Event room





   屋根裏工房Event roomです。

   ここではSS強化(強化になってないという噂もありますが。笑。)期間特別企画と銘打って、

   毎週土曜日に一作のショートショートを発表していました。

   出来不出来はありますが、楽しんでいただけたらと思います。

   感想、批評などをいただければ幸いです。




    10.『風の歌を歌う』(8/23)



    気がつくとぼくは人の心が読めるようになっていた。

    具体的にいつ頃からだったのかは忘れてしまったけれど、ぼくがもっと小さかった頃から、そう、う

   んと小さい頃からだったと思う。

    でもぼくみたいな存在が人の心を読めたからといって、そのことに特別意味があるとは思えなかっ

   た。

    何か気の利いたことを口に出来るわけでもないし、一緒になって涙を流せるわけでもないしね。

    ぼくに出来ることといえばせいぜいそばに寄り添っていてあげられることだけ、あとは、そうだな、風

   の歌を歌ってあげることぐらいだった。

    そんなぼくだったけれど、なぜだかいつも絶えず誰かがぼくの元を訪れた。

    彼らがぼくのところにきて何をするかといえば、それはもう人それぞれだった。

    何か聞き取れない声でぶつぶつとつぶやいたり、大の大人なのに声をあげて泣いたり、中にはぼく

   のことを力任せに蹴ったり、唾を吐きかけたりする人までいた。

    チズナはそんな人たちの一人で、彼女は何をしゃべるでもなく、ぼくに背を預けたまま、ずっと沈む

   夕陽を眺めていた。

    彼女の心に巣食っていたのは他者への深い不信で、彼女は誰のことも、両親のことさえも信じてい

   なかった。ぼくの知る限り友達も特にいないようだった。

    時々ぼくのところにやってきて、そして夕陽を眺めては帰っていった。

    彼女に対してぼくが出来ることといえば、やっぱり歌を歌ってあげることぐらいだったけれど、彼女

   にとってはそれもただの風のざわめきでしかないのかなとその時は思っていた。

    そんな彼女がある日のこと、ぼくに向かって、あいつなら信じられるよね?とつぶやくようにいった。

    あいつってのが誰のことか、ぼくが知ってるはずもなく、だけど彼女は一人で納得したように、今度

   あいつを連れてくるね、といって帰ってしまった。

    一週間後、彼女は約束通り一人の男性をぼくの元へ連れてきた。

    男はチズナよりも十歳以上も年齢が離れて見え、さえない風貌をしていたけれど、チズナを見る目

   つきはとても優しかった。

   「この樹が君のいっていた、例の“歌う樹”なのかい?」

   「あ、今わたしのことを馬鹿にしたでしょう?」

    チズナは男に向かって怒ったような口調でいったけれど、その顔には笑みを浮かべていた。

    初めて見る、年相応の、子供っぽい笑いだった。

   「馬鹿になんかしてないけれど、君にも子供っぽいところがあったんだなぁと思ってさ」

   「子供っぽいところがあったって、それ、どういう意味?」

    今度こそ本気ですねたようにしてチズナは男に背を向けたけれど、顔はやっぱり笑っていた。

    男があわてたようにチズナのことを必死になだめる様子は傍から見ていてとても微笑ましかった。

    二人が互いを想う心に偽りは見えなかったからだ。

    二人は晴れた週末の昼間をぼくと共に過ごすようになった。

    そして穏やかな日々が過ぎていった。

    男たちがやってきたのは雨上がりの、ある秋の日の朝のことだった。

    男たちは手に手に杭や槌を持ち、陰鬱な表情を浮かべたまま、あっという間にぼくの周りに柵を張り

   巡らせ、誰も近づけないようにしてしまった。

    あぁとうとうこの日がやってきたのか、とぼくは思った。

    近くにいたぼくの仲間たちは次々と切り倒され、引き抜かれ、ぼくの周りから消え去っていたから、

   ぼくがそうなるのも遠いことではないだろうと思っていたのだ。

    チズナがやってきたのはその日の夕方になってからだった。そばにはいつものように彼がいた。

    チズナはぼくの周りの柵を見て呆然としていた。

    そして気丈にも素手で杭を引き抜こうとしたけれど、それは人の手で引き抜けるようなものではなか

   った。

    やがて彼女は彼の胸に顔をうずめて泣き始めた。

    その日は陽が暮れても二人は立ち去ろうとしなかった。

    夜になって、どこから聞きつけたのか、人が集まり始めた。中にはぼくを蹴ったり、唾を吐きかけたり

   した人の顔もあった。

    なんだかとても不思議な気分だった。

    ぼくは集まってくれた人たちのために精一杯風の歌を歌った。

   「ほら、木々がこすれる音が歌に聞こえるでしょう?」

    そうチズナが目を閉じたままささやくようにいうと、彼は今度は素直に、本当だね、とうなずいた。

    それがぼくが生まれ育った丘で風の歌を歌った最後の夜だった。


               KAZENOUTAillustrated by える


    そして今ぼくはチズナのアパートのベランダで、小さなプランターに挿し木になっている。

    穏やかな日差しを浴びてとても気持ちがいいけれど、以前のように歌うことはできない。でもいつか

   また、誰かのために風の歌を歌えたらいいと思っている。

    それはずっと先のことになるだろうけれど。






   9.『白い世界』(8/15)



    最初その手紙に何が書いてあるのか、私にはわからなかった。

   猿に面白がって字を書く真似をさせたときのような、解読不能の暗号が記されているだけだった。

    だがそれは不意に終わり、三行目からは唐突にごく普通の手紙文が始まった。

    今年の夏はずいぶんと雨が多い、細君とは久しくお会いしていないがその後変わりはないか、噂

   では研究が無事に進んでいるようで何よりだ、等々、話題自体は当たり障りのないものだったが、直

   前の意味不明の二行とのあまりのギャップに私はただ戸惑うばかりだった。

    元々その手紙は普通ではなかった。

    何しろ差出人である長嶺はもうこの世の人間ではないのだから。

    どういったからくりかは知らないが、長嶺が亡くなって、ちょうど一週間目にその手紙は私の手元に

   届けられた。

    長嶺は私の旧知の友人である。

    彼は天才であった。彼ほど独創的な発想の持ち主を私は他に知らないし、従来の考えに捕らわれ

   ない柔軟な彼の思考にはしばしば舌を巻いたものだった。

    だが天才ゆえの傲慢か、自らが提唱した理論の、実地に基づいた検証を彼は軽んずることが多か

   った。そういった地道で気の遠くなるような実験と反証の繰り返しは常に我々の役目だった。

    彼が学会を追放されて十年が経つ。それは同時に彼と連絡が取れなくなって同じ月日が過ぎたと

   いうことだ。

    彼がどうしているのか、気にならなかったわけではないが、あえて調べる気にもなれなかった。彼に

   はいろいろな意味で振り回されていたからだ。私も、そして妻も。

    彼の訃報は寝耳に水だった。

    変死だったと聞いた。

    変死、つまり死因が特定されないらしい。芋虫のように床をのたうち、吐瀉物をまき散らし、惨めな姿

   をさらし、彼は死んでいたという。何か未見の毒物でも呷ったのかもしれない。

    ともかく彼の死因は誰にもわからなかった。遺言もなく、看取る者もまた、いなかった。

    この手紙が届いて、そして差出人の名前を見たとき、これはもしかしたら悪戯か、と一瞬訝しんだが、

   筆跡はかつて見慣れた、神経質そうな彼のそれであった。

    悪戯でなければ、彼の遺言なのだろうか、と私は思った。もしそうだとすればそれを読むのは私の義

   務であるような気がした。

   当たり障りのない内容の後には彼の心情の吐露が続いていた。正直読んでいて愉快なものではなか

   った。

    天才ゆえの孤独という奴だろうか、彼は研究室にいた長い間、回りの人間に理解されないことに、そ

   れは私のことも含めてだが、ずっと苦しんでいたと手紙の中で告白した。

    そして、自分の研究の成果を、信じていた仲間に奪われたことへの恨みつらみ・・・。

    すべては言い掛かりに過ぎなかった。そもそも回りの人間に打ち解けようとしなかったのは彼の方な

   のだ。挨拶を返すことも一切なく、親睦を深めようとする気配は微塵もなかった。

    実験の方も、もし彼が進んで協力してくれていたなら、我々はどれほど楽だったろう。

    さらに彼は愛する女性を親友に奪われた苦悩も書きつづっていた。愛する女性とはつまり私の妻の

   ことであり、親友とは他ならぬ私のことだ。

    それも言い掛かりだった。

    長嶺の暴力癖に耐えかねた彼女が私に相談を持ちかけたのはごく自然の成り行きであったし、私は

   そのことで一切後ろ暗いところはない。彼女が彼の元を去り、私と結ばれることとなったのは、誰のせ

   いでもない、彼自身の責任でしかなかった。

    一通りの言い掛かりが済むと、その後に控えていたのは、ごくシンプルな単語だった。

    ただ、憎い、と。

    憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い・・・。

    その言葉がひたすら延々と続き、文面の半分以上をびっしりと占めていた。

    人は、これほどまでに他の誰かを憎むことができるのだろうか・・・。

    心臓が凍る思いだった。

    しかしその繰り返しもやはり唐突に止み、彼は思いも寄らぬ優しさを見せた。

    三田村、お前のことが憎くてたまらない。憎くて、憎くて、たまらないよ。だが同時にお前のことが心配

   でならない。何といってもお前は私にとっての、唯一の掛け替えのない親友なのだからな・・・。お前に

   も私と同じように誰か心から憎むことができる人間がいればいいが。

    意味が分からなかった。いっそのこと憎いといわれ続けたまま手紙が終わっていれば、どれほど私

   には理解しやすかっただろう。仮に心から憎むことのできる相手がいたとして、それでどうなるというの

   だろうか。

    また会おう、わが親友よ、そう文末は結ばれていた。

    手紙を読み終えた私は大きく息を吐いた。

    これだけ憎いと連呼しておいて、親友とは!

    長嶺は、死んでもやはり長嶺のままのようだった。

    ライターを取り出し、手紙に火をつける。手紙は煙を燻らせ、部屋の中を白く薄い靄で包んだ。

    この手紙を妻に見せることはできない。妻は今でも彼とのことで心を苛んでいる。妻をこれ以上傷つ

   けたくはなかった。

   手紙が燃えつきたのを確認して、椅子から立ち上がった。書斎のドアノブに手を掛け、ドアを開けた。

    私は目を見開いて、思わず息を呑んだ。

    白い世界が広がっていた。

    気がつくとそこは私の書斎ではなかった。どこまでも見渡す限り続く、白い、真っ白な平面・・・。

    私は目に見えぬ、強い力を持つ何かに掴まれ、いきなり床に押さえつけられた。

    お前にも私と同じように心から憎むことができる人間がいればよいのだが・・・。

    長嶺の囁き声が頭の中に響く。

    まさか、まさか、ここは・・・。

    自分が置かれた状況を、私は信じることができなかった。

    私の体が見えない手によってこねられ、そしてほぐされ、見る間に細く黒い糸状に変化していく。

    声にならない叫びが、そのまま白い平野に解読不明の文字として刻まれる。

    私は半身を黒い糸に変え、そして床面に必死にしがみつきながら、愛しい妻の名を呼んだ。

    その呻きにも似た呼びかけは、白い世界の中でひどく空しく響いた。

    白い世界に佐奈子、と妻の名が記された。






   8.『RE:PEAT』(8/7)



    僕は図書館から借りてきた本をドサリと机の上に置いた。

    少しでも創作の手助けになりそうな本は片っ端から借りたので、持ち帰ってきた本は全部で十冊

   近くになった。

    何しろ提出期限は明日だ。

    明日までに何でもいい、新作のショートショートを一本、ゼミの教授に提出しないと僕は落第して

   しまう。

    それなのに今の僕ときたらスランプの真っ最中で、たった一本のショートショートが書けないでい

   る。僕は藁にもすがる思いで図書館から本を借りてきたのだった。

    まず一冊目の本を開く。

    タイトルはずばり『ショートショートの書き方』。

    ショートショートとは一つのアイディアを起承転結で短いストーリーにまとめたものをいいます。そ

   のためには普段からノートなどにアイディアを書き留めることが大切で・・・。

    僕はその本をパタンと閉じた。

    普段からアイディアをノートにまめに書いておく習慣があればショートショートを書くのにこんなに

   苦労しちゃいない。

    二冊目、『ショートショート論』。かなり専門的な内容だった。

    何しろショートショートについて書かれている本なのに厚さが一千ページを超えている。

    これを読んだら傑作を物に出来そうな気がしたが、今晩だけでは到底読めそうもない。残念ながら

   読むのを断念する。

    三冊目、『アメリカンショートヘアの飼い方』。あせって関係のない本を借りてきてしまった。

    四冊目、『一番星☆新一郎の傑作ショートショート百選』。

    一番星☆新一郎といえばショートショートの神様として知られている。ショートショートの神様の作

   品をパクってしまえば傑作間違いなしだろうが、文学部の教授ともあろうものが神様の作品に目を通

   していないとも思えない。これまた諦めざるをえない。

    五冊目、六冊目、書いてある内容は一冊目とほとんど変わりなかった。役に立ちやしない。

    七冊目、八冊目・・・。駄目だ、何かが違う。

    そして僕はとうとう最後の本を手にした。

    タイトルは『目から鱗のショートショート入門』。

    目を引くタイトルだった。

    ぱらぱらとページをめくってみる。

    ショートショートで大切なのは勢いだ!既存の小説論に囚われるな!既成概念なんてものはぶち

   壊せ!といった過激な文章が目に飛び込んでくる。

    僕はその本をのめり込むように一気に最後まで読んでしまった。

    するとどうだろう、稲妻のようなインスピレーションが体の中を走り、僕はあっという間に一本のショー

   トショートを書き上げた。

    我ながら惚れ惚れとするような傑作だった。

    これで何とか落第は免れた・・・。

    ふぅと安堵の息を漏らし、あらためて命の恩人、いや恩本を手に取ってみた。

    初めて意識して表紙を眺め、そこに書いてある作者の名前を見て、思わず息を飲んだ。

    そこにはよく見慣れた名前があったのだ。

    つまり他でもない僕の名前が・・・。

    そんな馬鹿な!同姓同名の別人か!?

    僕は本の巻末の奥付を開いた。

    う、嘘だ、何かの間違いだ、印刷ミスだ、そうだ、そうに決まってる・・・。

    自分でも知らぬうちに僕はそう呟いていた。

    奥付にある発行年月日が今から十年以上先の日付だったのだ。

    そのときグラリと地面が揺れた。

    地震か?そう思ったけれど揺れているのは僕の体のほうだった。

    ど、どうしたっていうんだ・・・?

    そう思っている間にも部屋全体がグルグルとメリーゴーランドのように回りだし、すべてのものが形と

   色を失って、やがて僕は意識を失った。

                             *

    いつの間に眠りに落ちたのか、気付いてみると私はだらしなく半開きの状態で口を開け、仕事用の椅

   子に座ったまま眠りこけていた。

    このところ仕事仕事でろくに寝ていなかったせいだろう。

    それにしても懐かしい夢を見た。

    十年以上昔のことだ。

    あの頃の私は文学部の一大学生に過ぎなかった。ゼミの教授からショートショートの新作の提出を

   命じられ、どうにかこうにか四苦八苦して書き上げた作品を教授から認められて、私は作家になる決

   意を固めたのだった。

    だがどうしたことか、その記念碑的作品であるショートショートの原稿は手元になかった。それどころ

   かどういった作品を書いたのかさえよく憶えていない。

    教授のところにならその作品は残っているのだろうか・・・?

    まぁ、いい。今は感傷に浸っている余裕はない。

    S社から依頼されたショートショートを書かなければいけないのだ。

    S社からは青少年向けのショートショートの入門書の執筆も依頼されていたが、まずはショートショー

   トのほうが先だ。

    さて、どういったお話にするか・・・。

    そうだ、今さっき見た夢をそのまま原稿に起こしてみるとしよう。

    私はキーボードを叩き、最初の一文をパソコンの画面に浮かび上がらせた。

                             *

    僕は図書館から借りてきた本をドサリと机の上に置いた。

                             *

                             *

                             *

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   7.『赤い外套の少女』(7/31)



    少女は森の中、帰途を急いでいた。

    もうこんな時間ではとうてい日が暮れるまでに森を抜けることは出来ないよ、という街道で出会っ

   た猟師の言葉を思い出した。

    一人暮らしだから遠慮する必要はない、悪いことは言わないからうちに泊まっていきなさい、そう

   猟師は少女の身を案じて優しい言葉を掛けてくれた。

    だが少女は、家でおばあさんがあたしの帰りを待っているのです、と猟師の誘いを丁寧に断った。

    年をとり、すっかり体が弱ってしまったおばあさんをいつまでも家に一人きりにしているのが

   心配でならなかったのだ。

    そうか、それなら仕方ない、くれぐれも用心しなさい、最近は何かと物騒だから、そう言ってくれ

   た猟師に別れを告げ、少女は一人森へと続く道を選んだ。

    街では年端もいかない女の子達が何人も行方知れずになっているという噂を耳にした。

    彼女たちはどうしたというのだろう?

    もしかしたら道に迷ってこの森の中を彷徨っているのかもしれない・・・。

    そんな埒もないことを考えていると本当に誰かに見られているような気さえしてくる。

    はぁはぁ、先を急ぐあまり少女の息が荒くなっていく。

    少女のまとっている赤い外套が、暗い森の中で誘蛾灯のように揺れる。

    その時ガサリと行く手の草むらが音を立てた。

    少女は一瞬息を飲むが音の正体を知ってほっとする。

    森の入り口で別れたはずの猟師がそこに立っていたのだ。

   「まぁおじさん、私のことを心配して追いかけてきてくれたの?」

    そう言いながら少女は自分の言葉をいぶかしんだ。

    猟師は少女の行く手から現れたではないか・・・。

   「そうだよ、お嬢ちゃん。おじさんはどうしてもお嬢ちゃんのことが心配になってね。森の中は本当

   に物騒なんだ。盗賊や人さらいだけじゃない、人外の化け物だって出るのだから。でももう安心だ。

   おじさんの家はほんのすぐそこなんだ。さぁ、一緒に行こうじゃないか」

    そういって猟師は少女の手首を掴んだ。

    痛い、そう言って少女は顔をしかめたが、猟師は特に気に留めることもなく、少女の手を半ば強引

   に引っぱっていく。

    しばらく森の中を連れ立って歩いてから少女がぽつりと言った。

   「本当はね」

    少女の言葉に先を行く猟師が振り向いた。

   「誰かが現れてくれないかなぁって思っていたのよ」

    少女は無邪気な笑みを猟師に向けた。

   「だってお腹がペコペコだったんですもの・・・」

                             *

   「ただいま、おばあさん」

    少女の帰りが遅いのを心配して寝ずに待っていた老婆は少女の姿を見てほっと安堵の息を漏らした。

   「どうしたっていうんだい、ずいぶん遅かったじゃないか」

   「ごめんなさいね、おばあさん。森の中で急に食事をすることになったものだから」

   「おやまぁこの子ったら!けれど仕方のないことなのかもしれないね。お前たちの年頃なら、すぐに

   お腹は減るものだからね。でもちゃんと言いつけは守っただろうね」

    少女はにっこりと笑ってみせた。

   「もちろんよ、おばあさん。誰にも見られなかったし、それに食事が終わってからの後始末も忘れな

   かったわ」

   「そうかい、そうかい、お前はいい子だね・・・」

    そう言いながら老婆は皺ばんだ手で少女の頭を撫でた。

    少女の外套が赤い理由を、少女と老婆以外誰も知らない。






   6.『霧の中の巨人』(7/24)



    霧の中に浮かび上がる巨大なシルエットを目の前にして、私は我知らず、こいつはデカいな…、と

   呻くように呟いた。隣にいたドクターと呼ばれる男が陰鬱そうな表情を変えることなく、ええ、全く同

   感です、と私の言葉に相槌を打った。

    旧文明の遺跡から“巨人”が発見されたと聞いたとき、私はにわかには信じられなかった。今まで

   にも遺跡はいくつも発掘されている。私自身少なからずその作業に携わってきた。

    だが生きた“巨人”が見つかったという例は今までに一度も報告されていない。遺跡はあくまでも

   遺跡、砂と時間に埋ずもれた、過去の遺物だと考えられてきた。

    だがそれも今回の“巨人”の発見で話は大きく変わってくる。過去と現代をつなぐ橋渡しが現れた

   ことで歴史は単なる過去ではなくなる。

   「なぜ…。なぜ、この“巨人”は生き延びたというんだ?」

    素人じみた私の質問にもドクターは別段見下す様子もなく答えた。

   「彼が現在まで生きてこれたのは、それはひとえにこの遺跡のコールドスリープ装置が今も正常に稼

   動しているためであります。ここの装置だけがなぜ他の遺跡のものと違って稼動しているのか、

   それは目下調査中であります」

   「今、彼、と言ったな。“巨人”は男性であることに間違いないのか?」

    ドクターは意味ありげに薄笑いを浮かべた。

   「ええ、彼は間違いなく男性です。もっとも生殖能力が残っているかどうかは、定かではありません

   が…」

    仮に生殖能力が残っていたとしても、結局男性一人ではどうしようもないだろう。だとしたら彼が

   生き残っていることにどれほどの意味があるというのだろう。

    “巨人”は眠っているように見えた。規則的に呼吸を繰り返し、そのたびに胸部が大きく上下して、

   彼が生きていることを示した。“巨人”が寝返りを打とうとするかのように首を巡らし、私はあるこ

   とに気づいた。

    “巨人”の頭側部がいびつなまでに凹んでいたのだ。

   「彼は…、ケガをしているのか…?」

    ドクターは私の言葉に首を傾げた。

   「ケガ?あぁ、頭部のくぼみのことですか?確かにコールドスリープ中の、もしくは他の何らか要因

   によるの事故によるケガとも考えられなくもないですが、私はもう一つの可能性の方が高いと考えて

   います」

   「もう一つの可能性?」

    ドクターは再び気味の悪い笑みを浮かべた。

   「頭部一部欠損の先天的異常のあるものを、実験に携わった科学者たちが、彼の意志とは無関係に実

   験体として選んだという可能性です」

    ドクターは事も無げに言ったが、私は彼の言葉に吐き気を覚えずにはいられなかった。

   「コールドスリープには幾分野にも渡る、きわめて高度な科学技術を必要とします。誰も好き好んで

   怪しげな科学実験に犠牲羊としてその身を捧げようとはしなかったのでしょう。本当に核戦争が起き

   るとは誰一人思っていなかったのではないでしょうか…」

    ドクターの披露した仮説は確かに反吐が出るものだったが、今の段階でそれを否定する根拠もなか

   った。

    ウォォオオォォワァァァ…ン

    そのとき突然“巨人”が哭いた。永遠に失われた脳髄がよほど恋しいのか、それとも過去において

   自らが犯した過ちでも悔いているのか、“巨人”は地をも揺り動かさんばかりにもう一度哭いた。

    それにしても、とドクターが“巨人”に一瞥をくれながら切り出した。

   「このように鈍重そうな生物が、『スリッパ』などというきわめて原始的な武器で、我々の祖先を追

   い回していたとはとても想像できませんな」

    ドクターは触角を細かく震わせながら感慨深げに言った。

    今度は私がドクターの言葉に、全くだなと相槌を打つ番だった。

    霧の中の“巨人”がどこかもの悲しい響きで、さらにひときわ大きく吠えた。

                             *

    目を覚ました私は全身が汗でびっしょりとなっていることに気づいた。

    酷い夢を見た。核戦争により人類が滅びた後の地球を、異常なまでに知能の進化したゴキブリたち

   が我が物顔で闊歩するという悪夢。

    まるで流行らないB級SF映画そのものではないか!!

    冗談にしても趣味が悪い。

    汗を拭うためにベッドから抜け出し、洗面所に向かう。鏡を覗き込むと、そこには疲れ切った中年

   男の顔が映し出された。時間に追われるあまり、不精もここに極まれりといったろくに手入れされて

   ない顔。

    もういい加減、削らなければいけないな…。

    下唇をはるかに越え、あごの近くにまで伸びた一本の鋭い齧歯(げっし)を摩りながら私はそう呟

   いた。






   5.『バッティングセンター』(7/17)



    会社の帰り、最新の設備が整っているというバッティング・センターに寄ってみた。

    最近どうもろくなことがないので、とにかく憂さ晴らしをしたかったのだ。

    今朝も一雨来そうだからと傘を持って家を出れば途端に空はからりと晴れるし、通勤電車の中では

   女子高生から痴漢に間違われるし、仕事のほうはといえばあと少しで正式な発注という段階になって

   大口注文のキャンセルを喰らうし、細かいことを上げれば切りがないが一事が万事その調子で何もか

   もが上手くいってなかった。

   「最新の設備って今までのとはどう違うの?」

    受付にいた女性の従業員に聞いてみる。

   「えぇ、お客様、当センターの自慢は何といってもバーチャルな点です」

   「バーチャル?ってことはプロ野球の投手が投げているような映像が映し出されたりするってこと?

   そんなの、よく聞く話じゃないか」

   「いえいえ、当センターではすべてがバーチャルなのでございます。ボールまでも」

    その従業員はにっこりと営業スマイルを浮かべて言った。

    すべてがバーチャル?ボールまでも?

    しかしボールが立体映像だったら打つ時の手応えはどうなるのだ?

    そんなので本当に憂さ晴らしになるのだろうか?

    いくつも疑問は湧いたが、とにかく一度お試しください、という彼女の言葉に従い、渡されたバット

   を手にしてゲージの中に入った。

    するとどこからともなく、ボールをお選びください、という無機質な声が聞こえた。

    ボールを選べってどういう意味だ?

    私の戸惑いも無視してその声は続けてこう言った。

   「男性にしますか?女性にしますか?」

    意味不明の質問だったが、とりあえず「女性」と答える。

    さらに髪の長さは?目鼻立ちは?などといった質問が続き、私も馬鹿正直にそれにつきあった。

    ようやくすべての質問が終わると、スクリーンに出来損ないのモンタージュみたいな女性の顔が映

   し出された。

    それは私が心の中に思い描いた顔とは違ったが、それでもどこか特徴を捉えていた。

   「それでは第一球です」

    え?と思う間もなく、スクリーンの女性の顔がぎゅ〜んと縮まり、生首のようにばっと私に向かっ

   て飛び出してきた。

    思わず私は持っていたバットをぶん!と大きく振り回す。

    だがまるで手応えがなく、どうやら空振りをしたと判定されたようだ。

    ストラ〜イク!!という声とともに、キャハハハ・・・という女の奇声がゲージの中に響いた。

   「第二球です」

    今度は私もバットを短く持って慎重に構え、バッターボックスに立つ。

    喰らえ!渾身の力を込めてバットを振った!

    カキーン!という快音と確かな手応えを残し、ひぇ〜という叫び声をあげて、生首は遥か場外へと

   消えていった。

    ホ〜ムラン!!

    どうだ、思い知ったか!私は内心ガッツポーズを取った。

    私はそれから小一時間そのバッティングセンターで汗を流し続けた。

    うん、バーチャルもなかなか悪くないじゃないか、と思いながら最後の一球をセンター前にはじき

   返す。

    額の汗をハンカチで拭いながらゲージの出口をくぐった私は丁度隣りのゲージから出てきた女性と

   鉢合わせになった。

    その女性は髪は振り乱し、化粧は汗で流れ落ち、眼はやたらとギラギラと光らせ、どうやら私以上

   に熱心にバットを振り回してきたようだった。

    他でもない、それは妻だった。

    二人は無言のまましばらくの間向き合った。

   「こんなところで何してる?」

    ようやく私がそう問うと、

   「ここでバットを振る事以外に何かすることあるの?」

    そう妻は険のある言い方で答えた。

    やっぱりバーチャルじゃダメだな、バットのグリップを強く握り締めながら、私はそう思った。






   4.『雑踏の中で』(7/11)



    歌舞伎町の雑踏の中、懐かしい顔を見つけた。

   「やぁ、兄弟じゃないか!こんなところで何をしてるんだ?」

    私がそう声をかけると彼は大きく目を見開いた。

   「誰かと思えば!久しぶりじゃないか、兄弟!!」

    それから彼はニヤリと笑った。

   「何をしてるってこの格好を見ればわかるだろう?キャバレーの呼び込みさ」

    確かにそのボーイ姿はキャバレーの呼び込み以外の何者でもなかった。

   「シャッチョーサン、イイコ、イルヨ、ヨッテカナイ?」

    客引き特有のなれなれしい笑みを浮かべながら彼はたどたどしい日本語でおどけて言ってみせた。

    私が聞きたかったのは、なぜ彼がキャバレーの呼び込みなどをしているのかだったのだが、彼にも

   それなりの事情があるのだろうと思い、あえてそれ以上のことを追求するのは止めにした。

    かわって別のことを尋ねた。

   「お前さん、そういえば、奴らに捕まったんじゃなかったのか?裁判の様子が大々的に報道されてい

   たが」

    あぁ、あれか、と一つ大きく頷いてから、彼はさもおかしそうに笑った。

   「あれは私の何人かいる影武者の一人だよ。私が本当に捕まるわけがないだろう?」

    確かに彼の影武者の存在については以前にも噂を聞いたことがあった。

   「おかげでこうして極東の国でのんびり出来るってわけだ」

    のんびり、というなら、どこか南のリゾート地にでもいけばいい、こんな狭苦しい国でキャバレーの

   呼び込みなどせずとも、と思ったが、そのことを口にする気にもなれなかった。

   「私のことはともかく、お前さんのほうは、この国に何の用なんだ?」

    あぁ、と言いかけて私は口ごもった。

    彼に事情を説明したところで何か不都合があるとも思えなかったが、このような場所で口にするの

   は憚られた。

   「商用だよ、商用。ビジネスって奴さ」

    聡明な彼はその一言ですべてを納得したようだった。

   「あぁ、ビジネスか。なるほど」

    なるほどなるほどと彼は何度かくりかえした。

   「お互い苦労が絶えないようだな」

    そういって私の肩を軽く小突くてから彼は酔っ払ったサラリーマンらしき男を呼び止めた。

   「シャッチョーサン、イイコ、イルヨ、ヨッテカナイ?」

    自然と二人の間に距離が出来、会話もそこで途切れた。

    遠ざかる彼の背中に母国語で、今年の九月はアメリカに行くなよ!と声をかけたが、その声が彼に

   届いたかどうかは定かではなかった。

    再び彼と会うことがあるのだろうか、それはおそらくアッラーの神のみがご存知であるのだろう。

    そして一国の主導者であった男がキャバレーの呼び込みをしている理由もまた同様なのだろう、と

   私は雑踏の中で思った。



   *いうまでもないことですが、このお話は単なる出来の悪いSSに過ぎません。

    イラクに本当の意味での真の平和がもたらされることを心から祈っています。






   3.『テレフォン』(7/3)



    私は携帯電話のコール音でやりかけの仕事の手を休めた。

    こんな時間に誰からだろう?そう訝しんだが、とりあえずテーブルの上の携帯電話を手に取ってみ

   た。

    ディスプレイに表示された番号に心当たりはなかった。

    私は携帯電話を耳に当てた。

   「切らないで!」

    それが第一声だった。聞き覚えのない男の声。

    男は泣いているのか、酒に酔っているのか、もしくはその両方だった。

   「すみません、こんな遅い時間に。だ、誰かに、話を聞いてもらいたかったんです・・・」

    それから男は自分がいかについていないか、そして彼の同僚たちがいかに陰険か、さらに彼の上司

   がいかに非情かを鬱々と語ってみせた。

    時間にして三十分ぐらい経っただろうか、男の話が一旦途切れたところで私はようやく口を開いた。

   「たとえ今日いいことがなくても、信じていれば、きっと明日はいいことがありますよ」

    私が彼の話に延々と付き合ったことに男はいたく感激したようだった。

   「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます・・・」

    男はそう何度も繰り返し、電話を切った。

    私は携帯電話を耳に当てたまま、クスッと笑った。

    明日になればいいことがある、か・・・。

    何だか笑ってしまいそうな台詞だ、こんな時だっていうのに。

    いや、こんな時だからかもしれないな・・・。

    私は携帯電話をテーブルの上に置くと、椅子の上に上がり、天井から垂らしたロープへと手を伸ば

   した。






   2.『ある恋の終わり』(6/26)



   「私の前に二度と現れないでって言ったじゃない、リック!」

   「ジョセフィーヌ、君のことを忘れるなんて、そんなこと、僕には出来やしない」

   「わかって頂戴、リック、貴方と私では生きている世界が違うのよ」

   「そんな!生きる世界が違うだなんて、そんな理不尽な理由で君に会えないなんて!」

   「お願い、わかって・・・。私だって貴方に会えないのはつらい。でもこうして私の前に現れるだけで

   貴方の命は危険に晒されるのよ。それが私には耐えられないの」

   「ジョセフィーヌ、僕は一向に構わないよ。君に会えるならこの命、いつだって投げ出す覚悟は出来

   ているよ」

   「本当なの、リック?」

   「もちろんさ、ジョセフィーヌ!」

   「リック、私嬉しい!!」

   「あぁ、ジョセフィーヌ・・・」

                             *

   「あ」

   「どうしたの?」

   「今カエルがヘビに飲み込まれた」

   「へぇ、何も見えなかったけどな」

   「でも変だった」

   「変?」

   「飲み込まれる前にカエルとヘビ、何だか見つめ合ってたみたい」

   「見つめ合ってた?ヘビに睨まれたカエルってこと?」

   「うぅん、そうじゃなくて・・・」

   「なくて?」

   「まるで愛し合ってる恋人達のようにじっと真剣に見つめ合ってたわ」

   「愛し合ってる恋人達?じゃあ、まるで僕達みたいだね」

   「あ、そういえば、今日貴方を呼び出した理由、まだ言ってなかったわね」

                             *

    今二つの恋が終わりを迎えた。

    一つは生きる世界が違いすぎたため、もう一つは単なる性格の不一致のためである。






   1.『カウンセリング』(6/19)



   「次の方、どうぞ」

    カルテに目を通しながら、彼は待合室にいるはずの患者を呼んだ。

    ごそごそと何か物音がしているが、患者は一向に診察室の中に入ってこようとはしなかった。

    だがそれもよくあることなので、彼は気にせず、あらためてカルテを見やった。

    カルテには男の名前や年齢、住所の他に病歴が事細かに記されてあった。

    それによると男は典型的な社会病質者で他人と上手く意思伝達する能力に欠けているとある。

    彼はドアの方に顔を向け、もう一度呼ばなければいけないだろうかと逡巡したとき、ようやくドアが

   開いて男がおずおずといった感じで現れた。

    寝不足なのか、目は真っ赤に充血し、髪はいつ散髪に行ったのか想像もつかないほどボサボサで、

   服装もいつクリーニングに出したのだろうと思えるほどヨレヨレだった。

    彼が着ている新品の白衣とはまるで対照的だった。

   「どうぞ、こちらへ」

    彼が椅子を勧めると男は素直に従った。

   「今日の調子はどうですか?」

    彼は世間話でもするように軽い口調で話し掛けた。

    だが男は曖昧な笑みを浮かべ、くぐもった声で返事をしただけで、彼にはそれが何と言ってるのか

   聞き取ることが出来なかった。

    おそらく男はなぜ自分がこの部屋にいなければいけないのかさえわかってないのだろう、と彼は思っ

   た。

    カウンセリングは三十分ほど続いたが、結局彼は男から話らしい話を聞きだすことが出来なかった。

    カウンセラー失格だな、と半ば落胆しながら彼は壁の時計を見て時間を確かめ、今日のカウンセリン

   グはここまでにしましょう、と切り出した。

    男はひどく疲れた様子で小さく頷くと立ち上がった。

   「次回のカウンセリングは来週の今日、同じ時間に」

    あぁ、わかった・・・となぜかそこだけははっきりと聞き取れる言葉を残して男はドアの向こうに消えた。

                             *

   「まったく」

    男はドアの向こうに控えていた看護婦から白衣を受け取りながらぼそりと呟いた。

   「精神科医になりきっている患者ほど扱いにくいものはないよ」

    そういうと男は格子窓がついているドアを慎重にガチャリと施錠した。






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