『聖夜の奇跡』(後編)



   男は炎の中から現れた。少なくとも三人の目にはそう映った。身に付けているオーバーコー

  トは炎をそのまま切り取ったかのように赤く、それとは対照的に髭は雪のように白い。つまり男

  は三人のイメージそのままのサンタクロースだった。

  「やれやれ、とんだ所に呼び出されてしまったものじゃわい」

   老人は燃え盛る炎をまるでテーブルにこぼれてしまったミルクでも見るような目付きで眺めた。

  「まずはこれをどうにかしなければな」

   老人はあくまで落ち着き払った口調でそう言うと、指をパチリと弾いた。それを合図とするように

  炎の勢いは目に見えて弱まった。いやそれどころかよく見れば火の勢いは弱まっていくだけでは

  なく、まるでビデオの逆転再生のように燃えてしまったはずのカーテンやタンスや座布団が見る

  見る復元されていく。やがて炎はたった一本のろうそくにヒュッと収まった。

  「何なんだよ、一体何だよ、どういうことなんだよ、誰なんだよ、あんた」

   サンタは老人に詰め寄った。目の前で起こったことがどうにも信じられないといった面持ちだった。

  「この時期にこの格好をした老人に誰何の声とは、実に嘆かわしいことだ」

  「わーい、サンタさんが二人いるぅ」

   フミコがピョンピョンとうさぎのように二人のサンタの回りを飛び跳ねた。

  「うそだ!」

   サンタが、若いサンタの方だが、声を限りに叫んだ。 

  「サンタクロースがいねぇって事ぐらい俺だって知ってるぞ」

   年老いたサンタクロースは若いサンタの叫びに悲しそうに目を伏せた。

  「やれやれ、誰かがサンタはいないと言うたびにサンタの寿命は縮んでいくのじゃぞ…」

   サンタクロースはフミコのほうを向いてしわばんだ手で頭を不器用になでた。

  「遅くなってすまなかったのう。何しろ、今夜は一年で一番忙しい夜なものじゃからのう」

  「ううん、いいんだよ。それよりお父ちゃんは」

  「おお、忘れておった」

   サンタクロースは懐から一通の手紙を取り出した。

  「よろしく伝えてくれと言われとったんじゃった」

  「お父ちゃんからの手紙?ありがとう、サンタさん」

   それからサンタクロースはカズオの方をすまなそうにわびた。

  「慌てて来たもので、他には何も持ってきておらんのじゃよ」

  「いいんだよ。それより助けてくれてありがとう」

   カズオがペコリと頭を下げた。

  「何だよ、あんた本当にサンタクロースだっていうのかよ」

   若い方のサンタが二人の間に割って入った。

  「何じゃ、お主まだ疑っておるのか」

   呆れたようにサンタクロースは言った。サンタはなおも食い下がった。

  「あんたが、あんたが本物のサンタクロースだっていうならよぉ、教えてくれよ、なんで、なんで、

  俺のところにゃ来てくんなかったんだよぉ」

  サンタはそれこそ子供のようにわんわんと泣き始めた。

  「俺だって、俺だって、いい子にしてたじゃないかよぉ。一生懸命、一生懸命、いい子にしてたじゃ

  ねぇかよぉ」

   サンタクロースはサンタの側に近づいて、ただ一言すまなかったなと謝った。

  「なぁ、坊や。年はいくつだ」

  「子供扱いすんな。俺はもう十八だ」

   サンタクロースは穏やかに微笑んだ。

  「何だ、十八ならまだまだ十分子供じゃよ。そうじゃ、こうしよう。お主がこれから一年をいい子に

  して過ごしたのなら、来年のクリスマスにはきっとすばらしいプレゼントを届けよう。どうじゃそれで

  勘弁してはくれんか」

  「本当だな。本当に来年のクリスマスにはプレゼントをくれるんだな」

  「ああ、約束しよう」

  サンタは鼻水をすすり、涙を拭いた。

  「わかったよ。いい子にしてりゃいいんだな。約束だぞ」

  「ああ、約束だ」

   それからサンタクロースはカズオからフミコへ、そして最後にサンタへと優しい笑みを浮かべたまま

  ゆっくりと三人を見回した。

  「さて、それではこれで失礼させてもらうとしよう」

  「えぇ、もう行っちゃうのぉ」

  「ああ、なにぶん忙しい身であるのでな。長居をするわけにはいかんのじゃ」

  サンタクロースがパチリと指を鳴らすと、ろうそくの炎が風もないのにボゥと大きく揺れた。

  「ああ、そう言えば、言い忘れていたな。メリークリスマス」

   カズオとフミコとサンタは声を揃えて元気よく返事をした。

  「メリークリスマス!」

   そしてサンタクロースは炎の中へと消えた。

                                *

   明け方近くに帰宅した母親を、カズオとフミコは手荒く出迎えた。

  「お帰りなさい、お母ちゃん」

   てっきりまだ子供たちは寝ているものと思っていた彼女は戸惑わずにはいられなかった。

  「どうしたのよ、二人とも、何かあったの」

  甘えん坊のフミコだけでなく、はにかみ屋のカズオまで抱きついてきたので、彼女は思わず顔をほこ

  ろばせた。

  「あっ、フライドチキンだ」

   母親の手にあるお土産を目ざとく見つけ、フミコはカズオに向かってニッコリと微笑んだ。

  「そうよ。クリスマスだから買うの大変だったんだから。冷えてるけど、きっと美味しいと思うわ」

   彼女はフライドチキンをテーブルの上に置くと、子供たちを呼び寄せた。

  「二人にもう一ついいニュースがあるのよ」

  「なあに、お母ちゃん」

  「あのね」

  「うん」

  「安く借りられる部屋を見つけたの」

  「本当?」

  「本当よ。今日はこれから、引っ越しの準備をしなくちゃいけないわ。二人とも、電気のない部屋なん

  て、怖かったでしょう」

   母親の言葉に、カズオとフミコは秘密を共有する者同士の独特の間で視線を交わし、大きく首を振っ

  てみせた。

  「そんなことなかったよ、お母ちゃん」

   そして二人はとびきり最高の笑顔を浮かべた。

                                *

   クリスマスの早朝の街中をサンタクロースの格好をした若者が急ぎ足で歩いていく。その姿を見かけ

  たジョギング中の中年男性や散歩中の老人、早出のOLたちが頬を緩め、時には指を差して笑いながら

  彼のそばを通りすぎていく。

   サンタクロースの格好をした若者とはすなわちサンタであり、彼は人々の好奇の目にさらされ、さらに

  その歩みを速めた。

   それにしても、とサンタは思う。十八才にもなってサンタクロースと出くわすなんて、どうにも信じられな

  い話だ。誰かに話したとしたら、お前とうとう頭がおかしくなったんじゃないかとからかわれるに決まって

  いる。

   だがそれにもまして信じられないのは、とサンタは心の中でつけ加えて、立ち止まって今日も一日よく

  晴れるであろう師走の曙の空を仰ぎ見た。そう何より彼が信じられないのは、昨日首尾よく頂戴したお宝

  をのこのこと返しに行こうとしている自分自身だった。

   バカ、アホ、マヌケ、何考えていやがるんだ、この野郎。返しに行ったところで、はいどうも有り難うござ

  いましたって持ち主が感謝してくれるとでも思ってんのか。ぶん殴られてケツを蹴っ飛ばされて警察に突

  き出されるに決まっている。いやそれどころか警察の現場検証の真っ最中かもしれないっていうのに。鴨

  がネギしょってやってくるどころか、ついでに白菜と糸こんにゃくと豆腐をくわえてくるようなものだ。バカバ

  カバカ、俺のバカ。

   だがどれほど自分自身を罵倒したところでなぜだか彼はクルリと方向転換して今来た道を引き返そうと

  いう気にはならなかった。それどころかいよいよスピードを上げ再び歩き始めた。サンタは悲観的に考える

  のをもうやめようと自分に言い聞かせた。もしかしたら持ち主は泥棒が入ったことにまだ気づいていないか

  もしれない。もし気づいていたとしても、警察に通報する前かもしれない。いや仮に通報した後だとしても、

  彼のことを稀に見る正直者だと感心して、彼に就職口を世話してくれるかもしれない。彼に人生をやり直す

  新たなるチャンスを与えてくれるかもしれない。

   何しろ今日はクリスマス、クリスマスには奇跡がつきものだから。



                                            おわり


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