『空のない街』/第三話



  

   その路地は昼なお薄暗かった。太陽の沈む時刻にはまだ早いはずだったが、通りの独特

  な澱んだ空気は、 ハプスコットに夕闇そのものを思い起こさせた。いつしか彼の足取りは重

  いものになっていた。

   旧建築の煉瓦造りの街並みは道行く人に時間の流れさえも忘れさせかねなかった。

  「北がどちらかわかる?」

   先を行くオーレリーが振り返りもせずにハプスコットに尋ねた。もちろんですよ、とハプスコ

  ットは答えたが、言葉尻はすぼんでいた。

  「初めて来る人は誰でもそうなるのよ。侵入者を拒絶するようにこの通りは設計されているの」

    ハプスコットは空を見上げ、それから後ろを振り返った。誰かに見られているような感覚。

  おそらく錯覚では ないだろう。オーレリーとわずかに距離が開き、ハプスコットは慌てて彼女

  の後を追った。さらに幾つか角を 曲がり、不意に道が行き止まった。

  「どこです、ここは?」

   行く先は一度ならず聞いている。だがオーレリーははぐらかすように答えようとはしなかった。

  「怖ければ残っていていいのよ」

   オーレリーはそう言うと木戸を叩いた。 木戸の向こうから目つきの鋭い若者が現れた。まる

  で二人が来ることを予め知っていたかのような素早さだった。

   「ローシェルが来たと、ファシカに伝えて」

   若者はオーレリーを一瞥すると、木戸の向こうに消えた。 しばらくすると再び木戸が開き、さ

  きほどの若者が顔を出し、二人に手招きをした。

  「ファシカさんが入っていいって言ってる」

   オーレリーとハプスコットは身を屈ませて木戸をくぐった。ごく短い廊下の先で重い鉄製の扉

  がオーレリーたちの行方を遮った。若者がその扉をゆっくりと開け放った。

   ハプスコットはアッと息を呑んだ。そこは外界とはまったくの別世界だったのだ。煉瓦造りの

  建物の内部とは 到底思えないきわめて近代的な設計思想に基づいた空間だった。 通常の建

  物であれば四階の高さに相当する吹き抜けのフロアが広がり、ほぼ正方形の部屋の一方を巨

  大なバーカウンターが占め、残る三方に円形のテーブルが不規則に配置されている。フロアの

  中央には踊り場だ ろうか、広くスペースが設けられていた。全体的に退廃的な空気が漂い、音

  楽はそれに合わせるかのように耳に心地よく、それでいて気だるい曲調のものが流れていた。

  照明は充分とは言えず、フロア全体を見渡すことは出来ない。

   テーブルには十組ほどのカップルが着いていたが、彼らはまるでオーレリーたちに注意を払

  おうとせず、それ どころかその存在に気づいていない可能性さえあった。明らかに何らかの薬

  物の影響下にあった。

  「久しぶりだな、オーレリー・ローシェル警部補殿」

   オーレリーたちが入ってきたのとは別の入り口から現れた男が彼女にそう声をかけた。

   身の丈は百九十センチほど、仕立てたばかりのような白のスーツに、時代遅れの、というより

  時代を超越したようなデザインのエナメル靴、髪はオールバックで後ろにまとめ、鋭いが、どこ

  か焦点の合っていない目。

   男は、オーレリーを見てニヤリと爬虫類じみた笑みを浮かべた。

  「本当に久しぶりね。お互い壮健そうで何よりだわ、ジョバンニ・ファシカ」

   ファシカの言葉の誤りをあえて正そうとせず、オーレリーは挨拶に応じた。

  「昼間なんぞに来たりせず、夜来てもらえれば、ハハ、ここはもう少し楽しいところなんだが、残

  念でならんね」

   ファシカは視線をわずかにハプスコットへずらした。

  「そちらのお若いのにも、快楽の本当の意味ってのを教えて差し上げられるんだが」

  「快楽論の講義はまたにして頂戴、ファシカ。今日ここにきたのは貴方にちょっとしたお願いがあ

  ったからなの」

   ファシカは大仰に驚いた振りをした。

  「おう、我が愛しのオーレリーの願いとあらば、このジョバンニ・ファシカ、いかなるものであっても

  叶えてみせようぞ」

   オーレリーはファシカの芝居がかった言い草を別段気に留める様子もなく言葉を続けた。

  「マードックが死んだわ。もう知っていると思うけど」

  「ああ、さっき聞いたばかりだがね。おかげで寝覚めが悪い」

  「何か、知っていることはあるかしら。犯人の心当たりがあれば、教えてくれたら助かるんだけど」

  「いや、知らんね。知ってても教えるかどうかわからんが、今回ばかりは本当に知らん」

  「でしょうね。こっちも本当に教えてくれるなんて期待しちゃいないわ。お願いしたいのは、ジーナ

  のこと」

  「ジーナ?誰だ、そりゃ」

  「しらばっくれないで!事件の第一発見者よ」

  「ああ、あの娘がジーナっていう名前なのか」

  「そうよ。あの子に手を出さないでくれる?」

  「手を出す?一体どういう意味だ、そりゃ?」

  「マフィアが関係した事件の証人が、消されるのはよく聞く話でしょうが。今回の場合、必ずしもそ

  ういうわけじゃないけど、貴方たちのやり方には心底ウンザリしているところなの。とにかく、ジー

  ナには手を出さないで」

   ふん、とファシカは鼻を鳴らすと、いいだろ、と頷いた。俺の残りの髪の毛にかけて誓ってやるよ、

  と余計な一言を付け加えた。

  「それともう一つよ」

  「おいおい、まだあるのかよ!」

  「どうせだから言っておくわ。今回の事件に手を出さないで。必ず犯人は挙げてみせるわ。迷宮入

  りにはさせない。だから、一切手を出さないで欲しいの」

   オーレリーの言葉に一瞬ファシカは虚を突かれたようだった。ファシカはウッとうめくと口の辺り

  を押さえ、必死に何かを堪えているようだったが、やがてくすくすと笑い始めた。そしてそれはすぐ

  にフロア全体に響く高笑いに変わった。

  「最高だ。あんた、最高だよ、オーレリー・ローシェル。警察がマフィア殺しに本気になるだと?は

  は、聞いたこともねぇ冗談だ。いいねぇ、ますます俺はあんたに惚れちまいそうだよ」

  「貴方に惚れられても少しも嬉しくないわ、ファシカ」

  「つれないねぇ、相変わらず」

  「じゃ、今回の事件、モンツェリーニファミリーは静観していてくれるんだね?」

  「いや、それは出来ない相談だな、オーレリー」

   ファシカはほとんど間を置かず答えた。

  「確かに殺されたマードックは、ガキを使って金を稼ぐ下衆野郎だったよ。俺だって、奴の顔をみる

  たびにゲロを吐きそうになったもんだ。殺されても仕方のねぇ、どうしようもない屑だったよ」

   ファシカはそこで言葉を切って、唇の周りを舌で濡らした。

  「だが、だからといって、ファミリーの幹部が殺されて、それを放っておいたんじゃ、俺たちが回りの

  同業者に舐められちまう。この世界じゃ舐められたらお仕舞いなんだよ。おちおち道も歩けず、お

  まんまも食いっぱぐれだ。わかるだろ、オーレリー?」

    ファシカは一旦目を閉じ、そして薄く開けた。

  「ファミリーの中でも飛びっきり腕の立つ奴を用意させてもらった。奴には手段を選ばず、何として

  でもマードックを殺した奴を見つけ出して、ぶっ殺すように指示をしてある」

   マフィアからの宣戦布告を神妙な面持ちで受け止めたオーレリーは小さくため息をついた。やは

  りこういうことになったかと言いたげだった。

  「邪魔したね、ファシカ」

   そう言って立ち去ろうとするオーレリーにファシカが後ろから声をかけた。

  「いいだろう、もし仮に犯人の糞野郎を俺たちより先に見つけ出し、あんた自身の手で、見事そいつ

  の手に手錠を掛けることが出来たなら、その時は、きっぱりそいつのことは諦めよう、忘れようじゃ

  ないか。それでどうだ、オーレリー」

  「恩に着るわ」

   オーレリーはファシカの方に振り返ろうともせずに短くそう答えると、出口へと向かった。



        *『空のない街』/第四話に続く



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