『ムーン・イン・ザ・キッチン』/Side A



   キッチンではセレンディプティが調子っ外れなメロディを口ずさんでいた。

  いったい何の歌か私にはわからなかったし、歌っている本人にもそれは同様だろう。キッチンにおいて

  ある食材や調味料をどう組み合わせたところで毒にはなるまい。彼女に料理は出来ない。そこまでの

  知能レベルはない。

   おそらく、たまに私が料理しているのを見て、彼女なりに真似しているつもりなのだろう。

   採掘作業が予定通り進行しているか、デスクモニターにスケジュールを呼び出してチェックをして

  いると、セレンがキッチンからやってきて、賞状でも手渡すかのように、一枚の皿を私に向かって差し

  出した。

   皿の上には一応何か料理らしきものが盛ってあった。

  「私に・・・、作ってくれたのか・・・?」

   そう尋ねるとセレンが照れたような笑みを浮かべ、ンンと頷いた。

   ありがとう、と礼を言ったものの、食べても大丈夫なのだろうかと内心不安になった。彼女の好意を

  無下にするつもりもないが、かといって皿の上のものは到底人間が口にするものには見えない。黒い、

  溶岩のようなものとしか表しえない何か。

   死にはしないさ、そう腹を括り、えいと一切れそれを口の中に放り込んだ。なんとも形容しがたい味

  だった。泥土で作ったマシュマロ、といったところだろうか。

   私はそのマシュマロを咀嚼もせずにぐっと飲み込み、ありがとう、と繰り返した。

  「美味しかったよ・・・」

   お世辞が通じたのかどうか、彼女はなおもマシュマロの乗った皿を私に押し付けようとする。勘弁して

  くれよ、そう心の中で呟きながら、私は腹をポンポンと叩いて満腹であるという意思表示をした。

   どうやらその意図を理解してくれたようで、彼女は私に皿を手渡すと、小鳥が物音に驚いて飛び立つ

  ように、パッと駆け出した。

   再びスケジュールチェックに取り掛かり、厄介な演算処理をはじめようとしたとき、セレンが私の前に

  影を作った。

   彼女はにっこりと笑うとデスクに置きっぱなしだったマシュマロに、手に持っていたチューブからチョコ

  レートソースと辛子入りのマヨネーズをたっぷりと捻り出した。

   さあ、召し上がれといわんばかりに彼女は皿を私に鼻先に突きつけた。

   私は彼女の顔と、チョコレートとマヨネーズにまみれたマシュマロとを交互に眺め、ありがとう、セレン、

  そう言ってから、彼女に聞こえないように、そっとため息を漏らした。




   セレンディプティは無垢だった。

   それは彼女だけではない。いつも農園で土にまみれているアルマリオンも、図書館で読めもしない

  書物とにらめっこしているヴァルクも、日がな一日サンルームでのんびり日向ぼっこしているトゥワロも

  同様だった。

   みな穢れというものを知らない、天真爛漫、純真無垢な存在だった。

   だが彼らは醜かった。

   セレンは手足の指が七本ほど欠損している。背骨もいびつに曲がっている。口蓋の裂傷も著しい。突起

  した尾てい骨や天使の翼の跡を思わせる背中の隆起など普通の人間には見られない特徴をもっている。

   他の子供たちもみな似たようなものだった。

   だが彼らは自分たちが醜いということを知らない。私も彼らにそんなことを言いはしない。

   彼らは知らない。私も言わない。だから彼らがそのことで悩むこともまた、ない。

   彼らは『異形の子』と呼ばれる存在だ。月世界開拓初期の不幸な被害者といっていいだろう。

   月は不毛な世界だ。これは比喩でも何でもなく、言葉どおりの意味だ。確かに、地球では枯渇したファン

  バレルやルナタイトなど様々なレアメタルが豊富に埋蔵されている。

   だが鉱物ではなく、生きとし生ける者にとって、ここは昏く冷たい死の世界以外の何物でもない。

   簡単な宇宙生物学のレクチュアをしよう。

   何でもいい、地球で採れた植物の種子を無重力空間で育てようとしたらどうなるか。

   藍藻植物や一部の苔類を除いて、ほとんどの植物は重力に逆らって成長しようとする。

   だが逆らうべき重力のない状態では、植物は当然のことながらまっすぐには育たない。どんな植物も

  枝や根が分別なく絡まって、最終的にはボール状になってしまう。

   これが月だと、地球の六分の一の重力があるため、ある程度はまっすぐに育とうとする。

   だが頭に載せる重石が軽いのが気に入らないのか、結局最後には植物で出来たぐしゃぐしゃのラグビー

  ボールが出来上がってしまう。

   ではこれが動物だとどうか。

   通常精子は重力という荒波を越えて卵子の元にたどり着く。

   だがまったく波のない、凪の状態だと、精子は卵子の元にたどり着こうとする意欲を著しくそがれるらしく

  受精率は異常なまでに低下する。ゼロではないという程度だ。必然的に人工授精という方法に頼らざるを

  えないのだが、この受精卵を無重力、もしくはそれに近い状態で放置しておくとどうなるか。

   受精卵は受精初期の形態を維持したまま分裂と増殖を繰り返して成長する。すなわち、ヤモリの姿形を

  したヒトが誕生することとなる。

   これはある意味外宇宙進出を目指した人類への、最後通告にも等しい。

  人類が重力の呪縛から逃れられないのならば、すなわち無重力空間での生殖活動が不可能ならば、恒星

  間航行など夢のまた夢だ。

   地球の人口が最大数を年毎に更新していたころは、人類も宇宙旅行を、正確には外宇宙への移住を

  本気で考えていた。

   宇宙にこそ人類の未来は存在するのであり、いつかは宇宙に人類は進出するもの、宇宙こそ真のユート

  ピア・・・。

   多くの人々がそのような幻想にとらわれていた。

  そんな中で、科学者たちは重力の介在なしに生物が、やがては人が、生きていく方法を見つけるために、

  果てしない研究と実験を繰り返した。

   しかしそれらは必ずしも人道に則ったものばかりではなかった。その影では多くの悲劇が引き起こされた。

   その一つがセレンをはじめとする『異形の子』だった。

   だが今は、人口が毎年減少している現在となっては、誰も宇宙になど目を向けようとはしなくなって

  いた。開拓初期の不幸な被験者の存在など、誰もが遠い過去の存在として忘却の彼方へ葬り去ろうと

  していた。




   月での暮らしは単調なものではあったが、決して飽きるということはなかった。

   任務自体はローテーションの繰り返しだ。採掘スケジュールのチェック、本局への定時連絡、集積センター

  内外のパトロール(愚直にも私はこのパトロールを欠かしたことがなかった。いったい何のためのパトロール

  なのかと、外宇宙のエイリアンの侵攻に備えてのものなのか、それとも凶悪なテロリストによる月資源強奪を

  警戒してのものなのかと疑問に思わずにはいられなかったが)、その他与えられた任務自体は特に語るべき

  こともない。

   けれど私には他にやりたいこと、やるべきことが山のようにあった。

   集積センターの外に出て、ただ時間の過ぎるままに星を眺めているだけでも飽きることはなかった。

   月で見る星は地球でのそれとまったく別物だ。瞬くということがないため、どんな小さな星さえも抑光ガラス

  越しにしか眺めることは叶わないが、それらの放つ光は、まるで私自身を焼き尽くさんばかりに鮮烈だった。

  今は子供たちの世話に時間を取られてなかなか行けないが、以前は開拓初期の月面コロニーにもよく探検に

  出かけたものだった。

   開拓初期のコロニーには数百万人の開拓民がいた。そのころの月は希望の大海である大宇宙へ船出する

  ための、港の役目を担っていた。希望にも活気にも満たされていたはずだ。それは、今でもコロニーの廃墟の

  そこかしこから感じることが出来る。

   廃墟といっても崩れかけ、朽ちたビルディング群ではない。地球に比べ六分の一しか重力がない月では、

  塵芥の類が積もり重なるということはない。月の廃墟は廃墟でありながら新築そのものだ。

   実をいうと、セレンたちを見つけたのも廃墟と化したかつての実験施設の一つからだった。たぶんさらに

  探索を進めれば、セレンのような子供たちはまだ見つかるのだろう。

   だが今の私にはそれをする時間も、新たな子供たちの世話をする労力も残されてはいない。




   時々自分自身の存在意義について疑問に思うことがある。

   私は何のためにここにいるのだろうかと。

   確かに私には与えられた任務がある。

   だがそれも私の存在が不可欠かというとそういうわけでもない。採掘作業の進み具合のチェックなど、仮に

  ずれが生じたところで修正するのは作業の度合いでなく、計画の方なのだ。ほとほと人間は計画を立てる

  のが下手な生き物だと思う。パトロールなど前述通り無意味なものだし、集積センターが無人化された

  ところで実際何ら支障はない。地球の月資源管理局にとっても、採掘現場においても、集積センターにも。

   そして私自身にとっても。

   たぶん最初にここに基地を作った連中が決めたのだろう。少なくとも採掘作業には人間の監督官が一人は

  いなければいけないと。

   もしかしたら最終的な責任を取らせるために、言い換えれば、誰かが貧乏くじを引かなければならない、

  そのために私がいるのかもしれない。

   だが義務は義務として、権利を行使するのであれば果たさなければならない。

   そして私は集積センターの監督官としての権利を最大限に行使していた。

   そのおかげで子供たちを見つけることが出来たのだし、また面倒を見ることも出来る。私が見つけて、そして

  蘇生させなければ、子供たちはおそらくこれから数百年という長い時間をかけて緩慢に死を迎えたことだろう。

   その方が彼らにとって幸せだったのかもしれないが、私には、彼らこそ生まれて初めて家族と呼べる存在

  だった。

   私は地球では孤独だった。だがそのことを地球にいたときは気づかなかった。月に来て、家族と呼べる

  存在を得て、私は初めて孤独という言葉の本当の意味を知ったような気がする。

   もしかしたら、管理局の方でも、私のささやかで、禁じられた楽しみのことを掴んでいるのかもしれない。だが

  例えそうだったとしても、遠く離れた地球からは実際には何も出来やしない。少なくとも私の任期中は・・・。

   その日が来るのが恐ろしい。

   子供たちと、離れ離れにならなければいけない、任期開けの日が。

   今の私には子供たちのいない生活など考えられないのだから。



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