『ムーン・イン・ザ・キッチン』/Side B



   厄介なことになった。

   本局から査察官が来ることになったのだ。ほとんど事後通告のようなもので、私にそれを拒否する

  権利はない。何事も起こらなければよいのだが・・・。

   とにかく子供たちを元いた実験施設のユニットに連れて行って、眠らせることにしよう。

   大丈夫、私が上手くやれば何も問題はないはずだ。あの広いコロニー跡から、子供たちを見つけら

  れるはずはない・・・。

   気がつくと、セレンが私の顔を不安そうに覗き込んでいた。彼女は時として、私の心を映し出す鏡の

  ようだ。

   いけない、こんなことではいけない・・・。

   心配することはないんだよ、そういいながら私は内心の不安を打ち消すようにセレンに笑みを浮かべ、

  彼女の頭を優しくなでた。



   意外なことに査察官は女性だった。

   出生率が極端に低くなった今の時代、女性は仕事について働くよりも、丈夫な赤ん坊を産むことこそが

  何よりの美徳とされる。

   政府はそう喧伝しているし、実際妊婦は様々な優遇措置を受け、特権が与えられる。だからわざわざ

  自分から働こうとする女性は滅多にいない。

   航宙ポートへと続くゲートから現れたミズ・ローゼ・アイスナーは、それが査察官の名前だが、随分と

  若く見えた。二十代の半ばといったところだろうか。

   とはいえ外見をそのまま鵜呑みにすることは出来ない。この時代、十や二十の年齢は簡単に誤魔化す

  ことが出来る。

  「エンデュミオン処置は施したことはないわ」

   お互いに名乗りあったあとで、私の心を見透かしたように、ミズ・アイスナーは言った。

   エンデュミオン処置とは、本来延命手術とそれに付随する技術を指すが、今ではそこから派生し、広い

  意味で使われる。小皺を隠す化粧から、人工皮膚の移植手術まで広義ではエンデュミオン処置と

  いえた。そういった意味では、エンデュミオン処置を受けたことのない人間などいるはずもないのだが、

  彼女の言いたかったのは、自分が何らかの外科的手術を受けていないということなのだろう。

   それが本当なのかどうか、私には確かめるすべはないし、また興味もない。

  「ここに来る事を、ずっと楽しみにしていたのよ。本当に」

   彼女は値踏みをするように私を見て、意味ありげに微笑んだ。




  「ねぇ、こんなところにずっと一人きりで寂しくないの?」

   アイスナー女史は興味深げに尋ねた。

   私はただ曖昧な笑みを浮かべてみせた。

   寂しくないの、か・・・。

   私が地球にいた頃、周りには大勢の人間がいた。血のつながっている家族、同僚、友人、そして恋人と

  呼べる存在・・・。

   だが私は孤独だった。多くの人に裏切られ、そして私自身多くの人を裏切ってきた。裏切りは私の生活の

  一部であったし、私はそれを当然のものとして少しも疑問に思わなかった。

   それが愚かな行為であることに気づいたのは、ここ、月に来てからだ。月が、不毛ではあるがそれゆえに

  清浄な、この月世界が、そしてなによりもセレンたちが、私にそのことを教えてくれた。

  「答えてくれないのかしら?」

   彼女が重ねて聞いた。

   かつて毎晩のように盛大なパーティが行われたであろう、だだっ広いレセプションホールに、私は簡易

  テーブルと椅子を二脚、そしてごく簡単なオードブルと低アルコールワインだけを用意した。

   その気になれば例え月の世界であってもフランス料理のフルコースでさえ用意することも可能だが

  (もっともマナーよく食すということは難しいだろう)、そうする気にはなれなかった。

   静寂に支配された空間に、彼女の問いかけはひどく空虚に響いた。どう答えたところでつたない嘘に

  なりそうな気がした。

   生身の人間との会話は本当に久しぶりだった。タイムラグもなく、鏡に向かうように独り言でもなく、

  駆け引きが必要な会話は。

   私が何も答えようとしないことを、それを一つの答えと解釈したのか、彼女は自分で話をはぐらかすように

  席を立った。

  「ここで、一人で暮らしていくのってどんな気分なのかしら、知りたいわ」

   彼女は私のそばに回りこむとそっと肩に手を置いた。生身の人間の手の温もり、そして重み。心臓の

  鼓動は知らず早くなる。

   彼女は言葉を続けた。

  「それとも一人ではなかったのかしら」

   彼女の言葉に、ああ、そうか、そういうことだったのか、私は得心した。軽く目を閉じ、胸の高まりが

  収まっていくのを確かめる。

  「隠すことはないわ。すべてわかっているの。本局はあなたの行動をすべて把握しているのよ。子供

  たちはどこにいるの」

   私はゆっくりと首を横に振った。

  「何をおっしゃっているのか、ミズ・アイスナー、私にはさっぱりわからないな」

  「とぼける必要はないわ。集積センターに五つの生体反応が確認されてるのよ」

  「計測器の誤作動でしょう、よくあることだ」

  「一人で暮らしているわりにはずいぶんと地球からの食料の搬入量が多いわね」

  「ええ、最近食がすすんでね」

  「ふざけないで!」

   アイスナー女史が憎々しげに私を睨みつけた。

  「あなたが何を目的に実験体を蘇生させたのかは知らないわ。でも個人が、暇つぶしに手をつけていい

  ことでないぐらい、あなたにも判断がつくでしょう?」

   彼女の視線を正面から受け止め、私は努めて冷静な振りをして言った。

  「私にはあなたが何をおっしゃっているのか理解できない。だが何らかの疑いがあるというならば、どうぞ、

  集積センターでも、採掘場でも、どこでもお好きな場所をお探しになればいいでしょう」

   集積センターはともかく、コロニー跡の廃墟までモニターされているとは考えにくかった。そうでなければ

  どのような形にしろ私に協力を仰ぐはずもない。

  「本局は再び外宇宙への進出を考えているの。大規模で本格的なものよ」

   アイスナー女史は切り札をさらすかのように芝居がかった言い方をした。そうすることで私が跪いて

  それまでの非礼を詫びるとでも思っているようだった。だが残念ながら彼女の言葉は私に何の感銘も

  与えなかった。

  「一から研究をやり直すには莫大な費用がかかるわ。あなたが進んで実験体を提供してくれるなら、

  本局はあなたを地球に呼び戻していいとさえ考えてるわ」

   私は彼女の言葉を否定した。

  「あなたは勘違いしている。私は別に罪に問われて地球を追い出されたのではないよ。ここにいるのは

  私の意思だ」

   アイスナー女史は一瞬せせら笑うかのような表情をした。私が地球に戻りたいと信じて疑ってない様子

  だった。

  「どちらにしてもあなたに拒否権はないのよ。だとしたら素直に従ったほうが得でしょうに」

   私にとってそれは損得の問題ではなかった。

   彼女は言葉を続けた。

  「とにかく外宇宙への進出は必須だわ。あなたの意思とは無関係にね」

   今度は私が彼女に問う番だった。

  「必須?何のために?」

  「何のために、ですって?」

  「何をしに、外宇宙までわざわざ行かなければならない?」

  「宇宙こそ、人類にとって最後の希望よ!」

   彼女は半ば叫ぶように言った。

  「今まで住んでいた自分の家が、糞とゴミと砂でまみれて住みにくくなったからといって、その家を捨てて、

  引っ越すというのか?すべては自らが招いた業だろうに」

   彼女はまるで初めて耳にする異国の言葉で話し掛けられたように私を見た。

  「何を言ってるの?」

  「何も言ってやしないさ。少なくともあなたが理解できるようなことは」

   彼女は何かを言いかけた。より手厳しい、すなわち私にとってより不毛な弾劾の言葉を見つけ出したに

  違いない。

   だがその時レセプションホールの、ゲートへ続くドアが開いた。そこにいたのは・・・。

  「セレンディプティ・・・」

   私にはなぜそこにセレンがいるのか理解できなかった。スリープユニットの作動が不十分だったのか?

   だとしてもどうやってここまでやって来たというのだ?真空の海を息を止めてクロールで泳いできたとでも?

   セレンは、私の顔を見ると、ンアアと嬉しそうに顔を歪めた。無邪気に、そして不器用にステップを踏み

  ながら、近づいてくる。

   その途中、セレンは、アイスナー女史の存在に気づき、立ち止まって、首をかしげた。

   セレンの登場に私は虚を突かれたが、それ以上に肝を潰したのがアイスナー女史だった。

  「こ、この化け物は何・・・?」

  「化け物、だって?」

  「この醜い化け物は何だっていうの!」

   彼女の言葉に私は説明しがたい笑いの衝動に駆られた。

  「失礼なことを言わないで欲しいな。彼女こそあなたが会いたがっていた実験体、すなわち『異形の子』だと

  いうのに・・・」

  「あ、あなたは、何の権利があってこんな酷いことを・・・。狂っている・・・」

   アイスナー女史が震えながら私の方を見た。一瞬彼女が何を言っているのかわからなかった。

   だが彼女の両眼にあからさまな私への恐怖を見取って悟った。私がセレンの体に下卑た改造を加えたと

  思ったのだろう。

   誤解だった。私は子供たちを目覚めさせたに過ぎない。

  「違う、誤解だ」

   そういって私が一歩近寄ると彼女は二歩後ずさった。

  「来ないで、来ないでぇ!!」

   まるで私に触れられただけで、異形のものに姿を変えられると恐れているかのように彼女は叫んだ。

  「待ってくれ、あなたは誤解している」

   私が彼女の腕を掴むと、彼女は半狂乱になって振りほどこうとした。

  「聞いてくれ、私の話を・・・」

   彼女の肩を強く押さえ、振り向かせようとした、その時、彼女は私の左手首を思い切り噛んだ。一瞬の

  痛みに私は思わず残っていた方の手で彼女の胸を突いた。

   強く突いたつもりなどなかった。

   だが私はその瞬間ここが地球ではなく、重力が六分の一しかない月であるということを忘れていた。そして

  信じがたいことにアイスナー女史は、低重力下での歩行バランスを保つ慣性シューズの機能をオフにして

  いた。

   私に突き飛ばされた彼女は、滑稽と言っていいような呆けた顔をして、レセプションホールの遥か向こうの

  壁にぶつかった。

   地球に比べ、およそ六倍の勢いで。




   壁に激突したアイスナー女史は、衝撃をその体に吸収した後、ポーンと跳ね返り、操り人形が糸が切れて

  しまったように床に落ちた。

   何が起こったのか、正確には自分が何をしたのか、私には理解できなかった。

   奇妙なまで捻じ曲がったアイスナー女史の首が私にそれを丁寧に教えてくれたが、私は足が竦んで確か

  めることが出来なかった。

   セレンは無論何が起こったのかわかるはずもなく、ただきょろきょろと落ちつかなげに辺りを見回すばかり

  だった。

   どれくらい時間が経った後だろう、セレンが不安げに私の顔を見つめているのに気づき、私は正気に

  返った。

  「ああ、セレン、心配は要らないよ・・・」

   そう言ってセレンの頭を撫でると、彼女はまるで猫のようにのどを鳴らした。

   心配は要らない、か・・・。

   私は内心自分の言葉を笑わずにはいられなかった。ローゼ・アイスナーに与えられた任務を考えれば、

  彼女の不自然な死を隠蔽することなど不可能な話だった。

  「心配は要らない・・・」

   私はその言葉を繰り返した。

   そう、その日が思っていたよりも早くやってきただけなのだから・・・。

   壁際の端末機から、集積センターのメインコンピューターを呼び出す。

  「緊急事態発生。D-40157発動・・・」

   私が口にしたコードナンバーは、正体不明の”敵”による集積センターへの襲撃を指す。そして同時に

  その”敵”を殲滅させるためであれば、どのような手段を講じてもよいという許可も与えることになっている。

   集積センター中にアラームが鳴り響く。まるでコンピューターは慌てているようだった。機械が慌てることが

  あれば、の話だが。

   そしてまた”敵”の姿が認識できないことに戸惑ってもいるようだった。本来であればこの時点ですぐにでも

  索敵は終了し、アラームは鳴り止むはずだった。

   だが私が予めプログラムに細工を施してあるために、決して見つかりはしない”敵”の殲滅を、すべての

  命令系統に優先して行うようになっている。

   コンピューターが自己の抱える矛盾に耐え切れず、オーバーロードに達するのも時間の問題だった。

   そのあとどうなるかは神のみぞ知る、だ。

  「さあ、行こう、セレンディプティ。今度は一緒に眠りにつこう・・・」

   耳慣れないアラーム音に怯えていたセレンだったが、私の差し出した手をそっと握り返した。

  「心配は要らない・・・」

   もう一度同じ台詞を今度はセレンにささやくように言った。

   コロニー跡に続くゲートに向かって私たちは歩き出した。セレンが調子っぱずれなメロディを口ずさむ。相

  変わらず何の曲かはわからないが、実に楽しそうだ。つられて私もハミングする。

   セレンと目が合い、彼女は大きく口を二ィと開けて笑った。私は妙に満たされた気分となった。

   やがてゲートエントランスに近づくにつれ、減光窓から差し込む太陽光が強くなり、私たち二人の体は溶ける

  ようにその光に包まれていった。



                                           Fin.



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