『空のない街』/第十話





   奇妙な死体だった。

   自殺であることは疑いようがない。書斎へと通ずる出入り口はすべて内側から鍵が掛けられ、隠し

  扉といったようなものも見当たらない。アルバート・マクマーナンは、自らが所有するライフルを、

  自らの口に突っ込むと、自らの手で引き金を引いていた。そこに他者が細工を施したような形跡は

  見られなかった。

   問題は、死体につけられた二ヵ所の傷だった。どうしても納得の行く説明をつけることがオーレリー・

  ローシェルには出来そうになかった。傷は二つとも生前つけられたものだと死体を診た監察医は請け

  負った。凶器であるレターナイフは現場である書斎ですぐに見つかったが、指紋はアルバート本人の

  ものしか見つかっていない。

   胸の傷は心臓をわずかにそれており、もちろん放っておけば致命傷になることは疑いようもないほど

  深いものではあったが、それでも自らナイフを逆手に持って突いたと考えられないこともなかった。

   不可解なのは首の方の傷だった。胸の傷ほどは深くはないが、こちらの方はどう見ても第三者から

  切りつけられたものにしか見えなかった。

   さらに不可解なのはその動機だった。自殺者がなぜ自ら死を選んだのか、一人一人警察も筋道を

  立てて解明しているわけではないが、それでもアルバート・マクマーナンの場合常軌を逸していた。

   オーレリーは知らなかったが、アルバートは高名な外科医であるという。患者にも同僚にもきわめて

  評判がよく、模範的で、しかも腕のよい医者であったようだ。

   加えて彼が自殺した夜は一人娘の誕生パーティが開かれていた。

   誰しも心に深い闇を持つものだが、それにしても娘の誕生日に評判の医者でもある父親が自殺する

  ことなどあるのだろうか。

   どう考えてもオーレリーには納得の行く説明がつけられそうになかった。

   主立った関係者に事情聴取が行われることになり、まず第一発見者であるメイドが空いていた客間に

  呼び出された。

   彼女からは現場から推察される以上のことは聞き出せなかった。主人であるアルバートが帰宅した

  とき特に不審な点は見られなかったこと、一人娘のアティルディアの誕生パーティの最中書斎のある

  二階から何か破裂音がしたが、その時は誰もそれを銃声だとは思わなかったこと、主人が下りてくる

  のがあまりにも遅いので呼びにいったのだが、内側から鍵がかかっていたこと、その際主人の返事が

  なかったので予備の鍵を取りに行ったこと、鍵を管理する執事とともに戻っり、そこで主人の死体を見つ

  けたこと、などだった。

   次に執事が呼ばれたが、メイドの証言と食い違うようなこともなく、または逆に口裏を合わせている

  ような印象もなかった。ただ予備の鍵がしまってあるキーボックス自体の鍵を常に自分が持ち歩いて

  いるので、予備の鍵は誰もが持ち出せるというものではないと執事は言った。これが本当であるなら、

  容疑者は執事一人に絞られるわけだが、彼は銃声がしたとき、多くの人に目撃されている。すなわち

  アリバイがあるということだ。どうやら自殺に間違いないようだ、どれほど不可解な点があるにしろ。そう

  結論を出しかけたオーレリーだったが、生前のアルバートに最期に会ったという少年が客間に入って

  きたとき、思わず彼女は息を飲んだ。

   少年の顔には見覚えがあった。

  「久しぶりね、ジョシュア」

   そう声を掛けたが、オーレリーは少年の、初めて会ったときの印象と今感じるそれとの違いに戸惑いさえ

  覚えた。線の細さは変わらないが、先日会ったときのような脆弱さのようなものは見事なまでに消えていた。

  「お久しぶりです、ローシェル警部」

   少年は顔色一つ変えず挨拶を返した。

   これが偶然だというのか?オーレリーは誰にともなく問うた。一人はマフィアの幹部。もう一人は高名な

  外科医。まるで接点のない二人に思えるが、その間に一人の少年がいる。ジョシュア。ジョシュア・リー

  ヴェ。これをただの偶然と、百万分の一?それとも一千万分の一?片付けていいのだろうか。

   結局少年からは、特別なことは聞き出せなかった。アルバートとは今日初めて会ったこと、彼に最後に

  会ったのはおそらく自分であること、彼との会話は世間話の域を出なかったこと、自分にも彼が自殺する

  動機には心当たりはないこと、そんな当たり障りのないことしか少年の口からは出てこなかった。

  「ねぇ、ジョシュア、アルバート氏にはあなたから声を掛けたんでしょう。何かもっとちゃんとした用件が

  あったんじゃないの?」

   オーレリーの問いに少年はうつむいて黙っていたが、やがてこう答えた。

  「そうです。アルバートさんには僕から声を掛けました。用件は…、用件は、僕と、ティルダのことです」

  「ティルダ?」

  「アティルディアのことです。僕は、彼女との交際を、交際っていっても、あくまで友人としてですが、アル

  バートさんに認めてもらおうと思ったんです」

  「反対された?」

  「いえ、僕が切り出せませんでした」

  「どうして?」

  「どうしてって…。彼女はこんな立派なお屋敷に住んでいるし、僕には親もいません。彼女の友人として、

  僕はふさわしくないんじゃないかと、途中でそう思ってそのことは口に出せませんでした」

   身分違いの恋、というやつだろうか。一言でいえばそういうことなのだろう。人は生まれながらにして平等と

  はいうが、実際には家柄や学歴、果ては見も知らぬ血族の存在にまで、本人の人格とは無関係なことに

  縛られるものだ。

   ジョシュアの語り口は淡々としていて聞く者に対して説得力があった。先日彼に会っていなければ、オー

  レリーも彼の話を鵜呑みにしていただろう。

   関係者への事情聴取が済むと、といっても肝心の娘のティルダからは話を聞くことは出来なかったが、

  パーティ客は帰宅してもよいこととなった。自殺であることは間違いないのだから、それ以上足止めする

  ことも出来なかった。

  「警部は、あの少年のことを何かしら疑わしいとお考えなのですね」

   ハプスコットが、いつになく冷めた口調で、具体的に何の件とは言及せずにオーレリーに聞いた。

   わからないわ、と短く答えたが、彼女の口調はひどく力のないものだった。その弱さがある意味彼女の答え

  だともいえた。

   ただ一つ確かなことがあった。少年がどこまで事件に関わっているにしろ、彼にそれ以上罪を犯させては

  いけないということだ。

  「彼に一人尾行をつけますか?それとも適当な理由をつけて引っ張りますか?」

   別件拘留はオーレリーの望むところではない。そうしたところでジョシュアからは何も聞き出せまい。だから

  といって十二才の少年に尾行をつけるというのも、そのときの彼女には正気の沙汰とは思えなかった。

  「事件を最初から洗い直してみましょうか」

   結局彼女は自らそう思いつつも中途半端な指示を出すにとどまった。


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      *『空のない街』/第十一話 に続く



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