその動きが理解できていない。まだまだ力で相手を倒そうとしてしまうし、基本も十分には習得できていない。夏休みは練習量が増えたとはいえ、練習は基本的に週一度であり、練習量が不足していることは自分がよく分かっている。しかし、私はその短い期間の中で自分なりの努力を続けてきた。この昇給審査は自分のこの半年の努力全てが反映される大変重要な場であり、また自分が合氣道についてどの程度まで理解できているかを見てもらえる貴重な場でもある。もちろん昇給することも大切だが、私はこの昇給審査を通して、今の自分をもう一度見つめなおしたいと思う。

 

「二回目の審査」
子供の部 八級 O.S
 ぼくは、三回目のしんさのとき、ぼくは、きんちょうしながら、しんさをしました。
 まさかおまけのいりみなげと、こうほういりみなげが、でるとは思いませんでした。
 二回目のしんさのときは、おまけが一つでその一つは、いりみなげでした。
 でも今回はおまけが、二つもあってうれしかったです。

 
 

 平成25年4月

「佐々木将人師範を偲んで」
池田 憲夫
 私は、一時期、須浪人をしていました。外大の合氣道部で、週二回、旧大阪女子大学合氣道部で週二回、それ以外に、大阪武育会の道場で週四回ほど稽古をさせて頂きました。現和歌山大学合氣道部師範で、日高道場師範の熊谷研二師範や、故中里有宏さんに、それはそれは可愛がって頂きました。記憶が定かではないですが、熊谷さんに連れられて、あこがれの(当時は)和歌山大学合氣道部の合宿に行きました。それが、佐々木師範に初めてお会いした時です。それ以前から、指導する先生には、必ず投げて頂くことを主義にしていましたので、何度となく投げて頂きました。茨城岩間の斉藤先生、小林師範にも投げて頂いていましたが、また、別の印象を受けました。当時佐々木師範は、五段でした。もう、三十うん年前の事です。技の事はやはり斉藤先生や小林師範の方が上と感じましたが、人となりに惹かれました。和歌山大学の学生や卒業生を差し置いて、何度も何度も投げて下さいました。最後には、「池田君、君だけだね、僕に投げられに来るのは。」と仰って下さいました。後日、ある時には、「君なら、(植芝盛平)翁先生の受けが取れるよ。」と有頂天になる、ある意味、褒め殺しの言葉を頂戴しました。須浪人でしたので、女子大の(佐々木師範は、女子大の師範もされていました)合宿後、阿倍野までお見送りに同行した時に、懐の寂しい私を見かねてて、ご自身が女子大生に頂いた謝礼の一部を私に下さいました。私が結婚し子供が少し大きくなった頃に、女子大での佐々木師範の御指導の際にもお邪魔しました。これは、以前書きましたが、「池田君、子供の前で、投げられるな、取りだけをしなさい。男親はそうあるべきだ。」と示して下さいました。が、生来へそ曲がりな私は、「いや、大丈夫です、投げられる姿も子供に見せます。」と、生意気にも応えてしまいました。
 その後は、いろいろな事情があり、投げて頂く機会がなくなりましたが、現道主 植芝守央先生の継承記念式典でお目に掛かり、師範が普段も持ち歩いている白扇に、墨痕鮮やかに、「笑へ」だったと記憶しているのですが、揮毫下さり、私の甘えに、ためらうことなく、下さいました。それは、今は外大合氣道部卒業生のある人のご自宅にあります。
 私が、六段位に昇段する鏡開き式では、「君は、今頃六段かい。遅すぎる 。」とまたまた褒め殺しのお言葉。人を絶対に貶さない、悪口を言わない師範でした。
 ご冥福をお祈り申し上げます。
 いろいろと本が出版されています。是非とも、御一読下さい。

 「   」
六段 ポペスク フローリン
  ルーマニア・ブカレストでは冬が戻った様で雪が降り積もっていますが、和氣會の皆様におかれましては、ますますのご清栄のこととお慶び申し上げます。
 一九九二年十月に初めて日本に留学した際、旧大阪外国語大学の体育会合気道部に入部したことによって和氣會にかかわるようになったフロリン・ポペスク(漢字名が冨朗凛)です。いったん帰国して、一九九六年四月から再び日本に留学すると、早速和氣會に入って、二00七年四月一身上の都合によって帰国するまで池田憲夫師範のご指導の下で合気道を続けました。一九九六年の入部以来、上達はともかく、日本では非常に速いペースで昇段し、今年の一月の鏡開き式において、池田師範のご推薦により六段昇段を允可されることになりました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。
 二00七年に帰国してから、ブカレストで合気道の稽古を続けてきました。二00九年ごろに実験的に「まなぶ道場」という道場名をつけていますが、実質は和氣會のブカレスト支部というべき団体になっています。通算入部者百名、現在入部者十八名で、ルーマニアの他の合気道教室と比べても小さい団体です。毎週四回、本来は徒手稽古だけでしたが、最近では毎週火曜日の夜に杖の稽古をしています。
 最近、ルーマニア人のグループを日本へ案内する仕事ができて、今年も四月に二週間ほど行きます。少し時間が空いたら、和氣會の稽古に参加したいと思います。そのとき、ご指導のほどよろしくお願いします。

 「反省文」
四段 安藤 信雄
ハ 多人数掛けではみっともない所をお見せしました。体力をつければ何とかなると、準備をしてきましたが、改めて、動きの質が重要であると再認識いたしました。これからは、手刀、体捌き、呼吸力という基本に再度立ち戻り
動きの質の洗練に励みたいと思います。
 さて、最近考えている事ですが、全ての技を、こちらが短刀を持って行ったらどうなるかという事です。
 最も古い古武術に属する竹内流では、「腰之廻」という小刀で武器を持った相手を制する術が基本になっていると聞きます。
 そこで、合氣道の技を同様に取りが短刀、受けが武器を持ったと仮定して動いてみると、いくつかの発見がありました。
  まず第一に、ほぼ、徒手と同様の動きで使える事。次に、梅の突き、手刀捌き、体捌きには、十分に氣を入れないといけない事。最後に、合氣道は武術として非常に優れた動きだという事。やや本質から離れた見方かもしれませんが、手刀は剣、突きは槍、と心して稽古するのも、稽古の真剣さを取り戻す方便であると思いました。
 剣道の達人が、剣先から火炎が出るまで稽古するように、手刀から火炎が出るまで頑張りたいと思います。

 
 「初段への挑戦」
初段 S.Y
この度、思いもよらず初段への挑戦の機会を戴きました。当初は名称の雰囲気から健康管理に最適かと思い池田師範のご自宅へご連絡致しました。年齢を申し上げ入会の意向をお伝えしますと、二つ返事を戴き緊張が解けましたことを覚えております。その後、通う度になにか、感じることとなります。優しいお顔はいつものニコニコご指導、、、。が近頃体力の消耗が、投げが、関節が、受け身が、技が、すべてが変わってしまいました。
 入会後六ヶ月も経ったころでしょう、周りの方々、又、自らをも納得できる退会理由を模索しながらの稽古が読いておりました。さらに、六ヶ月、疲労感の中にも何か充実したものを感じるように成り、通う足取りも少々楽になった様に思えました。数年経ちました近頃、「腰を右に切る」とおっしゃれば左に切り「左にめぐる」とご指導戴けば右にめぐる。自らの手、足、腰、との格闘は読いております。しかし、ここで得るものは非常に偉大であると確信しました。池田師範、阪大外国語学部合気道部の皆さん、和氣会の皆さん、今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 「二年間のまとめ」
初段 U.K
 合気道を始めてもうすぐ三年目になります。振り返ればこの二年間はあっという間だったように感じます。受け身もままならない状態で新歓合宿に連れて行かれ、夏合宿ではぼろぼろになっていた一回生のころがまだ記憶に新しいです。そんな私がこの度初段審査を受けるのです。ネガティブ発言はネガティブ思考の源なので審査前でも極力不安な様子は見せないようにしていますが、当然内面は不安しかないです。今回は技の説明や筆記試験も加わり初めてのこともあるので特にそうです。不安の原因を考えてみたところ、それはこの一年間にあると思いました。二回生になって稽古に毎日参加できるようになり、週数回だった一回生のときと比べて格段に稽古量が増えました。おそらくそれに甘んじてしまったのだと思います。稽古量が二倍、三倍と増えれば上達もそれに比例すると思ってしまったのです。しかしこの一年を振り返るとそうではないです。思うようにいかず、合気道が嫌だった時期もありました。稽古に集中できず終わる時間ばかり気にし、なぜ朝早くに起きて毎日稽古しているのか、突然意味がわからなくなりました。しばらくの間合気道から離れてよく考えようかとも思いました。そんな態度で臨んでも上手くなるはずがなかったのです。量を気にするあまり質を損なってしまったと気付きました。一回生のときは日数は少ないながらも稽古に行く度に新しい発見があり、それがとてもおもしろかったです。これは秋ごろから和氣會の稽古にも参加するようになった理由の一つでもあります。この一年間の自分に欠けていたのは、一回の稽古でできるだけ多くのことを吸収してやる!という姿勢でした。それに気づいてから今日まで、一回生のときのように楽しく稽古することができています。この一年間はスランプでしたが初心に戻ることで切り抜けることができたと思います。
 技の面ではこれまで通り、攻める合気道をしたいです。自分からぐいぐい前に出ていきながらも、崩すところは崩す、きめるところはきめる、と動きにメリハリをつけるようにしたいです。多少力任せになってしまうところはありますが、肩の力を抜きつつ、若さ特有のスピード感も出せたらと思います。
 不安定ながらもここまで続けることができたのは親切に指導してくださる方々、共に稽古する仲間のおかげです。私の中では今回の審査が一つの区切りになっています。これまでのように級ではなく段になるという意味でもそうですし、帯の色が変わるという意味でもそうです。段を取るならばそれなりの自覚を持たなくてはならないと思っています。これからは技を教える機会も増えてきます。先輩方のように立派な初段になれるようこれからも稽古に励みたいです。審査までの時間はわずかですがこの二年間で得たものすべてを出し切れるようにしたいです。

 「   」
初段 N.Y
 合気道部に入って約2年が経とういうこの時期、ついに初段審査を受けさせて頂くことになりました。自分の帯の色が白から黒になり、袴をはいている姿は正直なところ想像するのが難しいですが、初段審査を受けることを許可して頂いたからには、周りの方々に恥じない審査にしたいと思います。
 初段審査には初めて技の説明が加わります。合気道部に入って初めて技の説明をしたのは、1回生の夏合宿の時だと記憶しています。その時は1回生の段階で自分がどれくらい技を理解しているかを示すのが目的でした。今回は、当然ながら1回生の時と同じ説明をするのではなく、この2年間自分が言われてきたことや見て学んできたことを踏まえて、見ている人に技をする上での要点を伝えられるように説明しなくてはなりません。そのためには、内容もさることながら声の大きさや話す速さ、タイミングなどにも留意しようと思います。また、説明だけでなく実際にできるように、話と技の両方に気を配ります。

 「   」
初段 Z.M
 今回初段を受審させて頂くにあたり、気をつけるのは腰と足をよく動かすことです。動きが小さいとよくご指摘頂くので自分の中心に意識を集中させつつ足を大きく動かすことで特に小手返しや肩取り二教などで上手く相手を崩していきたいと考えています。足を動かすことに集中すると上半身の姿勢もおろそかになりがちなので、その点にも気をつけていきます。また、初段審査からは技の説明も審査項目に入ってきます。一番大切なのは堂々とはっきりと説明することだと思います。合氣道を始めて2年しか経っておらず、不明な点、苦手な点はまだまだあります。しかし、今自分ができること、自分の身の丈にあったことを後輩たちが理解しやすいよう丁寧に堂々と説明できる幹部になることを見据えて取り組んでいます。私はあまり体力がないのが目下の課題ですが、なるべくスタミナと集中が切れないよう技の構成を考えて頑張りたいと思います。

 「昇級審査」
一級 K.N
 合宿中やその前後はずっと合氣道漬けのようなものでした。
その中で折に触れ考えていたことがあります。「私は何故ここにいるのか」
何故この部活を選んだのか、何か理由があったはずなのに忘れている、それを思い出そうとしていました。結論から言いますと、理由はありました。自分の身くらいは自分で守る。それだけの理由でここを選びました。
今誰かに「それが出来るのか」と問われたら、答えは否です。それだけの体力も気迫もない、と。何故無いのかと言われましたら答えは自明です。
稽古が足りてない、体力も足りていない、と。
稽古に行けばいい、と数多の人に何度も言われました。何故行かなかったか。信じてなかったからです。そう言われても全く信じていませんでした。
自分が行っても出来ることなどない。そう思い込んでいる時には人の言葉は届きません。それに気づいたのは、合氣道とは全く関係ないところでとある人に言われたからでした。「もっと素直になって人の言うことを聞けばいい」その言葉を考えている内に、今まで道場で言われたことが腑に落ちました。納得はしても、実践は難しいものです。体力をつけるより、技の仕組みを理解し知識をつけるより、まず私がすべきことは、人に素直になるべきことだ、と二年目の終わりにして悟りました。1年しか残っていませんが、どれだけ人に対して素直になれるか。忘れっぽい私ですが、それだけは忘れずにいたいものです。

 「   」
二級 R.S
 審査の動画を見て、子供部をはじめ最後安藤さんの昇段審査まで大変勉強になります。また、他の方と見比べて自分の技の未熟さがよく分かります。
特に技を決めたあとの自分の動きがおかしいと思いました。過去の審査結果に指摘された「残心」のことではないかと思ってインターネットで検索してみました。当分の間は、自分の課題として「残心」をきちんと理解し実践することにしたいと思います。
 どうかご指導の程よろしくお願い致します。

Wikipediaより「残心」:
 残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。
武道における残心とは、技を決めた後も心身ともに油断をしないことである。たとえ相手が完全に戦闘力を失ったかのように見えてもそれは擬態である可能性もあり、油断した隙を突いて反撃が来ることが有り得る。それを防ぎ、完全なる勝利へと導くのが残心である。

 「   」
三級 N.K
 先日の明徳義塾高校で行われた春合宿において、私は数々の点で自分に物足りなさを感じました。技の習得度は言うまでもなく、稽古中・稽古前後の立ち振る舞いや技を行う上での心の持ち様など、感じた物足りなさを上げればキリがありません。そして、その春合宿で感じたものを合氣道二年目となるこれからの一年間に生かしていきたいと思っています。同時に、その一年は先輩として次に入ってくる後輩に学ぶ者としての姿勢を示す一年であるとも考えています。ひたすら前で指導して下さる方々の物真似をしていただけ稽古から、自分を知って能動的に真似たものを学ぶ稽古へ変えていく契機として、次の一年に向けて今回の三級昇級審査に臨ませて頂きたいと思います。

 「四級審査を終えて 「現実逃避」」
四級 S,K
 最近良く過去を振り返ります。特に、学生時代所属していた洋弓部での思い出、華やかな毎日のことです。多分、良い思い出ばかりなので思い起こすのでしょう。
 その良き思い出と一日の大半を会社で過ごし、日々を積み重ねる現在とを比較し、「現実逃避」するのです。
また、空いた時間・深夜寝る時間も惜しんで何かをして、現実逃避している事もあります。(無駄使いをして妻に迷惑をかけることもあります。)
 現実逃避とは思いませんが、合気道を始めた事は、新たな良い思い出を作る事を求め、また理想の合気道家になることを夢見ているのです。
 今回二回目の審査を終え正直反省ばかりです。現実逃避どころか、現実を思い知らされた感じです。とは言え、今後昇段を目指すにあたり課題も出来ました。杖、木剣術の会得すること。
  仕事も業務内容が変わり、帰宅時間も早くなりそうですので、杖の稽古もしたいと思います。
  そう、第2の人生が始まった時に「現実逃避」が出来るよう、良き思い出を作るためにも。

 「   」
子供の部 五級 K.S
 今回の合気道の審査は、体調を悪くしていたのでちゃんとできるか心配していましたが三教や片手取り四方投げなどの難しい技もちゃんとできたと思います。審査で級が上がるとどんどん技が難しくなると実感しました。
 また帯の色がかわれるように頑張ります。

 

 「小学生で最後の審査」
子供の部 七級 K.C 
 私は小学生で受ける審査はこれで最後だなと思いました。何回も審査を受けているのですが、少しきんちょうしました。基本の技は自分で注意しながら出来ました。最後に正面打ち三教は、私の苦手な技ですが、うまくいったのかなと思いました。
 自分なりにうまく出来たので良かったです。
 
 
 「  」
子供の部 七級 K.M
 今回の審査では、いつもやらなかった三教が追加され、うまくできるか心配でした。ですが、自分が思っていたのよりはうまくできたと思います。あと、前方受け身は足がなるべく回らないように注意しましたが、少し回ってしまいました。
 全体的には、自分が思っていたのよりすこしはうまくできたと思います。

 「三回目のしんさ」
子供の部 八級 K.TK
 しんさをやっている時、きんちょうしました。かんたんなところとむずかしいところもありました。むずかしかったのは正面うち二きょうでした。正面うち二きょうのウラがむずかしかったです。
 しんさが終わると「やっと終わった」と思いました。

 「三回目のしんさ」
子供の部 八級 K.TG 
 しんさをやる前とやっている時はきんちょうしました。むずかしいところもありました。正面うち二きょうのウラはむずかしかったです。

 
 「三回目のしんさ」
子供の部 八級 K.Y
 しんさをやっている時、すごくきんちょうしました。かんたんなところとむずかしいところがありました。むずかしかったところは正面うち二きょうのウラでした。
 しんさはがんばりました。

 
 後記 岡会堂の管理をして下さっている、滝口先生(滝口接骨院)のお義父上が、竹内流を継承されていたらしく、古文書もかなりあったらしいが、亡くなられた時に、全て処分されたそうで、もう少し早くお近づきになっていたらと、悔やまれます。
 外国語学部合氣道部の学生にも言いましたが、大井みつる著の中村天風先生の略歴を書いた本も面白いですね。こころのもちようが、、、。中村天風先生は、佐々木師範の師匠でもあります。
 残心は、確かにそうですが、囚われないこころ、もあります。「融通無碍」は、どうでしょうか。全身全霊は?

 平成25年 1月

 「   」
池田 憲夫
 十一月二十四日(土)には、第一回大阪府少年少女合氣道錬成大会と演武会が、万博公園内にある吹田市立武道館「洗心館」にて、午後一時から四時まで開催されました。錬成大会は、本部道場長代行植芝充央先生を東京よりお越し願って御指導を賜りました。また、演武会では、各団体がそれぞれ思い思いの技を披露しました。参加者は、おおよそ百三十名でした。大人の人も多くの人が手伝って下さいました。普段は、出来ないほかの道場の人との稽古はどうでしたか。演武はどう感じましたか。たかが一分半でしたが、注目されながらの演武は、楽しかったですか。緊張しましたか。団体道場毎に同じ技を行いながらも少しずつ違っていることに気づきましたか。若先生は、かっこよかったですか。教えてもらったことをちゃんと覚えていてまた和氣會の稽古でも活かしてもらえたら嬉しいです。
 先月の和氣會連絡でお願いした、稽古前の道場のお掃除ですが、早速実践していただきありがとうございます。お陰様で、皆さん気持ちよく稽古に励むことが出来ます。
 私は、今までは、自称「受けの池田」と自負していましたが、この数年その本領が発揮できずにおりまして、申し訳ございません。とは言っては何ですが、正月からは、受けをせずに取りに専念したく思います。全ての技で全ての人に必ず受けを取ってもらうようにしようと思います。ご理解、ご協力をお願いします。
 さて、今回は、特別寄稿がありました。
 一、風汰君の妹の美波ちゃんが、お父さん、お母さん、風汰兄ちゃんの稽古を観ていて、絵を描いてくれました。それを、載せました。絵心が全然私はありませんが、千手観音のごときは、肩を回す運動です。発想に驚いています。また、同じような絵は、腰の部分を折れ線で見ると、感じが変わってきます。
 二、潮ちゃんが、中学校の作文の時間に書いた文章です。合氣道について書いています。このように感じてもらえることは、嬉しいことです。ありがたいことです。文章には、お父さんの技の実験台とされているとありますが、私の情報では、お父さんの技の一番厳しい評論家は潮ちゃんと事です。ただ、一つ、「三歳から七十歳近くの人」とありますが、七十歳近くの人は誰かなと悩んでいます。同じように感じている人がいます。戴いた原稿は、手書きでしたが、コピーすると不鮮明になる恐れがあるので、申し訳ないですが、パソコンで打ち直しました。ご了承下さい。

 

  「合氣道」
一年五組 Y.S

 合氣道って知っていますか。
 柔道に似ていて自分の体を守るためにあります。私は、小一くらいからやっています。
 つかれるけれどもとてもおもしろく一度はまるとやめられなくなります。
 また、いい友達にめぐり会え、笑顔のたえない稽古が続きます。
 そんな道場の話はさておき、合氣道をしていてつらかったことを話します。
 それは一緒にやっていた父に技をかけられたり技を磨く実験をされたりしてきたことです。今父は休んでいるのでやられることはないのですが、、、、 かけられた時の思い出すととりはだがたちます。
 今私の通っている和氣会には三才ぐらいから七十後半までの幅広い年台(ママ)が来ていてみんなで楽しくやっています。
 私にとって合氣道とは戦うためにあるのではなくて自分の体を守るためということにつけくわえて練習の時の相手とは心と心で会話をかわしていくものだと思います。
 そんな合氣道をもっと上手になり、好きになれるようがんばりたいです。
 私が合氣道を本当に好きになったのは小三ぐらいからです。それまでは趣味なんてなくていいや、別にそれで困ることないしさと思っていました。
しかし小三ぐらいになると熱中できるものをさがしたいと思い始めるようになりました。それでなにか習い事に熱中しようと考えて、私にあっていて楽しい習い事といったら、合氣道だとひらめき熱中し始め今にいたっています。それから私は変わったような気がします。なににでも熱中できるようになったんです。今でもいろいろなことに熱中しています。こんな私ですがこれからもよろしくお願いします。

 

 

 「昇級審査への意気込み」
一級 Z.M
 合氣道を始めて一年半が過ぎ、今回一級審査を受けさせて頂くことになりました。技の流れを覚えることで精一杯だった去年と比べ、今年は「なぜこうするのか」「どう崩すのか」などと、それぞれの動きの意味を考えることを心掛け、もし下の人に指導をするならばどう表現すればよいかも念頭に置いて考えるようにしてきました。上段者の方々と稽古をするたびに自分の直すべきところと実力不足を感じ、その悔しさと「こんな動きがしたい」という憧れが稽古への原動力になることが多かったように思います。この度の審査では、二級審査の際にご指摘頂いた後ろ足を曲げないようにすること、そして片手取回転投げ、片手取小手返し、両手取天地投げの技の精度をもう少し上げていくことに注意しておこなっていきたいと思います。また、最近もっと思い切り投げるようよくご指摘頂くので、受けをとってくれる方への感謝も忘れず精一杯投げていこうと思います。どうぞ宜しくお願い致します。

 「姿勢」
一級(特進です) S.Y
 未だに姿勢を正すことが出来ない、如何してなのでしょうか。
 姿勢が悪いのはどうして。
 何時も姿勢のよい回りの方々を拝見する度に{よし}と背筋に気持ちを込めてみますが、ものの数分で貧相なおおよそ戦っている状況とは、、。
 直そう、正そう、との意識は常にあるのですが。
 原因は、身ではなく心にあるのではと思い悩んでいます。
 日々のご指導を身のみで覚えようとしている、もっともっと心から取込む姿勢が足りない、そうすればあの立派な姿勢が得られるのでしょうか。

 

 「一級に向けて」
一級 U.K
 前回の審査から2ヶ月ほどになります。2級を受けたときは時間に制限があり、自分から前に出ること、後ろに引くことなく受けを攻め続けることを念頭において審査に臨みました。その点についてはうまくできたと感じています。しかし、時間を意識してしまうあまり技が雑になったり、崩すところが崩せてなかったりと、新たな課題が生まれました。特に二つ目の方が深刻なものです。合気道の技でなぜそれで崩せるのか、理屈の上では可能であってもそれを実現できるのかという疑問をこの2年間感じながら稽古していました。上の人の受けをすると崩れることはわかるのに今まで自分では出来ないまま放置してきたような気がします。いつか初段を受けるのなら、しっかりと相手に効く技をできるようにしなくてはならないと思います。今まであやふやにしていたことがだんだんと大きな壁になってきました。このように課題ばかり山積みになるようでは一級もまだ早いようにも感じています。しかし、出来るようになってから受ける、ではいつまでたっても受けられないと聞きました。今は一級に見合う実力がなくても、審査を受け、一級としての自覚を持ち、足りないものを補えばいいということなのだろうか、と私は解釈しました。高校生のとき先生に、理想を上回る結果は出せない、だから目標はずっと高く持ちなさい、と言われたことがあります。これは勉強に限らずいろいろなことに、もちろん合気道にも当てはまると思います。今回の審査はいろいろ模索しながら臨むことになるかと思いますが、残された時間を最大限有効に使って審査をむかえたいと思います。

 「一級審査に向けて」
一級 N.Y
 私が毎回審査の講評で指摘されてきたのは、攻めの姿勢の欠如です。それは気持ちからくるものであり、それができないのは私の気持ちがまだ固め切れていないせいだろうと思います。相手を攻めるということはどういうことなのか、どういう思いで技をすべきなのか考えつつ、審査では自分ができる一番いい形で技を行いたいと思います。
 今回は座技正面打ち一教から四教の短縮形を45秒、全体は4分ということなので、立ち技は大体3分くらいと見積もっています。その3分間の中で重点を押さえて技を行えるように意識したいと思います。速さを意識しすぎると技がおざなりになってしまうし、逆に丁寧にしようとしすぎると技全体がのろのろとしてきれがなくなってしまいます。ですので、要点を押さえて緩急のある技ができるのが理想です。2級の審査の時よりそれができるのが目標です。そのためにも一つ一つの技についてより理解を深めたいと思います。

 「   」
二級 K.N
 審査日程を聞いた後に、いつものように、審査でする技を確認していた時、ふと先輩に言われました。「短縮形もあるから」何ですかそれは。そう思った後に同期がそれをしているのを見て、茫然自失になりました。速いです。いつもしている座り技の一〜四教を速くすればいい、だけですが。私は技を速くするの「も」、苦手なのです。速くしようとすればするほど、手は滑る、技は決まらない、焦るだけ、と悪循環に陥りました。既に二級を持っている同期や先輩方に訊けば皆様返事は一つ「回数勝負」。普通の人より鈍い私に回数勝負というのは、酷に響きました。それでも機会を見つけては組んで貰うようにしましたが、今ひとつ、どころか二つ三つというところで、この文章を書いています。
 審査まで一週間を切った時点で何を言っているのか、そもそも稽古に行かなかったのだから自業自得としか自分でも思えません。ただ、今まで諦めが良い生き方しかしていなかったので、人生で一回くらいは悪あがきしてみようと思って、どこまで通じるかは判りませんが、実行中です。

 「二級審査終えて」
二級 H.K
 久し振りの岡町道場 畳の堅さと子供達の成長の早さに感心しました。僕の方は、後悔 情けない 指導して頂いた事 出来たのか?今までの審査と違い無我夢中で、記憶がありません?覚えている事は、最後の方で掛けようとした技が、違う技になり同じ技の繰り返しになった事と体力の無いことです。
 稽古後 戸倉さんに声をかけて頂いたのですが、返事が出来ずにすいませんでした。指導して頂いた事できたのか?分からず 返事できませんでした審査の前に、失敗しても間違えても頑張ろう!前を向いて少しずつでも先に進みます。池田師範 戸倉さん 諸先輩方 学生さん ありがとうございました。体力が無い分 気合いと根性で 頑張ります。

 「意気込み」
四級 N.K
 今回の審査では、流れを大切にして技を行います。一つ一つの技を淀みなく行い、技と技の間が自然に繋がることを意識したいと考えております。その為に、受けの方との適切な距離や位置関係を図ります。特に五級の審査で御指摘を頂いた、立技片手取四方投の一歩目と二歩目の出し具合に注意します。また、立技肩取二教と立技横面打四方投で行う当て身がきちんと決まらないことが多いので、そこを出来る限り改善して臨みたいと思います。前回の審査時よりも確実に進歩していると思って頂けるような審査内容を目指していきますので、どうぞよろしくお願い致します。

 「昇級審査」
 五級 S.K
 合気道をはじめて1年がたちました。私は家族で週1回稽古に行くのが楽しみで大好きです。40代健康体力維持のためと家族で汗を流し楽しむために始めた合気道、昇級審査の事は考えたことがありませんでした。
 しかし、前回9月末の昇級審査に主人と息子が挑み見事合格したのを見て私も挑戦してみようと決心しました。
 昇級審査が終わったあと主人が賞状額縁を3つ買って帰ってきました。のんきな私と正反対でとても気が早いです。
 これからも家族で楽しくそれぞれ目標をもち稽古に励んでいきたいと思います。

 「試験」
 子供の部 準七級 K.C
 今回は準七級になるために受けました。私は、試験を受けた回数はけっこうありますが、今回はそんなに緊張しませんでした。 基本的なものは、自分では上手くいったのかなと思います。おまけの技は、解らなかったけど途中で思い出せたので良かったです。
 ちゃんと終わったので良かったです。

「審査を終えて」
子供の部 準七級 K.M
 今回の審査は、できたかな?と思うものと、失敗してしまったかな?と思うものがありました。でも、失敗してしまったかな?と思ったものの方が少なかったので、それはよかったな?と思っています。審査を受けていくにつれて、どんどん技が難しくなっていくので、すごく緊張してしまって、ぎこちない感じの技になってしまいましたが、頑張れたと思います。

「小学生最後の審査」
子供の部 八級 Y,K
 今回の審査を受けるかどうか迷ったけど、「小学生の間に受けられる回数があんまりないし、やってみようかなあ。」と思って参加しました。
「小学生最後の審査になるんだなあ。」と思ったら、よけいにきんちょうしました。
 審査の中でとてもくやしかったのは、2きょうの表技ができなかったことです。でも、後ろ受け身は手をついてやれたので良かったです。しっこうは後ろが残っていたかもしれないけど、元気よく できたと思いました。
 たぶん、今の自分の力を発揮できたと思います。次からは中学生になるので、レベルがとても上がるから、しばらく審査を受けられないと思いますが、次に審査を受ける時もがんばりたいです。
 
 
 「頑張った審査」
子供の部 九級 T.S
 ぼくは、三回目の審査を受けました。
 始めに前受け身、それから後ろ受け身をしました。次に膝行をしました。なかでも、後ろ受け身が難しかったです。次の技は、座技正面打一教と、座技両手取呼吸法をしました。技は練習の時よりうまく出来たと思います。審査は少し緊張したけど、がんばりました。これからも練習して、うまくなりたいです。

 「2どめのしんさ」
子供の部 九級(特進です) O.S
 おとうさんがまえよりうまなったでといってくれました。めっちゃきんちょうしました。
 とくしんできてうれしかったです。うしろうけみがじぶんではできていないようにおもいました。
 正めんわざ一きょうはできてよかったです。

 「合気道の審査をして楽しかったです」
子供の部 九級(特進です) M.U
 二回目の審査だったのでやり方は分かっていたけど緊張してちゃんとできなかったです。
でも、またやりたいです。
ありがとうございました。

 

 「二回目のしんさ」
子供の部 準九級 H.H
 ぼくは二回目のしんさをしました。一回目よりはきんちょうしなかったけど、わざに入ったときにはちょっときんちょうしました。
 ちゃんとできたかわからないけど、大きな声を出すことを気をつけました。
 これからもがんばります。

 

 「   」
子供の部 準九級 S.R
 合気道のテスト、すごくきんちょうしました。けど、さいしょの時にやる気が出てきて、『がんばれる』と思いました。前うけみ、後ろうけみ、しっこう、たいのてんかんが上手にできたから、『ごうかくする!』 と思ったけど、おまけでわすれそうになったので、こわかったです。でも、やってみると、思ったよりよかったと思ったので、『あんずるよりうむがやすし』と思いました。ごうかくして、うれしいです。

 

 「   」
子供の部 十級 S.N
 しんさのときは、きんちょうしさたけど、がんばれるとおもった!でも、たいのてんかんは、がんばれなかった。つぎは、がんばろうとおもっています。ごうかくして、うれしかったです。れんたろうを、ぬかしてみたいなと、おもいました。

十月二十日に開催された、大阪外国語大学合氣道部創部50周年記念式典の模様を、太田さんが、「合氣道新聞」に投稿され、掲載されました。

*S.Mちゃん画伯の絵です。
 *
 お母さんが合氣体操で肩を回している様子と首の運動の様子です。
**
 点線で折ると下の絵になります。

F画伯


 
 

 平成24年11月

  「古事記」
池田 憲夫
 最近は、私は、古事記にはまっています。ただ、なかなか頭に入らず、困ったものです。
 「古事記」は、ずっと「古事記」とばかり思っていました。ところが、古事記が編纂されてから、時代時代に応じて、変遷していました。当時の政治や所謂識者によって当然自分の都合の良いように解釈されてきました。戦前もそうでした。それが、大本教事件にまで、繋がるとは、最近知りました。記紀と言われるように、「古事記」と「日本書記」が比較され、一致するところ、しないところ、一方には記載されてるが片方には、記載されていなし。記載の表示方法が異なる。私は、「古事記」が主で、日本書紀は、サブとばかり思いっていましたが、どうも、「古事記」が、サブテキストという存在と知り、驚いています。「古事記」が、表意文字で、「日本書紀」が、表音文字と言うことで、これも私は、逆に感じていました。
 現存する最古の「古事記」の写本が、名古屋の大須観音(真福寺)のものと知り、偶々、過日の懇親会の席上で、春日井市の滝本先生とそのお話となりました。もう少しゆっくりお話を伺いたかったですね。
 また、植芝盛平翁先生は、「合氣道を稽古する人は、古事記を読め。」と言うような意味の事を仰ったそうです。
 最近読んで面白かった本です。
 知れば知るほど面白い古事記
 古事記は日本を強くする
 私は、殆ど関係ないですが、これから海外に行き活躍したい人は、「古事記」を熟読して、日本人としてのアイデンティティももってもらいたいと思います。

 「   」 
弐段 保井 恒夫
 今般、池田師範はじめ、先輩の皆様に思い切り背中を押していただき、厚かましくも、弐段を受けさせていただくことになった。
50歳を過ぎて和氣会に入会、現在 早、65歳。月2?3回と少なすぎる稽古量加齢による物覚え、動きの悪さ、又2年前の病気による一年間のブランクもあり、技の習得も遅々として進まない。審査の結果はひどいものになると思うが、「合氣道は年を取っても続けられる」という言葉を信じて、気力、体力の続く限り、細く長く稽古を続けていきたいと思っている。
 今後とも皆様のご指導を宜しくお願いいたします。

 「ありがとうございます」
弐段 永井 哲
 今回、弐段審査を受けさせていただいて、自分にできていない事や自分の心の弱さを強く認識することができました。審査自体も、私にとってはとてもキツイものでしたが、フラフラになりながらも多くの方の本当の意味での思いやりや愛情を感じる事ができ、実に爽快な体験となりました。池田師範を始め、ご指導、ご助力をいただいた皆様、本当にありがとうございます。
 若い頃は分かりませんでしたが、合気道は「優しさと強さを兼ね備えた人」を育てるために本当に良くできた稽古システムであると思います。今回の審査を受けた事で、その思いが更に強くなりました。
 まだまだ未熟ですが、合気道を通じて、多くの人のお役に立ちたいと思っております。

 

 「昇級審査への意気込み」
弐級 U.K
 三級の審査から四カ月ほど経ちました。今までと違いこれからは時間にも限りがあるとのことで少し不安を感じています。技の数も段々と増えていき、それらを時間内にまとめることが今回の課題となりそうです。今までもよく言われてきた、自分から前に出ていくということを今回はより一層念頭においていきたいと思います。また、時間を気にしすぎるあまり、ひとつひとつの技が雑になったり、動きが硬く小さくなりすぎたりしないようにも気をつけたいです。他大学との合同練習で、自分と同学年の人ですでに二級である人もたくさんいたので、自分もがんばろうと思いました。前回の審査から今までの間に自分が大きく成長したという具体的な実感はありません。しかし、日々稽古してきたこと、合宿をのり越えたこと、いろいろな先輩方に指導していただいたことで、ゆるやかではあっても着実に進歩していると思います。それらすべてを今回の審査に凝縮して、納得がいくものにしたいです。

 「二級審査に向けて」
弐級 N.Y
 二級からは様々な時間制限があるということで、速さも求められているのでしょうけどもそれ以上に技の理解が見られていると考えています。身体を使うことを考えるのは勉強とはまた違い、中学校・高校とまじめに運動に向き合ってこなかった私にとってはとても難しいことで、日々考えることに苦労しながら稽古しているところです。
 今回私にとって一番の悩みどころは座技一教から四教の簡略形と技の構成です。技を簡略化するには当然もとの形をよく理解していなければいけません。正直なところ簡略形を、しかも速く行うにはまだまだ理解が不十分だと思いますが、残された期間にできるだけ練習して今できる最高の形を審査の場でできるように頑張ります。構成については今現在非常に悩んでいるところでして、自分が一つ一つの技をどう見ているかを考え直しながら順番を決めていきたいと思います。
 〈※ 簡略形でなくて、凝縮した短縮形です。編集者より)

 「審査への意気込み」
弐級 Z.M
 今回の二級審査は、紆余曲折はありましたが、多くの方々のご厚意を受けて、受けさせて頂くことになりました。12月に受けた方が良いのではないかという迷いもありました。しかし消極的になると、自分の成長はそこでとまってしまうのではないかと考え、立ち向かってみることにしました。浪人することを決めたときや、志望大学を決めた時と同じくらい、自分の決断に対する責任を感じました。今回の審査で大切にしたいのは、攻める姿勢です。取りはどんどん前に出ていくようによくご指摘を頂くのでまずその点に注意することです。そして50周年記念式典での演武を見て思ったことでありますが、どっしりと腰を据えて気持ちで負けないという態度も大事であるということです。受けの目を中心に体全体を見るようにすること、技をおこなった後も姿勢を崩さず、半身の形をしっかり安定するようにすること、残心を忘れないようにすることなどです。攻めようとして焦りすぎるのも良くありませんが、前へ攻めていく気持ちを審査では出せるようにしたいです。
 

「   」
五級 S.K
 昨年10月に合気道を始めて早一年が経ち、念願の初審査受けることが出来ました。
 スティーブンセガールに憧れ合気道を始めた私くしですが、今思うと、何とも不純なきっかけであったと恥ずかしく思います。
   本当のところ、合気道を始めた理由、
 仕事の都合で転勤した4県、行く先々で感じてましたが、心のどこかで地元の方々との出会いを求め、始めたのかも知れません。一人っきり(家族だけ)では、やはり寂しいものですから。。。
 少々脱線しましたが、合気道を始めて新たに目標が出来、知り合いも出来、タバコは止め充実した日々が過ごせております。
 今回の審査では、まだまだ稽古不足を実感致しました。私が思う合気道 ”軽やかに舞い、力強く決める”が出来ておりませんでしたので、次の四級審査の課題にしたく考えております。
 まだまだ未熟な新人ですが、今後とも皆様のご指導を頂きたく宜しくお願いします。
 

  「昇級審査への意気込み」
五級 N.K
 今回の初めての審査では、基礎の形を大切にして技を行います。特に半身について日頃から有段者の方に指摘を頂いておりますので、そこに注意して行いたいと考えております。また、常に前へ進む気持ちを持つことを意識して審査に挑みます。その上で、流れを切ってしまうことなく絶えず技をかけ続けられるようにしたいと思います。今回は五級の審査を受けさせていただくわけですが、そこに留まるのではなく、これなら次の昇級審査もきっと通過できるだろうと思っていただけるような審査内容を目指していきたいと思っております。以上のような意気込みで昇級審査に臨ませていただきます。どうぞよろしくお願い致します。

 「   」
子供の部 準五級 K.S
 広いひびきでのテストは皆に見られてる気がしてきんちょうしました。難しかったのは正面打ちさんきょうで、きめる所が相手に合わせるところが特に難しかったです。つぎは動作をキビキビしてさんきょうを上手くできるようにがんばります。

 「二回目のしんさ」
子供の部九級 K.TK
 しんさを受ける前、きんちょうしました。「はい」と大きな声をだしました。はじめに前うけみをしました。ちょっとだけむずかしかったです。
その次にうしろうけみをしました。かんたんにうしろに回れました。
つぎにしっこうをしました。うしろ足と前足をいっしょに前後するのがむずかしかったです。たいのてんかんをしました。回ってピタっと止まるのがむずかしいです。大人の人とさいごに一きょうをしました。かんたんでした。
おわったとき、やっとおわったと思いました。

 「しんさを受けて」
子供の部九級 K.TG
 しんさを受ける前からきんちょうしました。やっているときは自分でもちゃんとできるかなと思いました。たいのてんかんはやりやすかったです。おわったらスッキリしました。
 

 「二回目のしんさ」
子供の部九級 K.YT
しんさを受ける前とやっている時にきんちょうしました。とび級か一級だけ上がるか、そのままか分かりません。前うけみが一番上手にできました。
たいのてんかんがちょっとむずかしかったです。

 

 「   」
子供の部十級 S.F
ぼくは、初めてしんさをうけました。
すごくきんちょうしました。
よばれた時にきんちょうして、あまり大きな声が出せませんでした。
 後ろうけみもちょっと失敗してしまいましたけれど、あとはうまく出来たので良かったです。
次は、後ろうけみを注意してやりたいです。

 

 「   」
子供の部十級 O.S
 はじめてのしんさだったのできんちょうしました。いちばんさいしょにしたのでもっときんちょうしました。おわったらほっとしました。

 

 

 平成24年7月

  「豊中クラブ」
池田 憲夫
 平成六年六月に、和氣會は、正式に、財団法人合気会から、認可されました。それ以前、平成四年に、小林裕和師範のご了承を得て、大阪外国語大学体育会合氣道部創立三十周年記念式典に、当時の本部道場長植芝守央先生にお越し願って、初めてと行っても良いぐらい、関西地区での講習会を開きました。私どもには、全然本部道場とは、交流が持てませんでしたし、当然道場長とは、お話をしたこともなく、面識もございませんでした。当時、現在の大阪合氣塾の須磨さんや、外大の後輩の、野村さん(現愛結会の野村さん)が、仕事の関係で、東京におり、本部道場でばりばりと稽古していましたので、彼たちに、道場長にお願いしてくれるように、口添えを依頼しました。快諾を得ましたので、行事の進行をいたしました。合氣道部の先輩後輩、部長先生は、もとより、私は、当時は、大阪武育会所属でしたので、大阪武育会の皆様の温かいご支援、ご協力のお陰様をもちまして、成功裡にお開きとなりました。
 平成五年秋、関西学生合氣道連盟演武大会が、府立体育館にて開催され、控え室で、小林師範から、外大合氣道部を任すので、独立しては、どうか。との、お話があり、その場では、返事を出来ませんでした。持ち帰って、先輩後輩、部長先生とも相談の上、お答えします。ありがとうございます。としか、言えませんでした。その後、みなさんと相談し、独立してもよろしいとの許しを得たので、小林師範に、お願いをしましたが、翌年、いろいろとごたごたがあり、さらに淡路阪神大震災が勃発し、それどころでは、なくなりました。新学期に入り、話がとんとんと運び、独立となった次第です。
 私には、子供が三名おります。その内、二人は、地区の子供会のお世話になっていましたので、いつかは、子供会の役員をすることになる、しなければならないと、常々思っていました。その時に、知り合った方(奥さんと家内とは知り合いでした)に、稽古場所の事を相談し、岡会堂の管理責任者に会うことに出来、借りることも出来ました。ただ、毎週日曜日では、貸せない。各週にして欲しい。それでも、ありがたいことでした。仕方なく、また他の場所を探しました。豊中駅近くに、鹿鳴館時代を彷彿される建物があり心惹かれました。今度は、子供の同級生のおじいちゃんが、その地区の総代をしていることが解り、そのつてで、隔週土曜日に借りることが出来るようになりました。ただ、畳がありません。どこかで手配をしなければなりません。資金的に余裕があれば、なんでも出来るのですが、そうは参りません。仕事の関係で、私立の大阪電気通信大学高校の柔道の先生と懇意にさせていただ事になりました。学校の道場の畳を新調すると知りましたので、分けて頂けないかお願いしたところ、お許しを戴けました。確か、現日高道場の熊谷さんが、大阪での稽古場を作ることになり、同じように、畳が必要となり、和大の後輩の飯尾(現長崎気和会)や、大阪合氣塾の須磨や、川村君もタイミング良く、畳を必要とする時期でしたので、大助かりでした。私は、子供会で知り合った畳屋さんに軽トラックをお借りして、高校まで引取に伺い、そのまま、豊中クラブへ、搬入しました。良い運動をなりました。それから、十八年ほど、お世話になりました。戴くまで恐らく、二十数年は、使われていたはずですので、いまや、年代物の藁床でした。重いです。毎回敷いては、片付けをしましたので、痛み方が激しかったですね。あちこちテープで補強され、痛々しかったです。 
 豊中クラブを諦めることにし、今度は、畳の処分の問題が出てきました。市の環境局や市のクリーンセンターに相談しましたが、環境局では、受け付けない。クリーンセンターでは、藁床なら、引き受けるが、半分以下に切って、何度かに分けて持ち込むように言われました。25枚を素人が斬れるはずがありません。また、前述の畳屋さんに相談したら、任せておけ、ちゃんとしてあげる。と嬉しいお言葉を頂戴しました。一安心です。後は、いつ搬出するか。畳屋さんは、午前中が望ましいとの事。息子が帰省する日の午前中に決めました。そういえば、最初は、火曜日の夜は、豊中クラブで稽古をしていました。殆どが剣や杖でしたが。帰宅してから畳を敷いていたのでは、遅くなるので、当時中学生だった息子に、畳敷きのバイトをしてもらっていたことを思い出しました。パズルのような畳の敷き方が上手でした。今じゃ、菅崎さんが、綺麗に敷いてくれました。その息子が、畳の搬出に出会わすとは、なかなかのものです。戸倉さん、Yさんにもお願いしましたらお忙しい中を来て下さいまして、汗をかいて頂きました。ありがとうございました。
 いろいろな方々とのつながりで、つつがなく、畳を頂戴することが出来、廃棄することも出来ました。普段のひとびととの交流(いやいやながら役目をすることなく、積極的にかかわる)事の重大さに、今更ながら、感じている今日この頃です。
 畳にも感謝です。

 「   」
弐段 小田 正樹
 私はこれまで合氣道を忘れない程度に続けてきました。好きでやっていることで、「昇段しなければ」といった気持はなかったのですが、最近いわゆる「ユーチューブ」等で合氣道の動画を見て、その動きの美しさに改めて魅かれると共に、結構お年をめされた方であっても素晴らしい演武をされているのに感心してしまいました。
 たまに稽古に行くと運動不足により思ったように動けず、やはりちゃんと目標を持って取り組まなければ、「あの様にはできない」と思い、改めて目標を持って取り組んでみようと思い立った次第です。
 今後もマイペースになろうかとは思いますが、豊中和氣會の稽古も続けさせていただきたく、稽古の際には宜しくお願い致します 

 「稽古」
弐段 太田 周志
 今回、弐段審査を受審させていただくにあたり、一番苦労した点は、稽古する時間が限られていることでした。学生時代よりも、稽古する時間が限られており、あと何時間といった具合に明確に少なくなってきています。そこで、私は限られた時間の中でも、稽古を続ける方法、合氣道と付き合っていく方法を模索しました。
 私が行った方法は、こまぎれの時間を見つけて、一人で自由技の稽古を行うことでした。動きが止まらず、続けて技が出るように、頭の中で次々と技が思い浮かばなければなりません。しかし、はじめはまったく技が出てきませんでした。忘れないよう技についてまとめたノートを見かえして、記憶を呼び起こしてみてはまた一人の自由技を行いました。そうすると、技の共通点が少し見えてきました。相手の取らせ方によって、さばき方が違ったりして以前は複雑に思えた数々の技も、ある程度共通していることに気付きました。しかし、状況によって出す技も変わってくるわけで、どの技を選択すればよいのか、さばき方、間合いの取り方など、今までは十分に考えずに稽古していたことが露呈されました。考えていなかったというよりも、そういった点が大事であるかがよく分かっていなかったのだと思います。今回、時間がないなりに行った一人の自由技のおかげで、私が今まで行ってきた稽古を振り返り、再考することで頭が整理され、そして、相手を制する際には何か大事なのかを考えるきっかけを作ることができました。
 先日たまたま、ふと稽古とはなにか、と思い辞書を引いてみました。『稽』とは『とどまる、考える』の意味であるから、『稽古』とは過去を振り返ること、という意味にもとれます。つまり、実際に体を動かすことだけではなく、私が今までの合氣道を振り返りかえったように今までの技をよく再考し、反芻することもまさに『稽古』であると解釈しました。
 だから、時間が限られている状況でも、過去の技を振り返って再考することは私にはできるので、実際に体を動かす時間は少なくなっても『稽古』はまだまだ続けていけると思っています。
 最後になりますが、池田師範をはじめ、和氣會の皆さま、先輩方、現役生の皆さまには常日頃からお世話になっており、特に弐段審査のための稽古に親身になって付き合っていただき、心から感謝申し上げます。今後も日々精進していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

 「   」
三級 R.S
 師範をはじめ、和気会皆様のご指導とご協力より審査を受けることができ心から感謝いたします。まずは何回を繰り返しても覚えられなかった「座り技第一教〜第四教」の型を、諦めずに毎稽古前に教えてくださったSさんに最敬礼いたします。そして審査前の週に特訓して頂いたYさんに、表技で自分の体態勢がなぜ崩れやすいかの「なぞ」を解けて頂いたことに感謝いたします。それはきちんと膝行して体重心を保てながら移動できていないからです。数年前に初めて審査を受けたときも、師範より膝行を練習するようとご指摘頂いたことを思い出し、自分が真剣に練習しなかったことに反省しております。審査当日は「膝行に注意するよう」と充分に気をつけたつもりですが、Sに撮ってもらったビデオを見てみると、付け焼刃であることがよく分かりました。師範が常々おっしゃられる合気体操と準備運動の大切さをあらためて痛感いたします。これからも基本動作をしっかりと身につけて一歩ずつ進めていきたいと思います。どうかご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。
 感想文を書きながら、最近facebookでもよく見かける『正範語録』のことばが浮かんできたので、コピーして記載します。

<< 正範語録 >>
実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は情報の差

真剣だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり

本気でするから大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる

 

 「   」
三級 Z.M
 今回三級審査を受けさせて頂くにあたり、私は今までよりも強く不安を感じています。四級審査に比べて技が増えたので本番の審査で忘れずに全部できるのか不安であること、またその一つ一つの技の出来具合がよくないと自分でも感じていることが主な理由です。ですが、このような状態でも、受けるチャンスを有り難くも頂いたので、それに応えることのできるよう審査までのあと一週間と少しの間今までよりも精一杯稽古に励もうと思います。直前になってから後悔し、不安を感じるのでは遅いと思いますが、審査までに不安を小さくできるようにしたいです。稽古に真剣に参加するのはもちろん、すきま時間があれば、指摘して頂いた点や技の流れ、そして審査でおこなう技同士の流れをイメージし、疑問点はすぐ解決するようにしようと思います。これまで指導して下さった方々に「この程度なのか」と、審査でがっかりされることのないようにしたいです。

 「   」
三級 K.N
 年度も代も変わりまして自分が二年生になったことが未だに信じがたい心地です。それでも後輩も入り、基本の動きを教えるようになってきました。
本当に僅かながら自分にも判ることを教える内に、自分の欠点が数多見えて来ました。それを直すことは技の向上に直結する、と頭では理解しています。けれど体に癖として染み付いたものも多く一朝一夕には直らないだろう、とも考えております。こんな状況で審査を受けることに一抹の不安を覚えますが自分の欠点を意識することで少しでも改善しながら審査に備えたく思います。

 「   」
三級 N.Y
 三級は四級に比べ、技の数が増えたように感じます。五級からずっとしている技もありますが、今回から内容に含まれる技もあります。今回私が特に気をつけている技は立ち技突きの小手返しです。突きをかわして相手の手を取ることももちろんですが、その取った手を自分の中心で、腰をおとして低くめぐるというのが非常に難しいと思います。私はまだめぐるのが全然上手ではないので特にそう感じるのではないかと思います。先輩のめぐり方を見ていても自分のめぐり方とは違うということがよくわかります。先日先輩に指摘されたことですが、軸足がぶれているからバランスが安定しておらずしっかりめぐれないのかもしれません。姿勢もたまに注意されるので、体勢が安定するように意識しなければなりません。審査までにできるだけ修正して技を行いたいと思います。

 「六級審査」
子供の部 六級 K.S
 審査を受けて、三教ができなかったことが残念でした。
 でも、ほかの技は先生にいわれていた、体をピンとのばせていて、よく出来たかなと思います。
 体調が悪くて稽古を休んでしまい、合格できるか心配だったので六級の審査に合格でき合格証書をもらった時は、とてもうれしかったです。次は帯の色が変わるように頑張ります。

 

 「   」
子供の部 八級 K.M
 審査は、緊張しました。
前受け身は、少し手に力が入っていなかったので、ひじが曲がってしまったかもしれないです。膝行法は、足が残ってしまったかもしれませんでした。
転換法は、もっと堂々と前を向いてやればよかったかなと思います。
 今回は、受けた子供が多くて、しかも私は最後の方だったので、少し安心して受けることが出来ました
 でも、やっぱり緊張しました。

 「   」
子供の部 八級 K.S
 私は、八級の審査を受けました。前受身や、しっこう、などはうまく出来たと思います。
 でも、最後の片手取四方投げが失敗してしまったのが、残念でした。
 でも、Yさんが教えてくれて、やっと出来ました。
 すごく、きんちょうしました。受かっているとうれしいです。

 「昇級審査」
子供の部 八級 K.C
 私は審査を受けました。受けるのはたぶん4回目くらいだと思います。初めて受けた時はドキドキしたけれど、何回か受けているので、初めて受けた時と比べたらあまりドキドキしませんでした。
 前受け身、後ろ受け身、しっこうなどは、だいたい基本の動きなので少し簡単でした。 あと、おまけで何が出るか分からないので、むずかしいのだったらどうしようかなと思ったけど、正面打ち入り身投げだったので良かったです。
 自分的にはまあできたと思います。受かればいいと思います。

 「はじめてのしんさ」
子供の部 十級 M.U
 ぼくははじめてしんさをうけました。きんちょうしたけど、しんさを受けたときは楽しかったです。
 練習の時は、うしろうけみができなかったけど、しんさの時はできてうれしかったです。
 これからもたくさんがんばって、もっともっとじょうずになりたいです。

 

 

 平成24年6月

「知りました」
 池田 憲夫
 皆様のお陰で、今年も大阪大学外国語学部合氣道部の春期合宿に参加してまいりました。合宿では、恒例で、最後には、幹部になる人に、期待を込めた、ある程度、しんどい、引き継ぎ儀式があります。これから一年幹部として後輩を引っ張り指導し、合氣道部の運営に自信と責任を持ってもらうためです。合宿のお世話になるのは、高知県の明徳義塾高校です。合氣道部の先輩が高校の先生をしている関係で、合宿道場、宿舎として、許可を頂き一週間お借りしています。その儀式の時、明徳義塾高校合氣道部の人々(殆どが留学生です)と合氣道を知らない留学生が見学に来ました。合氣道部員には見学だけではもったいないので、儀式に加わってもらいました。部員は、入部して半年ぐらいでしょうか、じっと座ってばかりの私に、「呼吸投」をして欲しいとの申し出があり、数名を投げました。しごかれました、私が。でも彼たち、彼女(一名)は、素晴らしい素質、身体能力の持ち主ばかりでした。半年の稽古で、あれほど上手に受身がとれるのか、疲れないのか、不思議でした。テレビなどで、スポーツ放送を視て、日本人外国人にはなかなか追いつけないな!と思っていましたが、実感した時でした。驚きでした。

 過日、ある人に、お辞儀くらい、ちゃんと丁寧にするようにと、申しました。いや、命じました。その際、「礼」の旧字体は、どのように書くか、その意味するところは何か、調べておくように、命じました。今までは「禮」とは、「ころこのゆたかさをしめす」と思っていました。だから、お辞儀がちゃんと出来ない人は、こころの貧しい人と判断されるから形だけでも良いから、ちゃんとするようにと願ってきました。ところが、うん十年ぶりに漢和辞典を紐解き調べたところ、すこし意味が違っていました。
 神の意を表す示と、豊は、ふみ行うの語源(履)から来ている。神に向かって儀礼を履行するの意。ひいて、一般に儀礼の意となった。
 
 また、面白い本に出会いました。既に、お読みになった方がおられるかも知れません。今野敏著「ドリームマッチ」です。著者は、いろいろな武道に造詣が深く、さすがと思っていました。「発頸」「体のうねり」「テコの応用」「でんでん太鼓」が上手く説明されていました。このあたりが、私どもが稽古している「合氣道」が、植芝盛平翁先生先生から、残念ながら学べなかった点であると、私は、思います。小説ですので、真贋の程は解りませんが、「野見流合氣拳術」と言う武道で、島根県に伝わった古武術だそうです。ご一読下さい。

 最後に、一月末に、尾張合気会木田道場の記念式典で、滝本先生から頂戴しました、掛け軸を稽古時に、掲げておりますが、「育徳」について。「育」とは、一、そだてる、やしなう(養う)。はぐくむ。二、おさない。三、うむ。うまれる。の意義があります。「徳」とは、古代には、神を知る能力であり、ついで力の意となった。さらに、人に備わった、またおさめるべき人間的な価値がある力の意となった。一、道を行って体得した人の、立派な行いの総称。二、めぐみ。三、ありがたく思う。四、よいおしえ。五、徳を積んだ人。   と、ありました。 

 

 「   」
子供の部 準九級 K.Y
 前回の試験では準備が今 思うとあまりできていなかったように思います。今回は試験にむけて 技を中心に練習ができました。当日は少し早めに集まって練習する時間を先生がつくってくださったので感しゃしています。試験中は、きんちょうしたけれどなんとかできたかなぁと思います。受かっているとうれしいです。
 ※ 前回、「あゆみ」に掲載することを忘れていました。申し訳ございません。

 「   」    
 四級 U.K
 合気道をはじめて十ヶ月ほどになりました。五級の審査を受けてから四ヶ月ほどになります。あのころの稽古は週一日の土曜稽古だけでしたが、今ではその他の稽古にも参加できるようになりました。そのため以前より体力がついたように思います。この四ヶ月の間、初めて見る技や難しくてできない技もたくさんありましたが、いろいろな方々に教えていただく中で足や体の向きや位置などなにかしら学び取ることができました。日ごろの稽古でも毎回何か一つ以上は新しいことを学べてとても新鮮でした。これは稽古量を増やせたからだと思います。量が増えたからといってそれに比例して上手くなったわけではありませんが考え方や姿勢が変わったように感じます。四級の審査では慣れない技もありますが今まで教えていただいたことを最大限に発揮できるように残りの時間を大切に使い、審査に臨みたいと思います。

 「   」
 四級 N.Y
 前演武会でした時に途中でわからなくなってしまったことがあります。肩取り二教は、流れは大体わかってきましたが、まだまだ未熟で先輩方に注意されることが多々あります。寒稽古で集中してしようと思います。また、五級でした技もまだ先輩や他校の方に教えていただくことがあります。五級審査の際にいただいた講評を読み直して、前よりよくできるように注意事項を頭に入れておきます。
 普段と違い、人の前で動かなければならない時にまだ緊張してしまいます。もともと大きい方ではありませんが、声も小さくなってしまいます。それは自信がないことも原因の一つだと思うので、審査の時に緊張のあまり礼儀を欠くことがないよう、これから短い期間ではありますが、稽古に励みた四級では、新たに横面打ち四方投げと肩取り二教をすることになるということで、五級受験の時よりも不安を感じています。横面打ち四方投げは、以いと思います。

 「   」
四級 Z.M
 今回、4級審査を受けさせていただくにあたり、一番大事にしたいのは円の動きです。春から合氣道を始めてからずっと言われてきたことですが、動きを覚えて稽古についていくのに精一杯だったため、いつでもその点に思いをめぐらせているわけではありませんでした。演武などで上手い方々の技を見ていくなかで、私の技になめらかさが足りないのはやはり円を上手く描けていないのではないかと考えるようになりました。以来、普段の稽古では「円、円」と自分に言い聞かせながら動くようにしてみたところ、円を描きながら動いた方が動きやすいのではないかという印象を受けました。1月16日から箕面キャンパスで1週間行われている寒稽古のなかで、より円の動きを体に覚えさせ、前回よりもレベルアップした自分で審査に臨みたいです。また、前回の5級審査の時よりもさらに姿勢に気をつけ、体の動きだけでなく目線にも気を配っていきたいと思います。

 「四級」
 四級 K.N
 合氣道を始めて半年以上経ちましたが、やっと呼吸法の基本が判ったくらいでしかありません。その他の技も、5級でしました技を繰り返すのが精一杯です。
これで本当に4級が取れるのか、初めてする技も多く、自分では不安ですが、推薦して下さった先輩方を出来るだけ信じてみようと思います。
他の3人には到底及ばないでしょうが、下手は下手なりに何とか足?いてみようかと努力しております。
宜しくお願いします。

 「昇級試験」
 三級 H.K
 昇級試験 緊張しました。本当に難しいです。合気道は、技の流れは解っても、いざ 始めると、手足は、ばらばら。呼吸は、激しくなるし、元から身体が、硬いのに力が入って、ぶっさいくに…頭の中では、半身 、体重移動、手の動き、足の動き、腰の動き。考えれば 考えるほどばらばらに、一つ一つ動けば?流れの中では、身体を素直に動けば?で、でた結論は、稽古しかないですね、身体が動く間は、稽古に励みたいです。諸先輩 学生さん、宜しく御願いします。少しずつ、次を目指しますので宜しく御願いします。

 「   」
  子供の部 準八級 Y.S
 合気道の試験を受けるずっと前は、気持ちによゆうがあったけど、いざとなると、前にあった気持ちがなくなったけれど…HさんやOさん、Tさんの声を聞いて、がんばれました。
 試験をしている時には、ぜんぜん何も聞こえませんでした。
 でも、終わってみたら、自信が少しあります。
                   

 「   」
子供の部 準九級 T.S
 ぼくは、今回二回目の試験を受けました。試験の前に、学校の行事やインフルエンザにかかったりして、練習が出来なかったので少し不安でした。でも本番では、いつもの稽古のように出来たのでほっとしました。これからも、もっともっと稽古をして上手になりたいです。

 「ドキドキしたしんさ」
子供の部 十級 H.H
 ぼくははじめてしんさをうけてドキドキしました。 前に出た時はできるかな?と思いましたが、「声が大きい」 と言われたのがうれしかったです。
  後ろうけみをしっぱいしてしまいざんねんだったけど、がんばりました。おわったときはほっとしました。
  これからもがんばって、そしてもっと上手になりたいです。

 「   」
 子供の部 十級 S.R
 テストの時、おなかいたかったので、きんちょうしました。それに、テストが合かくするかしんぱいになりました。れん太ろうの番に、前うけ身、後うけ身としっこうは、自分で出来たと思いました。かた手どりのこうほういりみなげの時に心の中で「どんなんだっけ?」って思いました。なげるのはあんまりいい点数じゃないと思いました。次の合気どうの日に、しょうじょうがもらえると思ったけど、その次の日だったので、がっかりしました。しょうじょうをもらった日に、けっかの紙を見てみると、あんまりいい点数じゃなかったけど、自分なりにがんばれたと思います。

 「   」
 三級 U.K
 およそ一年前、先輩方の三級の昇級審査を見学したのがついこの間のことのように感じられます。何もわからぬままに目の前で行われる昇級審査。あれから一年が経ち、今度は自分がその審査に挑戦する番になりました。級を重ねるごとに技の数も増えて技の順番を決めるのが少し大変になってきましたが、自分の技をいろんな人に見ていただける場なのでめりはりのある内容にしたいです。新入生も新たに加わり、二回生もなかなか大変なものだと感じる今日この頃です。後輩に技を説明するとき、今までに聞いたことを受け売りしているだけではありますが、教えることはそれぞれの技のポイントを再確認できるよい機会だと思いました。今までにあらゆる方々からいただいたアドバイスを思い出して一つひとつの技を丁寧に残りの時間で再確認し、悔いの残らぬようにしたいと思います。

 「無題」
 初段 M.R
 この度、初段の昇段審査を受けることになりました。時が経つのは早いものいで、合氣道を始めてから二年が過ぎようとしています。何も分からずに合氣道をやっていた最初の頃を今でも思い出されます。見たそのままのことをやって、次第にどういう技なのかを理解して、どうすればうまくいくのかを研究する、そのような過程をこの二年間やってまいりました。そして、初段の昇段審査を受ける時が来ました。袴をつけると、他人から見ればみな同等。今までのようにただ闇雲に技をやるのではなく、相手に教えていくということも増えてきます。人に教えるとは、己が理解してそれを相手に伝わるようにする、とても高度なことだと私は思っています。その中で、自分の技をこれまで以上に向上させて努 力していきたいです。昇段審査が新しい出発点となるように、全力で臨ませていただきたく思います。

 「初段審査を受審するにあたり」
初段 N.S
 春合宿が終わって初段審査が目前まで迫り、自分の技の不出来さに焦りを感じながら稽古に励んでおります。私は二年近く前に先輩方の演武を見て、袴姿に憧れて入部を決意しました。しかし、いざ三年の四月になると新入生を合氣道部に勧誘する立場にあたり、自分自身の技を見直してみると二年ほど前に自分が惹かれたように見た人の目を引くような演武をすることができるのか非常に不安になっていました。しかし、ある先輩に助言を戴きました。それは、元々その段や級の審査を受けるには、それに相当する実力が必要あるというのではなく、その段や級を取得したことによって自覚が生まれることにより、実力が後から追いついてくるという考え方でした。その助言を戴いたことによってこの審査では、今の自分の実力を精一杯に演武に込めて取り組もうという考えに至りました。この二年ほどで学んだことすべてを演武に込めたいと思います。また、幹部として副将として後輩の見本となれるように全力を尽くしたいと思います。宜しくお願い申し上げます。

 

平成24年1月

「新年を迎えて」
池田 憲夫
 いろいろとあった大変な一年でした、昨年もそれぞれの人々がそれなりに踏ん張り、やっと新年を迎えました。今年こそ、穏やかな一年であって欲しいと願っています。 
 和氣會を創設して以来、十七年皆様のお力でずっと継続してきました「越年稽古」を私の都合で中止しまして、お詫びいたします。お陰様で、久し振りに、ゆっくりとゆったりと新年を迎えました。大晦日には、お酒を少し頂戴しながら、猪苗代湖ズの歌(I love & I need youふくしま)を聴きました。NHK と言うことだから、あるいは、紅白歌合戦だからでしょうか、live とは違いかなり遠慮気味の、静かな歌いぶりでした。
 今年は、久し振りに、本部道場での、「鏡開き式」に出てきました。例年参加者が増えてきまして、二百畳以上ある道場が所狭しの状況です。立錐の余地がないという表現が生やさしいほどの人々で、座ったらそのまま動くことも当然移動することさえも難しいほどです。今年は、中道場や小道場にも席を設けテレビカメラでその模様を中継したほどです。道主 植芝守央先生は、受けを三名使い、およそ八畳で、奉納演武をなさいました。神業です、毎回感動して拝見しています。合氣道では、審査での昇段は、四段までです。五段以上は、毎年一回正月第二日曜日に執り行われる「鏡開き式」にて推薦昇段となっています。日本のみならず、全世界の合氣道の稽古人に当てはまります。合氣道人口が増え、それはそれは、すごいものです。昇段者も五段が二百云十名、六段が数十名、七段が云十名、喜ばしいことです。皆様も、五段昇段の際には、必ず、是非とも、参加していただき、証書をもらってもらいたいと思います。道主 植芝守央先生のお姿を拝見し、私もさらに精進すべきとの思いを新たにした所存です。
 和氣會を設立して、当初は、越前さんに受けを取って頂きましたが、体操当番を決め、その人に受けを取って頂くことにしました。いろいろな経験を積むために。でも、合氣道の良さを解って頂くためには、拙かったかも知れません。受けに合わせて静かにおとなしくなってしまいました。新年からは受けは有段者にお願いします。その横に、当番の人が待機して、その後、同じ技の受けをしてもらいます。待機中に、ちゃんと観察していて下さい。きびきびとした、技をと思っています。よろしくお願いします。
 今まで出来てなかったことが出来るようになることが若さです。今まで出来ていたことが出来なることが老いです。皆さんはいかがですか。子供達の合氣体操や技を見ていると、若さ、若いと実感します。なんでこんなことが出来るようになったんだろう、すごい。羨ましい。感動です。私も、老いることなく、いろいろな事に興味を持ち生き続けていきます。若さを保つために。

 「審査に向けて」
五級 K.N
 合気道を始めて半年になろうとしていることに気付いて驚いています。
春先に先輩方が審査を受けているのを見た折りには技の鋭さや気迫に息を呑みました。今自分が審査を受けようとしています。果たして先輩のように上手く行くかと自問自答すれば答えは否でした。始めて間が無い初心者と先輩方を比べるのは愚の骨頂でしょう。それでも初心者だからという立場に甘んじること無く自分に出来ることを未熟ながらやり抜くつもりで審査に臨みます。

 「審査に向けて」
五級 N.Y
 以前先輩方が審査を受けられた時は予定があって見ることができませんでした。ですからいまいち雰囲気がわかりません。審査がいよいよ近づいてきて、先輩方に色々教えてもらっていますが、その場に臨む気持ちは自分でつくっていくものなのだろうと思い、最近あれこれ考えています。自分の正直な気持ちとしては、受かりたいという気持ちはそれほど強くありません。自分が今できる最大限のことをして不合格だったらそれは仕方ないと思いますただ、最大限のことをするためにまだできることがあるし、先輩方がわざわざ自分たちの時間を割いて稽古に付き合ってくださるので、教えを吸収して技を高め、結果として審査に合格できれば恩返しができるかなと思っています。審査をよろしくお願いします。

 「昇級審査に向けての意気込み」
五級 Z.M
 大阪大学に入学し、合氣道を始めて約半年がたった。1年生が通うキャンパスの関係上、週に1回しか稽古に参加できずなかなか上達しないことがとてももどかしかった。特に後ろ受身にはてこずった。先輩方の技を見ていても、「あと1、2年であれくらいまでできるようになるのか」と不安に思うこともあった。しかし、量よりも質の向上を目指して指摘してもらったポイントに注意しながら技の稽古をしたり、なぜ先輩方のように流れるように動けないのかを考えたりしながら、数少ないとは言えども、集中して稽古に参加するようにした。また、講義を聞いていて眠くなった時などは練習がてらに自分に二教や四教をかけて眠気を覚ましたり、前回の稽古で練習した技や昇級審査でやる技のイメージトレーニングをしたりなど、平日でも常に合氣道のことを頭のどこかで考えるようにした。昇級審査では、今までの稽古の成果を見せることができるように普段の稽古よりももっと元気いっぱい頑張りたい。

 4「弐段審査を終えて」  
弐段 K.D
  池田師範をはじめ、和氣會の皆様、現役生の皆様、この度は大変お世話になりました。受審させていただくにあたり、多くの方々にご指導を賜り、激励のお言葉をかけていただきました。人との輪の中で、人と生き、人に生かされながら、自分は何とか立っていられるんだということを強烈に感じさせられ、感謝の念で胸がいっぱいです。この場をお借りして、皆様に御礼申し上げます。誠にありがとうございます。
 この度審査を受審させていただくにあたり、私のなかで、外大合氣道部OB会九州支部の支部長としての自分に、公務員試験に向けて勉強している自分に、ひとつケジメをつけたいという思いがありました。日頃緩みがちな気持ちを引き締めたかった、というのが受審させていただいた動機のひとつです。審査に向けましては、外大OBの越前様、野村様より多大なアドバイスをいただき、九州支部の稽古会にてご参加いただいております方々にご指導いただき、また実家では武道など全く触れたこともない弟の体を借りてイメージトレーニングをさせてもらったり、合氣道関連の書籍をあたったりと、色んな方にお世話になりながら準備を進めてまいりました。しかしいざ本番を迎えますと、頭は真っ白になり、技 はなかなか思い通りに行かず、さらに審査に臨む姿勢につきましてもご指摘を受け、あぁ自分はまだ弐段を受審するそのスタートラインにさえ満足に立てていなかったのだと、自分を非常に情けなく、悔しく思いました。そして、焦りや緊張など様々な感情が押し寄せる中で平常心を保つことの難しさ、物事に臨むにあたり自分の立場や自分の行動、振る舞いを一つずつしっかりと自覚し、考え、意味を見出すことの重要さを改めて感じさせられました。
 ただこうして、失敗してしまったな、自分はまだまだだな、と感じさせてもらえる環境があることは本当にありがたいことです。素晴らしい方々に、素敵な環境に恵まれ、私はとても幸せだと思いました。今回の審査で得たことは、合氣道の中だけに留めず、私生活にも広く活かしていきたいと思っております。そして私を日常から引きずり出し、素敵な経験と刺激を与えてくれる合氣道を、感謝の気持ちと謙虚さを忘れずに、これからも続けてまいりたいと思います。
 

 「一級審査に向けて」
 一級 N.S
 二級審査が終わり、様々な行事に追われていく中、来年この行事に参加する時には幹部として参加することになるということを意識の端に入れながら、稽古に取り組んでいます。毎日稽古をしていく上で、最近特に心がけていることがあります。それは稽古の中だけではなく、姿勢や目線などの日常生活で出来ることを一つ一つを意識することです。僕がまだ武道に出会う前で記憶が定かではありませんが、ある書物に「武道は日々の生活や人との接し方にも表れてくる」という記述があったのが印象に残っています。まさにその通りだと感じました。日常生活の中でも目線や姿勢などは、非常に大切であると再認識しました。
 この度の一級審査では、二級審査よりも技の決め方や姿勢や目線などを意識的に改善することができるように努力して参りました。これらの稽古の成果をお見せすることができればと考えております。宜しくお願い申し上げます。

 「一級審査に向けて」
一級 M.R
 今回、一級審査を受けることが出来て大変ありがたく思います。先日、二級審査の時の映像を見させてもらう機会がありました。一度ゆっくりと自分の動きを客観的に見ることが出来て、自分の未熟な部分を確認することが出来ました。
 また、高取国際高校との合同稽古をする機会がありました。日頃稽古している動きとは違う部分もあって、様々な発見をすることが出来ました。その時に、一番自分に足りないものは「元気」だと思いました。高校生はどんなに体力的に苦しくても常に元気良く稽古していました。「元気があれば何でも出来る」というある有名人の言葉が思い浮かびます。
いつもの稽古でも今まで以上に元気にやりたいと思います。
 審査についていえば、座技の正面打ちの一歩崩しが一番の課題だと思います。丁寧かつ素早く、なかなか両方を兼ね揃えて行うことが難しいです。とにかく、一歩崩しのみに限らずあらゆる技において自分から前に出ていけるように頑張りたいと思います。

 「大人の部 二回目の審査」     
四級 K.T
 今回の試験は、自分的にはあまり満足できませんでした。
 正面打ちの入り身投げのとき、誤って相手の肩にふれてしまいました。
 それに、あまりビシバシときれがありませんでした。
 これからは、この反省を軸に、合気道を頑張り、そして、審査を満足して終われるようにします。

 「   」
子供の部 準六級 K.S
 準六級に上がって良かったです。帯が水色に変わるので、うれしいです。
 1年で最後のしんさなので、うかって、本当にうれしいです。
 どんどん上がって、帯の色を変えていきたいです。

 

 「3回目の審査」     
子殿の部 準八級 K.S
 私は、これまで審査を2回受けてきました。今日で、3回目です。
名前を呼ばれるまで、「いつよばれるかな?」と思って、緊張しました。
 そして、名前を呼ばれました。私は、凄く緊張しました。だけど、
ぜんぶ、知っている技だったので上手く出来たと思います。
 みんな、黒帯の人を呼んでいたけど、『私は、おにいちゃんでいいのかな?』と、思いました。
 お兄ちゃんを、呼んだ時ちょっと恥ずかしかったです。
 次の審査も、頑張りたいです。

 「審査を受けて」
子供の部 準八級 K.M
 私が審査を受けたのは、後の方だったので、皆の演技を参考にする事が出来て良かったです。
 演技をする時は、緊張しました。膝行法は、少し膝が残っていたかも知れません。前法受け身は、また足が回ってしまったような気がします。ちゃんと頑張って、もっと上を目指したいです!

 

 「3回目のしんさ」
 子供の部 準八級 K.C
私は今回で3回目です。きん張感は前よりすこしへったぐらいで、とてもドキドキしていました。でも他のみんなも同じ気持ちなんだろうなと思うと、がんばろうという気持ちになりました。私はMちゃんとSちゃんと同じ級なのでいつもいっしょに受けていました。そして名前をよばれました。「次は私の番だ!」と心の中で思いました。注意されたことを覚えておいて、やりました。
 初めてしんさをした時よりも上手くなったかな?と自分でも思いました。
ドキドキしていたので、ちょっとの短いしんさでも長く感じました。Mちゃんたちのを見ると「上手いな」と思いました。
 自分が思ったよりもできてよかったです。

「     」
  子供の部 九級 Y.A
 今回の審査は受ける人が多く、準備体操をしてからすぐ始まるので、八時三十分くらいから道場が開いていました。それで、わたしは九時まで呼吸法や正面打ち一きょうなどを練習しました。
 九時になると体操をして、
(そろそろ審査かな?)と思っていたら予想外!
「審査受ける人、前に来て!」
(え?何するの?)と思いながら、前に出ました。でもすごく単純なコトで、体操の時のかけ声を言うだけでした。
(難しいことじゃなくて良かった。)とホッとしました。
「みんな座ってー。」
 そう言われた時、すごくドキドキしました。なぜかというと、師はんに
「Aちゃんは一番初めだよ。」
と言われていたからです。そして、名前を呼ばれて返事をして礼をしながら、
(メッチャきん張する。)と思っていました。
 一人技で失敗したと思ったコトは、いっぱいありました。しっかり前を向いてできなかったり、しっこうでは足が少し残っていたような気がしました。 二人技はほとんどできていたと思います。
 審査はあっという間に終わりました。他の子の審査を見ていて、自分だけ後ろしっこうをしていないことに気づき、残念でした。

  「合気道の審査」
   子供の部 Y.K
 合気道の審査は三回目だったので、きんちょうしていないと思っていたけれど、しっこうの時[ぐらっ]と体せいをくずしてしまって、やっぱりきんちょうしているなぁと思いました。
 だけど、後ろ受身としっこう以外は上手にできたと思います。
 それに、大きな声で最初「はいっ」と言えたのがうれしかったです。最後も「ありがとうございました」と大きな声で言えて、良かったです。

 「はじめてのしんさ」
子供の部 準九級 K.TK
 ぼくは名前をよばれるとき、きんちょうしました。
みんなのまえでしんさをしたから、がんばったと思いました。はじめてのしんさだから、やっているときはむずかしかったです。けどしんさができてよかったです。しんさをやっていた人もきんちょうしたと思いました。
 ぼくはしんさをやっている人のを見ると「いろんなわざがある」と思いました。
 しんさができてよかったです。

 「がんばったしんさ」
 子供の部 準九級 K.TG
 12/4にしたしんさははじめてでした。はじめに名前をよばれたとき、ちゃんと返事をしました。みんなの前にたったりしたからきんちょうしました。
 すこしのわざをしたけどむずかしかったです。でもさいしょからさいごまでできて、がんばったと思いました。
 ほかの子のしんさを見て「いろんなわざがあるんだな」と思いました。
 しんさをうけていた人はきんちょうしてた人としてない人がいたかもしれません。やっていた人はしゅうちゅうしてわざをしていました。
 ぼくがやったわざは、まえうけみと、うしろうけみと、しっこうと、しょう面うちいっきょうと、すわりわざこきゅうほうをしました。
 じぶんが思っていたよりもじょうずにできました。

 「1回目のしんさ」
子供の部 準九級 K.Y
 ぼくははじめて前に出てしんさをして、きんちょうしました。でもみんなに何もいわれなかったので、あまりきんちょうしませんでした。ぼくはがんばりました。
 まだおびはかわるかわからないけど、黄色おびに早くなりたいです。でも黄色おびのほうが白おびより長くなるけど、体が大きくならないとちゃんと合いません。
 前うけみも、後ろうけみも、しっ行も後ろしっ行も、すわりわざこきゅうほうも、しょうめんうちいっきょうも、上手にできているかわかりません。
 でも楽しかったです。

 

 

 平成二十三年九月

 「合氣道との関わりと感謝」 
四段 戸倉 光明 
 今般2011年9月18日豊中市岡町「岡会堂」で、昇段の審査の場をいただきました。和氣會池田憲夫師範、ありがとうございました。中今塾の西守師範には、中今塾の稽古日にもかかわらず、わざわざお越しいただき受けをお取りいただきまして恐縮しつつ深謝いたします。更に豊中和氣會の道友の皆さま、そして大阪大学外国語学部合氣道部部員の皆様方、各位には審査での受けを取っていただきました事と共に、ここに至るまでのお助けをいただき御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 去る7月9日、吹田市の洗心館武道場での大阪府合気道連盟発足の研鑽会・演武会で、加盟する道場の演武会に池田師範の推挙で登録道場の代表として大阪大学外語部合氣道部のI主将・I副将と一緒に、植芝守央道主の御前での演武をさせていただきました。大変光栄でした。その日の午後、懇親会で西守師範が池田師範のところに来られてからの話しが、今般の昇段審査への発端となりました。
 昭和40(1965)年初夏、大阪外国語大学の一回生の時に合氣道(当時は同好会)に入りました。その頃の日本では合氣道はマイナーでした。他の大学でも体育会の部としては、認められたところは少なかったようです。三回生の時に、正式な体育会合氣道部として認められましたが、部昇格が成った大学の中での順番は、まだ一桁台でした。話しがそれました。 合氣道と関わったのがこの頃で、18歳でした。中学では陸上部と生物部、高校では野球部でしたが、けっして運動神経がすぐれていた訳ではありません。ただ中学で片道3キロm、高校で片道10kmを毎日自転車通学をしたことが、何らかの心身のねばりをつけてくれたのかと考えています。そんな中で、なんで合氣道をかじることになったのかと思います。
 大学一回生の当初から、卒業後は海外雄飛を希望しておりました。当時、ドイツの街で日本の商社マンが運河で他殺体となって見つかった事件がありました。護身の為に『何か武道ができないと、いけない』と決めました。いろいろある武道系の中から、経済的にも体力的にも容易と思われた合氣道を選びました。身長173cm体重58kgでした。それが、4回生の時には、175cm68kgになっていました。
 合気道は、道着と帯の装束、体重が軽くても不利ではない。舞を舞うように軽そうな動きで、空手のように蹴りを入れられたり、どつかれたりは無い。面や小手・銅や袴・竹刀などの道具が要らないし、高価では無い。このような理由が、合氣道に近づいた理由の一面でした。しかし経済的・部分的には正解でしたが、体力的・身体的には案外にも厳しくきつかったです。学生時代はけっして稽古熱心でもなかった自分です。それが、そんな中でも今まで合氣道と一緒に居られるのは、その時その時の周りの寛容な方々と家族の支えのお蔭で有ったと思います。そして、現時点も以前と同様に皆様の寛大・寛容に支えられていると思います。今年10月で65歳になります。「まだ、65歳」で「もう65歳」と思わないようにしたいと思います。
 合氣道を続けていて、いろんな出逢いがあって不思議な思いと不思議な縁を意識しています。波長の合う出会いが多く有って、合う波長の幅がだんだん広がっていくように思います。
 みな様のご健勝とご多幸をお祈りします。

 「   」
 二級 N.S
 一年半前に僕が合気道部に入部した時、生まれつきであるのと受験での運動不足が重なり、僕の身体はとても堅くなっていました。そのため、入部当初から現在までお風呂上がりに十分程度の柔軟体操を取り入れて来ました。 始めてすぐの頃は、柔軟体操のやり方がよく分からなかったので、効果があまり出なかったのを覚えています。ですが、人に押して貰ったり、自分なりに工夫を凝らすことで、最近になって少しずつですが、良い方向に向かっていると感じています。
  柔軟の他には、受けの体をしっかりと崩すことができるように自分の体を動かすかということに、以前よりも重きを置いて稽古しています。最近の稽古でも、先輩や同期に聞いたり、自分自身で考えながら集中して取り組むことができています。今回の審査では、柔軟と同様に、少しでもこれらの取り組みの成果を発揮できるように努めたいと思います。
 宜しくお願い申し上げます。

 「二級審査に向けて」
  二級 M.R
 この度、二級審査を受けることができて本当にうれしい気持ちです。私は、高校時代に空手道部に所属しており、その時に合氣道をやっていた同期の友人がいました。休憩時間等にその友人に技をやってもらいました。いつの間にか投げられていたなという記憶がよみがえります。彼は、空手道において私にとっての良い友でありライバルでもありました。常に彼には負けたくないと思って努力していました。そんな友人は当時合氣道三級だと言っていました。彼が今も続けているかは分かりませんが、そんな彼を仮にも超えるというこの二級審査というのは私にとって一つの大きな壁だと思います。
 二度目の夏合宿が終わりました。相変わらず自分の体力のなさ、周囲への気配りの足りなさをこの上なく感じました。まだまだ未熟だなと思いながら、逆に自分の成長の伸びしろがまだあるなと前向きな考えを持ちつつ最近の稽古に臨んでいます。審査では、自分の持ってる力を思う存分出せるよう頑張ります。

 「   」
 三級 S.K
 池田師範、和気会の皆さん、いつもお世話になっております。
 先日は、三級の審査を受けさせて戴きました。有難うございました。
 数日前より、技の手順。ご指導戴いた修正箇所とポイント。
 頭の中で何度も何度も反復し大丈夫の予定でした。
 当日になり、池田師範から{はじめ}のお声がかかると頭がスート。前回と同様、真冬の北国の状態に。それでも、受けの方の攻撃はきます
 せっかくご指導戴いた数々の事柄も甲斐なく終えておりました。
 武道は日々の稽古量のみが確実と実になり成長ありと新めて気付きました。これからは、増々目の前の一瞬一瞬に気力と体力を注ぎ精進致したいと思っております。
 今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

 「   」
五級 U.K
 今年の春大学に入って何か新しいことをしたいと思って始めたのが合氣道でした。なにより素手でできる武道というのが魅力でした。以前剣道をほんの少しだけ経験したことがあるのですが、級を取れるまでには至りませんでした。なので今回の昇級審査が初めての級への挑戦で不安である一方、頑張ろうという気持ちもあります。技もまだまだ未熟で技の数も少ないですがひとつひとつを丁寧にやっていきたいと思います。今の自分にできることを精いっぱいできるようにしたいです。まだ合氣道を始めてから数か月しか稽古できていませんが今までのいろいろな方の教えをしっかりと思い出して審査の時にすべてを出しきれるように残りの稽古時間を大切にして審査に臨みたいと思います。そして審査を受ける中で足りない部分をこれからに活かしていけたらと思います。

 「困ったもんです。」
池田 憲夫
 我が家には、娘が二人います。娘と言うには、かなり年を重ねております。その二人が、福山雅治にはまっています。あちこちのコンサートに、時間と金銭とを工面して、行っています。所謂追っかけのようなものです。困ったもんです。東日本震災が起こり、四月には、「猪苗代湖ズ」というバンドが震災応援の曲をリリースした。聴いたらと言われ、ダウンロードしました。「I NEED YOU, I LOVE YOU FUKUSHIMA] です。何度も福島を連呼するので、福島の安売りをするなという気で、余り感動していませんでした。よくよく調べてみると、バックで福山雅治が、歌わずにギター伴奏で応援参加していることが判りました。また、そのバンドのリーダーが、忘れ始めていた母校・福島県郡山市にある安積高校(アサカコウコウ)出身であると知りました。高校は、明治時代、時の政府から、郡山は県庁をとるか高校をとるかと言われ、高校を選んだと言われている、明治時代の建物(鹿鳴館時代の建造物で、県の無形文化財に指定・何となく豊中クラブの建物に似ています)年代物です。
 この九月に、猪苗代湖畔の野外で、復興支援コンサートが開催されました。youtubeで、生放送されました。その情報を娘から聞き、一部ですが、見ました。福山雅治の熱演に感動しました。更に、その中で、彼が、曲紹介で、福島の紹介を兼ねて、「中通りの三春という町には、樹齢千年を越えると言われている瀧桜が有名です。」とあり、涙腺が危なかったです。三春は、私の生まれたところであり、瀧桜の近くで母が生まれ、その出生地は、今、ダムの中に埋もれています。youtubeをご覧になられる方は、どうぞアクセス下さい。さらに、「予定 福島に帰ったら」も、ジンとさせる歌です。
 あちこちで、民間人が(芸能人、スポーツ選手、特に被災地の方々)が、復興のために精一杯生きているのに、政治家は何をやっているのでしょうか。他人事でしょうか。被災地の岩手県には、Oが、宮城県には、Aが、福島県には、Gの議員がいるのです。このような緊急事態に、地元貢献しないで、いつするのでしょうか、また、Gと同じ町出身には、一時馬力のあったA'もいます。A'は、姪と小学校・中学校と同級生だったとのこと。A'もGも、それに、元幕僚長のTさんも、前述の高校の同窓生。困ったんです
 原子力の本を少し読みました。驚きました。安全・安心は、ウソでした。核燃料の最終処理方法もないまま稼働運転されていました。綺麗な言葉ではなりませんが、「トイレのないマンション」と揶揄されています。いろいろな費用も少なく見積もられ、安い電力もウソでした。日本は本当にどうなるのでしょうか。困ったもんです。
 合氣道に関しない話題で申し訳ございません。

付記
 昨日は、第十五回関西地区合氣道合同研鑽会が盛大に開催されました。
道主 植芝守央先生の技はいうに及ばす、そのお人柄、人となりを、道友の皆様に知って頂きたく、会を立ち上げました。道主 植芝守央先生を拝見したら、運良く投げた頂けたら、合氣道を稽古していた本当に良かったと、実感して頂きたく、の思いです。表紙の道主 植芝守央先生のお写真は、戸倉さんのご提供です。これで、第五回、第十回、第十五回と参加して頂いた方には、「吾勝」「正勝」「勝速日」(本来の言葉としては、正勝吾勝勝速日となります)が、揃ったことになります。合氣道的な意味を調べてみるのもよろしいかと思っています。第二十回は、「即宇宙」にしましょうかとの、道主 植芝守央先生のお言葉がありました。今から、楽しみにしています。 
 福山雅治の雑誌に、「プレーヤーとアレンジャーは、合氣道のようなもの」の発言がありました。意味するところは不明です。
 また、昨日、ひびきへ行く途中、たまたまFM放送を聴きました。すると、女流書道家が、合氣道によって人生の転機がうまくいき、云々と言ってました。紫舟という人でした。

 

平成二十三年六月 

「四段受審にあたって」
四段 太田 吉彦
 今年が始まるにあたり、今年の目標にあげたのが「四段を受審する」ということだった。合気会のホームページを開いて受審資格を調べ、家の前で杖の素振りを始め、基礎体力をつけるため職場の機械で筋トレを始めた。それが正しいかどうかはわからないけれども、四段なら多少の事は跳ね返せるようで無ければならないと勝手に思っていたからだ。とある師範に「太田君、それ以上痩せんでいいから、後は筋肉をつけたらええで」と言われたのを真に受けたのかもしれない。
 私は初段から弐段に昇段するのに7年、そして参段に昇段するのにさらに7年かかっている。私はかつて初段で黒帯を取った後、その先にある弐段・そして参段にあまり意味を見いだせずにいたのである。参段審査の時はすでに結婚し子供もいて、子供に自分が頑張っている姿を見せるというのが目標だった。その時でさえ、師範に受審を促されて受けた覚えがある。
 しかし、参段を受審してみて、「ああ、これではいかんな」と思うようになった。今回は、師範に促される前に、自分で目標を決めて自分で四段をつかみ取りたかった。いや、四段を取りたかった、というよりその先に進んでみたかったのだ。
 参段になってからというもの、皆の前で技をする機会が増えた。息子と一緒に日曜日の岡会堂の稽古に出られるようになって、子供と一緒に稽古をする機会が増えた。学生とあれこれ部活動の事について話をする機会が増えたそして中里さんと稽古をするようになって、自分の身体の動きをより深く考えるようになった。
 職場では、管理職になり部下ができた。部下を守り育てる義務ができた。人前に率先して立つ事が苦手だったはずなのに、いつの間にか色々な人間の相談に乗り、先頭に立って実際に業務を回していく立場になった。
 いろんな事が血肉となって今の自分があると思う。昔は関わる事の苦手だった人の「輪」の中で自分が育てられている気がする。いくら避けようとしても何やらそちらの方から向かってくるようである。
 成長には必ずストレスやプレッシャーがつきものだと考えている。いや、ストレスやプレッシャーがあるからこそ成長があるのだろう。昔の自分はそれにつぶされる事が多かった。「輪」を受け入れる事が出来るようになったのは、昔より自分が強くなったからかもしれない。
 心の「和」と人の「輪」と、それを与えてくれる合氣道に感謝。 

 「   」
三級 Y.D
 合氣道をやっていると、否が応にも身体との対話をさせられます。膝が痛いとか腰が痛いとか、太ももが筋肉痛だとか。あるいは、腰が引けているとか手首が緊張しているとか、背中が丸まっているとか。腰を切れと言われても切れませんし、自分では姿勢がよいつもりでも悪いと言われるから、なぜだろうと考える。そうやって一つ一つ積み重ねていくうちに、今まで知らなかった筋肉の動きや、身体の感覚に気付くようになる。それで、自分と対話しているだけならすごく楽なんですが、合気道の素晴らしくてかつ嫌な所は、常に相手とも対話しなければならないことです。稽古をしてみるとやはり出来ていないと気付くから、決して安易な道に逃れることが出来ない。それが悔しくもあり、非常に楽しくもあります。そしてそれは、第一に本当のことを教えてくれるみなさんのおかげです。大学の内に少なくとも、自分の姿勢と、よい稽古仲間や指導者を見極める目ぐらいは身につけられたらと思います。

 「   」
三級 R
 私は合気道を始めた理由の一つは憧れた袴だからですが、なかなか他にやりたいことで時間もなく、大学の勉強も、商社でのアルバイトも、社会貢献も、部活全部両立するのは難しいですので、他の人比べると、稽古する時間は少ないかもしれません。なので、制限される稽古の時間をきちんと使わないといけないと感じます。
 また合気道を通して日本の武道を知り、精神的体力的に成長させていただけているのを感謝します。
 今まで勉強になったことを部活の中だけではなく、生活の面でも活かしていきたいと思います。後悔のないように、頑張れるだけ頑張りたいと思います。

 「   」
三級 N.S
 僕が大学に入って合気道を始めて早くも一年が過ぎました。一年生の時とは違い、平日稽古や和氣会に参加するようになり、稽古量が増え、合気道に対するモチベーションが益々高くなり、意欲に満ち溢れています。
 また、今まではただ教えていただくのみの立場でありましたが、新入生が入って来ることで、教える立場に回る機会も出て来ました。その中で、自分自身の技への理解や基本動作が、どれ程大切であるかということを再認識しました。さらに、新入生を見ていると初心に戻った気持ちで稽古をすることが出来ています。
 前回の審査では力強さに欠け、元気の良い演武をすることが出来ていませんでした。それ以降、普段の稽古の中で如何に形だけの技をするのではなく、技を決める意思を持って行うかに念頭をおいて、稽古に励んで参りました。今回の審査では、その成果を百パーセント発揮できるように一生懸命頑張りたいと思います。

 「   」
 三級 M.R
 前回の4級の昇級審査では、元気よく動くことが出来たのですが、次々と技をやろうとしすぎて、焦りすぎて細かい所がおろそかになってしまいました。今回は細かい点について注意を払いつつ、勿論大きな動きで若者らしく元気よく技が出来たらと思います。大学に入って合気道を始めてから1年が過ぎました。 新入生が入って来て、彼らに教えていて自分もこんな感じだったなと懐かしく思います。同時に、技を上手く教えられなかったり、自分の曖昧な所を自覚したりと、今まで以上に努力をして上手くなろうと強く感じています。
 一見して単純そうに見える技に限って、相手を崩したり捌いたりするのが難しいので、色々と研究していきたいです。
 座技の正面打ちの一教から四教は、いずれも自分の中心で技をかけるというのが自分の課題です。立技の突きの小手返しや両手取りの四方投げでも同様に中心からずれない事を意識していきたいです。
 最後になりますが、審査でどうしても緊張してしまうと思いますが、後悔しない様に動いていこうと思います。

 

 「   」
四級 N.S
 わたしは今回の昇級審査で、合格すれば4級になります。
ハ審査が決まった時、「これで4級や!!やるぞ!!」という気持ちで燃えていました。しかし、同時に、「みんなは3級なのに...わたしはまだみんなの後ろを追いかけているんだなぁ」と焦りもしました。「3級と4級の差って4級と5級よりも大きいな」と考え、ついつい周りと自分を比べがちになっていました。
 しかし今回の昇級審査を目前に控え、もう少し自分は謙虚になるべきだと思いました。どんな人でも最初は無級からスタートするのに、結果ばかり求めて気持ちが浮足立ってしまえば、結果は何もついてこなくなります。自分の目標は周りに追いつくことではなく、自分の熱しやすく冷めやすい軟弱な性格に喝を入れることと、憧れの袴姿になることだったはずです。そのために自分は自分が出来る限り最大限の努力をしているのか?、努力していて周りが3級で自分が4級なのを歯痒いと思うのか? 正直自分にはそうだと言える自信がありません。
ハもう少し謙虚になり、4級では5級を受けた時のわたしとは違う自分を表現したいです。一歩一歩着実に成長するためにも、この昇級審査を大切に自分にできることをちゃんとしていきたいです。

 

 「きん張したしん査」
子供の部準九級 Y.A
 今回のしん査は二回目だったけど、場所が広い「ひびき」だったり、人が多かったりで、初めてのしん査よりきん張しました。
 初めてのしん査よりはうまくなっていると思うけど、「練習の時の方が、のびのびやってて上手に見えたよ。」と母に言われました。私も確かにそうだったかもと思いました。
 自分で一番いけないと思ったところは、元気よく前を向いてできなかったところです。これからは元気よく前を向くように気をつけて、次のしん査にはできるようになりたいです。
 

 「二回目のしん査」
 子供の部準九級 Y.K
 わたしはしん査を受けてみて、前受け身は初めてのしん査の時よりは出来たと思うけど、後ろ受け身は片方しか出来てなかったので、とてもとてもくやしかったです。でも、体の転かんとしっ行は上手と言われてうれしかったです。
 今後の練習は、注意されたことに気をつけてがんばろうと思います。
 次のしん査は上手に、そして元気に出来たらいいなぁと思います。


 

   中里さんへの追悼文
池田 憲夫
 平成二十年三月から、みなさんを暖かく厳しく、情熱をもってご導道下さった、私の師匠のお一人、合氣道大好き、稽古大好きだった中里有宏(なかざとくにひろ)さんが、今月四日、膵臓ガンのため、天国に召されました。私は、三月三十日に前日お電話を頂戴し、ご自宅にお邪魔しましたが、「今日は最悪の日だ。」と仰って、病院に向かわれました。ですので十五分も話したでしょうか。その後、電話もメールを通じなくて、どうしたものやら、また、どうしたらよいか、迷っておりました七日になり、やはり一度ご自宅を訪ねてみよう、入院中なら、病院まで、嫌がるだろうが、お見舞いに行ってみようと、意を決して、まずはご自宅に伺いました。ら、奥様がおられまして「実は、上に行きました。」と仰ったので、二階に休んでいるとばかり判断し、「じゃ」と言ったら、「二階ではなくて天国です。四日に亡くなりました。」その言葉を聞き、一瞬何を言っているのか解りませんでした。呆然としていました。神道と言うことで、ご焼香もなく、ただただ黙祷をするのみでした
 昨年、五月頃から、どうも体調が思わしくない、と何度も仰っていて、七月には、全くの膵臓ガンの初期である、今の内に手術をとお医者さんに言われましたが、手術の順番待ちで確か八月になりました、手術は。気づいたかかりつけのお医者さんは、名医で普段なら見過ごす、全然気づかないところを発見し、初期も初期であるし手術も成功したと安堵したところでした。年末になり、また、どうもおかしいとなり、診てもらったところ、転移が認められ、薬の投与が始まりました。この薬があまり効果がないので、別の薬にしたところ、今度は、副作用がきつく、難儀しておられました。
 生前の形見分けのようになってしまいましたが、頂いた書籍DVD、ビデオなどがあります。以下に記します。読みたい、覧たいというご希望の方は、お貸しいたしますので、お申し出下さい。
 ・ 多田師範(中里さんの師匠)のDVD
 ・ 規範 合気道 基本編 DVD
 ・ 小林保雄師範のDVD
 ・ 合氣道新聞のバックナンバー DVD
 ・ 「植芝盛平と合気道」と「続 植芝盛平と合気道」
 ・ 「合気道開祖 植芝盛平」
 ・ 「中村天風と植芝盛平  気の確立」
 ・ 心身統一合気道 演武大会のビデオ 二巻
 ・ 真向法(合氣体操に入っています)のビデオ

 私は、学生時代は、サイトでも紹介していますが、合氣道コース専攻のような生活をしていました。偶々、大学が上六にあり当時の本部道場
(小林師範の道場)が、天王寺公園内にあり、近いせいもあり、クラブ道場、また、寮の帰途上にある、八戸ノ里の町道場(木村先生のご指導)でも、稽古をしていました。一回性の十月頃に、疑問が出てきて、退部を考えていました。でも、半年もしないで結論を出してはいけないと思い直しました。寮で同室のまた、合氣道部に入部するきっかけを作ってくれた島田さんが、その道場に稽古に誘って呉れました。そこでは、今から思うと、熊谷さんと中里さんが24才ぐらいでしょうが、ばりばりと稽古をしている時期でした。お二人は、私にとって雲の上も上の人でした。お二人は同年齢ということもあり、良きライバル、闘争心むき出し、稽古仲間、でした。稽古中に、あちこちから血を流すことは当たり前の事で、驚くことではありませんでした。今のように擦りむいたぐらいで、泣くということは考えられません。勲章でした。私は、熊谷さんが一時、福島にいたということで、大分、一番可愛がってもらいました。その、熊谷が可愛がっているならと言うことで、中里さんも可愛がって呉れました。熊谷さんは、厳しいけれども、恐ろしくはなかったですが、中里さんは、厳しい上に、技が冷たい、氷の刃のように感じられました。人格が氷とは違います。真剣で斬られる(斬られたことはありませんが、そのような感じ)危ない感じでした。特に、私のように動作の鈍い人間にとって、動きが速くて早くて、大変でした。後で聞くと、早稲田大学の理工学部卒で、主将まで務められた人との事でした。理系は実験また実験でほとんど時間的に余裕はないはずと聞いていたので、驚きでした。集中力の違いですね。
 勤務の転勤転勤で、その後は、ご無沙汰をしておりましたが、数年前の全日本合氣道演武大会で、札幌の団体からと、稲門会(早稲田の卒業生の会)から、出場されていました。声を掛けていただき、その後の生活をお互いに数時間お話をしました。私が、入院中には、錬棒をお贈りいただき、暇だろうから、これで少しは鍛えておくように、との、命令でした。使い方も分からずに、暗中模索で、使用していました。退職され、実家の高槻市に戻られるとは、聞いていましたが、ある日、岡会堂に行くと、見たことのない人が、いて、一瞬、分かりませんでした。それが、中里さんとは。最初に皆さんに中里さんを紹介した時には、「カミソリのように切れる技をされるので、、、。」と記憶しています。本当に、三十数年前に、いや四十年ほど前にタイムスリップしたようでした。あれだけのブランクがあるのに、全然変わっていない、全身全霊で、当たっている、情熱が燃えている、なんという人だろうと、感激でした。それからは、和氣會の雰囲気が中里さんを納得させたのでしょうか、稽古に来て指導してくれるようになりました。あの理論は、理合いは、どこから生まれるのでしょうか、やはり理系の人だったからでしょうか、頭脳が違っていました。この数年、たびたび、急に稽古を休むとの連絡が入りました。体調が思わしくないと言われ、私は心の中で、俺も体調は思わしないが、そんな事は言っていられない、中里さんらしくないと、批判的でした。調子が悪くても、最悪の状況でも最高の結果を出すのが、合氣道だ。と思っていたものですから。今から思うと、その頃から、ガンが少しずつ身体をむしばんでいたのかも知れません。済みませんでした。
 神前でも、熊谷さんと申しましたが、三人、いや、小林師範と四人で一緒に稽古をしたいでしょうが、まだまだ、呼ばないで下さい。もう少し、ウン十年お待ち下さい。その際には、是非とも翁先生をご紹介下さい。お願いします。ところで、そちらの、畳は、痛くないですか。関節技は、どんな感じですか。技は、全て呼吸投げになるのでしょうか。
 中里有宏さんのご冥福をお祈りいたします。

戸倉 光明
 初めて、お会いしたのは2002年頃の5月第四土曜日の日本武道館、正面玄関でした。池田師範からご紹介をいただだいて、名刺を取り交わした名刺が残っています。 
 一昨年の全日本合気道演武大会で、組ませていただいて演武をしました。小生が旅行をしていた為に稽古を出来ず、演武大会当日朝に口で前稽古をしてぶっつけ本番の演武大会が、印象に深く残っています。
 平成20年の9月11日にニューヨークに行く前には、中里氏がかつて6年間余にわたり駐在された経験からの親切な助言をいただいたことは、街の歩き方や細かな配慮が沢山あり、大変助けになりました。帰国したあとにも、まだ小生が無作法にも帰国の挨拶もしない内から、旅の様子と安否を気遣ったメールをいただきました。このような、気遣いは中里さんの優しさであって、さりげないように見えます。気遣いの深さは、理解されにくかったかもしれません。
 今年の3月19日に小生が送ったメールに、返信メールをいただきました。小生が阪大外語部合氣道部の春合宿に参加して後、中里氏の状況を知りたくなりました。合宿の報告を兼ねて近況を連絡しましたところ、氏の状況についての返事がありました。以下にやり取りしたメールを貼付けます。
 中里さんには、いずれは彼岸に参上しました折りには、合氣道も含めてじっくりと四方山話をしたいと思っています。ご冥福をお祈りしております。   戸倉光明
ーーーー 以下は、取り交わしたメールです。ーーー
中里様                     2011/3/19 0:24

こんにちは。具合はいかがですか。 
 近況ですが、
 3月6日から13日までが、大学の春合宿が高知県須崎市の明徳義塾校をお借りして行われました。
 小生は、10日から最終まで参加しました。今回は池田師範も車を運転して11日から13日まで参加されました。
 途中 11日はあの震災で、土佐の海辺りで2.5mの津波があったりで、交通遮断が続いたことでした。
 地震関係で、中里さんのお知り合いなどで被災された方が、おられないように願っています。
 3/20日は豊中和氣會で、学生の弐段と初段の審査があります。同日夕方は、大学合氣道部OB会の総会・懇親会がありまして準備をしているところです。 
 まだ、寒暖が行き来していますので、気を引きしめたいところです。
そうそう、野村辰宏が、この三月末からマレーシアに駐在員(関西ペイント)として赴任します。
 合宿の最終日 :写真省略

 野村君の赴任祝い?の、呼吸投げ300回。:写真省略

 では、またお便りします。 戸倉光明 。
 戸倉様                   2011/3/19 10:48:26

 ご挨拶・ご連絡有難う御座います。
 また、和気藹々(雰囲気!実際は違うのかも?)の合宿写真有難う御座います。

 私の方は12月から抗がん剤投与して3ケ月経過しましたが効果なく、また、転移が確認されました。
3月からは薬を変えましたが、副作用が強く、体調が芳しくなくそのため、外出出来ない状況です。
(今月末までの第一クールが終わるまでじっと我慢です)

 今回の地震で被災した知人、親戚はいませんので、幸いではありますが、毎日、一日中「被災状況」のテレビ、ニュースを見ていますので、後手遅い対策にイライラして来ます。

 明日の昇段審査と懇親会で皆さんの門出を大いに祝って下さい。

 

 「中里さんへ」
 太田 吉彦
 ちょうど保井さんが長いお休みから復帰されて、「そういえば中里さんはまだ庭で木剣を振っていらっしゃるのだろうか」と考えながら稽古をしておりました。
 手術をしなければならないという話を聞いた時、その理由をおっしゃらなかった事からかなり深刻なのだろうと予想はしておりました。
 そして訃報を聞いた時、自分でも不思議なほどあまり驚きませんでした。涙は出ません。ただ、何か切なく淋しい何とも言えない気持ちです。
 何回か中里さんの技の受けを取らせていただきました。
一緒に演武もさせていただきました。硬い岩のようなイメージでした。それは中里さんの性格や生き方そのものだったのだろうと受け止めています。
 色々とお世話になりありがとうございました。
 御礼申し上げます。

 植田 能茂
 私が初めて中里さんとお会いしたのは、2007年11月に結核に罹患したために、3ヵ月半合気道の稽古から遠ざかっていて、体調がかなり良くなってきた2008年の3月、久しぶりに岡会堂での稽古に参加した時でした。師範は自分の恩師だと紹介されていたと思います。その日は入院して体力も落ちており、前半でかなり息が切れていたため失礼しようか
と初めは思っていたのですが、中里さんの話が聞けそうだったので、結局後半最後まで残ってしまいました。
 後ろ両手取り一教、交差取り入り身投げ、四方投げなど手の使い方や足さばきで、同じ技なのに種類がこんなに増えるのかと驚かされました。その後私が交通事故にあって、また1年3ヵ月稽古に参加できませんでした。再復帰できたのが、2010年5月、そして7月には中里さんが検査入院、その後入院手術と続きましたが、10月の研鑽会では元気なお姿を拝見することができました。岡会堂に来られた時に、「もう大丈夫なのですか」と伺うと、「これからが大変です」と返事されていました。
 その後は稽古に姿を見せられることが少なくなり、今年4月に師範から中里さんが亡くなられた由承り、驚きと信じられない思いで胸が一杯になりました。
 体の使い方やさばき方など、本当に良く研究されており、合気道ではまだまだやり残したことがたくさんあっただろうと思われ、さぞ心残りであった事と存じあげます。
 天に召された今は、天国で周りの人々に楽しく合気道を指導されていることと思います。
 心より御冥福をお祈り申し上げます。

森田 孝則
 中里さんが始めて和氣會に来られた時に、池田師範から「剃刀の様な技」とのご紹介が有りました。確かに眼が鋭く近寄りがたく怖いと言う印象でした。稽古にもかかわらず打ち込めない、池田師範もそうなのですが正に眼で切られる。これはやはり修練されて方々の成せる技なのでしょう。しかし、袴を脱がれた中里さんは気さくな優しい眼をされた方で、酒席においては娘さんやお孫さんの話を嬉しそうにお話になっていらっしゃったのが印象的です。
 病床の中里さんのお姿を拝見していない私にとっては、未だに信じられない気持ちで「来たよ」と気さくにお出でになるのではないかと稽古に行くたびに思っております。
 ご冥福を心よりお祈り致します。

 「中里さんの姿と眼差し」
野村 辰宏
 現在、海外に居る身ですが、出発するほんの数日前に、中里さんから、錬棒は持っているか、合氣道関係DVDに興味はないか、ご連絡を頂きました。これから稽古環境に制限ができる身でしたので非常にありがたく、またそういったことに気をかけて頂いていることが本当に嬉しかったです。私、錬棒はまだ持っておらず、また、私がまだ経験したことのない先生の指導DVDをお譲り下さる、ということでしたので、ぜひとも、とお答えし、御礼を兼ねてお受け取りの方法についてお電話でご相談しました。その時の声にあまりお元気がなかったので、どうされたのかな、と思いましたが、癌が転移している、ということを知ったのは、その後池田師範からメールを頂いてからでした
上記の品に対し、ちゃんと御礼をお伝えできなかったのが心残りです。
  中里さんにご指導頂くようになったのは、確か大学4年生の夏合宿が終わったすぐ後頃からだったと記憶しております。非常に動きが速く、一緒に稽古させて頂くと、休む間がありませんでした。技の捉え方は非常に論理的でしたが、私が未熟なせいか、時々どうしても理解が難しいことがありました。もっと色々教えて頂き、中里さんの理論を理解できるようになれば、また違った角度から技を捉えることができたと思いますが、努力が足りず、そのレベルに達することなく、お別れとなってしまいました。
  中里さんは、いつも全力で頭と体を動かされているような方で、稽古で何かが議論の的になったりすると、次の稽古には必ず何らかの答えを持ってこられていたのが印象的でした。また、手術が終わって数週間ほどでもう庭で木剣を振られていた、というお話を聞いた時も、同様の印象を持ちました。「全力疾走」という言葉がぴったりで、稽古中も風を切る音が聞こえてくるようでした。合氣道に対する情熱があふれ出てくるようでした。
  私がお譲り頂いた錬棒やDVDは、結果的には形見の品のようになってしまい、私がお受け取りしてよいものか、と今にして思います。特に錬棒は、中里さんのイニシャルが刻まれ、かなり鍛錬をされた跡があります。中里さんの合氣道に対する思いが感じられ、ずしりと重いです。これほど重い贈り物は初めてです。お受け取りしたからには、中里さんの思いを受け継いで稽古していくしかないと思いますし、また、それを下の世代にも伝えていかなくてはならないと思います。
 中里さんは、その若々しいお体と精神に比べれば早くに亡くなられた感がありますが、人間にとって、この世で何年生きたか、ということよりもその人の「意思」がどれだけ永く生き続けるか、ということのほうがより重要と思います。そういう意味では、中里さんは私達の中でまだまだ生きておられますし、まだまだ頑張って頂きたい、と言う思いです。
 中里さんは、手術をされた後の稽古でも、実験と称してご自分の体の状態を客観的に見つめられておられましたので、きっと「死」に対しても正面から向き合われていたのではないかと、個人的には思っています。旅立たれるその瞬間も、研究者のような眼差しでご自分を見つめておられたのではないでしょうか。「なるほど、これが死か」というふうに。
 そんな姿が、私にとっての中里さんです。また稽古を、宜しくお願い致します。 

 「中里 有宏様」
安藤 信雄
 初めてお目に掛かった時、武田惣角師が現れたかと思いました。常に技の研究をされていたお姿を、小生も追って行きたく存じます。
皆で後方入り身投げの踏ん張りあいをしていた時、「できるかな?」と仰いながら、ぱっと投げられました。その時の受けをさせて頂いた感覚、『入り身とはかくあれかし』と小生の宝物です。
 人は死んで生まれ変わるのか、天に永住の住処があるのか知り得ませんが、合氣道の修行、和氣会のご縁、この世界にて深く絡んだ糸、共に結んだ糸は、容易に解けるものでは無いと信じております。
 今後とも、天の世界、次の世界においても、引き続きご指導賜りたく、今生での感謝とともに、お願い申し上げます。
 ありがとうございました。またお会いする日まで。

T.S
 池田師範からのメールで突然の中里さんの訃報を知り,しばらく呆然としてしまいました.お元気な姿の思い出しかないので,本当に信じ難い報せでした.あの大手術を受けられた後,一ヶ月ほどで稽古に復帰され,非常に驚いたことを覚えています.職業柄,手術の内容や大変さはよくわかっています.普通の患者さんなら,あんな早期に復帰できることはまずありえません.その驚異的な回復力は,これまで合気道で心身ともに十分鍛えられてきた賜物と考えます.中里さんが和氣會の稽古に参加してくださるようになり,それまでと違った雰囲気になりました.中里さんの合気道は理論的で,初心者にとっては難しいところもありましたが,系統立てて説明して下さり,合気道も科学的なところがあるのを知りました.合気道のことが少しわかってきた今,これからもっとご指導していただきたかったのに,それが叶わなくなりとても残念です.おそらく天国でも合気道を続けられることと思いますが,是非和氣會を見守っていただきたく存じます.中里さんを失った悲しみはいまだ尽きませんが,心より御冥福をお祈り申し上げます.                                            
M.Y
 中里先生のご逝去のお話を聞き、驚きと、そしてひどく残念な気持ちでいっぱいです。
 中里先生には私が大阪大学外国語学部の合氣道部に所属する時分、多くの御指導、御鞭撻を賜りました。
 初めてお会いしたのはひびきで行われる和氣會の稽古だったように思います。当時私は白帯で、ひどくたどたどしい合氣道をしていました。身体の動かし方も、技も、全てにおいて危なっかしい私を、中里先生は熱心に指導してくださいました。大学二・三年生のときなど、昇級、昇段審査の前に中里先生に指導をお願いしたことがあります。中里先生はふむふむと頷きながら厳しく、そして熱心に御指導下さいました。その際になかなか技がかからず、自分の力無さを思い知るばかりでしたが、中里先生の御指導はたくさんの知識を私につけてくれました。
 また和歌山県熊野で開かれた国際大会では道場奉納演武の際、一緒に組ませていただきました。あのようなハレの舞台で中里先生に投げていただけたことは生涯忘れることのない思い出です。今でもあの舞台の上で中里先生に投げられる光景を思い出します。背景が緑一色に染まるなか、中里先生が私を見据えているという情景です 。あの時は受けに必死でしたが、今思うと本当に幸せな体験だったと思います。
 挙げればきりがないのですが、このように中里先生には大変お世話になりました。合氣道の技についてはもちろん、立ち居振る舞いや、その理念に到るまで、本当に多くのことを教えていただきました。
 今後、これからも稽古を継続することが頂いた恩を少しでもお返しする方法と思いますので、教えていただいたことを忘れることなく、精進して参ります。
中里先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

Y.A
 2級の審査を受けたころだったでしょうか。
「なんだかんだ言ってね。袴をはいてから、ああでもない、こうでもないって言い合うのが、合気道のおもしろいところなんですよ」
 和氣会での稽古を終え、岡会堂の片隅で着替えをしていると、中里さんからこんな声をかけていただいたことが妙に印象に残っています。
 中里さんとの稽古の楽しみといえば、惜しげもなく披露されていたウンチクの数々でした。練り棒という一見ただの木の棒が、使いようによっては、見事な鍛錬の道具に変容することも、手には「筈」という部分があることも、ヨガでいうチャクラと丹田に深い関係があることも、間合いとテリトリーの関係も…、すべてが自分にとっては未知の領域でした。
 場合によっては、短い稽古の間にそれらが一度に開陳されるので毎回、早回しで名作映画を見ているようでした。しかも、合気道の稽古のすごいところは、ただ見るだけでなく、実際に手を取らせていただきながら、実演に参加できるというところです。
 和氣会での不思議なご縁で、中里さんがお亡くなりになるのと、ちょうど前後して初段を頂くことになりました。袴をつけてはみたものの、娘に言わせると、「お父さん白帯の方がよっぽど似合ってるな」と容赦ありません。そして残念ながら、中里さんに、袴姿を見て頂くことはかないませんでした。慣れない手つきで袴をたたみながら、中里さんなら袴のつけ方一つ、たたみ方一つから、どんな話が飛び出しただろうかと、ふと思うことがあります。
 「なんだかんだ言ってね。袴をはいてから…」 
今にして思えば、あれば、中里さん流の叱咤激励だったのでしょう。永遠には続かない、普段の稽古の一回一回がどれ程貴重なものか、最後に改めて教わりました。
 本当に残念です。

O.C
中里有宏先生の突然のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
 先生の突然の悲報にただ呆然とするのみで、未だに信じることができません。先生のお姿をお写真で拝見するたびに現実に先生がいらっしゃらないことを認識せねばならず、底知れない悲しみと心に大きな穴が空いてしまったような感覚を覚えます。
 先生が和氣會にいらっしゃったのは、三年前の春先でした。私は三年に渡り、先生に熱心なご指導を頂き、幸運な日々でした。先生の剃刀のような鋭い技は今でも感覚として鮮明に覚えています。非常に正確で切れ味の良い二教や豪快な入り身投げなど、様々な技の受けを取らせて頂き、今では私の糧となっています。私の武道の基礎を作って頂き、心から感謝しております。先生の技をもう二度と受けることができないことが、悔しく悲しいです。
 また、先生とは行き帰りの電車でご一緒することが多く、多くのお話を聞かせて頂き、そこで得た考えのおかげで、私は何度も救われました。例えば、私は議論の場で緊張し、よく人に呑まれてしまうことがありそれを相談すると、先生はそれを私の呼吸の浅さが原因と見抜かれ、『呼吸が浅いから、心も焦っている。もっと呼吸をゆっくりしたらいいよ。』というお言葉を頂きました。私は、先生に言われて、初めて自分の呼吸の浅さに気付き、それが自分の精神状態と連動していることを認識することができました。先生のお言葉は今では私の宝で、その後私は何度も救われています。このように先生から頂いた数々の言葉を日常ふと思い出し、改めて先生から頂いた言葉の大切さを実感し、心から感謝しております。
 私たちは先生の技や言葉を直接は聞くことはもうできませんが、先生に投げて頂いた感覚、頂いたお言葉をよく思い出し、先生に教えて頂いた技を繰り返し稽古することで、技の中で先生と再びお会いできると信じております。
 また、先生から頂いた練り棒は私の宝の一つで、先生がそこにいらっしゃるような気持ちになります。日々よく練り直し、先生の合気道への思いを感じることができるよう精進することを忘れません。
 今まで多くのご指導を頂き、誠にありがとうございました。中里有宏先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

 「中里 先生を偲んで」
S.K
  2008年の春。
  岡会堂の玄関前にて諸先輩の方々雑談しておりますと西の方より小柄な方が近ずいて会釈されます。
 新入生、、、やろか、ちょっと雰囲気が、、、。
 申し訳ありません。この道数十年、中里先生との出会いでした。
 この後数年間、ご指導頂ました。まさに手取り、足とり、いつも笑顔でした。残念です。大変悔しいです。
 中里 先生。先生との思い出は沢山あるんです。
 初段披露の受けをされた事。小手返しの受け、真っ直ぐな足の回転に驚きました。常に力強く、そして厳しく、武道をご指導戴きました。
 今年明、カムバックされ楽しみにしておりました矢先の訃報です。
 今となっては最後となりました、豊中クラブにおける{正面打ち入り身投げ}です。あのときもいつもと変わらず力強いご指導でしたが、、。
 あまりにも早いお別れです。
 心より、ご冥福をお祈りもうしあげます。

R.S
 中里先生が合気道に対する熱意と真摯な気持ち、研鑽に励まれる姿はまだ鮮烈な印象が記憶に残っています。先生のエネルギーを受継いでこれからも鍛錬を続けていきたいと思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 ありがとうございました。
     合掌
                      池田 憲夫 記

 

「今が一番若い!」
 池田 憲夫
  久し振りの阪大外国学部合氣道部の春合宿に参加してみました。高知に着いた当日の、3月11日に、東日本大震災は起きました。ちょうど稽古中で、明徳義塾の先生方が、生徒を出来るだけ早く帰宅させるように忙しそうに電話をしていました。どうも津波が来る恐れがあるので、道路が封鎖されたらどうにもならないという話でした。詳細は全然解らない状況でした。道路が封鎖されたと言うことは、後で知りました。当日参加してくれる卒業生が、迎えに行って下さった先輩とともに車の中で立ち往生。また、参加してくれていた卒業生が、仕事の都合でどうしても戻らなくてはならないと、宿舎を発ちましたが、にっちもさっちも行かずに、結局市内泊まりとなった次第です。テレビの放送を見ると、福島も大事になっていることが判明。戸倉さんは、「原子力発電所が危ないな。」と仰いました。うかつにも、福島県出身の私は、福島に原子力発電所がそんなにあるとは、知りませんでした。綺麗な海と、山しか。今、退避勧告が出ている地域には、幼い頃に、遊びに行ったことがあります。涙が出てきます。噂では、福島よりも、静岡の浜岡原子力発電所の方が幾倍恐ろしいそうです。そこは、震源地に想定されている場所に立地し、万が一があれば、200万人の被害者が出る恐れがあるそうです。
 どちらも夢でそれも悪い夢であってほしい。と思っています
 生きている限り生きていかなければならず、将来に、これからは、今が一番若いのだから、若さを発揮して、一途に生き抜いていこうと、思わせてくれた出来事です。

 平成二十三年三月

 「有難うございました。」
参段 森田 孝則
 私が最初に合気道に出会ったのは小学生の低学年だったと思います。亡き父と時代劇を観ていた時に悪役が主役の胸ぐらを掴んだのですが、掴んだ手首を捻り悪役が動けなくなってしまいました。あれは何、『何で動けなくなるの?』父曰く、『あれは多分合気道だろう。』子供心にやってみたい本当にそう思いましたが、当時はネットがある訳ではなく何処に道場があるかも分からず、子供の頃から柔道・剣道をやっていた父からはどちらかにする様勧められ剣道になり、残念ながら次の出会いを待つこととなりました。
 次の出会いは、結婚して実家での父の法要の時でした。偶々見た豊中市の広報に合気道の道場が載っているのを家内が見つけて見学に行こうと誘われたのですが、正直な所当初は家内の方が乗り気だったようです。なぜ私がしぶしぶだったかと言いますと、学生時代絞った体は見る影もなく、剣道の胴は紐が無くても落ちない(今は落ちます)。そんな状態で激しい運動等出来るはずは無いと思い尻込みをしておりましたが、見学しているうちに子供の頃の疑問がわき上がってきて、『どうしてもあの時の疑問を知りたい』家内とその日の内に入会しました。
『よろしくお願いします。』と師範に申し上げたところ、『入会されるんですか?』と意外そうなご返事を今でも覚えております。理由は私の体型にあったこととはおもいますが・・・
 入会当初は和氣會の会員数が少なく、大阪外国語大学の現役生とOBの方が中心で後は数人の子供達と先達の白帯そして私共夫婦、私共夫婦以外全員が黒帯と言う事もしばしばで、岡会堂の入り口で足が止まってしまう事もありました。
『気が重くても、練習すれば元気になれる』あるOGの方がこの様なことを仰っていらっしゃいました。技が分からず、覚えられず、落ち込んだ時等はこの言葉を思い出し、筋肉痛と青あざに耐えながら練習を続けそれでも覚えられず、ご自分の教え方が悪いのではないかと、真剣に悩んで下さる方々もおられ益々落ち込んだものです。その様に教えて頂いた方々も社会へ出られ、それぞれにご活躍されているご様子。お会い出来なくなるのは寂しいのですが、これも門出と思いご健闘をお祈り致します。
 今では和氣會会員の大人の部では黒帯の方が多くなりましたが、新規の成人の入会者が無く少し寂しく思っております。ある会員の方が和氣會のホームページで私の紹介欄(決して自慢している訳ではありません)をご覧になり『中年からでも出来るんだ。』そう思われ入会されたそうです。そのような方が一人でも多く見学に来られる様頑張りたく思います。
今までご指導いただいた師範始め全ての方々、共に汗を流した和氣會会員の皆様にお礼を申し上げます。
 有難うございました。

 「二段審査に向けて」
弐段 T.S
 今回、二段審査を受けさせていただける事を、非常に嬉しく思っております。大学の合氣道部での幹部生活の終わりに、このような晴れ舞台を持つこと ができたことが、非常にありがたいことだと思っております。
 今年度は、私の合氣道生活にとって非常に重大な一年間でした。伝統ある合氣道部の主将になり、合氣道や、合氣道部について考える時間が生活のほと んどを占めていたと言っても過言ではありません。今までの合氣道人生の中で、最も深く全身から合氣道にのめり込んだ一年でした。と同時に、この一 年は、僕を合氣道の世界にいざなって下さった恩師H田先生の亡くなられた年でもあります。ふまじめな生徒で、何かしら理由をつけては休んでいまし たが、道場の人たちにはとても良くしていただいたものでした。小学生だった当時は、合氣道をしている友人は周りに一人もおりませんでした。もしかしたら自分がやっているのが何なのかも、よく理解していなかっ たかもしれません。しかし、私は合氣道を通して、周りの友達と違うことをする楽しさの他に、身体の上手な使い方や、礼節、自分に厳しく他人に優し くする心持ち、そして何より自信を身につけることができたと思っています。一つ一つの技は、合氣道から離れると忘れてしまいますが、合氣道を通じ て得たこれらのものは、私の人生を支えてくれた重要な基礎になっていると思います。和氣會でたくさんの子どもたちが稽古をしている姿を見ると、ど んな気持ちで稽古をしているのかがとてもわかります。自分が何をやっているのか、何が正解なのかは多
分まだわからないと思いますが、続けていけば いろいろと身に付くものがあものです。
 合氣道で得たものを大切にし、様々御教授下さる皆さまに感謝をして、今後も合氣道を続けるつもりでおります。

 

 「合氣道における当て身の重要性」
弐段 S. S
 翁先生の、「実戦における合気道は、当身が七分、投げが三分。」という言葉はよく知られている。実戦において、打撃の凝縮された力というものは、 生き残るためには何よりも重要である。実戦を経験した人たちがこういった記述をすることは納得のいくものだ。
 翁先生は合氣道を「愛の道」と呼び、憎しみや衝突ではなく愛と協調の力を信念として合氣道を発展させ、深遠な境地に達した。これは、合氣道で当て 身を使用することに一切矛盾するものではない。
 私はイングランドと日本の様々な道場で稽古をしてきて、当て身を使用する道場、当て身がとりわけ重要視されていない道場、そして一切当て身をしな い道場をも見てきた。以下に当て身の使用に関しての見解と、合気道の稽古に当て身がもたらす利点を挙げてみる。
・受けと取りが当て身を用いることにより、集中力が高まり(heightened stateof awareness)、次の行動への備えができる。
・当て身により受けと取りの正しい間合いがわかり、攻撃・防御どちらのためにも正しい角度(correct angle)が作り出される
・この正しい角度とは、取りは受けを攻撃できるが、受けは取りに攻撃できない角度である。
・受けのタイミングと正しい角度は、過度にバランスを崩すことなく、取りの攻撃にさらされすぎない、正しい当て身の稽古になる。
・取りが受けの中心を攻撃し、受けの注意をそらすことができれば、それによって受けのバランスを崩し、技をするための隙を作り出す。
・全身と四肢が武器になりうるということを前提に置くことでどこにも隙がなく、攻撃にさらされることのない、正確な間合いと角度の重要性に気づ くことができる。
・攻撃でも守備でも、両手を使うということは動きのバランスを良くし、肉体の協調とつながりを高め、適切な反応を調整する(天秤ばかりのよう に)。言うなれば、二つあることは一つよりも良いのである。
・当て身の使用を通して、取りと受けは全ての関わりあいをどのように受け与えするのかを学ぶことができ、当て身により絶えずお互いに挑み続けるこ とで合氣道の不断の改良が得られる。
・当て身の稽古は、武器稽古に必要な正しい精神(right spirit)をもたらす
・合氣道の重要な動きである入り身は、当て身の使用により成長する。
・合氣道がマーシャルアートとして認められるには、武術的な技も求められる。すなわち、当て身の実施は続けられるべきである。
・他の武術との関連に置いて、合氣道家は武術としての合気道の起源を理解し、その知識を実践することができる必要がある
・合氣道では限られた打撃を用いる。突き、正面、横面。それゆえに、合氣道家がこれらの基本的な当て身を身につけられないというという言い訳は全 くない。
・他の武術との関係や一般的な安全の点から言うと、合氣道家は稽古を通して、身体の致命的に弱い場所はどこに位置しているかを理解し、知っている 必要があると思う。
・当て身の使用は、全身の注意・覚醒を高め、一瞬にして繰り出される爆発的な力を鍛えることができる。
・当て身を用いない合氣道家は、相手ではなく技に集中しがちである。そうして、視線と関心は手に向かい、身のこなしは止まってしまい、取りと受け の間合いは狭くなる。こうなると身体は小さく閉じてしまい、周辺の視界は失われ、攻撃にさらされることになる。
・大切なことは、当て身の使用により技の流れやリズムを止めないことである。つまり、当て身は(流れを)止めることなく(動き、集中、意識を)止 めるのである。

 安定していて、冷静かつ敏捷で、開かれた心を伴った、素直な視界と集中した精神は、合氣道の稽古で用いられる全身全霊の氣を込めた当て身を促す。 そうして、以下の文章が正しいことを確信させられる。

 合氣道に当て身はない。合氣道全てが当て身なのだ。

 「   」
初段 I.Y
 この度、初段審査を受けさせていただくことになりました。合気道を始めてまる二年が経ち、長かったような、短かかったような感覚をいだいています。一年生の頃は週一回の稽古しか参加することが出来ず、技を覚えては、一週間後には忘れての繰り返しだったように思います。二年生になってから稽古時間は増えたものの、自分の実力に対してもやもやすることも少なからずありました。そして今に至るのですが、正直私自身、初段に見合った実力があるのか疑問に思うこともあります。今までの先輩方に失礼ではないのか、と思うこともありました。しかし、吹っ切れようと思います。うじうじするのはやめて、目の前の演武にすべての力を注ぎたいと思います。自分の力を出し切って、最高のものにします。初段に見合わないのであれば、見合うように、これからの稽古に励みます。この審査での演武は私の全力です。審査の程よろしくお願い致します。

 「4級試験」
四級 H.K
 稽古を、すればするほど まだ早いなぁ!早いよなぁ!思いつつ、挑戦することにしました。本当に 当日は、緊張しました。座り技一教の始めから一歩目の左の足が、残ってしまい、しまった!後は、受けの方に ついて行くのが、精一杯でした。終わった後から申し訳なく思いました。これにめげずに、諸先輩の指導の元 一つ一つ、気を付けながら、稽古に精進し三級を、目指したいと 稽古に励みたいです。

 

 「   」
子供の部 七級 K.S
 試験はきんちょうしたけど、練習どおりできました。次もまた試験を受けたいです。

 
 「   」
子供の部 九級 Y.S
 僕は、合気道の試験で、九級に合格できたので嬉しいです。次は、帯の色を変えたいです。

 「   」
 子供の部 十級 T.S
 ぼくは、はじめての審査を受けました。
ちゃんと出来るかドキドキしました。でも審査が終わって、うまく出来たと思ったのでほっとしました。

 平成二十三年一月

 「   」
 一級 I.Y
 この度、一級審査を受けさせていただけるということで、最近、稽古で感じていることを書かせていただきます。
 この頃、稽古で技が甘い、つまり抵抗される、攻撃されると言われることが多くなりました。確かに今までは、相手を崩す、技を効かすというよりは、技の形に重点をおいていたように思います。しかし、そこで留まっていってはいけないな、と最近感じるようになりました。確かにきれいな技は重要で、目指すべきことではありますが、それだけではデモンストレーションtなんら変わらないのではないか。多少形が崩れていても、初めのうちは思い切って技をかける。そのから少しずつ修正していけばいいのではないか、と思うようになりました。私はあと二ヶ月で幹部、それも主将という立場に立つことになります。まだまだ至らぬところも多々あるとひしひしと感じています。しかし、幹部には指導する際に思い切りというものが必要だと思うのです。ですので、今回の審査はこの思い切りを意識して臨みたいと思います。

 
 「   」
 四級 Y.D
 本当にここ最近の話ですが、普段から合気道について考える時間が多くなりました。毎回の稽古毎に自分は出来ないことだらけだと思うようになりました。それを成長と呼んでよいのかは分かりませんが、合氣道の楽しみ方が変わってきたように感じています。ただ同時に、ストレスも溜まります。稽古中とはいえ自分の分からない世界の言葉で話をされるとやっぱり悔しいですし、その言葉を早く理解出来るようになりたいと思います。知的好奇心と言うよりは、身体的好奇心とでも呼ぶべきものに、私は動かされているように思います。どの技も満足のいくものではありませんが、自分の出来る限りのことを表現できたらと思います。よろしくお願いします。

 「     」
 四級 N.L
 五級審査を受けさせていただき、ありがとうございました。私はこの時期勉強やらバイトやら友達やら、いろいろと忙しくなっています。
因みに、勉強にあたっても大学院に行くべきか、ずっと悩んでいます。行くとしたら平均点数が良くないと進学できないので、ハードルはますます高くなります。バイトでも世界一周の夢を叶うため、通訳やキッザニアのバイトを頑張ってお金を稼いでいます。また経営者になりたいので、今もレディース服オンラインショップを運営しています。それに、昨年からずっとやっているボランティア塾も毎週土曜日の授業のため、申し訳なく土曜稽古に遅刻させていただいています。私が担当しているディベートの授業を代わりにしてくれる人がいないのです。
 にもかかわらず、合気道を続きたい、強くなりたい、合気道部の皆さんに会いたい、という気持ちはあります。
また前学期は和氣会に参加させていただけましたが、今学期はいろいろで忙しくなったり、自分の時間もほしくなったりしますので、行けなくなりました。行きたいですが、なかなか行けなく、残念に思います。
 これから時間を調整して、できればもっと稽古に参加するようにしていきたいと思います。また、具体的な目標を立てて、頑張って行きたいのです。というわけで、今回は4級の昇級審査を受けさせていただきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
 「昇級審査への心構え」
四級 C.J
ハ 今回の4級の審査では
ハ   座り技 正面打ち 一教
   座り技 両手取り 呼吸法
   立ち技 片手取り 後方入り身投げ
   立ち技 片手取り 四方投げ
   立ち技 横面打ち 四方投げ
   立ち技 正面打ち 入り身投げ
   立ち技 肩取り 二教
ハ以上の7つの技です。これは以前の5級の時の技とほとんど変わらない技なのです。2回もほぼ同様な技を以て審査を行う理由は、いったい何なのだろうかという疑問が起こるのは自然なのかもしれません。合気道に入門してまだまだ経験が浅いということで、審査のレベルを低めに設定していることもあるのでしょうが、より重要なポイントは他にあると思います。
 以前大阪で研鑽会が開かれた日、道主が仰っていたことにその答があると思うのです。その日に道主は基本の大事さについて強く語られていたと覚えています。五級と四級の審査の技に大して差がないのは、そのためではないでしょうか。様々な技を教えることも重要ではありますけれど、ただそれに集中したら完成度の低い、型を真似ているだけの技になりかねないと思います。それよりも大事なことは、数は多少少ないかもしれないが完成度の高い技を目指すことであると思います。特に高級の技というものはほとんどが基本の応用であるため、基本を磨くことが何よりも重要なのだと思います。基本の重要性は合気道に限らず、他の物事にも、例えば外国語を学ぶにしてもどれ程やっていても、基本が なっていないと上達できないように、あると思います。
 私は以上に書いたほどに基本を磨いているつもりではありませんが、基本が大事だということを意識して昇給審査に臨みたいと思います。そして、これからの稽古においても常に基本を磨くことを念頭においてしていきたいと思います。


 「   」
 四級 N.S
 合気道を始めて早くも八ヶ月となりました。僕自身、入部した当初は体も堅く、慣れない武道に慣れるのに必死でした。そのため、この八ヶ月で自分が大きく変わったという実感が最近するようになりました。初めての寒稽古は、冬の早朝からの稽古は寒さが辛かったのですが、その分、寒さに対して、少し強くなった気がします。
 最近、合気道の技において、いかに相手が力の入らない状況に導いていくかということを念頭において、稽古に励んでいます。座技両手取りの呼吸法においても、僕は体が小さく力も弱いので、相手の力がとても強いということを想定して、手捌きを試行錯誤しながら行っています。また、いかに技をスムーズに決めることができるのかということも意識していますしかし、あまり流れを意識すると、技の一つ一つの動きが雑になってしまい、苦労しています。しかし、ここを課題に稽古に励んできましたので、審査ではその成果を見せることが出来ればと思います。

 「   」
 四級 M.R
 前回の昇級審査では、緊張してしまって自分の思うような動きが出来ませんでした。今回はどうしても緊張してしまうでしょうが、大きな動きで若者らしく元気よく出来たらと思います。昇級審査が終わってから二度演武する機会がありました。人に見せる時、綺麗にやるというのは大事だと思いますが、やはり動きが多少荒くても、もっと思いっきりやるべきだったと思います。
 演武、昇級審査、どちらにしても思いっきりの良い動きをする、それが今の自分の目標であり課題です。
 肩取二教の当て身を入れてから相手を崩す時に、崩しきれない事があるのが大きな課題だと思っています。こういった所にも、やはり綺麗にやろうと固くなっている面が感じられます。他の技でも前から先輩達から言われている様に、ダイナミックに動ければ良いなと思います。
 最後になりますが、審査で緊張している中でも思う存分動いていこうと思います。

 「   」
 五級 N.S
 他の部員は合気道経験者だったり、大学に入る前は別の武道をやっていたりする場合が結構あります。わたしの同輩が一級だったと知った時はびっくりしました。その点、わたしは、中学・高校とテニスしかやってこなかったので、この世界に関してはまったくの素人です。腕の筋で何?体勢を崩す?呼吸法って?そもそも合気道って、武道ってどんなものなの?そんな初歩的な所からのスタートなので、他の人よりも頑張らなければ、という思いで部活に参加しています。稽古中は、他の人よりも一つでも多く自分のものにしてやろうという気持ちでやらなければ上達しないと思います。今回の昇級審査は初めての経験です。そうやって練習してきた自分の実力をぶつけられるいい機会になると思います。いつも周りは有段者有級者しかおらずわたしだけが無級で、はやくみんなに追いつきたくて練習していた面もあります。今回5級を取得したなら、それは自分の中での大きな一歩になると思います。そして、見ていただく方々に自分の中で最高の演武が見せられるよう、頑張りたいと思います。

 

 

 後記 原稿を認めている時には、やはり中里さんとの想い出が頭を過ぎり、いろいろと書きました。と同時に、今まで数年間お世話になった稽古仲間にも声を掛けて、みなさんのそれぞれの想い出を書いていただきたくお願いをしました。ご多忙中にもかかわらず、投稿下さいました方々には、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。     池田

 

 平成22年5月

 「想い」
池田 憲夫
 
 先日、戸倉さんから、ある本を紹介されました。
 私は、大学入学時には、合氣道を全然知らず、寮の先輩の一言で、体験入部した人間です。当然、植芝盛平翁先生を存じ上げなく、初段も翁先生が亡くなったその年に受けました。今もそれが悔しくて悔しくて、、、。以前、佐々木将人師範に、褒め殺しですが、「池田君、君なら翁先生の受けが取れたね。」と仰っていただき、嬉しかったことを今でも覚えています。それは、二十八歳の時でした。大阪外国語大学合氣道部が、道主 植芝守央 先生(当時は、本部道場長)をお招きしての(関西地区では多分初めてだったと思います。)、創部記念研鑽会式典を「ひびき」にて、開催しました。その時が、初めてお目に掛かった時でした。お見送りのために、新大阪駅まで行き、少しお時間があったので、お話を致しました。私が、「翁先生を存じ上げている方々が、自慢げに翁先生の事を話されることが、悔しくて。」「そんなことは、気にしなくてもいいですよ。」と、慰めて下さったことが、あります。
 さて、そんな事を思い出しながら、
 「開祖の横顔」が、その本の題です。翁先生の直弟子で、今は高段者の先生方の思い出話、どのように感銘を受けたか、を記したものでした。私が、普段合氣道に感じ、思っていたことが、それほど、外れていたことではないと、自負しながら一部を抜粋いたします。どうぞお読み下さい。
 

「継続は力なり」            
六段 越前 善次

  今年一月の合氣道本部道場での鏡開き式にて池田師範のご推薦により六段昇段させていただくこととなりました。身に余る光栄と感謝しております。ご推薦いただきました池田師範には改めて感謝申し上げます
  近況ですが、山口県に移り早いもので二年半余り、最近は週末に会社の仕事が入ったりして、なかなか思うように稽古できていないのが事実です。しかし、いつでもどこでも誰とでも合氣道の稽古ができるのも事実ですし、また「継続は力なり」ということわざは合氣道修行にも当てはまります。言い換えれば生涯を通して稽古ができれば、すばらしい力となるでしょうし、またそれは可能なことだと思います。生涯という大げさなことではなくとも、やはり真面目に稽古を継続することが大切なことだと思います。稽古できる機会を大切にして、細々ながら合氣道の稽古を継続していく所存です。
  本来であれば、池田師範のお手伝いをしなければ いけないのですが、遠方ということにかこつけてお手伝いできておらず申し訳なく思っております。稽古の継続をお誓いすることでお許しいただければと思います。また豊中和氣會、大阪大学外国語学部合氣道部の皆様とは稽古させていただく機会が少なく、これも申し訳なく思っております。帰阪時や合宿等の際はご指導、稽古をよろしくお願いいたします。

 
 「空色の鳥」     
参段 安藤信雄

 子供の頃に空色のセキセイインコを飼っていた。姉が駄々をこねて、ひな鳥を買ってもらったのだ。家族がそれぞれ勝手な名前で呼んだ結果、最後はちゅんちゅんさんという誰がつけたでも無い名前となった。
家の中で放し飼いにされていたので、フンは撒き散らすは、本は齧るはの好き放題で、いつも誰かの肩にのって、ちゅくちゅく鳴いていた。
十年後にちゅんちゅんさんは死んだ。死ぬ前は随分と弱って鳥かごに篭りきりであったが、ある日、のそのそと籠から顔を出し、久しぶりに肩に飛んできた。よろけているので籠に戻そうとすると、爪でしがみついて離さない。暫くのせていたら、すっと姉の肩へ行き同じ事をした。
次は母の肩、父の肩へ移り、次の日に見たら止まり木から落ちて死んでいた。そうか。お別れの挨拶だったのか。この時、小鳥にも心があることに気付いた。

 問うて曰く『鳥(あるいは犬)に仏性有りや無きや、これ如何に?』
私の答えは『有』である。
禅問答としては落第であろうが無かろうが、これでいいのだ。

自明なこと、簡単な事でも、自分で気付かなければ学べないことがある。ましてや、難しいことは尚更であろう。
 自分の心と体を合氣する事、人と合氣する事、天地の理と合氣する事。争わざること、ひとつになること。
 書物は勿論助けてくれるが、自分の人生で転びながら学ぶしかなく、
自ら学んだ事、その七転び八起きの道程もまた、尊い道なのだと思う

 

「弐段に向けて」
弐段 M.Y

 今回周りの皆様のお陰で、弐段の審査を受けることが出来ます。本当にありがたいことだと思います。気づけば初段の審査を受けた時から一年以上経つのかと思うと、驚くばかりです。昨年三月まで、私は大阪大学外国語学部合氣道部で幹部学年として、責任ある立場で合氣道と接していました。それは周りの皆様に支えられて、苦しいながらも学ぶことの多いものとなりました。私の人生のうちの貴重な体験だったと、その経験が出来たことをありがたく思っています。さてその後、私は上回生になりました。部を正面きって引っ張る存在の幹部学年ではなく、後ろからちょいちょいアドバイスをするような、そんな立場になりました。こうなると不思議なもので、気づけば私はなんだか、合氣道をおざ なりにするようになっていました。いや、おざなりというと言葉が過ぎるかもしれませんが、それまでよりも少しだけ、身が入らなくなったのです。それは思うに、「幹部学年を全うする」という、一年中目の前にあった目標が急になくなったためだと思います。上回生になったばかりの私は、己の気づかぬうちに腑抜けのようになっていたのだと思います。
 これはいけないと思って、変わりはじめたのは夏頃でした。合氣道部の先輩である野村さんの参段審査を、夏合宿の際に拝見する機会を得ました。これは私にとってはやはり大きな契機となりました。大学一年生の時に感じたような気持ちを、再び思い出すことが出来たからです。それは「合氣道ってすごいんだ、きれいで、かっこいいんだ」という純粋な感動でした。その体験は私の「合氣道やりたい、上手くなりたい!」という欲望をかきたててくれました。それ以来、弐段を当面の目標としました。
 弐段の審査を受けるに際して、私は初段と弐段の違いはなんだろう、と何度も考えました。初段は、初めの段です。そこから新しい気持ちで一歩、足を踏み出す時期です。では、弐段はというと、やはりその次の足、二歩目なのだと思います。初段ではじまった新しい合氣道人生を、弐段の二歩目でさらに進めていく。それは三歩目への挑戦のための足場固めだと思いますし、初段から抜け出すための一歩でもあると思います。私にとって弐段の審査を受けるということは、初段の自分に甘んじないということです。正直のところ弐段で求められる実力や技量がどれほどのものか私にはわかりませんが、私は自分の向上心のために、腑抜けた自分を脱却するために、ひとつの目標として弐段の審査を受けたいと思います。弐段を目指して、目標を持った私は、自分は合氣道が好きなのだと改めて知りました。誰のためでもなく自分の喜びのために合氣道をやっていると実感出来たのです。
 最後になりましたが、これまで池田師範をはじめたくさんの先輩方、和氣會の皆様に御指導、御鞭撻いただき、一緒に稽古出来ましたことは、私の人生において本当に大切な経験となりました。卒業後は熊本に戻る予定です。この経験を胸に、郷里でも合氣道を続けていきたいと思います。これまで多大な御指導を賜り、誠にありがとうございました。今後とも宜しくお願い申し上げます。

 

 「昇段審査を受けて」
初段 T.S
 
 この度は初段の審査を受けさせていただき,誠に有難うございました。約六年前稽古を見学させてもらい、袴姿の方々の流れるように美しく、切れのある技に魅了され、入門を決意しました。子供のころよりいくつか習い事はしましたが、どれも中途半端に終わり、なにも身に付きませんでした。入門後、同じ後悔を繰り返さないようにと、今まで続けてきました。稽古に行くのがつらい日もありましたが、稽古を終えると不思議に元気が得られ、すがすがしい気持ちになれました。和氣会の和やかな雰囲気の中、池田師範をはじめ皆様の温かいご指導のおかげで続けることができました。今回の審査は,越前さんの昇段祝い、弐段、参段の審査もあり、大変貴重な場で受けさせていただきました。何時もにも増して参加者が多く、さらに緊張も増しました。事前にイメージトレーニングしていたものの、想像以上に時間が長く、途中で技が出なくなり困りました。同じ技を繰り返しても技が途切れるよりは良いと聞いていましたので、何とか動き続けましたが、最後には息切れしてしまい残念でした。審査を受けて気付かされたことは、審査は自分の努力だけで受けるのではなく、受けを取っていただくみなさんの協力のおかげで受けることができるということ、特に今回は非常に多くの方々の協力、声援を受けまして、心より感謝いたします.初段を目標にしてきましたが、弐段、参段の審査を拝見させてもらい、初段は通過点に過ぎず、まだまだこれから精進が必要であることがわかりました。今後また新たな目標に向かって稽古を続ける所存です。これからもご指導宜しくお願いいたします。

 「     」
 四級 M.K

 初めての審査と東京外国語大学合気道部との演武会の際、思ったことは、いくつもの異なる技を連続して繰り出すことの難しさについてだ。
審査や演武直前の数回の稽古では、それらを念頭に置いた稽古をする。演武のために技の名前を覚え、演武の際に自分はどの技をどの順番で出すのか考える。その代り演武本番では無意識に、何も考えずに、畳みかけるように技を出す。
 しかし、これは私のような初心者にとり容易なことではない。実際、次の技が何かをど忘れすることもあるし、技の名前を覚えていても、その名前とその内容が即座に結びつかずに、ひどく間が空くこともある。ある技を終えたときに自分が何をしたのか覚えていないこともある。普段の稽古では、技をかける上でのこつや工夫を意識し、慎重に、一つの技を反復練習する。他の技との繋がりを考慮することがない。
 とはいえ、この難しさは記憶の問題ではないような気がする。受け側の最初の動作に応じて、反射的に反応できるまで、反復練習をする。これで解決できると思う。もちろんこれにどれだけの期間がかかるのかは分からない。自分の合気道に対する姿勢にもよる。
 私にとって合気道は週に数回の運動する機会を与え、健康をもたらしてくれるものだと思っている。つまり簡単な運動ができればいいのだ。このような姿勢の私には先に書いたことを達成するのは、長い時間を要するものだと思うが、これからも自分の体の健康を優先し、決して無理をせず、気長に合気道を続けたいと思う。

 

 「   」
 四級 H.D
 前回の審査からまだ一〜二ヶ月しか経っていませんが、それだけの期間でも、僕は成長できたと思います。稽古をする機会が増えたこともあるかと思うのですが、僕は、「気持ちの変化」ではないかと思います。合気道を初めて数ヶ月のときは、まだ正直「しんどいなあ」という気持ちが強かったように思います。しかし、だんだん体の使い方もわかりかけてきて、自分の得意な技、好きな技もできて、稽古を「楽しい」と思うことが増えてきました。しかし、気持ちについてはまだまだだと思います。先日の稽古で、先輩から「攻めが足りない」とのお言葉を頂きました。僕自身では、自分から前に出られるようになってきたと思っていましたが、まだまだ気持ちが足りないなあ、と思います。体の動きだけにとらわれず、気持ちをもっと前に、これからも稽古に励んでいきたいと思います。

 

「    」
四級 I.Y

  合気道を始めて早七ヶ月半が経ちました。技も増え、基礎力も向上しましたように思います。しかし、ふと自分は本当に上達しているのか、と思う時があります。週一回の練習では、次の練習までに前回の技を忘れてしまったり、何事においても重要である「反復」すら十分に行えていないのではないかとも思います。しかし、その中で最善を尽くす、少ない練習機会を密度の濃いものにするごとが重要ではないかと思います。一回一回の練習を最善のものにする。そのことに重きを置き、夏合宿が終わってからの三ヶ月弱、実行してきました。そこで気付いたことは、練習を密度の濃いものにすることによって、以前の、極端に言えば一週間前の自分よりも進歩、上達していることを実感できるようになる、ということです。確かに「反復」が何よりも重要だということは言うまでもありませんが、このように「密度」も重要だと思うようになりました。これからも練習の密度を上げ、今日は昨日よりも、明日は今日よりも上達していると実感できるよう、練習に励んでいきたいと思うので、よろしくお願いします。

 

 平成21年12月

 「運?」

池田 憲夫
 私は、故郷(福島県)で、不幸があり、七月初旬に帰省しました。往復とも、夜行バスです。帰路、バスを見て、エンジンの音がやけにうるさくて、気にはなりましたが、仕方なく乗車しました。眠りが浅く、午前一時頃に目覚め、携帯音楽プレーヤー(いわゆるipod)で、時間を紛らわせていましたが、、内蔵バッテリーが切れ、ぼっとしていました。。これが幸いでした。二時十分頃、バスが左車線から、右に車線変更することを感じましたが、直ぐに左に戻り、「なんでやね?」と思った瞬間に、バスの左側に何かを巻き込んだか、ガリクソンの音がしました。でも、そんなに隙間があるわけではないので、バイクでも、と思ったら、以外に、その音が大きくうるさく、四輪車を巻き込んだのかな、でもそんな隙間はないはずだし、と判断。その瞬間、タイヤのバースト、右への蛇行、後続の車による追突、バスの横転、道路からの陥落が一瞬に頭を過ぎり、前の椅子をしっかりと握り、お陰で、バスの横転も陥落もなく、サイドレールによりかかり停車しました。富山県砺波市での出来事でした。ここで何かあったら笑われると、どうやって受け身をして、身を守ろうか等とも考えていました。お陰様で、かすり傷一つなく、無事でした。
 亡くなった義姉が見守ってくれたと思います。昨年、熊野本宮大社の御加護、戸倉さんから頂いた、サムハラ神社のお守りのお陰、以前、剣道の先生から頂いた、白光崇教の五井昌久先生の、白光の写真のお陰、もろもろの方々のお陰様で、と感謝しています。早速、熊野本宮へは、再度詣でてきました。
 不思議な、ありがたい、旅でした。

 
 『時』                     
壱級  O.C

 最近、時の流れが速く感じる。朝が来れば、いつの間にか夜になり、夜になれば、またすぐ朝になっている。気づいたら、一週間が経ち、一か月が経ち、一年が経っている。あっという間に時間が過ぎてしまう。光陰矢の如しである
 昔は、今日学校で教わったこと、クラブで学んだことなど、一日で成長したことを明確にし、一日の意味を明確にすることができる。しかし、今は、例えば私の場合、一日実験という作業をしただけで、それ以上に何もないのである。昔に比べて、成長するための刺激を受ける機会が少ない。しかし、それは自分が一瞬一瞬を大切にしていない結果だと最近思う。
 武道は、一瞬を非常に大切にしている。たった数ミリ秒の間に、命のやり取りをするのである。ほんの一瞬に自分の人生がかかっている。だから、武道ではたった十分の稽古でも真剣に頑張れば、多くの刺激を受け、考え、成長できるのだと思う。
 その考えは日常生活にもつながってくる。それは、平凡な日常でも、ただ単なる作業においても、一瞬をもっと大切にし、感覚を研ぎ澄まして生きれば、平凡な毎日にも多くの発見ができるはずである。そのためには、日頃から心を鍛え、集中力を養っていくことが必要なのだと思う。日常こそが稽古なのだ。『時』は有限である。一瞬を大切にして、充実した人生を過ごせるよう頑張ろうと思う。
 ※ 壱級の時の原稿を掲載することを忘れておりました。申し訳ないことです。お詫びいたします。

  『鬼』
初段 O.C

 鬼という言葉は、通常、冷酷で無慈悲な人といったマイナスの意味で使われます。しかし、ある一つのことに精魂を傾ける人という意味も存在します。仕事や研究、部活動を真剣に取り組んでいる人は、恐ろしく鋭い『鬼』のような気迫を感じます。
 今回の初段審査の目標の一つは、『鬼』のような気迫で技を出すことでした。極力時間を作って、稽古に励み、審査に備えましたが、いざ本番となると、緊張のためか力が入りすぎて、非常に動きが硬くなってしまいました。 しかし、気持ちだけは前に進むという思いで、一生懸命にやりました。うまくやろうとは思わず、力んでも力いっぱいに、強引にやりましたが、今はそれが精一杯のことで、これもまた成長の一つの過程だと考えています。力一杯に頑張り、その先に力を抜けた柔らかい動きが存在するのだと信じています。速く、柔らかい美しい技を目指してこれからも頑張ります。
 人生においても『鬼』のように真剣に取り組み、厳しい試練を乗り越えたその先に『仏』のような優しい心を得ることができるのだと信じています。
 最後になりますが、初段審査を受けることができるのは、多くの方々と稽古し、丁寧にご指導して頂いたお陰です。常日頃より熱心なご指導をして頂きました池田師範には、深く御礼申し上げます。また、いつも楽しく一緒に稽古をさせて頂いております和氣會の皆様には、心から感謝しております。旧大阪外国語大学合氣道部の先輩方、現役の皆様には、いつも丁寧にご指導して頂きました。本当にありがとうございました。皆様のお力添えがあったからこそ、これまで楽しく厳しく稽古を続けることができたのだと思います。今後とも、より一層の成長を目指して合氣道の稽古に励んでいきますので、どうぞご指導よろしくお願い致します。

 
 「   」 
壱級 T.S

 一級の昇級審査を受けさせていただくことになりました。
前回の二級審査から実に8カ月ぶり。8カ月も準備期間があったわけですから、前回よりもさらに成長した姿を披露しなければならないと自ら目標を定めています。そもそも、休みがちで続けていたとは言え小中学校時代も合わせると、僕は今年で自分の合気道歴の長さが11年目に入るのです。そういう意味で、同じ一級でも他の人よりも価値のある一級でありたいと僕は思っています。
 大阪大学外国語学部合気道部の先輩は、すごく美しく、力強く、巧みな合気道をされています。大学から合気道を始められた方がほとんどだというのに、「かなわないなぁ」と思う人がたくさんおられるのです。そんな先輩方を目標にして、最終的にはその先輩方から「あいつにはかなわないなぁ」と思われるように、頑張っていこうと思います。
 目の前の問題を自分から見つけてひとつずつ解決していき、成長し続けられるように意識していきたいと思います。とりあえず、目の前の昇級審査。「まだ一級だから」と甘えることのないよう目標を高く持って、頑張っていきます。

 「つづき」
 初段 T.S

 今回の審査は、一級への昇級審査の予定でした。ですが、予定はあくまでも予定なんだなと、今日思い知らされました。一級の審査を終了したところで、間髪を入れず初段の審査まで受けさせていただくことになったのです。まったくのサプライズでした。でも、「ここで取り乱してはダサい。ここでどっしり構えておかないといけない」と思い、審査中は頑張って自信を持っているように振舞ったつもりです。体力的にもすごく不安でいっぱいでしたが、それを悟られないように、またどれだけ疲れても自分をだまそうと思って、がむしゃらに元気を出していくように心掛けました。ただ、技の説明のところで的確な単語が出てこなかったことや、時間配分を間違えて限られた取り方しかできなかったことなど、最終的に普段の勉強・稽古不足を露呈する結果となってしまいました。
 そもそも、僕は今回の一級審査に、「他の人よりも価値のある一級になる」という目標を掲げていました。前回の二級審査から8カ月も準備期間があったわけですから。また、僕は休み休み続けていた小中学校時代も含めると、今年で合気道歴が11年目に入ります。だから、他の一級の人よりも美しく、力強く、巧みな合気道をできるようになりたいと思っていました。
 そこに来て今回の初段審査です。本当に想像もしていなかったので、頭の上にタライが落ちてきたような衝撃を受けましたが、同時にとてもうれしかったです。自分は一級の肩書に甘えることなく、より上のレベルを目指せていたのかなと思いました。まだ合格になるかどうかわかりませんが、今回のサプライズ昇段審査では、少なくとも自分の普段の稽古を評価していただけたように思われ、それがとてもうれしかったです。
 まだまだ狐につままれた気分ですが、今回の審査の結果がどちらに転ぼうとも、今後はそのレベル以上の合気道を目指して心身ともに勉強していきたいと強く胸に誓いました。

『禊がれの業』
参級 Y.A

 体力不足でふらふらになっていても、腕が真っ赤に腫れ上がっても、都合で2部に参加できなくとも、和氣会での稽古を終えると、不思議と心と体がすっきりして、稽古の前とは違うことが分かります。普段は、仕事と暮らしも、建前と本音も、心と体も、バラバラになることが多く、なにかをやり終えたとしても、稽古のあとのような充実した気持ちになることは、多くありません。合気道は、禊ぎの業だと言われます。手元の辞書によると、禊ぎとは《罪やけがれを払うために身を清めること》とありました。三十路も半ばを越え、けがれているか、いないかと問われれば、間違いなく、けがれてしまっています。身体の灰汁もたまりにたまっています。それが、稽古後のわずかな時間とはいえ、どうしてこうもすっきりするのでしょうか。審査を機会に少し自らを振り返ってみますと、どうも今はまだ、稽古で禊いでいる、というより、禊がれているという感覚の方が近いのです。掃除機のように、相手をしていただいた皆さんに、自分のけがれや灰汁を吸い取ってもらっているとイメージすると、しっくりときます。(なんだかどうも申し訳ありません)。これこそ、自分ではなかなかつかめない「引力」のなせる業なのでしょうか。合気道では、「道場は実験の場で、日常生活こそ本当の舞台」とも言われるそうです。禊がれるだけでなく、禊ぎへ。道場のなかだけでなく、その外でも通用するしっかりとした業を養成するべく、これからも皆様のお世話になりながら、稽古を重ねていきたいと思っております

 「 感想」
 五級 H.K

 池田師範 諸先輩 外国学部の学生さん ご指導ありがとうございます! 前主将の宮崎さん 昨年は、本当にお世話になりました。人前で演武をするのは、奉納演武合同演武 審査の演武と三回目に、なります、「あっという間に 終わった。」 と言うのが、正直な感想です。その後 審査のときは、色々と 足の運び 小手投げの決め手など 反省ばかりでした。 奉納 合同演武の時は、何が何だか よくわからず 終わって ホット!しました。人前での演武は、僕にとっては 大切な 財産です。奉納演武は、久しぶりに神聖な気持ちになりすごく心が、癒されました。合気道始めて心から感謝してます。豊中和気會の皆様今後機会が ありましたら 一緒に参加しましょうね!
 廣光主将へ 僕が初段を目指すように考えたのは、H主将が岡会館で 初めて黒帯絞めた時の姿が自信に充ち溢れて大きくみえたからですよ、こんなオジサンが!ああなりたい本気に思いました。池田師範 和気會の皆様 外国学部の皆様 今後とも ご指導ご鞭撻 よろしくお願いします。                

 「   」 
 子供の部 十級 A.K

 審査は、とても緊張してたけど、膝行と体の転換がじょうずに出来て良かったです。それと(狩野)鈴菜ちゃんと同じ黄色の帯になって嬉しかったです。
今度は、もっと元気よくやりたいです。
 

 
平成二十一年九月
 
 「とかく世の中は、」
 池田 憲夫

 先日、車の中で、「秀吉の枷」という本のことを聴き、無性に読みたくなり、早速図書館から借りて読んでみました。既に読んだ方もおられるかとは思いますが、普段私どもが歴史の教科書、書籍等で知っている秀吉の姿、人格、考え方を、別の面から分析し、現した物でした。出自が出自なので、あのような業績が上げられたとか、信長に対しての感情がだんだんとわき上がってきたとか。極まれりは、本能寺の変は、云々とか。驚きました。
 佐々木師範のお師匠さんの、山蔭神道の山蔭師は、世の中を、またまた別な面から押さえておられて、現象面でなくて、その裏側にある、あるものの存在を説明してくれています。それが本当に正しいのか、どうかは、知るよしもないですが、あり得ることと最近は、思うようになりました。その方が納得できそうです。
 副島某さんの説も、同じような物でした。納得納得です。明治維新の原動力のなった人々の事、本能寺の変の事、どうぞお時間がある方は、、、。
 更に、驚いたことは、今をときめく「はんにゃ」のコントに、「本能寺の変」があり、そこに、前述の私が最近知ったことが話されていたことでした。世の中では、それは、既に流布されていたことだったのですね。

 

 「昇段審査を終えて」
         参段 N.T
  
 和氣會の皆様、お元気ですか。
 関東に来てから、1年半になりました。
 合氣道の稽古は、7年目です。
 先日、大阪大学外国語学部体育会合氣道部の夏合宿にて、昇段審査を受審させて頂き、お陰さまで参段の允可を頂きました。学生時代に、皆様と一緒に稽古させていただいたお陰だと思います。大変有難く思っております。
 
 参段の審査の中では、必ず「合氣道とは何か」という問いかけのあることを、先輩方の審査を拝見、見学した時に覚えていたので、審査の前にある程度頭の中で整理していました。これは、一般的なものとしてこのようなものだ、ということでもあり、同時に、自分にとってはこういうのものだ、ということでもあると思います。これは、何のために合氣道の稽古をするのか、ということと同じようなことです。意外と、「自分にとって〜」ということのほうが難しいような気がします。好きになった女の子の、好きな理由を答えるのが難しいように…そういうことがあまりすらすら言えるようだと、逆にうそっぽく聞こえますね。
 全く未経験の人が合氣道を始める時、始める前から、自分が合氣道を選んだ理由はこれこれこうだ、とすらすら言える人というのは、意外とさっさと辞めてしまうケースが多い、と聞いたことがあります。そういう人は、始める前から合氣道のイメージを勝手に作り上げてしまって、現実とのギャップに我慢がならないのかも知れません(現実が悪い、ということではなく、あくまで勝手なイメージとの隔たり、と言う意味です)。
 私にとって、合氣道は全然知らないものとして始まったので、そういうものとは無縁でした。最初は自分の知らないことが入ってくることが単純に嬉しかったです。今思うと、新しい外国語を習い始めた時の感じと似ていました。あるいは、新しい楽器とか。
 自分が合氣道を始めた理由を訊かれれば、一応は答えますが、いつも答えが違うようです。要するに、正直な話が、色々な理由は全て後づけであって、全部本当のような、全部違うような気がします。
 ですから、「あなたにとって合氣道とは何ですか?」と訊かれた時も似たようなもので、答えればやはり色々な答えになります。ズバリと、簡潔に、自分でもしっくりくるような答えが言えればいいのですが、模索しながらの稽古です。
  話はかわって、審査の時、特に三人掛けの時は、青春を満喫しました。卒業してからもこんな気持ちになれることに、素直に感動です。直前に、1回生と2回生が何百回も投げられているのを見ているのでますます…!
 緊張、集中、燃焼、無心。
 終わった後は、少しの虚脱感があります。集中が強ければ強いほど、こんな時に涙が出るのかもしれません。さすがに泣いてはいないですが、それに近い気持ちを味わいました。このような気持ちになれたのも、受けを取って下さった、大阪大学外国語学部合氣道部の皆様のお陰です。有難うございました。
  これから、四段になれるようにまた稽古を継続致します。時折、大阪に参ると思いますので、その時はどうかよろしくお願い致します。
 皆様、これからもお元気でがんばりましょう。

「呼吸力」
  壱級 T.S

 初めてその言葉を聞いたとき、呼吸の力?肺活量?呼吸をしながら力を入れること?どんな力なのか良くわかりませんでした。入門書には「体の構造の理にかなった動きと意識(気)が一致することにより生み出される心身一致の力」、「意識しなくても普段の生活の中で発揮している自分の持っている自然の力」、「手刀、足、腰などの動きがひとつになって発揮される力」等説明されていますが、いまだ理解できていません。無意識に呼吸をするように、無意識ではあるが気持ちの入った小手先で無い体全身から出す力と考えればいいのでしょうか。呼吸法はその呼吸力を養成する鍛錬法とされています。確かに有段者の方と座り技呼吸法をすると力(呼吸力?)の差を感じてしまいます。まだまだ鍛錬が足りないようです。

ハ※ 表紙の写真は、高塚さんが、田辺へ所用で行ったときに、撮って下さったものです。ありがとうございます。

 「そこに立ち続ける勇気」
弐級 Y.A

 ファンか、といえば、正直なところ、そんなに熱烈なファンでもなかったのですが、先日、大リーグのイチロー選手のドキュメンタリーをテレビで見て、思わず考えさせられました。
 打率より、安打数にこだわることで知られるイチロー選手は、その理由についてこう語ったのです。
 「ヒットは打てば減らないじゃないですか。打率は打たなければ減る。だから、打率にこだわれば、打席に立ちたくない時が必ず出てくる。しかし、ヒットを打つためだと思えば、打席に立つ気持ちになる」
 イチロー選手は、どんなに苦手な投手を前にしても、怪我やスランプでいくら苦しんでいても、打席に立って、立ち向かい続ける勇気のことを言ったのだと思います。
 蛇に睨まれた蛙のような状態に陥ったとき、目をつぶってでもそこをなお攻めていく勇気を出せるかどうか。格好悪くても、ボロボロにやられても前へ。そこからしか何も生まれてこない。それは、合気道にも通じる心持ちではないでしょうか。
 ちなみに、イチロー選手によると、「こうやっておけば大丈夫というものが常に動いている。それがバッティング」。なんだそうです。深い言葉です。

 「神聖な場」 
五級 T.M

 池田師範をはじめ、諸先輩方のご指導のもと合氣道を始めて四年の歳月が流れました。年月だけは流れましたが、月に2回の「岡会堂」での稽古、それも、第一部だけしか参加していないこともあって、昇級審査を受けることは全く考えておりませんでした。「凛」とした空気が流れる神聖な道場という場に身を置き、ただ、ただ、相手と氣を合わせ、お互いを精神的、肉体的に高めていくことに集中する、それだけで満足しておりました。
 とはいうものの、昇級、昇段審査での、取りと受けが織り成す調和的な身体の動きを目の当たりにすると、果たして、現状に満足していて良いのか疑問に感じ始めておりました。その心の動きを察せられたのか、ikk池田師範から9月の初めに五級昇級審査の受審を勧めるメールをいただき、この度、受審させていただくことにしました。
 初めて受審した今回の昇級審査では,名前を呼ばれてから審査が終了し席に戻り正座するまで,明確な記憶がありません。無意識に身体が動くという境地に達しているはずがなく、あまりの緊張感に記憶が飛んでしまったというのが正直なところだと思います。ただ、徐々にですが、目線が後になってしまった、手の返しが弱かった、残心がきっちりととれなかった、など、反省すべき点が思い出されてきました。
 しかし、昇級審査を受けることを決めてからの緊張感は、何とも新鮮で心躍るものでした。今後も、ある種の緊張感をともなって皆さんと稽古に励む所存です。ご指導、よろしくお願いいたします。

 「審査を受けて」
     五級 M.H

 私が合気道と出会ってから、早くも一年が経ちました。昇級審査を受けてみようか、と思いながらも合格できる自信がなく、先延ばしにしていました。すると、ある日の稽古の際に「自分の今の実力を知るという意味で、審査を受けた方がいい」というお言葉をかけて頂き、五級の審査を受ける決意ができました。
 審査は今までも何度か見学してきましたが、いざ自分が受けるとなると、わからないことがたくさんありました。しかし、稽古時間中に限らず審査のアドバイスをして頂き、当日は緊張しながらも何とか自分の今の力を出し切れたと思います。
 私にとって、稽古中のお互いを高めあおうという雰囲気は、とてもいい刺激になっています。これからもご指導よろしくお願いいたします。

 「   」
五級 I.Y

 合気道を始めて早半年が経ち、この度五級審査を受けることとなりました。半年前にはまだ合気道というものの全体像が見えていませんでしたが、最近になって少しずつではありますが、何か見えてきたと感じています。
 普段の練習や強化練習期間、夏合宿を通して、合気道には「礼」と「和」を感じることが多いと気付きました。掃除や挨拶はもちろんのこと、今まではあまり考えていなかった普段の行動にも「礼儀」が必要であると知り、とても勉強になりました。また、合気道の技における、相手の力に抗うのではなく、調和し、逆に利用するという「和」の考えは、技だけでなく、よりよい、豊かな人間関係の形成にもつながるのではないかと感じました。もちろん、まだまだ初心者なので、合気道については分からないことも多々ありますが、日々努力を重ね、これからも一層精進していきたいという気持ちと共に、昇級審査では今自分が持っている力を十分に発揮したいと思います。

 「   」
五級 H.D

 僕は合気道を初めてから、以前よりも「自分の体がどう動いているのか」ということに意識が向くようになりました。自分の体が今どうなっていているのか、どう動けばより効果的に技がかけられるのか、ということを考えて稽古に臨んでいます。今は稽古の時にしか意識できていませんが、これからはこれを日常生活でもできるようにし、常に自分の体の動きを把握できるようにしていきたいです。
 合気道をやっていて僕が思うのは、合気道では、稽古中は相手との呼吸を合わせなくてはいけないし、稽古をやっていない時でも、常に礼儀を忘れないようにするのが大事であるということです。特に、礼儀作法は、他の武道と比べても大事にされていて、合気道は、相手との平和な関係を重んずる武道であるのだと僕は思っています。
これから合気道をやって、技だけを覚えるのではなく、こういった合気道に通ずる精神も養っていきたいです。

 「   」
五級 M.K

 私は大学入学時に合気道部に入り、それから早くも半年経ちます。
合気道を始める以前は、合気道に対して胡散臭さを感じていました。というのも合気道の演武を見ていても、飽くまで演技としてしか見えなかったからです。ただ、実際に合気道を始めてみると、そのような印象は簡単に消えてしまいました。また、合気道はあまり体力を使わないと思ってもいましたが、適度に体力を使うもので、なるほど老若男女、幅広い世代に受けいれられるのも理解できました。
 大学の授業の都合上、週に一回しか参加できない稽古を毎週参加することで、少しずつですが上達していきました。また、合気道の精神的な面、特に相手を尊重することや、礼儀作法を重んじる点も徐々にですが理解してきました。
 今後も学校の都合で頻繁に稽古に参加することはできないだろうけれども、毎週継続して稽古に参加し、精進したいと思います。

 

 「和氣會の稽古」
池田 憲夫
 
 和氣會では、稽古前に、十分すぎるほどの、体操をしています。これには、技のエッセンスが入っているからです。禊ぎや体操を見て、その人の習熟度が判断できます。準備体操を軽んじてる人は、技の習熟度も低いです。わざわざ審査を行わなくても、判断できます。審査だけが審査ではありません。稽古時間にいつの他の人よりも早く来て稽古に臨もうとする人々は、そうでない人に比べて、習熟も速いです。姿勢が違います。これは、合氣道だけに当てはまることではなくて、普段の生活一般に言えることと思います。私どもは、合氣道の稽古に来ていますし、柔軟体操、受け身などに、わざわざ時間を割くと言うことは出来るだけ少なくしたいのですが、まずは怪我をなくす、事故をなくす為、また、最近の子供のひ弱さを考慮すると、どうしても準備体操が必要となってきます。願わくば、ご家庭でその辺を補っていただけたらいいのですが、この忙しいご時世でありますので、仕方ないものと思います。勝敗のない、合氣道で、ひっこみじあんでは、世間に通用しないと思います。昔から謂われていますように、「技にはその人の人となりが出る、」が真実なら、「技で人となりを変える。」も可能となります。道場は、自分の体力、精神力、姿勢を鍛えるところと認めるなら、進んで積極的に、自分が苦手なこと、嫌なことを、頭ではなくて、体で表現してみよう(体現)という気持ちが大切になってきます。しんどいときほど、楽しんでみようという気持ちになると(難しいですが)、意外と乗り越えられます。

 「ご挨拶」
                    四段 K.Y
 今年の鏡開き昇段で四段を頂きました。有り難うございます。
 自己紹介を兼ねましてご挨拶をさせて頂きます。
 私は大学1年の時に合気道を始めました。今から35年前です。大学に入ったら心と身体を鍛えるために武道をやろうと決めていました。1年生の最初の頃はうまく受身が取れず、腰をしたたか打って、毎回の稽古の時、最後にやる呼吸投げ30回が恐怖でした。土曜日の稽古にはOBとして池田師範が来られていました。池田先輩のような入り身投げができるようになりたいと、稽古を続けました。そして、大学卒業間際に弐段を頂きました。
 就職は、当時天王寺に道場がありましたので、そこに近い会社に入りました。大学を卒業してからも6年間は、結構稽古しました。土曜日は大学の稽古に行き、会社へ出勤の前に、朝稽古を週に2〜3回するということもありました。そして、28歳のとき、参段を頂きました。
 それから、いろいろな事があり、合気道から離れることになりました。それでも合気道の魅力からは逃れられず、断続的に稽古していました。今、服部の武道館のひびきの前のマンションに住んでいますが、そこを購入したのが13年前です。マンション購入に当たっては、半年間いろいろ捜しましたが、結局ここになったのも、心の中の疼きがあったのかもしれません。
 そして、2006年7月から会社の合気道同好会で週一回 (1時間) の稽古をするようになりました。少ない稽古時間ではありますが、やっと継続して稽古するようになりました。会社の同好会で2年半稽古してきましたが、やはり我流ではだめだと思います。何事も師について、ちゃんと学ばないとそれ以上の成長はないと実感します。
 昨年暮れに池田師範から昇段のお話を頂き、私のような者に声をかけてくださり、勿体なく、有り難く受けさせて頂きました。 合気道の技は人格が出ると思います。
私は昔は、「暴れん坊将軍」と呼ばれましたが、今はそんな体力はありません。楽しく稽古させて頂きたいと思います。そして、少しおこがましいですが、いつか生命の輝きを外に出せる技ができますように、それを目指して稽古させて頂きます。
 どうぞご指導の程、宜しくお願い申し上げます。有り難うございました。

 「正座を通して考えたこと」
             初段 S.S
 武道としての合氣道はいろんな意味で他とは異なるようです。 例を挙げるとすれば・・・・。合氣道は武道であり、武芸や武術などとは全く違うこと。それは他を支配するというよりも、自己を制御する道であること。心は身体の全体を制御し、氣と能力(power)を表出する。決して野蛮な力(force)や筋肉の力(strength)ではないのです。静と動の動きにおいて落ち着いた精神と弾力のある体を維持し、発達させるためのものなのです。また競争ではなく、協力の精神で行うこと。筋肉の力によりもたらされる単なる速さや、力ではなく、知性と技術を鍛えること。合氣道の動きは日本の剣の独特な手法が取り入れられていること。年齢とともに衰えることなく成長することが求められること。他にもたくさんの合氣道独特なものがあります。
 特にとても重要で、独特な日本の慣習に因るものがあります。それは他の武道の伝統から部分的に取り入れられたもので、静と動の技術を表すものです。それはすなわち、正座と座り技です。私は合氣道の座技において表される静と動を継続することの重要性を感じます。
 「正座について」
 合氣道の稽古はいつも正座で始まり、正座で終わります。これはなぜでしょうか。
 その理由として、正座は謙虚さの姿勢であるということが挙げられます。私たちの足は下半身のほとんどを占め、足の長い者は足の短い者に比べて有利です。ですが人間の背骨の長さというのは概して同じくらいであり、座ったときは比較的に個人による高低の差はつきにくいものです。これは心に平静な雰囲気を創出します。また、私たちは子どもの頃そうであったように重心が低いことにも気付くでしょう。
 正座をして、私たちは手をまるで剣のように持ち上げます。この手は過去と現在の指導者たちに向けた尊敬と感謝の気持ちの象徴です。そして合掌、つまり手を合わせます。手を合わすということは二つのものが一つになることであり、それはすなわち陰陽を表します。そして背骨を通じて世界と一つになり、丹田には平静のムドラー(訳者註:ヨガなどで主に用いられる手のジェスチャー。精神的な意味の象徴、体内エネルギーの封印などの意味がある。手印。)を感じて静止します。
 私たちは常日頃エネルギーを、頭や腕などの上半身を中心に据えて生活しています。正座の姿勢はそれを逆にします。そのため重心を低くすることにより、バランスを元に戻すのに大変有効です。文字通り私たちを地に戻してくれるのです。
 体が地に根ざし、背骨が中心にあり、頭がつるされるようにまっすぐあり、肩の力を抜き、肘を落とし、呼吸を深くし、心を落ち着かせる。
 正座で私たちの心は申し分のない状態となり、精神と身体の釣り合いが取れるのです。
 「膝行と座り技について」
 正座は相対的な静の状態から膝行や座技を経て動の状態へと適用されます。正座から跪座、それから膝行や座技に移ることにより全ての足の関節とそれを囲む腱と筋肉は柔軟に、弾力を持つようになります。腰の関節は特に開きやすく出来ています。背骨の垂直な軸の周りを骨盤が自由に動くようになり、合氣道で用いられる遠心と求心の力を発達させます。
 膝は私たちの体の主たるバネです。また立技での足の梃子は膝行や座技を通してとても強く、弾力のあるものになります。膝行や座技は、立技で用いられるための潜在的なエネルギーを鍛えるためのものでもあるのです。
 丹田は主に氣の器であり、氣はそこから直接に大地に根ざし、また背骨を通して上昇し、螺旋状に腕を通り抜け、指から表出されます。
 全ては正座から始まるのです。正座により心は平静を得て、風のない日の底のない透明な湖のように落ち着くことが出来ます。そこでは全てのものがありのままに反映します。体は地に根ざし、背骨が骨盤の上でバランスを取ることを可能にします。まるで杖が大地にまっすぐ立つように、です。そうして背骨は世界から氣を取り込み、器である丹田へ送る導管のような役割を果たします。この基礎があって私たちは苦労なく動き、振る舞い、また意思のままに自由に円や螺旋の動きが出来るのです。しっかりと座り、静止しよう。それから、動き出すのです。
 「壱級審査にあたって」
    一級 H.H
 合氣道部に入ってから、早いもので2年が過ぎようとしています。入部当初から目線が下がりがちであること、姿勢が悪いことを幾度となく注意されてきました。その後、あまり注意されることのない期間がしばらく続き、最近、その反動がきたかのように指摘回数が急増しています。ありがたいと思う一方、注意されていなかった頃に自分で直さなければならなかったと反省しています。
 姿勢以外にも同じように、昔から指摘され、まだ直っていないポイントは沢山あります。当初からの指摘なだけあり、全て基本的なことです。なのに未だに出来ていない、と落ち込むこともありますが、それはそれ。
 今回一級を受けさせて頂くこととなり、自由技の項目が増え、それに対応するために四苦八苦してきましたが、あせって滅茶苦茶にならないように、基本を大切にして審査に臨みたいと思います。

 「免許」
 一級 T.S
  先日七か月がかりでやっと普通自動車の運転免許を取得した。W先輩や同期のIに先駆けて教習所に入ったはずが、気づけばあっという間に一番の劣等生となっていた。自分の怠慢に因るところが大きいのだがいやはや長い時間がかかってしまったとしみじみ感じている。その「長い積み重ね」の結果をもって先日所 用で一時帰省した際父と妹を乗せてスーパーまで私が運転したのだが、父はどこかにぶつけないかとひやひやしながら助手席に座り、妹は後ろでドアの持ち手を握りしめていたらしい。
 試験には一度も落ちることなく免許を取得したというのに全く失敬な話だと憤慨もしたが、よくよく考えてみると自分はまだ初心運転者なのだということに気がついた。当たり前だが。何が引っ掛かったのかというと、教習所では技術が十分に成熟したとして免許を得たが、一般の道路に出てみればまだ未熟な初心者 だということだ。
 この矛盾のようなそうでないような…自分にとっては奇妙な話は合気道にも通じるところがあるのではないかとふと思った。審査を受け五級、四級…と技量に応じた「免許」を取得していくが、その免許を取得してもそれは終わりではなく更にその上を目指して稽古を積んでいかなければならない。上達に限界がない 。あるとすれば合気道では道主もしくは翁先生、運転ではF1レーサーと言ったところか。
 今自分はその果てしない道を歩んでいる。今自分はいったいその道のどこにいるのだろうか。一級とは道の上のどの地点なのだろうか。その答えは出ない。出ないからこそ進んでいくしかないのだろう。ただ「運転免許を取る」より進んだ所に位置できていればと願うばかりだ。
 

 

 


  平成21年5月

  「封建ということ」 
池田 憲夫
 最近、「封建」という言葉を聞かなくなりました。私が、子供の頃(中学生・高校生の頃まで)は、当時の大人への批判の言葉の一つとして、使われていました。「封建主義」とか「封建的な」とか。
 いつから人々の頭の中になくなったのか、時代が穏やかで、平和になったから、民主主義が広まったからか、分かりませんが、、、。
 稽古事における、上下関係、師弟制度などが、軽んじられ、大事なものがだんだんとなくなってきたように感じられます。学校では、教師と生徒・学生がなかよし・お友達関係となり、それがまた推奨されている現在、若干憂えております。和氣會でも、その兆候が見受けられます。子供達は、それが当たり前と思っていますが、年上には、年上に対する礼儀、先輩には先輩に対する礼儀、同輩には同輩に対する礼儀、指導者には指導者に対する礼儀、お客様にはお客様に対する礼儀を段々と厳しくしていく所存です。たとえ、それが封建的を言われようが、、、。
 どうぞ御理解下さいますよう、お願いします。和氣會は、学校ではないことを。

 「昇段審査にあたって」
初段 T.S
  今回春合宿の打ち上げの際に昇段審査のお話を頂きました。本当に寝耳に水の話で驚くばかりでした。
 初段。黒帯。袴。どれも自分が入部した時から憧れていたものであり、とても遠い存在だと感じていました。それが知らず知らずのうちに身近に迫ってきており、そしてついには自分がその初段を受けるという立場になってきたことは今でもにわかには信じられません。自分が合氣道を始めたのが、五級の審査を受 けたことがつい昨日のことのように感じられます。
このように初段をとても感慨深く考えてしまいますが、よく言われるように初段は「初めの段」です。終わりではありません。また新しい入り口に立ったにすぎません。初段審査というのはこれまで稽古してきたことを見直し、できることを出す、いや、ぶつける場なのではないかと思います。そのことを考えると 何故かとても明るい気持ちになってくる気がします。
 これまでの審査では実現できなかった「全てをぶつける」ということをこの大一番で成し遂げる。そんな心構えで臨みたいと思います。
 

 「初段審査を前に」
初段 H.H
 春合宿の終わり、懇親会の場での宮?先輩のご発言。「来週の日曜日、和氣會にて昇段審査を受けさせて頂けることになりました。」
 その時、私はただただ嬉しかった。とにかく嬉しかった。周りの方々が私たちのことを色々と考えてくださっている、ということを強く感じ、とてもありがたかった。
 この一週間はかなりバタバタしてしまった。全ては私のミスのせいである。振り返って考えてみると、仮にも成人した人間がそんなミスを、みっともない…っというのが感想だ。お陰で審査延期のお達しをいただき、ものすごく落ち込んだ。落ち込んだなりに、いつだかのオリンピックのマラソンで、観客に体当たりされるも走り続け、三位でゴールした選手の顔を思い浮かべ、立ち止まるなと自分に言い聞かせつつ過ごした一週間だった。こんな気持ちで迎える審査は初めてである。
 あと二週間で新入生が学校にやって来る。合氣道でも、その他の事でもしっかりせねばならない。頑張ろう。

 「五級の審査を受けて 」  
  五級 S.A
 私は以前、小学1年生から5年生の初めまで友達と一緒に和氣會で合気道を習っていました。約3年半振りに、昨年の12月末からお稽古を再開しました。
 再開して初めてのお稽古は岡会堂で、とても緊張しました。小学1年生の初めてのお稽古も岡会堂で、恥ずかしくてなかなか前に出て挨拶ができなかったことを思い出しました。今回はちゃんと挨拶をしようと思いましたが、やっぱり恥ずかしかったです。久しぶりの合気体操はあまり覚えていなかったし、得意だった膝行はすっかり忘れてしまって、今でも感覚が戻りません。それでも、みなさんに丁寧に教えていただいたので、楽しくお稽古できました。でも、疲れてしまったので一部のお稽古だけで帰ってしまいました。
 火曜日の夜のお稽古では、剣のお稽古もあり、小さかったときとは違った内容だったので、わくわくしました。毎週、上手な人に教えていただくことが楽しいです。
 初めは五級の審査を受けるまで一年かかると言われていましたが、3月に受けることができて嬉しかったです。審査の技を、皆さんに教えていただき自信を持ったけれど、審査日はとても不安でした。嬉しいことに、私の審査が終わったあと二部で初段の審査を見学させていただきました。足はしびれて痛かったけれど、初めて段の審査を見たので、すごい、と思いました。私も早く初段の審査を受けられるように頑張りたいです。

 「はじめてのしんさ」
         子供の部 準九級 K.S

こんど、はじめてのしんさをうけます。
一月くらいにちひろちゃんやみうちゃんに
「三月のしんさうける?」
と聞いて、ちひろちゃんたちは、
「う〜ん。」
と言ったけれど、一人でうけるのはどきどきするので、
もういちど、つぎの週、聞いてみると
「うん。」
と言ったので、いっしょにうけることにしました。
がんばりたいと思います。

 「   」
 子供の部 準九級 K.C
 しけんどうだったかな。始めての、しけんだったからキンチョウしました。ドキドキ!だったので、止まってしました。これ、どうやるの?や、あれ、どうやったらできるの?が、続いてしまってあー、あのやつすごいななどなど続いて、もうこの、動き直さないとなーと、思いました。

 「   」
 子供の部 準九級 K.M
 今日はドキドキしました。ちゃんとできたか、心ぱいです。ごうかくしたいです。

 
 ※ スティーブさんの、論文を原語のまま、コピーしました。英語の勉強にどうぞ。


 
 


  平成20年12月


 
「演武会」
 池田 憲夫
 今年も残すところ後わずかとなりました。今年もいろいろと貴重な経験を致しました。合気会の鏡開き昇段にて、皆様のお陰で、昇段を致しました。それも、代表で道主 植芝守央 先生から、直に認定証を頂戴するという栄誉に浴しました。
 十月には、第十回合氣道国際大会での行事の一環としての「奉納演武大会」で、師範演武、並びに道場団体演武に参加出場するという、またとない機会を得、見事(?)大役を果たしました。私どものように、全日本合氣道演武大会に何度か出場しているものには、ある程度の経験があるのですが、全く他人様の前で演武を初めてする人々にはいかがだったのでしょうか。上がることはなかったのでしょうか。端で見ていたら意外とあっけらかんとした感じでしたが、、、。団体演武で、私は、捨て身技をしましたが、どうも足が滑ったように取られることもなきにしもあらずでした。左右とも行えば、解って貰えたと反省しています。それにしても、翁先生ゆかりの聖地で演武が出来る幸せを感じてきました。道主 植芝守央 先生の演武時間には、篝火が最高潮で、幽玄な、雰囲気の中、雄大で、厳かで、力強い演武に、見学者一同感嘆、固唾を呑んで、瞬きをしないぐらいの心持ちで拝見いたしました。
 十一月には、大阪府下の合氣道交流演武大会が行われました。こちらは、開催場所が地元ということもあって、出場下さった方々が多く、賑やかに、楽しく演武をして下さいました。演武相手は、私が決めましたが、技は、二人が相談して、決めてくださいました。いやはやびっくりしました。大人はいざ知らず、小学校の低学年の人々、入会してまもなくの人々もその人なりにその時に出来る最高の技を決めて披露して下さいました。ありがたいことです。私は、体調不十分につき、剣と杖を演武しました。演武前、私は、奉納演武大会よりも緊張している自分に気付きました。どうも奉納演武大会は、緊張を通り越していたみたいです。精神状態は説明できませんが、、、。
 出来るだけ、皆様にはいろいろな経験をしていただきたく思っています。行事を前もってお知らせいたしますので、どうぞお気軽に積極的に御参加を! お待ちしています。

 楽しい一年でした。

 「らせんの力」
 四級 Y.A

 どの本で読んだのか、すぐに思い出せないのがつらいのですが、「生物は、直線ではなく、らせん状に進化する」と語った有名な科学者がいたそうです。いつも最初の技として教わる呼吸法の解説を聞きながら、よくこの言葉を思い出します。
 過去とよく似た道をたどりながら、決して過去と同じではない。ネジのような「らせん力」をもってして初めて、何かを突き破って後戻りしない進化や成長を成し遂げられるのかもしれません。
 同じ事を繰り返しているようでいながら、決して前と同じでない何かを見つけること。理屈ではなく、体でそれを覚えなければ話にならない合気道の稽古の場があることは、私にとって幸せなことです。
 とはいえ、合気道に限らず、日々の暮らしのなかでは、何度も同じ失敗を繰り返し、アリ地獄から抜け出せないような気持ちに陥ることがしばしばです。マイナスに捕らわれ、焦り始めたときこそ、「らせん、らせん・・・」。わずかずつでも前へ進む「らせんの力」を信じ、次を目指してやっていきたいと思います。

 「    」
 四級 K.M
 
 年々、1年が速く過ぎている気がします。
気がつけば、息子と一緒に豊中和氣会に入会して、はや5年目となりま した。入会当初は、当時幼稚園児の娘が入会するまで、息子も私も続ける事ができているのだろうか・・・と思っていました。
今、娘も一緒に入会し、親子3人稽古を続けることが出来ていることを嬉しく思っています。
 稽古中のピンッと張った空気が好きで、背筋が伸びる感じが好きです。体力は衰え、記憶力は低下し、身体は思うよう に動かず、稽古が終われば疲れ果てていますが、それでも楽しいのです。その中で、皆さんから「元気」を分けていただいているような気がします。 
 この今を大切にし、日々、頑張って行きたいと思っています。    

 「   」
子供の部 準六級 K.T
 ぼくは、このしん査は、すっごくひさしぶりです。
前までは、ずっとしん査をしないで、ずっとふつうのけいこをしていました。
 でも、今回は、今まで練習してきた技を出し切って、
本気でやりたいです。
 あと、合格もしたいです。 

「しっぱいしたしょうだん(まま)しけん」
 子供の部 九級 K.K 
 ぼくはしけんで九きゅうを、受けました。うける前れんしゅうしました。だけどしけんで、わらってしまいました。でもほかは、よく?できたと、思います。でもすごくむずかしかったです。次は、八きゅうのてすとを、しっぱいせずにやりたいです。うかってるかは、わかりません。

 


  平成20年9月


 「合氣道」
                   池田 憲夫
 先日、知り合いの剣道七段の先生とお話をする機会がありました。その先生は、小野派一刀流の達人でもあられます。「ほっとする禅語」という愛読書から、「一鉢千家飯歩々是道場」という禅語を伺いました。なんとなく意味が解るような解らないような。早速調べてみました。

 一椀の自鉢を持ち、ただ一人諸方を托鉢行脚して食を乞い一人歩く修行者としての境涯をいうが、一軒一軒周りながら小さな恵みを受けながら、おかげを受けながら生かされていることの有り難さを味わう。
日本においては網代笠(あじろがさ)を深くかぶるのが普通であるが、それには、三輪清浄(さんりんしょうじょう)の精神が生かされているのだ。三輪清浄とは「施す人」と「施される人」
と「施しされる物」、その三者には互いに何の執着も利害関係を持たない清浄な関係と云う意味である。だから行乞にでるとき修行者は深く網代笠かぶり、顔を隠して施す人と施しを受ける人が顔を見合わせることを防いできたことである。見合わせなければ、誰からもらったとか、誰にやったとかいう利害関係は生じない、純粋な施しがなされるからである。布施は恵み施す行為であり、相手を思いやる心であり、無償の行為で、見返り
や何かの功徳を求める気持ちがあってはならない。自ら施しの行を通して、施しの喜びを味わい、また執着、物欲からの解放されていく大事な仏行である。
この「歩々是道場」(趙州録)の語は、もとは維摩経の中の維摩居士の言葉からきています。
 あるとき、一人の修行者(光厳童子)が、喧騒の城下の街中を出て、閑静な修行に適した場所を求めようとしていた時、向こうから城下に入ろうとする維摩居士に出会ったのです。
 そこで光厳童子は「どちらから来られましたか?」と訊ねましたところ「私は今、道場から来たんだよ」と言う維摩の答えです。
 「えっ、道場ですって?それは何処にあるんですか?」と光厳が問いかけた時、維摩が答えた言葉が「直心是道場(じきしんこれどうじょう)」でした。
「直心」とは素直なと言うように、真っ直ぐで正しく、我見、我執のない無雑な心のことです。 
 便ち、直心であれば、何処にいても、そこがそのまま道場なんだよと言う言葉です。
 本山大徳寺のご開山さまの大燈国師は「座禅せば四条五条の
橋の上 ゆ往き来の人を深山木(みやまき)に見て」と歌っておられます。開山さまは、修行によりお悟りを開かれましたが、しかし、さらに京の五条の橋の下で乞食の仲間に入り、悟後の修行をなされたと言う話しは有名です。今もそうですが、四条も五条も京都の繁華街、車も人も沢山の行き来があります。その街中の橋の上で座禅しても、もう境地においてはそこが深山幽谷だと言われたのです。
 このように修行は決して深山幽谷などの静閑清浄の場所だけとは限らないというのです。街中の雑路であれ、満員電車の中であっても、心が純一、無雑の直心であれば、道場ならざる
ところなしなのです。
 歩々是れ道場であり、何時でも、何処でも、何をしていようと、随処において主体性を失わず、随処に主となっておれる境地を築いていきたいものです。

 と知りました。過日、九州の菅沼師範のサイトを拝見すると、驚いたことにこの言葉を色紙として、お弟子さんにお示しになっておられました。ますます心に銘じて合氣道の稽古に励む事と致します。

 

 「次の機会は逃さず、早いうちに審査を受けよう」
 参段 戸倉 光明
 縁というものは、偶然なのか必然なのかと考えますと、何かしら必然のような気がします。今までの自分の歩いてきた途で、出会った方々や立ち入った土地は、この大宇宙の中の一つの地球という天体の表面の中の、ユーラシア大陸の東の端にある列島にある。その日本という列島の本州という島の中での、そこかしこの土地です。この土地に生かされたのが、偶然か必然か・・・。                       日本の本州の2008年の5月はどういう気候であったか忘れましたが、5月21日はまだ大阪市西区にある花王(株)に勤めていました。その日は近くの日生病院に精密検診に行った帰り道のこと、西区立売堀2丁目の大阪府警第一機動隊基地の横を通りました。その側にサムハラ神社がありました。翁先生(植芝盛平翁)が新婚時代に大阪の高津新地の付近に住まわれておられたそうです。翁先生は、アメノムラクモサムハラ竜王大神(リュウオウオオカミ)が守護神と云われて、サムハラ様を崇められておられたそうです。そのサムハラ様の神社が自分の前に突然現れてみえたような出来事でした。そのまま、正式にお参りをしました。社務所に行きお守りをいただきました。昨年は、50年ぶりに伊勢神宮に参拝しましたが、その時には猿田彦の神とサムハラ竜王大神と、天照大神の御名や大本教という名前を思い浮かべました。普段はこういう御名前を口にしませんが、その時は自分が、これらの御名前と出会ったと云う事で祖母と生長の家と共に、翁先生や合氣道という一つの繋がりの道に立たせられていると感じました。この事はその日(5月21日)に、池田師範にメールをして打ち明け話をしました。池田師範からも「(何かの偶然か)以前のお勤め先がこのサムハラ神社のお向かい辺りで有った」と聞きました。後付けの理由のようですが、偶然であっても、何か必然の縁という印象を抱きました。
 自分が、合氣道に関わったのは、大学一年(1966年)の夏休み後であったと思います。中学では生物クラブと陸上部、高校では硬式野球部に入っていました。大学でも、何かをしようと思っていました。野球部から誘いがありました。また大学の体育教授から、ボート部(そう艇)を作らないかとも大学推薦の話もありました。入学後の初夏にドイツで、日本の商社員が殺害された事件が印象的でして、日本人としては何か腕に覚えが必要という気持ちになりました。友人の山脇氏(大阪外大 合気道部5代)と「何でもいい、武道をしよう」と、物色しました。174cmで58kgの軽量・細身でしたから柔道は不利で、力も無いので無理。剣道は、道具に金がかかりすぎるので、無理。空手の練習を見に行きました。見ると肩車をした下の部員の腹をケリと正拳でなぐっている。「あのような痛い・苦しそうなのは止め」。消去法で、残りは合氣道となりました。見ると、ヒラヒラと舞うような転がるようなことでありました。「やれそう」と入部したのが、意外や意外でした。そのあとは、各位がご存知の通り、痛い、膝や脚・足、肘が擦りむけるし、キズだらけでした。見かけで、だまされた?けれど、やめようと思ったことがあったけれど、何とかかんとか、続いて来て今日になっています。よく、続いているとじぶんながら、偉いなと思うこともあります。さぼったこともありました。そんな自分が、まだ合氣道を続けているのが、不思議な感じがすることがありあます。そのときその時の周りの方々からの寛大で奥深い慈悲の手助けによって、続けさせてもらえたのです。結果としては、1967年の四月に、小林裕和師範の下で、植芝盛平翁先生から初段を允可していただきました。その後は、大阪外国語大学体育会合氣道部(OB会)和氣會の会長として関わらせていただきました。その後、池田憲夫師範の下で、38年ぶりに平成17年3月に二段の審査を受ける事ができました。そして、今年2008年9月に参段の審査を受けることができ、植芝守央道主から允可していただきました。これは、豊中和氣會の皆様をはじめ、大阪外大合氣道部和氣會、大阪大学外国語学部合氣道部の皆様には、ご支援と御指導・御鞭撻のお蔭であります。感謝いたしております。今回の審査をうけるに当たって、62の歳を迎える能力では、新しい技を覚えることが、悪く遅くなります。覚えの悪い門下生です。その時は、「審査はつくづく若い内に早くうけることが良いな」と痛感しました。老婆心ながら、申し上げます。ぜひとも、早いうちに上級を目ざして挑戦してください。そして、技と共に、合氣道の教えの中味を、しっかり勉強してみてください。一つでも上を目ざして、目標は大きくもってみたいものです。技と共に大切なことは、次のことだと考えます。偉そうなことを書き、自分も出来てないような事です。それは、以下のようなことだと思います。 
 自分を愛し、そして自分の家族を愛し、周りの人を愛しましょう。合氣道は、愛の武道です。平和の武道です。人は、それぞれの立場・役割がついています。それぞれの立場で働ける場合ならば、その役割をすることが「はたらく」ということになります。 “はたらく”ということは、「傍(はた)を楽にする」という意味です。傍のひと、つまり自分たちの側にいるひとを楽にさせる事をお互いが行うと、あなたも誰かに楽にさせていただけます。こうして、お互いに生かされているのだと思います。
 此のたびは、皆様に支えられて昇段をさせていただきました。合氣道を通してご縁が広がりました。有り難いことと感謝いたしております。今後とも、ご指導・ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。 有り難うございました。 2008年10月吉日 

 「   」
 五級 H.Y
 ぼくが、合気道を習うようになったきっかけは、お母さんに「合気道をやったてみたら」とすすめられたからでした。
 最初は、なかなかついて行くことができませんでしたが、今では、楽しいものとなりました。
 五級の試験を受ける前に、火曜日の夜に特訓をしました。池田師範ありがとうございました。試験の時、その時のことをすこし忘れそうになりましたが、何とか思い出して出来ました。試験が受かってとてうれしかったです。これからも合気道をがんばります、

 「今」
弐級 H.H
 「今」に集中するというのはとても難しいです。少なくとも私にとってはそうで、過去三回の審査を振り返るときにまず考えるのがこの点です。まず、自分の行った技に不満があるとそれが気になって仕方なくなります。これではいけない、と「今」に集中しようとするのですが、ここで脳内イメージと実際の行動との時差が気になり始めます。過去でも未来でもなく今・現在に集中したいと思っているのに、それがいつのことなのか見失ってしまう感覚です。こんなことを考えるあたりが運動神経の悪さを象徴しているのでしょうが、イメージトレーニングで何とか対応できればと思います。

 「弐級審査にあたって」
弐級 T,S
 先日、開祖ゆかり地熊野にて多くの先生方の演武を拝見した。またその後帰阪してから、動画サイトyou tubeで道主先生の演武を食い入るように見ていた。力強く、華麗で、丸い。そんな人を惹きつける魅力を持つ演武だった。
 以前自分自身の演武の様子を動画で見せて頂いたことがあるが、やはり何かが違う。当たり前のことだが、同じようにはとてもできない。それはこれまでに積んできた稽古の絶対量の違いであるので、仕方ないと言えば仕方ないだろう。
 では、具体的に一体なにが違うのだろうか。全身の安定感、残心、目線、迫力・・・要素はいくらでも出てくる。合氣道に出会ってからまだ一年半しか経っていない私にとって演武で見た先生方は雲の上の存在のようだ。
 そんなまだまだ拙い私でも、人前で演武をすることがある。宣伝のため学内で演武をするときなどは、合氣道を知らない人にとって、私が合氣道とは何なのかを身体で表現しなければならない。つまり合氣道の代表となるわけである。そのような場で演武をすることは多少の重圧を感じもするが、半面私の大好きな舞台の一つでもある。(もちろん演武会での演武も好きだが。)「気で相手を飛ばすやつ」などの誤解をよく耳にする中で、(拙くとも一応は)本物の合氣道を人に伝えられる場というのはとても貴重であるからだ。そこで人を惹きつけられるのであればこの上ない喜びとなるだろう。
 人を惹きつけられるような演武ができるようになるまでには、まだ膨大な時間がかかる。ただ今回の審査での演武が、以前より少しでも“魅力”をましていることを望む。

 「合気道部」
 弐級 T,S
 大阪大学外国語学部合気道部に入部して、早くも五ヶ月が過ぎようとしています。合気道にも慣れてきて、どうすればうまくなれるかを考えるのがとても楽しくなってきました。
 僕は、小学校と中学校の頃に地元の泉州道場で合気道の稽古をしていました。しかし当時は親に言われるがまま参加していたので自分の頭で考えて積極的に稽古に取り組んではいませんでした。そのため、素晴らしい師範のもとでの恵まれた環境であったにもかかわらず、稽古も休みがちになってしまっていました。
 でも、今回
は、自分の意志で合気道をやろうと決めました。積極的に稽古に取り組むことで、あの頃には気付かなかった合気道の魅力を、池田師範や先輩方のあたたかいご指導を通じて発見することができていると思います。これからも、目標を持って頑張っていこうと思います。

      


  平成20年6月


 「合氣道」
                       池田 憲夫
 合氣道は、意外といい加減な(アバウト)ところがあります。その曖昧さ、いい加減さ、フレキシブルなところ、が私は好きです。
 合氣道に何を求めて、稽古を続けるのか。ある人は、強さ。それも、肉体的、あるいは、精神的、その両方。ある人は、健康。ある人は、美容。ある人は、行儀作法、礼儀。ある人は人間関係。様々です。
 合氣道で、何かを学ぶわけですが、合氣道の技から逃げることなく技を追求しながら、それを通して生き方などを学びたいと思っています。合氣道でもその他の芸事でも同じでしょうが、技に表現されたものには、その人となりが出るとよく言われます。それなら、逆もまた真なりでしょうか、性格を、人となりを変えようと思ったら、合氣道であれば、技の表現を変えることによって人格も変えられるかも知れません。おとなしい、どちらかというと消極的な人は、技を元気良いようにするなら普段の生活も積極的になると信じています。自分から積極的に稽古相手をお願いし、積極的に稽古をする。すると心まで元気になるように思います。雑な性格、荒々しい性格の人は、技を丁寧にすることにより、性格も穏やかなものになるはずです。素直でない性格の人は、技を教わったとおりのものをしようとすれば、それだけ技に素直さが出てきて変わってきます。ちまちました人は、おおらかな技をするようにすればいいと思います。合氣道で生き方、人生をより良きものに換えるなら、合氣道を稽古した値打ちがあると思います。
 それと、合氣道を稽古する際、社会人は社会人なりに、学生は学生なりに、子供は子供なりに、男性は男性なりに、女性は女性なりに、合氣道を稽古したいものです。明日の仕事に支障のでるような稽古は控えた方が良いかもしれません。でも、その所を乗り越えないといつまでもレベルアップは難しいです。学生は若いのだから、疲労回復は直ぐに出来ますので、がむしゃらに稽古する時期が必要です。私は、その時機を体験しましたので、いまからは、体に調子を聞きながら、楽しみながら、ボチボチと生涯合氣道を継続していきます。
 
 「初段」
                   初段  M.Y
 これまで2年合氣道を続けてきて、ついに初段の審査を受ける時期になりました。自分では信じられない気持ちです。袴を目標にしてはきたけれども、自分からは遠い世界の話だと思い込んでいました。(池田師範から袴をお借りしてはかせていただいてはいましたが、やはり不思議な心持でした。)大学に入学し、合氣道を始めて2年。私は何を得、何を失い、何を感じ何を学んできたのでしょうか。
 入部当初、合氣道は自分に厳しくする道だと思いました。それはどの先輩も必死で稽古を積んでおられたし、指導も真剣で自分の知らなかった武道という世界に始めて触れたショックというものがあったせいかもしれません。少しして、合氣道は人に優しくする道だと思いまいした。思えば厳しい稽古の中にいつもお互いを思いやる心がありました。時には激しく声を上げながら。時には厳しく叱りながら。もう少しして、合氣道は融和の道だと思いました。愛と和合の精神の合氣道は人と仲良くなるためのものだと思いました。実際に私は合氣道を通じてたくさんのかけがえの無い方々に出会えました。
そして、今。現在はもう少し違う道だと感じています。今はそれをはっきり文字にすることができません。合氣道の形は、私の中でここ2年間ずっと変わり続けています。今はまだどんな道か見えませんが、これまでの2年間を礎にこれから自分にとって合氣道がどんな道であるか、捜してゆこうと思います。初めの段です。これからまた新しく合氣道ができます。改めて頑張ってゆこうと思います。

 「自己分析」
                   参級  H.H
 私にとって演武と演奏は似ていると思います。特に演武中、演奏中の心の動きや感覚的なところはそっくりです。ひたすら反省と修正を繰り返し、つい先程のことをうじうじ考えそうになるのを必死でこらえる、という感じです。こうしてみると、自分は物事のとらえ方が小さいのだろうと思います。もっと大きなまとまりで物事を考えられたら、表現できたらと思います

 

 「三級審査にあたって」
                  参級  T.S
 今回の審査は、前回と違い自分自身の中で色々な変化を経た上での審査だと感じている。
 まず一つに、一年間稽古を続けてきて徐々に合気道の楽しさというものが分かってきたということである。これまではただ先輩のやっていることをひたすらまね、その姿を追うことしかできなかった。自分のやっていることの何が良くて、何が悪いのかが分からず、上級者の指導を仰ぐしかそれを知る方法を知らなかった。だが一年の間でたくさんの指導を頂き、演武を見てきて、ようやく自分で考えて研究することができるようになったと思う。そのおかげで日々の稽古がより一層意義深く、内容の濃いものになってきたと感じている。もちろん稽古が楽にこなせるようになったわけでもなければ、自分の合氣道が完全にわかったわけでもない。しかし、現在楽しく稽古できていることは間違いない。
 もう一つには、この春から先輩になったということが挙げられる。先に書いたように、私は一年間ずっと先輩の姿を追い続けてきた。たった一年の差だが、その姿を追われる先輩に自分がなったと思うと、とても身の引き締まる思いがする。それと同時に、この後輩と共にお互いに高めあえるように稽古に励んでいきたいと思う。
 このほかにも、いろいろな変化が自分に起こってくるだろうが、それを一つ一つ力に変えて励んでいこうと思う。

 

 「合氣道について」
                   五級  R.S
 私が合気道に興味をもつようになったきっかけは、元会社同僚の体の「姿勢」です。彼はまるで背中に板が張られているように、長い会議でも腰から首はいつもまっすぐにのびています。その彼とは対照的にコンピュータの仕事をしている私は座りっぱなしの時間が多いせいか、ついつい背もたれにもたれて腰が曲がってしまいます。彼から合気道のことを知り、3年前に彼が退職したとき「合気会」ホームページの書いてあるメモを渡されました。ホームページにたどって、昨年9月池田師範に入会の承認をいただき豊中和気会で念願の合気道をはじめることができました。私が合気道に惹かれたもうひとつの理由は合気道が「和」の武道であるからです。自分の体と心を鍛える良い機会だと考えております。
 次男のS(8才)と一緒に習い始めて9ヶ月が経ちました。合気道の良さを実感でき合気道に対する情熱が増しています。しかし心の情熱があってもやっぱり身体は年齢に正直です。最近やっと合気体操を覚えて毎朝出勤前にするようになりました。けれども稽古で教えてもらった技はなかなか覚えられなくて、たまに誠治に聞いたり教えてもらったりしています。何よりもこれからはまず音を立てないで「前方回転受け身」ができるようになるのが第一目標で、その次は苦手な「後方回転受け身」を克服することです。
どうか皆さんご指導の程よろしくお願いします。

 「56歳のスタート」
                 五級   S.Y
 私が、合気道の言葉を始めて知りましたのは昔昔の、高校生の頃だったように思います。
 九州、長崎の地方では、物の本で目にすることが精一杯でした。
 その後、数年前まで商船に従事。
 最近手にしましたpc、クリツク、クリツクしておりますと、池田師範先生の和氣会が〜
オー、何時かの興奮再びです。.家内(ちなみに神戸在住長女32、孫4。二女28、長男24)
外出の折、心臓パクパクしながらお電話しました・・・
、、56歳やし絶対むり、、
ところがです、「次の土曜日に練習がありますが、、、」
と快いご返事、ありがとうございます。
 道場の静寂の中、池田師範の声がひびきます、、、緊張。
 節目、節目の‘礼‘深深と礼をいただき、あわてて頭を下げ直すことしばしばです。
 孫、じっじ、あいきどうってなんなん。
 家内、その老体を、、、皆さんに感謝しないとね。
            池田師範
            皆様
       今後共どうぞ宜しくご指導お願い致します。

 

 「私と合氣道」
          子供の部 九級(特進)   M.M
 私が合氣道をやり始めて2年がたとうとしています。
私が合氣道を始めるきっかけになったのは、武道をやりたいと思ったからです。
 初めは空手をしたいと思ったのですが、父に合氣道を教えられてインターネットを見てみました。「指導者」のところを見てみると、すごくむずかしそうな技をしていたので、それにあこがれました。体験をしてみてやっぱりやってみたいと思いました。
 そして入門してみてから、いろいろな人の試験をみてきましたがいつか私も受けるんだなと思っていました。
 今度やっと私も受けることになりました。私にとって、これは最初の試験ですが、いつか私も初段をとれるようにがんばり
たいと思っています。

 
「合氣道について」
        子供の部 十級        R.S
 あいきどうのしけんは、はじめてできんちょうしました。
ベルトがとれたらいいなとおもいます。
あいきどうは、やるとたのしいです。
まちがえたというかなにかゆわれたからびっくりしました。
しかも一番さいしょだったからです。

       


  平成20年3月


「昇段のあたふた顛末記」
池田 憲夫
 年も押し詰まった十二月二十六日(水)だったと思います。クリスマスも関係ない生活をしておりまして、長女がたまたま遊びに来ていました。午後八時三十分は、過ぎていたと思います。一本の電話がかかってきました。長女が出たのですが、なんか腑に落ちないようで、「合氣道の栗林さん」と言っているけど、と電話を変わりました。一瞬、こちらには何の用もないし、なにかしでかした記憶もないし、気持ちの整理もつかないままに電話口に出ました。「合気会の栗林です。実は、本日の鏡開き昇段推挙会議にて、池田さんの昇段が内定しました。なお、当日、 代表者として、道主 植芝守央 先生から認定証をお受け取り戴くようにお願いしたいのですが、よろしいでしょうか。鏡開き昇段式にご出席戴けますか。」「それは、喜んでお受けいたします。出席を致します。支部長会議と賀詞交歓会も欠席と通知しましたが、全て出席に変更をお願いします。」「解りました。道主 植芝守央 先生から認定証を御受けられたら、その後、植芝家の神前にてお参りをお願いします。その際、玉串料をお願いします。」「解りました。」と答えました。自分から昇段を推薦出来ないし、また、推薦してくれる師範は、いないし。六段の時は、道主 植芝守央 先生(当時道場長)の推薦で昇段いたしました。道場長が、どれだけ素晴らしい人かも、どれだけ偉い人かも存じ上げないまま、大阪外国語大学合氣道部創部三十周年記念式典にお越し願い、研鑚会を催しました。その私が、それまで全然東京本部に行ったことのない私を、六段の代表者に選んでいただき、なにがなんか解らないままに、道主 植芝吉祥丸 先生から、直に認定証を戴きました。年齢なのか、キャリアなのか、その基準は私どもには不明ですが、晴天の霹靂でした。そのことを思い出しました。そのことを今でも思い出しては、迂闊なことは出来ないと肝に銘じています。以前、色々な方々から「七段の昇段は、厳しくなった。自己推薦(合氣道的な貢献度があっても)時期尚早と言われた。とか、最低十二年はあくまでも最低であって、十二年過ぎたから昇段できるものではない。とか。団体が大きいから発言力が発揮されるとかは関係ない。とか。」須磨さんに言ったことがあります。「俺の六段の推薦者は、道主 植芝守央 先生だから、他の師範の先生に推挙はお願いできないし、お願いできる師範はおられない。道主 植芝守央 先生がもうそろそろと仰って下さるまで待つよ。」と。ですから、電話を頂戴したときには、表現が難しいぐらいの驚き、嬉しさ、と、疑問。(聞き違えたのではないか。)ビールは缶二本しか呑んでないし、聞き間違えることはないだろう。復唱していた言葉を聞いていた長女は、直ぐさま「お母さん、これは初めてで最後になるイベントだ。介護がてら一緒に行こう。」と独断で決断しました。家内は、渋々でしたが、了承。次女は、勤務の都合が、未定だからわからないけども出来るだけ行く方向で話を進める。後は、横浜にいる長男にメール。ラッキーな事に当日は、休み。嬉しがりの一家は、全員本部での鏡開き式に参加することに決定。私が言うのも変ですが、ビッグニュースを、戸倉さんを初め、和氣會の方々に連絡。当日は稽古日なので、森田さんに代理稽古をお願い。快諾を得、安心。それといつもお世話になっている、白神さん、木村さん、須磨さんにご報告。後は、交通の便の予約、宿舎の予約、在京の大阪外国語大学合氣道部卒業生の方にご報告。慌ただしく、正月を迎えました。でも、なんかまだまだ不安なので、正月が明けた、六日、栗林さんに確認の電話をしました。「昇段も代表も間違いがないか。」もし、代表でないなら、家族まで行くことはないので、その場合は、あちこちキャンセルしなければならないし。「掛け直しますので、少しお待ち下さい。」と言われ、心配になってきました。「池田さんは、七段昇段です。代表でお願いします。」と聞き、安堵。
 十二日は、支部長会議、賀詞交歓会に参加。私は、福島県出身ですが、以前兄が新聞の切り抜きを送ってくれていました。福島の追分先生の記事でした。先生は、大病を克服され、元気に合氣道を復活されたそうです。そのようにお前も元気を出せと励ましてくれた兄。チャンスなので、席上先生を捜し、やっとお目にかかれました。普通の人と違わないくらいに体調が戻ったそうです。私もあやかって回復に努めます。
 十三日は、朝食もそこそこに、本部へ向かいました。道場前では、本部の師範、指導員、有志の方々が、餅つきをしていました。私は、それを横目で見ながら、十一時から順番を取るためにあの寒い中、震えながら待 っておりました。すると、櫻井さんから連絡を受けた櫻井規子さんが、小春ちゃんを連れてわざわざ陣中見舞い(懐中懐炉をもって)に来てくれました。地獄に仏の感じでした。助かりました。藤巻さんが、「池田さん、例年一番乗りの方がおられるのですが、今年は無理ですね。きっと残念がりますよ。」と話してくれました。家内と娘達は昼食を摂りに近くの飲食店に行ったので、息子と二人で震えておりました。一番に道場に入り、この席を確保するように息子に言い段取りを決めました。段々と並ぶ人が増えてきました。そこへ、一番乗り先生がお見えになりました。藤巻君が紹介してくれました。この声は、そうです、全日本合氣道演武大会で、聞き慣れた声でした。尾崎しょう先生でした。(しょうは、日偏に向うですが、パソコンにはない文字ですので失礼します。)名刺交換をして、少しお話をさせていただきました。寒いし、並ぶ人がかなりになりましたので、担当の方のご厚意で、少し早く入館出来ました。息子は意味が分からずてきぱきと動けなく、三階の道場へ着いたときには、既にベストポジションは、尾崎先生に確保されておりました。悔しか ったです。仕方なく、少しでも良い席と思いましたが、思うように家族は動いてくれず一人いらいらでした。その結果が、アップした動画です。なんなために寒い中、一番乗りをして二時間も待っていたのか、苦労は報われませんでした。でも、その尾崎先生が、道主 植芝守央 先生から直々に頂戴した證を頂く場面を綺麗にそれは見事なまでに綺麗な写真をお送り下さいました。ありがとうございました。また先生とは、田辺でもお会いし、私の事を覚えていて下さいました。災い転じて福となすでしょうか。却って良い出会いが出来ました。面白いものですね。
  さて、いよいよ授与式です。なんとか正座は持ちこたえましたが、膝行で道主 植芝守央 先生の前に進み出ることは叶いません。正面まで躙り寄り、頂きましたが、戻るときには躙り寄ることも出来ず、失礼な事になりそうでしたが、何とか体面を保てました。
 直会が開始、道主 植芝守央 先生が中座され、本部道場横の植芝家の神前に伺い、道主 植芝守央 先生がおられる前で、翁先生と吉祥丸先生の神前に、玉串料をお納めいたしました。不案内でしたが、七段以上は、そのようなしきたりになっているそうです。
 最近、判ったことですが、この件は、全く道主 植芝守央 先生の独断と一存での決定と。本当にありがたいことでした。

 「逃げ道」
弐級  M.Y
 最近自分の中で大事にしている言葉があります。隠してもすぐにわかると思うので記しますが三年B組金八先生というドラマで主役の中学校の先生が言ったセリフです。
 「(人生において)道はいくらでもある。だが逃げ出したら道は一つしかない。逃げ道という道だ」という言葉です。
 逃げずに闘え、とテレビに教えられた私は、それ以後、だからといって何もかわらず日々を暮らしています。自分は逃げているものなどない、と思いつつも、この言葉が頭から離れません。もしかしたら自分が何かから逃げているということを無意識に自覚しているからなのでしょうか。だとしたら、私が自分の知らないうちに逃げているものは何でしょうか。
 こんな無為な考えが頭をよぎっては消え、よぎっては消えしています。思考は自由です。明日も私は無為な思考を繰り返すのでしょう。

「 」
四級  I.M
合氣道部に入ってもうすぐ一年です。入部してから夏になるまでも自分自身の中で変化したことがあったのですが、十月に学校が始まって今に至るまでの方が大きな変化があったように感じます。まずは、十一月から稽古中にどんな技をしたかという日記をつけるようになりました。日記をつけることで技の復習ができるのはもちろんですが、自分がその日を精一杯頑張った証も残せているような気がします。日記帳がたくさんの技の名前で埋まっていくのが楽しいです。
 次に、いろいろな団体と合同稽古をしたことです。普段とは違った環境で稽古をするのは刺激になりました。また、合同稽古を通じて多くの人と出会いました。合氣道で結ばれたこの出会いをこれからも大事にしていきたいです。
  あと数ヶ月で二回生になります。宮?先輩のように後輩の素晴らしいお手本のような先輩になることが私の目標です。

 「当面の目標」
四級  H.H
 日常生活においてほとんど体を動かすことのなかった私ですが、合気道を始めてからは、特にあまり柔軟性のなさに危機感をいだき、暇を見つけては体を動かすようになりました。おかげさまで少しずつではありますが体が柔らかくなり、今では柔軟体操が私の小さな楽しみにまで昇格してきました。
 とはいえ体の柔軟性と動きの柔らかさとは関係があるのかないのかは疑問です。動きのぎこちなさ、固さの解消が私の当面の目標ですが、実際どうすればいいのかよく分かりません。とりあえず、できるところから色々試してみて、柔らかい動きを常に、諦めずに目指していきたいです。

 「四級審査にあたって」
四級  T.S
 早いものでもう2008年の2月。私が合気道を始めてからもうすぐ1年が経とうとしている。
 合気道をたった1年足らず稽古してきたところで、ただ日々の稽古でその奥深さを思わされるだけで、それに関して何がどうだというような偉そうなことは言えない。
 また奥が深いというとこは分かっていても、動き・技自体はまだまだ稚拙だ。何せ私は運動神経が悪い。基礎体力もなければ、注意されたことをすぐ実行できるような要領の良さもない。自分自身本当に成長の遅い困った後輩だと思う。しかしこんな私を幹部さんをはじめとする先輩方 、OB・OG の方々に根気よく指導して頂き、そのおかげで今やっと四級の審査を受けさせていただくことができる。
 四級というのは、これからも続く合気道人生の中でのほんの通過点なのだろう。しかし通過点だからと言ってないがしろにする気は毛頭ない。むしろ通過点だからこそ、その区切りを通してこれまでお世話になった方々への感謝やこれからの自分の合気道をというものを考えていくべきなのだと思う。
 今回四級の審査、演武こそ短くても、そのような深い意味合いを持ったものにしたい。

 


  平成20年3月


「姿勢」
池田 憲夫
 時々、思うことがあります。姿勢とは?単に、目に見える、姿、体勢だけで良いのであろうか。態勢も必要ではないか。合氣道の稽古だけに当てはまることではなくて、学生は勉学にも、バイトにも、社会人は、仕事にも通じることではないか。
 皆さんは、合氣道では、私のお客様です。でも、私は、立場上指導をしたしております。これが、稽古事の難しいところです。お客様には少しは遠慮をすべきかも知れませんが、出来るだけ言いたいことを言っています。少しでも、早く、技を覚えてもらいたい、上手になってもらいたい、強くなってもらいたい。の現れと思っていただけたら幸いです。
 以下は、苦言?お願いです。
 出来るだけ、早く稽古場に来て、掃除や準備をして欲しい。後からのそっと来て、掃除もしないで帰って行く。いつまでも月謝を払っているからのお客様。でも、稽古場は、自分を鍛える(体も精神も)神聖な場所と理解できたら、自発的に行動が異なってくるものと思います。そうなると、合氣道に対する姿勢も向上してくるものと信じています。それと、同じで、稽古中は、他の人の技をじっと見る。特に掛かり稽古の時に。技がなかなか覚えられない人は、特に注意が必要です。待っている時間を遊びの時間と思っている人は、後で大変です。審査の時は、自分が受けないから、休むのではなくて、初心者だから見ても仕方ない、という考えでなくて、初心者には見取り稽古は、難しいですが、段々と慣れてきます。また、自分の時に応援をしてくれる人が少なかったら寂しいです。お互い様です。それも判って欲しいです。審査する方は、見取り稽古のつもりでおります。取りの人が誰を受けにお願いするかも楽しみです。それで、取りの、どの程度かも判断できます。審査は、取りだけでなく、受けも見られています。受けの審査でもあります。
 今回、O.Cさんが、特進をしました。彼は、皆さんが御覧になっても分かるように、物事に対する姿勢が目を見張るものがあります。一例が、まず他の人よりも早く稽古場に来て掃除、準備などをいたしております。また、自分から積極的に稽古相手を見つけて一心不乱に稽古に励んでいます。大学生途中から和氣會の入会し、大阪外国語大学合氣道部の合宿にも参加して、上級生にも関わらず、一回生の仕事をこなし、不平不満も言わず。頭が下がります。普段の心構えも考慮しての特進です。見習いたいものです。

 「無条件の愛情」
参段  太田 吉彦
  ここ数年は自分にとって大きな変化の年だった。理学療法士に転職し病院に就職、そして結婚。今は、4人の子持ちである。毎日わいわいとやかましくも賑やかな中で過ごしている。特に自分以外のことを考える必要のなかった独身時代とは大きな違いである。いやがおうなく子育てに追われていく中、「ああ、自分もこんな風に親に育てられてきたんだ」と痛感させられている。
 私の上の娘二人は私と血が繋がっていない。結婚して立て続けに息子と娘が産まれ、一気に4人家族になった。今は下の子の面倒を上の娘たちがよくみてくれているように思う。
まだ幼い下の子たちは、手の焼ける時期だが、無条件にかわいい。変なところが自分に似ていて面白いなと感じたり、だんだんと成長していく様をみてたくましいと感じたりしている。もちろ上の娘たちがかわいくないわけではない。だが下のこたちが無条件にかわいいと思えば思うほど、上の娘たちに対しては「意識しないと親になれない」という意識の隔たりを感じている。無くなった前の旦那さんに対して顔向けができるように、二人を育て上げなければならないという義務感からくるものなのかわからないが、二人に対しては厳しく言うことが多い。これじゃいかんなと思うこともしばしばで、自分が冷たい人間なのかなと悩んで嫁に相談したところ、「まあ、そんなもんじゃない?」とあっさり言われてしまった。
 下の子の子育てを通じて子に対する親の接し方を学んでいると、上の二人にももっと幼い頃に出会ってこんあ接し方ができていたらなあと思う。子は親の愛情を受けて育つものだと思う。私の意識の中ではこの大事な時期が欠けて、一気に大きくなってしまった感があるのだ。さてこの欠けた部分をどうやって補えばよいのだろう。この子達二人にどうやって無条件の愛情を示してあげればよいのだろう。言葉もまだ拙い幼いこと同じようにはいかなか、などと悩んでいた。
 まあ散々悩んだ挙句、「お前の親父はこんなに頑張っているぞってところを見せてやればいいかあ」というところに落ち着いた。これから色んな事をするようになって、色んな困難にぶち当たって、必死に頑張らなければいけなくなるだろうその時に、少しでも手本となれるように。参段の審査を通じてそれが少しでも見せられただろうか。
守るべき家族ができてからの方が、自分が強くなったように感じる。困難にぶちあたっても動じない強い心が欲しいと思いながら稽古に励んでいる。
  子育てを通じて、「子に親にさせてもらっている」今日この頃である。

 「パスポート」
初段 Y.T
 以前、「あゆみ」に投稿させていただいた折り、「夢はいつか初段を取って袴をはくこと」と書いたことがあった。今般、その初段の審査を受けさせていただくことになった。普段の稽古での稚拙な技の数々を思い起こすと、不安でいっぱいだ。55才で初めて合氣道に出会って5年間、今日まで細々と続けてきた。稽古を重ねて、難しい技が少しずつ分かってくるのは本当に楽しい。しかし何より先輩の皆様、若い学生の皆さん、そして子供達ー合氣道を通してのいろんな人との出会いーこれが実に楽しいのだ。今回の審査も、池田師範をはじめ、多くの皆様から、思い切り背中を押していただいた。この機会を、「技の修得だけでなく、合氣道をさらに深く知るための、”通行手形(パスポート)”といただく場」ととらえて、精一杯がんばってみるつもりだ。

 「心を落ちつかせること」
壱級  M.Y
 私は散歩をすることが好きだ。天気の良い日の夕刻、日の暮れる前に家を出て、日が少しずつ沈んでゆくなか歩き、暗くなって家に戻る。そして必ず、目的地は決めない。定期的に行っているわけではないが、ふと気が向いたら、外を歩いている。
  目的はやはり気晴らしで、何かに悩むと何となく外に出たくなる。何も考えず、放浪し思いに駆られる。ただ人というのは不思議なもので、何も考えぬように歩いていてもただ歩くだけで頭の中を整理させ、そして何かを捻出する。散歩にはそんな功用もある。
 散歩をするといつもよりゆっくりのペースで歩くので、いつもの街並みがいつもと違って細かく見えてくる。おまけに自分の心まで見えてくる。つくづく不思議なものだと思う。
 これから春を迎える。たくさん悩んで、たくさん散歩して、そうやって進もうと思う。

 「受けの難しさ」
弐級  T.S
 合気道を始めて4年が過ぎました。このたび2級の審査を受けさせていただきます。多くの技を教えていただき、昇級してきましたが、ひとつ不安なことがあります.「受け」がうまくいきません。有段者同士の演武を拝見すると、「取り」の技がすばらしいだけでなく、「受け」の受け方がその技をさらに引き立てているように見えます。投げられたときのスムーズな受身、技と技が流れるようにつながっていきます。固め技をかけられても、顔色を変えず平然とされています。それに引き換え、私の場合は投げられても畳にベターと倒れこみ、受身でくるっと立ち上がることができません。小手返しでは前ではなく後ろにしか受けられません。腰投げは恐怖ですし2教3教では顔をひん曲げて声を上げてしいます。「取り」として昇級しても,それに見合う「受け」ができなければならないと思います。黒帯まではまだまだ険しい道のりです。

 「瞬」
弐級  O.C
「瞬」と書いて、またたきと読む。
 武道では、一瞬、一瞬がとても大事である。勝負は、一瞬で決まってしまう。油断が生ずれば、命を奪われてしまう。
 稽古は別に命の奪い合いをしているわけではないが、それに近い状況である。気を抜くと、怪我をしてしまう。だから、精神を研ぎ澄まし、最高の自分を出せるよう奮起する。すると一瞬が普段の二、三倍長く感じられ、多くのことを感じ、考えられることができる。どうしたら、もっと技が効くかと頭にさまざまな考えがめぐる。私は、この充実した瞬間がとても嬉しく、これが武道の面白さの一つだと思う。
  日常も、同様に一瞬、一瞬が大事である。精神を研ぎ澄まし、自分の中のセンサーを敏感にしていれば、普段見えてないことが分かり、日常が普段とは、違ったように見えて楽しい。
 一回しかない人生なので、一瞬、一瞬を大切にし、仕事でも遊びでも研究でも、精神を研ぎ澄まし、多くのことを感じ、考え、最高の自分を出せるように頑張ろうと思う。時には、へとへとになることもあるだろうが、そういう時は、休みをとり、回復すれば、また頑張ろうと思う。これからもこうあり続けたいと思う。 

「   」
三級 K.Y
 僕は、今までいろんな級を受けてきました。その中でも、今回の3級の進級審査は今までで一番苦労しました。覚えなくてはいけない技が沢山あったからです。その技は、座り技正面打ち、一教から四教まで、横面打四方投げ、突きの入身投げ、正面打小手返し、突きの小手返し、両手取天地投げ、それと呼吸法などで、名前を覚えるだけでも大変でした。稽古の時に、森田さんに技を特訓してもらいましたが、なかなか覚えられなくて、何度も練習しました。中でも、特に難しかった技は、突きの入身投げでした。僕的には、突きの小手返しと間違えやすくてややこしかったので、審査の時は間違えないように注意してやって、なんとか上手く出来たと思いますが、頭が真っ白になってしまってよく覚えていません。呼吸法はちゃんとできたと思います。4級に比べたら、突きの小手返しと苦手な三教が入っていたので苦労しました。4月から高校に入ったら部活もあるけど、合気道も、2級、1級と頑張って、そして初段まで取りたいと思います。

「 」
子供の部 九級  M.S
 合気道を初めてもうすぐ一年になります。
 合気道の楽しいところは、大人の人をふだんは、たおせなくても合気道をしている間は、たおせるところです。
 難しいところは、ころがることでした。
 これから色々な技を覚えたいです。よろしくお願いします。

            
               


  平成20年1月


 「   」
                       池田 憲夫
 先日、久し振りに大阪外国語大学合氣道部卒業生の方々十名ほどで酒を酌み交わしました。お互いに齢を重ねました。その席上、テレビの放送で、車椅子の青年が合氣道をした番組が放映されたと聞きました。直ぐに貸しビデオを探しましたが見つかりませんでした。ストーリーは、不慮の交通事故に遭った青年が、ふとしたきっかけで合氣道と出会い、精神的に立ち直っていくという筋書きです。どなたかお持ちでないでしょうか。感動する場面と疑問に思う場面があったと言うこのなので、涙を流しながら、見たく思います。
 とこここまで認めて、 Yさんの原稿を写しました。「ぬ、ぬ?!」身体不十分な小生にご無体なことを!ようし、挑戦してみよう。俺も少しは腰投げを知っているとアピールしなければ。と次回久し振りに腰投げに挑戦しました。意外と不十分ながら出来るものです。まだまだ負けられません。プライドは保てたでしょうか。
 越前さんは、下関から北九州の道場に通っているし、富朗凜さんは、母国ルーマニアで、大勢の人が集まって、賑やかに稽古を指導しているし。こちらも、負けずに奮起しなければ、ね。
 私が、偏固なので、実力はあっても昇段審査昇級審査を受審しない人が多い中、三月にやっと太田さんが、参段昇段受審を致します。楽しみです。また、多分初段受審の人も出てくるはずです。お待ちしています。若い人に負けてはいられない。団塊世代の意地をお願いします。と簡単に言いますが、素晴らしいことですね。自分に振り返ってみると、同じ立場なら出来るかというと、最初から諦める方に回ると思います。尊敬いたします。受けの池田(自称ですが)の本領を一日でも早く発揮したく思います。
 「近況報告とお願い」
                           五段 越前 善次
 早いもので、山口県に引越ししてからまもなく半年になります。まず7月末に山口市に引越し、2ヶ月後の10月上旬に再び下関市に引越ししました。山口市への転勤直後は、慣れないことが多いうえに社命のゴルフ練習にいそしんでいたため、合氣道の稽古は全くできておりませんでしたが、下関に移りようやく細々ながら稽古させていただける道場を見つけることができました。大阪にいる時は稽古環境に恵まれていたということを感じております。私は今まで卒業・就職・転勤等で大阪を離れる方々に、どこでも合氣道の稽古はできると、稽古の継続をお願いしてきました。また学生の方々にも大学以外の他道場で稽古させてもらうことをお願いしてきました。今、自分自身が実践する立場となり、月に2・3回程度の稽古ですが、できるだけ稽古するようにしております。
 現在は菅沼師範門下の小倉祥平塾(小倉市南区)で稽古させていただいております。道場が変わっても同じ合氣道です。ただ今の道場では新参者ですので、初心者のつもりで学生や一般の方々と稽古をさせていただいております。指導者の先生、稽古仲間の方々には暖かく受け入れていただき、また指導いただいておい、感謝しております。
 また4月新年度が巡って来ますが、和氣會で稽古できる方は、その稽古環境に感謝し、稽古に励んで下さい。大阪を離れる方には、繰り返しになりますが、どこでも合氣道はできますので、合氣道の稽古を継続していただけますようお願いします。
 「☆ タイはおおらかな処 ☆」
                            弐段 戸倉 光明
2007年12月15日(土)から18日(火)の日程で、JTBの広告で見つけた二泊四日のタイ旅行に行くとことにしました。バンコク・アユタヤの旅です。現地での全食事7回を含めてニ・キュッ・パーのとても、値打ちなツアーでした。お値打ちなので、現地では観光バス4台の大型ツアーでした。ホテルはUp-gradeをしたので、我がオレンジ色バッジ組は38名で一台のバスで行動しました。
 タイは35年前の1972年頃まで、二年余り駐在していました。その後数回訪れています。しかし、駐在時代は仕事中心でしたし(昔気質の日本人の典型)その後の訪問では、現地の方々との旧交を温めることでいっぱいで、食事会ばかりでした。その為か、バンコク市内付近以外のタイ国の観光地や旧所名跡などは、ほとんど訪れたことがありませんでした。
 長女がタイから三時間のシンガポールに在住でして、ちょうど週末休暇をタイ・バンコクに来られることになりました。そのような訳で、親子でタイで落ち合うことになりました。
 タイの新国際空港は、アジアでは最大級の空港の一つです。気温は昼間は34度夜半は26度ぐらいでしょう。15日の関空の朝が10度くらいでした。二泊四日の間に、肩こりと腕の痛みが和らいで持参した湿布や薬は使いませんでした。
 長女とは、15日(土)の夜8時半頃にツアーがホテルに着いた時に、ホテルで出会いました。そこからが、タイらしいことでした。我々は、ツアーで部屋割りが完了していました。Room No.1614でした。チェックインして、キーカードの入った封筒を二通もらい家内と娘にンライ(never mind,気にするな)モとミスを犯した者から先にこう言うくらいの国民の性格です。結果は、マイペンライ(never mind) が功を奏し長に渡しました。小生は、ガイドと明日からの予定を話していて、後から部屋に行くことにしました。二通の封筒には、朝食クーポンが入っていたのですが、小生はそれを知りませんでフロントで朝食クーポンを「受け取ってないから」と別個に朝食クーポンをもらってしまいました。
 とにかく、おおらかなところですから、ちょっとしたことはメマイペてそのまま過ごすことにしなりました。日本であったら、こんな具合には行かなかったでしょう。
 ルームチャージは部屋代でいくらのグローバルスタンダード(世界標準)とは異なって、一人いくらの旅館方式をホテルが取り入れた日本式がまだあります。そんな、ことで親離れの出来にくい長女は夜だけでしたが、久しぶりに親の近くで過ごしました。翌日の夜には駐在時代の出向先のタイ人家族と会いました。彼の方達とは35年間の付き合いです。長女は先方に次女の結婚式に出席したこともあります。
 タイの国民は、優しい国民性です。戦闘的ではありません。国は一度も占領されたことはなく、王様が統治している立憲君主制民主主義的国家です。日本の天皇家とも親密です。また、戦後の日本からの賠償も、十年前くらいに「タイは、もう賠償は要りません。他のところに回してあげてください。」と、賠償を断りました。また、世界の国力でも借金額の多い日本よりも上位と言う見方もあります。
 このような、タイの四方山話ですが、先回の訪問は2005年の秋でしたから、おおよそ二年前になります。その時はバンコクから600KM北の都市チェンマイに、駐在時代の出向先の社会いに行きました。腹の中では「高齢だから・・・今生の別れのつもり」で、お会いしました。彼は、今は事業を手放し裕福ではないのに一日中付き合ってくれて接待をしてくれました。今回は、彼には会えないのですが、彼の好きな「red bean can(水羊羹)」を調達して、重いけど三ケースを今回会ったタイの次女に託しました。また、元気な内にまた行ってみます。
「    」
 五段 富朗凜
 帰国してから7ヶ月以上経ちました。皆さん、お元気ですか。ルーマニアに帰ってからすぐに合気道の道場を開きました。道場が学生寮の二階の部屋にあります。その下に食堂があって、受身の時にお尻を強くぶつけたり、手で畳をたたくと、食堂の天井から塗料が落ちたりするらしいです。
 夏休みの間は毎週二回してきましたが、十月から週三回、そして来週から月曜、火曜、木曜、土曜と週4回にしました。夏の間、40度ぐらい暑い日が多く、休みでしたし人数がだんだん少なくなりました。しかし、ルーマニアの学年が始まる十月になると、新しい人が少しずつ来ています。現在十五〜十六人ほどいます。
 十一月に入ると、気温が5度ほどに落ちています。それでも窓を開けたままで稽古をして、稽古の形式も、豊中和氣會をできるだけ真似ています。しかし、技になると、池田師範のお技を真似ることがもちろんできません。マンツーマンの時も、和氣會の真似をしたいですが、越前さんの厳しさを真似ることができません。
 クラブの名前はまだ付いていません。漢字2~3字【会】または【道場】を考えています。認定手続きができるまでは、まだ数年間かかりますが、ご提案のある方がいらっしゃれば、ぜひ教えていただければと思います。
 それでは、皆様、お元気で。

「いろいろ」           
                弐段 安藤信雄
 中学高校は氣志団のようなヘアスタイルの「ツッパリ」に荒された時代で、北斗の拳の「ケンシロウ」並に強くならなければ生きていけなかった。それで喧嘩に強くなろうと合氣道を習い始めたのは、高校時代である。
 父の書棚に養神館の塩田館長の「合氣道の楽しみ方」という本があり、それを見て武道養正館に入門した。神と正を間違えたのだ。養正館の合氣道は戦前の合氣道に望月先生の工夫が加わった物で、今考えれば、おかげで大変貴重な物を習うことが出来たと思う。
 当時、地元で合氣道の合同演武会のような物が開かれ、合氣会の大学合気道部と養神館、私の属していた養正館が出場した。その時初めて他流の演武を見て、同じ合気道でも色々あるものだと知った。
 大学時代は「ツッパリ」がいなかったので、合氣道はサボってギターに熱中、その後会社に入ってから合気会の道場に入門、結婚による転居で休止して、和氣会へ入門、皆様にご指導いただき、ついに黒帯を頂いた。
 今回、弐段審査に挑戦したが、未だ入り口に立ったに過ぎないと思う。
 合氣道には試合がない。勝った負けたもない。最初は疑問に思ったが、今はそれで良いのだと思う。私は水泳もやるので試合の面白さも知っているが、やはり、相手と自己記録に勝つことが目標になってしまう。
 合氣道で強くなるのは、勝つことが最終目標ではない。
草薙の剣は人を斬る為のものではなく、穢れを祓う神剣なのだ。荒れた時代を喧嘩で生き残るよりも、争いのない和の世界を作る方が良い。スポーツの国際試合は時に暴動を生むが、合氣道は和を産むのだ。この精神を失い、試合での勝ち負けの技術論だけになったしまったら、きっと合氣道は真の価値を失ってしまうに違いない。
 偉そうに書いたが、実はこのあたり全く悟っておらず、
未だにケンシロウやラオウの様になりたいと思ったりしているのであるが、今後は少しづつ、翁先生のお言葉を勉強してみようと思う。

 「基本が大切!!」
 壱級 Y.T
 道主の合気道教本を見ていると、技の種類の多さに驚かされる。四方八方に投げ分ける四方投げ。心技体を一つにして投げを打つ。呼吸投げ。又、なかなかうまくいかないのだが、滑らかに動ければスカッと気持ちの良い回転投げ。そして未経験の腰投げ。合気落とし等々見るからに難しく痛そうな技が目白押しだ。是非とも体験したい。
と、ここまで書いてきたところで、どこからか池田師範の太い声が・・・「それより先に二教をきっちり覚えろ!!」と。
 アタタタ、スミマセン!!  まずは基本、基本でした。
 (注 池田)大先輩にそのような失礼なことはもうしません。誤解を受けそうですね。以前も申しましたが、「活仏」です。ご希望により、腰投げと合気落としもしてみます。小生も知っていることをご理解下さい。ただ、それほど高級な技ではないと思っています。が・・・。

 「審査 」
四級  Y.S
 今回、大人の部になってから初めての(注 池田 二回目と思うけど)審査です。稽古の時間も内容も厳しいものになって、ついていくのがやっとといった感じの自分にわざわざ稽古をつけて下さった師範に感謝したいと思います。スローではありますが、自分のペースで少しずつでも上達できればと思ってます。これからもよろしくお願い致します。