『空のない街』/第十六話






   廃工場に飛び込んだオーレリーたちが目にしたのは、嘘だ、そう悲痛な叫びをあげ、今

  まさにエドワード・マクマーナンへ断罪の鉄鎚を下すべく、ナイフを振り上げたジョシュアの

  姿だった。

  「やめて、ジョシュア!」 

   オーレリーの声が届いたのかどうか、少年は振り下ろそうとしたその手を止めた。

  「ローシェル警部・・・」

   ジョシュアは虚ろな目をオーレリーとハプスコットに向け、どうしてここに二人がいるのか

  わからないというふうに首をかしげた。

  「アティルディアが、ティルダが電話で知らせてくれたの、あなたたちがこの工場にいるって」

   オーレリーの答えに納得したのか、ジョシュアは、ああ、と頷いた。

  「そう、か・・・。彼女につけられていたんですね。この男にばかり注意を払っていたので

  気づきませんでした・・・。迂闊だったな」

   ジョシュアはフフ・・・、と笑った。ひどく儚い笑いだった。まるで全てを諦めてしまったかの

  ような儚さだった。

  「それで・・・、彼女は?」

  「危険だからと言って帰らせたわ。今頃は、家にいるはずよ。それより、ジョシュア、その

  手を離して」

   少年の持つナイフは、ピタリとエドワードの喉元に当てられていた。わずかでもオーレ

  リーたちが不用意な動きを見せれば、容赦無く男の喉を掻き切るというように。

  「許せないんだ・・・」

   ジョシュアが誰にともなくつぶやくようにポツリと言った。

  「わかるわ…。その男が、妹さんを殺した、犯人なんでしょう…」

   彼女の言葉に、少年は力無く首を振った。

  「違う・・・。違うんです。そうじゃない。そのことで許せないんじゃない・・・。この男は、嘘を、

  ついているんです。その嘘が、許せないんだ・・・」

   それがいったいどういう嘘なのか、オーレリーは問う気にはなれなかった。例えそうした

  ところでジョシュアは答えないであろうし、自らの喉元に突きつけられたナイフを他人事の

  ように眺めながらただへらへらとにやついてばかりのばかりのエドワードも、二人の会話が

  耳に届いているようには見えなかった。

  「もう、疲れたんだ。これで終わりにしたい・・・。エミリーが・・・、エミリーが待ってる・・・」

   ジョシュアは、ナイフを持つ手にわずかに力を込めた。エドワードの喉にナイフの刃が

  スッと潜り、血が溢れ出した。エドワードは、グエッと蛙のような声を出した。

  「それは違う!」

   咄嗟にオーレリーは叫んでいた。考えるよりも先に言葉が口をついて出た。

  「エミリーは、エミリーは、あなたのことを待ってなどいない!」

   マニュアルに載っている説得術でなく、彼女の、必死なまでの心の叫びだった。

   ジョシュアがオーレリーの方を見て、頷いた。

  「そうですよね。エミリーは、天国にいる。僕が死んでも地獄に落ちるだけだ。エミリーには

  会えるわけない…」

  「違う。そんな意味で言ったんじゃないの。あなたを待っている人は、こちら側にいるのよ!」

   ジョシュアがオーレリーの言葉の真意がつかめないというように怪訝な顔をした。

  「ジョシュア、聞いて。あなたを最初に訪ねた後、それから別の日にも私たちはもう一度救護

  院に行っているの。あなたがいないのを見計らって。その時、タウンゼント神父や他のシスター

  たちは皆、あなたの、マードックが殺された日のアリバイを主張したわ。あなたがあの日、

  一日中子供たちの世話をしていたって」

   オーレリーは自らが刑事であるということも、ジョシュアが容疑者であるということも半ば

  忘れていた。ただ目の前の少年にそれ以上罪を重ねさせたくない、そして何とか救ってやり

  たい、それだけだった。

  「それにティルダよ。彼女は電話口で泣きながら言っていたわ。あなたにこれ以上罪を犯して

  ほしくない、あなたがこれ以上傷つくのを見たくないと。彼女はすべてを知った上であなたの

  ことを許しているの。あなたは、その人たちのために、これ以上罪を犯してはいけない!」

   ジョシュアは、タウンゼント神父の言葉を思い出した。この世に許されない罪などないと

  神父は言った。そしてアルバート・マクマーナンの、他人を傷つけることでは決して自らは

  癒されないという言葉も。

   ジョシュアは胸の内の、もう二度と閉じることはないと思っていた空虚な穴が少しづつ、少し

  づつ、小さくなっていくのを感じていた。

   ジョシュアの目から涙が止めどなく溢れ、砂鉄が混じって赤茶けた工場の床面に吸い込まれ

  ていく。それに連れてナイフを持つ手から力が抜けていった。

   やがて心の穴が完全に塞がると、ジョシュアは目を閉じ、大きくゆっくりと息を吐いた。両腕を

  だらりと下げ、少年は見えないはずの空を仰いだ。



    *『空のない街』/第十七話 に続く



      *Toppage

      *Library

      *『空のない街』/目次