『空のない街』/第五話



  

   オーレリー・ローシェルとマーク・ハプスコットの両刑事がその救護院を訪れたのは、ウォ

  ルター・マードックが殺されてからちょうど一週間目のことだった。

   オーレリーの危惧していた通り、捜査会議は実にお座なりで、お粗末なものだった。会議

  に出席していた連中は誰もが、もちろん口に出して言ったりはしないものの、キッズビジネス

  で荒稼ぎしていたクソ野郎が殺されたところで真面目に犯人探しなぞやっていられるかとい

  った態度だった。士気もきわめて低く、陣容も満足なものだとはいえなかった。実際人手が

  足りないことはオーレリーも承知していたので、そのことで文句は言えなかった。事件は敵

  対するマフィア同士の抗争の末の殺人として捜査は進められることとなった。

   捜査方針を限定することにオーレリーは異を唱えたが、人手が足りないことを理由にそれ

  も却下された。

   現場に残された凶器からは指紋は検出されず、ただ大手メーカーの量産品であるというこ

  としかわかっていなかった。現場付近の聞き込みは連日行われて入るものの、それも今の

  ところ成果は上がっていない。

   救護院への訪問は捜査活動の一環というよりオーレリーの独断だった。被害者であるウ

  ォルター・マードックに関するファイルをめくっていた時気になる記事があったのだ。マードッ

  クは会員制の幼児売春組織の元締めをしていた。その組織に属していたと思われる少女が

  二年ほど前に殺されている。少女の名前はエミリー・リーヴェ。彼女には二つ違いの兄がお

  り、その少年もまた妹が殺された時に犯人から暴行を受けている。少年の名前はジョシュ

  ア・リーヴェ。彼は現在市内のある救護院で暮らしている。

   正式な捜査活動の合間を縫って行かなければならなかったので、その救護院にオーレリー

  たちが着いたのは午後八時をすぎていた。そういった施設を訪れるにはいささか遅い時間と

  いえたが、応対してくれたタウンゼントという名の神父は少年に引き合わせてくれるという。た

  だし、保護者代理として彼がその場に同伴することを条件に出した。オーレリーとしても無論

  異存はなかった。

   二人は応接室に通された。応接室といっても古びたソファが向かい合うように並べてある質

  素な部屋だった。しばらくの間待たされ、ハプスコットが膝を揺すり始めた頃、応接室のドア

  が開いた。

  「お待たせしました」

   そう言って現れたタウンゼント神父の影に隠れるように少年は立っていた。少年を見たとき

  のオーレリーの第一印象は、ずいぶんと線が細いな、というものだった。部屋の照明が充分

  でなく、また少年がうつむいていたために表情はうかがえない。

   少年は母親に幼子が甘えるように神父から離れようとせず、また椅子にも座ろうとしなかっ

  た。

  「こんばんは、私はオーレリー・ローシェル警部よ。夜遅くにごめんなさいね」

   差し出した右手をあからさまに無視され、もしくは拒絶され、オーレリーは苦笑した。これで

  も子供の扱いには慣れているつもりだったが、どうやら嫌われてしまったようだ。

  「すみません、人見知りが激しくて」

   神父は代わりに謝ると、少年を横に座らせた。少年の表情は相変わらず強張ったままで、

  オーレリーたちの方を見向きもしない。

  「ねぇ、怖がらなくていいのよ。ジョシュアといったかしら。別にあなたを取って食べようという

  わけじゃないから」

   オーレリーの冗談めかした言葉にも反応は無し。オーレリーは人形に話し掛けているような

  気分になった。

  「少しだけ、話が聞きたいの。十分でいいわ」

   ジョシュアからの返答は無し。ただ一瞬オーレリーの方をちらりと見たようだったが、それも

  彼女の思い過ごしかもしれない。

  「ウォルター・マードックを知っているわね、モンツェリーニ・ファミリーの幹部だった」

  「知らない・・・」

   消え入りそうな声だった。注意していなければ聞き落としそうな、目の前の少年が発したとは

  思えないほど小さな声。だが、少年がようやくしゃべってくれたことにオーレリーはほっとして

  いた。

  「やっと、しゃべってくれたわね、ジョシュア。でも嘘はいけないわ」

  「知らない、そんな奴、知らないよ・・・」

   ジョシュアは首を振った。何度も、何度も。まるでそうすることによってそれに関する記憶が

  頭の中から消えてしまうかというように。

  「知らない、知らないよぅ、僕、そんな奴、知らない・・・」

   少年は椅子に座ったまま膝を抱えた。

  「マードックが死んだわ。そのことは知ってる?」

   少年は小さく頷いた。

  「うん、テレビの、ニュースで、見た・・・」

  「そのことで、ジョシュア、あなた、何か知ってることはないかしら?彼のことを怨んでいる人と

  か知らない?」

   少年は首を振った。今度は力無く。

  「知らない・・・。知らないよ・・・。いや・・・」

   ジョシュアは突然立ち上がった。

  「僕だよ、マードックのことを一番怨んでいたのは僕だよ。マードックなんて、あんな奴、死んじ

  ゃえばいいってずっと思ってた。死んじゃえばいいって、死んじゃえばいいって!!」

   少年は泣いていた。泣きじゃくっていた。

  「あんな奴、死んで当然だよ!誰が殺したかなんて知らないけど、し、死んで、と、当然なん

  だ!」

   ジョシュアがウッとうめいた。足元に水溜りが広まっていき、ほのかに湯気が立った。

   少年は失禁していた。

   署へと戻る車の中、オーレリーは我ながら見当違いなことを考えていたものだと半ば自棄に

  なって自嘲した。

   とてもあの少年がマードック殺しに関係しているとは思えない。あのような神経の細さでは到

  底人を殺せるものではない。ましてマフィアの幹部など。わずかでも疑っていた自分が恥ずか

  しい。

  「見当違いもいいところでしたね」

    ステアリングを握るハプスコットに心の中を見透かされたようにそのままズバリと言われ、オ

  ーレリーはムッとした。そうね、とぶっきらぼうに応えた。

   そう、見当違いもいいところだ。あの少年はマードック殺しとは無関係だ。彼女は自分にそう

  言い聞かせ、しかし同時に納得できていないもう一人の自分の存在に気づいた。

   本当にそうなのか。

   オーレリーは思い返す。

   ぶるぶると震え、顔をくしゃくしゃに歪めながら、涙を流しつつ神父に許しを乞う少年の姿を。

  「ご、ごめんなさい、神父様。汚い言葉を使ってしまいました。それに、床を・・・、よ、汚して・・・」

   タウンゼント神父は穏やかな眼差しでジョシュアを見つめ、そして頭を優しく撫でた。

  「よいのだよ、ジョシュア。この世に、許されない罪など、何も無いのだから・・・」

   それから神父はオーレリーとハプスコットの方を見た。

  「見ての通りです。ジョシュアは過去の傷を癒そうと必死なのです。昔のことを忘れようと懸命

  なのです。今夜のところはこれでお引取りください。もうこれ以上、彼から何かを聞き出すこと

  は出来ないでしょう」

   神父の言葉に従うまま、二人は救護院を後にした。

   オーレリーは窓外の景色に目をやった。ハプスコットと目を合わせたくなかった。

   何かが引っかかった。見落とし。違和感。わだかまり。どう言い換えたところで同じ何かだ。

   オーレリーは胸ポケットから残り一本になった煙草を口にくわえ、火を点けようとしたとき、不

  意にその何かがわかった。

   神父のあの言葉だ。

   神父は、少年が昔のことを忘れようとしていると言った。しかし本当にそんなことが出来るの

  か。

   生まれたときから二人きりの家族だったという。その絆は我々が考えるよりもずっと強いもの

  だろう。

   そしてたった一人の家族である妹を殺され、それを一年や二年で忘れることは出来るものな

  のだろうか。

   もう一度オーレリーは少年のことを思い出してみた。

   頬を伝う涙、神父に懺悔する姿、弱々しい態度、感情的な行動、途切れ途切れの言葉・・・。

   それらは全て自らを弱者に見せかける演技ではなかったのか。

   自らの想像に慄然とし、彼女は唾を飲み込んだ。

  「着きましたよ、警部」

   ハプスコットにそう声を掛けられるまで、オーレリーは車が止まったことにも気づかなかった。



           *『空のない街』/第六話 に続く



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